《 ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆ 星十六作品 》
Masquerade Vol.1掲載
◎この謎めいた、意味もないくせに胸を締め付けられるような奇妙な感情に、なぜこんなにも心をかき乱されるのだろう。
『Twin Dolphin』
著者:炎晶
タン タン タン と、小気味好く乾いた音が、俺の足元から伝わって来る。 だが、そんなリズムも外野の声も、今の俺の耳には邪魔なだけの雑音でしかない。
目の前に立ちはだかる壁のような敵陣は、俺の視覚では既に灰色に塗り込められたような存在となり、俺はただひたすらに視線を左右に送りながら、その世界の唯一のカラーである存在を探し求める。
「ガク!!!」
囲まれた壁の真横から一際高く、探し求めていたその叫び声が聞こえて来る。
瞬間、ノイズが消えて鮮明になる。 灰色の世界から飛び出した俺の世界の唯一の色は、俺の顔を見ながら一直線にバスケットボードへと向かって走り出す。
世界は途端に緩慢になる。 俺は一瞬壁の中で大きく沈み込むと、その反動を重力に逆らわせながら、身体を宙へと解放する。
いつもながら、何と言う面白い世界なのだろうと感嘆する。 誰よりも高く空へと浮いたまま、俺の持つボールがここへと飛んで来る事を信じて疑わないであろうそいつに向かって、俺は力一杯その矢を放つ。
「タカト!!!」
ボールは吸い込まれるようにして彼の掌へと納まり、右に左にと二回ドリブルが繰り返された後、そのしなやかな肢体はイルカのダイブのように跳ね上がる。
ボールは宙を駆け上がり、リングを軽く舐めた後、ネットを伝って床を叩く。 いつもの視覚。 いつもの世界。 この瞬間だけは、俺達以外誰にも入り込めない絶対領域だった。
瞬時、ホイッスルが体育館に響き渡る。 世界に、色と音が戻る。
賞賛と罵声。 歓声とブーイングの中、タカトは俺に向かって軽く微笑む。 俺もまた、その笑顔に向かって同じ表情を作る。 その瞬間、俺の胸の中に激しく込み上げて来る強い感情が顔を出す。 だが俺は、その想いを笑顔の下に隠したままで、タカトに向かって、「ナイスシュー」と声を掛ける。
次の瞬間、俺の背中がパンと鳴る。 タカトは、仮面を張り付かせたのままの俺の背中を掌で叩き、「ナイスパス」と低い小声で返しながら、俺の前を駆け抜けて行く。
背中に軽い痛みを感じながらも、強く激しい至福とそれ以上の寂しさを感じつつ、俺はタカトの背中を追って走り出す。
彼との間にこれ以上の近しさは有り得ないと判りながらも、それと同等に、絶対に越えられない大きな隔たりが存在している事も理解していた。 俺は、再び自分の元へと飛んで来たボールをタカトに向かって放ちながらも、自分が彼に届けられるのはこのボール以上は存在しないと言う事実を思い、途端に呼吸が苦しくなるのを感じてしまうのだった。
「・・・ってな感じで、複数のフェイントを使って、ボールは泉に集めて行く。 勿論、平原から泉への連携は攻撃の主軸として変わらずに・・・」
数学の教師でありながらバスケット部のコーチを兼任している三浦監督は、いかにも教師然としながらホワイトボードに書かれた攻撃の連携パターンを説明する。
俺は、その説明の中に度々名前の出て来る泉タカトの横顔を盗み見る。 色が浅黒く、目鼻立ちのはっきりとしたその横顔は、見る度いつも俺の感情を昂ぶらせる。
タカトは俺の横に座りながら、今もまだ口で荒く呼吸を繰り返している。 何しろウチの部の攻撃の要たる人間なのだ。 一緒に試合をしている俺からも、その運動量たるや半端なものでは無いのは見て取れる。
そんなタカトが突然俺の方へと向き直り、笑いながら俺の腕を肘で突付く。
瞬間、ドキリとする。 まさか、俺がずっとタカトを見ていた事に対しての非難かと思ったのだが、実はそうでもなかった。
「ガク、いい加減返事してやれよ。 いくら監督が嫌いだからって、いつまでも無視はマズいだろ」
その言葉にハッとしながら、俺はホワイトボードの方へと向き直る。 見ると三浦監督は、相変わらずの苦笑で俺を見ていた。
「平原ぁ。 今は数学の授業じゃないんだから、こっち向いて聞いてくれよ」
周囲に失笑が巻き起こる。 俺はその空気を乱さないまま、照れ笑いを返した。
再び、三浦監督の攻撃パターンの説明が始まる。 聞いていれば、大抵は俺からタカトへと繋げての、いつもの必勝パターンの応用でしかない。 しかしそれでもウチの部の勝率は高い。 自負する訳でもないが、俺とタカトの連携は相当のものだと思える。 俺からタカトへと渡ったボールは、いつもほぼ確実にシュートが決まるからだ。
俺はそれを誇らしくもあり、同時に畏怖もした。 もしも俺等の間にバスケットボールと言う存在が無かったとしたら、果たしてここまで近い存在でいられたのだろうかと言う恐怖だった。
俺がそんな事を思いながら、ミーティングの内容とは全く違う事を考えていると、突然そこへ違う声が割り込む。
「カントク〜。 いい加減、泉先輩と平原先輩のツートップで固めっぱなしは危険だと言う事は感じられないんですかぁ?」
周囲から、ざわりと声にならないざわめきが聞こえた。 俺もまた、その雰囲気と同化しながら眉を顰める。
隣でタカトが、「また奥田か」と言って笑う。 だが、当の本人である奥田ユウキは、いつもの如くに周囲の空気など読む事もせず、いかにも攻撃的なトーンの高い口調で異を唱える。
「いくら先輩二人が物凄ぇテクニック持ってたって、バスケなんて二人だけでやるもんじゃないでしょうに。 その内に、ヨソの学校に先輩二人の攻撃パターン読み切られますよ。 もしもそうなったら、幾通りかの攻撃しか持たないウチの部なんか一気に落ち込んじゃうと思うんですけどね」
それを聞いて監督の三浦先生は、苦笑をしながらホワイトボード用の黒ペンの尻で頭を掻く。
「奥田ぁ。 お前の言う事は尤もなんだが、あまりそう攻撃的に主張するなよ。 だからいつもお前は、泉と平原の二人と一緒に試合に出られないんだろうが」
どこからか、「そうだよ」とか、「少し黙れよ」とかも野次が聞こえる。 出来る事ならば俺自身、奥田に面と向かって文句を言いたい所だが、いつもそれをタカトが止める。 「確かに、アイツの言う事も尤もだ」と、納得したような事を言うからだ。
(気に食わねぇ)
俺は、一年歳下である奥田に背を向けたまま、心で思いっきりの不満を表す。 勿論、そんな不満は隣にいるタカトにすら聞こえる筈も無かった。
「やっぱ入るか」
タカトは、まだ汗の残る俺の肩に手を置きながら、俺の耳のそばでそっと言った。
見れば、俺とタカトの相手チームに、問題の奥田が顔を見せている。 俺は内心、強く舌打ちをする。 なにしろ奥田は、まだ一年ながらも、その主張が色褪せて来ないぐらいに腕前は確かだったからだ。
(荒れるな)
俺は、たかがチーム内での練習とは言え、そこに奥田が自分達とは敵対する形を取る以上、平穏無事に済む訳が無いと思ったからだ。
脱色している訳でもないのに天然の栗毛である奥田は、斜に構えて俺達を睨む。 性格がそのまま顔に出ているような目付きの鋭い奥田は、一体俺達にどんな怨み言を持っているのかと疑いたくなるぐらいに悪意ある視線を投げながら、試合開始のホイッスルを待った。
ボールが大きく宙に舞う。
制空権ならお手の物。 俺の掌は確実にボールを弾き、あらかじめ狙いを定めた味方の方へとそれを飛ばした。
いつものようにパスは繋がり、俺の元へとボールが渡って来ると、それを待っていたかのようにタカトは走り出す。
もはや絶妙とも言っていいようなタイミングで、俺はタカトの方へと向き直る。 その瞬間だった。 俺は横から弾かれたような格好でよろめいた。
俺の横を、ボールを無理に奪いながら、茶色い髪の奥田が駆け抜けた。
「反則だ!」 俺は叫ぶが、ホイッスルは無い。 奥田は俊敏なる足の速さで走り抜け、シュートを決めた。
「奴はとことん噛み付くつもりだな」
いつの間にか俺の横へと来ていたタカトは、いつものように笑い顔のままでそう言った。
「呑気な事言うなよ」
俺はタカトにそう返し、遠くで敵意剥き出しのままで笑う奥田を睨み付けた。
結局その日の練習試合では、奥田のチームには勝ち越したものの、俺は非常に歯痒い思いをしながら試合を終えた。
何しろ、かなり強引なプレイではあるが、俺からタカトへのパスは何度も奥田に阻まれた。
それはほとんど全て奥田一人によるものだったのだが、確かに奥田は、自分が主張して来た事を実践してみせたのだ。
「まぁ、いつもお前等のプレイは見ているんだから、そこそこ読まれても仕方無いじゃないか」
監督はそう言って笑ったものの、恐らくは誰の目から見ても、俺とタカトの連携は古くなりつつある事は確かだと思えた。
俺はその事実に、少なからずも不安を抱く。 もしも俺とタカトとの圧勝パターンが崩れようものならば、今あるタカトとの連携は、俺以外の誰かとの連携に置き換わってしまう危険性をもはらんでいたからだ。
俺とタカトは校門を抜け、次第に陽が短くなりつつある夕刻の坂道をのんびりと下り始める。 隣にタカトの存在を確認しながらも、何故か遠くにあるような距離を感じ、漠然とした不安のままで、まるで耳に入って来ないタカトの話を聞いていた。
「・・・で、どう思ってるんだよ。 ガクは」
突然に俺は、現実へと引き戻される。 ずっと流して聞いていた話の中に、俺の名前を呼びながらの質問が飛んで来たからだ。
「どう思うって?」
俺はとりあえず、無難な返答で誤魔化す。 するとタカトは、「ガクには好きな子いるの?」と、全く予期せぬ返事をする。
「はぁ!?」
俺は突拍子もない高いキーで、実に間抜けた返事をかえす。 目の前にある大真面目なタカトの顔を見ながら、俺は動揺して取り乱す。
「な、何の話だよ、タカト! 順を追って、もう一回説明してくれよ!」
「あはは。 だから聞いた通りだ。 D組のアサミだよ。 ガクはどう思ってるんだ? 好きか嫌いで答えてくれよ」
「・・・アサミ?」
俺は何とか動揺を鎮めると、ぼんやりとその名前の女を脳内でイメージして行く。 普段は別に、個人的はほとんど交流を持たない、俺達の部のギャラリーの一人である女の顔が浮かんで来た。
「あぁ・・・時々俺等に話し掛けて来る奴だよな。 ちょっと強気な感じの。 で、彼女がどうかしたの?」 俺が聞くと、タカトは一瞬間を置いて、クスリと笑う。
「ガクは本当に女に興味無さそうな。 少しは自分がどれだけモテる存在なのか考えてみたら? つーか、アサミな。 お前の事好きみたいなんだよ。 で、お前はどう思ってんのか聞いてみたかったんだ」
俺はそれを聞いて、再び間抜けな声を発する。 それは、あまりにも自分の思考の中には想定出来ていない言葉だったからだ。
もう一度、その名前の女の事を思い出してみる。 ストレートな長髪で、整った顔立ち。 いつも積極的に俺達に声を掛けて来る、俺にとっては少し苦手なタイプの女だった。
「あぁ・・・・・全く興味無いなぁ」 俺は本音でそう答えた。
「俺はあぁ言う強気のタイプは好きじゃないんだ。 それに、俺は女自体にあまり興味無いし・・・」
最後の方は、声が薄れた。 俺なりの、タカトに対しての精一杯のアピールだった。
「そっか」 タカトはその言葉には何も反応しないまま、朗らかな声で返事をする。
「ならいいや。 彼女にはそれとなく伝えておくよ。 つーか、少しは女の方にも目を向けろよ。 部活ばっかじゃあつまんない学校生活じゃん?」
タカトはそう言いながら、降り切った坂の下で手を上げ、俺とは逆の方向へと歩き出した。 俺はその背中に何も返す言葉は無く、黙ってその後姿を眺めていた。
(お前は今、どれだけ残酷な事を言ったのか判ってる? タカト)
俺はそんな言葉を視線で投げ付けながら、その間に横たわる絶対に埋める事の出来ない溝を、心から恨めしく思った。
「甘いよ、先輩」
声が聞こえたが最後、俺の足は空転するようにもつれた。
あっと思う暇すら無かった。 少しの間でも奥田から目を離せば、まるで魔法のようにボールは毟り取られていた。
特に、俺からタカトへと繋ぐパスなどは、まさに致命的だった。 奴は必ずそこにいた。 タカトへと直線で放るそのボールは、面白いぐらいに奥田にカットされていた。
休憩の声が掛かり、俺達はホワイトボードの前へと移動する。 「やられたな」と、タカトが笑いながらも渋い顔をする。
その時だった。 同時に集合しようとして集まり始めた赤いメッシュビブスの相手チームの間から、気になる声が聞こえて来た。
「・・・ユウキの指示通りで行けば、案外カタイかもな・・・」
咄嗟にタカトも、そっちの方向に目を走らせる。
(ユウキ・・・奥田ユウキか。 今度はチーム全体を俺達の阻止用に作り変えたか)
単にすばしっこいだけの奴じゃないなと、俺は少しだけ、奥田の存在を肌寒く感じた。
俺はいつものように、なるべく自然を装いながらタカトの横へと座る。 三浦監督は、いつものようにホワイトボードをペンで叩きながら説明をするが、俺の耳にはほとんど何も届かない。
タカトが少しだけ顔を斜めに逸らして上を向く。 見れば、体育館の二階の手摺りから覗く数人程の女生徒の姿があった。 そしてその中には、昨日のタカトとの話題に登った、アサミの姿もあった。
アサミはこちらを向いて微笑んでいた。 長く茶色い髪の毛が、サラリと手摺りの向こう側に流れるのが見えた。
確かに綺麗な女ではあると思う。 だがやはり、俺には興味が湧かない。 いや、むしろ俺は彼女に対して、何か危険なものを本能的に感じているぐらいだった。
「カントク! だからそれはもう、古いパターンだって気付いてくれよ!」
突然、いつもの攻撃的な甲高い声が、ミーティングの流れを遮った。 見れば、座りながらも身を乗り出している奥田だった。 奥田は、いつものように困った顔をする三浦監督に口を挟ませないような勢いで、次に控える他校との対抗練習試合の攻撃指示に異を唱えていた。
奥田は悪びれた顔すらせずに、堂々と、タカトと俺のツートップを非難した。
だが、今日ばかりは少しだけ雰囲気が違った。 それは、取り巻く周囲の空気。 今日の練習試合で、奥田の主張もまんざら間違ってはいないと言う見解も強まったのだろう。 特に、奥田と同じチームのビブスを付けた連中は皆、大いに頷かんばかりにしてその主張を聞いていた。
「良く似てるな」 隣でタカトが、ボソリと呟いた。
俺はタカトの方を向く。 するとタカトは、「アイツとアサミは、兄弟なんだよ。 あの強気で勝気な所は、そっくりだね」 と、笑う。
俺はもう一度、二階の手摺りの方を向く。 相変わらずそこには、こちらを向いて微笑む、茶色の髪の女がいた。
何となく、不吉なものを覚える。 何がどうと説明出来ないまま、俺は彼女のその微笑に、何か薄ら寒いものを感じたのだ。
「ガク・・・・・お前が彼女に興味無いって言うから、俺が彼女と付き合う事にしたよ」 彼女を見上げる視点のままで、タカトの声が俺の耳に届いて来た。
「彼女は最初から、俺とお前とどちらに告白しようか迷ってたんだ。 だから俺は昨日、お前に聞いたんだよ。 お前は本気で彼女に興味無さそうだったから・・・・・」
しばらくの間を置いて、少しずつ、そして確実に、俺の体内の血が引けて行くのが判った。
そして、いつもの灰色の世界が俺を取り囲む。 タカトの声すらも少しずつ遠くなり、見えるのはただ、上から笑顔を送る奥田アサミの顔と、エコー掛かって聞こえて来る、奥田ユウキの声だけだった。
「おい、ガクっ! お前一体、何を怒ってんだよ!」
後ろから駆けて来る足音と共に、タカトの怒鳴り声が聞こえた。
思った通り、タカトは俺の肩を強く掴んで振り向かせる。 俺はそれを力一杯振り払い、「怒ってねぇよ!」と嘘を吐く。
今はただ、タカトの顔を見たくなかった。 見てしまったら、泣き出さないでいられるだけの平常心を保っていられるだろうかと言う自信を持てなかったからだ。
「おい! なぁ、ガク。 話させてくれよ!」
「うるせぇよ! 放っといてくれよ!」
俺は、外履きの靴をまともに履く暇も無く、かかとを押し潰しながら早足で下足棚の間を抜けて行く。
本当は、駆け出してまでタカトから離れたいと思う気持ちで一杯だったのだが、その時の俺の精一杯の理性で、それを押し止めた。
タカトはそれ以上、追って来る様子は無かった。 ただその代わり、去って行く俺の背中にとどめをくれた。
「ガク、お前・・・やっぱりアサミの事好きだったんだろ? 俺が取っちまったから、怒ってんだろ?」
俺はその言葉に貫かれながらも、身体を半分だけタカトに向けて、目を瞑ったままこう言った。
「俺は・・・あの女には心から興味ねぇよ・・・」
もはや限界だった。 こぼれる涙は、校門に辿り着くまで持たなかった。
俺は今程、部活が遅くなって、人の気配が無い暗闇である事に感謝した事は無かった。
思えば、いつも俺はこんな調子だった。 いつもいつも、誰とでも、好きになって仲良くなって、そしてそれ以上は存在しないと言う現実に叩きのめされた。
どれだけ親密になって、どれだけ心を許し合えるような仲になっても、それ以上の感情を抱く事だけは許されないその現実。 例え、好きだと言葉に出しても、決して届く訳がないその前提に、俺はいつもいつも叩きのめされていた。
そして、ただ好きだけでは生きて行けない事も、好きになる方向性を変える事も出来ないままで、俺はいつも孤独さを感じながら苦しんで来たのだ。
(いつまで続くんだ、この地獄・・・)
俺はその日の帰り道、いつもとは違うコースを選んで、街灯の無い遠回りな道を選んで帰った。
秋の寒さすら、気にならなかった。 俺は、夜の道に向かってケモノのように吠えたい気持ちを押し殺し、頬の筋肉が痛くなるほどに、歯を食い縛った。
その週末に控えていた隣の区の高校との対校試合は、見事に惨敗だった。
俺自身がタカトに向かって上手いパスを繋げなかった事もあるし、二階のギャラリーから俺が一番聞きたくない女の声援が絶えず降って来た事もあるし、ベンチで見ている奥田の視線も、同じチームの連中が投げ掛ける俺とタカトとの連携への不信感も、全てはその原因だった。
だが、それ以上に原因だった事は、まさしく奥田の指摘の通りの事だった。
いつもはウチの部が圧勝出来る筈の相手にここまで惨敗を喫したのは、間違い無く俺達の戦略が既に読まれ、解析された後だった事を痛感したのだ。
