Mystery Circle

創造と想像が好きな人々の為に ―ようこそ、奇譚の円環へ。―

第十九回  ☆Merry Christmas☆ Mystery Circle




●共通出題 (バトルロイヤル・ルール)

◎起の文
『会った瞬間、叱責の幻聴が聞こえてきた。』

◎挿入文
『そして愚直なまでに、失われた時への哀惜を叫び続ける。』

◎結の文
『そいつはまさに影だった。』



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『Infinite』

著者:AR1 


 会った瞬間、叱責の幻聴が聞こえてきた。しかし、それは自分に向けられたものではない。誰に向けられたものなのだろう――彼に解を与えられる機会はない。
 不確定の森の中、流れ続ける光景の中をたゆたう体。幻に対して反応した信号だと思っていたそれはまやかしではなく、単に『存在するには危うい状態』にあるだけの、極めてリアルに近いファンタジーの渦中の漂流者。
 過去の記憶、未来の可能性、生前の世界、死後の青写真……全てが混ぜこぜ、一つとしてこねくり回された可能性の断片。このトンネルに出発点も、出口から差し込む陽光もない。進む道はおろか戻る踏み場もない。四方八方を正体不明の映像が勝手気ままに飛び交い、消失していくだけの不可思議な筒の中。
 いつかどこかに終点があるはずだ――流れに逆らい、前へ進もうともがく。ここがどこかなどと知ったことではない。今はこの無軌道な循環の中から這い出したい一心で、前方へと腕を伸ばして光の中をもがく。
 ここに溢れる全ての幻聴は、全てが実際に発せられる可能性を含んだ事象である。希望に溢れた宣誓が、未来に於いて脆くも崩れ去るビジョンが広がる――発展のリンクを未来に辿り、分岐した箇所の一つを切り取ったものであるから、それが実際に訪れるかは誰にも知れない。しかし、別の世界の自身がそれを必ず経験するはずだ。限りなく、果てしなく繰り返すタイムパラドックスの嵐があれば、その現象に立ち会うパーツの一つになれるかもしれない。
 しかし、漂流者はそれを拒みたい一心で波に抗い続ける。可能性などというものは、未踏の開拓地であるからこそ挑みがいがあるものなのだ。一度でも足跡をつけてしまった場所には未練しか湧かない。
 いや、なによりも他者の無残な叫喚が耳元を掠め、そして愚直なまでに失われた時への哀惜を叫び続ける、その悲哀の激情にはうんざりする。まったく、この中で三十分と耐えられる頑強な輩は存在し得るのだろうか? いるのだとしたら、そういう連中は〈無神経〉と呼ばれる人間なのかもしれない。慟哭が通り過ぎるたびに気が触れそうになるので、今だけは目先の心配を最大限に膨らまさざるを得ない。いつの間にか感受性を麻痺させることを肯定する自己への恐怖、しかしそれに気づくはずもない。
 ここを脱出するためにもがく行為も、実のところ無駄なあがきなのかもしれない。見渡す限りが崩された時間の概念、憶測すらも一つの真実として現像されるストーリーの奔流だ。『今』がどこなのかも判然としないこの場所で、そもそも出口が『いつ』、『どこに』あるのかも分からないこの場所から逃れる術はないのではないか? 愕然となる。この空間に一つ希望を見出すとしたなら、それは出口に向かって突き進む自分の姿。
 だが、ここはパラドックスの大海。もしかしたら、そうした姿は映し出されるかもしれない。しかし、その逆も……いや、もっと凄惨な顛末を目の当たりにするかもしれない。それは文字通り、浮遊している彼を撃墜するほどの威力を誇っているに違いない。

 ――ここにいるのが分からないのか?

 幻聴の木霊の間に聞き取った一言。それはどこからやって来たものだろう? 必死に動かしていた手足を休め、体をぐるりと回してみる。そこで初めて、ここは重力に左右されづらい、全方向対応のワイヤーアクションのような空間であることを自覚した。
 一箇所だけ、壁のような場所に虫食いのようにぽっかりと開いた穴。糸で繋がれているかのように手繰り寄せ、ようやく目まぐるしい情景からの脱出に成功する。それだけで死刑宣告を言い渡された牢獄から解放された様な安堵に包まれる。
 倒れ込むようにして地面に投げ出され、膝と両手を突き、顔だけを上げる。その声の主はどこかで聞いたことがあるもので、それはカラオケでエコーがかかりつつ耳に刺さるものだった。
「やあ、もう一人の俺」
 そこにいるのは彼自身であり、足元を血で染めたそいつは、まさに俺の影だった。



●《自己批評》
『風邪でダウンしてて、息苦しくて頭がガンガンしてる時に作りました。安直さに悶絶。
 普段なら絶対に許容しませんが(最初から作らないかも)、ここ数回のMCでは『技巧に走り過ぎ』だったり、『技巧と発想の塩梅をどう取ればいいのか』で悩んだりしていたので、たまには中身がスッカスカでもOK……な訳ないです。はい。
 レンタルして来たテクノのCDをBGMに、過去にやっていたゲームの攻略本を懐かしんでいたらこんな展開に……』


《空想Explosion AR1》 


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『似た者通しの恋愛譚 3』

著者:知 


 久しぶりに会った瞬間、叱責の幻聴が聞こえてきた気がして、私はどう話しかけようかと少しためらってしまった。

「思ってた以上に重症みたいね」
 そんな私を見て私の唯一無二の親友である澪はそう呆れたように言った。
「……そう?」
「重症だって自覚はあるでしょ?」
「それはそうだけど……」
 あの時よりはましだと思う。
「あの時よりはましだなんて思ってないでしょうね?」
 そう思っているのが顔に出ていたのだろうか澪は私にそう釘を刺した。
 澪の真っ直ぐな瞳に思わず目線をそらしてしまう。
「やっぱり……あのねぇ……」
 それで図星だというのがわかったのだろう、澪は呆れたようにため息を吐き何か言おうとした瞬間に口を閉ざした。
 その後の言葉を言うべきかどうか悩んでいるようだ。
「……澪……」
「わかっているのなら何も言わないよ」
 そんな事を言うために会う約束をしたわけじゃないしねとおどけた感じで澪は言った。
 今日は澪が用事で私の大学の近くに来るとのことなので久しぶりに二人で飲む約束をしていた。
 私と澪は大学で別々になったんだけど偶然ネット上で再会してそれからネット上で色々やりとりしている。
 3年以上会っていないのに何も違和感がないのはそのためだろうか。

 これ以上、立ち話をするのも何なので店に移動することにした。
 行くのは私の行きつけの店。
 料理もお酒も美味しいんだよね……少し値段が高いけど……



「「乾杯〜」」

 初めの酒の肴になった話は予想通りネットの事だった。
 澪の用事というのがオフ会に参加するためだからそうなることは仕方がないことだろう。

「澪は『箱舟』さんと『Wisdom』さんにも会ったことがあるんだよね?」
「『Wisdomさん』に会ったのは最近だけどね」
『箱舟』と『Wisdom』というのは私と澪の共通のネット友達。
『箱舟』さんのサイトがきっかけで澪とネットで再会したんだよね。
『Wisdom』さんは『箱舟』さんの彼女さん。

 ……それ以上の詳しいことは省略ということで……

 お酒が進むにつれ話題は変わっていった。
 大学生活の話、就活の話……などなど。
 でも、目下私の悩みの事については一回も話題に出ることはなかったように記憶している。
 その記憶にあまり自信がないけど。
 実を言うと普段よりもハイペースで飲んだからだろうか、私の記憶が途中からぷっつりとなくなっていたのだ。
 どうやって家に帰りついたのかも覚えていなかった。



「さて……どうしよう……」
 私は酔いつぶれて爆睡している親友――結衣を見てそうため息混じりに呟いた。
 もうそろそろ閉店時間だ。このまま放っておくわけにはいかないが私は結衣の下宿先を知らない。
 住所は知っているけど、住所だけではどうしようもない。

 結衣は一度寝ると朝まで起きないんだよなぁ……

「……無駄だと思うけど……」

 結衣の体をゆすって起こしてみることにした。

「ほら、起きなさい。そろそろ閉店時間だから……」
「……閉店時間?」

 結衣は私が閉店時間という言葉を言うと起きた。

「嘘!?」

 思わずそう口に出してしまう。

「……閉店時間……家に……帰る……」

 そう呟くとちゃんとコートを着てバッグを持って立ち上がり

「す〜み〜ま〜せ〜〜〜〜ん〜〜〜〜〜」

 どことなく間延びした調子で店の人を呼び会計をしている。
 大丈夫なのだろうか。
 店を出てから「大丈夫?」と聞いても「大丈夫、大丈夫」としか返ってこない。
 家にちゃんと帰りつくのか心配になって結衣が家に入るまでちゃんと見守ることにした。

「私の〜家は〜ここ〜だか〜ら〜〜〜〜」

 あるマンションの前に着くと結衣はそう言った。
 マンションの名前を確認するとちゃんと合っている。

「じゃあ〜ま〜た〜ね〜〜〜」

 そう言うと私の返事を待つことなくビルの中に入っていった。
 心配なので結衣の後を付いていき部屋に入るまで見守り、無事、部屋に入ったことを確認してからマンションを出た。



「……さて、タクシーを探さないと……」

 ホテルまで歩いていける距離ではないが電車はもう動いていないからタクシーでホテルまで行かなきゃならない。
 結衣の家が駅の近くだったのが幸いしてタクシーはすぐに見つかった。
 ホテルに着き部屋に入るとほっと一息つく。

「……思っていた以上にあの時のことをまだ引きずっているみたいね」
 もう何年前のことだろうか。
 私と結衣が中学2年の時だったから……9年ぐらいになるのか……
 もう、あの時から10年になろとするのにまだ結衣は引きずっている。
 そして愚直なまでに、失われた時への哀惜を叫び続けている。

『空白の時代』

 後に結衣は自分の中学時代をそう語っている。
 結衣は中学時代のことをあまり覚えていない。いや、全くと言ってもいいかもしれない。
 友達、担任の先生の顔や名前など中学時代のことは結衣の記憶から完全に抜けているのだ。
 アルバムなどで確認することもできるけどそれは結衣にとって単に情報にしか過ぎない。
 情報にしか過ぎないものを見ても何の感慨もわいてこない。
 結衣はそのことをとても悔やんでいるのだ。
 
「さて……と……」

 これ以上考えていても仕方がないのでそう声を発し思考を切り替える。
 明日はここに来た用事――オフ会の日。
 このオフ会には目下、結衣の一番の悩みの原因である『彼』も参加する。
 結衣の言う『彼』が私のネット友達だと気が付いたのは最近だった。
 気が付いた数日後にオフ会の連絡が入り『彼』も参加すると聞き、私も参加することにした。
 結衣が「正反対だけど、私に似ている」と言った『彼』
 ネット上ではそうは感じなかったけど、実際に会ってみたら結衣がそう言った理由がわかるかもしれない。
 そう考えるとすぐに私は参加すると返事していた。
 何で『彼』に会おうと思ったのかは自分でもわからない。
 明日『彼』に会えばそれもわかるかもしれないと思いながら私は眠りについた。



 時間の10分前に到着すると二人の男性がもう来ていた。
 二人とも初対面なのだが、その一人が『彼』だということは一目見てわかった。
 結衣が正反対だけど似ていると言った理由が『彼』一目見ただけで納得できた。
 光と影のように正反対だけど似ている、いや、正反対だから似ていると言うべきかもしれない。

 結衣を光とするなら『彼』はまさに影だった。



●《自己批評》
『久しぶりのMC参加
BRルールということで特に参加の意思表示がいらないので、書き終えることができたら参加しようと思って書いたら無事書き終えることができたw

今回の話はMC Vol.9に書いた「似た者同士の恋愛譚」の続き。
「似た者同士の恋愛譚 2」はどうしたと言う人がいるかもしれないけど、同人誌verのMCで書いた「似た者同士の恋愛譚(仮)」がそれにあたる。
ここまで続き物を書くのはどうかと思ったけど、新しくネタを考えるには時間が足りなくてorz

これからこの話はどうなっていくのか?
続きはあるのか?

俺にもわからない。
お題次第で話は変わっていくだろうし、お題次第では続きが思い浮かばなくてこれ以上続きを書かないことになるかもしれない。

……はい、単にこの話をどうしていくのか全く考えていないだけです。
その場の勢いのみで書いてるし。
やっと出てきた主人公の名前も適当に決めたし。

ネタを仕込んでいるけどわかる人だけわかってくれればOK』


《Liar's villa 知》 


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『ある日のデート』

著者:暖房 


 会った瞬間、叱責の幻聴が聞こえてきた。目の前にいとおしい女の顔があるのにも関わらず追いかけて来るあの上司の声がした。だがそこに本人がいる訳もなく、俺は何とか待ち合わせ相手の女の笑みに集中しようとした。それは大きなストレスから逃れる為の唯一の方法だった。恋愛が捌け口になるという愚かな構図には我ながら嫌になったが、どこかでそれに甘えてもいた。だから今日も俺は女に声を掛けた。
「ごめん、遅くなっちゃった。待った?」
 女は何事も無いように答えた。
「ううん、大丈夫」
 こうして優しい言葉と共にやっと幻聴は去り、俺達はデートができた。俺達は駅前の雑踏に混じって歩きながら夕方のレストランを探した。他の人間達の声の中には上司を思わせる似た声もあったが、俺は耳に入らないように心を配った。幻影に過ぎないと心に言い聞かせた。女は時折俺の横顔を見る。話の内容はどうでもいい事ばかりだったけれどその囀りは心地良かった。十二月の冷たい風に煽られながらも俺達はぎゅっと手を繋ぎ、仄かな暖かさを頼りに前に進む内に突然女が止まった。
「ほら、ここ、美味しいらしいよ」
 見ると緑の看板には黒い店名の他に赤いpizzaの文字が踊っていた。それはきっと一年中同じ配色に違いないのだが、近いクリスマスを思わせてならなかった。俺は小さなプレゼントを見つけたように思った。
「じゃあここにしようか」
 女は小さく頷いた。その仕草が可愛くて少し手を強く握ると、俺達は舞台を去るようにレストランに入って行った。
 広く暗い店内はウッド調ベースの少し煤けた感じだったが、テーブルに置かれた様々な色付きグラスのキャンドルの瞬きが何か特別な吐息を感じさせた。女はセピア色の輝きを放つテーブルを指差した。
「あそこがいいわ」
 俺は女の手を引きそのテーブルを目指した。赤い光や青い光の間を通り抜けて辿り着いたそのテーブルはまるで二人の想い出のように揺らいでいた。俺達は座り、メニューの中をあれこれと散策しながら店員が来るのを待った。選べる自由というものが俺には嬉しかった。
 ピザを待つ間に女の唇はよく動いた。職場の事、家族の事、それはまるで堰き止めていた水が放たれたようにテーブルに溢れ続けた。俺はそれをふんふんと聴いている内に何かしらの違和感を覚えた。それは頭の片隅にある上司の事が次第に膨らんでくるという現象だった。好きな女の言葉に乗ってそれはどんどん加速し密になっていった。好きであるという事に夢中になれない俺がそこには確かに居た。

 上司は最近離婚したばかりの男だった。仕事はよく熟したがいつも奪われた子供や別れた妻の事で苛立っていた。そして何彼に付けて部下に難癖を付けては憤り当たっていた。その怒りはやがて沸点へと立ち上り、そして愚直なまでに、失われた時への哀惜を叫び続ける。それが毎日々々社内で行われ、殆どの者は辟易としていた。だが俺はそういうのは苦手だったから時折反抗した。そしてそれはやがて俺の私生活への非難にも繋がっていき、結局の所、結婚もした事の無い者に何が分かるかという罵倒で終るのだった。
 正直な話俺は何時もその事に呆れた。確かに俺は結婚はしていないが恋人は居る。だから別れるという事に関しては分かっているつもりだった。子供が居るにせよ居ないにせよ突如孤独に戻るという事の痛みは分かっているつもりだった。だが上司はいつも「違う」と言った。そんな生温いものでは無いと。そうして何時も俺の想像力さえもが否定された。

 目の前にピザが来たのに気付いてはっとすると女はまだ話していた。俺は暫く意識が何処か別の場所へ行っていた事を知り慌てて女を見たが、何時も通りに微笑みながら話していた。
 俺達はピザを食いながら互いを見、そして緩やかに話を続けた。トレンチコートを脱いだ紺のスーツ姿の俺とダッフルコートを脱いだ首回りの緩いピンクのセーター姿の女はきっとこの店に合っていた。
 ピザは美味かった。とろりとしたチーズにサラミ、さくさくのクリスピーの生地にトマト、もう余計な事など何も無かった。と、急に女は訊いた。
「大丈夫?」
「何が?」
「何か難しい事でも考えてるのかなって」
「いや」
 俺は慌てて否定したが内心はどきっとした。今この場に関係の無い上司の事が再び頭を持ち上げた。冗談じゃない、何の権利があってこんな隙間に入って来るのか。俺は女の顔を見てもう一度言った。
「何でもないよ。美味いね、これ」
「うん」
 いくら上司とは言えいい加減にして欲しかった。俺と女の間に割って入るなんてとんでもない話だ。だがこびり付いた幻影はいつしか俺達の隣に座り込み平気な顔をして邪魔をするのだった。
 女は気にするでもなく話を続けた。俺も気にしないようにそれを聴いた。だが一方で他人事とは言え別れという重い話が何度も胸に甦り、俺はそれを払拭するのに必死だった。幸せな時間はいつしか薄っぺらになり上司の嫌な言葉は心の何処かで繰り返された。
 女の可愛い囀りとチーズの香りに紛れ、キャンドルの光の差さない僅かな隙間を狙って潜り込んでくるそいつはまさに影だった。



《暖房の独白 暖房》 


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『Juwelry Box』

著者:幸坂かゆり 


「会った瞬間、叱責の幻聴が聞こえてきたわ」
そう彼女が言った。
パーティーという華やかなこの席で、目が合い、
オレに話しかけてきた彼女が、挨拶の後に続けて言った台詞がそれだ。
彼女とは、10年ほど前、勤めていた深夜のカフェでのバイトで出会った。
確かにあの店にいた頃、オレは数え切れないほど彼女を怒鳴ったかも知れない。
辞めてから会うのは、今日が初めてだった。
「よくオレだってわかったな」
「自分を見つめる誰かの視線には敏感になるでしょう?」
彼女の言葉は見事に的を突いた。オレへの印象が「叱責」だったにも関わらず、
微笑んで話しかけてきた彼女には「成長」という言葉が相応しかった。

