Mystery Circle

創造と想像が好きな人々の為に ―ようこそ、奇譚の円環へ。―

第二十四回 Mystery Circle




◎数え切れないほど何度もとおった道だったにもかかわらず、何もかもが新鮮に思えた。

《I’m writing NOVEL 神楽崎ゆう》 

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◎これが最後の「さようなら」になりませんように......。

『ジェンガ』


著者:松永夏馬


「これが最後の『さようなら』になりませんように……」
 厭らしい笑みでぐふふ、と声を漏らした。
「……んな」
 僕は引き攣った顔で目の前のオッサンを睨みつける。そしてそのままテーブルに置かれた二つの機械に視線を落とした。
 テーブルの隅に置かれた店員を呼ぶボタンにそっくりな円形の機械。上部に『押す』と書かれたその二つのスイッチ。
「ま、どっちでもいいから早く押して」
 テーブルの向こうでストローを咥え、なげやりな態度でオッサンが促す。くたびれた上着のポケットからタバコを取り出したものの、禁煙席だということに気付くとあからさままに舌打ちして再びポケットへと詰め込んだ。
「こんな大事なことなんで僕にやらせるんですか!」
「別になんとなく。つか、みんな知らないだろうけど毎日毎日誰かが持ち回りでやってんだよ。たまたま今日はオマエさんに担当してもらうことになっただけ。ちなみに昨日は某国の元大統領にやってもらったけどね」
 オッサンは鼻をほじりながら大あくびをした。
 深夜の、いやもうすぐ太陽が顔を出す時間に、ファミレスでまったりしてるんじゃなかった。
「みんな気付いてないんだよね、自分のいる世界がどれだけ不確定で不安定な存在なのかって。幸運と偶然が積み重なっているだけの微妙ーなバランスで成り立ってんだ。白熱したジェンガみたいにいつ崩れてもおかしくないんだなコレが」
 オッサンはそう言って、ズズズと音を鳴らせてアイスコーヒーを飲み干すと、あまり趣味のよろしくない腕時計をちらりと見て言った。
「さ、決めてくれ。そろそろ時間だ」
「そ、そんなこと言ったって」
「タイムオーバーしてもマズイからな」
「……くッ」
 
 どちらかが正解のスイッチ。
 もうひとつは不正解のスイッチ。
 
 毎日繰り返されてきた二択。幸運が重ねられて成り立つこの世界の命運が僕の選択に委ねられている。

 日の出がこんな機械で操作されているだなんて。

 今までの僕の人生、これまでに、こんなにだいじな決断を迫られることはなかった。



●《自己批評》
『登場人物はオッサン(神様)と青年2人の超ショートショート。意地でもラブストーリー書いてたまるか(笑)
二分の一の確率で世界は消えていく。今僕らが生きているこの世界も、そんな奇跡的な偶然の上になりたっているのです。もしかしたら明日太陽が昇らないかもしれない。毎朝生きていることに感謝しましょう。なんじゃそりゃ。』


《Missing Essayist Evolution 松永夏馬》 


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◎これまでに、こんなにだいじな決断を迫られることはなかった。

『無声映画』


著者:李九龍  


 これまでに、こんなに大事な決断を迫られる事は無かった。
 僕は、気を失い、ぐったりしている少年を抱きかかえ、開いている電車の窓に向かって声をかけた。
「この電車は、地獄と天国、どっちへと辿り着くんだ」


 ――― 十九時の、週末の地下のショッピングモール。 僕は、帰宅の人並みを掻き分けながら、地下鉄の乗り口へと足早に向かう。
 田舎からこっちに出て来た頃は、こんなにも早足で歩く事はなかったなと、僕はぼんやり考えた。 今では当たり前に、人の波と同化する。 むしろ今では、前を歩いている人の背中に向かって、「早く歩け」」と念じていたりする時もある。 随分と染まったものだ。 僕はそう思い、ちょっと俯きながら苦笑する。
 その時僕は、前方にお目当ての店を見付け、ちょっと通路を端に寄り、人混みを避ける。
 その店は、瞳が大好きな、ベーカリーショップ。 休日の、二人の朝食は、いつもここのパンだった。
 僕は金曜日の夜には、必ずここでパンを買う。 食パン一斤と、菓子パン数個。 菓子パンは、週末だけ泊まりに来る瞳と、夜中まで映画を見ながらのおやつだった。
 今日は何にしようかと、僕は外のガラス越しに中を覗く。 店内の奥の方では喫茶コーナーも設けられており、いつも満員に近いぐらいの客で溢れている。
 チョコクロワッサン、チーズタルト、カレーナンに、バターたっぷりなワッフル。 僕自身、わくわくしながら、品定めをしていた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・ズン

 僕の視界が、少しぶれた。 足元から、鈍く重たい振動が来たのだ。
 瞬間、地震かと思った。 だが、次の瞬間、気のせいだと思い直した。 どうやらその振動を感じたのは僕だけらしく、背後で道急ぐ人達の中には、その振動の異常性を感じた素振りの人間は、誰もいなかった。
「こんな地下で地震が来たら、とんでもない事になるよな」
 僕は自分の言葉に不吉なものを感じつつも、努めてそれを笑い飛ばした。 そして僕は、再び店内の方に目をやった。

 ・・・・・・・・・・ズン

 再び、感じた。 だが今度は、気のせいではなかった。 店内で座っている客達が、一斉に周囲を見渡し始めたからだ。
 僕は、咄嗟に、「ヤバい」とそのまま声に出し、店の前を離れ、店舗と店舗を結ぶ間にある、太い円柱の前まで走り寄った。
 次の振動は、僕がその円柱へと駆け寄り、そのひんやりとした表面に手を触れた瞬間だった。

 ・・・・・ズン!

 確実に、揺れた。 もはや、モールを早足で歩いている人達さえも足を止め、周囲を見渡していた。

 ドズン!

 僕の足が、くだけるようにしてバランスを崩し、目の前の人々も、同じように地を跳ねた。
 もはや、疑う余地は無かった。 どこかで上がる、「地震だ!」と言う声と共に、見る見る内に、人々の顔に驚愕が浮かんだ。
 だが、次に来る振動と共に、人々の上げる声よりも、その周囲を取り巻く建造物の上げる悲鳴の方が、その威力を上回った。

 ガズン!!!

 まず最初に、僕が先程まで立っていた、ベーカリーの店の窓ガラスが、弾けるように砕け散る音が聞こえた。
 続いて、その周辺にある各店舗から、同じように何かが壊れる音。 崩れ、倒れる音。 それに続いて、僕の頭の上に、パラパラと何かの破片が降り注ぐ。 人々の上げる悲鳴は、たっぷりと遅れてその後だった。
 だが、その悲鳴も、長くは続かない。 それに引き続いて襲う次なる振動とその音は、今までの全てを上回っていたからだ。
 それは、音ですらなかった。 僕の耳が、拾える音の限界を聞き、それはまるで、僕の頭上で起こる爆発のようなものだったからだ。
 音は続き、何かが崩れ落ちる音。 人か獣か判らないような悲鳴が続き、そして、生理的に不愉快と思えるような、金属と金属がぶつかりあい、激しく擦れあう音が響き渡った。
 そして再びの、強い振動音。 僕がその音の後に目を開くと、既に周囲は暗闇だった。 恐らくは、その一瞬の振動にて、電気系統がイカれたのだろう。 光の届かないこの地下のモールにおいては、例えれば、照明の無いトンネルのようであった。
 その時、ほんの一瞬だけ、不思議な静寂の時間があったのだが、またすぐに、次の振動音。 だがその振動は、先程の一番大きい振動に比べ、数段落ちるものだった。
 僕はふと、その振動は、何かの巨大な足音のような気がした。 一定の時間を置いてやって来るのと、近付いては遠ざかる、その事実に・・・で、ある。
 やはり思った通り、次の振動は更に遠かった。 僕はほんの少しだけ安堵しながら、まずは自分に怪我がないかを確かめる。
 周囲では、悲鳴の代わりに、人々の呻きと、鳴き声が充満していた。 中には、直接的に、痛い痛いと訴える声まであった。
 僕は一瞬、ここが暗闇で良かったとすら感じていた。 もしもここに灯りがあるならば、僕は、見てはいけないものまで見てしまいそうな気がしたからだ。
 確かに、巨大な足音のような震源は、遠ざかりつつあった。 今だに激しく揺れはするが、それも次第に小さくなって行く。
 一瞬、その世界が見えた。 誰かがライターの火を起こしたのだ。 少し前方の暗闇で、その小さな周辺だけが、浮かび上がって見えた。
 想像していた通りの、阿鼻叫喚の世界だった。 地下の天井に張られた壁材が砕け落ち、その下敷きになった人々が、見たくなくても目に入った。
 僕の、ほんの二、三メートル前方の瓦礫からは、間違い無く女性のものだと思われる、二本の足が生えていた。
 足が震えた。 たった一瞬の事なのに、こうして生き残る人と、息絶える人との隔たりが出来た。 僕ですら、ほんの数歩違えば、今はもう思考する術すら無くなっていたかも知れないのだ。
 そして、暗闇の中、僕の嗅覚が何かを捕らえる。 それは、少し離れた場所から香る、焼きたてのパンの匂い。 そして、それに混ざる鉄のような匂い。 僕は、そんなミスマッチな匂いに、自然に込み上げて来る胃液が、逆流するのを必死で堪えた。
 僕は、ポケットから携帯電話を取り出し、開いてみる。 時刻は、十九時六分。 アンテナの表示は無く、虚しく見える圏外の文字が浮かんでいた。
「上に昇れ!」
 どこかで誰かが、そんな言葉を発した。 その瞬間、声では無い、雰囲気だけの音が、周囲を揺るがした。
 あちこちで、ライターの火が灯り始める。 僕はそれを見て、今の時代でも、案外に喫煙者は多いのだなと、全く関係の無い思考を巡らす。
 人が動き始めた。 地下街を出て、地上を目指す人の群れだ。
 だが僕は、そこを動けなかった。 何しろ、地上を目指す人の群れは、何もかもを踏み越えての行進だったからだ。
 ・・・そう、瓦礫の下の同種族までも。