俺とタカトは、その試合の後は、ただの一言も口を聞かなかった。
その後のミーティングでは、三浦監督がいつものようにホワイトボードの前で、その試合の反省点を挙げていた。
そしてそれと同時に、俺とタカトとの間に、決定的なる亀裂が生まれた。
「・・・従って、この前奥田に言われた通り、泉と平原のツートップは今日を以って解消する。 確かに奥田の言う通り、これからは違う戦略を考えて行かなくてはならない。 まずは泉、お前は明日から、後方からのパス練習。 そして平原は、今後は攻撃の要としてのシュートを中心に練習する事」
周囲の部員メンバーはどよめいた。 これも奥田の考えなのか、俺とタカトとのポジションが、完全に入れ替わる指示だった。
俺は、いつもとは違う遠くの位置から、横目でタカトの表情を盗み見る。 それは、初めて見る、タカトの焦りの表情だった。
「やっぱ平原先輩は、シュート向きだよ」
ボールを片手に持ちながら、奥田ユウキは唇の端だけを持ち上げるようにして笑った。
俺は既に百本近い程のドリブルシュートを単独練習しながら、ずっとそれを横で見ていた奥田に言われたのだ。
「そりゃどうも」 俺は不愉快さを隠すつもりもなく、奥田に向かってそう言った。
「つーか、お前だろ。 俺をこのポジションに推薦したのは? 一体どう言う根拠で監督にそんな進言したんだよ」
すると奥田は、ようやく元来の笑顔に戻ったか、まるで子供のような幼さの表情で俺に言う。
「その、先輩のタッパ。 そんだけ背がデカくて、そんだけ滞空時間の長いジャンプが出来るんだ。 何でいつも後方支援なのか疑問だったんですよ。 いや、勿体無かったんですよ」
確かに俺の背は高い。 それこそ、今まで攻撃の要だったタカトよりも、ここ数ヶ月で更に高くなっていた。
「だが、イキナリ通用するかよ。 それこそ付け焼刃じゃねぇのか? 別に俺のシュートでも構わないが、泉が後方ってのは大間違いだろう!?」
俺は自然に、怒鳴るような口調になる。 俺は咄嗟に、向こうのコートでドリブルの基礎を練習しているタカトを見た。 だがタカトは、まるでこちらは見ていない。 どうやら聞こえてはいなかった様子だ。
「・・・ふん。 別に聞こえてもいいじゃないっスか」 奥田は、まるで俺の思考を読んだかのように返事をする。
「別に泉さんがシュート打ったらマズいって言ってるんじゃないんですよ。 ただ単に、今までのウチの部は単調過ぎたって事です。 バカの一つ覚えみたいに、チョキだけでジャンケンに勝ちに行こうなんて思っている戦略に、大間違いだって言いたいだけなんですよ」
「じゃあ、お前が監督の戦略に取って代わるような攻撃陣、作れるんだろうな?」
俺は奥田に、掴み掛からんばかりに詰め寄った。
「勿論、出来ますよ。 但し、先輩二人が俺の指示通りに動いてくれる事が前提ですけどね」
そう言って奥田は、またいつものような冷ややかな表情で笑う。
(嫌な奴だ) 俺は心からそう思った。
「バスケは、頭脳だけでするもんじゃあないぞ」
俺は、言う。
「バスケは、精神論だけで成り立つものじゃないですよ」
奥田は、言い返した。
「ハイ、じゃあ、今月の目標として、一軍から三軍まで、この全ての連携を身体で覚え切る事。 一軍の主軸は俺が務めるので、どんな連携も全てその主軸の動きに反応する事」
もはや名実共に副キャプテンとしてその地位を占めた奥田は、三浦監督に成り代わり、ホワイトボードの前で、それこそ何十通りにも枝分かれした連携を説明する。
確かに奥田の戦略は、理に適った戦略に見えた。 ウチの部のように、あまりにも部員の能力が違い過ぎる構成だと、攻撃に移る際にはそれなりに敵陣としてのマーキングがし易くなるのだろう。
そして、それをカバーするのが、奥田の言う何十通りにも枝分かれしたフェイントなのだ。 つまりは、俺とタカトとの連携が主軸であると他校に読まれてしまっている今、今度はそれを囮にした攻撃こそがポイントだと説明しているのだ。
「そんじゃあ今日もいつものように、泉キャプテンはディフェンス中心。 平原先輩は、パスを受けたら速攻の練習。 他のメンバーは、遠レンジのシュート練習を強化する事。 ・・・で、いいスかね、キャプテン?」
奥田は無表情のままでいつものように、最後はキャプテンであるタカトに采配を手渡す。 そしてタカトもまた、全くの無表情のままで、「それでいい」とだけ返事をするのだった。
いつものように、一部の人間にとっては重苦しいだけでしかない練習が始まる。
部は、完全に奥田の指揮が中心として回っており、今まで通りのただ背が高いから一軍メンバーになれると言う概念も外れかかっている今、それなりに部員達の士気も上がっているのは見て取れた。
(完全に掌握されたな) 今更思ってみても、遅かった。 奥田は完全に、ほぼ大多数の納得を取れるような説得力と実力は持っていたからだ。
だが、今の俺にとっては、都合の良い部分もあった。 今以て会話も出来ない、顔も合わせ辛いタカトと、一線を引ける事が出来るのだけは幸いだったからだ。
「先輩。 今度は俺がディフェンスに入るんで、速攻お願いします」
突然に背後から声を掛けられる。 見ればそれはやはり、奥田ユウキの声だった。
「三番!」 奥田の指示で色んな場所から飛んで来るパスを受け取り、俺は奥田のディフェンスをかわしながらのシュートを続ける。
やはり奥田は嫌な相手だった。 背はそれほど高くはないものの、動きが機敏でちょっとでも気を抜けば、すぐにボールは奪われた。
(嫌な奴だ) いつものように、俺は思う。
「嫌な奴で結構ですよ」
奥田は、まるで俺の思考を読んだかのように、俺の前に壁を作りながらそう言った。
「俺の心が読めるのかよ」 俺が言う。
「声で出てないだけで、口がそう動いてますよ」 奥田が返す。
俺は瞬間カッと来て、ちょこまかとブロックをする奥田の動きを無視しながら、無理矢理に体当たりをするかのようにしてシュートを放った。
直線で飛び放たれたボールは勢い良くボードに跳ね返り、無理矢理な形でリングを通過した。
「おぉ」 と、周囲から声が上がる。 突き飛ばされたかのように尻餅を付いた奥田までもが、「やるぅ!」 と、目を丸くした。
「先輩、今のでいいんだよ。 先輩はその上背なんだから、競ったら大抵は当たり勝つよ。 先輩がパスするのなんか勿体無い。 ボール取ったら無理矢理速攻の方が分がいいんだ」
奥田は床に座ったまま、笑いながらそう言った。 俺は苦笑しながら手を差し出す。
だが奥田は、俺の手は握らないまますくと立ち上がった。 そしてまたいつものように無表情を作ると、パスの掛け声を上げた。
タカトが、無断のままで部を休んだ。
初日は気にもしなかったが、流石に三日もそれが続くと、心配になって来る。
「奥田。 俺が呼びに行くが、いいか?」
練習前のミーティングで、俺は言う。
「お願いします」
奥田は素直に返事をする。 俺は、練習用の服装のまま、体育館を後にした。
だが、タカトを呼びに行こうにも全く当てが無い事に気が付いた。 彼がいそうな場所を思い浮かべても、バスケット部専用の体育館か、部室しか浮かんで来ない。 それほどまでに、俺とタカトとの間柄は、部活だけで繋がっているのだと言う事を、改めて認識する。
とりあえず俺は、もはや暗くなり始めた校舎を歩き、タカトの教室へと向かった。
だが意外にも、タカトはそこに辿り着く前に見付かった。 それは、奥田アサミがいる教室の中だった。
俺は不用意にも足音には注意しないで歩いていたのだが、彼等には全く気付く様子は無かった。 何しろ、教室へと辿り着く手前から、二人の大声が聞こえていたからだ。
「好きだから、なんだって言うの?」 奥田アサミの声が聞こえた。
「何だよそれ! もう、俺の事に飽きたって意味か?」 続いて、タカトの声がする。
俺は教室の入り口に立ち、中からこぼれて来る二人の長い影を眺めながら、声と気配を潜める。
「こっちこそ、何それだよね。 私とあなたが付き合っているのは、今のあなたのポジションとは全く関係の無い事でしょう? 呆れちゃうわね。 私と付き合った事で自分の立場が悪くなったような言い方しないでよ」
「誰もそんな事言ってない! 俺は不器用だから、両方いっぺんには出来ないんだ。 だからこそ、お前を選ぶから部活は辞めるって言ってるんだよ! 何でそれが判らない!?」
グサリ。 心に何かが突き刺さる。
「あぁ、そう。 それは光栄だわ。 でも、辞める事無いんじゃない? 両方選べないなら私を捨てるべきだと思うけどね。 少なくとも、来年のインターハイが終わるまで待っててくれって言われたら、私は喜んで待つつもりだけど?」
「そんな約束したって、先の事なんか判らないじゃないか!」
「ふぅん・・・そんなに私って信用無いんだ。 ちょっと、今の言葉で冷めちゃったなぁ・・・。 なるほど、それじゃあ弟のユウキにポジション争いで負ける訳だ。 あなたって、クールを装っている割には中身は全然よね。 ただ単に自分が傷付きたくないだけで、無関心気取って逃げてるだけじゃない」
「何だよそれ!」 ドンと、机を叩く音がする。
「俺は、平原にも嫌われた! お前と付き合ったせいで、あんなに仲が良かった平原からも嫌われた! もはや部活に戻っても、俺には居場所が無い! そして今度はお前までもが俺の前から消えるのかよ!」
喉が、ぐぅと鳴った。
俺は、今ここで出て行こうかと思った瞬間だった。 俺の腕をグイと誰かが引っ張った。
「・・・・・奥田」
「先輩。 いいからここ離れよう」
「お前の姉ちゃん、お前にそっくりな」
「逆だよ。 俺がアネキの真似してんだ」
俺達二人は、部活をそのまま放っといて、タカト達の教室の入り口が見える中庭のベンチに腰掛けていた。
夕暮れの陽はここまでは差さず、Tシャツ一枚だけの俺達は、少し肌寒さを感じていた。
「泉・・・部活辞めちゃうんかな」 俺が言うと、奥田は、「アネキと付き合っている以上、それは絶対に無いでしょ」 と、返す。
「何でだよ?」
「だって・・・誰の目から見ても格好いい男じゃないと、アネキは受け付けない筈だもん」
俺は一つ、溜め息を吐く。 もはやタカトに対しての特別な想いはとうに捨てたと言うのに、この謎めいた、意味もないくせに胸を締め付けられるような奇妙な感情に、なぜこんなにも心をかき乱されるのだろう。 確かに奥田の言う通り、あんなみっともないタカトなど見たくもなかった。
「平原先輩、泉キャプテンの事好きだよねぇ」
「・・・うん」
突然の奥田の言葉に、俺は無意識で返事をしてしまってから、我に返る。 途端に耳まで熱くなる。
「知ってるよ。 だってこの前、先輩がキャプテンにとどめ刺されて、泣きながら校門出て行ったの見てたもん」 奥田は平然としながらそう言った。
「あぁー、言わない言わない。 言わないけど、みんななんとなく気付いてんじゃないかなぁ。 それとも、俺だけかなぁ」
俺は言葉に詰まる。 だが、詰まらせた当の本人である奥田は、呑気な顔で教室の方を見上げている。 二人は、一向に出て来る様子が無い。
「先輩、さぁ。 俺・・・アネキが好きだったんだ。 いわゆる、シスコン。 何でも物事ハッキリしゃべってさぁ、頭が良くて、合理的で、理論的。 冷酷なまでに結果重視。 俺はアネキこそが理想でさぁ。 ・・・好きだったんだ。 いつもアネキの一番でいたかった」
突然の独白に、俺は驚く。
今ここでそんな素直な言葉を並べるのは一体誰だと思って隣を見た。 だがそれは、やはり奥田ユウキそのものだった。
「アネキは、そうやって努力して来た俺を可愛がってくれた。 だから俺も、いつも頑張った。 アネキの望む俺でいようと努力した。 でも、どうしても俺達って兄弟なのな。 どれだけ密接にしていても、結局は兄弟以上にはなれないのな。 これだけ長い時間を掛けて信用を培って来たってのに、ほんの数ヶ月の知り合いに、その存在の全てを持って行かれちゃうんだもんな。 ・・・実際、頭来るよ。 アンタも、泉キャプテンも」
呼吸が止まる。 何事だと思う。 それはまるで、俺が感じていた鬱憤とトラウマ、そのものじゃないかと。
「俺はバスケ部なんか入るべきじゃなかったよ。 まさかそこで、先輩二人に恋愛感情持っちゃうアネキがいるなんて思いも寄らなかったからね。 あ、でも、俺が先輩二人を嫌いなのと、部活で厳しく当たるのとは全然別だからね。 基本的に、甘いんだよ二人共。 平原先輩はマシになって来たけど、キャプテンだけはまだまだ甘いね」
途端、周囲を校舎が取り囲む閉鎖的なる中庭に、灯りがともった。 見れば、空は既に濃淡な色に変わりつつあった。
(甘い・・・か) 俺は奥田の言葉を反芻しながら、可笑しくなって微笑んだ。 そりゃあそうだと、今更ながらに気が付いて、可笑しくなったのだ。
何も、自分の想いが伝わらないのは、俺だけの事では無かったのだ。
種類が違うだけで、誰でもそれは同じだ。 誰相手でも、対するのは人間。 結局は、好きになるのは他人でしかないのだ。
「・・・出て来た」 奥田が、ボソリと呟いた。
見れば確かに、暗くなった廊下に二人の姿が見えた。 早足で出て行く奥田アサミと、その後に続く、幽霊のような足取りの泉タカトだ。
「相当やられたな!」
「確かに!」
俺達は、そんなタカトを覗き見ながら、声を出して笑った。
「じゃあ、泉を部室まで連行だ。 手伝え」
「どうやって説得するんです?」
「無理矢理の力ずくでいい。 奴に考えさせるな」
「・・・了解しました」
その日俺は、今までにした事の無いような事をタカトにしていた。
嫌がるタカトをヘッドロックまがいに頭を腕で押さえ付け、奥田と二人で無理矢理に部室へと連れて行ったのだ。
バッと、まるでその効果音が聴こえてきそうな勢いで、前を走る奥田の左腕が上がった。
瞬時に、全員の動きが機敏に変化する。 タカトは後方のマークに付いて、俺は一気に駆け上がる。
すぐに、凄い勢いでパスが上がって来る。 特に、奥田からのパスは強烈だ。 タカトから来たパスが、ノードリブルで飛んで来る。
瞬間、世界が緩慢になる。 いつものスロー再生な世界がよみがえる。 音はぐにゃりと曲がり始めて、色は灰一色に塗り替えられて行く。
いつもの、俺だけの世界。 ただ、いつもとちょっと違うのは、そこにタカトがいないだけ。 唯一の有色であるオレンジ色のバスケットボールは、矢の如くに俺の眼前まで飛んで来る。
ズシリと言う重みを両手に受け止め、俺はふわりと空を仰ぐ。 上空には、綺麗な円形をしたリングが見えた。
イメージは、イルカ。 イルカのような、タカトのダイブ。 俺からのパスを受け、宙へと跳ねるタカトのイメージ。 ・・・そう。 まるで、波にさらわれ、高く舞い上がったサーフボードのような・・・。
音が戻る。 色が戻る。
タン タン タンと、ボールが足元を転がる。 誰もそれを拾おうとはしない。
「・・・どうした?」 俺はトリップから覚め、呆然として見ている周囲の連中に話し掛ける。
途端、大騒ぎが巻き起こる。 もう一回やってみせろと野次が飛ぶ。
俺は全くその騒ぎの原因が判らないまま、拾ったボールをバウンドさせる。 すると、赤いメッシュビブスの相手チームまでもが、上気したような顔ではやし立てる。
「これはイケるぞ!」
「やっぱスゲーよ、このチーム!」
皆が、浮かれたまま散開する。 俺は、訳の判らないまま自分のポジションへと戻る。
タカトが奇妙な目で俺を見ていた。 そして俺の後ろから、バンと背中を叩いて駆けて行ったのは、奥田ユウキだった。
「ナイスダンク! やっぱ先輩のジャンプだけは半端じゃねぇよ!」
ウィンターカップの地区選抜を目前に控え、部員全員は最初から気落ちしていた。
何しろ、予選の最初に当たるのは、前回の地区選抜で、決勝まで勝ち残った高校だったからだ。
皆が、どこまで通用すのかと言うレベルで会話している中、監督である三浦先生は、「絶対に大丈夫だ」と、訳の判らない理屈で皆を励ました。
練習は続いた。 奥田中心の攻撃パターンは、かなり全員に浸透し、更に攻撃的に感じられるようになって来た。 但しそれは、今一つ精彩を欠くタカトを除いての事である。
「タカトとお前の姉ちゃん、どうなってんだよ?」
俺は、奥田のディフェンスを押し退けながらそう聞いた。
「知らない。 毎晩電話だけはしているみたいだけどね」
奥田はそっけなく返事をする。
その返事に、まだ心のどこかで、微かにチクリと来る自分が情けなく思える。 既に、諦め切れたと思い込んでいる筈なのに。
「お前自身は、タカトをどうしたいんだよ。 ひたすらディフェンスばっかさせやがって」
俺が言うと、奥田は肩をすくめながら答える。
「さぁ。 俺はキャプテンの実力は買ってるけどね。 でも、あの人がやる気にならないと、そればかりはどうしようもない」
確かにそうだと思った。 奥田の攻撃パターンには、しっかりとタカトのシュートパターンも組み込まれている。 だがどうしても、タカトは前のようなシュートは打たなくなってしまったのだ。
タカトは一通り、奥田の練習には着いて来ている。 だが、自主トレーニングともなれば、決して自分からシュートの練習はしない。 気が付けばいつも、二軍相手のディフェンス練習ばかりだった。
「真面目にやれば、キャプテンだってダンク出来そうなぐらいのジャンプ持ってるのにね」
奥田はそう言って、皮肉った。 俺の心の中に、「俺のせいかも知れない」 と言う思うが横切って行った。
「アンタ、泉に対してちょっと厳し過ぎやしないか?」
俺はその彼女の自宅の玄関先で、目の前で驚いた顔をしている奥田アサミに向かって、開口一番そう言った。
「やぁ・・・マナブ、あ、ガク君って呼ばれてるんだっけ? 何だか凄くお元気そうで」
奥田アサミは、案外と顔に似合わないような慌て方をしながら、言葉をはぐらかした。
「うん、実に元気だよ。 君の弟クンのお陰でね」 俺はちょっとだけ怒気をはらんでそう言った。
「彼は優秀だよ。 嫌味で攻撃的だが、何故か周囲をやる気にさせるパワーを持っている。 だが、君と来たらどうだ? 彼氏一人すらやる気を出せないで、逆に落ち込ませてばかりいる。 言っちゃあ悪いが、とても君の弟クンが尊敬していた姉上だとは思えないね」
俺はアサミを怒らせようとしての台詞だったのだが、逆にアサミは、しばらく唖然とした後、突然に吹き出した。