あの頃の彼女は、いつもオレの言葉に怯え、オレが店に入ってきただけで目が泳ぎ、
思っている感情のすべてが顔に出てしまうほど不器用な女の子だった。
「すっかり大人になったな」
「店を辞めてから10年以上は経っているもの」
彼女は胸の大きく開いた黒のドレスを着て、高いヒールすら足に馴染んでいた。
「こんな場所に一人か?」
「ええ。好きなアーティストが急遽、演奏するって聞いたから急いで来たの」
敬語を使わない物言いに戸惑ったが、当然だ。もう上司でも部下でもないのだ。
「あなたこそ、お一人?」
「ああ。まったく君と同じ理由でね」
「意外ね。あの頃はわたしがライブに行く、なんて言ったら嫌な顔をしていたわ」
「あの頃の君は、子どもじみた音楽ばかり聴いていたからだろう」
「からかうような口調は健在なのね」
彼女は笑ってオレの言葉を平然とかわした。
からかうような口調か。そうだったかも知れない。
オレに怯えながらも健気に上司と部下としての信頼関係を作ろうと試みて、
必死に彼女が出した話題は音楽だった。しかしオレはすぐにからかい、
その言葉に彼女が傷つく様子を平然と目の端に映していた。
不意にそんなことを思い出し、肩をすくめた。きっとオレも子どもだったのだ。

ライブは素晴らしかった。オレは、彼女ともう少し話がしたくて、
場所を変えて飲み直そうと誘い、彼女も頷いた。
パーティー会場を出て、今にも雪の降りそうな、寒い夜の街を歩き、
行きつけであるバーへ行った。ジャズが流れるクラシックな内装の店だ。
席に着き、落ち着いてから、オレはマティーニを、彼女はミモザを注文した。
彼女の前に華奢なフルートグラスに入った飲み物が運ばれてきた。
再会のための乾杯をして、彼女がグラスを口に運んだ。軽く顎を上に向けた時、
露わになった首から胸にかけて、銀色の首飾りが輝いた。
今の彼女にはその重厚な美しさがよく似合っている。
「誰でも良かったんでしょ」
唐突に彼女が言葉を投げかけてきた。
「何が?」
「あの会場で声をかけようとした相手」
「君が魅力的だったから目が離せなくなっただけだ」
「そう?ありがと」
確かに誰でも良かったのかも知れない。けれど彼女に釘付けになったのも事実だ。
彼女はグラスをそっと置き、話を続ける。
「でも、慌てていたでしょう。会場に上田園子さんがいたから?」
オレの心臓が一瞬、軋むように痛んだ。
上田園子は当時、彼女も店にいた頃のオレの恋人で、公認の仲だったので、
当然、彼女は、つき合った時から別れるまでの一部始終を知っている。
本当は先ほどのパーティーが、すべて楽しかったとは言えない。
園子がいることが判った時から、園子には気づかれないよう、必死だったために。
「君も気づいてたのか」
「ええ。上田さんは気づかなかったみたいだけど」
「そうだな」
彼女は酒を飲む。こくん、と一口飲んだ時の喉の動きで、首飾りが輝きを変えた。
別に話題を変える訳でもなく、正直に「その首飾り、似合ってるよ」と賞賛した。
「ありがとう。夫からのプレゼントなの」
彼女が既に結婚していた事に、オレは少しだけ驚いた。
「それはおめでとう。君の印象をまるっきり変えてしまうなんて、さぞかし素敵なご主人なんだろうね」
「もう5年経つわ。彼が亡くなってから」
亡くなった・・・。オレはつい軽口を叩いてしまった事に後悔をした。
「すまない。余計な事を言ってしまったな」
「ううん。知らないのなら当然だわ」
首飾りの輝きがオレのグラスに反射していた。
園子と恋愛をしていた頃、プレゼントなんてしたことがあっただろうか。
オレはグラスの中身を一気に空にすると、園子との恋を思い出していた。
なぜ、あの会場で園子の姿を見つけ、あれほど慌てたのか。
そのことを考え出すと、決まってそれまで忘却の彼方に押しやっていた想いが、
頭の中で逆回転するように、あの時の光景をオレに見せつける。

園子は彼女と同じ時期に入ってきたバイトの子で、彼女と同い年だったが、
その容貌や雰囲気は、まるで違った。
いつもシンプルなシャツにタイトなスカートで、メイクもきちんとしていて、
仕事を憶えるのも早く、何より、大人びていた。
それに比べて、当時の彼女はシニヨンを2つに分けて結った髪型とか、
ストライプのニーソックスに、フリルのついたミニスカートとか、
目が痛くなるような、明るい色の安っぽいアクセサリーをつけた出立ちは、
オレの目には、幼稚園児のように映った。

出会ったばかりの園子は話題も豊富で、生意気な可愛い女の子だった。
そんな園子に魅かれ、オレたちはすぐに恋に落ち、半同棲の生活になった。
しかし、それはすぐに終わりの見える恋愛だった。
園子は嫉妬深かった。その激しい嫉妬は場所を選ばず、オレに投げつけられた。
そのせいで、オレは職場でのプライドがずたずたになった。
うんざりして、仕事後もまっすぐ部屋に戻らず、遅くなってから帰宅すると、
案の定、園子からどこで何をしていたのか、詰問された。
ほんの少し、違う女と話しただけで浮気呼ばわりされ、
園子の、他の女に向ける執着とも言える妬みに、段々耐えられなくなってきた。
そんな関係に疲れ、ある日、とうとう園子に別れ話を切り出した。
園子は顔色を失くしていたが、案外落ち着いて見えたので安堵した。
しかし突然キッチンに立ち、そのふらついた足取りと共に不安が襲い、
後を追うと、既に園子は包丁で手首を切り、左腕を血に染めて立っていた。
オレは突然目の前で起こった出来事に狼狽した。
血は園子の白い腕を止まることもなく伝い、そのまま意識を失った。
急いで園子の元に駆け寄り、タオルで腕の血を押さえ、病院に急いだ。
幸い命に別状はなかった。
しかし目覚めた後の園子に会う勇気が持てず、オレはそのまま病院を出た。

その後、園子は入院した。このことは当然、店にも知られる所となり、
店長からも見舞いくらい行ってやれ、と言われた。
もちろん、様子が知りたいのは確かだった。
恐る恐る、園子の病室に顔を出した。なるべく長居したくなかった。
元気だとわかれば、それで良かった。できれば、寝ていればいいと願った。
病室の扉をそっと開けると、園子は一番奥のベッドにいて、身を起こしていた。
けれど、久し振りに見たその顔は、今までの気の強さが一切消え、
いつも堂々と張っていた背筋すら、猫背になり、すべてがぼんやりと虚ろで、
どこを見ているのか、読み取れなかった。
オレに気づかないままならそれでいい。そう思い、そのまま病室を出ようとした。
すると背後から「誰?」と、抑揚のない、消えそうな小さな声が聞こえた。
その声に、扉に手をかけたまま、動けなくなった。
ゆっくり振り返ると、血の気のない顔の園子と目が合った。
その瞬間、園子は目を見開き、オレの顔を凝視した。
目だけが吸いつくように、けれど、どうすることもできず、後ずさりをした。
すると、園子は病室中に響き渡るような声で「行かないで!」と叫んだ。
オレは自分の体が、びくん、と動いたのがわかった。
その声は、この世にたった一人しかいない片割れを亡くしたような悲痛さを孕み、
そして愚直なまでに、失われた時への哀惜を叫び続けた。何度も何度も。
オレは恐怖のあまり、がたがたとその辺にぶつかりながら病室の外に出た。
入れ違いに看護士が園子の病室に駆け込んでいく姿が見えた。
園子の声は廊下にまで響き、最後に聞こえた声は悲鳴のような嗚咽だった。
それ以来、病院に行くことができず、卑怯だとは思ったが、
生きていてくれたらいい、と、それだけを思っていた。
園子との恋愛は、オレにとって地獄のようだったのだ。
そうして半ば強制的に関係を終わらせて、それきり会っていなかった。
やがて、年数が経ち、オレは別の子とつき合い始め、結婚し、自分の店を持った。

そして今日だ。まさかあの場所に園子がいたとは。
生きていてくれた事への喜びと、しかし会ってはいけない、気づかれたくない、
そう思う気持ちはオレを取り乱させ、無様に慌てて辺りを見渡す恰好となった。
その場だけでいいから、連れと思わせる事ができる女を探した。
その、さ迷う視線の先に、とても魅力的な後ろ姿を見つけた。
一人で来ているらしいと判り、声をかけようとした時、その背中が振り返った。
すぐ、店にいた臆病な彼女だとわかった。そこで目が離せなくなったのは、
あの頃の面影を残しながら、清楚な花のような美しさを纏っていたからだ。

「君も色々あったんだな」

オレは新しい飲み物を注文してから呟いた。
「私はほとんど流されるような生き方だったわ。けれど夫と出会ってから、少しずつ、色んなやりたい事ができるようになってきたの。私に興味をそそらせて、実行させるのがとても上手な人だったのね」
「そう言えば、君は色んなことに興味を持っていたな」
「音楽とかね」
彼女はちらりと皮肉めいた目を向ける。
「どんなに子どもじみた音楽だって、その人にとっては大事だってこともあるのよ」
「あの頃への反論か?」
少し、むっとしてオレは答えた。
「そうよ。本当に傷ついていたんだから」
言い返す言葉がない。それもそうだろう。
オレと再会した一番最初の記憶が、叱責だったのだ、と、またオレは拘ってしまう。
けれど、彼女はすぐに笑った。
「冗談よ。本当にもう平気なの。人間って癒されればどんなに辛い思いも、
心の中で思い出になって静かになるでしょう。今のあなたには何の怒りもないわよ」
その言葉に、ふと目を伏せ、ぽつりと呟いた。
「オレは、癒されてはいけない人間かも知れない・・・。」
「上田さんとのこと?」
オレは黙って頷いた。今の彼女になら話せると思い、オレはゆっくり口を開いた。
「オレの中で園子は思い出になっていない。オレは園子を死の寸前まで追い込んだ。
許してもらおうなんて、都合のいい事は考えていない。でも、どうしても園子は、
心の中で暴れて消えてくれない。最後に病室で会った日の姿が忘れられないんだ」
「辛い日々を送ったのね」
彼女は労わるように、オレの手の上に彼女のそれを重ねた。
「・・・時々だけど、今でも夫のことを思い出して涙を浮かべる日があるわ。
それは決まって、自分が夫に対してひどいことを言ってしまったのを思った時よ。
けれど夫はもういないの。だから私は心の中に宝石箱を作って、その中に自分の思いを入れておくの」
「宝石箱・・・」
「そう。光のように輝くような時間もあったけれど、影のように黒く相手を傷つけた時もあった。けれどどんなに悔やんでも、もう直接謝ることはできないわ。
だけれどその箱の中から感情を出して、敢えて時々、その思いを感じてみるの。
そしてその箱を抱きしめるのよ。心の中で。そうしたらどちらも愛しいの。光も影も片方しか存在するなんて、ないでしょう。愛した思いも怒りに震えた思いも、両方必要不可欠な存在なのよ。悔やんでばかりいても何も解決しない。だったら、影も愛するの。そうやってすべての思い出を愛することで、私は夫の死を受け入れたわ」
そこまで言って、彼女は自分の話が長かったことを詫びた。オレは首を横に振った。
「あいつは、生きているんだよな」
「そうよ。痛みは抱えていると思うけれど、ああしてあの場所にいたのよ。
きちんとあの頃のようにお洒落をしていたじゃない。それで充分だと思わない?
あなたはもう自分を責める必要もないし、彼女もあなただけを責められないと思うの」
オレはもう彼女をからかうことなどできなかった。
彼女こそ、痛みを抱えた人間なのだ。
そして、その痛みから目を逸らさずに生きてきたのだ。
「あなた、この首飾りを褒めてくれたでしょう?心から嬉しかったわ。
この首飾りをもらったのは、まだ夫と恋人同士だった頃なの。8年も前になるわ。
それからずっとつけてるの。だからもうかなり輝きも褪せてしまったけど、
その褪せた色も、私には愛しいの」
そう言うと彼女は、オレの目を優しく見つめた。
「癒されてはいけない人間なんて、この世にいないわ」
オレは目を閉じ、彼女の言葉を大切に心に閉じ込めた。
オレの手に重ねられていた彼女の手は、とても温かく、母親のようだった。

しばらく話をした後、オレたちは店を出た。外は、さらさらと粉雪が舞っていた。
「今日、君と話ができて良かったよ」
「私も」
彼女は最後に微笑んで、タクシーを拾い、そこでオレたちは別れた。
オレは店先で、彼女を乗せたタクシーが見えなくなってからも、
しばらくその場を動けずにいた。

光も影も、褪せた色も、心の宝石箱に入れて愛し続ける、か。
自分の中にも、箱があったとしたら、それは埃の被ったものだったろう。
自分の影の部分を、オレはずっと憎み、悔やみ続けていたかも知れない。
けれど彼女の言ったように、悔やんでばかりいても仕方がなく、生きていたら、
歩き続けなければならないのだ。
風が強くて、思わず俯くとオレの影が雪の積もる歩道に映っていた。
影は一生つきまとう。けれど時々、オレも心の箱を磨いて、蓋を開き、
後悔という歪んだ空気を換気しよう。そして、時々、園子を思い出そう。
あの痛みを押さえつけて、忘れてはいけないとむりやりに思うのではなく、
忘れなくていいのだ、と、心の潰れるような思いを、解き放ってやろう。
光と影の片方だけが存在するのではない、と彼女は言っていた。
オレは園子の光の部分しか愛していなかった。いや、影を見ようとしていなかった。
園子にだって影の部分があったからこそ、あの日、病室で、
あれほどまでの慟哭があったのだ。

雪の中で立ち尽くすオレの足許に、雪が積もっていた。
すべての痛みを自由にした心の中の宝石箱は、今、新鮮な空気が入り込み、
あれほど暴れていた園子の思い出は、静かに眠る姿に変化していた。
オレの中の何かが、せつないほど強く、愛を欲していた。
そいつは、まさに影だった。


<Fin>



●《自己批評》
『バトルロイヤル・ルールは初めてで、MCさんは、やはり難しいと思いました。
それでも毎日、うんうん唸りながら、心を膿ませ、
やっと完成させることができました。
今現在、痛い思いを抱えた人たちは、もっと、心の底から真剣に、
自分を癒してあげることが必要だと思うのです。
そうして歩いて行くことの重要さを、少しでも感じてもらえたら、幸いに思います。
なんて言いつつ、一番癒されたのは自分なのですが。
今回、またお声をかけて下さった内藤さん、お題を下さった、空蝉八尋さん、
とても感謝しております。書かせてくださって、ありがとうございました。』


《First Kiss 幸坂かゆり》 


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『What A Wonderful World』

著者:なずな 


********


『人間に会った瞬間、叱責の幻聴が聞こえて来る・・という訳だ。』
黒猫が申します。

黒猫は、月夜の晩にやって来る 子猫の大事な友達でありました。

いつも子猫の もやもやとした色々な気持ちなどを
非常に上手い言葉で言い表してくれる 思慮深い友達でした。
一人っきりの、心通わす 優しい友達でした。

『 ・・・お・・おそらくは そういう言い方もできると思われる』
子猫は よくよく言葉を選び せいぜい賢そうに答えます。

『きみが 初めて拾われた時の話ですね。
拾い主のこどもが その母親に 酷く叱られて
泣く泣くきみを 元のところに戻した、というのは』


今でも 思い出すと 子猫は 身体が急に冷えていくような感じがします。
それは まだ 子猫が赤ん坊だった頃のことでありました。

─ 寒くて お腹がすいて なんだかとても心細かった。
小さな温かい手が しっかり 抱きしめてくれた。
温かなものにくるまれてそっおっと 運ばれて
着いた部屋は ほかほかおいしそうな いいにおいがした。

ふんわりとしたものに降ろされて 幸せってきっとこういう感触なのだ・・と
子猫は一寸 思ったものでありました。

─ だけど・・・次の瞬間 ものすごく 険しい声が降ってきた。

カミナリが鳴って 、ばたんばたんとトタンの屋根に打ち付ける
冷たい雨の音のような・・
強く激しい、 それは「にんげんの声」でありました。

罵り、謗られているのは 「こども」であったのか、子猫であったのか・・
突き刺すような「にんげんの声」。
そんな 恐ろしい「音」を聞きながら
自分が どんどんちっぽけになっていくように
子猫は感じたものでありました。


─ ありんこになって 砂粒になって 消えてなくなってしまう。
いなくなっても きっと 全然だあれも気がつきゃしない。



胸の辺りがきゅっと掴まれたようになり
一瞬で心が、硬く冷たくなるのが解りました。

叩きつけるようなことばの意味は全部は解らなかったのですが
自分は ここにいてはならないのだ・・と
それだけは 子猫にも はっきり伝わったのでありました。




子どもがしゃくりあげながら 歩くので
同じ道 戻り道 ひっくひっく と上下します。

─ 子どもの胸で 上に下にと 揺れるたび
繰り返し 誰かに言われているような気がしたよ



おまえは歓迎されない者だ。
おまえは いてはならない者だ。




消えなさい。


********








神足沙良のblogは 誰とも繋がらず、ひっそりと そこにあった。

詩とも夢の覚書ともつかない 何の説明もなく 綴られた 文面。
最近は 結末のない童話のようなものが
不定期にぽつりぽつり、UPされていた。

ユキトのblogの、気楽で他愛ない日記に
「管理人のみ閲覧OK」 のコメントが来なければ
そのblogの存在も 知ることはなかっただろう。
気軽に実名も公開し、コメントつけあっている学校仲間のblogの
リンクのどこにも それは 繋がってはいない。



『同じ時 同じ空を 私も見ていました・・綺麗でしたね』

沙良の席ははユキトと同じ窓際の列の 一番前だった。
沙良の整った横顔の、その目線の先の 空と雲・・
こっそり携帯で写真を撮って、文章を書き添えたのが
その日のユキトの日記だった。