 唖然としている僕の腕に、突然、何かが触れた。
 僕は小さな悲鳴を上げ、跳ねるように飛び上がった。
 だがそれは、暗闇に目が慣れて来たのと、人の手から洩れるほのかな灯りによって、小さな少年である事が判った。
「どう・・・したんだい」 僕は、かろうじて声が出た。
 だが、少年の方は、僕よりもずっと落ち着いているかのように、単調なトーンで返答をする。
「この辺に、パン屋さんがあった筈なんです。 どこだか知りませんか?」
 僕は、考えあぐねた。 この少年は、こんな状況で、何を聞きたいのだろうかと。
「パパとママが、そこで待ってるんです。 僕が本屋に行っている間に、二人はお茶を飲んでるって・・・」
 血の気が引いた。 僕は咄嗟に、先程までいたベーカリーの方を見る。 だがそこは、中から崩れ出ている天井の瓦礫が、完全に中が潰れている事が理解出来たからだ。
 途端、しまったと思った。 少年は、もはや、見てしまった。 目的地を見付け、僕から視線を外し、ふらふらとそちらへと歩いて行ってしまったからだ。
 少年は、崩れ落ちた店の前で足を止める。 気にはなったが、僕はその少年に声をかける事も出来ずに、置き去りにして黙って歩き始めた。 地震が来る前に歩いて来た道を逆に辿り、再び地上へと向かう階段の方向へと。

 僕が数歩あるいた辺りで、世界は緑色になった。 壁や天井の隅、あちこちに設置されてある、非常用の灯りが点いたのだ。
 見渡せば、かなりの被害が見受けられた。 相当の瓦礫が散乱し、中にはうず高く積み上げたかのように、山になっている場所もあった。
 だが、そんな瓦礫の下から、被害者を助けようとしている人は稀で、目に入る人の姿は皆、どこかを負傷したり、放心してうずくまっているだけだった。
 見えるもの全てが、薄い緑に光るその不気味な世界の中、遠くに群集の怒号が飛び交っていた。
 階段へと詰め掛ける人の群れ。 普段ならば、いくらごった返している階段付近でも、皆無口のまま、小さな歩幅でそこへと向かう筈の場所。 だが、今は違った。 我先にと詰め掛ける群衆にて、その周辺は、恐ろしい程に殺気立っていた。
 そこはもはや、男も女も、老人も子供も関係が無かった。 先に階段を昇ろうとする者があれば、髪を掴んででも引き摺り下ろし、後ろから押そうとしたならば、顔を蹴飛ばそうかとするぐらいの勢いで、人は地上を目指していた。
 やめてと聞こえる声があれば、退けと言う叫びもあった。 理性と言う皮膚が一皮剥けた獣達の交錯する中、次なる地獄がその世界を襲った。
 突然、「ゴン」と、鈍い金属音が聞こえたかと思うと、そんな人々が押し合う中、階段と通路を分ける、非常用の防火壁が降りて来たのだ。 しかもその下降は案外と早く、下にいる人々達は全く気付かないまま、重い鉄の壁は、襲いかかって来た。
 声が上がる。 そこを退けと。 だが、その声を聞ける人々が、その階段付近に、何人いたであろうか。
 周りで見ている人達が騒いでも、結局は何も変わらなかった。 ただ単に、人が奏でる騒音が、一層大きくなっただけだった。
 僕は瞬間、目を閉じる。 僕の周囲にいた人々からは、恐怖のあまりに絶叫がほとばしった。
 音までが、僕の耳へと聞こえて来た。 それはまるで、船の上に打ち上げられた魚が、びちびちと飛び跳ねる音にすら似ていた。
 もはや、何が起こっているのかさえ判らないまま、痺れた思考のまま、僕は人に突き飛ばされ、後方へと転がった。
 吐き気と、強く打った腰の痛みとで、僕はその場でうずくまる。 気配で、再び人々が、移動し始めたのが判った。
 ぼんやりと、次の階段を目指しているのだろうと、僕は思った。 だが、どこへと行っても同じだろうとも思ったが。

「爆弾テロだ」
 誰かがそう呟いた。
 僕がそこを通り過ぎると、今度は誰かが、「爆撃だ」、「空襲だ」と言う。
 聞こえて来る想像だけの噂は、案外とユーモラスだった。 中には、列車事故だとか、ガス爆発だとか言う比較的まともなものもあれば、中には、宗教団体の仕業だとか、最後の審判だとか言うものもある。
 だが、僕が感じた、「巨人の足音」だって、相当に変な想像だろう。 だが僕には、完全に大間違いには、未だに思えないのだが。
 ふと、視線が泳いだ。 見ればそこは、先程まで僕がいた、ベーカリーの前だった。
 少年は、いた。 ずっとそこでそうしていたのだろう。 緑に光る、あまり趣味の良くない世界の中、少年は黙って、そのひしゃげ潰れた店の前に立っていた。
 僕は少しだけ責任を感じ、その少年の後ろに立つ。 彼は、気付いているのか気付いていないのか判らないまま、微動だにせずに、その場を動かなかった。
 何故か、妙に寒かった。 僕は、自分が半袖のワイシャツ一枚でしかない事に気付き、少し不安になった。

「ベンチウォーマーが置いてあった。 これで少しは凌げるだろう」
 僕はそう言って、少年に、季節外れの衣服を差し出した。
 すぐ先に見える、半壊した洋服店の中から、引っ張り出して来たものである。 要するに泥棒だが、それを見て咎める人など誰もいないだろうと、僕は思った、
 少年は、軽く頭を下げ、震える腕でそれを取る。 少し大きいが、それでも少年は首までボタンを止めると、身体を抱えるようにしてうずくまった。
 僕も同じように、もう一着くすねて来たベンチウォーマーを羽織る。
 異常な気温だった。 もうすぐ七月に入ろうと言う時期なのに、この寒さはなんなのだろうと思った。
 見れば、僕と同じように、半分潰れた洋服店の中から、冬用の在庫を探して来る人の姿が目立った。
 何しろ、息をすれば白くなるのだ。 これが異常なる気象でないならば、どこかの空調が異常を来たしていると言う事だ。
 僕は少年の横に腰を下ろし、その小さな肩を抱いた。
 あれから彼は、一言も口を聞かない。 表情こそは普通だが、相当のショックを受けているのだろう。 なにしろ例のベーカリーショップは、どこをどう見ても、中にいる人達が生きている訳が無いと言う程、店は全壊していたのだから。
 少年は一言も無いままに、剥き出しの膝を抱え、寒さに震えながら、小さくなった。 僕は、何もかける言葉を見付けられず、黙ってその少年の横で、同じように座っているだけだった。
 目の前を、「ホームに行けば・・・」と、うわごとのように呟きながら、歩き去る男の人が通り過ぎた。 それを聞いて、腰を浮かしてその後をつける人の姿も、いくらか見受けられた。
 そう言えば・・・と、僕は思う。 この騒動が起こる前に、あれだけの往来だった人混みは、一体どこへ消えたのだろうかと。
 かなり多くの人々が、この瓦礫の下にいるとしても、それでもどうしても、数が合わない。 あの階段に詰め掛けて、その多くが上へと昇り切ったとも思えない。
 そうなれば、残りは二つ。 一つは、先程の男性のように、ホームへと向かって、そこから別の手段を見付けたか。 もう一つは、この阿鼻叫喚なる瓦礫の通路を進み、モールの中心部であるコンコースまで辿り着いたか・・・で、ある。
 僕が今いる場所は、地下モールの中でも、最北端に近い場所だった。 ならば、辻褄も合う。 階段と言う移動手段が封じられた以上、例え望みが薄くとも、ここで留まるべきではないのかも知れない。
 僕は、自分の考えを少年に打ち明け、一緒にこの通路を、中心部まで行かないかと交渉した。 少年は、黙ってベーカリーショップの方を見て、決心したように僕の方へと向き直ると、小さく、「行く」とだけ、答えた。

 予想以上の被害だった。
 崩れて積もった瓦礫の上を、僕達二人は、よろめきながら進んで行く。
 体は汗ばむが、相変わらず吐く息は白く凍り付く。 僕は、この寒さの原因は何なのだろうと考えるが、一向にピンと来る仮説は浮かばない。
 時折、そんな瓦礫の中から、人のものとおぼしきパーツが覗く。 僕は敢えてそれから視線を外し、黙々と少年を助けながら、前へと進んだ。
 もはや、目に入る生存者はあまり無く、いたとしても、その場を自力で動けない人ばかりだった。
 しばらく進むと、突然に瓦礫の散乱が減り出す。 見れば、壁も天井も、勿論、店舗の数々も。 そこから先は、あまり大きな被害は無さそうに見えた。
 途端に進行が早くなる。 足元もおぼつかない場所よりは、やはり平らな床がいいと、改めて感じる。
 だが、相変わらず、人はいない。 負傷した人々を除いたとしても、あれだけ大勢いた人の群れが、一向に見えない。
 どうやら僕達は、相当遅くに取り残された口だと思った。 僕は少しだけ、自分の判断力の悪さに苛立った。
 しばらくすると、前方に、非常用の緑の光が集まる、中央コンコースが見えて来た。 流石にそこまで来ると幾人かの人影が見え、僕自身、それに安堵する。
 天井と床とを結ぶ、沢山の柱が立ち並ぶ中、人々はただ、上を見ていた。
 僕は、無理に笑顔を作って、少年を見る。 軽く背中を押しながら、僕達はコンコースへと進む。