「あらあら。 あなたは片方は正解だけど、もう一つは不正解。 タカトがやる気無いって? 大笑いだわ。 あなたには、彼のプライドの高さは知らないでしょう?」
俺は非常に不愉快な思いをしながら、冷え切った夜の街を急いだ。
先程、奥田アサミに、「タカトの事なんか、何も知らないクセに」 と、罵られた事に腹が立っていたのだ。
確かに、先に喧嘩を売ったのはこっちだ。 だが、ある程度予期していたとは言え、自分こそがタカトの特別な人間だと言う主張には、大きなショックと苛立ちを覚えていたのだった。
だがそれとは引き換えに、彼女からの情報を貰った。 今からそこへと行ってみろと、住所を書いた紙切れを手渡されたのだ。
見ればそれは、隣の街の体育館。 そこでタカトの練習が見られると言われ、俺は夜の街を急いで歩いているのだ。
辿り着いたのは、夜の九時を大きく回った時刻。 だが見上げれば、町営の体育館はまだ煌々とした明かりを窓から放っていた。
俺が窓口で、「見学です」と申し出ると、そのままその場を通してくれた。
暖房の利いたロビーを抜けて、俺は二階にあるバスケット専用のコートに急いだ。 するとそこには、いかにも大学生とおぼしき団体が、激しい練習試合をしていた。
(ここではないのか) 俺がそう思った瞬間、そこにタカトの跳ねる姿を見た。
物凄い勢いのパスを受け、タカトの姿は背の高い大学生達の壁を突き抜け、ドルフィンジャンプの如くに高く跳ねていた。
それは、俺からのパスを受けていた頃よりも、もっと高く、もっと綺麗に。 俺がイメージして飛ぶ昔のタカトのシュートよりも、ずっと華麗で美しかった。
(確かに俺は、今のタカトの事なんか、全く知らなかったな・・・)
俺は素直に奥田アサミの言葉を受け止めながら、そのままずっとタカトの練習風景を眺めていた。
夜も十時を過ぎ、汗を拭きながらコートを出て来る大学生の中に、タカトの姿は無かった。
どうやら彼はまだ練習を続けるらしく、日頃部活で練習しているトリッキーなドリブルから速攻のシュートまでを、連続でこなしていた。
俺はさんざ悩んだが、思い切って体育館の中へと入って行った。 しばらく気付かなかったのだが、ようやく誰かが入って来たのを感じて、タカトは俺の方に振り向いた。
「・・・・・ガク?」
タカトは、ぜいぜいと苦しそうな息をしながら俺の名前を呼んだ。 俺はぎこちない笑顔を浮かべながら、軽く手を挙げる。
「どうしたんだ、二人でこんな所まで」
(・・・二人?) 俺は疑問に思いながら後ろを振り向いた。 そこには、照れた顔をした、ジャージ姿の奥田ユウキが立っていた。
「どこから着いて来たんだよ?」
俺が小声で奥田の脇腹を突付きながらそう言うと、「ウチの自宅の玄関先で騒いでたクセに、それはないでしょ」 と、言葉を返す。 俺の方は、二の句を継げそうにない。
「アサミに聞いたのか」 タカトは軽くシュートを打ちながら、笑って俺達にそう聞いた。
「秘密の特訓だったんだけどな。 本番で度肝抜く為にさぁ・・・」
確かにそうなのだろうと思えた。 なにしろ先程までのタカトは、ここ最近の部活での練習とは、比べ物にならないぐらいに活き活きとしていたからだ。
「ガクのシュート見てさぁ、こりゃあ本気でヤベぇと思ったんだ。 勿論それまでにも秘密の特訓してたんだけどさ。 大学生に混じっての特訓は、本当にここ最近の事。 俺はガクがシュート打つの見ていて、本気で嫉妬してた。 ここで沈んではいられねぇってさ」
タカトは片手でボールを放る。 放物線を描いたボールは、音も立たないぐらいに静かに、リングのネットの中を擦り抜けて行った。
「心配すんな。 俺は足手まといにはならないよ。 しっかりと俺の役目果たすからさ」
タカトはボールを拾い、軽くドリブルをしながらそう言った。
俺の動悸が、少しだけ激しくなったのを感じた。 タカトが俺を見て笑うなどいつの頃以来だっただろうと考えながら、息苦しくなるのを感じた。
「あのさ・・・タカト。 いつだったかの帰り・・・ゴメンな。 訳も判らないまま嫌な思いさせちゃって・・・」
タカトはドリブルをやめると、ボールを持ちながら俺の方へと向き直る。
「あぁ・・・あの日の事ね。 結局アレは何の事だったんだ?」
俺は一つ大きく息を吸い込むと、覚悟を決めて返事をかえした。
「タカト。 俺はお前が好きだったんだよ。 ずっと。 だからこそ、お前が彼女に取られたような気がして、堪らなかったんだ・・・」
少しの間、沈黙が流れた。 タカトは全く俺の視線を外さないまま、俺を見返していた。
そして、笑った。
「なんだ」 タカトは笑いながらそう言った。
「なんだ、そうだったんだ。 ハハ・・・そうか、それで納得行ったよ。 いやいや、ありがとうガク。 俺もずっと、お前に嫌われたかと思って悩んでた。 その事で、アサミに食って掛かった事まであった。 ・・・悪かったな。 俺もお前が好きだよ。 誰よりも一番お前が好きなんだ」
まだ練習を続けると言うタカトを置いて、俺と奥田は体育館を出た。
奥田はすぐに、「今日は泣かないの?」 とでも皮肉るかと思ったが、全くそんな様子は見せなかった。
しばらくは二人きり無言で歩いていたのだが、学校が見えるすぐ傍まで来て初めて、奥田は口を開いた。
「ちゃんと言えたじゃん。 しっかりと通じたじゃん」
俺は、ふと、鼻で笑いながら返事をした。
「しっかりと通じているかは疑問だけど、少なくとも一歩前に進めたような気はしたよ。 今日はありがとうな」
「どういたしまして。 こちらこそ野次馬してゴメンね」
茶色の髪の奥田は笑った。 それは、いつか見た幼い笑顔のそれだった。
ガシリと音がするかのように、その場の全員の頭がぶつかる。
いつもの緊張感が漲った。 上目使いで、その場の全員の気迫を見て取れる。
しばらくの無言。 俺の右手は、右隣にいるタカトの背に回り、左手は、左隣にいる奥田ユウキの背に回り、二人の息遣いまでもが如実に判るぐらいの距離を持ち、俺達の円陣は無言のままでヒートアップする。
「とりあえず」 しばらくの沈黙を破り、タカトが呑気な声で言う。
「・・・勝ってみようか」
すかさず全員のブーイングが飛ぶ。
消極的だろうとか、もっと気合い入るような事言えよとか、笑いながらの罵声が飛んだ。
「良し、もう一回」 タカトは今度こそ真剣な顔付きで言った。
再び無言の気合いが入る。 俺の背に回されたタカトの掌が、ギュっと力を込めて俺の背中のシャツを握ったのが感じられた。
「ブっ倒す!!!!!」
タカトの叫びに続いて、全員の力の限りの咆哮が響き渡る。 隣にいた、地声の高い奥田までもが大声で吠えた。
予選の一回戦。 当たるは昨年の地区準優勝校。 我がメンバーは最初から、俺とタカトと奥田の入ったベストメンバーでの先陣だった。
「死にに行くような心境だな」
「むしろ死ぬか」
タカトと俺は、軽口を叩きながらコートを進む。 そして俺はいつものようにジャンパーとしてボールの前へ立つ。
(いよいよだな) 俺は、全ての視線が集中するのを全身で感じた。
相変わらず慣れないと思った。 どうせこのジャンプで試合の命運が大きく変わる訳でもないのに、今の俺個人の気持ちを素直に表現するならば、その後の試合のメンタル的な部分は、全てこのジャンプ一つで左右するとすら思えてしまうのだ。
見れば相手側のジャンパーは、俺よりも十センチは高いであろう程の長身。 しかも俺を見据えるその表情は、軽蔑と嘲りが混じったかのようなニヤけ顔。
(奥田に比べれば、まだまだ可愛い挑発だな)
俺はそう思いながら、湧き出る笑いを必死で堪える。 すると相手のジャンパーの顔付きが変わった。 どうやら、俺が笑いを堪えているのは、俺の挑発だと思ったらしい。
俺はその相手と向かい合わせで睨み合う。 まず、俺よりも身長が高いと言う事に腹が立ったが、そいつの上から見下げるような視線には更に苛立ち、俺はわざと上目遣いに笑って返す。 相手の表情から読み取れる怒りの心情は、更に大きくなった様子だ。
周囲の注目が、ボールを挟んで睨み合う俺達二人に集まるのを感じる。 全身に突き刺さるような視線を感じながら、俺の動悸は早まった。
(ブチ抜いてやる) 俺はそいつの目を見返しながらそう思った。
他人にしてみれば、つまらないプライドと思うかも知れない。 だが、俺にとってのこのジャンプは、相当に意味の重いものだった。
どの試合でもそうだった。 ジャンプで競り負けたクォーターは、大抵その後にも引き摺る。 俺にとって、この試合を始める時のジャンプとは、その試合の明暗を分けるぐらに重要なものなのだ。
審判の、ボールを持つ手がゆらりと沈む。 いつものように、一本の糸が切れそうなまでに張り詰めるような、そんな感覚が辺りを包む。
照明のまばゆい天井の高い室内で、オレンジ色のボールは高く舞う。 俺はそのボールだけに視線を集中しながら、全身のバネで宙へ飛ぶ。
ガシリとした感触を、掌の中に感じた。
(捕った!) 俺がそう思ったその次の瞬間、俺の腕は弾かれるように捻れ、ボールは力任せに俺の後方へと跳ねて行った。
着地と同時に、例えようもない屈辱が襲って来る。 それは滅多に無い事だけに、競り負けたと言うその事実には、相当に動揺を感じてしまう。
「上がれーっ!」
その瞬間、俺の背後から聞こえて来た声が、俺の右横を細かいドリブルで駆け抜ける。 それは、奥田ユウキの姿だった。
そして左隣からは、それ以上の早さで疾走するタカトの姿。 それは本当に、短い瞬間の一幕だった。
壁など見えていないかのようにして走り抜け、奥田は全力でボールを投げ付ける。 そしてその対角で、滑るように走っていたタカトの両手へと収まると、ボールはそのまま宙へと踊り出す。
俺は瞬間、我を忘れた。 まるで威嚇のように激しく打ち鳴らされながら、ボールはリングに叩き込まれる。 それは相手チームへの、過激なまでの挑発的なタカトのパワーダンクだった。
タカトは獣のように吠えながら、俺の顔を見て下品なポージングを決めて見せる。 その背後では、タカトに負けていないぐらいの高笑いで、相手コートを指差しながら走り出す奥田がいた。
俺はそれを見て、途端に身体中の血が逆流を始めたような感覚に襲われる。
(何て乱暴なジャムセッションなんだ)
そうして試合は始まった。 年の瀬も近付いた真冬だと言うのに、その時の俺は、耳の先まで熱くなっているのを感じていた。
「やっぱハンパじゃねぇな」 肩で息するタカトは、第一クォーターを終了して上がりながら、俺に一番にそう言った。
確かにそうだと思った。 気持ち良く、一方的なシュートを決められたのは最初の一本ぐらいのもので、流石は地区準優勝だと身体で理解出来そうなぐらいに経験値の高いチームだった。
得点は、十七対二十二で、五点の競り負け。 それでも俺達にとっては、必死の思いでもぎ取った十七点だった。
「それじゃあ、集まって下さい」 奥田ユウキが号令を掛ける。 俺達は少し鈍った足取りで、ベンチの前へと集合をする。
「第二クォーターもメンバー入れ替え無し。 いや、入れ替えるのはこの局面ではマイナスでしょう。 このままのペースで、まずは防ぎ切る」
奥田の話を聞きながら、「防ぎ切る」と言う言葉の中から、初めて見る消極的な奥田を感じ取る。 やはりこの勝気な奥田でさえも、厳しい相手だと言う事は判るようだ。
「次のクォーターで、俺は何とか相手チームのクセを読んでみせる。 とりあえず次のクォーターは、攻めよりも掻き回す方向で行こう。 ・・・と、その前にキャプテン?」
奥田は、タカトの方を向いて話し始める。 俺はなんとなく、あぁやっぱり来たかと感じていた。
「何でキャプテンは、俺の指示を無視して動いたんですか? 試合中、そんな場面が三回もありましたよね?」
それを聞きながら、タカトは肩をすくめて返事をかえす。
「それは悪かった。 でも、結果的には全部得点へと結び付いた。 アドリブで悪かったが、パスで回すよりも最良な選択だったって事じゃんか。 結果オーライって事で勘弁してくれよ」
「そうじゃない」 奥田は少し、怒気をはらんだ声でそう言った。
「結果じゃないんだ。 問題は、チームの統制を無視した事だ。 アンタは、自分がキャプテンだから許されるとか思っているのかも知れないが、アンタからそんな統制無視な事をしていたら今後のチームの動きの全てに支障が出て来る。 いくらチャンスだと言っても、これはチームでぶつかるゲームなんだ。 少しは肩透かし食らって呆れ目で見ている他のメンバーの事も考えてくれ」
奥田が言い終えると、流石のタカトも、ムッとした顔付きで睨み返す。 まだハーフタイムにすら差し掛かっていないと言うのに、嫌な雰囲気だと思った。
だが、俺としては奥田の言い分の方が正しいと思った。 確かにタカトは指示を無視しながら得点を重ねたが、俺の目から見れば、まるでそれは焦って取った考え無しの行動にすら見えた。
俺はその事をタカトに聞こうかと思った瞬間、インターバル終了のホイッスルが鳴る。
俺はなんとなく、二回席に見える同じ学校のギャラリー群を仰ぎ見る。 そしてそこに、手摺りから笑顔で見下ろす奥田アサミの姿を確認して、タカトの焦りはこの女のせいではないかと感じていた。
「一方的になっちまったな・・・」
俺の横を抜けて行った、同チームのメンバーの呟きが聞こえた。
俺は、向こうのリングの下を跳ねているオレンジ色のボールを睨み、次第に焦りから諦めに変わって行く自分の心情を感じていた。
得点は既に、二十五対五十八で、歴然たる差が見える。 もはやボールの保持もシュート数も、完全に相手チームに負け越していた。
向こうで奥田が、ボールをスローインするのが見えた。 奥田はまだ司令塔としての意地を持っているらしく、機敏に動き回りながら、攻撃のラインを繋いで行く。
(もはや無理だろう) 俺は心でそう愚痴る。
タカトは完全に、奥田の指示を無視していた。 あれほど長い期間を掛けて練習したパターンの全てをタカトは完全に無視しながら、我が侭なるプレイを続けているのだ。
お陰でチームの動きは完全に麻痺していた。 どれほど奥田が頑張って動き回ってみても、タカト一人の存在がパターンの無視をしているお陰で、他のメンバーの動きが躊躇してしまうのだ。
「俺に回せーっ! こっちへ回せーっ!」
タカトは叫ぶが、それが余計にチームの動きを惑わせる。
俺ですらそうだった。 命令系統が二つある以上、もはやパスの一つですら判断が鈍ってしまうのだった。
(早く終われ。 早く過ぎ去れ)
俺はもう、恥ずかしさと泣きたいような気持ちで、早くこの場から消えたかった。 これはもう、バスケットではなくてただの喜劇だと本気で感じていたからだ。
その瞬間、奥田からのパスが俺の方へと飛んで来た。 それはもはや、奥田ですらパターン無視のパスだった。
奥田の目は、「狙え」と俺に訴えていた。 俺は残り時間の少なさを感じながら、受けたパスのままスリーポイントを狙った。
自信は無かった。 思った通りに、ボールはリングに嫌われながら跳ね返った。
同時に、ハーフタイムを告げるホイッスルが鳴る。 助かったと思う気持ちと同時に、強烈なる惨めさが襲い掛かる。
その時だった。 ホイッスルの音に続いて、タカトが奥田に向かって非難の声を浴びせた。
「何であそこで俺に寄越さなかった? 俺に回していれば、確実に得点になっていた!」
奥田がそれを聞いて、顔色を変えるのが見えた。 あぁ、奥田も限界だなと思いながらも、俺の足は止まらなかった。 何かを言い掛けた奥田の肩を掴んで押し退けると、俺は黙ってタカトのシャツを掴み引き寄せる。
「今のお前は最低だ!」 俺は、タカトに噛み付きそうな勢いでそう言った。
「今のお前は大嫌いだ! どこの誰の目を意識してるのかは知らないが、そいつがお前一人目立つのを望んでいるのなら、お前等は揃って最低だ! そんな下らない遊びに付き合わされる俺等の気持ち、考えてみろ!」
ハーフタイムの間には、奥田の指示は挟まれなかった。
恐らくは、言っても無駄だと思ったのだろう。 奥田は顔にタオルを乗せたまま、ベンチで伸びていた。
異様な時間だった。 三浦監督は皆の前で、焦りを感じてパニックを起こしながら、訳の判らない格言を持ち出して精神論を並べている。 キャプテンであるタカトは、皆から外れた一番端で、頭からタオルを垂らしながら顔を隠している。 そして、俺を含む他のメンバーは、交代出来そうな顔を探しながら、ベンチのメンバーにそっぽを向かれていた。
又再び苦痛の時間が始まるかと思うと、心が挫ける。 バスケットとは、ここまで苦痛なものだったかと思っていた瞬間、体育館の入り口から聞こえて来た声に、俺は視線を向けた。
奥田アサミだった。 学校の制服のまま、体育館の入り口から、タカトの事を呼んでいた。
俺がタカトの方に目を向けると、流石にタカトも反応を示していた。 だが周囲の目もあってか、少し戸惑った後で、タカトは監督の作戦指示を無視してアサミの方へと向かって行った。
体育館の中から二人の姿が消える瞬間、勢い良く奥田ユウキは跳ね起きて、その後を追う。
「奥田っ! 元気なら指示代われっ!」
三浦監督の叫び声に、「良きにはからえ」 と、奥田は返す。
俺も咄嗟に奥田の背に続きながら、何か言いたそうな監督に向かい、「以下同文」 と、言葉を置いて追い掛けた。
二人は、他の球技施設へと続く、連絡通路のドアから出た、芝生の中庭に立っていた。
開け放たれた滑り戸に近寄りながら、俺と奥田は聞き耳を立てる。 すると、少し聞き取り難いが、確かに二人の声は聞こえて来ていた。
「バカじゃないの? 誰が単独プレイで目立ってくれなんて頼んだのよ?」
奥田アサミの声だった。
「どうせ勝てない。 なら、来年の試合に向けて、個人的な実力のアピールでもしておいた方がまだマシだろ」
もはやクールさの欠片も無い、弱気なタカトの声が続いた。
「嘘ばっかり。 どうせタカトの事だから、私が格好いいプレイを見せてって言ったのを取り違えたんでしょ」
アサミがそう言うと、タカトの返事は何も無かった。
俺はそんなアサミの言葉に、「あぁ、タカトらしい」 と感じ取った。
「どうにもあなたって、思考が一本槍なのよね。 言葉を言葉通りにしか捉えられない。 他人がどう思ってあなたに言葉を投げ付けるかなんて、あなたは全然想像とかしないタイプでしょ?」 アサミは遠慮も無しに、どんどん言葉を続ける。