能面・・学校では沙良は密かにそう呼ばれており
話しかけた誰もが 、そのあまりの無表情な対応に 会話を途中で引っ込める。
blogを介して言葉を交わすことがなければ
ユキトだって こんなに近づくこともなかったかもしれない。







「要は 怪我した猫を 保護して医者に連れて行く、
一緒に 来てくれって話なんでしょ?」
「・・そう・・とも・・言う。」

放課後の教室。
昨夜の沙良からのメールでの相談は、
要約するとそういうことだった。
blogで綴る物語りの文章は けして短くないのに
メールとなると からきしダメで、
会話に至っては 植物とでも喋ってるようだ。
(植物と喋るとしたら・・だが)。

短文の羅列。要点不明確。加えて 無表情。



鼻の先ギリギリまで 顔を近づけてやったら沙良は
おどおどと視線を外し 後ずさる。

これでも かなりの進歩だよな・・ユキトは思う。
初めて喋った時の沙良の顔は 今でも印象に鮮やかだ。
無表情・・・いや 感情を出すのを恐れているようだった。

コメントの付け合いから メールでのやり取りになり
やっと 話をするようになった。

文字だけで繋がっていた相手。
正面から見せることのなかった顔。
教室ではほとんど聞けない沙良の声。

リアルで向き合うと 懐かしいような 気恥ずかしいような 不思議な感じ。







猫は警戒して,身体を傾け、茂みからこちらを伺っていた。


沙良はしゃがみ込み、目線で その猫をユキトに示す。
「ほら、鼻の先、 怪我」

「名前呼んでも 来ない?おなじみさんなんじゃないの 神足の」

「名前・・・ない」

「何年も ずっと見てきたんじゃなかったっけ?」
「じゅ・・十年・・くらい・・かな」

名前も呼ばずに のら猫を見守ってきたなんて なんか神足らしいや・・
おずおずと不器用に猫に呼びかける沙良の横顔を見ながら ユキトは思う。

「呼んでみたい名前なら・・あった」

「何?」

「・・・ノエル」

聞き取れないくらい小さな声で 沙良が言った。
独り言のような 言い方だった。

10年前のクリスマスの頃 、
生まれたてだったこの猫と出会ったのだ・・と沙良は 言う。


「連れて帰って 酷く怒られた? 飼っちゃだめって・・。」

沙良の綴る物語の 文面を 思い出していた。
だとしたら・・厳しく叱られて 傷ついたというのは
子猫というよりは 神足自身なんじゃないか・・


ヒトが苦手なのは 沙良の方だ。
冷たく無表情な顔のその裏は 臆病で人見知りな少女。
こころの中に言葉をたくさん 抱え込んでいる少女。

ユキトは いつも物語の文面を繰り返し読みながら
主人公の猫を沙良自身に重ねた。







「・・・・会った瞬間 叱責の幻聴って?」

猫を脅かさないように そっと見守りながら ユキトは沙良の背中に聞いてみる。
人を見るときの沙良の酷くおびえた表情と その後の無表情。
沙良に重ねあわすと それはやけにしっくりいく。

沙良の作る物語には 沙良のこころが映る。
ユキトはそれを 読み取りたくて いつも 沙良の書く文章を繰り返し読んだ。

夕焼けはとっくに消え、早々と藍色の闇が広がっていた。
そばにぽつんと一つある小さな街灯が 沙良の髪を照らす。
闇に浮かび上がる白い横顔はどきりとする程 静かで寂しい。

「他人に会った時 何か聞こえるの?誰かに責められてる気がするの?」
気に掛かっていたことを 一気に口にしてしまう。


「しーっ、逃げちゃう」

沙良の答えはなく
猫は 身を翻し 一瞬のうちに 姿を消した。


********






『そして愚直なまでに、失われた時への哀惜を叫び続ける・・』

黒猫が目を細めながらつぶやきます。
冴え冴えとした空気に 星が綺麗な夜でありました。

子猫は 答える代わりにふうっと息を吐きます。
黒猫の言葉は難しくて 子猫にはよく解らないこともありますが
その 音楽のようなことばを 聞くのが また 子猫の楽しみでもありました。
子猫の吐いた息は 冷たい空気の中 白く透明になって
ふわふわ昇ってゆきました。

遠く 近く・・
捨て犬の遠吠えだけが 空に染み入るように響いておりました。
悲しげに。切なげに。
子猫はぶるりと震えます。寒いわけではありません。



『野良ってのは 悲しむべきものなのかしら』

『温かい寝床、美味しい食事。
それ以上に家族として扱われた記憶
捨てられた者にとっては ・・・忘れられない事なんでしょうね』

『にんげんと住む・・って そんなに いいことなの?』

『さあてね。だが キミはまだ若い。
差し伸べられる手があるならば
それに頼ってみるのも ひとつかもしれませんよ』


ぴょんと飛び上がる。
黒猫も飛ぶ。
つたたっと走る。立ち止まる。
黒猫も 走る。立ち止まる。

お月様の優しい光の中で、 ひとしきり 子猫と黒猫は 戯れるのでした。



********




猫は2日目に あっさり捕まえることができた。
「なんだ、案外 人懐っこいじゃん」
ユキトの胸にすっぽりと抱かれ、その猫は逃げる様子もない。

「ノエルっていうより・・・」

ユキトは赤ん坊を「高い高い」するみたいに 抱き上げ
猫をしげしげ観察して言った。
赤っぽい明るい茶色。 眉毛と口ひげの位置にちょうど白い毛。
コートを羽織ったみたいに お腹のあたりが白く、足先もみんな白かった。
「サンタさん・・って感じじゃない?ぷぷっ 何か愛嬌あるじゃん コイツ」

「ノエル?・・・サンタ・・?」
沙良も 猫を抱き上げて 呼びかけた。
「サンタ」で、猫が みゃあ・・と返事をしたので
「サンタで決まりだね」
ユキトが言うと 沙良は頷いて、静かに微笑んだ。



「飼うの?神足 。たいした怪我じゃなさそうだけど、まず医者連れてく?
確か 駅の西側だっけ?・・あったよね、動物病院。
あの辺ってさ、イルミネーションとかツリーとか、華やかだったよな、この時期。」

「駅前・・・」
沙良がはっきり解るくらい びくっと身体を堅くした。

驚いて後ろ姿に声をかける。小刻みな揺れ。
「神足?」



蒼白な顔。
息が速く、足はがくがく震えている。

「私・・私ね・・」

何かをユキトに 必死で話そうとしているのは解ったが 言葉が出ない。
─こんな 表情の神足は 初めて見た・・・





「神足。何?気分悪いの?」





********




おとうさんが 猫がきらいなのわかってて
こんな のら猫ひろってくるなんてね

かえって来ないのは あんたのせいだ
なんて ひどい こども

わたしの くるしみが わからないんだ
それとも わかってて わざと やってるの

なんて つめたい こども



こびた目つきしないでちょうだい
ああ、いやだ


だらしない格好するんじゃないの
恥ずかしい


きちんとしなさい


きちんとしなさい





だれにも うしろ指なんか ささせない



********



沙良の様子が普通じゃなかったので 猫はユキトが連れて帰った。

明日 神足に会って、行けるようなら 一緒に動物病院に行こう。
それにしても・・・膝の猫を撫ぜながら ユキトはパソコンの画面を見つめた。

さっき UPされた沙良のblogは 確かそんな文面だった。
いつもの物語の続きでもなく 、ひどく 唐突なのが 気になった。

いつの間にか その記事も削除されていた。



傷ついた こども。
ひりひりするような傷跡。

他人に触られるともっと痛む・・と、
包帯巻こうとした手を振りほどき、逃げ去るように
その記事は ひっそりと消えていた。

クリスマスの頃 あの猫と出会って 飼うこともできず
「ノエル」と呼ぶことさえ あきらめてしまった・・。

神足は あの時 少しだけ「 自分」を語ろうとしてくれたのではないか・・。
受け止め切れない自分、沙良の気持ちを読み取れない 自分が
ただ情けなく嫌になる。


沙良のblog自体が すっかり消えてしまうのではないか
─ 語ることをあきらめないで・・・
ユキトは祈るような気持ちで 沙良のblogを読み返す。





「サンタ、預かってるよ。先に医者に診せに行っとこうか?」
「子猫と黒猫の話の続きが 聞きたいな」

携帯は切ってあり、メールを送っても 返事は来なかった。





次の日も その次の日も 沙良は学校に来ない。
連絡もとれない。

せめて 神足の望んだようにしてやろう・・ユキトは思う。

─ 神足がコイツを飼うにしても 公園に戻すにしても・・
(僕が引き取るとしても)
神足の家から近い方がいいだろう

ユキトは 沙良の家があると聞いた駅まで行き
駅前の動物病院に サンタを連れて行った。

─ 帰りに 神足の家に寄ってみよう。

化膿止めの塗り薬をもらい、動物病院を出る。
駅前は賑やかで 華やかで 道行く人たちも 何となくうきうきしている様に見える。
クリスマスの飾りつけいっぱいのショーウィンドウ。
サンタ服でクリスマスケーキの予約を呼びかけるケーキ屋の店員。
電飾のついた街路樹。ロータリーの巨大なツリー。

ファスナーを半分空けたままの スポーツバッグの中で
サンタはずっと大人しく 外の様子を覗っていた。
綺麗な金色の目に きらきら電飾が映り込んでいた。





・・・何故か 一瞬沙良の姿に見えた。




すれ違ったのは真っ赤な口紅の中年の女性。
「駅西口のマリーさん」・・・ふざけた名前をつけて
クラスメイトが噂していた女性だ。

冬だというのに 薄手のワンピースで 素足。
真っ赤な口紅は 少しはみ出していて 髪は乱れ 目は遠くを見ている。

帰宅するサラリーマンの腕を次々掴み
「お帰りなさい」「お帰りなさい あなた」
繰り返しているのが 遠くからでも見て取れた。


・・・何故か 一瞬沙良の姿に見えた。






「おっ、ユキトじゃないか、何してるの?
お前の家って 市外じゃなかったっけ?」

いきなり肩をたたかれ 振り返る。
クラスメイトで体育会系の橘 輝明だった。

─ そういえば 橘も このあたりの中学出身だっけ

「最近 うちの学校のヤツ見かけるんだよな。『駅西口の』・・何だっけ。
ほんと 阿呆な野次馬ばっか・・・」
橘は 赤い口紅の女性を遠巻きに眺める人たちをちらりと見、舌うちする。

腕を掴まれて 驚いて振り払う男性に なおしがみ付く 女。


「あ、それとも お前 知ってて来たの?
最近 神足と・・親しいみたいだし・・」

ユキトが言葉の意味を解らないのに気づき 橘 輝明は少し困った顔をした。

「あれ、神足の母親。
昔はえらくキツくてさ。神足が能面みたくなっちゃったのも 、そのせいかなって・・。
最近 やっと離婚決まったみたいでさ。
そしたら今度は急にあんなになっちまったらしい。」

顎で 「マリーさん」を示しながら 橘は 申し訳なさそうに続け、
小学校時代から 娘に異常なほど厳しかったという神足の母親のことを話してくれた。

「能面って・・オレ等もからかった時あってさ・・・・。」

橘は俯きがちに過去の話をし、ユキトのバッグから顔を出した猫を見て驚いた顔をした。
「コイツって あそこの公園の猫?」
「うん。怪我しててさ、神足が医者に診せたいって言ったから・・」



「ふうん・・もしかしたら、こいつって あの時の猫なのかもしれない。」

橘はバッグから出たサンタの頭をちょんちょんと撫でて 話しを続けた。

「ちょうどこんな時期だったなぁ・・サンタクロースの話で盛り上がりながら
友達とわいわい騒いで歩いてたら 神足、見かけてさ・・」

子猫を抱いて 沙良が泣きながら歩いていたのだという。
切なそうで 辛そうで 、浮き足立ってた子ども達も 一瞬言葉を失った。

「クリスマスも サンタクロースも関係なく
悲しい人がいるんだな・・なんてガキなりに思ってさ。
能面・・って面と向かって苛めるヤツもだんだんいなくなった。」



駅前の騒ぎがザラザラした古い無声映画を観るようで
ユキトからどんどん 遠ざかっていくように 思えた。

立ちすくんでいるユキトの目に、
周囲に頭を下げながら、母親の腕を取り連れて行く
沙良の姿が映った。








動けなかった。
ただ、動けなかったんだ。



立ち去る前のほんの一瞬、沙良が ユキトと橘を見た。


能面。

沙良の目は 何も語っていなかった。

脳天気なクリスマスソングだけが 駅前の商店街から響いていた。




********


『黒猫は いなくなりました。

もはや 死んでしまったのかもしれません。


子猫は 語る言葉を失いました。


冬の朝の空は冴え渡り

捨て犬の 遠吠えだけが 響きわたっておりました。


子猫はの足元にはぼんやりとした影が映ります。


猫のかたちの淡い影は 子猫をただ 不安にさせるだけでした。』



********


何日もたって、やっと更新された沙良のblogはこんな風だった。
家に訪ねて行っても 誰も出ず、学校にも来ない。

─ ごめん、声をかけるタイミングを逃しただけなんだ・・
そんな言い訳を 沙良が喜ぶとも思えず
ユキトが見ていたことを 沙良がどう思ったのかを確かめる術もなかった。


家の誰も喜ばない歳になってるというのに 母親が飾ったクリスマスツリーを
ユキトはため息混じりに見る。
きらきら揺れる ツリーの飾りに サンタがじゃれついて遊んでいる。

ユキトはノートパソコンの画面を長い間見つめていたが
パタンと音を立てて閉じ ぐるりと首を回し 少しの間目を閉じて考えていた。
サンタが ユキトの膝に飛び乗って来たのが 重みで解る。
目を開けると 鼻を寄せてきて ユキトの顔をペロリとなめた。



ユキトは 雪の結晶を模ったクリスマスの飾りを一つ取り、
手の平に載せ眺める。
小さい頃 これを飾り付けるのが好きだったな。

─クリスマスも サンタクロースも関係なく 悲しい人がいるんだな・・
橘の声と しょんぼりした小学生の男の子たちが目に浮かぶ。
子猫を抱いて 泣きながら歩く沙良の姿が浮かぶ。



ユキトは 猫のサンタの首にリボンを巻いて
’雪の結晶’を きゅっと結わえ付ける。

「付いてきて」
きょとんとするサンタをバッグに入れ、
赤い実の形のオーナメントも外してポケットに入れ
ユキトは自転車で 数駅先の沙良の家に向かった。





チャイムを押しても 玄関ドアをたたいても 何の反応もない。
きっと、いるはずだ・・・高めのブロック塀の向こう、
見上げた2階の窓に黄色い小さな明かりが灯り、
ゆらりと動くものが見えた。


「にゃあ・・・」

サンタが急にバッグから飛び降り、その窓近くの塀にスタッと飛び乗ると
窓に向かって にゃあにゃあ 鳴き始めた。

窓がほんの少し開いた。
隙間から沙良は サンタを見下ろし ユキトに気がついた。




「あわてんぼうのサンタクロースだよ。まだ早いって 追い返す?」

ポケットの赤い実を自分の鼻のところにかざし、
「赤鼻のトナカイも いるんだけど・・そこ 行ってもいいかな?」


沙良は静かに肯いた。





暗い部屋にサイドテーブルの上の小さい明かりだけ点け、
沙良はずっとひとりで 座っていただけだ・・と言った。

壁に 沙良の形の黒い影が映る。

「小さい頃からずっと私の話し相手だったの。私の友達・・ 私の『黒猫』」

すうっと白い指で指し示す。
影の沙良も 同じように揺れた。



上手く表現できない気持ちを 言葉にし
共感して見守ってくれる 黒い友達
・・・それは まさに 沙良自身の「影」だったのだ。

それさえも 虚しくなってしまった。
影も、もう 沙良を 優しく見つめない。





「僕はさ・・神足の童話の中、気持ちの中で、
僕が、あの『黒猫』だったらな・・って 思ってた。
だから 納得いかなかったな。いきなり死んだかも・・なんて」

「にゃあ」

サンタが沙良の前で甘えた声を出す。
ユキトが沙良の膝にそっと乗せてやると
気持ちよさそうに のどを鳴らし、目を細めた。

「神足のこと好きなんだよなぁ・・サンタはさ」
沙良の膝の上で満足そうなサンタをユキトがちょいっと小突く。


沙良が膝のサンタに頬を寄せる。
沙良の影も 影の猫に頬を寄せる。

「・・・ほんとはね 、うちのだれも猫嫌いなわけじゃないかったの。
解ってた。何か理由がないと 立ってられなかったんだ・・うちのお母さん。」

沙良はサンタを撫ぜ、その手つきに 戸惑いが消える頃
やっと 少しずつ 語り始めた。





「プライドだけが支えだったのよね、だから 急にあんなに壊れちゃった・・。」

沙良は天を仰ぐように顔を上げ 目を瞑る。
影も静かに 首を伸ばし 上を見上げる。
やっと 心のうちを 言葉にできた・・そんな安堵のようなものが 静かに伝わる。



「神足。今、お母さんと・・二人で暮らしてるの?」
間抜けな質問の言葉しか浮かばなかった。
物知りで語彙の多い「黒猫」には 自分があまりに役不足なのを
ユキトはしみじみ実感する。

「いつも あんな風な訳じゃないの。
前よりずっと穏かだし 私は楽・・」
影の肩のあたりが 少し堅くなったように見えた。


「上手く言えないんだけど・・」
ユキトは 言うべき言葉を探す。
もやもやした自分の想いを言葉に変えるのは 「自分」しかいない。
きっと・・そうだ。




「一人で背負い込まないで 少しは僕なんかもさ・・
あてにして欲しいんだけどな。

何ができるか 本当言ってよく解らないけど。
あっ・・周りのヤツら・・橘とかだって その・・
何ていうのかな、きっと・・・」

言いたい事がぐちゃぐちゃになって ユキトは口ごもる。



「影と話すより いいことって きっとあると思う。
絶対に そう 思う。」


沙良は 静かにユキトの方に顔を向け笑った。

何かがゆっくり融け出すような そんな微笑み方だった 。








********



黒猫は 去る前の夜、 ぽつりと言いました。

『僕は もう君と話せない』


『どこかへ行くの?
ひとりにしないで。
あの 捨て犬みたいに ひとりぼっちにしないで。』

子猫は 言いました。不安で不安で 押しつぶれそうでありました。



『大丈夫。 ボクは きっと キミのそばにいる。』
黒猫は優しく続けます。

『差し伸べられる手に 頼ってみるのも また いいって
この前にも、きみに 言ったでしょ?』



『それでも 寂しかったら?寂しかったら?黒猫?』
子猫が聞きましたが、黒猫は静かに首を横に振るだけでした。




次の朝 探しても見つからない黒猫のことを思って
子猫がぼんやりしておりますと

にんげんが近づいてきて 手を差し延べました。

『一緒にいるよ。大丈夫だよ。
おいで。


いいことって・・ きっとあるよ。』




それは 初めて聞く、 安心するような「にんげんの声」でした。
温かさと優しさにが じんわり身体の奥まで 広がって
この「幸せな気持ち」をもう一度 信じてみよう・・
子猫はそう 思ったのでありました。