 ・・・・・どしゃっ

 鈍く、そして、何か得体の知れない不快な音が、そこに聞こえた。
 広場へと出て見ると、そこには何か小さき埃のようなものが、数限りなく降り注いでいる。 僕は、瞬時に判った。 それは、天から降り注ぐ、雪だった。
 寒さの原因は、これだと思った。 何故に今、雪が降るのかの疑問は消えないにしても、その寒さの源は、理解が出来た。
 コンコースは、地上の駅ビルまでもが見渡せる、吹き抜けの空間だった。 僕がそこに出て上を見上げると、明り取りの美しい紋様な、ドーム型のガラス天井は既に無く、拭きっ晒しの夜空が見渡せた。
 なるほど。 それでここには雪が降るのかと納得した瞬間、またしても、「どすっ」と言う鈍い音。 そして、今まで気付かなかったのだが、そこには遠い笑い声が充満し、目の前に広がる広場の床には、得体の知れない物体が、あちこちに転がっていた。
 途端、戦慄した。 地上部分に見える手摺りに、幾人かの人影が見えたのだが、今正に、その中の一人が手摺りを乗り越え、迷う事無く宙へと舞った。
 短いながらも、ハッキリとした笑い声を乗せ、その人影は、コンコースの床へとめり込んだ。 先程と同じような、鈍く湿った破壊の音が響いた。
 間違い無く、狂っていた。 そこには、くっきりと線引きが出来るように、狂った世界と、まだその余波が来ていない世界との、区分けがあった。
 狂っている地上の部分には、完全に何かのタガが外れた人間が彷徨い、大声で、異常な高笑いを響かせている。
 見ればそれは、手摺りの先だけではなかった。 完全に、地上と地下を結ぶエスカレーターは、「故意」に壊され、行き来出来ない状況にあると言うのに、その先で彷徨う人影は、まるで地下へと降りて来ようとするかのように、ふいに、突然として、宙へと弾かれた。
 異常な世界だった。 雪の舞う、初夏の月夜に、遥かに高い地上から、雪と一緒に、笑う人々が降って来るのだ。
 一体、地上では何があったのかと、周りに立っている人に声を掛けようとするが、どの人も、間違い無く向こうの世界へと足を踏み入れている表情だった。
 空を見上げる人々の群れは皆、笑っていた。
 僕は、発作的に少年の手を掴むと、笑顔を張り付けたままの人々の間を擦り抜け、駅の改札口へと走った。
 僕は、地上で何があったのかが気掛かりだった。 真っ先に思い浮かべるのが、今夜逢う約束をしていた、瞳の事だった。
 走りながら、再び携帯電話を取り出すも、表示は圏外以外を指さない。 普段ならば、駅地下の方こそ電波が安定するはずなのに。
 僕は、遅れ気味な少年に向き直ると、その少年を抱え上げた。 まだ、小学校の三、四年ぐらいなのだろうか。 その身体は、案外に軽く感じた。
 少年を抱きかかえて走り出す。 少し行くと、半分閉まりかけの店のシャッターの中から、一人の男が、くぐって出て来た。 彼は、走る僕達を見掛けると、両手を振って止まれと合図する。
「なぁ、アンタ。 今地上では、何が起こってるのか知ってるかい?」
 男は、僕が止まるより先に、大声でそう言った。
「今、俺は、店の中で、ラジオを聴いてたんだ。 全然どこも入らなかったんだが、ようやく一つだけ周波が合った。 そうしたら、今、地上で起こっている事を、実況生中継してたって訳さ」
 僕は立ち止まり、その男の顔を見る。
 少し、異常な気配を見た。 男の顔は笑い顔で、やけにテンションが高かった。
「なぁ、何が起こってると思う? さっきの、巨大なロボットが歩いて行ったかのような振動は、何だと思う? なぁ」
 僕は黙って、首を横に振った。 すると男は、僕の事など見えていなかったように、話を続ける。
「知らなくていい。 知らなくていい事は、知っちゃあいけない。 なぁ、そうだろう?」
 男はそう言うと、ポケットから何かを取り出した。
 そして彼は、笑い顔を絶やさぬままにそれを自分の頭のこめかみへとあてがう。
 ポンと弾ける音がして、その男の反対側のこめかみから、何かが吹き飛んだ。 そして男は、背中から直立不動の姿勢で、地面へと倒れ込んだ。

 少年は、しきりに、苦しいを連呼するようになった。 見れば、この寒さの中で、かなりの汗をかいている。 呼吸も、相当に荒い。
 走っている途中で、変な人を見た。 通路の端の方で、全裸のままで、後方宙返りをしている初老の男性だった。
 彼は、一生懸命に後方宙返りをするが、どうにもそれを出来るだけの技量が備わっていないらしい。 初老の男性はことごとく、宙返りしては自分の後頭部から地面へと落下するのだが、彼は決してそれを止める事なく、狂気染みた声で笑いながら、何度も何度も、固い床の上へと、血に濡れた自分の頭を打ち付けていた。
 僕はそれを少年に見せないように庇いつつ、先を急ぐ。 もしかしたら、これほどまでの人間の変わりようは、何かの薬品かウィルス等の空気感染かとも思ったのだが、今更それに気付いても遅かった。 恐らくは僕達も、相当にそれを吸い込んでいる事だろう。 問題は、いつ、あの連中と同じような症状が出るのかと言う事だ。
 ようやく、駅の改札口へと辿り着く。 そこは、他の区画とは違い、例え緊急の設備だとしても、しっかりとした明るい照明によって、照らし出されていた。
 僕は、驚いた。 改札には幾人かの人が立っており、その姿は、迷彩服に包まれた軍隊のそれであり、各自大型の銃を持ち、顔にはしっかりと、防毒マスクが着用されていた。
 僕が近付くと、何人かの軍人が僕に手招きをする。 僕は恐る恐るそれに近付き、何事なのかを聞く。 だが、その質問には誰も答えない。 電車が出るから早く入れと、小声でそう言われただけだった。
 駅の構内にも、死体らしき塊が溢れていた。 そんな死体は視界にも入らないとばかりに、迷彩服の人々は、一定の間隔を置きながら、要所要所に立っていた。
 少年の息が、いよいよ荒い。 僕は素手でその額を拭う。 手の平に、べとりと大量の油汗が付く。
「もうすぐ助かる。 頑張れ」
 僕は、何の確信もない慰めを言いながら、閑散とした駅の構内を歩き、所々に立っている軍人の案内にて、ホームの一つへと向かう。
 薄暗い階段を降りながら、とうとう返事の返らなくなった少年の身体を揺する。 呼吸はしっかりしているが、僕には医学的な知識は全く無く、ただもどかしいままに、少年を階段に座らせ、様子を見る事しか出来ない。
 すると階下で、人が、大きな声で罵るのが聞こえた。
 僕は、耳を澄ます。 どうやらそれは、僕達と同じように、助けを求めてこのホームへと辿り着いた人のようで、僕が持っている不安感をそのままに、言葉へと出して叫んでいた。
 この電車はどこに行くのかと聞き、そして、今起こっている地上での騒動、おかしくなった人々の原因。 それらを矢継ぎ早に聞いている。
 だが相手は、その返事を返さなかった代わりに、小気味良い、リズミカルな銃声を轟かせ、その会話を終わらせた。

 タタタタタタタタタタタ・・・・・

 呆然としたまま、何分が経ったのだろうか。 その内に、場違いながらも不気味に聞こえる軽快な電子音が鳴り響き、電車がゆっくりと走り出した音がした。
 電車が走り去り、それからしばらく経った後、僕は再び少年を抱きかかえ、今度こそ階段の一番下部まで降りて行った。
 見渡す限り、誰もいない駅のホームだった。 いるのは、所々に点在している、少し前まで、「人」だった塊だ。
 先程撃たれたであろう人影が、横たわっていた。 それは、ごく普通の、僕と同年代ぐらいの、スーツを着た男性だった。
 一瞬その姿が、僕のものとダブった。 もしかしたら僕は、もはや意識がなくなったこの少年と一緒でなければ、ここに横たわっていたのは、僕の方かも知れないと思った。
 縦に並ぶ、いくつものプラットホーム。 果たして、乗り遅れた最後の客は、幸いなのか、不幸なのか。
 遠くの暗闇に、一筋の明かりが見えた。 電車の警笛が鳴り響き、金属製の車輪が路線を捉える音が、どんどん近づいた。
 それは、ほんの数両だけの短い電車。 乗客は誰もおらず、ただ操縦席に、運転手の他にもう一人、ガスマスクの軍人らしき人影が見えるだけだった。
 僕の目の前で、電車が止まる。
 乗るべきか、逃げるべきか。 これまでに、こんなに大事な決断を迫られる事は無かった。
 僕は、気を失い、ぐったりしている少年を抱きかかえ、開いている電車の窓に向かって声をかけた。
「この電車は、地獄と天国、どっちへと辿り着くんだ」
 顔中痣だらけになった運転手は、ニヤリと崩れた笑みを浮かべ、「行き先の片方はもうないよ」と答える。
 肩越しに、抱き締めた少年が、くすりと笑ったような気がした。



●《自己批評》
『某有名作品に酷似しているとか言われたが、あくまでも影響されたのは、「火垂るの墓」なんだよな・・・』


《魔城九龍 李九龍》 


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◎列車の警笛がなりひびき、金属製の車輪が路線をとらえる音が、どんどん近づいた。

『丘 の 河 童』


著者:国見弥一


 列車の警笛がなりひびき、金属製の車輪が路線をとらえる音が、どんどん近づいた。

 ああ、兄ちゃんがやってくる!
 あの列車には、あの兄ちゃんが乗っているのだ。我が家に遊びに来るんだ。


 いつのことだか、はっきり覚えていない。ボクがお袋に連れられてお袋の田舎に行った時のことだということは分かる。まだ保育所に通っていた頃のことだったろうか。
 細切れだけれど、何処か懐かしい風景を思い出せる。
 でっかい家で、垣根に囲まれていて、垣根の向こうには田圃や畑が何処までも広がっていて、なんだか、凄いところに来たなという感じがあった。

 ボクの家だって周りは田圃だらけなんだけど、その規模が違っていた。田舎じゃ、何処まで真っ直ぐ走っても、隣りの家には辿り着けないような気がした。少し霞んだ彼方には、鬱蒼と生い茂った森が見えた。
 森の中に一際、陰の濃い一角があって、誰に聞いたのか忘れたけど、あそこが「チンジュの森」だと教えられた。
 あの頃、ボクには「チンジュ」という言葉の意味が分からなかった。ただ、幽霊とか魂とかお化けとか、漫画か何かで見知った得体の知れないものを連想していたような気がする。

 お袋は、郷里にいて、のんびりしているようだった。お袋の姉妹たちや親戚の人たちが一杯いて、心置きなくお喋り三昧というわけ。まるで娘時代に帰ってしまって、ボクのことも、ほったらかしだった。
 お袋のお母さんやお父さんは、いたんだろうか、覚えていない。家の奥の座敷に居て挨拶したような気がするけれど、記憶はあいまいだ。

 兄弟姉妹は何人もいたけれど、ボクと同年代の子供はいなかった。みんな、ボクよりずっと年上か(といっても、四つか五つ程度だけど)、でなかったら、赤ちゃんだった。
 ボクは、年齢的に、ちょうどみんなの玩具にされる年頃だったようで、ちやほやされたり、何かというとお八つをくれたり、嬉しいんだけど、こそばゆい感じがして、なんだか面倒だった。