「私があなたに格好いい所を見せてくれって言ったのは、あのチームのキャプテンとして、最高の本領を発揮した所を見せてくれって意味よ? 何も、単独プレイで沸かせてくれなんて言ってない。 大体あなた、弟のユウキをちょっと軽視し過ぎじゃないの? 姉の私から言うのは変だけど、あの子の凄さをあなたは全然認めようとしていないよね。 あの子は確かに口は悪いけど、物凄い計算力と経験の上で判断しているの。 年下の下級生から指示されるのはみっともないしプライドが傷付くのは判るけどね。 でも、他の人達が認めているように、あなたも少しは認めてあげたら?」
「やなこった!」
タカトは、アサミの言葉を強い口調で遮った。 隣で奥田ユウキが、ピクリとしたのを感じた。
「俺はお前の事は好きだが、奴はそうじゃない! 何もかも人の事をバカにしやがって! それまでにあった、和気藹々とした雰囲気まで壊して、最後には俺までチームの駒にしやがった! 知能プレイだか何だか知らないが、俺はアイツのバスケは認め・・・」
「じゃあもう、私と別れて」 今度は、アサミがタカトの言葉を遮る番だった。
「ユウキは確かに、人を見下したりバカにしたりするような口調でものを言うわ。 でも、それも計算ずくなの。 普段ならそんな事しないわ。 でも、あなたが言う和気藹々としたチームを一度壊す必要があったからこそそうしたんだと思うわ。 それにあの子は、全て私の真似をしているのよ。 態度も、言葉も、性格も、人から嫌われながら目的を達成しようとする不器用な所もね。 でも、その全てを認められないなら、私と言う人間もそのまま否定って事だよね。 ならもう私は、あなたの傍にいられる訳も無い。 今から消える。 それでいいよね?」
隣で奥田が、出て行こうとするかのように動き出す。 俺はそれを無理矢理引き留める。
「ヤツ・・・彼が君の真似だって?」 タカトは震える声で話し出す。
「俺から見たら、全然似てないよ。 君はいつでも俺の事を考えてくれている。 だがヤツはそうじゃ・・・」
「あの子は、入学してバスケット部に入った時から、いつもあなたと平原君の事を話してたわ」
アサミは言った。
「凄い先輩がいるって。 たった二人でバスケをしているかのような、物凄いジャンプ力を持った二匹のイルカがいるって。 そりゃあもう、毎晩夕食の度に語って聴かせてくれてたわ。 楽しそうに、嬉しそうに。 俺が今までやってたバスケの常識を、まんまひっくり返してしまうような先輩達だって」
どんよりと雲が立ち込めた、寒い冬の空だった。 俺の汗が次第に冷えて行き、それと同時に、ハーフタイムの残り時間が凄く気になって来ていた。
「彼があなたの事考えてないって? 大笑いだわ、あの子はあなた達の事ばかり考えてるのよ。 どうすればあなた達二人を活かしたバスケがプレイ出来るか。 どうしたらどんな強豪相手でもツートップで勝ちに行けるか。 恐らくは、毎晩毎晩考えている。 それこそ私が、あの子の姉であって、それ以上近付けない立場でいる事に腹立たしさを感じるぐらいにね」
俺はそれを聞いて愕然とした。 いつか学校の中庭で奥田が語った事と、それはまるで一緒だった。 姉と弟は、全く同じ諦めを持ちながら、お互いを嫉妬していたのだ。
隣で奥田が、呆けた顔でそれを聞いている。 一体、今の彼の胸中はどんなものなのだろうかと考えてしまう。
「私は、ユウキの姉である事に必死なの」 アサミはまだ続けた。
「私はいつも、あの子が私を見本として真似をしているのは知っていた。 だからこそ、いつも必死で努力して来たの。 勉強も、対人関係も、どんな勝負事でも。 彼は勝気な私が好きだから。 私も、何にでも勝ちに行くあの子が好きだから。 必死なのよ、あの子の姉でいる事にね。 私はいつまでも、ユウキの憧れでいたかった。 お姉ちゃん、お姉ちゃんと、慕っていて欲しかった。
だけど、何? 今までの長い長い時間で培って来たこの関係を、あなたと平原君が奪って行ったんじゃないの。 たった一瞬で、あの子の憧れはあなた達に代わった。 いつも私を呼んでた声が、あなたと平原君の名前に取って代わった。 ・・・酷いじゃないの。 残酷じゃないの。 どれだけ私が苦しんだと思っているの。 だからこそ私も、あなた達に興味を持った。 彼が魅力を感じたその二人って、どんな人なのかってね。
それなのに、タカト・・・あなたはユウキを無視するの? 二匹で跳ねるイルカの片方を無視するの? そして、これだけ嫉妬して、そして好きになった私も無視するの? それはちょっとあんまりじゃない。 あなたが私から離れたいって言うなら引き留めないわ。 でもその代わり、今までの私とユウキの時間をそのまま返して!」
アサミの、最後の方の言葉は、ほとんどヒステリックな叫び声だった。 彼女の普段の姿からしたら、想像も付かないような取り乱し方だった。
そしてしばらくの沈黙が続いた。 俺と奥田はどうしようかと迷ったまま、その場を動けずにいた。
「君は・・・ガクと付き合えば良かったんだ」 ボソリとタカトが話し出した。
「君は最初から彼が好きだった。 でも、ガクは君に対して何の気も無かった事を聞いて、俺が君に無理矢理・・・」
「そうじゃないじゃない」 アサミは言う。
「私は最初から、二人共好きだよって言ったわ。 本音は二人共、大嫌いだったけどね。 でもあなたは、二人共好きだよって言った事実を曲げて平原君に伝えたんでしょ? 自分の感情押し込めて。 だからこそ私は、あなたが好きだなって思えたの。 クール気取りながら、いつも平原君やチームのメンバーの事ばかり持ち上げて。
あぁ、私はユウキが興味持った事に顔突っ込まなければ良かったんだわ。 毎日ユウキの姿を見に言ってたのに、どう言う訳かこんな複雑な関係なっちゃって。
・・・それで、どうするの? 今後もユウキは全否定? それとも、少しは認める気になった?」
アサミは問い掛ける。 タカトはそれに対して一呼吸置くと、覚悟を決めたかのように返事をする。
「・・・認める。 いや、認めてはいるんだ。 だから今度は、素直になる努力をするよ。 だからさっきの別れ話は・・・」
「私は別れて欲しいなんて言ってない!」
「俺は、俺なりに必死だったんだよ。 どうすれば君が俺から離れないでいてくれるかと」
「ゴメンね」 アサミは言う。
「私もユウキと同じで、感情を態度に現すのが不器用なの。 何だか、激励しようとした事が裏目に出ちゃって・・・追い詰めちゃったみたいだね」
二人の声が止まる。 次の沈黙は、非常に長いものだった。
隣で奥田が、俺の脇腹を突付く。 俺もようやく我に返って、頷きながら体育館へと急いだ。
向こうで三浦監督が、審判に向かって何度も何度も頭を下げているのが見えた。 審判は、監督と腕時計を見比べながら、ずっと渋い顔をしていた。
「よお、ちょっとは軽くなったのか?」 俺が奥田にそう聞くと、奥田は笑いもしないで、「かなりね」 と返す。
「いい姉じゃん」 俺は続けた。
俺の言葉に、奥田は一瞬間を置きながら、「当たり前じゃん」と返す。 そうして奥田は、ようやく俺に笑顔を見せた。
タカトはまだ帰って来ない。 そろそろ三浦監督の粘りも限界かなと思った瞬間、体育館の入り口から、待ち人であるタカトが飛び込んで来た。
「お待たせっ!」
タカトは叫びながらコートの中に割り込む。
「遅ぇ!」 俺が罵る。
「やる気あんのか?」 奥田が愚痴る。 タカトは笑って答えない。
ホイッスルが高らかに鳴らされる。 再びゲームが動き始める。
得点差は、三十三点。 ただでさえ押されるぐらいの強豪に、返せる点だとは思えなかった。
(どこまでタカトは回復しているか) 俺はそればかりを気にしながら走り出す。
奥田にパスが回る。 奥田は機敏に壁をかわしながら、ゴールへの距離を縮める。 そして今度は、フェイントの後に俺の方へとバックパス。 俺とタカトの連携のパターンだ。 それを思った瞬間、同時にタカトが爆発的に駆け出した。
(来た!)
俺はいつものスローモーションが近付くのを感じながら、大きく波間から跳ねるイルカをイメージする。
目の前に、俺がジャンプボールで競り負けた、相手チームの長身の男が立ち塞がっていた。 だがそれすらも、今の俺の視界にはただの灰褐色な脇役でしかなく、邪魔だとばかりに視線を逸らすと、俺は音の曲がったその世界の中で、俺の名を呼ぶその、「有色」に向かって狙いを定めた。
(跳ねてみやがれ! タカト!) 俺は心の中の叫び声と共に、上空からのパスを放った。
一瞬置いて、うおぉと、観客がどよめいた。 破壊的な音が轟き、そしてそれに続く、ゴール真下でボールが跳ねる乾いた音。 世界が戻ると、そこには懐かしい雰囲気までもが戻っているような気がした。
意気揚々と上がって来るタカトに向かって、奥田は、「キャプテン! 後半はどんな作戦で行く?」 と聞くと、タカトは笑いながら、「巻き返せ!」 と叫んだ。
奥田が第二クォーターで言っていた、相手チームのクセを読むと豪語したのは本当だった。
間違い無く、相手チームは翻弄され始めて来た。 次第に制球率も上がり出し、目に見えて俺達のチームは試合を押し始めていた。
それは本当に微々たるものでしかなかったが、その事実は、地区準優勝校を押していると言う事実である以上、チームの士気にはかなりの効果だった。
奥田の攻撃パターンは実際の試合では非常に面白く、彼の性格そのままのように、相手チームにとってはトリッキー過ぎて全く行動が読めていないのが良く判った。
俺へとボールが回れば、無理矢理な速攻か、タカトへのパスの連携。 タカトへと回れば、どこからでもシュートを打って、相手の陣営を困らせる。 時には、俺やタカトのフェイントで全くノーマークの人間が飛び込み翻弄したりもする。
だが、その中で特に面白いのが、ゴール付近で奥田へとボールが回る瞬間だった。 奥田ユウキは相手チームには本当に嫌な人間に見えているらしく、彼にボールが渡った瞬間、相手のディフェンスラインが浮き足立つのが見て取れた。
どうやら奥田ユウキ本人も、そこが狙いだったようだ。 長い試合の時間の中で、自分にボールが回れば、相手チームの全ての注意が自分に向くと言う流れを作り上げたかったらしい。 そしてそれは成功していた。 ゴール付近で彼にボールが回りさえすれば、ほとんどそれは得点へと結び付けられた。
(あんな嫌なヤツの行動パターン、読めるものなら読んでみやがれ)
俺は内心、奇妙な可笑しさを感じながら、クソ生意気な奥田ユウキと言う存在を、心から頼りに思い始めていた。
「イける!」
コートを駆け抜けるその一瞬、誰かが呟く声が聞こえた。 それはまるで、俺達のチームの全員が心で呟くその言葉を、そのまま口に出してしまったかのような声だった。
点差は徐々に縮まりながら、それと同時に着実に時間も過ぎ去って行った。
(もう、タイムアップだな)
見れば時間は、第四クォーターも残り一分を切っていた。
遠い距離で、ボールは奥田にパスされる。
(あと一球・・・)
奥田は得意のトリッキーなドリブルで、コートを駆け抜ける。
(あと一球を・・・)
奥田のブロックに、相手チームが四人入った。
「あと、一球っ!」
奥田は叫び、壁の間からバウンドしたパスを俺に繋げた。
俺はそのボールを両手で握り締めながら、その一瞬にタカトの姿を目で探す。
「ガク!!!」
遠くから、探し求めていたその叫び声が聞こえて来る。
瞬間、ノイズが消えて鮮明になる。 灰色の世界から飛び出した俺の世界の唯一の色は、俺の顔を見ながら一直線にバスケットボードへと向かって走り出す。
世界は途端に緩慢になる。 俺は一瞬、取り囲み始めた壁の中で大きく沈み込むと、その反動を重力に逆らわせながら、イルカのダイブの如くに身体を宙へと解放させる。
いつもながら、何と言う面白い世界なのだろうと感嘆する。 誰よりも誰よりも高く空へと浮いたまま、俺の持つボールがここへと飛んで来る事を信じて疑わないであろうそいつに向かって、俺は力一杯その矢を放つ。
「タカト!!!」
スローモーションの中、俺の投げたボールを見ながらタカトは笑った。
ボールは吸い込まれるようにして彼の掌へと納まると、そのしなやかな肢体は、俺がイメージして跳ねるそれよりも、もっともっと高く綺麗に跳ね上がる。
(まさに、イルカだ) 俺は、思った。
ボールは宙を駆け上がり、リングを軽く舐めた後、ネットを伝って床を叩く。 いつもの視覚。 いつもの世界。 この瞬間だけは、俺がいつも憧れていた、誰にも踏み込めないタカトだけの空なのだと感じた。
俺が憧れ、俺の唯一だったその姿は、誰の期待も裏切らないまま、最後の一球を静かに沈める。
ゴールのホイッスルが、体育館に響き渡る。 世界に、色と音が戻る。 それに続けて、ゲームセットのホイッスルが鳴り響いた。
――― 試合は、終わった。
六十八対七十二の、その差四点の試合だったが、タカトの決めた最後の一球は、間違い無く俺達全員を沸かせ、歓声を上げさせた。
実に変な光景だった。 勝った筈の相手チームは呆然とし、ベンチのコーチは憮然とした顔で腕を組む。 それに引き換え負けた側のウチのチームは、共に抱き合ったり、手を打ったりしている。 三浦監督などは、ガッツポーズを高らかに掲げ、大声で選手を褒め称えていた。
俺はタカトの姿を探す。 するとタカトは、二階席から覗く奥田アサミに向かって、この上ない程の笑顔で何かを叫んでいる。 そして上から見守っていたアサミも又、その時ばかりは普通の女の子のような表情で、タカトに向かって拍手を贈りながら、何か返事をかえしていた。
その時ふぅっと、俺とタカトの間にあった目に見えない何かが、空中に溶けて無くなったような気がした。 そしてそれと同時に、いつもあれ程目立って見えたタカトの姿が周りの風景に溶け込んで、俺の世界の褪せた色の一つになった。
俺はようやく、彼との間にあった全ての特別な感情に、わだかまりなく諦めを付ける事が出来たような気がした。
もはや俺の存在にすら気付かなくなってしまったその背中に向かって、俺は一つ別れの言葉を呟いて、同じように背を向けた。
トーン トーンと、高くボールを突く音がする。 見れば向こうのコートには、孤独で無表情のままの奥田ユウキの姿があった。 彼は誰とも喜びを分かち合うつもりは無いらしく、無人になりつつある試合後のコートの上で、面白くもないと言った顔のまま、やる気もなさそうにボールを突いているだけだった。
俺は彼の傍まで行って、「勝ったな」 と声を掛ける。 すると彼もまた、「得点以外は圧勝だったね」 と言葉を返す。 そして奥田は、自慢のトリッキーなドリブルをしながら踊るように軽いステップを踏んでみせる。
俺はそれを見て、ちょっとだけ意地悪な気分になる。 ふと上体を沈めてボールを弾き、得意のボールを奪い取ってみせた。
「甘いよ、後輩」 俺が言うと、奥田は口を開けっ放しにしながら驚いた表情になる。
俺は、奪ったボールを左手で抱えて歩き出した。 奥田もまた、俺の隣を着いて来る。
「なぁ、先輩」 奥田は言った。
「そろそろ俺の、嫌な奴ってなレッテル剥がしてくれよ」
俺はそれを聞いて吹き出した。 あれだけ強気な性格をしていて、俺の言った一言を今まで引き摺ってたのかと可笑しくなったからだ。
「笑うし・・・。 俺だって、言われたら傷付くんだからね」
奥田は少しふくれた顔でそう言った。 俺はますます可笑しくなって、空いている方の右手で奥田ユウキの首に手を回し、いつかタカトにやったようなヘッドロックと同じように、彼の頭を締め付けた。
「バーカ。 俺はお前が好きだよ」
そう言って俺は、そのままの格好で奥田を引っ張って歩いて行った。
奥田は歩き辛そうに俺の腰の辺りにぶら下がりながら付いて来るが、無言のままで一向に振り解こうともしない。
俺が、一体どうしたんだと思った瞬間、奥田はその体勢のまま、小声で、「俺って泉先輩の代わりにはなれない?」 と聞いて来る。 俺はしばらくどう言う意味だと考え込むが、腕を解いて彼の顔を覗き込むまで、それがそう言う意味だとは全く気が付かなかった。
奥田ユウキは、腕の中で上目遣いに俺を見ながら、赤い顔でうっすらと目に涙を浮かべて、もう一度同じ事を言う。
「俺って、アンタの中の泉キャプテンの代わりにはなれないのかな」
俺は、こんな顔の彼をどこの誰にも見せたくなくて、もう一度強く右手で抱き締める。 そして奥田もまた、抵抗もせずに俺の脇腹の辺りに顔を埋めたまま歩いて行く。
今まで、虚ろになって痛む胸は何度も経験して来たが、満たされて激しく痛む胸の経験だけは、生まれて初めての事だった。
「・・・本気にすんぞ」
俺は言う。
「・・・本気で言ってんだよ」
奥田は返す。
再び世界に、色が戻った。
●《 受賞コメント 》
皆さんこんにちは。 仮面被ったままの炎晶です。 今回はこんな私の作品を選んで下さりまして、心よりの感謝です。
とりあえず、「何か書け」とか言われたので書きますが。。。 何を書きましょう?w
私はいつも作品を書くに当たり、大体のストーリーは決めてから書き始めます。 多少はズレますが、大体は構想のままに流れます。
だから書き終わった後でも、どこで苦労したとか、構想とどれだけ食い違ったかなどは思い出せます。 でも、今回のこの作品に限っては、全然思い出せないんですよね。 不思議な事ですが。
唯一思い出せるのは、私の知り合いには結構沢山いる、同性愛者の方々の苦悩。 その言葉。
皆、悩むんですよね。 ごく普通に種の保存の本能のまま異性を愛する人に恋してしまうと、それだけで片思いが決定してしまうと言うジレンマ。 好きなんだけど、好きなだけじゃあどんどん惨めになってしまう自分。 そこはどうしても書きたかった。 そこだけですね。 私が表現したかったのは。
そして私の主張です。 誰が、どんな人を好きになろうが、所詮は誰でも他人です。 性別や年齢、何もかも関係無く、誰であれ他人です。 だから、誰を好きになろうが、想いと一方通行な気持ちだけは変わらないんじゃないかと言う事です。
今回は、本当に勉強になりました。 どうもありがとうございます。
質問の答えを二つばかり。。。
私は普段、そんなにウケる作品なんか書いてませんよ?w 同時期に書いたSMC作品だって、ぜ〜んぜんウケなかったし。w
HNは、「ほむら・あきら」です。 あ、「えんしょう」でも結構ですよ? お好きなように。^^
《 炎晶 》