暖かい冬の日。
柔らかな日差しに照らされて「にんげん」と子猫は 遊びます。

ぴょんと飛び上がる。「にんげん」も飛ぶ。
つたたっと走る。立ち止まる。
「にんげん」も 走る。立ち止まる。

ひとしきり 子猫は「にんげん」と戯れるのでした。




子猫は 足元の猫の形の影を見ます。
『黒猫?』

足元の影は子猫よりも少しだけ大きくて 真っ黒で
まるで あの黒猫のようでした。

『ちゃんと そばにいるって 言ったでしょう?』
黒猫が そう言ったように思えました。




お日様の光に照らされて「にんげん」と子猫と、子猫の黒い影は 遊びます。

ぴょんと飛び上がる。「にんげん」も飛ぶ。子猫の影もぴょんと飛ぶ。
つたたっと走る。立ち止まる。
「にんげん」も 走る。立ち止まる。
子猫の影も走る。立ち止まる。





『メリークリスマス』



「にんげん」はそう言って 子猫を抱きしめてくれました。
きっと もう 寂しくない。
もう 寂しくない。

子猫は 心から思います。






『メリー クリスマス 』







********



●《自己批評》
『今まで書いてきたものの 集大成・・みたいな感じですかね?
ネタが 目新しくない。。とも・・いうかも・・しれません。

Wonderful World といえばこのごろは ミスチルが浮かぶかもしれませんが
これは ルイ・アームストロングの What A Wonderful World より題をもらいました。
しみじみ 聴いてみてください。

メリークリスマス。』


《STAND BY ME なずな》 


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『そして誰かいなくなった』

著者:李九龍 


「いやぁ。 窓の外を見た瞬間に、叱責の幻聴が聞こえてくるかのような気がしましたよ」
 雰囲気が醸し出すその状況に、実に似つかわしくない朗らかな声が、冷たい無機質の廊下へと響く。
 その一瞬、窓から飛び込む稲光が、世界をモノクロへと変えた。 声を掛けた筈の、廊下の向こうから歩いて来る人影もが、その瞬間には不気味なる黒い異形のように見えた。
 白い闇と、黒い闇が、目で追えない程の速さで交互に瞬いたその後は、ただひたすらの闇だった。
 ほんの少しの間を置いて、雷鳴の轟音が、このフロアの廊下にまで届いて来た。
 小さな悲鳴が上がる。 その声の主は、咄嗟に向かい側の大きな体躯の人影に隠れた。 暗闇の中、案外に轟音は長かった。
「どうだったね、新藤君」
 闇の中から、落ち着いた、貫禄のある声が聞こえる。 するとすぐに、先に声を掛けた若い声が反応する。
「あれは酷いですね、会長。 窓からちらと見ただけですけど、この辺一帯はもはや海のようでした」
「・・・そうか。 これはもう、他人事とは言っていられないかも知れないな。 頭の痛い事だ」
 会長と呼ばれた、落ち着いた声の主が言い終わらない内に、天井の蛍光灯が二、三度瞬いた後、廊下に灯りが戻った。 ようやくそこに、舞台が戻ったような感じだった。
「あぁ、戻った」
 新藤と呼ばれた、紺のスーツを着こなす清潔そうな身なりの若い男は、階上の方向を向きながら言う。 いかにも溌剌としているが、どことなく子供っぽい表情が残っているような顔をしていた。
「知世君。 もう明るくなったから大丈夫だよ」
 会長と呼ばれた男は、茶系のスーツに身を包んだ、上背の高い恰幅の良い初老の男性だった。 貫禄はあるのだが、その貫禄ある身体の上に乗っている顔は、まるで笑い皺が張り付いた、徹底した笑顔の仮面のように見えた。
「もう・・・停電しませんか」
 相当の巨漢である会長の背後から姿を現したのは、知世と呼ばれた、身体にぴったりと張り付くようなスーツを着込んだ、若い女性だった。 知世は、恐る恐るその会長の背中の方から顔を出し、新藤の顔を見て、ほっとした顔で微笑んだ。
 新藤も、その女性を見て笑顔を浮かべる。
「大丈夫だ、トモ。 とりあえず下に降りよう」 そう言って新藤は、手を差し出す。
 それを見て、会長と呼ばれる初老の男は、低くも大きな笑い声で、「新藤君、仕事中に、あんまり私の秘書と仲良くしないでもらえないかな」と、たしなめる。 少しだけ、場の雰囲気が和らいだ。
 新藤は、少し歩を進めて、エレベーターのボタンを押す。 すると、数階上のフロアのランプが灯っていたものが、下のフロアへと移動する。
「新藤さん、エレベーターはまずいんじゃない? さっき社内放送で、エレベーターは止まりますって言ってたじゃない」
 知世は言う。
「いや、知世君。 動いているのだから大丈夫だよ。 まさかこの新築の市庁舎にまで浸水は無い筈だ。 とりあえず、地下にまで行かなければ心配はないよ」
 会長は、新藤の代わりに、そう返答した。
 エレベーターのランプがそのフロアを指し、そして密かな音を立てて、そのドアーは開いた。
「トモ。 荒川会長の言う通りだ。 心配無いよ、とりあえず下まで行こう」
 そう言って、新藤は、「トモ」と呼んだ、荒川会長の秘書である柴田知世の背中を押した。 知世はほんの少し困った顔をしたが、すぐに新藤に笑顔を返し、背中を押されるままに、エレベーターの中へと乗り込んだ。
 ドアーが閉まる。 閉まった直後、そのフロアの照明が外の稲光と共に、再び不気味に瞬いた。

「新藤君、君の御両親は、今回の結婚について何か言ってるかね」
 十人は楽に乗り込める、大きな室内のエレベータの中で、荒川は開いているのかも判別出来ない程の細い目のまま、益々の笑顔のでそう聞いた。
「えぇ。 そりゃあもう、こんな良い人を世話して下さる会長の事は、毎晩の話題に登るぐらいですよ」 そう言って新藤は、秘書の知世の肩を軽く抱く。
「そうですね。 私も、彼の家に行く度に、会長の名前ばかり出るものだから、こりゃあ結婚しても、仕事している気分はしばらく抜けないかなぁって」
 そう言って、知世は笑う。 それを聞いた荒川は、もっと大きな声で笑う。
「それぐらい我慢なさい。 新藤君と結婚したら、これからはもっと大変な人付き合いが増える。 何しろ、とんでもないお坊ちゃまだからなぁ、新藤君は」
「会長。 もうその、お坊ちゃまはやめて下さい」 新藤は苦笑しながら言う。
「もう、昔っからこの調子なんだよ、荒川さんは。 私だってもう、一人前にバッジを付けている人間なんですからね。 そろそろ認めて下さい」
 荒川は、更に大きなしゃがれ声で笑う。
「認めているからこそ、知世君を推薦したんじゃないか。 こう見えても、知世君は優秀だよ。 この先、彼女に代わる人材を見付けなければならない現実を考えると、実に頭が痛くなって来る」
「まぁ、会長。 こう見えてもって、何か失礼じゃありません」 知世も釣られて笑う。
 少し笑いが続く。 エレベーターのランプは、丁度十五階の辺りだった。
 荒川の笑い声が途絶えた後、すぐに話題は先ほどのものへと移った。
「それで、どうするかだな。 これ程までの暴風雨ならば仕方の無い事なのだろうが、恐らく街中が床上浸水になっているだろう。 新藤君も、胃の痛い日々が続くと思うぞ」
 荒川は、真剣な顔に戻って言う。 普段が笑顔ばかりなので、真剣な顔での会話は、大いに相手を真剣にさせる力を持っていた。
「そうですね。 とりあえずは、河川工事の手抜きが指摘されるでしょうね。 ・・・全く、こんな事態ぐらい予測しておけよって気分ですよ」
「大島建設ばかり使ってるからな。 その辺も危ないだろう。 とりあえず、今回の件で目立った人間は、全て切るか」
 その辺まで言った辺りである。
「興味深いですね。 やはり大島ですか。 すると、切られるのは、谷田部さんや三上さん辺りですかね?」
 三人の背後で聞こえて来た。
 三人は、咄嗟に振り向く。 知世などは、声を上げたぐらいだ。
「誰だ、君はぁ!?」 新藤は、その普段の物腰からは、考えもつかないぐらいの声で怒鳴る。
 そこにいたのは、ひょろりと背の高い、まん丸の黒いサングラスを掛けた、どことなく爬虫類を思わせるような風体の男であった。
 荒川の目が大きく開く。
「どこから入った?」
 サングラスの男は、きょとんとした顔で返事をする。
「何なんですか、皆さん。 そんなに恐い顔して。 私はさっきからずっと、皆さんの後ろにいたじゃありませんか」
「嘘をつけぇっ! 俺達が乗った時は、ここには誰もいなかったぞ!」 新藤は、更に怒鳴る。
「ちょっと、ちょっと、待って下さいよ。 まるで私が、この場に突然現われたような言い方して。 私はずっと皆さんと一緒にいましたよ。 皆さんがエレベーターに乗り込む際に、御一緒したじゃありませんか。
 尤も、御三方共、お話しに夢中でしたから、私如きが目に入らなかったとしても無理はない事だと思いますがね」
 そう言って、サングラスの男は、にやりと笑う。
「・・・記者か?」 荒川が言うと、サングラスの男は、「はい」と、即答した。
「お前、誰を脅迫しているか判ってるんだろうな?」 新藤が言うと、サングラスの男は、両手の平を見せながら、「滅相も無い」と返した。
「脅迫だなんてとんでもない。 こんな地方風情の記者が、言って良い事と悪い事の区別、付かないとでも思っているのですか? 
 それに、今私の目の前にいるのは、あの、荒川会長と、新藤財閥の御曹司だ。 誰が敵に回します? 勿論、秘密厳守ですよ。 それに私には、それを裏付ける証拠も無い」 サングラスの男は、笑う。
「懸命だ。 名前と社名を聞こうか」 荒川の、太く低い、しゃがれた声がドスを利かす。
「オグリです。 フリーランスですよ。 何の後ろ盾もありゃしない。 私は尤も殺されやすい立場です。 ご心配無く・・・」 と言いながら、サングラスの男は人差し指を一本、口にあてがいながら言う。
「大丈夫です。 内緒にしておきますよ」
 そう言って、オグリと名乗ったサングラスの男は笑い、芝居がかった仕草で、両腕を広げてみせた・・・その瞬間だった。

 どぅん!

 世界が激しく揺れた。 瞬間、その場の全員の膝が砕けたように、バランスを失った。
 男三人は踏みとどまったが、知世だけは踏ん張りきれずに床へと崩れ落ちた。
「トモ!」 新藤が叫び、咄嗟に知世の腕を取る。 だが、衝撃はその一回きりだった。
 新藤の腕を借り、知世が抱き起こされる。 荒川とオグリは、頭上のランプを見る。 ランプは、三階を指していた。
「止まった・・・?」 新藤が言う。 言った瞬間に、ランプは二階へと移動する。 動いてはいるのだ。
 時間が止まったような感覚に襲われる。 誰もが口を開かないその状況で、果てしなくゆっくりとした時間の後に、ランプは今度は、一階へと移った。 だが、無常にもドアーは開かなかった。
 新藤が手を伸ばし、ヒステリックに、「開」のボタンを連打する。 しかし、その場の人間の全員が思った通りに無反応。
 頭上の照明が、数分前にいたフロアと同じように、数度瞬いた。 そして、その場の全員が同じように思った通りに、その四角の箱の世界は、暗闇に包まれた。
「いやぁ〜〜〜っ!」 狭い世界で、知世の金切り声が響き渡る。 それに続いて、新藤のなだめる声が聞こえて来る。
 少しして、その暗闇の中に、灯りが戻る。 だがそれは、心細いほどの小さい灯り。 荒川が持っている、ライターの光だった。 その光を見て、知世も声を上げるのをやめた。
「新藤君、非常通話で聞いてみなさい」 荒川が言うと、新藤はすぐにそれに従い、フロアボタンの横に付いている受話器を外す。
 しばらくは、そのままの無言が続いた。 最初にその禁を破ったのは、オグリだった。
「荒川会長、良いライターを持ってらっしゃる。 高そうですなぁ」 しかし荒川は取り合わない。
 ややあって、「もしもし!」と、新藤が声を張り上げる。
「いつまで待たせるんだ! しっかり警備室に張り付いていろ!」
 それを聞いて、オグリは、「ひゅう〜」と、口笛に似た野次を飛ばす。 それを荒川は、横目で睨む。
 新藤は、手短に今の状況を話し出す。 それと同時に、再び知世が、金切り声を上げ始めた。
「水っ! 水よっ! 冷たいじゃないっ!」
 その声に反応して、新藤の説明も途切れた。 全員がまず知世を見て、そしてその彼女の視線を追い、天井を見る。
 そして視線は、床へと落ちた。

 ぱたたたたたたっ!

 水が、エレベーターの天井から、床に滴り落ちていた。 見るとそれは、案外高い位置にある天井の一角、恐らくは非常用の出入り口か何かになるのだろうか、人、独りが通れるぐらいの四角い窓があり、その蓋の継ぎ目のパッキンのあたりから、水は滴って落ちていた。 水道の蛇口とまでは行かないが、案外に激しい漏れ方だ。
「何事だ・・・?」 荒川の低い声が、疑問を問うた。
 一瞬、漏れる水音のみの沈黙が訪れたが、それは本当に一瞬の事だった。
「あ・・・あぁ、悪い。 それでな、今丁度一階に着いた所なんだが、ドアーが開かないんだ。 ちょっと見に来てくれないか?」 新藤は、再び守衛の人間と通話をする。
 すぐに、その場の全員に、緊張が走った。 明らかに、新藤の表情が変わったからだ。
「何?」 新藤はその一言を発すると、黙り込む。 後はただ、向こうの話す言葉に、耳を傾けているだけだった。
 受話器を戻す新藤に、荒川と知世は、すぐに質問をする。 何事か・・・と。 だが、肝心の新藤は、両手で口を覆うような格好をして、黙るだけだった。
「はぁ〜〜〜ん」 荒川の背後で、オグリは素っ頓狂な声を上げた。
 全員が自分を振り向くのを見て、益々嬉しそうな顔をしながら、オグリは言った。
「もしかして・・・新藤坊ちゃん。 このエレベーターって、水没してません?」
 オグリ以外の、全員の目が見開かれた。 いくぶん、水の落ちる量が多くなっているような気がした。