 そのうち、みんなに構われるのが嫌になって、特別興味もなかったのだけど、玄関に置いてある木彫りの動物たちを眺めていた。そこにはタヌキやらクマやらキツネなどの動物が並んでいた。
 中にはどうみても、裸の少年の彫り物もあった。

 見上げると壁に巨大な亀の甲羅が飾ってあった。ボクなんかより図体がデッカイ! 甲羅はワックスでも掛けられていたのか、顔が映りそうなほどにピカピカなのだった。
 
 すると、後ろから声が掛かった。
「それ、何か、分かるか」
 ボクは咄嗟のことで、返事できなかった。でも、内心は、答えが分かっていた。「カメ」って言いたかった。けれど、何故か口ごもってしまった。

「なんだ、知らないのか。河童だぞ」
「えっ、カッパ?」

 ボクは悔しかった。河童くらい、ボクだって知ってるさと言い返したかった。でも、内心、カメじゃないのっていう思いもあって、どう反応していいのか分からないでいた。

 お兄ちゃんは、ボクがためらっている間に、奇妙なことを言い出した。
「この河童、川にいた奴を似せて作ったんだぜ。ここに並んでいる動物は、みんなそうさ。近くの森にいる奴らを模したものなんだ」
「みんな?」
「ああ、みんなだ。山のほうへ行けば、クマもいれば、キツネもいる。河童も近所じゃないけど、いるんだ。裏の川を遡っていくと、河童の奴が棲みついている場所があるんだぜ」

 それから、おもむろに付け足した。
「お前、これ、カメだと思っただろ」
「そんな…」
「河童だなんて言うと、大抵の人は馬鹿にするから、カメに似せているけど、もともとは河童だったんだ」

 ボクは、河童は空想の動物だってことを聞かされていたから、あまりのことに驚いた。

「えっ、河童って、ホントにいるの?」
「いるさ。だから、ここにこうして置物になってるんじゃないか。俺んちの父ちゃんが捕まえたのさ。檻に入れてさ、殺しちゃう前に、記念だからって、得意の腕を揮って、木彫りの彫刻にしたってわけさ。河童の甲羅なんて、そのままじゃ、やばいからって、亀に似せたってわけさ」

 ボクは訳が分からなくなった。目の前の置物は、とても本物らしく見えた。足のヒレとか、頭の皿とか、細かなところまで掘り込んであって、どうみても、本物のカメそのものに思えていた。

「どうだ、河童、見てみたいと思わないか。それとも怖いか?」
 ボクは兄ちゃんの表情がなんとなく怪しくて、断りたかった。でも、あまりに魅力に満ちた誘いだった。男の意地もあった。怖がっていると思われたくなかった。知らず、頷いているのだった。

 裏の川は、さすがに当時のボクには無理だけど、中学生ほどになれば、飛び越せるような細い川だった。タニシとかをお兄ちゃんが獲ってくれたりしたこともある。
 その用水路のような川の土手沿いの道を、お兄ちゃんと二人、何処までも歩いていった。チンジュの森の奥へ分け入っていった。家がドンドン小さくなっていく。終いには深い木立にさえぎられて家が見えなくなってしまった。
 いつもは口数の多いお兄ちゃんが、何故か沈黙を守っていて、ひたすら先を急いでいるようだった。
 
 川はやがて、細い筋になっていったと思ったら、そのうちに林の中に呑み込まれていくのだった。これじゃ、どうやって河童が棲めるんだろう。勘の鈍いボクも、そんな疑問を抱いた。

 でも、林を分け入っていくと、すぐにそんな疑問は氷解した。
 突然、ゴーという水が激しく流れ下る音が聞えてきた。と思ったら、水しぶきの上がる渓流が眼下に見えたのだ。

 そう、ボクたちが辿ってきた筋は、もっと大きな川のほんの小さな支流に過ぎなかったのだ。

 崖の上にボクたちは上っていった。上流のほうを望むと、滝があった。高さはどれくらいだったろうか。ガキのボクには、迫力を感じるばかりだった。あまりに意外な景色に、呆然と見惚れていた。

「あそこが河童の棲み処さ」
 お兄ちゃんの声だった。
「えっ、何処?」
「あの滝壷の辺りに河童が棲み付いているんだ」

 ボクは、しばし、轟々と流れ落ちる水の迫力に圧倒されていた。
 水しぶきは夢の中で見た竜のような、蠢く巨大な蛇のような、不思議な生物となって、滝を落ち、水面と衝突し、白い噴煙を上げ、一気に破裂するのだった。
 光の加減なのか虹が出来て、それがまた水しぶきを竜の胴の鱗のギラツキに見えるのだった。

 兄ちゃんに促されるままに、滝の真下近くの岩場に立った。水しぶきが顔だけじゃなく全身をずぶ濡れにするのだった。
 水面は、巨大な竜の胴体をやすやすと飲み込み、深い深い水の底へと引き摺り込む。
 汚れのない綺麗な水のはずなのに、渦巻いていて、水面を覗き込んでも、水底など、まるで覗き見ることは叶わなかった。

「河童はな」と、お兄ちゃんは、滝の音に負けないよう、大声でボクに言った。
「この水底に棲んでるんだぜ」

 ボクは足が震えていた。今にも河童の奴が水面に顔を出し、それどころか手だって伸ばして、僕の足首を掴まえ、水の中に引っ張り込む、そんな恐怖を覚えてならないのだった。

「お前さ、河童って、どんな恰好してるか、知ってるか?」
「河童? 知ってる。図鑑で何度も見たことあるし」

 すると、兄ちゃんは、ふふふと不気味な笑いをするのだった。

「お前、勘違いしてるぜ」
「勘違い?」意味が分からなかった。

「あの、頭が皿で、ヒレがあって、背中にカメの甲羅みたいなのを背負った奴を河童だと思ってんだろう」
「そうじゃないの。ちゃんと図鑑で見たよ。空想の動物だって書いてあったけど…」

 ボクは、空想の動物ということを強調したかった。存在して欲しくなかった。そんなもの、見たくなかった。もう、帰りたい一心だった。
 すると、兄ちゃんは、また、ふふふと得体の知れない笑い声を上げた。

「何がおかしいの?」

 しばらく、奇妙な沈黙があった。滝の轟音ばかりが鳴り響いていた。

「お前に河童の正体を見せてやる」
「河童の正体?」
「そうさ。お前、ウチに裸の子供の彫り物があったの、覚えてるよな」
 そう、言いながら、お兄ちゃんは服を脱ぎだした。
 そして、真っ裸になった。

「ホントの河童は、オレなんだよ」
 そう言うと、兄ちゃんは、ボクの背中を押して、水面へ突き落としたのだった。
 そして、あとから兄ちゃんも飛び込んできた。

(ボクは丘の河童なんだ、泳げないんだ。溺れちゃうよ!)

 でも、水の中では声になるはずがなかった。ゴボゴボ、ガボガボという哀れな音がこもっているだけだった。

 水中には、ホントに河童がいた。兄ちゃんという河童が。兄ちゃんの魔の手がボクの足首を握って、水の底深く、引きずり込もうとしているのだった。

 それからあとのことは、何も覚えていない。透明なような、濁っているような、泡だらけのような、真っ白な雲の海のような、真っ暗闇な押し入れのような、高周波音の鳴り響く無音の宇宙のような、訳の分からない真っ赤な闇の時空を駆け巡っていた。

 気が付くと、ボクは、岩場の何処かに横たわり、青い空、白い雲を眺めていたようだった。が、すぐにまた、紅い闇の坂道を転げ落ちていった。
 そのあとは、何もかも真っ白になった。

 やがて気が付くと、大きな屋敷の奥の座敷に一人、寝かされていた。襖の向こうの、はるか遠くの茶の間からは、みんなの賑やかな談笑の声が聞えてきた。
 中でも、兄ちゃんの笑い声が、一際大きかったことをボクは覚えている…。
 
 あの事件のことは、兄ちゃんにはただの冗談だったのだろうし、とっくに忘れていることらしいけど、オレは決して忘れちゃいない!
 あれから6年。オレはもう、あの頃のガキなんかじゃない。

 オレは密かに誓っていた。今度はオレが河童になってやる。
 そして、兄ちゃんを…。



●《自己批評》
『泳げない恐怖。子供同士の戯れ。復讐。そして河童伝説。』


《無精庵徒然草 国見弥一》 


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◎そのあとは、何もかも真っ白になった。

『石。』


著者:真紅


そのあとは、何もかも真っ白になった。

――――――――――――――――――――――

喜びで真っ白になった僕は、石を握っている。
その喜びで、さっきまでうなだれるような暑さを感じない。
ランドセルの中の筆箱が、心臓と合わさる様にカチャンと音を立てる。
学校帰りに立ち寄った、この川原で拾った石。
灰色の、でも、不思議と透き通っているような石。
僕はその石を両手で包み込んだ。
時折強く、時折弱く。
石は冷たいまま、握る僕の体温を吸い取ってゆく。
だが、じわじわと温まっていく石が愛しく感じる。
僕はボコボコのその石に、頬を寄せる。
額から流れた汗が、石へと染込む。
そっと、渇いた口付けをした。
砂の味。
少し変わっているであろうその行為に、僕は何故か嬉しくなる。
そうだ、これはあの石だ。
僕の好きな本に出てくる、魔法の石。
きっとそうだ。
"賢者の石"なんだ。

――――――――――――――――――――――

公園で一緒に遊んでいた友人に見せる。
自慢するかのように石をかざす僕に、友人は尋ねる。
「その石は何?」
そらきた。
自信満々に、胸を張る。
そして、大きく息を吸って静かに僕は「賢者の石」と答えた。
すると友人はバカだ、と嘲笑する。
バカはお前だ、と悔しさで言い返す。
でも、友人の嘲笑は収まらない。
身体が恥ずかしさと、怒りで震える。
答えた時の僕の真面目な顔が、そんなに面白かったのか。
恥ずかしくなった僕はそこから逃げる。
逃げても逃げても聞こえるその笑い声に、僕は走りながら泣いた。