Masquerade Vol.1掲載
◎この謎めいた、意味もないくせに胸を締め付けられるような奇妙な感情に、なぜこんなにも心をかき乱されるのだろう。
『Twin Dolphin』
著者:炎晶
タン タン タン と、小気味好く乾いた音が、俺の足元から伝わって来る。 だが、そんなリズムも外野の声も、今の俺の耳には邪魔なだけの雑音でしかない。
目の前に立ちはだかる壁のような敵陣は、俺の視覚では既に灰色に塗り込められたような存在となり、俺はただひたすらに視線を左右に送りながら、その世界の唯一のカラーである存在を探し求める。
「ガク!!!」
囲まれた壁の真横から一際高く、探し求めていたその叫び声が聞こえて来る。
瞬間、ノイズが消えて鮮明になる。 灰色の世界から飛び出した俺の世界の唯一の色は、俺の顔を見ながら一直線にバスケットボードへと向かって走り出す。
世界は途端に緩慢になる。 俺は一瞬壁の中で大きく沈み込むと、その反動を重力に逆らわせながら、身体を宙へと解放する。
いつもながら、何と言う面白い世界なのだろうと感嘆する。 誰よりも高く空へと浮いたまま、俺の持つボールがここへと飛んで来る事を信じて疑わないであろうそいつに向かって、俺は力一杯その矢を放つ。
「タカト!!!」
ボールは吸い込まれるようにして彼の掌へと納まり、右に左にと二回ドリブルが繰り返された後、そのしなやかな肢体はイルカのダイブのように跳ね上がる。
ボールは宙を駆け上がり、リングを軽く舐めた後、ネットを伝って床を叩く。 いつもの視覚。 いつもの世界。 この瞬間だけは、俺達以外誰にも入り込めない絶対領域だった。
瞬時、ホイッスルが体育館に響き渡る。 世界に、色と音が戻る。
賞賛と罵声。 歓声とブーイングの中、タカトは俺に向かって軽く微笑む。 俺もまた、その笑顔に向かって同じ表情を作る。 その瞬間、俺の胸の中に激しく込み上げて来る強い感情が顔を出す。 だが俺は、その想いを笑顔の下に隠したままで、タカトに向かって、「ナイスシュー」と声を掛ける。
次の瞬間、俺の背中がパンと鳴る。 タカトは、仮面を張り付かせたのままの俺の背中を掌で叩き、「ナイスパス」と低い小声で返しながら、俺の前を駆け抜けて行く。
背中に軽い痛みを感じながらも、強く激しい至福とそれ以上の寂しさを感じつつ、俺はタカトの背中を追って走り出す。
彼との間にこれ以上の近しさは有り得ないと判りながらも、それと同等に、絶対に越えられない大きな隔たりが存在している事も理解していた。 俺は、再び自分の元へと飛んで来たボールをタカトに向かって放ちながらも、自分が彼に届けられるのはこのボール以上は存在しないと言う事実を思い、途端に呼吸が苦しくなるのを感じてしまうのだった。
「・・・ってな感じで、複数のフェイントを使って、ボールは泉に集めて行く。 勿論、平原から泉への連携は攻撃の主軸として変わらずに・・・」
数学の教師でありながらバスケット部のコーチを兼任している三浦監督は、いかにも教師然としながらホワイトボードに書かれた攻撃の連携パターンを説明する。
俺は、その説明の中に度々名前の出て来る泉タカトの横顔を盗み見る。 色が浅黒く、目鼻立ちのはっきりとしたその横顔は、見る度いつも俺の感情を昂ぶらせる。
タカトは俺の横に座りながら、今もまだ口で荒く呼吸を繰り返している。 何しろウチの部の攻撃の要たる人間なのだ。 一緒に試合をしている俺からも、その運動量たるや半端なものでは無いのは見て取れる。
そんなタカトが突然俺の方へと向き直り、笑いながら俺の腕を肘で突付く。
瞬間、ドキリとする。 まさか、俺がずっとタカトを見ていた事に対しての非難かと思ったのだが、実はそうでもなかった。
「ガク、いい加減返事してやれよ。 いくら監督が嫌いだからって、いつまでも無視はマズいだろ」
その言葉にハッとしながら、俺はホワイトボードの方へと向き直る。 見ると三浦監督は、相変わらずの苦笑で俺を見ていた。
「平原ぁ。 今は数学の授業じゃないんだから、こっち向いて聞いてくれよ」
周囲に失笑が巻き起こる。 俺はその空気を乱さないまま、照れ笑いを返した。
再び、三浦監督の攻撃パターンの説明が始まる。 聞いていれば、大抵は俺からタカトへと繋げての、いつもの必勝パターンの応用でしかない。 しかしそれでもウチの部の勝率は高い。 自負する訳でもないが、俺とタカトの連携は相当のものだと思える。 俺からタカトへと渡ったボールは、いつもほぼ確実にシュートが決まるからだ。
俺はそれを誇らしくもあり、同時に畏怖もした。 もしも俺等の間にバスケットボールと言う存在が無かったとしたら、果たしてここまで近い存在でいられたのだろうかと言う恐怖だった。
俺がそんな事を思いながら、ミーティングの内容とは全く違う事を考えていると、突然そこへ違う声が割り込む。
「カントク〜。 いい加減、泉先輩と平原先輩のツートップで固めっぱなしは危険だと言う事は感じられないんですかぁ?」
周囲から、ざわりと声にならないざわめきが聞こえた。 俺もまた、その雰囲気と同化しながら眉を顰める。
隣でタカトが、「また奥田か」と言って笑う。 だが、当の本人である奥田ユウキは、いつもの如くに周囲の空気など読む事もせず、いかにも攻撃的なトーンの高い口調で異を唱える。
「いくら先輩二人が物凄ぇテクニック持ってたって、バスケなんて二人だけでやるもんじゃないでしょうに。 その内に、ヨソの学校に先輩二人の攻撃パターン読み切られますよ。 もしもそうなったら、幾通りかの攻撃しか持たないウチの部なんか一気に落ち込んじゃうと思うんですけどね」
それを聞いて監督の三浦先生は、苦笑をしながらホワイトボード用の黒ペンの尻で頭を掻く。
「奥田ぁ。 お前の言う事は尤もなんだが、あまりそう攻撃的に主張するなよ。 だからいつもお前は、泉と平原の二人と一緒に試合に出られないんだろうが」
どこからか、「そうだよ」とか、「少し黙れよ」とかも野次が聞こえる。 出来る事ならば俺自身、奥田に面と向かって文句を言いたい所だが、いつもそれをタカトが止める。 「確かに、アイツの言う事も尤もだ」と、納得したような事を言うからだ。
(気に食わねぇ)
俺は、一年歳下である奥田に背を向けたまま、心で思いっきりの不満を表す。 勿論、そんな不満は隣にいるタカトにすら聞こえる筈も無かった。
「やっぱ入るか」
タカトは、まだ汗の残る俺の肩に手を置きながら、俺の耳のそばでそっと言った。
見れば、俺とタカトの相手チームに、問題の奥田が顔を見せている。 俺は内心、強く舌打ちをする。 なにしろ奥田は、まだ一年ながらも、その主張が色褪せて来ないぐらいに腕前は確かだったからだ。
(荒れるな)
俺は、たかがチーム内での練習とは言え、そこに奥田が自分達とは敵対する形を取る以上、平穏無事に済む訳が無いと思ったからだ。
脱色している訳でもないのに天然の栗毛である奥田は、斜に構えて俺達を睨む。 性格がそのまま顔に出ているような目付きの鋭い奥田は、一体俺達にどんな怨み言を持っているのかと疑いたくなるぐらいに悪意ある視線を投げながら、試合開始のホイッスルを待った。
ボールが大きく宙に舞う。
制空権ならお手の物。 俺の掌は確実にボールを弾き、あらかじめ狙いを定めた味方の方へとそれを飛ばした。
いつものようにパスは繋がり、俺の元へとボールが渡って来ると、それを待っていたかのようにタカトは走り出す。
もはや絶妙とも言っていいようなタイミングで、俺はタカトの方へと向き直る。 その瞬間だった。 俺は横から弾かれたような格好でよろめいた。
俺の横を、ボールを無理に奪いながら、茶色い髪の奥田が駆け抜けた。
「反則だ!」 俺は叫ぶが、ホイッスルは無い。 奥田は俊敏なる足の速さで走り抜け、シュートを決めた。
「奴はとことん噛み付くつもりだな」
いつの間にか俺の横へと来ていたタカトは、いつものように笑い顔のままでそう言った。
「呑気な事言うなよ」
俺はタカトにそう返し、遠くで敵意剥き出しのままで笑う奥田を睨み付けた。
結局その日の練習試合では、奥田のチームには勝ち越したものの、俺は非常に歯痒い思いをしながら試合を終えた。
何しろ、かなり強引なプレイではあるが、俺からタカトへのパスは何度も奥田に阻まれた。
それはほとんど全て奥田一人によるものだったのだが、確かに奥田は、自分が主張して来た事を実践してみせたのだ。
「まぁ、いつもお前等のプレイは見ているんだから、そこそこ読まれても仕方無いじゃないか」
監督はそう言って笑ったものの、恐らくは誰の目から見ても、俺とタカトの連携は古くなりつつある事は確かだと思えた。
俺はその事実に、少なからずも不安を抱く。 もしも俺とタカトとの圧勝パターンが崩れようものならば、今あるタカトとの連携は、俺以外の誰かとの連携に置き換わってしまう危険性をもはらんでいたからだ。
俺とタカトは校門を抜け、次第に陽が短くなりつつある夕刻の坂道をのんびりと下り始める。 隣にタカトの存在を確認しながらも、何故か遠くにあるような距離を感じ、漠然とした不安のままで、まるで耳に入って来ないタカトの話を聞いていた。
「・・・で、どう思ってるんだよ。 ガクは」
突然に俺は、現実へと引き戻される。 ずっと流して聞いていた話の中に、俺の名前を呼びながらの質問が飛んで来たからだ。
「どう思うって?」
俺はとりあえず、無難な返答で誤魔化す。 するとタカトは、「ガクには好きな子いるの?」と、全く予期せぬ返事をする。
「はぁ!?」
俺は突拍子もない高いキーで、実に間抜けた返事をかえす。 目の前にある大真面目なタカトの顔を見ながら、俺は動揺して取り乱す。
「な、何の話だよ、タカト! 順を追って、もう一回説明してくれよ!」
「あはは。 だから聞いた通りだ。 D組のアサミだよ。 ガクはどう思ってるんだ? 好きか嫌いで答えてくれよ」
「・・・アサミ?」
俺は何とか動揺を鎮めると、ぼんやりとその名前の女を脳内でイメージして行く。 普段は別に、個人的はほとんど交流を持たない、俺達の部のギャラリーの一人である女の顔が浮かんで来た。
「あぁ・・・時々俺等に話し掛けて来る奴だよな。 ちょっと強気な感じの。 で、彼女がどうかしたの?」 俺が聞くと、タカトは一瞬間を置いて、クスリと笑う。
「ガクは本当に女に興味無さそうな。 少しは自分がどれだけモテる存在なのか考えてみたら? つーか、アサミな。 お前の事好きみたいなんだよ。 で、お前はどう思ってんのか聞いてみたかったんだ」
俺はそれを聞いて、再び間抜けな声を発する。 それは、あまりにも自分の思考の中には想定出来ていない言葉だったからだ。
もう一度、その名前の女の事を思い出してみる。 ストレートな長髪で、整った顔立ち。 いつも積極的に俺達に声を掛けて来る、俺にとっては少し苦手なタイプの女だった。
「あぁ・・・・・全く興味無いなぁ」 俺は本音でそう答えた。
「俺はあぁ言う強気のタイプは好きじゃないんだ。 それに、俺は女自体にあまり興味無いし・・・」
最後の方は、声が薄れた。 俺なりの、タカトに対しての精一杯のアピールだった。
「そっか」 タカトはその言葉には何も反応しないまま、朗らかな声で返事をする。
「ならいいや。 彼女にはそれとなく伝えておくよ。 つーか、少しは女の方にも目を向けろよ。 部活ばっかじゃあつまんない学校生活じゃん?」
タカトはそう言いながら、降り切った坂の下で手を上げ、俺とは逆の方向へと歩き出した。 俺はその背中に何も返す言葉は無く、黙ってその後姿を眺めていた。
(お前は今、どれだけ残酷な事を言ったのか判ってる? タカト)
俺はそんな言葉を視線で投げ付けながら、その間に横たわる絶対に埋める事の出来ない溝を、心から恨めしく思った。
「甘いよ、先輩」
声が聞こえたが最後、俺の足は空転するようにもつれた。
あっと思う暇すら無かった。 少しの間でも奥田から目を離せば、まるで魔法のようにボールは毟り取られていた。
特に、俺からタカトへと繋ぐパスなどは、まさに致命的だった。 奴は必ずそこにいた。 タカトへと直線で放るそのボールは、面白いぐらいに奥田にカットされていた。
休憩の声が掛かり、俺達はホワイトボードの前へと移動する。 「やられたな」と、タカトが笑いながらも渋い顔をする。
その時だった。 同時に集合しようとして集まり始めた赤いメッシュビブスの相手チームの間から、気になる声が聞こえて来た。
「・・・ユウキの指示通りで行けば、案外カタイかもな・・・」
咄嗟にタカトも、そっちの方向に目を走らせる。
(ユウキ・・・奥田ユウキか。 今度はチーム全体を俺達の阻止用に作り変えたか)
単にすばしっこいだけの奴じゃないなと、俺は少しだけ、奥田の存在を肌寒く感じた。
俺はいつものように、なるべく自然を装いながらタカトの横へと座る。 三浦監督は、いつものようにホワイトボードをペンで叩きながら説明をするが、俺の耳にはほとんど何も届かない。
タカトが少しだけ顔を斜めに逸らして上を向く。 見れば、体育館の二階の手摺りから覗く数人程の女生徒の姿があった。 そしてその中には、昨日のタカトとの話題に登った、アサミの姿もあった。
アサミはこちらを向いて微笑んでいた。 長く茶色い髪の毛が、サラリと手摺りの向こう側に流れるのが見えた。
確かに綺麗な女ではあると思う。 だがやはり、俺には興味が湧かない。 いや、むしろ俺は彼女に対して、何か危険なものを本能的に感じているぐらいだった。
「カントク! だからそれはもう、古いパターンだって気付いてくれよ!」
突然、いつもの攻撃的な甲高い声が、ミーティングの流れを遮った。 見れば、座りながらも身を乗り出している奥田だった。 奥田は、いつものように困った顔をする三浦監督に口を挟ませないような勢いで、次に控える他校との対抗練習試合の攻撃指示に異を唱えていた。
奥田は悪びれた顔すらせずに、堂々と、タカトと俺のツートップを非難した。
だが、今日ばかりは少しだけ雰囲気が違った。 それは、取り巻く周囲の空気。 今日の練習試合で、奥田の主張もまんざら間違ってはいないと言う見解も強まったのだろう。 特に、奥田と同じチームのビブスを付けた連中は皆、大いに頷かんばかりにしてその主張を聞いていた。
「良く似てるな」 隣でタカトが、ボソリと呟いた。
俺はタカトの方を向く。 するとタカトは、「アイツとアサミは、兄弟なんだよ。 あの強気で勝気な所は、そっくりだね」 と、笑う。
俺はもう一度、二階の手摺りの方を向く。 相変わらずそこには、こちらを向いて微笑む、茶色の髪の女がいた。
何となく、不吉なものを覚える。 何がどうと説明出来ないまま、俺は彼女のその微笑に、何か薄ら寒いものを感じたのだ。
「ガク・・・・・お前が彼女に興味無いって言うから、俺が彼女と付き合う事にしたよ」 彼女を見上げる視点のままで、タカトの声が俺の耳に届いて来た。
「彼女は最初から、俺とお前とどちらに告白しようか迷ってたんだ。 だから俺は昨日、お前に聞いたんだよ。 お前は本気で彼女に興味無さそうだったから・・・・・」
しばらくの間を置いて、少しずつ、そして確実に、俺の体内の血が引けて行くのが判った。
そして、いつもの灰色の世界が俺を取り囲む。 タカトの声すらも少しずつ遠くなり、見えるのはただ、上から笑顔を送る奥田アサミの顔と、エコー掛かって聞こえて来る、奥田ユウキの声だけだった。
「おい、ガクっ! お前一体、何を怒ってんだよ!」
後ろから駆けて来る足音と共に、タカトの怒鳴り声が聞こえた。
思った通り、タカトは俺の肩を強く掴んで振り向かせる。 俺はそれを力一杯振り払い、「怒ってねぇよ!」と嘘を吐く。
今はただ、タカトの顔を見たくなかった。 見てしまったら、泣き出さないでいられるだけの平常心を保っていられるだろうかと言う自信を持てなかったからだ。
「おい! なぁ、ガク。 話させてくれよ!」
「うるせぇよ! 放っといてくれよ!」
俺は、外履きの靴をまともに履く暇も無く、かかとを押し潰しながら早足で下足棚の間を抜けて行く。
本当は、駆け出してまでタカトから離れたいと思う気持ちで一杯だったのだが、その時の俺の精一杯の理性で、それを押し止めた。
タカトはそれ以上、追って来る様子は無かった。 ただその代わり、去って行く俺の背中にとどめをくれた。
「ガク、お前・・・やっぱりアサミの事好きだったんだろ? 俺が取っちまったから、怒ってんだろ?」
俺はその言葉に貫かれながらも、身体を半分だけタカトに向けて、目を瞑ったままこう言った。
「俺は・・・あの女には心から興味ねぇよ・・・」
もはや限界だった。 こぼれる涙は、校門に辿り着くまで持たなかった。
俺は今程、部活が遅くなって、人の気配が無い暗闇である事に感謝した事は無かった。
思えば、いつも俺はこんな調子だった。 いつもいつも、誰とでも、好きになって仲良くなって、そしてそれ以上は存在しないと言う現実に叩きのめされた。
どれだけ親密になって、どれだけ心を許し合えるような仲になっても、それ以上の感情を抱く事だけは許されないその現実。 例え、好きだと言葉に出しても、決して届く訳がないその前提に、俺はいつもいつも叩きのめされていた。
そして、ただ好きだけでは生きて行けない事も、好きになる方向性を変える事も出来ないままで、俺はいつも孤独さを感じながら苦しんで来たのだ。
(いつまで続くんだ、この地獄・・・)
俺はその日の帰り道、いつもとは違うコースを選んで、街灯の無い遠回りな道を選んで帰った。
秋の寒さすら、気にならなかった。 俺は、夜の道に向かってケモノのように吠えたい気持ちを押し殺し、頬の筋肉が痛くなるほどに、歯を食い縛った。
その週末に控えていた隣の区の高校との対校試合は、見事に惨敗だった。
俺自身がタカトに向かって上手いパスを繋げなかった事もあるし、二階のギャラリーから俺が一番聞きたくない女の声援が絶えず降って来た事もあるし、ベンチで見ている奥田の視線も、同じチームの連中が投げ掛ける俺とタカトとの連携への不信感も、全てはその原因だった。
だが、それ以上に原因だった事は、まさしく奥田の指摘の通りの事だった。
いつもはウチの部が圧勝出来る筈の相手にここまで惨敗を喫したのは、間違い無く俺達の戦略が既に読まれ、解析された後だった事を痛感したのだ。
俺とタカトは、その試合の後は、ただの一言も口を聞かなかった。