「信じられない・・・」 知世は、半泣きの状態でそう言った。
「つまり・・・だ」 荒川は、相変わらずの低い声で話し出す。
「このドアーを強制で開かせる事は出来る。 だが、開いたらそこは水没した一階。 自力で泳いで、二階まで辿り着かなければならないって話だな?」
「そうですね。 何しろこの県庁舎は、一階は半地下です。 今現在は二階の床上までの浸水。 開いたら、すぐに階段まで泳ぎ、上階まで行かなければならない訳です」
「それも、しっかりと一階に辿り着いている事が前提な訳だ。 もしもそこが、一階と二階の途中だったら・・・」
「全員、どこにも行けずに溺死ですねぇ」 オグリは、さも可笑しそうに言う。
「うるさい! お前は少し黙れ!」 新藤は怒鳴る。 その横で、知世は本格的に泣き出した。
 水は、全員の膝の辺りまで来ていた。 上から漏れる水は、どんどん増えて来る。 パッキンが緩くなって来ているのか、もしかしたら、その押さえている蓋自体が壊れてしまうかも知れないと言う想像までが働く。
「もう一つは、手動でこのエレベーターを上階まで引き上げる事です」 新藤が言う。
「だがその方法は、今いる守衛全員が知らない」 荒川がそれを受ける。
「そうです。 従って、今、このエレベーターを購入した業者に問い合わせ中です」
「それでその業者がアメリカの業者で、今向こうは深夜って訳か。 面白い。 もしもここを出たら、守衛も警備員も、全員クビだけでは済まさんぞ」 荒川は、軽く鼻を鳴らしながら言う。
「それでどうするの? ドアーを開けるの?」 知世は、不安そうに問う。
「いや、それも無理だ。 しっかりと一階に止まっていると言う保障が無いんだ。 それにきっと、一階から泳いでも、誰も息は続かない。 皮肉にも、エレベーターと階段は、嫌と言うほど離れているからな」
 新藤が言うと、知世は泣きながら新藤にもたれ掛かる。 それを荒川は、横目で見ていた。
「これが普通のエレベーターだったら、一瞬で全員仏さんだったな。 一気に上の換気窓から水が来て、何も対処出来ないままに、溺死してただろう」 荒川は言う。
「そうですね。 気圧保持の為の密閉式だからこそ、持っているようなものです」 新藤は、言葉を返す。
 水没する勢いは、案外早かった。 今や、蓋が壊れそうな勢いで漏れ落ちて来ているのだ。 さっきまで膝までだった水かさは、腿まで達していた。
「いやいや、皆さん。 今ざっと計算してみたんですが、約十分で膝上まで水が来ているって事は・・・」 オグリが自分の腕時計を見ながら、さも得意そうに話し出す。
「膝上まで約六十センチ。 天井までは、ざっと三メートルちょっとぐらいかな。 このまま漏れる水の量が増えないとしても、後四十分ぐらいで、この室内は水で埋め尽くされます」
 ウソ・・・と呟く、知世の声が聞こえた。
「つまりお前は・・・」 新藤が、目の仇のような顔でオグリを睨みながら言う。
「ここにいる全員が助からない。 まるで俺達が、上流の河川工事の資金の横流しをしていた事のツケが来たんだとでも言いたいのかな?」
「新藤君!」 すぐに荒川が止めに入るが、既に遅かった。
「おやまぁ」 オグリは、いかにも驚いたかのような芝居で、新藤に反応を返す。
「それは凄い事を聞きました。 是非にもその内容を、語って欲しいものですな。 ・・・あ、でも誤解しないで下さい。 私の言いたい事は別にあります。 今の話は・・・そうですね、内緒にしておきましょう」
 そう言って、再び人差し指を口にあてがい、ひょうきんな顔でおどけて見せる。
「私が言いたいのは、もうすぐここを脱出出来るタイミングが訪れるって事です。 どうです? 聞きたくないですか?」
 誰も返事はしない。 ただ、揺らめくか細いライターの灯りの中で、その場の全員が、オグリを睨んでいるだけだった。
「まぁ、皆さん見て下さい。 結局この部屋から逃れるには、やはりあの小さな扉以外は無さそうです」 指差した先には、先ほどからずっと降っている雨の原因、天井の四角い穴。 そしてそれに、蓋をして塞いだだけの小さな扉がある。
「無理だろう。 あれは少々高い所にある。 どうにも、老人と女性とが行くには高過ぎる」 荒川が言う。
「お前は現状判ってるのか? あの扉の上は一フロア分の水があるんだぞ? 例え届いても、どうやってあの扉を押し開けるんだ!?」 新藤がそれに続く。
 オグリは、喉で笑う。 くっくっく・・・と、妙な響きが室内に響く。
「届くじゃないですか、誰でも。 人間は黙っていても浮くんです。 このまま水かさが増せば、ちゃんと届きますよ」
 誰も何も言わない。
「それから、あの天井の蓋は、向こうからロックされていない以上、水圧さえなくなればきっと押し上げられますよ」 オグリはさも可笑しそうな声で言う。
「水圧がなくなれば・・・って、どう言う意味だ?」 荒川がぼそりと聞く。
「だから、上から押す力が無くなれば、例え私達の足が下に付いてない状態でも、押して開けられるんじゃないかと言ってるんです。 つまり、ここの室内が水で一杯になれば・・・」
 しばらく沈黙が続いた。 水かさは、全員の下腹部辺りまで達していた。
「どこまで本気で言っている?」 新藤は言う。
「全部本気です。 前面のドアが無理な以上、天井から出るしかありません。 どうせ上に行くしか無いなら、一番の近道がいいでしょう? 大した事無いですよ。 あの扉は人独り分しか通る余裕なさそうですが、最後に出る人が頑張って十分ぐらい息を止めていれば、充分脱出出来るでしょう」
「じゃあお前が、十分間息を止めててくれるんだな!?」
「あ、いいですよ、私が最後で。 でも、順番はどうであれ、皆さんも私と同じぐらいは息止めなきゃいけませんね」
 再びオグリは、くっくっくと、喉で笑った。
 荒川の持つライターの灯りしか存在していない室内だが、壁にぺたりと身を寄せている知世の顔は、そんな灯りの中でも、蒼白になっているのが判った。
「冗談じゃないわよ! どこの誰よ、エレベーターは平気だって言ったのは!」 異常さを含んだ叫び声が上がった。
「私は、エレベーターは駄目だって言ったよね? ねぇ!? どこの誰よっ! 平気だとか言ったのは誰よっ!?」
 知世は、荒川と新藤の顔を交互に見ながらそう叫んだ。 どう見ても、二人を同時に非難しているのは明らかだった。
「トモ・・・」 「うるさいっ!」 新藤は、その後を続ける事が出来なかった。
「まぁまぁ、待って待って」 そこへオグリが、破顔しながら割って入る。
「大丈夫ですよ。 見て下さい、偶然にも、さっき買ったばかりのゴミ用のポリ袋があるんです。 いいですよね、この地域の指定ゴミ袋。 なかなか丈夫ですから切れにくい。 でも、高いですよねぇ、ちょっと。 四枚入ってこの値段ってのも・・・」
「なるほど。 いや、素晴らしい。 確かにそれなら、十分の間は息も止められるかも知れないな」 荒川が言った。
 途端に、知世の肩の力が抜けたようだった。 新藤がそっと手を伸ばす。 知世は少し身体を強張らせたが、そのまま黙って、新藤に身を寄せた。 荒川も、一つ大きな溜め息を漏らした。
「でもね」 突然オグリは、大きな声を上げた。
「残念ですが、ここに来るまでに、袋は一つ使っちゃったんです。 つ〜ま〜り〜・・・」
 オグリは人差し指を立てながら、笑顔で言う。
「袋は、三枚しかありません」
 オグリ以外の三人は、同時に顔を見合わせた。 知世は、すっと新藤から身を離した。
「いくらなんだよ?」 新藤は、強い声で言う。
「え? 袋の値段ですか? え〜と、四で割るから一枚は三十・・・」
「そうじゃない! いくら払えば、その袋を売ってくれるんだと言っているんだ!」
 新藤が怒鳴った後に、オグリは必死で笑いを堪えるように笑う。 独特の笑い声だ。
「まぁまぁ。 原価で宜しいですよ、これはただの指定ゴミ袋です。 でも今は、皆さんの生命に関わる保険です。 ここを生きて出られたら、皆さんのお心のままにお礼して下されば幸いですね」
「払おう。 一枚くれ」 躊躇無く言い、荒川が手を出す。 オグリは黙って一枚渡す。
 新藤と知世は、同時に顔を見合わせた。 だが、知世はすぐに視線を逸らし、手を出した。
「私も払うわ。 頂戴」
 オグリは知世にも手渡した。 そして、その真の表情は見えないサングラスのままで、笑いながら新藤を見た。
「残念ですね。 もう売り切れです。 流石に最後の一枚は、私でも売れない。 宜しければ、この包装されていた薄い袋でも・・・。 尤も、これじゃあすぐに破けるでしょうし、何分も持たないなぁ」
 新藤の喉が、ぐぅと鳴る。 そして知世の方を振り返り、こう言った。
「トモ・・・。 一緒に生きよう」
 知世の表情が、醜く強張る。 そして、今さっきオグリから受け取ったポリ袋を両手でしっかりと胸に抱き、強く頭を振った。
 反対側の壁際では、早くもポリ袋を膨らませている荒川がいた。 もはや彼の顔には、いつもの張り付いた笑顔は無かった。 それはただ、生きる事への執着が強そうな、老兵の顔だった。
「トモっ! 俺にも貸してくれよっ!」 新藤は、知世の肩を掴んだ。
「いやぁ〜〜〜っ! 触らないで・・・触るなよっ! 離せよっ!」
 知世はもはや、理性すら決別したような声で新藤を拒絶すると、身体をかわそうとして、反対側の壁へと逃げる。
「あっ」 オグリが声を上げた瞬間、袋を膨らませていた荒川にぶつかり、そして、荒川が片方の手に持っていたライターの火に、運悪くポリ袋は触り、瞬時に燃え上がった。
 流石の荒川も、悲鳴に近い声を上げ炎の鎮火を行うが、もはやそれは完全に、袋の用は足さないものになっていた。
「何て事するんだ、このバカ女はっ!」 荒川は怒鳴った。 それは、新藤も知世も、今までに聞いた事の無い声だった。
 再び暗闇が訪れる。 どうやら荒川は、今の騒動で、ライターを取り落としたようだった。
「知世っ! 代わりにお前の袋を寄越せ! 当然だよな、私の袋を燃やしたんだ」
「ちょっと、何を言ってるのよパパっ! 離してよ! 痛いじゃない!」
「トモ・・・なんだよその、パパってのは・・・。 なぁ、おい! トモっ!」
「うるさい! この世間知らずのボンボンが! アンタこそ、金以外の価値なんて持ってない事自覚したらどうなの!?」
「・・・・・荒川さん、これってどう言う事ですか? もしかしてあなた、俺に自分の愛人押し付けたんですか?」
「うるさいぞ、青二才。 酸素が勿体無い。 少し黙れ」
「ちょっとパパ! 離してってば! 本気で私を溺れさす気なのっ!?」
「おいふざけんなよ、このクソジジィ! 結局アレか? 全部俺の家の財産目当てか!? おいっ!」

 く・・・くっくっくっくっく・・・・・あは・・・あはははははははっ!

 オグリの笑い声が、暗闇の室内に響いた。 それはもう、ひたすらに堪えた笑いを、今爆発させた笑い声のようだった。
 カチリと音がして、再び室内に、ほのかな灯りが戻る。 それは、腹を押さえてひぃひぃ言いながら笑う、オグリが点けたライターの灯りだった。
「お、面白過ぎますよ、あなた方。 これはもう、記者としてライターとして、どうやって隠しておこうかと、本気で悩みますね。
 あぁ、いやいや、勿論言いませんし、書きませんよ」
 そう言ってオグリは、人差し指を口に当てる。
「大丈夫。 いくら面白くても、内緒にしておきますから」
 狭い世界に灯りが戻ると、再び全員の思考に、理性が戻ったようだった。 だがそれは、愚直なまでに、失われた信用への哀惜を叫んでいるかのようである。
 新藤は、この後に及んでネクタイを締め直し、荒川は再びの細い目となり知世から手を離す。 知世はそれでも、両手で胸の辺りで抱き締めたポリ袋は手放さない。
「いやいや、無くなっちゃいましたね、荒川会長の生命保険。 どうするんです? 流石に三人で一つのポリ袋は無理なような気がしますね」
 そう言ってオグリは、再び笑い出す。 その笑いはまるで、そこにいる全員への、皮肉を投げ掛けるような笑いだった。
「それにしても、これだけ近代的なエレベーターでも、意外に簡単に騙せちゃうものなんですねぇ。 いやいや、ここへ来る途中にポリ袋を一枚使ったと言ったじゃあないですか。 あれ・・・ね。 何に使ったと思います?
 いやいや、面白い。 地下にあった安全装置に、スッポリと被せただけなんですけどね。 まさかそれだけで、エレベーターは止まらない。 浸水も関知しないって・・・・・」
 何気無く、新藤は荒川を見る。 そして荒川も、新藤の顔を見て頷いた。
 新藤は、黙ってオグリに近付くと、ライターを持った手を握る。 荒川は、先ほどに燃え残ったポリ袋をねじると、一本の紐にした。
 知世が悲鳴を上げる隙も無かった。 全てはほんの数秒の事だった。


 水量は、荒川の胸の辺りまで来ていた。 背の低い知世は、もうすでに水面から顔しか出ていない。 まだ呼吸の確保は出来る筈なのだが、もうその呼吸は苦しそうだった。
 三人の中心に、先ほどまで、「オグリ」と言う名前だった人間の背中が見える。 だがそれは既にもう、水面に浮かんだ、一つの塊にしか過ぎなかった。
「袋は二つある。 知世はその一つを使え。 私と新藤君とで、一つを使おう。 ・・・いいな? 新藤君」
「・・・えぇ。 会長に裏切る意思さえ無ければ、俺は全く構いませんよ」
 そう言って、荒川と新藤は、顔だけで笑った。
「心配するな、知世。 こんなウジ虫程度の人間なぞ、いくらでも隠せる。 とりあえず我々は、ここから出る事だ。 いいな」
 荒川がそう言うと、知世は一度だけ深く頷いた。
 その瞬間、世界は揺れた。 少し遅れて、水面も揺れる。 その揺れに合わせて、オグリの死体もゆっくりと揺れた。
 揺れは続いた。 それは、揺れと静止が定期的に続くものだった。
 三人が思案に明け暮れる中、突然に、非常通話の呼び出し音が鳴り出した。 その受話器は、ライターを持った新藤が取った。
「もしもし・・・」
 新藤はしばらく無言でその受話器を握っていたが、突然、「本当にか?」とか、「どのぐらい掛かるんだ?」と、再びの強気な姿勢で話す。
 受話器を置くと、今度の新藤は、全く迷う暇も無く話し出した。
「このエレベーターは、今、手動で引き上げられている。 辿り着く先は、三階だ。 人が大勢いる、軽食喫茶の真ん前のエレベーターだ」
 荒川の目が、大きく開かれた。 そしてその視線は、目の前にある邪魔者な背中へと向けられる。 流石に、人の大勢いる場所では、この死体の存在を消すのは無理だろうと悟ったらしい。
 少しして、知世が笑い出した。 それは少々、気が触れ始めたような笑い声だった。
 知世はそろそろ、顔を出しておくのも辛くなったのだろう。 泳ぐように手をバタつかせながら、ヒステリックに笑う。
「殺したは、あなた達二人よ! 私は、止める暇も無く全てが終わってた! 判ってる? 私は、私の意思一つで、あなた達を殺せる立場にいるのよ?」
 それを聞いて、新藤の顔に殺気が走る。 それを見て荒川は、止めるように手を差し出す。
「今度は、私も殺す気? あははははっ! バカみたいね、このお坊ちゃんは! 本当に短絡な思考しかしてないんだから!
 後数分で、この惨状は、人の目に触れるのよ? もうちょっと、リスクとか言い訳とか、そう言う事考えないの?」
 揺れは続く。 いつしか、上から降り続いた雨は、小降りになっていた。
 少しして、新藤は低い声で言った。
「じゃあお前は、俺達をどうしようと言うんだよ」
 知世は、それを聞いて、悪魔のような笑顔を浮かべた。
「簡単よ。 問題の最重要な部分は、私がどちらに付くかって事よ。 私は、私が付く方に、必死で弁護してあげる。 殺したのはこの人です。 こっちの人は無実です・・・って」
 新藤は、溜め息をついた。 「結局は、金ばかりの女なんだな、お前は」
「そうよ! 私は今まで、こうやって生きて来た! さぁ、どっちなの? お金で私を買う? それとも、地位で私を買う!?」
 二人は黙ったまま、知世を見た。
「私がどうやってここまで来て、パパにしがみつけるようになったと思ってるの? 私だって、ちゃんと努力してるのよ! アンタ達みたいに、スタートから何でも持ってた訳じゃない。 私は私で、努力した結果が、ここにあるのよっ!」 知世は、尋常じゃ無い響きのまま、そう叫んだ。
「私に着け、知世」 荒川は、のっそりと言い放った。
「どうせこのボンボンに着いても、能力も経験も無い。 金なら他で当たろう、このボンボンじゃあ駄目だ」
「・・・そうね、パパ」 知世は、一瞬の間を置いて話す。
「もう勝負は決まっているようなものだもんね。 じゃあ、前の通り、もう一度パパと一緒に振り出しに戻りましょう」
「・・・おい、ふざけんなよお前等。 やるならやれよ!」 新藤は、二人を交互に指差しながら怒鳴った。
「俺は、今ここで起きた事、言った事まで全て、残らず法廷でぶちまけるぞっ! そんなバカ女の証言だけで、全ての事実を塗り潰すなど、出来る訳が無い事を証明してやるからなっ!」
 それを聞いて、知世はぽかんと口を開ける。 だが、すぐ次の瞬間には、引き攣った顔で笑い出した。
「ばかねぇ。 本当にばかなのね、このお坊ちゃんは。 あなたは何も言えないわ。 だってあなたは、この汚らしいフリーライターと、惨めにもゴミ袋を奪い合って、死んじゃうんだもの」
 知世は、ねぇと言いながら、荒川に笑顔を向ける。 荒川も、その瞬間だけは、いつもの張り付いた笑顔になった。
「お前等・・・マジかよ?」
「何だかガッカリ。 最後の台詞ぐらい、本当のお坊ちゃまみたいな上品な言葉使いは出来なかったの?」
 突然、知世の顔が水面に潜った。 それと同時に、荒川の巨体が新藤に襲い掛かった。
 水面下で、知世が新藤の足をすくったのだろう。 荒川が新藤の胸座を掴むと、それは軽々と、全て水面へと沈んで行った。
 すぐに水面に、知世の顔が浮かんで来た。 だがすぐに、荒川を手伝って、新藤を沈めに掛かる。 真っ暗闇の中、二人の荒い呼吸だけが響いた。


 荒川は、今自分がどう言う状況に陥っているのかが、咄嗟に理解出来なかった。
 知世は、夢中を通り越して、目の前に第三者の顔が現われるまで、全く何も気付かなかった。
 新藤の、最後に残った息が吐き出され、それが大きな泡となって水面に上って来た瞬間、二人の身体は、予期せぬ強い力に引っ張られ、薙ぎ倒されるように投げ出された。
 そこは、光の世界だった。 開いたエレベーターのドアから流れ出し、そこで待ち構えていた観衆が、予想以上の水量に驚き、上げた悲鳴の中へと、投げ出された。
 哀れにも、荒川も知世も、何にも掴まれない状況で投げ出されたのだ。 水の流れに逆らう事も出来ずに、ただ手足をバタつかせて、床の上で転げ回った。
 二人が見上げると、守衛や警備員が二人を取り囲み、更にその向こうでは、衝立の無い喫茶店から、客のほとんどが身を乗り出して、予期せぬ出来事を眺めていた。
 皮肉にも、その中で最初に声を上げたのは、悲鳴に近い声の新藤だった。
 新藤は、一つ大きく水を吐き出し、そして大きな堰と呼吸を取り戻すと、未だ新藤のネクタイを掴んでいる知世を、暴力的に振り払い、そしてこう叫んだ。
「い・・・生きてたっ! 生きてるぞ、俺はーっ!
 ・・・おい、何してるんだお前等! 早くこの二人を捕まえろっ! この二人は、俺も含めて、二つの殺人を犯してるんだぞっ!」
 だが、観衆はただ、呆然とその醜態を見守るばかりで、何を言っているのか、判らないような有様だった。
「おい、新藤君。 やめたまえ。 この後に及んで見苦しい」 荒川は、冷静さを取り戻し、芝居に入った。 だが新藤は、感情のまま、激情のままに、荒川の胸倉を掴んだまま、言いたい事を言いたい放題に、荒川にぶちまけていた。
 流石の荒川も、その新藤の剣幕には押されているらしく、ただただ感情的な新藤を、なだめるばかりだった。
 しかしそれも、少しの間だけだった。 その後すぐに知世が上げる断末魔のような悲鳴で、二人は強制的に黙る事になったからだ。
「無い・・・無いよ、パパぁ。 死体が・・・どこにも無い」
 それを聞いて、荒川は左右を見渡す。 新藤も、つられてそれを探す。 だが結局、流れ出した水の先を追っても、背後にある、惨状だったエレベーターの内部を見ても、目的のものは、どこにも見付からなかった。
 いつの間にかあのフリーライターは、立って歩く事すら不可能のままに、忽然と消え失せてしまったのだ。