――――――――――――――――――――――

学校へ行く途中。
友人と会った。
まだ、昨日の事を笑い飛ばしている。
僕は嘘なんて付いちゃいない。
家に帰ってから、皆に話した。
ママにも、パパにも。
けど、誰も僕を信じない。
皆が、僕を笑う。
だって、昨日読んだんだ。
確かに本で読んだ。
僕は、読みかけの本を開く。
ホラ、意地悪そうな魔女が言っている。
「賢者の石はどんな願いでも叶えてくれる、不思議な綺麗な石だ」って。
「願いが叶う時、石は透明に光り輝く」って。
そうだ、これは賢者の石なんだ。
ホラ、その証拠にもう願いを叶えてくれた。
さっき願ったんだ。
ポツリ、呟く。
頬の涙の跡が、夕日に照らし出される。
「信じないナラ、死んじゃえ」
お返しに、ワラッテアゲル。
「バイバイ。」
僕の目には、先程まで嘲笑していた友人が駅のホームから落ちるのが映っていた。
その目は僕を捉えていた。
でも、次の瞬間真っ赤に僕の視界は染まった。

灰色の石はすでに透明に変わっていて、その真ん中から幾筋もの光を放っていた。



●《自己批評》
『お疲れ様です。
さて、レポートレポート・・・。』


《真紅 〜矛盾を愛する者〜 真紅》 


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◎灰色の石はすでに透明に変わっていて、その真ん中から幾筋もの光を放っていた。

『灰は虹に、ハートは灰に』


著者:AR1


 灰色の石はすでに透明に変わっていて、その真ん中から幾筋もの光を放っていた――それが、我が青春の始まり。
 彼の恋は中学三年の秋に訪れた。親の事情で春から転校を余儀なくされたため、親友と呼べる友人はなく、更に受験戦争真っ只中の進学校では、穏やかな空気など望むことはできなかった。もっとも、彼も受験戦争に巻き込まれている立場なので、精神的なゆとりはあまりないのではあるが。
 そのような緊張感漂う仁義なき争いの中に、一筋の春を見出した。彼女の名前は「桜」。3―B組である彼とは別のクラスの女子である。最初にその姿を目撃したのは、中学生最後の文化祭。彼のクラスは、飲食店の限られた枠を懸けた争奪戦に敗れてしまったため、他の出し物にせざるを得なかった。大抵、パターンは決まっている――よって、お化け屋敷に決定した。
 とはいっても、それは無難の選択肢というだけであって、少なくとも彼にとっては魅力的な出し物には映らなかった。役目が終わると同時に教室を抜け出し、グループを作るでもなく、所在なく校内一周ツアーを敢行するしかなかった。最近の学校には監視カメラが備わっているため、外からの侵入者だけではなく、内からの脱走者も監視しているので侮れない。
 結局、全ての教室の前を素通りし、3―B組の寸前まで辿り着いてしまったが、上履きの底が床に縫い付けられる。教室の中には入らなかったが、廊下の壁に貼られていた展示物などには目を通していたため、一時間ほどの時間を食ってしまっていた。小腹が減るのも無理はない。
 無意識の中の鉄の意思が足を踏み止まらせた理由は、休息と空腹の摂取を促す食材の芳香だった。恐らく……甘い匂いはホットケーキ。
 財布の中に少々の小銭が入っているのを確認すると、開け放たれている扉の内側に滑り込んでいた。窓際の机に陣取り、置かれているメニューに目を通す。無難なメニューには悩む暇などなく、即決でホットケーキとオレンジジュースのオーダーを入れた。コーヒーは匂いは好きなのだが、大人の苦味は舌に合わない。
 ホットプレートで生地に熱を入れている香ばしい音が耳に届く。学園祭の醍醐味は味ではなく雰囲気にあるのだが、そもそも独りで校内をうろついている時点で楽しさは半減、もしくはそれ以上の目減りを見ている訳である。ゆえに、なにも期待していることはなかった。
 これがいけなかったのかもしれない。塵あくたのような衝撃でも、枯れた草木にとっては生死を分ける重要な一滴であるかのごとく。
 ホットケーキとジュースをトレイに載せてやってきた女子の笑顔は、某ファーストフードのキャッチコピー――スマイル0円――など一蹴して捨てるほどの、意識が旅立っていきそうな輝き。
 後で知ったことだが、その女子は名前を「桜」といった。

 そのような思い出を引き出しから取り出したのは、卒業式当日だった。ろくに話をしたこともない、いよいよ姿を見ることもできなくなる。せめて最後に思いをぶちまけるくらいは……と、最後の勇気を振り絞る決意に迷いが生じるが、後ろには下げれない。プライドが許さない。
 ――それくらい、別にやったっていいじゃないか!
 玉砕覚悟の特攻は卒業式後に行われることが決定し、今は下駄箱の壁際で到着を待っている――ああ、小っ恥ずかしいのなんのって!
 一時間たっぷりと待たされて、ようやく桜は姿を現したのだ……ただし、男を伴って。初めての心境だった、自分の頭上に隕石が落ちて欲しいと思ったことは、受験勉強の最中にすら起きなかったのに。
 視界の中で第二ボタンを危機として受け取る桜の姿は、彼にはあまりにもおぼろげな映像だった。彼には「負け試合」という舞台すらも用意されなかった。なんたる結末。
 新たに生じた自覚症状を砕け損なった傷心に刻む――僕の世界は、これまで思っていたのとはちがう動き方をしているのかもしれない。



●《自己批評》
『時間がない、どうしよう。
 ↓
とりあえず、ジミヘンのVoodoo Childを聴きたくなる。

http://www.youtube.com/watch?v=cHgGTTPsvkw
 ↓
頭がお花畑に染まる。

 自分にも、なぜこういう展開が思いついたのか、よく分かりません。ただ、冒頭のフレーズに「石」と出てきたので、絶対に鉱物を直接出すのは禁止条件に放り込みました。

注)ストーリーとジミヘンとの関連性はなにもありません。』


《空想Explosion AR1》 


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◎世界は、これまで思っていたのとはちがう動き方をしているのかもしれない

『願望』

著者:おりえ


 世界は、これまで思っていたのとはちがう動き方をしているのかもしれない。
 青年は、自らに課せられた使命を思うと、そう思わざるを得ない自分に苦笑するしかなかった。
「何にも知らないあの頃のほうが、幸せだったのかもしれないな」
 そう口に出しては見るが、それはもう叶わないことだ。
 そうやって過去のことを振り返ることができるのは、「何も知らないでいた自分」を知っているということだ。
 知識を得た自分が無知であった頃の自分を憂いている時点で、記憶喪失にでもならなければ過去の自分になど戻れないことくらい、第三者でも指摘できること。
 知識というのは語弊があるかもしれない。正しくは感情というべきか。
 一度知ってしまったらもう後には戻れない。
 だから今更憂いたところで、今の自分の境遇に何ら変わりはないのだ。
「相手が悪かったんだ。別に今生の別れっていうんでもないんだろ? 元気だしなよ、兄ちゃん」
 川辺で呆けていれば、通りすがりの者が何の慰めにもならないことを言っては、青年の背を叩いて去っていく。他人事だからそんなことが言えるのだ。どいつもこいつも。
「あんたも王子様になりゃいいんだよ」
 ある時などは、そう言って青年の周りをぐるぐると周る男がいた。
「は?」
「王子様さ。俺がいつか見た王子様」
 男は何が面白いのか、青年の周りを走り続けた。
「金髪で、年端もいかないかわいい少年だったよ。なんでも広い世界を見てみたいと言って、家出してきたんだそうだ。だがやっぱりホームシックになっちまったんだろうなぁ。残してきた大事なひとがいるからってんで、無茶な方法でかえって行っちまったのさ」
「無茶な方法?」
「おうよ」
 男は息も切らせず青年に言った。
「自分の体を置いて、身軽になってかえっていったよ」
「帰れ」
 青年が一喝すると、男は「うひゃあ」とまるでマンガの台詞のような悲鳴をあげてすっとんでいった。その背中に向かって中指を突き立ててやりたい気分だったが、やめておく。
「そうしたい気持ちもなくはないけど」
 青年は苦笑する。
「君を抱きしめる体を置いて行くのはごめんだよ」
 だからこうして、おめおめと生きてる。


 その日は朝から機嫌がよかった。
 いつものように川辺に座っていると、青年の表情を見た道行く人が、ああと声をあげて、青年に微笑みかける。
「今日かい? よかったねぇ」
「ああ」
 青年も笑顔でそれに答えては、にこにこと川の向こうを見やる。
「人は年をとると、一日があっという間だなんて言うけれど、僕の一日は百年に値するね。この日が来るのをどれだけ待ち望んでいたことか」
「そろそろあの人も、あんたたちのことを認めてあげればいいのにと思うよ」
 青年に声をかけてきた女は、溜息をついた。
「周りに目が向かなくなっちまうのは、あんたたちくらいの年齢じゃ仕方のないことじゃないか。それなのに」
「要はね」
 青年は川から目を離さずに答えた。
「あの人は結局、子離れができていなかったってことなのさ。まだまだ手元に置きたいんだろうね。彼女は機を織るのがとても上手だったし、自慢の娘だったんだろう。僕に会うまでは親に反抗ひとつしたことがなかったって言うんだから、僕は憎まれて当然さ。僕と出会って機を織ることすらやめてしまったんだから」
「あんたもよく働くって評判がよかったじゃないか」
「ああ、まあね。彼女と会うまで、牛を追うことしか知らない哀れな男だった」
「そんなことはないさ」
「いいや。今思えばつまらない人生だったと思うよ。僕は彼女に会うまで、何かを美しいと思ったことはなかったんだからね」
 青年は照れることなくそう言うと、にやりと笑って見せた。
「まあ、いくら嫌がらせをされてもね、彼女が僕のものだという事実に変わりはないんだから、僕は案外余裕だよ。いずれあの人はいなくなる。それを思うだけで、黒い気持ちでいっぱいさ」
 それを聞いた女は、辺りを伺いながら早足で去っていく。青年は声をあげて笑った。
「いい加減僕も、強くならなくちゃね」
 川向こうから走ってくるその人を見つけると、青年は満面の笑みを浮かべて立ち上がった。
「元気だった?」
 伸ばした手に自らの指を絡めながら聞いてくるそのひとを見下ろし、青年は少し意地悪な気持ちになった。
「君に会えない時間、僕が元気だったと思うのかい?」
「あなたったら、どうしてそんなにひねくれちゃったのよ?」
「君のお父さんに言ってくれよ。善良な若者を不良にしたのは、間違いなく彼だ」
 彼女はくすくすと笑いだす。青年は改めて、美しいひとだと思う。
「このまま君とどこまでも行けたらどんなにいいかと思うよ」
「そうね」
 ふたりはかなわぬ望みを口にしては、一時の安らぎに心を震わせる。
 並んで川辺に座っていると、やがて大量の紙片がさらさらと流れてきた。
「ああ、今年もか」
「ええ」
 川を覆い尽くすほどのそれらを眺め、ふたりは沈痛な面持ちだ。色とりどりの紙片は、まるで魚のようにも見える。
「……君のお父さんは、最近どんな感じ?」
「んー、相変わらず。意地になってるんだと思う」
 彼女はため息をついて、こてんと青年の肩に頭を預けた。
「意地か」
「そう。ここまで来たら、もう後には引けないんだと思う」
「……ま、わかるけどね」
 青年はそう言うと手を伸ばし、流れてくる紙片を一枚つかんだ。