その後のミーティングでは、三浦監督がいつものようにホワイトボードの前で、その試合の反省点を挙げていた。
そしてそれと同時に、俺とタカトとの間に、決定的なる亀裂が生まれた。
「・・・従って、この前奥田に言われた通り、泉と平原のツートップは今日を以って解消する。 確かに奥田の言う通り、これからは違う戦略を考えて行かなくてはならない。 まずは泉、お前は明日から、後方からのパス練習。 そして平原は、今後は攻撃の要としてのシュートを中心に練習する事」
周囲の部員メンバーはどよめいた。 これも奥田の考えなのか、俺とタカトとのポジションが、完全に入れ替わる指示だった。
俺は、いつもとは違う遠くの位置から、横目でタカトの表情を盗み見る。 それは、初めて見る、タカトの焦りの表情だった。
「やっぱ平原先輩は、シュート向きだよ」
ボールを片手に持ちながら、奥田ユウキは唇の端だけを持ち上げるようにして笑った。
俺は既に百本近い程のドリブルシュートを単独練習しながら、ずっとそれを横で見ていた奥田に言われたのだ。
「そりゃどうも」 俺は不愉快さを隠すつもりもなく、奥田に向かってそう言った。
「つーか、お前だろ。 俺をこのポジションに推薦したのは? 一体どう言う根拠で監督にそんな進言したんだよ」
すると奥田は、ようやく元来の笑顔に戻ったか、まるで子供のような幼さの表情で俺に言う。
「その、先輩のタッパ。 そんだけ背がデカくて、そんだけ滞空時間の長いジャンプが出来るんだ。 何でいつも後方支援なのか疑問だったんですよ。 いや、勿体無かったんですよ」
確かに俺の背は高い。 それこそ、今まで攻撃の要だったタカトよりも、ここ数ヶ月で更に高くなっていた。
「だが、イキナリ通用するかよ。 それこそ付け焼刃じゃねぇのか? 別に俺のシュートでも構わないが、泉が後方ってのは大間違いだろう!?」
俺は自然に、怒鳴るような口調になる。 俺は咄嗟に、向こうのコートでドリブルの基礎を練習しているタカトを見た。 だがタカトは、まるでこちらは見ていない。 どうやら聞こえてはいなかった様子だ。
「・・・ふん。 別に聞こえてもいいじゃないっスか」 奥田は、まるで俺の思考を読んだかのように返事をする。
「別に泉さんがシュート打ったらマズいって言ってるんじゃないんですよ。 ただ単に、今までのウチの部は単調過ぎたって事です。 バカの一つ覚えみたいに、チョキだけでジャンケンに勝ちに行こうなんて思っている戦略に、大間違いだって言いたいだけなんですよ」
「じゃあ、お前が監督の戦略に取って代わるような攻撃陣、作れるんだろうな?」
俺は奥田に、掴み掛からんばかりに詰め寄った。
「勿論、出来ますよ。 但し、先輩二人が俺の指示通りに動いてくれる事が前提ですけどね」
そう言って奥田は、またいつものような冷ややかな表情で笑う。
(嫌な奴だ) 俺は心からそう思った。
「バスケは、頭脳だけでするもんじゃあないぞ」
俺は、言う。
「バスケは、精神論だけで成り立つものじゃないですよ」
奥田は、言い返した。
「ハイ、じゃあ、今月の目標として、一軍から三軍まで、この全ての連携を身体で覚え切る事。 一軍の主軸は俺が務めるので、どんな連携も全てその主軸の動きに反応する事」
もはや名実共に副キャプテンとしてその地位を占めた奥田は、三浦監督に成り代わり、ホワイトボードの前で、それこそ何十通りにも枝分かれした連携を説明する。
確かに奥田の戦略は、理に適った戦略に見えた。 ウチの部のように、あまりにも部員の能力が違い過ぎる構成だと、攻撃に移る際にはそれなりに敵陣としてのマーキングがし易くなるのだろう。
そして、それをカバーするのが、奥田の言う何十通りにも枝分かれしたフェイントなのだ。 つまりは、俺とタカトとの連携が主軸であると他校に読まれてしまっている今、今度はそれを囮にした攻撃こそがポイントだと説明しているのだ。
「そんじゃあ今日もいつものように、泉キャプテンはディフェンス中心。 平原先輩は、パスを受けたら速攻の練習。 他のメンバーは、遠レンジのシュート練習を強化する事。 ・・・で、いいスかね、キャプテン?」
奥田は無表情のままでいつものように、最後はキャプテンであるタカトに采配を手渡す。 そしてタカトもまた、全くの無表情のままで、「それでいい」とだけ返事をするのだった。
いつものように、一部の人間にとっては重苦しいだけでしかない練習が始まる。
部は、完全に奥田の指揮が中心として回っており、今まで通りのただ背が高いから一軍メンバーになれると言う概念も外れかかっている今、それなりに部員達の士気も上がっているのは見て取れた。
(完全に掌握されたな) 今更思ってみても、遅かった。 奥田は完全に、ほぼ大多数の納得を取れるような説得力と実力は持っていたからだ。
だが、今の俺にとっては、都合の良い部分もあった。 今以て会話も出来ない、顔も合わせ辛いタカトと、一線を引ける事が出来るのだけは幸いだったからだ。
「先輩。 今度は俺がディフェンスに入るんで、速攻お願いします」
突然に背後から声を掛けられる。 見ればそれはやはり、奥田ユウキの声だった。
「三番!」 奥田の指示で色んな場所から飛んで来るパスを受け取り、俺は奥田のディフェンスをかわしながらのシュートを続ける。
やはり奥田は嫌な相手だった。 背はそれほど高くはないものの、動きが機敏でちょっとでも気を抜けば、すぐにボールは奪われた。
(嫌な奴だ) いつものように、俺は思う。
「嫌な奴で結構ですよ」
奥田は、まるで俺の思考を読んだかのように、俺の前に壁を作りながらそう言った。
「俺の心が読めるのかよ」 俺が言う。
「声で出てないだけで、口がそう動いてますよ」 奥田が返す。
俺は瞬間カッと来て、ちょこまかとブロックをする奥田の動きを無視しながら、無理矢理に体当たりをするかのようにしてシュートを放った。
直線で飛び放たれたボールは勢い良くボードに跳ね返り、無理矢理な形でリングを通過した。
「おぉ」 と、周囲から声が上がる。 突き飛ばされたかのように尻餅を付いた奥田までもが、「やるぅ!」 と、目を丸くした。
「先輩、今のでいいんだよ。 先輩はその上背なんだから、競ったら大抵は当たり勝つよ。 先輩がパスするのなんか勿体無い。 ボール取ったら無理矢理速攻の方が分がいいんだ」
奥田は床に座ったまま、笑いながらそう言った。 俺は苦笑しながら手を差し出す。
だが奥田は、俺の手は握らないまますくと立ち上がった。 そしてまたいつものように無表情を作ると、パスの掛け声を上げた。
タカトが、無断のままで部を休んだ。
初日は気にもしなかったが、流石に三日もそれが続くと、心配になって来る。
「奥田。 俺が呼びに行くが、いいか?」
練習前のミーティングで、俺は言う。
「お願いします」
奥田は素直に返事をする。 俺は、練習用の服装のまま、体育館を後にした。
だが、タカトを呼びに行こうにも全く当てが無い事に気が付いた。 彼がいそうな場所を思い浮かべても、バスケット部専用の体育館か、部室しか浮かんで来ない。 それほどまでに、俺とタカトとの間柄は、部活だけで繋がっているのだと言う事を、改めて認識する。
とりあえず俺は、もはや暗くなり始めた校舎を歩き、タカトの教室へと向かった。
だが意外にも、タカトはそこに辿り着く前に見付かった。 それは、奥田アサミがいる教室の中だった。
俺は不用意にも足音には注意しないで歩いていたのだが、彼等には全く気付く様子は無かった。 何しろ、教室へと辿り着く手前から、二人の大声が聞こえていたからだ。
「好きだから、なんだって言うの?」 奥田アサミの声が聞こえた。
「何だよそれ! もう、俺の事に飽きたって意味か?」 続いて、タカトの声がする。
俺は教室の入り口に立ち、中からこぼれて来る二人の長い影を眺めながら、声と気配を潜める。
「こっちこそ、何それだよね。 私とあなたが付き合っているのは、今のあなたのポジションとは全く関係の無い事でしょう? 呆れちゃうわね。 私と付き合った事で自分の立場が悪くなったような言い方しないでよ」
「誰もそんな事言ってない! 俺は不器用だから、両方いっぺんには出来ないんだ。 だからこそ、お前を選ぶから部活は辞めるって言ってるんだよ! 何でそれが判らない!?」
グサリ。 心に何かが突き刺さる。
「あぁ、そう。 それは光栄だわ。 でも、辞める事無いんじゃない? 両方選べないなら私を捨てるべきだと思うけどね。 少なくとも、来年のインターハイが終わるまで待っててくれって言われたら、私は喜んで待つつもりだけど?」
「そんな約束したって、先の事なんか判らないじゃないか!」
「ふぅん・・・そんなに私って信用無いんだ。 ちょっと、今の言葉で冷めちゃったなぁ・・・。 なるほど、それじゃあ弟のユウキにポジション争いで負ける訳だ。 あなたって、クールを装っている割には中身は全然よね。 ただ単に自分が傷付きたくないだけで、無関心気取って逃げてるだけじゃない」
「何だよそれ!」 ドンと、机を叩く音がする。
「俺は、平原にも嫌われた! お前と付き合ったせいで、あんなに仲が良かった平原からも嫌われた! もはや部活に戻っても、俺には居場所が無い! そして今度はお前までもが俺の前から消えるのかよ!」
喉が、ぐぅと鳴った。
俺は、今ここで出て行こうかと思った瞬間だった。 俺の腕をグイと誰かが引っ張った。
「・・・・・奥田」
「先輩。 いいからここ離れよう」
「お前の姉ちゃん、お前にそっくりな」
「逆だよ。 俺がアネキの真似してんだ」
俺達二人は、部活をそのまま放っといて、タカト達の教室の入り口が見える中庭のベンチに腰掛けていた。
夕暮れの陽はここまでは差さず、Tシャツ一枚だけの俺達は、少し肌寒さを感じていた。
「泉・・・部活辞めちゃうんかな」 俺が言うと、奥田は、「アネキと付き合っている以上、それは絶対に無いでしょ」 と、返す。
「何でだよ?」
「だって・・・誰の目から見ても格好いい男じゃないと、アネキは受け付けない筈だもん」
俺は一つ、溜め息を吐く。 もはやタカトに対しての特別な想いはとうに捨てたと言うのに、この謎めいた、意味もないくせに胸を締め付けられるような奇妙な感情に、なぜこんなにも心をかき乱されるのだろう。 確かに奥田の言う通り、あんなみっともないタカトなど見たくもなかった。
「平原先輩、泉キャプテンの事好きだよねぇ」
「・・・うん」
突然の奥田の言葉に、俺は無意識で返事をしてしまってから、我に返る。 途端に耳まで熱くなる。
「知ってるよ。 だってこの前、先輩がキャプテンにとどめ刺されて、泣きながら校門出て行ったの見てたもん」 奥田は平然としながらそう言った。
「あぁー、言わない言わない。 言わないけど、みんななんとなく気付いてんじゃないかなぁ。 それとも、俺だけかなぁ」
俺は言葉に詰まる。 だが、詰まらせた当の本人である奥田は、呑気な顔で教室の方を見上げている。 二人は、一向に出て来る様子が無い。
「先輩、さぁ。 俺・・・アネキが好きだったんだ。 いわゆる、シスコン。 何でも物事ハッキリしゃべってさぁ、頭が良くて、合理的で、理論的。 冷酷なまでに結果重視。 俺はアネキこそが理想でさぁ。 ・・・好きだったんだ。 いつもアネキの一番でいたかった」
突然の独白に、俺は驚く。
今ここでそんな素直な言葉を並べるのは一体誰だと思って隣を見た。 だがそれは、やはり奥田ユウキそのものだった。
「アネキは、そうやって努力して来た俺を可愛がってくれた。 だから俺も、いつも頑張った。 アネキの望む俺でいようと努力した。 でも、どうしても俺達って兄弟なのな。 どれだけ密接にしていても、結局は兄弟以上にはなれないのな。 これだけ長い時間を掛けて信用を培って来たってのに、ほんの数ヶ月の知り合いに、その存在の全てを持って行かれちゃうんだもんな。 ・・・実際、頭来るよ。 アンタも、泉キャプテンも」
呼吸が止まる。 何事だと思う。 それはまるで、俺が感じていた鬱憤とトラウマ、そのものじゃないかと。
「俺はバスケ部なんか入るべきじゃなかったよ。 まさかそこで、先輩二人に恋愛感情持っちゃうアネキがいるなんて思いも寄らなかったからね。 あ、でも、俺が先輩二人を嫌いなのと、部活で厳しく当たるのとは全然別だからね。 基本的に、甘いんだよ二人共。 平原先輩はマシになって来たけど、キャプテンだけはまだまだ甘いね」
途端、周囲を校舎が取り囲む閉鎖的なる中庭に、灯りがともった。 見れば、空は既に濃淡な色に変わりつつあった。
(甘い・・・か) 俺は奥田の言葉を反芻しながら、可笑しくなって微笑んだ。 そりゃあそうだと、今更ながらに気が付いて、可笑しくなったのだ。
何も、自分の想いが伝わらないのは、俺だけの事では無かったのだ。
種類が違うだけで、誰でもそれは同じだ。 誰相手でも、対するのは人間。 結局は、好きになるのは他人でしかないのだ。
「・・・出て来た」 奥田が、ボソリと呟いた。
見れば確かに、暗くなった廊下に二人の姿が見えた。 早足で出て行く奥田アサミと、その後に続く、幽霊のような足取りの泉タカトだ。
「相当やられたな!」
「確かに!」
俺達は、そんなタカトを覗き見ながら、声を出して笑った。
「じゃあ、泉を部室まで連行だ。 手伝え」
「どうやって説得するんです?」
「無理矢理の力ずくでいい。 奴に考えさせるな」
「・・・了解しました」
その日俺は、今までにした事の無いような事をタカトにしていた。
嫌がるタカトをヘッドロックまがいに頭を腕で押さえ付け、奥田と二人で無理矢理に部室へと連れて行ったのだ。
バッと、まるでその効果音が聴こえてきそうな勢いで、前を走る奥田の左腕が上がった。
瞬時に、全員の動きが機敏に変化する。 タカトは後方のマークに付いて、俺は一気に駆け上がる。
すぐに、凄い勢いでパスが上がって来る。 特に、奥田からのパスは強烈だ。 タカトから来たパスが、ノードリブルで飛んで来る。
瞬間、世界が緩慢になる。 いつものスロー再生な世界がよみがえる。 音はぐにゃりと曲がり始めて、色は灰一色に塗り替えられて行く。
いつもの、俺だけの世界。 ただ、いつもとちょっと違うのは、そこにタカトがいないだけ。 唯一の有色であるオレンジ色のバスケットボールは、矢の如くに俺の眼前まで飛んで来る。
ズシリと言う重みを両手に受け止め、俺はふわりと空を仰ぐ。 上空には、綺麗な円形をしたリングが見えた。
イメージは、イルカ。 イルカのような、タカトのダイブ。 俺からのパスを受け、宙へと跳ねるタカトのイメージ。 ・・・そう。 まるで、波にさらわれ、高く舞い上がったサーフボードのような・・・。
音が戻る。 色が戻る。
タン タン タンと、ボールが足元を転がる。 誰もそれを拾おうとはしない。
「・・・どうした?」 俺はトリップから覚め、呆然として見ている周囲の連中に話し掛ける。
途端、大騒ぎが巻き起こる。 もう一回やってみせろと野次が飛ぶ。
俺は全くその騒ぎの原因が判らないまま、拾ったボールをバウンドさせる。 すると、赤いメッシュビブスの相手チームまでもが、上気したような顔ではやし立てる。
「これはイケるぞ!」
「やっぱスゲーよ、このチーム!」
皆が、浮かれたまま散開する。 俺は、訳の判らないまま自分のポジションへと戻る。
タカトが奇妙な目で俺を見ていた。 そして俺の後ろから、バンと背中を叩いて駆けて行ったのは、奥田ユウキだった。
「ナイスダンク! やっぱ先輩のジャンプだけは半端じゃねぇよ!」
ウィンターカップの地区選抜を目前に控え、部員全員は最初から気落ちしていた。
何しろ、予選の最初に当たるのは、前回の地区選抜で、決勝まで勝ち残った高校だったからだ。
皆が、どこまで通用すのかと言うレベルで会話している中、監督である三浦先生は、「絶対に大丈夫だ」と、訳の判らない理屈で皆を励ました。
練習は続いた。 奥田中心の攻撃パターンは、かなり全員に浸透し、更に攻撃的に感じられるようになって来た。 但しそれは、今一つ精彩を欠くタカトを除いての事である。
「タカトとお前の姉ちゃん、どうなってんだよ?」
俺は、奥田のディフェンスを押し退けながらそう聞いた。
「知らない。 毎晩電話だけはしているみたいだけどね」
奥田はそっけなく返事をする。
その返事に、まだ心のどこかで、微かにチクリと来る自分が情けなく思える。 既に、諦め切れたと思い込んでいる筈なのに。
「お前自身は、タカトをどうしたいんだよ。 ひたすらディフェンスばっかさせやがって」
俺が言うと、奥田は肩をすくめながら答える。
「さぁ。 俺はキャプテンの実力は買ってるけどね。 でも、あの人がやる気にならないと、そればかりはどうしようもない」
確かにそうだと思った。 奥田の攻撃パターンには、しっかりとタカトのシュートパターンも組み込まれている。 だがどうしても、タカトは前のようなシュートは打たなくなってしまったのだ。
タカトは一通り、奥田の練習には着いて来ている。 だが、自主トレーニングともなれば、決して自分からシュートの練習はしない。 気が付けばいつも、二軍相手のディフェンス練習ばかりだった。
「真面目にやれば、キャプテンだってダンク出来そうなぐらいのジャンプ持ってるのにね」
奥田はそう言って、皮肉った。 俺の心の中に、「俺のせいかも知れない」 と言う思うが横切って行った。
「アンタ、泉に対してちょっと厳し過ぎやしないか?」
俺はその彼女の自宅の玄関先で、目の前で驚いた顔をしている奥田アサミに向かって、開口一番そう言った。
「やぁ・・・マナブ、あ、ガク君って呼ばれてるんだっけ? 何だか凄くお元気そうで」
奥田アサミは、案外と顔に似合わないような慌て方をしながら、言葉をはぐらかした。
「うん、実に元気だよ。 君の弟クンのお陰でね」 俺はちょっとだけ怒気をはらんでそう言った。
「彼は優秀だよ。 嫌味で攻撃的だが、何故か周囲をやる気にさせるパワーを持っている。 だが、君と来たらどうだ? 彼氏一人すらやる気を出せないで、逆に落ち込ませてばかりいる。 言っちゃあ悪いが、とても君の弟クンが尊敬していた姉上だとは思えないね」
俺はアサミを怒らせようとしての台詞だったのだが、逆にアサミは、しばらく唖然とした後、突然に吹き出した。
「あらあら。 あなたは片方は正解だけど、もう一つは不正解。 タカトがやる気無いって? 大笑いだわ。 あなたには、彼のプライドの高さは知らないでしょう?」