 知世は、呆然と座り込みながら、呆けたままの顔で、次第に雲が千切れて行く空を、窓越しに眺めていた。
 荒川も新藤も、もはや相手に何かを言おうとする気力も無いままに、全身ずぶ濡れのまま、知世と同じように呆然と座り込むばかりだった。
 すると、少し先の方で、新聞を立てながら読んでいた喫茶店の客が、すくと立ち上がり、新聞を折り畳みながら、エレベーター側の出口へと歩いて来た。
 知世は、今度こそ完全に血の気が退いた。 それを見て、二人共、知世の視線の先を追い、同じように蒼白となった。
 新聞を小脇に挟み、飄々とした格好で喫茶店を出て行くその姿は、どこから見ても、先ほどまで一緒の世界に存在した、「オグリ」の姿そのものだった。
 男は、座り込んだままの三人とは違い、どこも濡れていない服装のまま、ちょっとだけ擦り落ちたサングラスを直すと、観衆が立ち並ぶ背後を軽くすり抜けて行く。
 突然、今気付いたかのように三人の方を向くと、一瞬間を置いて、彼はにっこりと笑った。

 そいつはまさに影だった。
 男は通り過ぎる瞬間に、人差し指を軽く口に当て、口だけで微笑みながら、無言のままで三人にこう言った。

「大丈夫。 内緒にしておきますよ」



●《自己批評》
『某女性と口論になった際に思い付いた話。 感謝。(何!?)』


《魔城九龍 李九龍》 


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『愚かしい程に愛を叫び続ける』

著者:ろくでなし


会った瞬間、叱責の幻聴が聞こえてきた。
そして、誰にも向けるとでも無い不満に満ちた鋭い目と目をもう一度合わせようとは思わない。
過去にしてきた事を考えると当然な反応だ。
戦争とはいえ、多くのカルディア人を殺したのは変える事のできない事実であった。
戦争が起きた時、ささやかな平和への希望が儚く消え去った。
そして、間もなくして悲報が届いた。
圧倒的な暴力の前ではただの老人などはあっという間だったろう。
壮絶な知性を持ち、平和を祈り、平和に大きく貢献した賢者が殺された。
その事を知り、皮肉にも戦う事に決めた。
私の心はあの時深い憎しみと悲しみに満ちていた。

私は静かで残酷な怒りを原動力に知識と思考を駆使して指揮を執り鎮圧軍は快進撃を続けている。
敵から奪った強固な拠点。
高くそびえ立つ壁。
どこら見てここは安全な場所だ。
壮大な焚き火があたりを青色に染めている。
甘い酒の匂いが漂っている。
「隊長は飲まないのでしょうか?」
私より一回り若い兵士が酒気を帯びながら勢いで話しかけて来た。
「勝利の美酒は美味しい物だな。俺はゆっくり味わって飲んでいるんだ。」と精一杯の笑顔でスープの入ったカップを中身が見えないように持ち上げる。
私はこの状況を祝う気にはなれない。
一緒に戦う戦友を心苦しいものの、彼等は自分がどのような事をしているのか理解をしていなかった節に嫌気がさしていた。
当たり前に、ただ家庭の幸福と平和を考えているに過ぎなかった。
それも良いかもしれない、と私は彼等を肯定する。
何も悪い事では無く、むしろ当然の事だろう。
そうは考えるものの、彼等への堪えようの無い理不尽な憎しみは消えなかった。
考え事を止めて意識を外界に戻す。
ここで考え事をするのは余り賢い判断とは言えない。
かと言って、神経を研ぎ澄ましてどうなるというのだろう?
しかし、どうやら残念ながら他とは違う気配がするようだ。
感情をむき出しだ1つの気配がする。
要塞の入り口まで自然に歩く。
どうやら部下は誰も気づいていないようで私は嫌気がさした。
私が死んでしまえば…。
しかし私自身もそれなりの戦闘能力がある。
要塞の入り口からこぼれる青色の光はまるで無敵を誇示するかのように壁の外周の広い範囲を明るく照らしていた。
気配は光の届く範囲と暗黒の境界線あたりから放たれている。
そのあたりに視線を向けると、まるでその存在を誇示するかのように光を反射し赤く染まった瞳がこちらを向いているのが分かった。
気づかれたのを悟ったらしく小柄の若いカルディアが威嚇しつつ近づいてきた。
気にせず私も近づいていく。
敵は思わずベルトに巻かれた短剣を取り出し私に襲い掛かる。
私はその愚直な攻撃を軽々避ける。
摩擦でエネルギーが加えられ励起した<空間粒子>が剣の軌道を虹色に沿っていく。
その露骨さが私と重なってしまう事に気づき、私は彼を殺す事にためらいを感じた。
私は敵にではなく、この馬鹿馬鹿しい状況に嫌気がさしてしまった。
無駄の多い動きの隙を突いて、ベルトから取り出した小刀で彼の利き手首の腱を切った。
思わず大きな声を上げた。
それでも攻撃を止めようと思わなかった。
私は攻撃を避けながら小刀を投げ捨て、鞘に刺さった長剣を抜き振り彼の小刀を弾き、とどめに左足の腱を刺し切った。
それでも戦意を喪失しなかったので、鞘で頭部に打撃を加えて気絶をさせた。

意識が外界に戻ると既にカルディアは去っていた。
しかし、あの若いガルディアはどうしているだろう。
憎しみの連鎖の中で死に絶えただろうか?
それとも私との戦いで深手を負った事に、戦いの下らなさ、後悔の海に沈んでいるだろうか?
何にせよ失ったモノは大きいだろう。
私も憎しみに駆られて馬鹿な事に時間を費やしてしまった。
平和に近づけるのには時間が足りないというのに、私は大きな遠回りをしてしまった。
あの時私は、賢者が最も憎いんでいた狡猾で頭が切れるだけで志の低い白痴だった。
彼が言うように私達はただ無力なのかも知れない。
今になって賢者の言っていた事がちょっと分かってきたような気がする。
私は心の中で泣く。
そして愚直なまでに、失われた時への哀惜を叫び続ける。
それでも私の高ぶる感情の波は静まらない。
たまらず私はグラスに入った酒をいっきに飲み干す。
何杯も……。

どうやら寝てしまったらしい。
頭に少し違和感があるものの意識ははっきりしている。
装飾品の宝石の中に流れ星のようにやや水平に<光の線>が通っていく。
どうやら明けてしまったようだ。
私は少しだるいさを感じつつもバーを出た。
寒さによって一部の青色や緑色の<空間粒子>が固体として吸着して地面で光っている。
まだ薄暗い深緑色の空、大きな二つの山の間に太陽が昇り始めている。
私は町を外れた我が家に向かい広い草原を通る細い道を歩く。
小さな雄のグーディルガーが雌に光線を激しく送ってアプローチをしているようだ。
グーディルガーの雌は本能的に小さな雄にはまったく目もくれない事が分かっている。
そして比較的に知能が高いグーディルガーがその事が分からないのは不自然なような気がする。
愚かしい程に愛を叫び続ける。
そいつはまさに影だった。



●《自己批評》
『設定としては、<空間粒子はエネルギーを簡単に光として発散できる素粒子>
ファンタジー的な演出には深い意味はありません。』


《ろくでなし》


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『双刻』 聖(ひじり)と命(みこと)。

著者:望月来羅 


 音もなく、光も無い。五感が支配されているような暗闇の中でトクン、トクンと規則的に脈打つ心音だけが自分のありかを示す。
だがその暖かくて心地よい眠りは突然に破られる。何者かによって、自分の身が裂かれようとしていた。言葉すら知らない無垢なる精神は、そのとき魂が悲鳴を上げるのを感じた。

『双(相)刻』

会った瞬間、叱責の幻聴が聞こえてきた。
いや、確かにそれは幻聴であって実際に言われたわけではなかったが、くるりと背を向けてしまったのは条件反射といえよう。が・・・
「お待ちなさいアルフ。 人の顔を見るなり逃げ出すのは失礼というものではなくて?」
ガッとYシャツの襟首をつかまれ向きなおさせられる。ん?と笑顔で問うその人は約170ほどの長身。びしっと決めたスーツの襟足に緩いウェーブの掛かった豊かな金髪を下ろし、顔立ちの整った造作のなかで長い睫毛に縁取られた蒼い眼が瞬いた。
「何か言うことがあるでしょう?」
「・・・・お・・・お久しぶりです母さん。お変わりなく。」
「あら有難う。ほめ言葉として受け取っておくわ。あなたは背が伸びたわね。」
「それはまぁ・・・一応成長期ですので・・・」

 チラリと眼を応接間の扉のすぐ横にある姿見に移す。やや斜めの鏡の中で金髪の母親に襟首をつかまれて、情けない顔をしている自分自身の姿が映った。1年ほど前に切ったきりの茶髪は勝手な方向に跳ねながら肩上まで伸び、母親譲りの顔立ちの中でただ髪と同じく茶色の瞳が母親とは異なる輝きを放っている。身長は165ほどだが、16歳という年齢から見ればまぁ平均というところだろう。何が悲しくて家の応接間で母親に捕まらなくてはならないのか、少年こと、アルフ・レギンは自分の母親、ローズ・レギンを引きつった顔で眺めた。

 アルフは、このキラキラした母親が苦手だった。嫌いではない。もちろん家族として敬愛しているし、育ててもらった恩も忘れてはいない。だが、問題はその教育方法であって。余談だが、アルフの母親ローズはイギリスの上流階級の出であり、その性もあって息子のアルフには何でもこなせるようにと教育を・・・簡単に言えば、スパルタ教育を課し、その結果、アルフは母親に苦手意識を持つようになったのだった。

「あら、こんなことしてる暇なかったわ。アルフ、真さんかレオン君は?」
「・・・なんでここにいると思うのですか」
「だってレオン君も真さんもここにいる確率の方が高いでしょう」
「真さんは海外に出てるそうですよ。レオンはいますけど。」
「あらそぉーぉ・・・真さんいないの・・・じゃ、いいわ。レオン君は?」
「あー・・・レオンは、」
「いるよ。やっほーローザさん。1年ぶり」

 会話の中にいきなりボーイソプラノが響いて、あら、とローザがアルフの背後を見つめた。アルフも母親の手を振り切って襟首を直してから背後を振り返る。
大きめの白衣をつけ、ドアのノブに手をかけたまま右手を挙げ、ニコニコと笑っているのはまだ声変わりのしていない12、3歳ほどの少年だった。
色素が薄いことが特徴的な髪と眼の色は薄い茶色で、ともすればアルフとは兄弟に見られる。だが、実際の間柄は幼馴染であり、アルフよりも3歳年下でありながら、頭の回転はアルフの数倍速い頭脳を持つ。
 本人のためにいうのなら、決してアルフは頭が悪いわけではないのだが。
「はい、ちょっとアルフ、外行っててね。」
「はい?」
レオンが部屋の中に入ってくると入れ替わりのように、ローザはアルフの背中を扉の方へと押しやった。なにやら聞かせたくないことがあるらしい。
16歳にもなって、いいようにあしらわれてさすがにむっとしたが、苦手な母親である。これ幸い、とそそくさと部屋を後にし、本でも読もうと書斎へと足を向けた。

「―――はぁ!?え、なにレオンもっかい言って」
「だからぁ、探偵業もどきの依頼受けちゃったから。僕と、君で。君の母上公認だから、学校休んでこっち優先ってことで。」

 アルフが書斎で本を読んで後。書斎を出ると丁度向こうから歩いてくるレオンと出くわした。どうやら母親はアルフに何も告げないうちに帰ってしまったらしい。内容について言及しようか迷っていたが、歩いてくるレオンの顔を見て思わずアルフは思考を中断した。感情の起伏の少ないレオンにしては珍しく、ひどく険しい顔をしており、顔色も悪かったのだ。数時間前とはあまりに違う様子に思わず心配になって「大丈夫か?」と声をかけたのだが、レオンがコチラを認識した時点でいきなり距離を詰められ、有無を言わせぬ迫力で「君、明日から一ヶ月学校休んで」とのたまわれたのであった。
「・・・母さん?なんで・・・俺達いつから探偵になったんだ?」
「僕こそ聞きたいよ。しかも君とのタッグで?本当は真さんに頼むはずだったんだって。でも、真さんがいないからってさ」
「俺込みぃ?だったらなんで俺を追い出す必要があるんだよ。さっきだろ言われたの。」
「それがさぁ・・・・ちょっとまた書斎入って。」
歩きながらでも良いだろうが、と思いつつも出てきたばかりの書斎に逆戻りする。後ろから入ってきたレオンは、左右に伸びている廊下にすばやく目を走らせると、書斎の扉を何に気をつけているのか音のしないようにゆっくりと閉め、ご丁寧に施錠まで施す。
「で、何。」
「うん。・・・んーなにから話したらいいのかな・・・。君の親戚にさ、罪を犯した夫婦がいるのって知ってる・・・んだよね?」
 ひたり、とその薄茶色の眼でこちらをまっすぐに見つめながら、レオンが静かに口を開いた。アルフの眼が、予想もしなかった言葉にわずかに見開かれる。
いくら幼馴染とはいえ格式を重んじるアルフの親の実家が身内の不祥事、と決して口外しない事柄を何故レオンが知っているのか・・・、そこまで考えて。自分の母親が話したのだろうということに思い至った。だが、何故。確かにいる。親戚で、アルフの父親のいとこにあたる人たちだ。頭の良く、医学の研究をしていたらしいが、数年前に麻薬の売買人をしていたことがあり現場を取り押さえられたらしい。小さい頃に2,3度本家に行った際に遊んでもらった記憶がある。
「知ってる・・・けど、それで?」
「うん。彼らに関することでね。なんかややこしい事情があるみたい。東京中央区に医学の総合統括所みたいなところがあるんだけどさ、そこの偉いさんからの依頼でね・・・。検察っていうのか、なんていうのか。・・・止めた。やっぱり、向こうで話そう。」
「・・・て、どこに。学校休むのは良いけど・・・。」
「郊外の生命医学研究センター。」
「バイオ方面なら真さんに、って、いないから回ってきたんだっけか」
「まあね・・・・不愉快な依頼内容だよ。」
温度の下がったレオンの声に思わず顔色を伺うが、横髪の長いレオンの表情からはその心情を伺い知れることはなかった。

 ―――訳も説明されぬままに自宅を出て車にのること2時間ほど。今、アルフとレオンは都会を離れた山の中に孤立する研究所の、白を基調とした簡潔な部屋、中央のソファに居心地悪げに座っていた。時刻は6時。すでに日は傾いている。
いや、正確に言うのなら一人落ち着かないように視線を彷徨わせているのがアルフで、レオンはというとこの部屋に通されてから一言も口をきかず、腕を組んだまま難しい顔をしていた。
「・・・なぁレオン。それで結局、」
二、三度口を開いてはタイミングを伺っていたのだが、アルフの問いはドアのノック音によって途切れることとなった。レオンが顔を挙げ、ス、とソファから立
ち上がる。レオンを見つめたその先にドアから入ってくる人物が眼に入り、慌ててアルフもレオンに倣った。
「遅れてすまない。―――やぁ、良く来てくれたね。君がレオン君か。噂はかねがね聞いているよ。私が一応ここの責任者で須藤という。」
入ってくるなりにこやかにレオンに握手を求めたのは長身で眼鏡をかけ、長い黒髪を後ろで一つにくくっている理知的な男性だった。年齢は30代後半ないし、40代前半というところだろう。白衣を着け、優しそうな顔立ちだった。男性とはかなり身長差があるレオンだったが、やや腕を上に上げるようにして初対面の挨拶を交わす。何が尾を引いているのか、相変わらずの仏頂面だった。
「・・・ハジメマシテ。あなたが僕達の目的の人物、で良いのかな?」
「て、おい!敬語!」
「はは、構わないよ。・・・おや、君は、」
「あ、はい!アルフ・レギンと言います。ローザ・レギンの息子で・・・」
「アルフ君か。ローザさんの息子の。とりあえず腰掛けてくれ。何から話せばいいのかな。」
「あ、はい。」
薦められるままに腰掛けようとしたが、袖を引かれ、視線をたどるとレオンが腕を掴んでいた。
「あらましなんて良いよ、須藤さん。話は聞いてるよね。中央区の医学総長から。僕達はあなたとお茶で和みに来たわけじゃない。実態を知りたいだけだよ。百聞は一見にしかずっていうし、直接見たほうが速い。」
「・・・まぁ、それもそうだねぇ。」
基本的に、レオンは目上の者に対しては礼儀を払う。なのになぜか、その攻撃的な態度に内心アルフは冷や汗をたらしていたが、依頼主の須藤は顎に手を当ててほうほうと頷き、心無し楽しそうだった。
「良いね。時間を無駄にしないか。じゃ、実物を見てもらおうかな。付いてきてくれ」
席を立ち、先導する須藤の後ろについていく。