『せかいじゅうのひとたちが しあわせになれますように』




「うわっ」
「あー」
 紙片に書かれた文面を読むなり、ふたりはがくっとうなだれた。
「よりにもよって、すごいの引いちゃったね」
「これから忙しくなりそうだ」
 顔を見合わせ、肩をすくめる。
「でもこれを叶えたら、君のお父さんも僕らのことを、許してくれるんじゃないかな」
「どうだかね。何しろ頑固な人だから」
「ははは」
 青年は紙片をもう一度眺めた。
「だけど、そろそろこの状況にも飽きてきたところだからね。ちょうどいいかもしれない」
「……そうね」
 青年は立ち上がった。
「僕らがまだお互いを知らなかったころ、僕らは世界が変わることを知らなかった」
 彼女も、青年が差し出した手をつかんで腰を浮かせる。
「一年に一度しか会えない今ですら、世界はこんなにも変わり続けている」
「ええ」
「僕らも自分の力で、世界を変えていこう。もう動いていく世界を追うのはこれっきりだ」
「でも、このお願い事を叶えるのは大変そうよ」
「任せてよ」
 不安そうな彼女を安心させるように、青年は微笑んだ。




「僕はその方法を探すために、君のいる宇宙の反対側の川岸に、ずっと横たわっていたんだ」



●《自己批評》
『元ネタわかんなかったらすいやせん。』


《あるとくぺらせす おりえ》 


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◎宇宙の反対側の川岸に横たわっていたんだ。

『アストロポース』


著者:空蝉八尋




 宇宙の反対側の川岸に横たわっていたんだ。
 その一言を、父さんはよく僕に聞かせてくれた。
「三蔵法師さま」
 それが宝箱だったのか、オレンジだったのか、イルカだったのか、札束だったのか、人間だったのかすら判らなかったんだって。
 宇宙の反対側があるっていうことはね、宇宙の正面も、背面も、東も西もあるってことでしょう。
「三蔵法師さま」
 だから、宇宙は歩けるってことでしょう。

 ぼく、いつか宇宙を歩くよ。
 地球を足元に見下ろして、ぼくは星空を歩いて、父さんに会いにゆくよ。





「三蔵法師さまってば」
「なーによもう、るっさいなさっきから!」
 寝そべっていた砂から身を起こしすと、頭上で響いていた声の主が現れる。
 まるで獅子のような髪をなびかせている、眠そうな瞳の猿をにらみつけた。 
「あ、覚醒してたんですか。てっきりどこかと交信でもしてんのかと」
「君はいつから僕をそんな電波みたいな目でみるようになったんだ、んもうっ」
 相変わらずに表情ひとつ変えず、僕に視線を落とすゴクウの口元が、珍しく歪んだ。 
「何笑ってんの?」
「笑ったんじゃないですよ、なんていえばいいのかな……嘲る?」
「普通に酷いな君!」
 少しの悪びれもみせず、ゴクウは僕の隣に膝を抱えるようにして座った。
 砂丘が崩れ、小さく耳をくすぐる音が心地良い。僕はまた眠りの世界へおちそうになる。
「こんなノロノロと旅続けて、あとで絶対後悔しますよ三蔵法師さま」
「……どうしたのかな、今日は露骨に君の言葉がトゲだらけ……いやいつもだ、やっぱりいつも」
「だって、今日は一メートルも進んでないんですよ? この場所から!」
 そう言って彼は自分の足元を踏みつけた。虚しい音だけしか生まない。
「なーんか気に入っちゃったんだもん。いいじゃん、宇宙は広いんだし。時間も経たないし」
「それですよ、貴方が間違っているのは」
 僕はもう一度寝そべってから、ゴクウへ視線を投げた。
「どういう意味だい?」
 無意識に出した鋭い眼光にひるんだのか、ゴクウは下唇を噛む癖をみせる。
「永遠ではないんです。それに、辿り着く先もひとつではないんです。ひとつの場所へ到達したら、また行く場所が出来ます。その為に時間は必要でしょう?」
 酷く切実に乞う言葉だった。彼は思いつめた表情で続ける。
「いつか突然途切れてしまうことだってあるんですよ」
 
 すぐそこまで近くなった大きな太陽が、容赦なく燃える橙色の光を注ぐ。  
   
 巻き上げる風は軟風、蜃気楼の絶好条件はこれからも続く。

「いや、僕は別にいいんだよ。見つけたら、そこで終わりになったって」
「……見つけるってなにを、ですか?」
 僕は歯を並べて笑った。面食らったような顔が見える。 
「宇宙の反対側の川岸に横たわるもの」
「うちゅうの、はんたいがわ……ですって?」
 あまりに自然に言ってのけたことが信じられないとでもいうように、何度か口を動かして、なにかを言いかけている。
 僕はそんな彼の様子が子供のようにかわいくて、思わず微笑んだ。
「三蔵法師さま……いや三蔵ァ法師さま」
「今ちっさく“ァ”って言ったよね言ったよねなんだ阿呆師って」
「分かってるんですか? 宇宙の反対側の、川岸がどんなところか」
 僕はゆっくりとうなづいた。緩慢な動作に苛立ったように、ゴクウはその場に立ち上がる。

「それはもう、キレイな川なんだってねぇ。澄み切った緩やかな流れ、霧かかった霞み……素敵だろうねぇ」

 ゴクウは僕の腕を、力強くつかんだ。
 泣きそうな顔。
 力強い手のひら。
 なにかを自分の元へ必死で繋ぎとめておこうとする、動物の性。

「君も、行ってみたくはないかい」
「遠慮しておきますよ。生きていればいずれはたどり着く場所ではないですか」
「そうだね。だから、旅だってひとつも急ぐことはないのよ……」
 手の力がフッと緩んだ。心地よい熱が離れ、せき止められていた血液がまた循環を始める。
「三蔵法師さま。どうか、ひとりで行かないで下さいね」
「おやぁ、だって君は行きたくないんだろう?」
「その時がやってきたらですよ。こんな広い宇宙で、ひとりになるのはあまりにも寂しいです」
「じゃあ寂しくないように、手でも繋ごうか」
「誰が今って言ったこのもうろくジジィ!」
「ギャアッ、君だってさっき僕の腕つかんだくせにぃ! それに僕まだ若いんだけどォォ!」
 叩き落された手をさすりながら、僕は立ち上がった。つられたようにゴクウもその場に立つ。

「……さて、そろそろ出発しようかね」
 
 空を仰いでも、先ほどから一ミリも位置の変わっていない太陽しか見えなかった。
 そのあまりの眩しさに、目を細める。
「ではチョ・ハッカイとサゴジョウを呼んで来ましょう」
「え? 誰? その韓国アイドルみたいなのと数学式みたいなの」
「ァ法師さまの仲間じゃないですか忘れんで下さい」
「あっ!またちっさい“ァ”が! 仲間を忘れるわけないじゃないゴハンってば心配性」
「とりあえずアレですか両手から波動的なもの出していいですか」
 なにやら本気で世界中の皆からパワーを分けてもらえるような素振りをみせるゴクウから、僕は慌てて逃げた。
 首だけ振り返ると、彼は呆れた目つきで僕を眺め、そして他の二人を呼びに背を向ける。


 そして時間も経たないうちに、僕らはまたこの宇宙を歩きだすのだろう。
 行き先は、ひとつ。ひとつ以上は増える予定も、見込みもない。
 宇宙の反対側の川岸へ。
 そこへ横たわっているものを探しに。
 会いに。
 父さんに。




「三蔵法師さま。どうか、どうか、三途の川など逝かないで」


 
 
 それでも道は道なんだ。



●《自己批評》
『たたた楽しかったァー(満たされた笑み)
なんでか書く直前まで「やべーよコレぜってー書けねぇよもう駄目もう無理あーアンパン食べたい」的な雰囲気でしたが、なにかの奇跡かめっちゃ楽しく書けました(良かったね)
うん……夜中のせいかめちゃくちゃテンション高いぜカカロット。お粗末さまでした。

なんでこんなにオッス!なネタに走ったんだろうか(もはやネタ)
あ、キャラの名前か(今更だよ!?)』


《片翼てふてふ。 空蝉八尋》 


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◎それでも道は道なんだ。

『道の世界』


著者:知


「それでも、道は道……なんだよ?」
 私は彼の歩いてきた道を見ながらそう言った。
 その道は綺麗とはいえない。でも、例えどんな道であってもそれは自分自身で苦しみもがきながらも歩いてきた物であることには変わりはない。だから、受け入れなければ前には進めない……受け入れられないから、この世界に来てしまったんだけどね。

『暫く、一人にした方がいいかな』

 彼の様子を見てそう判断した私は彼のいる場所から立ち去った。


「ふぅ……」
 何もない真っ白な場所に戻ると私は大きく息を吐いた。
 あの時から――私にまだ感情が残っていることに気が付いた時から、この世界も様変わりした。何もない真っ白な空間ではなくなった。私のいる場所を除いて。この何もない真っ白な空間が私の原点だから。私のいるこの場所だけは変える気が起こらなかった。