俺は非常に不愉快な思いをしながら、冷え切った夜の街を急いだ。
先程、奥田アサミに、「タカトの事なんか、何も知らないクセに」 と、罵られた事に腹が立っていたのだ。
確かに、先に喧嘩を売ったのはこっちだ。 だが、ある程度予期していたとは言え、自分こそがタカトの特別な人間だと言う主張には、大きなショックと苛立ちを覚えていたのだった。
だがそれとは引き換えに、彼女からの情報を貰った。 今からそこへと行ってみろと、住所を書いた紙切れを手渡されたのだ。
見ればそれは、隣の街の体育館。 そこでタカトの練習が見られると言われ、俺は夜の街を急いで歩いているのだ。
辿り着いたのは、夜の九時を大きく回った時刻。 だが見上げれば、町営の体育館はまだ煌々とした明かりを窓から放っていた。
俺が窓口で、「見学です」と申し出ると、そのままその場を通してくれた。
暖房の利いたロビーを抜けて、俺は二階にあるバスケット専用のコートに急いだ。 するとそこには、いかにも大学生とおぼしき団体が、激しい練習試合をしていた。
(ここではないのか) 俺がそう思った瞬間、そこにタカトの跳ねる姿を見た。
物凄い勢いのパスを受け、タカトの姿は背の高い大学生達の壁を突き抜け、ドルフィンジャンプの如くに高く跳ねていた。
それは、俺からのパスを受けていた頃よりも、もっと高く、もっと綺麗に。 俺がイメージして飛ぶ昔のタカトのシュートよりも、ずっと華麗で美しかった。
(確かに俺は、今のタカトの事なんか、全く知らなかったな・・・)
俺は素直に奥田アサミの言葉を受け止めながら、そのままずっとタカトの練習風景を眺めていた。
夜も十時を過ぎ、汗を拭きながらコートを出て来る大学生の中に、タカトの姿は無かった。
どうやら彼はまだ練習を続けるらしく、日頃部活で練習しているトリッキーなドリブルから速攻のシュートまでを、連続でこなしていた。
俺はさんざ悩んだが、思い切って体育館の中へと入って行った。 しばらく気付かなかったのだが、ようやく誰かが入って来たのを感じて、タカトは俺の方に振り向いた。
「・・・・・ガク?」
タカトは、ぜいぜいと苦しそうな息をしながら俺の名前を呼んだ。 俺はぎこちない笑顔を浮かべながら、軽く手を挙げる。
「どうしたんだ、二人でこんな所まで」
(・・・二人?) 俺は疑問に思いながら後ろを振り向いた。 そこには、照れた顔をした、ジャージ姿の奥田ユウキが立っていた。
「どこから着いて来たんだよ?」
俺が小声で奥田の脇腹を突付きながらそう言うと、「ウチの自宅の玄関先で騒いでたクセに、それはないでしょ」 と、言葉を返す。 俺の方は、二の句を継げそうにない。
「アサミに聞いたのか」 タカトは軽くシュートを打ちながら、笑って俺達にそう聞いた。
「秘密の特訓だったんだけどな。 本番で度肝抜く為にさぁ・・・」
確かにそうなのだろうと思えた。 なにしろ先程までのタカトは、ここ最近の部活での練習とは、比べ物にならないぐらいに活き活きとしていたからだ。
「ガクのシュート見てさぁ、こりゃあ本気でヤベぇと思ったんだ。 勿論それまでにも秘密の特訓してたんだけどさ。 大学生に混じっての特訓は、本当にここ最近の事。 俺はガクがシュート打つの見ていて、本気で嫉妬してた。 ここで沈んではいられねぇってさ」
タカトは片手でボールを放る。 放物線を描いたボールは、音も立たないぐらいに静かに、リングのネットの中を擦り抜けて行った。
「心配すんな。 俺は足手まといにはならないよ。 しっかりと俺の役目果たすからさ」
タカトはボールを拾い、軽くドリブルをしながらそう言った。
俺の動悸が、少しだけ激しくなったのを感じた。 タカトが俺を見て笑うなどいつの頃以来だっただろうと考えながら、息苦しくなるのを感じた。
「あのさ・・・タカト。 いつだったかの帰り・・・ゴメンな。 訳も判らないまま嫌な思いさせちゃって・・・」
タカトはドリブルをやめると、ボールを持ちながら俺の方へと向き直る。
「あぁ・・・あの日の事ね。 結局アレは何の事だったんだ?」
俺は一つ大きく息を吸い込むと、覚悟を決めて返事をかえした。
「タカト。 俺はお前が好きだったんだよ。 ずっと。 だからこそ、お前が彼女に取られたような気がして、堪らなかったんだ・・・」
少しの間、沈黙が流れた。 タカトは全く俺の視線を外さないまま、俺を見返していた。
そして、笑った。
「なんだ」 タカトは笑いながらそう言った。
「なんだ、そうだったんだ。 ハハ・・・そうか、それで納得行ったよ。 いやいや、ありがとうガク。 俺もずっと、お前に嫌われたかと思って悩んでた。 その事で、アサミに食って掛かった事まであった。 ・・・悪かったな。 俺もお前が好きだよ。 誰よりも一番お前が好きなんだ」
まだ練習を続けると言うタカトを置いて、俺と奥田は体育館を出た。
奥田はすぐに、「今日は泣かないの?」 とでも皮肉るかと思ったが、全くそんな様子は見せなかった。
しばらくは二人きり無言で歩いていたのだが、学校が見えるすぐ傍まで来て初めて、奥田は口を開いた。
「ちゃんと言えたじゃん。 しっかりと通じたじゃん」
俺は、ふと、鼻で笑いながら返事をした。
「しっかりと通じているかは疑問だけど、少なくとも一歩前に進めたような気はしたよ。 今日はありがとうな」
「どういたしまして。 こちらこそ野次馬してゴメンね」
茶色の髪の奥田は笑った。 それは、いつか見た幼い笑顔のそれだった。
ガシリと音がするかのように、その場の全員の頭がぶつかる。
いつもの緊張感が漲った。 上目使いで、その場の全員の気迫を見て取れる。
しばらくの無言。 俺の右手は、右隣にいるタカトの背に回り、左手は、左隣にいる奥田ユウキの背に回り、二人の息遣いまでもが如実に判るぐらいの距離を持ち、俺達の円陣は無言のままでヒートアップする。
「とりあえず」 しばらくの沈黙を破り、タカトが呑気な声で言う。
「・・・勝ってみようか」
すかさず全員のブーイングが飛ぶ。
消極的だろうとか、もっと気合い入るような事言えよとか、笑いながらの罵声が飛んだ。
「良し、もう一回」 タカトは今度こそ真剣な顔付きで言った。
再び無言の気合いが入る。 俺の背に回されたタカトの掌が、ギュっと力を込めて俺の背中のシャツを握ったのが感じられた。
「ブっ倒す!!!!!」
タカトの叫びに続いて、全員の力の限りの咆哮が響き渡る。 隣にいた、地声の高い奥田までもが大声で吠えた。
予選の一回戦。 当たるは昨年の地区準優勝校。 我がメンバーは最初から、俺とタカトと奥田の入ったベストメンバーでの先陣だった。
「死にに行くような心境だな」
「むしろ死ぬか」
タカトと俺は、軽口を叩きながらコートを進む。 そして俺はいつものようにジャンパーとしてボールの前へ立つ。
(いよいよだな) 俺は、全ての視線が集中するのを全身で感じた。
相変わらず慣れないと思った。 どうせこのジャンプで試合の命運が大きく変わる訳でもないのに、今の俺個人の気持ちを素直に表現するならば、その後の試合のメンタル的な部分は、全てこのジャンプ一つで左右するとすら思えてしまうのだ。
見れば相手側のジャンパーは、俺よりも十センチは高いであろう程の長身。 しかも俺を見据えるその表情は、軽蔑と嘲りが混じったかのようなニヤけ顔。
(奥田に比べれば、まだまだ可愛い挑発だな)
俺はそう思いながら、湧き出る笑いを必死で堪える。 すると相手のジャンパーの顔付きが変わった。 どうやら、俺が笑いを堪えているのは、俺の挑発だと思ったらしい。
俺はその相手と向かい合わせで睨み合う。 まず、俺よりも身長が高いと言う事に腹が立ったが、そいつの上から見下げるような視線には更に苛立ち、俺はわざと上目遣いに笑って返す。 相手の表情から読み取れる怒りの心情は、更に大きくなった様子だ。
周囲の注目が、ボールを挟んで睨み合う俺達二人に集まるのを感じる。 全身に突き刺さるような視線を感じながら、俺の動悸は早まった。
(ブチ抜いてやる) 俺はそいつの目を見返しながらそう思った。
他人にしてみれば、つまらないプライドと思うかも知れない。 だが、俺にとってのこのジャンプは、相当に意味の重いものだった。
どの試合でもそうだった。 ジャンプで競り負けたクォーターは、大抵その後にも引き摺る。 俺にとって、この試合を始める時のジャンプとは、その試合の明暗を分けるぐらに重要なものなのだ。
審判の、ボールを持つ手がゆらりと沈む。 いつものように、一本の糸が切れそうなまでに張り詰めるような、そんな感覚が辺りを包む。
照明のまばゆい天井の高い室内で、オレンジ色のボールは高く舞う。 俺はそのボールだけに視線を集中しながら、全身のバネで宙へ飛ぶ。
ガシリとした感触を、掌の中に感じた。
(捕った!) 俺がそう思ったその次の瞬間、俺の腕は弾かれるように捻れ、ボールは力任せに俺の後方へと跳ねて行った。
着地と同時に、例えようもない屈辱が襲って来る。 それは滅多に無い事だけに、競り負けたと言うその事実には、相当に動揺を感じてしまう。
「上がれーっ!」
その瞬間、俺の背後から聞こえて来た声が、俺の右横を細かいドリブルで駆け抜ける。 それは、奥田ユウキの姿だった。
そして左隣からは、それ以上の早さで疾走するタカトの姿。 それは本当に、短い瞬間の一幕だった。
壁など見えていないかのようにして走り抜け、奥田は全力でボールを投げ付ける。 そしてその対角で、滑るように走っていたタカトの両手へと収まると、ボールはそのまま宙へと踊り出す。
俺は瞬間、我を忘れた。 まるで威嚇のように激しく打ち鳴らされながら、ボールはリングに叩き込まれる。 それは相手チームへの、過激なまでの挑発的なタカトのパワーダンクだった。
タカトは獣のように吠えながら、俺の顔を見て下品なポージングを決めて見せる。 その背後では、タカトに負けていないぐらいの高笑いで、相手コートを指差しながら走り出す奥田がいた。
俺はそれを見て、途端に身体中の血が逆流を始めたような感覚に襲われる。
(何て乱暴なジャムセッションなんだ)
そうして試合は始まった。 年の瀬も近付いた真冬だと言うのに、その時の俺は、耳の先まで熱くなっているのを感じていた。
「やっぱハンパじゃねぇな」 肩で息するタカトは、第一クォーターを終了して上がりながら、俺に一番にそう言った。
確かにそうだと思った。 気持ち良く、一方的なシュートを決められたのは最初の一本ぐらいのもので、流石は地区準優勝だと身体で理解出来そうなぐらいに経験値の高いチームだった。
得点は、十七対二十二で、五点の競り負け。 それでも俺達にとっては、必死の思いでもぎ取った十七点だった。
「それじゃあ、集まって下さい」 奥田ユウキが号令を掛ける。 俺達は少し鈍った足取りで、ベンチの前へと集合をする。
「第二クォーターもメンバー入れ替え無し。 いや、入れ替えるのはこの局面ではマイナスでしょう。 このままのペースで、まずは防ぎ切る」
奥田の話を聞きながら、「防ぎ切る」と言う言葉の中から、初めて見る消極的な奥田を感じ取る。 やはりこの勝気な奥田でさえも、厳しい相手だと言う事は判るようだ。
「次のクォーターで、俺は何とか相手チームのクセを読んでみせる。 とりあえず次のクォーターは、攻めよりも掻き回す方向で行こう。 ・・・と、その前にキャプテン?」
奥田は、タカトの方を向いて話し始める。 俺はなんとなく、あぁやっぱり来たかと感じていた。
「何でキャプテンは、俺の指示を無視して動いたんですか? 試合中、そんな場面が三回もありましたよね?」
それを聞きながら、タカトは肩をすくめて返事をかえす。
「それは悪かった。 でも、結果的には全部得点へと結び付いた。 アドリブで悪かったが、パスで回すよりも最良な選択だったって事じゃんか。 結果オーライって事で勘弁してくれよ」
「そうじゃない」 奥田は少し、怒気をはらんだ声でそう言った。
「結果じゃないんだ。 問題は、チームの統制を無視した事だ。 アンタは、自分がキャプテンだから許されるとか思っているのかも知れないが、アンタからそんな統制無視な事をしていたら今後のチームの動きの全てに支障が出て来る。 いくらチャンスだと言っても、これはチームでぶつかるゲームなんだ。 少しは肩透かし食らって呆れ目で見ている他のメンバーの事も考えてくれ」
奥田が言い終えると、流石のタカトも、ムッとした顔付きで睨み返す。 まだハーフタイムにすら差し掛かっていないと言うのに、嫌な雰囲気だと思った。
だが、俺としては奥田の言い分の方が正しいと思った。 確かにタカトは指示を無視しながら得点を重ねたが、俺の目から見れば、まるでそれは焦って取った考え無しの行動にすら見えた。
俺はその事をタカトに聞こうかと思った瞬間、インターバル終了のホイッスルが鳴る。
俺はなんとなく、二回席に見える同じ学校のギャラリー群を仰ぎ見る。 そしてそこに、手摺りから笑顔で見下ろす奥田アサミの姿を確認して、タカトの焦りはこの女のせいではないかと感じていた。
「一方的になっちまったな・・・」
俺の横を抜けて行った、同チームのメンバーの呟きが聞こえた。
俺は、向こうのリングの下を跳ねているオレンジ色のボールを睨み、次第に焦りから諦めに変わって行く自分の心情を感じていた。
得点は既に、二十五対五十八で、歴然たる差が見える。 もはやボールの保持もシュート数も、完全に相手チームに負け越していた。
向こうで奥田が、ボールをスローインするのが見えた。 奥田はまだ司令塔としての意地を持っているらしく、機敏に動き回りながら、攻撃のラインを繋いで行く。
(もはや無理だろう) 俺は心でそう愚痴る。
タカトは完全に、奥田の指示を無視していた。 あれほど長い期間を掛けて練習したパターンの全てをタカトは完全に無視しながら、我が侭なるプレイを続けているのだ。
お陰でチームの動きは完全に麻痺していた。 どれほど奥田が頑張って動き回ってみても、タカト一人の存在がパターンの無視をしているお陰で、他のメンバーの動きが躊躇してしまうのだ。
「俺に回せーっ! こっちへ回せーっ!」
タカトは叫ぶが、それが余計にチームの動きを惑わせる。
俺ですらそうだった。 命令系統が二つある以上、もはやパスの一つですら判断が鈍ってしまうのだった。
(早く終われ。 早く過ぎ去れ)
俺はもう、恥ずかしさと泣きたいような気持ちで、早くこの場から消えたかった。 これはもう、バスケットではなくてただの喜劇だと本気で感じていたからだ。
その瞬間、奥田からのパスが俺の方へと飛んで来た。 それはもはや、奥田ですらパターン無視のパスだった。
奥田の目は、「狙え」と俺に訴えていた。 俺は残り時間の少なさを感じながら、受けたパスのままスリーポイントを狙った。
自信は無かった。 思った通りに、ボールはリングに嫌われながら跳ね返った。
同時に、ハーフタイムを告げるホイッスルが鳴る。 助かったと思う気持ちと同時に、強烈なる惨めさが襲い掛かる。
その時だった。 ホイッスルの音に続いて、タカトが奥田に向かって非難の声を浴びせた。
「何であそこで俺に寄越さなかった? 俺に回していれば、確実に得点になっていた!」
奥田がそれを聞いて、顔色を変えるのが見えた。 あぁ、奥田も限界だなと思いながらも、俺の足は止まらなかった。 何かを言い掛けた奥田の肩を掴んで押し退けると、俺は黙ってタカトのシャツを掴み引き寄せる。
「今のお前は最低だ!」 俺は、タカトに噛み付きそうな勢いでそう言った。
「今のお前は大嫌いだ! どこの誰の目を意識してるのかは知らないが、そいつがお前一人目立つのを望んでいるのなら、お前等は揃って最低だ! そんな下らない遊びに付き合わされる俺等の気持ち、考えてみろ!」
ハーフタイムの間には、奥田の指示は挟まれなかった。
恐らくは、言っても無駄だと思ったのだろう。 奥田は顔にタオルを乗せたまま、ベンチで伸びていた。
異様な時間だった。 三浦監督は皆の前で、焦りを感じてパニックを起こしながら、訳の判らない格言を持ち出して精神論を並べている。 キャプテンであるタカトは、皆から外れた一番端で、頭からタオルを垂らしながら顔を隠している。 そして、俺を含む他のメンバーは、交代出来そうな顔を探しながら、ベンチのメンバーにそっぽを向かれていた。
又再び苦痛の時間が始まるかと思うと、心が挫ける。 バスケットとは、ここまで苦痛なものだったかと思っていた瞬間、体育館の入り口から聞こえて来た声に、俺は視線を向けた。
奥田アサミだった。 学校の制服のまま、体育館の入り口から、タカトの事を呼んでいた。
俺がタカトの方に目を向けると、流石にタカトも反応を示していた。 だが周囲の目もあってか、少し戸惑った後で、タカトは監督の作戦指示を無視してアサミの方へと向かって行った。
体育館の中から二人の姿が消える瞬間、勢い良く奥田ユウキは跳ね起きて、その後を追う。
「奥田っ! 元気なら指示代われっ!」
三浦監督の叫び声に、「良きにはからえ」 と、奥田は返す。
俺も咄嗟に奥田の背に続きながら、何か言いたそうな監督に向かい、「以下同文」 と、言葉を置いて追い掛けた。
二人は、他の球技施設へと続く、連絡通路のドアから出た、芝生の中庭に立っていた。
開け放たれた滑り戸に近寄りながら、俺と奥田は聞き耳を立てる。 すると、少し聞き取り難いが、確かに二人の声は聞こえて来ていた。
「バカじゃないの? 誰が単独プレイで目立ってくれなんて頼んだのよ?」
奥田アサミの声だった。
「どうせ勝てない。 なら、来年の試合に向けて、個人的な実力のアピールでもしておいた方がまだマシだろ」
もはやクールさの欠片も無い、弱気なタカトの声が続いた。
「嘘ばっかり。 どうせタカトの事だから、私が格好いいプレイを見せてって言ったのを取り違えたんでしょ」
アサミがそう言うと、タカトの返事は何も無かった。
俺はそんなアサミの言葉に、「あぁ、タカトらしい」 と感じ取った。
「どうにもあなたって、思考が一本槍なのよね。 言葉を言葉通りにしか捉えられない。 他人がどう思ってあなたに言葉を投げ付けるかなんて、あなたは全然想像とかしないタイプでしょ?」 アサミは遠慮も無しに、どんどん言葉を続ける。