―――白が基調の廊下を歩き、横をドアがいくつも通り過ぎるのを横目で見ながら、アルフは手を衝立のように立てながらレオンに確かめる。
「だから、レオン。なんでお前あんな攻撃的な態度なんだよ。ってか、俺全然訳分かんないけど。つまり何。」
「見て分かんないの?」
歩みを止めずに、薄茶の横髪の間から呆れた、というような視線だけ寄越してくるレオンに、う、と少し詰まるが、よく考えれば悪いのはアルフではないし、圧倒的に情報が少なすぎる。
「分かるわけ無いだろ。説明。プリーズ説明。」
「・・・・君の親戚。須藤さんが。個人的に不愉快なことが多すぎて敬意を払う気になれないだけ。」
「へ・・・はぁ!?」
「どうかしたかい?」
「あ、いいえ!何でも!」
怪訝そうに振り返った須藤に慌てて頭を振り、前を向いたのを確認してから小声でレオンに問い詰める。
「なわけ無いだろ!大体あの人たちは国外に行ったって母さんが」
「彼が君の親戚だよ。ローザさんもなにか思うところがあったんじゃない?あっきれた、アルフったら、数回あった人の顔も判別できないの?」
「悪かったな。お前とは違うんだよ。大体須藤って・・・」
「偽名に決まってるでしょ。でも、彼はあまり隠す気が無いみたいだけど。君の母上とも面識があるし。」
「ちょっと待ってくれ、話しが見えない。そもそも真さんの代わりに俺らに依頼してきたのはココじゃなくて中央区の医学長で?須藤さんが俺の親戚で?じゃあ俺達の依頼内容ってなんだ?監視?」
「分かってるじゃない。ま、正確には実態調査なんだけどね。・・・あの情報が本当じゃないといいんだけど。」
「あの情報って?」
レオンが口を開き、と同時に気づいたように軽くアルフの腕を手で触った。前方に注意を向けると、何時の間に扉の前で立ち止まっていた須藤がにこやかに手招きをしていた。だが、二人がドアをくぐる前に一気に扉の向こうがにぎやかになったかと思うと、何か・・・小さな人影が二つ、須藤にの腹部にタックルをかけた。アルフの視界に水色と黒がふわりと揺れた。
「―――ぐふっ・・・ひ、聖(ひじり)、命(みこと)・・・」
「おっかえんなさーい!聞いたよ、数学の専門学者が来るんでしょ!?」
「うー・・・あったまいったぁい。おかえりな・・・て、あれ?お兄ちゃんたち、だれ?」
きょと、と、漆黒の瞳がアルフとレオンを見上げていた。予想外な出来事に思わず言葉に詰まる。須藤にタックルをかけたのは、まだ幼さを残す二人の少女だった。推定8,9歳、若しくはそれより少し上といったところか。細く柔らかな黒髪が腰まであり、日本人然とした綺麗な髪と眼の持ち主だったか、どこかに外国の血が混じっているのかとても整った顔立ちをしていた。二人とも淡い水色のワンピースを身に付け、自然体の髪型も同じく。なにより・・・顔が、まったく見分けが付かないほど瓜二つであった。
 双子、というよりもまるで鏡を見ているようだった。
「ぅっわ可愛いなぁ。須藤さんのお子さんですか?」
「そうだね。命、聖。挨拶なさい。アルフ・レギン君と、レオン・・・数学の博士のレオン・リルド君だ。」
「はじめましてー。須藤聖(ひじり)、9歳です。」
「はじめまして。須藤命(みこと)、9歳です。」
須藤の白衣を掴んで聖は元気に、命は多少はにかみながら、礼儀正しく頭を下げた。慌ててアルフも頭を下げる。
「アルフ・レギンです。よろしくね、聖ちゃん、命ちゃん。」
えへへ、と笑いながらも、双子はその澄んだ眼差しをアルフからレオンに移した。そして、そのどちらか・・・位置が間違っていなければ、聖がコテン、と首を
かしげた。
「数学のお兄ちゃん・・・?どうしたの?」
「え?レオン?」
何が、と眉を上げてレオンを見やり、思わずアルフは狼狽した。
「レオン!?」

いつも屋内にいるため普段から血色はあまり良くなかったが、今のレオンの顔色は異常だった。顔色が真っ青で、信じられないものをみた、というように口元に手をやり、目を見開いていた。気持ちが悪いのか、蹲ってしまう。
「レオン君?」
「お、おいレオン!?気分悪いのか?」
「だ・・・・・大丈夫。ゴメ・・・アルフ。そんな・・・こんなことが本当に・・・・」
「酷く顔色が悪い。医務室を開けさせようか」
「・・・いえ。大丈夫です。ちょっと」
必死に深呼吸を繰り返して、それでも身体が小刻みに震えていた。アルフも原因は分からぬままに眉を寄せ、その背を擦ってやる。レオンの背を擦っていると、視界に小さな足が目に入り、視線を上げると双子が須藤の背から出てきて、かがみこんでレオンと同じ視線になると、心配そうに二人そろって同じ顔をしかめた。
「・・・・大丈夫?どっか痛いの・・・・?」
「あのね、おなかが痛いんだったら薬あるよ?」
一瞬、手を置いているレオンの背中が明らかに双子に反応してびくっと引きつった。が、そこで踏みとどまったらしい。もう一度深い深呼吸を繰り返すとアルフの目の前に軽く手を上げてよろめきつつ立ち上がった。双子に向かって微笑む。
「大丈夫。・・・君達が須藤さんの子供だよね・・・?」
「そーだよ。聖、お兄ちゃんのこと知ってるよ!この前雑誌でみたもん。最年少・・・数・・・数学ハクシゴウシュトクシャでしょ?凄いんだねー。」
「そんなに凄くないよ・・・・本当に、そっくりだね」
ぽつりと呟くレオンの声は、なぜか悲しみの色が混ざっていた。
「さて。さ、聖、命、お父さんはちょっとこの方達とお話しているからね。どこかで遊んでおいで。今日の検査は終わらせたのかい?」
「さっき終わったところだよ。異常なしって。ね、命」
「うん。お父さん、お話終わったら言ってね。お兄ちゃんたちと話したいから」
ばいばい、と笑顔で軽く手を振って双子は廊下をかけていった。同じ年頃の妹がいるアルフも微笑ましい気持ちになって手を振り返す。須藤が部屋の中から手招きした。

 広い部屋だった。端の方に客人用なのか、テーブルとソファ。しかしその一角を除いての空間は、何台ものコンピュータが置いてあった。
数十人もの白衣を着た人間達が動いており、あるものはパソコンの前に、また、あるものは中央に設置された巨大スクリーンの前にと動き回りながら、手に手にバインダーのようなものをもち、なにやらデータを取っているらしかった。戸口の方にいた白衣を着た若い男が須藤に気づいて笑いかける。
「あ、須藤さん。聖ちゃんと命ちゃんの検査終わりましたよ。異常無しです。」
「ああ。有難う。私はこちらの客人たちと話しているから、もう少し待っててくれ」
「分かりました。あ、こんにちは」
「こんにちは」
 須藤に案内されて、パソコンの列の間を通り抜ける。平均年齢は30歳位だろうか。女性の姿が滅多になく、挨拶をしてくれる男達は皆気さくそうだった。
ざわめきからは少し隔絶されたような、奥のソファに腰掛ける。ソファは革張りだったが、すわり心地が良かった。須藤が側の机の上から一台のノートパソコンを取り、ログイン画面でパスワードを打ち込んだ後、アルフとレオンの方に画面を向けた。どうやら須藤個人の持ち物らしい。
「さて。医学長から君達を迎えるようにとの事だったけど・・・。なにから話そうかな?レオン君。」
「僕が聞きたいのは」
矛先を向けられたレオンだが、相もかわらず声に温度がなかった。腕を組み、ただ青一色の簡素なデスクトップ画面を眺め、それから働く人間達を眺めた。
「・・・分かってるんでしょ?僕が何聞きたいか位。ってか、そもそもそのことで派遣された訳だし。単刀直入に言ったほうがいいのかな。須藤さん。・・・さっきの双子の、研究データを見せて。」
「研究データ?」
アルフも同じく動かない画面を見つめながら首をかしげた。須藤は変わらない微笑を浮かべていた。眼鏡の奥の眼が笑っている。緩やかに首を振った。
「それは出来ないな、レオン君。あの子達は私達の一番大事な結晶だ。代わりに思い出話でもしようか?」
「結構。一応あらましは知ってるし。・・・・でも、信じられなかった。本当にソレをやる人がいるなんて。」
「レオン?」
「隠しはしないけどね、コレは偉大な研究の始まりとなるんだ。もっとも、君みたいに何でもすべて理論で片付けてしまう人間には分からなくても仕方ないのかな。」
横で展開される会話に、アルフは何を言っているのか分からなかった。分かりようが無い。説明もされないままにレオンにつれてこられ、説明を求めようにもレオンの態度が異常だった。推測だけで分かるほどの材料はそろっていなかった。
にらみ合っている二人に、なぜか遠慮がちになりながら、アルフはそろりと右手を上げた。
「あのー・・・。俺、話が全然分からないんですけど・・・。」
「そうか。君はまだ知らないのかな。んー・・・ちょっと待ってくれ。この計画の概要を説明しよう。」
ふむ、と一つ頷くと、須藤は細めの眼鏡を指で押し上げてパソコンを引き寄せ、なにやら操作を始めた。キーボードを叩く音が軽やかに響き、程なくして須藤はまた画面を二人に見せた。なにやら沢山のファイルが展開されていた。
そのうちの一つをクリックし、画面が変わる。ハッとレオンが息を呑んだのがわかった。

アルフも眼を細める。それは、一見すると、ただのレポートのようだった。イラストも貼り付けられている。明らかに絵心のない者が描いたと知れる、いびつな線の簡素なイラスト。始めの絵はただの丸。次のイラストは瓢箪を横にしたような形で、中央に糸のようなものが結ばれている。だが、アルフはそのイラストの横にかかれた説明文を読んで心臓がドクリと大きく脈打った。
 【調節卵による発生の複製】。
「これ・・・は・・・・?」
「・・・信じられない。須藤さん、ここにいる人達はこれがどんなことか分かって仕事についてるの?」
「ああ。彼らも承知の上だろう。」
「こんなことを大々的に!貴方はこれを学会に報告しなかった。何年も。」
「今はまだ報告する必要はないと思わないかい?いつか、この計画に賛同する時代がくる。今の世は少子高齢化だ。先の政府が調査した結果を見たかい?2055年には日本の人口は8993万人に減少し、2,5人に一人が高齢者と推定。必要な研究だと思うけどねぇ」
「それはあなたの詭弁だ!!」
バンッ!レオンが激昂してか、テーブルに両の掌をたたき付けて身を乗り出した。その音は予想外に響いて、ざわめいていた他の研究員達から音が消える。静寂の中で、立ち上がっているレオンに、アルフが宥めに入った。
「レオン、落ち着け。」
「アルフ・・・・」
感情が収まらないのか、複雑な表情でアルフを振り返ったレオンが、渋々と再び元の体制に戻った。研究員達も、ざわめきだし、一気に空間に音が戻った。
「レオン君は怒るけど・・・あらましはこうだ。」
須藤の言葉に画面に眼を戻すと、プレゼンテーションのように画面が動いていた。

「私には、娘が二人いる。さっき会った命と聖。昔は、家内の加奈がいた。アルフ君。君は、医学・・・高校生なら、生物は詳しいかい?」
「いえ。俺は生物は選択していませんから。」
「そうか。命というのは尊い。ましてや自分の子供ともなればいっそう慈しむ心が生まれるよ。私と加奈は、子供が欲しかった。だけどね・・・アルフ君、君、もう気づいているんだろう?私が君の親戚だと。まぁ、いろいろあって、情けない話だけど逃亡生活でね。もともと病弱だった加奈が・・・・病気になってしまってね。
治ると思ったんだが治らなかった・・・・。決死の覚悟でいった医者で、もって余命3年あるか無いかだといわれたよ。私達は話し合った。加奈がね、子供がほしいと言い出したんだ。私も反対しなかった。出産によって、加奈の寿命が縮むのではないかと恐れたけどね・・・」
展開する画面の後ろで、どこか遠くを見るように須藤は語る。自分が、アルフの親戚で、かつての罪人だったとなんでもないことのように話す。
「―――待ち望んで、子が出来たの知ったのはそれからまもなくのことだった。
だけど、私達はそれからまた話し合ったよ。生まれてくる子供は一人。そして、どんなに望んでも、加奈が長く生きられる望みは薄かった・・・。生まれてくる子供は、幸せだろうか、とね。ご覧の通り、ある人の計らいでここの責任者に納まった私も四六時中は一緒にいられないだろうしね。双子なら、良かった。だけど、早期検査では双子ではなかった。だからだ。だから、私達は話し合った結果、手術を受けた。」
画面が進む。一つの丸、卵があらわれ、第一卵割を起こし、そこから二匹の幼生になるまで。
「知っているかね?アルフ君。私達脊椎動物や、両性類の大多数の生き物は、その卵を調節卵といってね。第一卵割を起こしたときに、その卵割面を強く縛ると二つの神経胚になり、一つの卵から二つの幼生が出来る。つまり、一人から二人へ増やすことが可能なんだ。・・・私達は、まだ卵の段階で、それを自分達の子供に施した。」
「!・・・え・・・そんな・・・・」
「もちろん完璧に行く保障は無かった。だが、子供のためだった。・・・結果は、さっき見たとおりだ。」
「なにが・・・子供達のため・・・?」

 低い声がして、アルフの背筋を寒いものがかけた。ぎょっとしてレオンを見ると、手を組んでその上に顔を乗せながら、茶色い長めの前髪の間から見える薄茶の瞳は、今にも爆発しそうな危険な輝きをしていた。目の前の今だ動いているパソコンを不愉快そうに眺め、右手を伸ばしたかと思うとパタンと閉じてしまう。

「よくもまぁ、ぬけぬけと『子供のため』、なんて言えるよね、須藤さん。アルフを丸め込まないでよ。こっちが調べさせたことを言おうか?あなた達は昔、麻薬の売買人をしていた。あなたがアルフの父上の親戚。加奈さんとは相思相愛の結婚だった。だけど、理由は分からない、日常に何かを求めたくなったのかな、あなた達は麻薬の売買に手をだした。巨額のお金が転がり込んだはず。だけど、途中でそのことがバレ、逃亡生活に転じた。3年間、警察にも捕まらず、実家にも一切の音信不通。
加奈さんが病弱だったのは本当。あなたが心配したのも本当だろうね。だけど、あなた達が子供を双子に造ったのは、子供のためじゃない。」

一気に喋り、須藤を鋭くねめつける。須藤は困ったように笑いながら、口は挟まなかった。アルフがそっと周りを見回しても、こちらに注意を払っている人間はいないようだった。
「3年もアルフの家が総力を挙げて探しても無理だったのに、10年くらい前からあなた達に関する情報が漏れ出した。目撃情報では、あなた達は二人じゃなかった。3人目・・・。黒尽くめの男がいたんでしょ?赤い髪の。須藤さん。」
「さあ。」
肩を竦め、須藤ははっきりとは返事をしなかった。
「しらばっくれるんだ。でも、情報があがってるんだけど?その男が所属していた所から脱出者がいてね。外見は優しそうな好青年風。3年間、逃亡生活を続けたあなた達は、精神的にも経済的にも最低の状態だった。まぁ、当たり前だよね。なんてったって、日本屈指の名門家に生まれたあなたが身一つでやすやす生きていけるほど甘くは無いよ。」
「聞いていると、随分な言いようだね。君が考えたのかい?」
「僕が考えたわけじゃない。ちゃんと証拠とかも向こうにあるよ。事実だと思うけど?生憎、記憶力だけはいいんだ。あなた達は、石川県の郊外で頻繁に目撃情報が寄せられてる。そこら辺にいたんでしょ?多分、お金が欲しかった。」
レオンの声が、わずかに震えていた。恐れからではないだろう、多分、純粋な怒りや、悲しみからか。

「だから。だから、その男の誘いに乗った。お金が欲しかったからだ。迷ったのかも知れない。だけど、あなたは承諾した。双子に造ったのは、子供のためじゃない。・・・一人を殺して、その臓器を売るためだったんでしょ・・・?」
「!」
レオンが何を言っているのか、分からなかった。あまりのことに思考が正常に機能しない。
須藤は、やはり笑みを崩さなかった。優しげな笑み。だが、今聞いたことを踏まえたうえで、その笑みに心を暖かくすることは、到底無理だった。
「・・・・誰だろうね。赤坂さんの組を裏切れる人がいるなんて驚きだ。アルフ君、なんて顔だい?否定はしないよ。ここにいる人間も、うすうすは気づいている事柄だからね。・・・ただ、彼にはもう長いこと会っていないな。見限られたのかも知れないが」
「そんなっ!さっき須藤さん、子供のためって!」
「例え本当に子供のためでも、許されないことだよ、アルフ。命は人間が自由に操っていいモノじゃない。」

「そうは言うけどね、レオン君。今の世界では命が結構簡単に作られている気がするけどな・・・。牛がいい例だ。一頭何百万で取引されるから、持ち主達のなかにはこの卵の段階で幼生を二つに分ける人間も多いよ。大体、今の私達の生活は、ほとんどが命の上に成り立っている。それがいいことだとは思わないがね。
薬や目薬は?試作段階では人間ではないがいつも動物達の命が使われているだろう。」
「だから!?だから須藤さんは人間で分けたって訳?自分達のお金ほしさに?分かってるさ、バイオテクノロジーの進歩の影には何千という命が使われてるって事はね。それを言われたらグウの音も出ない。人間は傲慢だ。・・・僕も含めてね。」
「レオン・・・須藤さん。須藤さんは、今、命ちゃんと聖ちゃんを・・・臓器移植で殺すために育てているんですか?」
「違う!」
驚くほどの大声で、須藤がアルフの声をさえぎった。研究員達が一斉にこちらを見たが、須藤はそれを軽く手を振ってもとの作業に戻らせる。それから、数秒黙り込み、何故か一気に疲れたようにテーブルに肘をついて両手を頭に埋めた。
「分からない・・・最初は、そのためだったんだ・・・。だが、加奈が、嫌がって・・・。話して、交渉したよ、赤坂さんに。そしたら・・・ここの責任者になって同じような子たちを増やせば了承しようと・・・。お膳立てを。だから・・・」
「・・・医学研究センターってのは、あってるけど、意味的には真逆だね。本当に信じられない。郊外だからって不審な点があってもここまでだったなんて・・・・須藤さん、このことは、」
「お父さーん」
「!命、聖?」

 不意に、出口の方が騒がしくなったかと思うと、先ほど駆けて行ったばかりの双子が元気良く走ってくるのが見えた。振り返って双子を見ると、その鏡のような類似性に、涙が浮かんできた。父親の顔に戻った須藤が、側までかけてきた双子にまた笑った。
「どうしたんだい?なにかあった?」
「んーん。違くて。やっぱりお兄ちゃんたちと遊びたいなーって」「うん、そう。」
「んーそうか。よし、お話しはすんだから、一緒に遊んでおいで。」
「須藤さん!話はまだ終わってません!」
「・・・この子たちと遊んで欲しい。ここには若い子があまりいなくてね。私も整理したいことがある。良ければ泊まって行くといい。部屋数はある。」
「やったー!!お兄ちゃんたち、来て!」
「あ、ちょっと!」「ぅわ、僕は、」抗議の声もお構いなしに、ぐいぐいと引っ張られる。双子に引っ張られながらアルフが振り返ると、須藤はまだソファに身を沈めたまま、何か考え事をしているようだった。