「この世界に迷い込んできた人たちに、何かできることはないか」

 そう考えた瞬間、色々な情報が頭の中に流れ込んできた。
 この世界はあらゆる時間の情報を集めた世界。私はこの世界の管理人だから、私の意思次第で情報を使う事ができるということをそのときになって初めて知った。
 その中にはこの世界についての情報もあった。
 この世界について調べると、真っ白な空間を作り出したのは私だという事がわかった。
 この世界が初めから真っ白で何もない世界だったわけではない、管理人によって色々な形に変化していたようだ。
 歴代の管理人は様々な形でこの世界を管理していた。でも、一つだけ共通していた部分があった。
 それは、この世界を迷い込んできた人に合わせて変化するようにしていたこと。
 この世界に迷い込んでくる人は、元の世界に絶望した人。でも、この世界にずっといることはできず必ず元の世界に戻ることになる。しかし、元の世界に絶望してこの世界に迷い込んできた人が、元の世界に戻っても上手くやっていけるのだろうか?
 答えは凄く簡単。上手くやっていけるはずがない。この世界に迷い込む前と後で何も変わっていないのだから当たり前。
 では、私に何ができるのか……実を言うと、迷い込んできた人の悩みを解決する最善の策を調べることはできる。
 この世界はあらゆる世界のあらゆる時間の情報を集めている世界。それには迷い込んできた人にとっては未来の情報も含まれている。それを調べれば、どうすれば最善なのかすぐにわかるのだ。
 でも、私はそんなことをすることはなかった。最善だとしても、それが本当にその人にとって最善なのかわからないと思ったから。そして、何より、自分で悩んで選んだ道でないと最善ではないと思ったから。

 私はこの世界を迷い込んできた人の今まで歩いてきた道に変化するようにした。そして、その道を見ながら迷い込んできた人と話をするようにした。
 この世界に迷い込んできたという事は、元の世界を絶望してしまうようなことがあり前に進めなくなってしまったということ。
 なら、迷い込んできた人の背中をそっと押すことができないか、そう考えた時に思いついたのが、歩いてきた道を受け入れられるようにするということ。歩いてきた道を受け入れることができたら、前に進めるはずだから。

 これでよかったのか、まだ迷う時がある。最善策を調べる事ができるのだからそれを教えた方がいいのではないか、そう考えてしまう時もある。
 だけど、これでよかったんだって、そう思える部分もある。

 迷い込んできた人がこの世界から元の世界に戻るときの表情、それがこの世界に迷い込んできた時と違って、とても爽やかなものに変わっているから。



●《自己批評》
『MC vol.22の続きです。
はい、また続き物ですが何かw

今、24日の21時5分……時間がないので自己批評はこれで終わります。

実は言うと、時間がなかったので全く推敲していません。誤字のチェックをしていませんw』


《Liar's villa 知》 


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◎だけど、これでよかったんだって、そう思える部分もある。

《一茶の徒然なる日々 一茶》 

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◎ドサッという、いやな音がした。

『屋根の上から見えるのは』


著者:なずな


ドサッという、いやな音がした
・・いや、実際は聞こえたはずもない。

一瞬前まで、そう その直前まで、あたしは屋上に立って、校舎の影でいつも薄暗いグラウンドの隅っこ辺りを見ていた。
初夏の風が制服のスカーフをかすかに揺らす。きっぱりと青い気持ちの良い空が、頭の上広がっていたはずだけれど、
あたしはその時、真っ直ぐ下しか見ていなかった。
下向いたあたしの鼻先をかすめ、風に乗ってふわふわと舞う和毛(にこげ)を見たような気がして思わず目で追った。その時のこと。
くねりながら続く貧相な道の先、小さく見えるあの平屋の屋根の上から その人はつうっと・・落ちたのだ。
あっという間の出来事だった。

授業中の校舎からざわめきが一斉に起こり、うぉんと共鳴する。女子の悲鳴のようなものも聞こえる。
イスを立って窓際に行く者も多いのだろう、ガタガタと椅子の動く音で校舎の空気が揺れた。
─先生、救急車呼んだ方がいいんじゃねぇの?救急車!
─うち、近所なんだ、先生。心配だから 早退して見に行っていい?
授業中、何人の生徒が教師の声をBGMにして、どんなこと考えながら窓の外を見ていたのだろう。
退屈な授業を中断する事件。お祭り騒ぎに近い興奮。

─危ないとか、誰か先に気づけって・・相手は年寄りなんだから。・・っていうか、屋根上るなよ、頼むから。
あたしの足でも走れば、5分もかからない。
階段を一段飛ばしで駆け下り、ざわめく廊下を突っ切って、あたしは全速力で校門を抜ける。

カンザワのじいさん、略して「カンじい」が屋根から落ちた。
今日の学校は、転落事故の目撃談から始まって、区画整理と道路計画に一人抵抗し続けるカンじいの事、
かつて駄菓子屋だったカンザワの思い出話で一日が過ぎるだろう。
それとも・・屋根から落ちた年寄りのことなど、一瞬でみんなは忘れちゃうのかな。


「駄菓子のカンザワ」の消えかかった立て看板が見える前に、救急車の音が聞こえてきた。
どこにこんな沢山の「近所の知り合い」がいたのかと思うくらいの人集り。
「何ともないっつったら、何ともない!」
野次馬を掻き分けて前に進んでいると、懐かしい嗄れ声が耳に届いた。
よろよろしながらもカンじいが立ち上がるのが、人と人の隙間から見えた。
ああ、無事だった、あたしは安堵する。
それでも一応・・と状況を確認する救急隊員をぎろり睨みつけた後、カンじいはこちらを見た。
目が合った。
気が付くとあたしは野次馬を背にして、ぽっかりと空いた中心にいた。
自分でも意外だった。人の輪の中心で、あたしはカンじいと向き合っていた。

「おう、倫子、来たか」
あたしがが来ることを予想していたかのようにカンじいはにやりと笑う。
リンコの「コ」の音を微妙に濁らして、わざと「リンゴ」のイントネーションで言うのは昔と同じ。
「ふん、しょうがねぇな。冥途の土産に救急車でも乗ってやらぁ。倫子、一緒に乗んな」
ぐらりとよろけたのを誤魔化すように、あたしに手を差し出した。


「お孫さんですか?」
救急車の中で、搬送先の病院で、何度も聞かれて戸惑う。
「近所に住んでました。何年も前ですけど」
あたしの住んでいた家はもうとっくに取り壊されて跡形もない。
あの道沿いの区画の中でも比較的早い時期に、立ち退きをうちの両親は受け入れた。
母は結婚してすぐ、父の実家に渋々入っている。 
祖父母も亡くなった今、窮屈な思いをしたあの古い家を出るのは、母にとって、むしろ喜ばしいくらいだったろう。
校区を変えない近場への引越しは、母の父と私への精一杯の思いやりだったはずだ。
だけど、その引越しを境に、父と母はギクシャクし始めた。
もともとあった何かが、遠慮をなくして表面に顔を出したって言った方が正しいのかもしれない。
この辺りは、父にとっては子供時代を過ごした思い出の場所。
母にだって、同じような大事な思い出の場所が別にある。



駄菓子屋はとっくに畳んでいたが 立ち退きには最後の最後まで首を縦に振らず、
カンじいだけがそのボロ家に居座っていた。



強がって痛みをこらえていたのだろう。カンじいの骨にはひびが入っており、入院することになった。
着替えを入れた荷物を持って静子さんが病室にやって来たのは、その日の夕方近く。
「何で屋根なんかに上るのよ、歳を考えて頂戴、父さん」
カンザワが駄菓子屋だった頃、よく店番をしていた人だ。
うちの父と歳も近い静子さんを「お姉さん」と呼ぶのは、子供心に妙な気がしたが、
当時独身の静子さんは「おばちゃん」と呼ぶと、聞こえないふりをした。 
静子さんの見合い話にケチばっかりつけて ぶち壊し続けてるのはカンじいだったらしい。
カンじいが店を畳んだ年の秋、静子さんはこの辺りでは珍しく、近隣の小さな神社で式を挙げ
花嫁衣裳でカンザワの店先兼玄関からお嫁に行った。
白い着物、白粉の顔にくっきり赤い紅をさした静子さんが、古びた看板を名残惜しそうに見つめる様子、
玄関先、への字口で佇む カンじいの顔、
通りに待たせたタクシーまで、着物の裾を気にしながら、狭い道を静子さんが歩く姿、
古い映画の画面のように 今も思い出す。



「いい機会だから、もう駄々こねるのやめて。ねぇ父さん、退院したらあの家片付けてうちに来てね」
「駄々なんかこねとらん」
カンじいは ふんっと大きく鼻を鳴らし、布団を頭から被る。
ふううっとため息ついた静子さんは あたしに目くばせして、映画で外人がするみたいに片をすくめた。
「久しぶりね、大きくなったねぇ・・倫子ちゃん、駆けつけてくれたんだって?ありがとう」
年相応の貫禄みたいなものを身体につけた静子さんを、あたしは結構素敵だなと思う。
エステだ、ダイエットだ、とキリキリしているあたしの母より自然体でいい。
「結婚式の日以来かもしれないなぁ ほんとに久しぶり」
─父さん、嫁いだ者は簡単にに実家に来るもんじゃない・・って
帰ったら、機嫌悪くなるんだもの。行ったって、すぐに帰れ帰れって煩いし・・。
静子さんは 持ってきた花瓶に花を挿しながらのんびり笑いながら言う。
もう「おばさん」って呼んでも、怒らないかな。

立ち退きの話は静子さんが間に入って、ほぼ決まっているらしい。
身体を悪くしてしまっては流石のカンじいも、もうあの家には帰れないだろう。
「見納め・・のつもりだったのかなぁ、お父さん」
静子さんは、病院の大きな窓ガラスの外、並ぶ家の屋根を見ながら、ため息をついた。
大きなビルやマンションに隠れて、カンじいの家あたりは ここからは見えない。
「お父さんってね、子供の頃 叱られた時とかよく、あの屋根の上で泣いてたんだって」
「カンじいが?」
カンじいの子供の頃なんて、想像もできない。


「あれ、今日、学校は・・?」
さすがに授業中 屋上でサボってて、たまたま目撃した・・とは言えなかった。


ロシアンルーレット。
クラスで流行ってたその悪ふざけの あたしは今日ターゲットになった。
簡単なことだ。ターゲットが教室にいなくなった隙に、誰かの掛け声で机がどこかに隠される。
隠すといっても、モノは机、ただ少し移動するだけだ。
休み時間内に必ず見つかるし、ターゲット選びに深い意味はない。
誰かを集中的にターゲットする訳でもない。
あたしたちは「イジメ」だなんて思っていない。思ってなかった。