「私があなたに格好いい所を見せてくれって言ったのは、あのチームのキャプテンとして、最高の本領を発揮した所を見せてくれって意味よ? 何も、単独プレイで沸かせてくれなんて言ってない。 大体あなた、弟のユウキをちょっと軽視し過ぎじゃないの? 姉の私から言うのは変だけど、あの子の凄さをあなたは全然認めようとしていないよね。 あの子は確かに口は悪いけど、物凄い計算力と経験の上で判断しているの。 年下の下級生から指示されるのはみっともないしプライドが傷付くのは判るけどね。 でも、他の人達が認めているように、あなたも少しは認めてあげたら?」
「やなこった!」
タカトは、アサミの言葉を強い口調で遮った。 隣で奥田ユウキが、ピクリとしたのを感じた。
「俺はお前の事は好きだが、奴はそうじゃない! 何もかも人の事をバカにしやがって! それまでにあった、和気藹々とした雰囲気まで壊して、最後には俺までチームの駒にしやがった! 知能プレイだか何だか知らないが、俺はアイツのバスケは認め・・・」
「じゃあもう、私と別れて」 今度は、アサミがタカトの言葉を遮る番だった。
「ユウキは確かに、人を見下したりバカにしたりするような口調でものを言うわ。 でも、それも計算ずくなの。 普段ならそんな事しないわ。 でも、あなたが言う和気藹々としたチームを一度壊す必要があったからこそそうしたんだと思うわ。 それにあの子は、全て私の真似をしているのよ。 態度も、言葉も、性格も、人から嫌われながら目的を達成しようとする不器用な所もね。 でも、その全てを認められないなら、私と言う人間もそのまま否定って事だよね。 ならもう私は、あなたの傍にいられる訳も無い。 今から消える。 それでいいよね?」
隣で奥田が、出て行こうとするかのように動き出す。 俺はそれを無理矢理引き留める。
「ヤツ・・・彼が君の真似だって?」 タカトは震える声で話し出す。
「俺から見たら、全然似てないよ。 君はいつでも俺の事を考えてくれている。 だがヤツはそうじゃ・・・」
「あの子は、入学してバスケット部に入った時から、いつもあなたと平原君の事を話してたわ」
アサミは言った。
「凄い先輩がいるって。 たった二人でバスケをしているかのような、物凄いジャンプ力を持った二匹のイルカがいるって。 そりゃあもう、毎晩夕食の度に語って聴かせてくれてたわ。 楽しそうに、嬉しそうに。 俺が今までやってたバスケの常識を、まんまひっくり返してしまうような先輩達だって」
どんよりと雲が立ち込めた、寒い冬の空だった。 俺の汗が次第に冷えて行き、それと同時に、ハーフタイムの残り時間が凄く気になって来ていた。
「彼があなたの事考えてないって? 大笑いだわ、あの子はあなた達の事ばかり考えてるのよ。 どうすればあなた達二人を活かしたバスケがプレイ出来るか。 どうしたらどんな強豪相手でもツートップで勝ちに行けるか。 恐らくは、毎晩毎晩考えている。 それこそ私が、あの子の姉であって、それ以上近付けない立場でいる事に腹立たしさを感じるぐらいにね」
俺はそれを聞いて愕然とした。 いつか学校の中庭で奥田が語った事と、それはまるで一緒だった。 姉と弟は、全く同じ諦めを持ちながら、お互いを嫉妬していたのだ。
隣で奥田が、呆けた顔でそれを聞いている。 一体、今の彼の胸中はどんなものなのだろうかと考えてしまう。
「私は、ユウキの姉である事に必死なの」 アサミはまだ続けた。
「私はいつも、あの子が私を見本として真似をしているのは知っていた。 だからこそ、いつも必死で努力して来たの。 勉強も、対人関係も、どんな勝負事でも。 彼は勝気な私が好きだから。 私も、何にでも勝ちに行くあの子が好きだから。 必死なのよ、あの子の姉でいる事にね。 私はいつまでも、ユウキの憧れでいたかった。 お姉ちゃん、お姉ちゃんと、慕っていて欲しかった。
だけど、何? 今までの長い長い時間で培って来たこの関係を、あなたと平原君が奪って行ったんじゃないの。 たった一瞬で、あの子の憧れはあなた達に代わった。 いつも私を呼んでた声が、あなたと平原君の名前に取って代わった。 ・・・酷いじゃないの。 残酷じゃないの。 どれだけ私が苦しんだと思っているの。 だからこそ私も、あなた達に興味を持った。 彼が魅力を感じたその二人って、どんな人なのかってね。
それなのに、タカト・・・あなたはユウキを無視するの? 二匹で跳ねるイルカの片方を無視するの? そして、これだけ嫉妬して、そして好きになった私も無視するの? それはちょっとあんまりじゃない。 あなたが私から離れたいって言うなら引き留めないわ。 でもその代わり、今までの私とユウキの時間をそのまま返して!」
アサミの、最後の方の言葉は、ほとんどヒステリックな叫び声だった。 彼女の普段の姿からしたら、想像も付かないような取り乱し方だった。
そしてしばらくの沈黙が続いた。 俺と奥田はどうしようかと迷ったまま、その場を動けずにいた。
「君は・・・ガクと付き合えば良かったんだ」 ボソリとタカトが話し出した。
「君は最初から彼が好きだった。 でも、ガクは君に対して何の気も無かった事を聞いて、俺が君に無理矢理・・・」
「そうじゃないじゃない」 アサミは言う。
「私は最初から、二人共好きだよって言ったわ。 本音は二人共、大嫌いだったけどね。 でもあなたは、二人共好きだよって言った事実を曲げて平原君に伝えたんでしょ? 自分の感情押し込めて。 だからこそ私は、あなたが好きだなって思えたの。 クール気取りながら、いつも平原君やチームのメンバーの事ばかり持ち上げて。
あぁ、私はユウキが興味持った事に顔突っ込まなければ良かったんだわ。 毎日ユウキの姿を見に言ってたのに、どう言う訳かこんな複雑な関係なっちゃって。
・・・それで、どうするの? 今後もユウキは全否定? それとも、少しは認める気になった?」
アサミは問い掛ける。 タカトはそれに対して一呼吸置くと、覚悟を決めたかのように返事をする。
「・・・認める。 いや、認めてはいるんだ。 だから今度は、素直になる努力をするよ。 だからさっきの別れ話は・・・」
「私は別れて欲しいなんて言ってない!」
「俺は、俺なりに必死だったんだよ。 どうすれば君が俺から離れないでいてくれるかと」
「ゴメンね」 アサミは言う。
「私もユウキと同じで、感情を態度に現すのが不器用なの。 何だか、激励しようとした事が裏目に出ちゃって・・・追い詰めちゃったみたいだね」
二人の声が止まる。 次の沈黙は、非常に長いものだった。
隣で奥田が、俺の脇腹を突付く。 俺もようやく我に返って、頷きながら体育館へと急いだ。
向こうで三浦監督が、審判に向かって何度も何度も頭を下げているのが見えた。 審判は、監督と腕時計を見比べながら、ずっと渋い顔をしていた。
「よお、ちょっとは軽くなったのか?」 俺が奥田にそう聞くと、奥田は笑いもしないで、「かなりね」 と返す。
「いい姉じゃん」 俺は続けた。
俺の言葉に、奥田は一瞬間を置きながら、「当たり前じゃん」と返す。 そうして奥田は、ようやく俺に笑顔を見せた。
タカトはまだ帰って来ない。 そろそろ三浦監督の粘りも限界かなと思った瞬間、体育館の入り口から、待ち人であるタカトが飛び込んで来た。
「お待たせっ!」
タカトは叫びながらコートの中に割り込む。
「遅ぇ!」 俺が罵る。
「やる気あんのか?」 奥田が愚痴る。 タカトは笑って答えない。
ホイッスルが高らかに鳴らされる。 再びゲームが動き始める。
得点差は、三十三点。 ただでさえ押されるぐらいの強豪に、返せる点だとは思えなかった。
(どこまでタカトは回復しているか) 俺はそればかりを気にしながら走り出す。
奥田にパスが回る。 奥田は機敏に壁をかわしながら、ゴールへの距離を縮める。 そして今度は、フェイントの後に俺の方へとバックパス。 俺とタカトの連携のパターンだ。 それを思った瞬間、同時にタカトが爆発的に駆け出した。
(来た!)
俺はいつものスローモーションが近付くのを感じながら、大きく波間から跳ねるイルカをイメージする。
目の前に、俺がジャンプボールで競り負けた、相手チームの長身の男が立ち塞がっていた。 だがそれすらも、今の俺の視界にはただの灰褐色な脇役でしかなく、邪魔だとばかりに視線を逸らすと、俺は音の曲がったその世界の中で、俺の名を呼ぶその、「有色」に向かって狙いを定めた。
(跳ねてみやがれ! タカト!) 俺は心の中の叫び声と共に、上空からのパスを放った。
一瞬置いて、うおぉと、観客がどよめいた。 破壊的な音が轟き、そしてそれに続く、ゴール真下でボールが跳ねる乾いた音。 世界が戻ると、そこには懐かしい雰囲気までもが戻っているような気がした。
意気揚々と上がって来るタカトに向かって、奥田は、「キャプテン! 後半はどんな作戦で行く?」 と聞くと、タカトは笑いながら、「巻き返せ!」 と叫んだ。
奥田が第二クォーターで言っていた、相手チームのクセを読むと豪語したのは本当だった。
間違い無く、相手チームは翻弄され始めて来た。 次第に制球率も上がり出し、目に見えて俺達のチームは試合を押し始めていた。
それは本当に微々たるものでしかなかったが、その事実は、地区準優勝校を押していると言う事実である以上、チームの士気にはかなりの効果だった。
奥田の攻撃パターンは実際の試合では非常に面白く、彼の性格そのままのように、相手チームにとってはトリッキー過ぎて全く行動が読めていないのが良く判った。
俺へとボールが回れば、無理矢理な速攻か、タカトへのパスの連携。 タカトへと回れば、どこからでもシュートを打って、相手の陣営を困らせる。 時には、俺やタカトのフェイントで全くノーマークの人間が飛び込み翻弄したりもする。
だが、その中で特に面白いのが、ゴール付近で奥田へとボールが回る瞬間だった。 奥田ユウキは相手チームには本当に嫌な人間に見えているらしく、彼にボールが渡った瞬間、相手のディフェンスラインが浮き足立つのが見て取れた。
どうやら奥田ユウキ本人も、そこが狙いだったようだ。 長い試合の時間の中で、自分にボールが回れば、相手チームの全ての注意が自分に向くと言う流れを作り上げたかったらしい。 そしてそれは成功していた。 ゴール付近で彼にボールが回りさえすれば、ほとんどそれは得点へと結び付けられた。
(あんな嫌なヤツの行動パターン、読めるものなら読んでみやがれ)
俺は内心、奇妙な可笑しさを感じながら、クソ生意気な奥田ユウキと言う存在を、心から頼りに思い始めていた。
「イける!」
コートを駆け抜けるその一瞬、誰かが呟く声が聞こえた。 それはまるで、俺達のチームの全員が心で呟くその言葉を、そのまま口に出してしまったかのような声だった。
点差は徐々に縮まりながら、それと同時に着実に時間も過ぎ去って行った。
(もう、タイムアップだな)
見れば時間は、第四クォーターも残り一分を切っていた。
遠い距離で、ボールは奥田にパスされる。
(あと一球・・・)
奥田は得意のトリッキーなドリブルで、コートを駆け抜ける。
(あと一球を・・・)
奥田のブロックに、相手チームが四人入った。
「あと、一球っ!」
奥田は叫び、壁の間からバウンドしたパスを俺に繋げた。
俺はそのボールを両手で握り締めながら、その一瞬にタカトの姿を目で探す。
「ガク!!!」
遠くから、探し求めていたその叫び声が聞こえて来る。
瞬間、ノイズが消えて鮮明になる。 灰色の世界から飛び出した俺の世界の唯一の色は、俺の顔を見ながら一直線にバスケットボードへと向かって走り出す。
世界は途端に緩慢になる。 俺は一瞬、取り囲み始めた壁の中で大きく沈み込むと、その反動を重力に逆らわせながら、イルカのダイブの如くに身体を宙へと解放させる。
いつもながら、何と言う面白い世界なのだろうと感嘆する。 誰よりも誰よりも高く空へと浮いたまま、俺の持つボールがここへと飛んで来る事を信じて疑わないであろうそいつに向かって、俺は力一杯その矢を放つ。
「タカト!!!」
スローモーションの中、俺の投げたボールを見ながらタカトは笑った。
ボールは吸い込まれるようにして彼の掌へと納まると、そのしなやかな肢体は、俺がイメージして跳ねるそれよりも、もっともっと高く綺麗に跳ね上がる。
(まさに、イルカだ) 俺は、思った。
ボールは宙を駆け上がり、リングを軽く舐めた後、ネットを伝って床を叩く。 いつもの視覚。 いつもの世界。 この瞬間だけは、俺がいつも憧れていた、誰にも踏み込めないタカトだけの空なのだと感じた。
俺が憧れ、俺の唯一だったその姿は、誰の期待も裏切らないまま、最後の一球を静かに沈める。
ゴールのホイッスルが、体育館に響き渡る。 世界に、色と音が戻る。 それに続けて、ゲームセットのホイッスルが鳴り響いた。
――― 試合は、終わった。
六十八対七十二の、その差四点の試合だったが、タカトの決めた最後の一球は、間違い無く俺達全員を沸かせ、歓声を上げさせた。
実に変な光景だった。 勝った筈の相手チームは呆然とし、ベンチのコーチは憮然とした顔で腕を組む。 それに引き換え負けた側のウチのチームは、共に抱き合ったり、手を打ったりしている。 三浦監督などは、ガッツポーズを高らかに掲げ、大声で選手を褒め称えていた。
俺はタカトの姿を探す。 するとタカトは、二階席から覗く奥田アサミに向かって、この上ない程の笑顔で何かを叫んでいる。 そして上から見守っていたアサミも又、その時ばかりは普通の女の子のような表情で、タカトに向かって拍手を贈りながら、何か返事をかえしていた。
その時ふぅっと、俺とタカトの間にあった目に見えない何かが、空中に溶けて無くなったような気がした。 そしてそれと同時に、いつもあれ程目立って見えたタカトの姿が周りの風景に溶け込んで、俺の世界の褪せた色の一つになった。
俺はようやく、彼との間にあった全ての特別な感情に、わだかまりなく諦めを付ける事が出来たような気がした。
もはや俺の存在にすら気付かなくなってしまったその背中に向かって、俺は一つ別れの言葉を呟いて、同じように背を向けた。
トーン トーンと、高くボールを突く音がする。 見れば向こうのコートには、孤独で無表情のままの奥田ユウキの姿があった。 彼は誰とも喜びを分かち合うつもりは無いらしく、無人になりつつある試合後のコートの上で、面白くもないと言った顔のまま、やる気もなさそうにボールを突いているだけだった。
俺は彼の傍まで行って、「勝ったな」 と声を掛ける。 すると彼もまた、「得点以外は圧勝だったね」 と言葉を返す。 そして奥田は、自慢のトリッキーなドリブルをしながら踊るように軽いステップを踏んでみせる。
俺はそれを見て、ちょっとだけ意地悪な気分になる。 ふと上体を沈めてボールを弾き、得意のボールを奪い取ってみせた。
「甘いよ、後輩」 俺が言うと、奥田は口を開けっ放しにしながら驚いた表情になる。
俺は、奪ったボールを左手で抱えて歩き出した。 奥田もまた、俺の隣を着いて来る。
「なぁ、先輩」 奥田は言った。
「そろそろ俺の、嫌な奴ってなレッテル剥がしてくれよ」
俺はそれを聞いて吹き出した。 あれだけ強気な性格をしていて、俺の言った一言を今まで引き摺ってたのかと可笑しくなったからだ。
「笑うし・・・。 俺だって、言われたら傷付くんだからね」
奥田は少しふくれた顔でそう言った。 俺はますます可笑しくなって、空いている方の右手で奥田ユウキの首に手を回し、いつかタカトにやったようなヘッドロックと同じように、彼の頭を締め付けた。
「バーカ。 俺はお前が好きだよ」
そう言って俺は、そのままの格好で奥田を引っ張って歩いて行った。
奥田は歩き辛そうに俺の腰の辺りにぶら下がりながら付いて来るが、無言のままで一向に振り解こうともしない。
俺が、一体どうしたんだと思った瞬間、奥田はその体勢のまま、小声で、「俺って泉先輩の代わりにはなれない?」 と聞いて来る。 俺はしばらくどう言う意味だと考え込むが、腕を解いて彼の顔を覗き込むまで、それがそう言う意味だとは全く気が付かなかった。
奥田ユウキは、腕の中で上目遣いに俺を見ながら、赤い顔でうっすらと目に涙を浮かべて、もう一度同じ事を言う。
「俺って、アンタの中の泉キャプテンの代わりにはなれないのかな」
俺は、こんな顔の彼をどこの誰にも見せたくなくて、もう一度強く右手で抱き締める。 そして奥田もまた、抵抗もせずに俺の脇腹の辺りに顔を埋めたまま歩いて行く。
今まで、虚ろになって痛む胸は何度も経験して来たが、満たされて激しく痛む胸の経験だけは、生まれて初めての事だった。
「・・・本気にすんぞ」
俺は言う。
「・・・本気で言ってんだよ」
奥田は返す。
再び世界に、色が戻った。
●《 受賞コメント 》
皆さんこんにちは。 仮面被ったままの炎晶です。 今回はこんな私の作品を選んで下さりまして、心よりの感謝です。
とりあえず、「何か書け」とか言われたので書きますが。。。 何を書きましょう?w
私はいつも作品を書くに当たり、大体のストーリーは決めてから書き始めます。 多少はズレますが、大体は構想のままに流れます。
だから書き終わった後でも、どこで苦労したとか、構想とどれだけ食い違ったかなどは思い出せます。 でも、今回のこの作品に限っては、全然思い出せないんですよね。 不思議な事ですが。
唯一思い出せるのは、私の知り合いには結構沢山いる、同性愛者の方々の苦悩。 その言葉。
皆、悩むんですよね。 ごく普通に種の保存の本能のまま異性を愛する人に恋してしまうと、それだけで片思いが決定してしまうと言うジレンマ。 好きなんだけど、好きなだけじゃあどんどん惨めになってしまう自分。 そこはどうしても書きたかった。 そこだけですね。 私が表現したかったのは。
そして私の主張です。 誰が、どんな人を好きになろうが、所詮は誰でも他人です。 性別や年齢、何もかも関係無く、誰であれ他人です。 だから、誰を好きになろうが、想いと一方通行な気持ちだけは変わらないんじゃないかと言う事です。
今回は、本当に勉強になりました。 どうもありがとうございます。
質問の答えを二つばかり。。。
私は普段、そんなにウケる作品なんか書いてませんよ?w 同時期に書いたSMC作品だって、ぜ〜んぜんウケなかったし。w
HNは、「ほむら・あきら」です。 あ、「えんしょう」でも結構ですよ? お好きなように。^^
《 炎晶 》
2004.08.05 20:17 | ――― |
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