連れて来られたのは、どうやら寝室のようだった。ベッドが3台。温かみのある、過ごしやすそうな部屋で、「お客様用」と、命か聖が言った。
押されるままに、ベッドに座らされる。隣に座ったレオンも嫌そうだったが、自分より年下相手に強く言えないようだった。向かいのベッドに座った双子は人見知りしないで、笑いかけてくる。
「はい、座ってー。お兄ちゃんたち、何歳?」
「・・・あ、えっと、俺が16で、こいつが13。」
「へー、聖たちと4歳と7歳差かぁ。うー・・・あ、痛い」
突然、双子の、おそらく聖が小さな手で頭を押さえた。
「え、大丈夫!?どっかでぶつけたの?」
だが、アルフの問いにはフルフルと首を振った。命がどこか鎮痛そうな面持ちで聖の頭に手をやる。
「この頃・・・沢山だね、聖ちゃん。」
「もしかして頭痛もちなの?彼女の方は?」
「ううん・・・んー、そういうのかな・・・。命もだけどね。このごろ速くなって来てる。」「頭痛が?」
「んー・・・治った、大丈夫!あのね、お兄ちゃん達、外から来たんでしょう?
話、聞かせて!」
「・・・外に出たことが無いの?」
「違うよー。あるけど、1年に何回かだけだもん。お父さんが、危ないから、って。だからね、お兄ちゃん達がいるときだけでいいから、聞かせて」
にこっと笑った後、何故か、同じタイミングで双子は顔を見合わせ、それから真摯な眼差しをアルフとレオンの方に向けた。
「お願い。出来るだけでいいからね、泊まって欲しいな。」
「うん。一杯お話ししたい。あと・・・どれぐらいか分からないけど。」
最後の科白を言ったとき、二人とも悲しそうな表情になった。やはり、寂しいのだろう。気の毒になってレオンを見ると、レオンもアルフを見、こうなると思った、というように深いため息を一つついてから軽く頷いた。
「大丈夫。アルフも僕も一ヶ月は入れるから。だけど今日は寝ていいかな。なんかいろんなことがありすぎて精神的に疲れてて。」
双子の目が嬉しそうに輝いた。手を取り合って、満面の笑みを浮かべる。
「ありがと!やった!明日から一杯話そうね、お兄ちゃん達。ここで寝て大丈夫だよ。」
そういうと、物分りよく立ち上がり、部屋の外へと弾むように出て行ってしまった。それを見届けて、レオンがまたため息をつく。
「・・・・やっば。めちゃくちゃ疲れた・・・。頭くらくらするし・・・。」
「レオン!あれ、さっきの須藤さんのことだけど」
「君が何を聞きたいのか大体分かるけど、あれが事実だと思うよ。・・・僕は、彼を警察へ通報する。」
「!レオン・・・。でも、だけどそしたらあの子達は・・・。」
「分かってる。だけど、無理だよ。依頼内容よりも事実は濃かった。だけど、本当に、明日以降にしよう、アルフ・・・ちょっと・・・限界・・・」
あくびをかみ殺しながらレオンが言ったかと思うと、パタン、とそのまま後ろのベッドに倒れてしまった。すぐにちいさな寝息が聞こえてくる。アルフは時計がまだ9時なのを確認し、呆れて笑った。眠りに付くのが速すぎる。レオンの顔にかかっていた一筋の茶髪を横に払ってやると、年相応に幼い寝顔だった。
「・・・たまにこいつが13歳に見えなくなる自分が怖いな」
気持ち良さそうな寝顔を見ていると、アルフまで眠くなり、そう意識したとたんに一気に疲れが出てきて意識がフェードアウトしていった――・・・。

 アルフとレオンは、須藤とはめったに会わないまま、それから2週間を研究センターで過ごした。思っていたよりもはるかに双子と過ごすのは楽しかった。
二人とも物分りが良く、命は勉強に長け、聖は運動に長けていた。外には出られなかったが、アルフが室内のホールで聖にばく転などを教え、ソレを見ながらレオンは命に円周率を暗記させていた。レオンはわがままな子供は大嫌いと常々言っていたが、命の聡明さに、なにか自分と似たものを感じ取ったのか、珍しく楽しそうだった。
はじめこそ見分けの付かなかったアルフとレオンだったが、日を重ねるごとにその子個人のわずかな特徴を掴んでいった。こうまでそっくりしていると、逆に特徴を掴みやすい。

 遊ぶうちに、アルフは奇妙な点に気づいた。まず、二人とも、絶対に互いから離れようとはしないのである。どこにいても、わずかな時間も離れることがなかった。そして、もう一点。命と聖が、一日に何回も頭を抑えていること。特に聖が顕著で、何をしている途中でも、急に苦しみだした。だが、それを命がかばい、あまりひどい時はなぜか二人とも、姿を消し、現さなかった。

 そして、その光景は、アルフとレオンが一日をほとんど双子とともに行動するようになってから、日に日に頻繁に見るようになっていた。アルフもレオンも気がついたときに大丈夫かと聞いてはいるのだが、答えはいつも『大丈夫』の一点張りであった。
双子は、どうやら毎日検査を受けているらしく、それが異常なしで終わってから、元気良く二人の元へ遊びに来た。だが、本当に異常なしなのだろうか?日をおうごとに、双子が頭を抑える場面を眼にするようになり、それとともにレオンが何事かを考え始めたようだった。
「君達は」と、命の算数の教科書を開きながらレオンが思案顔で言った。
「いつも頭を抑えているとき、何か音がしたりするの?それとも景色が曲がったり」
「んー。パァン、って、音がするの。キィン、てなるときもあるけど・・・。おなかが痛いわけでもないし、気持悪くもないんだけど、頭がキュってする」
「そう・・・・」
言ったきり、レオンはその話題を引きずりはしなかった。ただ、考え込んだだけで。

アルフとレオンがセンターに止まって約2週間半、16日目。
いつも来る双子が、何時まで経っても来なかった。こんなときも有るのかな、と本を眺めていたアルフたちの部屋が、突然音を立てて開かれた。
「命!聖!」
「・・・・須藤さん?」
眼鏡をしていない、髪の乱れた須藤だった。白衣も所々に濡れた大小さまざまのしみが見え、よほど急いできたのだと知れる。須藤はレオンとアルフの姿の他に人影が無いことを知ると、ベッドに座っていたレオンの前まで駆けていった。
「レオン君!君、命と聖を連れていったのか!?」
「は?・・・あの二人がどうか?」
「・・・君でもないのか。朝の検査に来ないんだ。もう2時間探している。センターないのカメラにも映っていない。こんなことは初めてなんだ!」
「そんな・・・どこかで寝ているだけじゃないんですか?」
「どこでだ!?ちがう、いるのは間違いないんだ。ここのスパコンと二人の生命はセンサーで連動しているから、だけど・・・、」
「須藤さん!!」

 取り乱している須藤の後ろで、突然足音が聞こえたかと思うと前に研究室でアルフたちに真っ先に挨拶をした若い研究員が顔を真っ青にして駆け込んできた。
「み、見つけました!み、命ちゃんと聖ちゃん、端の部屋の研究準備室に・・・っ」
それを聞くなり、須藤の顔がフ、と緩んだ。
「良かった・・・・無事だったか・・・・。」
「違います!違うんです、早く来てください須藤さん!聖ちゃんが、聖ちゃんが・・・・!」
突然、研究員の目から涙がこぼれ始めた。白衣のすそでぐいぐいと眼を擦りながら須藤の腕を引っ張る。その言葉に身体を強張らせた須藤は、一瞬後、その研究員を突き飛ばして部屋を駆けていった。アルフも何かあったのかは分からなかったが、反射的に部屋を飛び出していた。
長い、白い廊下を駆け抜ける。軽い音がしてレオンも隣を走っていた。何故か手には携帯を持ち、数秒操作をしてからまたしまう。
「レオン・・・なんかすごく嫌な感じ・・・。携帯?」
「警察に合図した。・・・時間かも知れない。」
「時間って・・・、なんの」
「分からない・・・・。分かりたくない」
口を強く噛んで、アルフが見ていると逆を向いてしまった。俯いたまま、前を走る須藤の後を追いかける―――。

 部屋の入り口には、沢山の研究員達が集まっていた。須藤はその研究員達を押しのけるようにして入り、アルフとレオンも続く。遠巻きに眺めている彼らは、入り口からは中に入らなかった。まるで一線を引かれているように。須藤、アルフ、レオンが中に入ると、部屋の隅、机の陰で、何かが動いた。さらりとした細い髪の、小さな頭。
「命!聖!」
叫びながら、須藤が机の裏に回りこむ。そして・・・動きを止めた。アルフとレオンも続いて、床に聖が力なく倒れ、側に命が座っているが見えた。聖の頭頂部が、かすかに動いて眼が開き、信じられないという顔をしている須藤、それにアルフとレオンの姿を捉えた。
小さく全身を痙攣させながら、フ、と小さく笑う。
「良かった・・・。間に合って。お父さん、お兄ちゃん達。」
「ひ・・・聖?どうしたんだ!?命?」
「駄目。」だめ、と、命が小さく呟く。床に座った体制から、汗だらけで笑う聖の顔に、相似した自分の顔を寄せる。すり、と頬が擦れ合った。
「会えて良かったね、聖ちゃん。間に合った。」
「後は・・・任してもいい?命・・・・?ごめ・・・ね」
「うん。大丈夫だよ・・・・聖ちゃん。命も行くから・・・・」
その言葉を聞いて。安心したように、聖の小さな頭が力を失った。眼を閉じ、くたりと動かない。その安心したような顔を見ていた命は、ス、と立ち上がると呆然と眼を見開いているアルフとレオン、自分の父親に向かって、その幼い顔に悲しい笑みを浮かべた。
「・・・・分からなかったでしょう?命と聖ちゃんの身体がどんどん変になってってたの。ずっと、少しづつだけど、ずっと変わってたんだよ。特に最近は、ね。」
「これは・・・これは、ありえない・・・。嘘だ・・・・私は毎日見てたんだぞ!?毎日、毎日お前達の・・・・!」
「だって本当だもん。ずっと・・・ううん。生まれたときからなのかなぁ。頭の中がね。パァン、てなる時があったよ。当たり前すぎて言わなかった。聖ちゃんもだよ。命よりも沢山音がしたんだって。あ・・・・まただ。」

 命が眼を閉じて小さな手を耳に被せた。まるで、内側の音に耳を傾けるように。何を言ったら良いのか分からない。何もかもが唐突過ぎた。冗談だ。双子が仕組んだ、迫真の演技の。そう思おうとしても、双子の性格が、動かない聖の血の気を失った顔がやけにリアルで。力を失った片割れの側で、まるで守るように立ったまま耳に手を置いた命を眺めると、自然に涙があふれた。数週間前の『あと、どれくらいになるか分からないけど』といったときの双子の表情を思い出した。あれは、アルフとレオンの滞在に対してではない、おそらく自分達に残された時間に対してだったのか。
「脳の一部が・・・圧迫されて・・・?」
悟っていたのか。そのことに思い至って、一気に感情が割れた。数週間前に聞いた須藤の話に怒りがあふれる。止まらない。
「ひ、聖ちゃん・・・。なんで・・・なんでこんな・・・。やっぱりどこか異常があったってこと・・・?須藤さん。なんで・・・やっぱりあなたがしたことは、こんな、」
「言うな!黙ってくれ、何も知らないくせに!私と加奈がどれだけ苦労したと・・・・!」
「苦労したらなにしても良いの?」
咆哮する須藤とは対照的に、命と聖と見つめながらレオンが静かに口を開いた。だが、身体の脇につけられた拳は固く握られ、感情に呼応するように細かく震えていた。
「苦労して・・・その結果がコレか。擬似的な命で・・・何をするつもりだったの。臓器を売って金を稼ぐつもりだった?情が移ったの・・・?須藤さん、科学者だよ。貴方は。『人を造るべからズ』。法律なんて守るつもりは無いけれど・・・命は造るものじゃない。不可侵領域を・・・」
「うるさい・・・うるさい・・・。何も知らないくせに・・・」
「だからっ!命を弄ぶな!神にでもなったつもりかっ!?」
「待って。・・・待って待って。レオンお兄ちゃん、待って」
 
 何かが切れたように須藤の白衣を掴んで揺さぶり、怒鳴るレオンの声に、小さな声が重なった。全員がハッと動きを止め、声の主、命をみやる。命は、耳から手を離さないまま、座り込み、右手を耳に、そして、左手をもう動かない聖の手に重ねていた。
「やめて。分かって欲しかった・・・命も聖ちゃんも。だけど、言い出せなかった。いつも頭が痛くなったらここにいたの。知ったら父さん、命達をいらない子って言うんじゃないかな?って思って・・・・いつも良い子でいたんだよ。お勉強もちゃんとしたし・・・運動は聖ちゃんの方が得意だったけど。ぞう・・・臓器移植?それも分かってたよ。駄目だよ、父さん、大事なものは引き出しに鍵かけないと。レポート見ちゃった。」
「み、命・・・。私は・・・私達はっ・・・・!」
「生きていくためにお金が欲しかったんでしょう・・・?だから、『命達』に生んだ・・・。ありがと、殺さないでくれて・・・。レオンお兄ちゃん」
「・・・なに?」
「あのね・・・命と聖ちゃん・・・どっちが『私』だったのかなぁ・・・?分かる?」
「・・・分かんない。」
「そっか・・・お兄ちゃんでも分かんないことあるんだね」
びっくり、と笑う命に、レオンが一歩踏み出した。「違う!」と強く、何かに耐えるように吐き出した。
「違う・・・・僕には・・・違うんだ、命。分かっちゃいけないことだ。人間は、分かっちゃいけないことだよ、それは」
「・・・・分かんない。でも、そ、そうなん、だ。」
「命?」
「駄目・・・音が、沢山、と、父さん。聞いて。あのね」
「命・・・・?」
顔色もろくに見えない暗闇の中で、命の幼い表情が何かに耐えるように苦悶にゆがんだ。頭を押さえ、息をするのも辛いのか、しきりに深呼吸を繰り返して、浅い息の中で『父親』である須藤を呼んだ。
「あのね。命も、聖ちゃんも、知ってたよ。本当は、一人、しか生まれなかったこと、も、もしかしたら、殺されちゃうかもしれない、こと。一回、逃げようか、て話したこともあったんだけど・・・でもね、楽しかったから。研究の人たちに本読んで貰って、お父さんに研究室一緒には、入って・・・・レポート見て、聖ちゃんと、話したよ。どうしよう、か、って・・・・でも、聖ちゃんが言ったの。」
思い出すように、命は聖の手をなぞる。顔を苦悶にゆがめながらも、自分と同じ顔をした、もう動かない双子の姉に汗の中から笑みを浮かべた。一線を引いた、部屋の外から多数のうめくようなすすり泣きが聞こえた。机に隠れて、よく分からなかったが。
「『あげよ。』って。2年くらい前かなぁ・・・。沢山、沢山話して、そうなったの。だから、待ってた。殺される日を。」
「!み、命、お前・・・」
「そうだよ。待ってたの。怖かったよ。嫌、だったよ。だけど、待ってたの。・・・・でも、父さんと母さん・・・は、殺さなかった・・・。お金のために二人にした命達を、そ、育ててくれ・・・た。誕生日も、いっぱい、祝ってくれた。
だ、だから、嬉しかった・・・。でもね・・・やっぱり悲しかった。訳なんか・・・分かんないけど・・・悲しかった。ひ、聖ちゃん、がいないと不安になって・・・だから、もう・・・」
もう、なんなのか。その続きが紡がれる前に。ゆっくりと、命の小さな上半身が倒れていった。何故か、場面がスローモーションで見え、何が起きたのか、何故そうなるのかアルフは何回も首を振った。レオンは、無表情だった。ただ、その薄茶色の眼だけは感情豊かで、言い表せぬほどの怒りと悲しみに輝いていた。
「命!!」

 須藤が駆け寄る。「命!命!!」片割れ、聖と手を離さないままの命を抱き上げ、聖も抱え上げた。アルフが涙でよく見えない視界を拭い、抱え上げられた命と聖の側に膝を付く。拭ったばかりだというのに、たちまち視界は見えなくなった。
 レオンも命の右手をそっと手に乗せた。出口にいる研究員達は、誰も動かなかった。ただ、うめき声が一際大きくなった。想像が付くだろう情景を浮かべて、互いに牽制しあっているようにも見えた。
浅い、速い息の中で、命の目が薄っすらと開く。その長い睫毛に囲まれた蒼い瞳からスゥッと涙が伝った。抱え上げている父親を見上げる。
「だ、だから、ね。お父さん。駄目・・・だよ・・・・。せ、成功、なんて・・・するはず・・・ない、の。分かる、から。命、たち、みたいな・・・」
「命、分かった、分かったから!頼む!もう口をきくな!」
「レオ・・・にいちゃ・・アルフおに・・・も、ゴメン、なさい。・・・でも、お、怒らないで・・・・お願・・・・」
「命、駄目、死んじゃ駄目だ!が、頑張って・・・・!」
「あは・・・アルフにいちゃ、へ、な顔・・・でも、聖ちゃ、が待ってる、から・・・・。」
「命、僕は・・・」
「レオンお兄ちゃん、ゴメンね、いろ・・・た・・・・パァン・・・・て・・・・」
「・・・・・命?」
「命ちゃん!駄目だ!」

その言葉を最後に。命の小さな頭が父親の腕に落ちた。丸みのある頬は血の気を失い、少しだけ開いた唇は言葉を発しない。左手だけが片割れの手を強く握ったまま。
「命!命!?」
右手を乗せていたレオンが、何も言わぬまま、その小さな細い腕を命の身体の上に軽く戻した。擬似的な命。だが、この双子は一つの命を二つに別ち、10年という年月を過ごした。この世界に、存在を残したのだ。

「嘘だ!嘘だ・・・命・・・聖・・・!!頼む、嫌だ・・・嘘だっ・・・・!!」

 愚直なまでに、失われた時への哀惜を叫び続けるその姿に、アルフもレオンも、言葉を掛ける事はできなかった。
擬似的な命を造り出してまで、資金を作ろうとした。だが、結果、得たものはなんだろう。命は作り出してはならない。分かっていたこ