けれど、教室に入った瞬間の皆の視線の痛さ、沈黙の圧迫。忍び笑いに潜む黒い快感。
嫌だ・・あたしは嫌だ。
瞬間湧き上がったのは、ターゲットにされた事実に対しての悲しさとか辛さではなく、もっと もやもやした怒りだった。
今までこんなことをして喜んでいたことに対する どうしようもない自己嫌悪だった。
普通ならみっともなく机を探し回って元の位置に戻し、
「いやぁ、参っちゃう。焦った、焦ったぁ」なんて仲間に笑いかけ、
その後はテキトウな話題を振って、楽しげに装わなければいけない。
本当のイジメに発展するかどうかは かえってこの後の態度に関わっている。
解ってはいるのだけれど、笑顔なんか出なかった。
「もう よそう、こんなの嫌だ」
引きつった顔のまま、あたしは教室後にし、屋上へ続く階段を駆け上った。
最上階の踊場はいつも人気がなく、ひとりになりたい時あたしはよくここに来る。
珍しく屋上に出るドアのカギが開いていたので 新鮮な空気を吸いたくて外に出たのだった。
背中に投げかけられた誰かの声が 頭の中に繰り返し響く。
「自分がやられたからって、急に何、アレ?」





「静子のヤツは帰ったか、倫子?」
ぼんやり窓の外を見ていたら、眠っていると思っていたカンじいの声がした。
「うん、また明日って」


あたしたちが駄菓子屋によく行った頃は カンじいは勤め人を辞めて ぷらぷらしてた。
静子さんがいない時は店の番もして、気まぐれに子供の相手をする。競馬で勝って機嫌のいい時は、沢山おまけしてくれた。
子供たちの名前をもじって、おかしなあだ名を作っては カンじいはあたしたちをからかった。
その癖ちっとも覚える気がなく、たいていの子は毎回名前と学年を聞かれ、また新しいあだ名をつけられる。

「よく覚えてたね。あたしのこと・・」
「リンゴは、特別」
ウィンクのつもりなのか、カンじいは片目をしばしばさせて片頬で笑った。
─カンザワのおっちゃんはさ、昔はなかなか男前でお洒落だったんだ・・父が言ってたのを思い出す。
当時は奥さんが店をやっていて カンじいは結構遊んでいたらしい。
その奥さんも早くに病気で亡くし、静子さんを男手ひとつで育てたのだという。
─葬式では涙ひとつ見せなかったカンじいがさ、ひとり屋根上ってなぁ、泣いてんだ。
 本人、誰にも知られてないと思ってるらしいけどな。
吼えるみたいな泣き声は、近所一帯に 長い間響き渡っていたそうだ。
もしかしたら・・とあたしは思う。
もしかしたら、静子さんの結婚式の後も、カンじいこっそり屋根、上ってたのかな。


「あたしが来るって、何で思ってたの?」

「リンゴこそ何が見えたよ? 学校の屋上から」
「え・・そっちからも あたしのこと見えてたの・・?」
「おう、見えたぞ」
「何となく、下・・見てただけ。ふわふわって、猫か犬の毛みたいなの飛んできた」
カンじいは、その辺りに毛が飛んでるかのように 宙に視線を漂わせた。つられてあたしも何もない空を見る。
「生え変わりの季節だもんなぁ・・」
カンじいは、目を細めて笑う。
「ワシ、リンゴに向かって手ぇ振っとったんだがなぁ。 ふん、気付かなんだか。
 ほぉ・・・・そうか、そうか、猫の毛か」
何だか勝手に「猫の毛」って納得顔して、カンじいはひとり肯く。

「なぁ・・ベタのこと覚えてるか」
猫・・で思い出したのか、しばらくの沈黙の後カンじいはその話を切り出した。

そっけない扱いを見てる限り、取立てて可愛がっているようには見えなかった。
でも、夕涼みしながら一杯やるカンじいの横で おつまみを分けてもらって食べるベタや、
店先で寄り添ってうつらうつらする一人と一匹は「信頼しあった連れ合い」っていう感じだった。
子供たちにも警戒することなく近づき甘える様子から、カンじいはその猫を「ベタ」と呼んだ。

「屋根に上るとな・・あの交差点も見える」

カンザワの店から蛇行しながら続く道は あたしたちの通学路だ。
小学校も、中学も、大半の子が行く公立高校も同じ延長線上にある。
父や静子さんも同じ道を通った。もしかしたらカンじいも、ずっとあの道を通って学校に通ったのかもしれない。
交通量の多い国道と交差するところは、飛び出し事故が絶えず、今は地下道がある。
その交差点の真ん中に、茶色の雑巾みたいになったベタを見つけたのはあたしだった。

きゃあきゃあ騒ぐばかりの友達を無視して あたしは道路の真ん中に進み出てベタに近づいた。
何回か同じところを轢かれたのだろうか。
一部はもう生き物の名残もなく、そして一部はよりリアルに生き物であったことを主張していた。
ベタ、連れて帰るからね。
あたしに向かってクラクションが鳴り響いているのも聞こえなかった。

カンじいが来たのは、友達が慌てて知らせに行ったからだという。
「急ぎだか何だか知らねぇけど、五月蝿いんだ馬鹿野郎!今こっちの方が大事なんだ」
カンじいはクラクションを鳴らす車を大声で怒鳴りつけ、車の流れを強引に止めた。
そして、ベタを道路から引き剥がす作業を、カンじいはあたしから引き継いだのだった。

母が後で言ったように「さっさと役所に通報して『死んだノラ猫』を処分して貰い 自分は学校に行く」なんて絶対に嫌だった。
「だって あれはベタだもん」
警察と学校からも大目玉をもらったけど、あたしとカンじいは、その時そうしなくては駄目だったんだ。
店の前まで戻ると、カンじいは屋根に梯子かけてするする昇り、唖然として見てるあたしに手招きした。
こわごわ屋根の上に上るあたしのへっぴり腰を見て、カンじいは涙流しながら笑った。

心地の良い風が火照った体を気持ち良く冷ます。目の前に広がる夕焼けは見たことないくらい綺麗だった。
カンじいが黙って差し出したラムネを飲みながら あたしはやっとゆっくりベタの「死」について考え、踏み潰された小さな命のことを 絶対に忘れまいと思った。
時々鼻をすすっていたカンじいは 最後は近所に響き渡るくらいの大声出して泣いた。
ちりちりと炭酸が口の中ではじけ、鼻の奥がツンとした。


「ベタなんて名前じゃなきゃ、良かったかなぁ・・って思ってよぅ」
病院の窓から見える夕焼けを見ながら、今あたしとカンじいは同じ光景を思い出していたのだろう。カンじいは、詰まり詰まりそう言うと、しわくちゃの顔、もっとくちゃくちゃにして寂しそうに笑った。
「何だか 可哀想でよ。もっと強そうな、もっと固そうな名前にしときゃ良かった」
ベタの最期の姿を思ってのことだと、あたしにも解った。カンじいの中にもベタはずっといたんだね。
あたしは一息大きく息を吸ってから、カンじいに言う。
「そんなことないよ。ベタはさ、呼んだらにゃぁって返事したじゃない。結構気に入ってたと思うんだ。自分の名前」
ベタはベタだもん。
あたしたちの大好きだった、強くて、甘えん坊な猫。

「たかがボロ家、たかが道、かもしんねぇけどよぅ・・繋がってんだよなぁ・・色んなものに」
カンじいがぽそりと言う。屋根の上でカンじいは、今日そんな「色々」について考えたかったんだろうな。身体に多少無理してでも。

「リンゴ」
「何?」

「せっかく高い所上るんならさ、下ばっかり見てんじゃねぇぞ」
空を見ろ、景色を見ろ。ずっと遠くまで続く道を見ろってんだ。
道ってぇのはさ、後ろにも前にも、ずっとずっと先にも延びてるんだ・・カンじいはそう付け足して遠くを見やり
「・・吃驚するじゃねぇか、リンゴ、落ちる気かと思ってよ」
小さい声で言って、目をつぶった。
─大丈夫、落ちないよ。・・・自殺しようなんて、思わないよ。
言葉の意味をかみ締めながらあたしは答え、言葉にしたことで、何だか少しほっとした。
あたしが死んだら、カンじいは屋根でおおぅ、おおぅ、吼えるように泣いてくれるのかな。


「また 来るね」
カンじいに告げて、病院を後にした。
遠回りになってもいい、今日はあの道たどって、家に帰ろう。

あたしはまず、古いカンザワの立て看板、スタート地点に行く。そして歩き出す。
ベタが生まれた縁の下、小銭握って駄菓子選んだカンザワの店。
静子さんを見送った曲がり角。おしゃべりしながら歩いた通学路。ベタが轢かれた交差点。
夕日色の道。ちりちりはじけるラムネの味。
カンじいが、父が あたしが来た道。毎日行く道。
そして、これから 進む道。
あたしは、一歩一歩 踏みしめる。

数え切れないほど何度も通った道。
だけど今日は、何もかも、新鮮に思えるのは何故だろう。


●《自己批評》
『話を書くのも楽しいけれど、私は題をつけるのが好きだったりします。特に副題をつけるのが・・
これの副題(ボツ題?)は「あしたもあたしはあそこをあるく」です(長い!)』


《STAND BY ME なずな》 


∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞

◎数え切れないほど何度もとおった道だったにもかかわらず、何もかもが新鮮に思えた。

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


出題者:神楽崎ゆうさん
作品名:『ペンドラゴン 死の商人』 著:D・J・マクヘイル
正解者:無し

あう・・毎回コメントが私の修正依頼から始まってるように思います。
機嫌よく読み始める前にちょっと自分のを確認・・で、毎度 見つけてしまいます。

しょっぱなの
「と、その時、下向いたあたしの鼻先をかすめ」の「と、その時、」を削除願います。
また 色々出てくるかもしれません。
ごめんなさい。
さあ読もう。

2007.06.24 22:35 URL | なずな #mQop/nM. [ 編集 ]

ごごごごごめんなさいぃぃヽ(´Д`;≡;´Д`)丿
明日必ず提出しますから!((汗
遅れて申し訳ないですっっ!!

2007.06.24 23:01 URL | 神楽崎 ゆう #- [ 編集 ]













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