第二十九回 Mystery Circle
●共通出題 (バトルロイヤル・ルール)
◎起の文
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。
◎挿入文
「あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことができるわけがないだろうが」
◎結の文
言葉というのは、きわめて乱暴なものである。
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『永久に悠久に』
著者:知
「人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたいわ」
彼女のその一言が強く印象に残った。
変わっていく事が救い。
何百年と変わっていない僕にとってその言葉が信じられなかったからだ。
姿形が変わることなく永遠の時を過ごす一族がいる。
決して歴史の表舞台には登場しない。しかし、様々な世界を旅し、歴史の導き手として世界に関わっている一族がいる。
僕もその一人だ。
でも、僕は……僕と双子の妹である悠(ゆう)は一族の中でも毛色が違う。
一族と言っても血族関係にある者は殆どいない。
夫婦である者たちもあまりいない。
契約を結び一族の一員となる……とのことだ。
僕と悠が毛色が違うと言った訳はそこにある。
一族の父と母の間に生まれたのが僕と悠。
僕と悠は生まれながらにして一族の一員。
自らの意思で契約を結ぶことなく、契約を結んでいる状態で生まれてきたのが僕たち兄妹だった。
一族になった者どおしの間に子どもができたのは僕達兄妹が初めて。
一族になった者は姿形が変わる事がなくなる。
契約をしている状態で生まれた子どもが成長するのか。
子どもができたとわかったとき、色々な物議を醸した。
実際は悠は16歳のときに成長が止まり、僕は20歳のときに成長が止まりそれ以降、姿形は変わらなくなった。
「あれ? 珍しく兄さんが何か考え込んでる様子」
背後からそんな失礼な言葉が聞こえてきた。
「……そんなに珍しいか……」
「うん、とても」
振り返り、じと目で見ながら返した言葉に満面の笑顔で頷く妹……情け容赦が全くない。
「冗談は程ほどにして、長いこと考え込むのは本当に珍しいよね」
悠の言葉に軽く落ち込んでいる俺に対し、地面に腰を下ろし小首を傾げ俺の顔をじっと見ながらそう言った。
「冗談だったのか?」と返したら「勿論、そんな訳ないじゃない」と返ってくるのは明らかなので、何も言わず肩を竦め苦笑を浮かべながら悠の隣に腰を下ろした。
心地よい風が吹き抜ける。
町を一望できるこの丘は二人にとってこの世界でのお気に入りの場所だ。
……彼女ともこの場所で出会ったんだよな……
「私は……兄さんが思うように行動すればいいと思うよ」
「直感でそうした方がいいと思ったんだよね? だったらそうするのが正しいんだと思うよ」
沈黙を破り、悠が微笑みながらそう言った。
俺は直感で動く事が得意で、悠は考えて動く事が得意。
逆に俺は考えて動くことは苦手で、悠は直感で動くことは苦手(というか裏目に出てしまう)
このように俺と悠は得意な事、苦手な事が真逆になっている。
『片翼の天使』
互いに互いの苦手なところを補いあっていることから俺と悠はそう呼ばれることもある。
そうは言っても、一人だけでも大きな問題があるわけではないが……
「……兄さん……」
悠の言葉に何も返す事ができず黙って立ち去ろうする僕を呼ぶ小さな声が強く耳に残った。
「……はぁ……」
兄さんの後姿が見えなくから思わずため息が出た。
何をそんなにためらっているのかな。契約を切ることは珍しいことではないのに。
一族の一員になることは断られたと兄さんは言っていた。なら、彼女と一緒にいたいのなら契約を切るしかないのに。
契約を切れば不老不死でなくなる。この世界で暮らす事ができるようになる。
すべき事をし終えた者は契約を切り元いた世界に帰っていくのが慣わし。
兄さんと私は自分の意思で契約を結んだわけではない。
『片翼の天使』と呼ばれるのはそこにも理由がある。
永遠に生きることの苦しみ。その苦しみに耐えてでも成し遂げたい事、成し遂げようとする意思。
それらが私と兄さんにはわからないし、ない。
一度契約を切るのは私と兄さんにとっては必要なことだと思う。
一緒にいたいと思う人が現れたのなら、契約を切るのにこれ程いいときはないと思う。
兄さんにしか見えていない何かがあるのかな。
「ごめん、少し遅れた?」
顔を上げると腰まである長い髪をした女性が立っていた。
「私も今来たところだから」
この世界での唯一の友人、永久(とわ)の何時もの言葉に私も何時もの言葉を返した。
お互いに知っているのは名前だけ。
詳しいことは何も聞かず、話さず。
草の上に腰を下ろして他愛のないおしゃべりをしたり、何もせずぼーっとしたり。
私は永久と一緒にいるときの空気が好きだ。
もし、私が男性か永久が男性だったら一緒にいるために契約を切ることを真剣に考えたかもしれない程に。
「……どうしたの?」
私の隣に腰を下ろし、ぼんやりと前を見ていた永久に思わずそう声をかけた。
お互いの詳しいことは何も聞かない、話さないようにしてきた。
永久の悩んでいる様子は何度か見た事がある。でも、今の永久の様子は何時もとかなり違う。
そう思うと、自然と口からそう言葉が漏れていた。
先程の兄さんの様子に似ていたからかもしれない。
「……大した事じゃ、ないんだけどね……」
私の言葉に少し驚きつつもそう返してきた永久の言葉は、大した事であることがはっきりとわかる口調だった。
「悠は永遠の世界ってどう思う?」
「! なんで急にそんなことを?」
話すか話さないか悩んでいた様子の永久が覚悟を決めたようにそう聞いてきた。
その内容に私はびっくりして、でも、それを隠すようにそう尋ねた。
どうやら永久との会話の中でよくでてきた彼――聞く感じだと友達以上恋人未満のようだ――にそう聞かれたようだ。何て答えたのか尋ねると。
「『自分が変わっていくのは救いで、自分が変わらない世界なんて耐えられない』って答えたわ」
その言葉に頭の中で何かが繋がった。
「そう答えたときの彼の寂しそうな、何とも言えない顔が頭に残ってて。でも、どんなけ考えても、私は永遠に生きるなんて耐えられそうになくて」
そうぼそぼそと呟く永久を余所に、私の頭の中では兄さんのある言葉が繰り返し再生されていた。
『あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことができるわけがないよ』
兄さんの話によくでててきた彼女。
そんなに気になるのなら、彼女に一族の一員にならないか誘ってみたら、と兄さんに言ったときに返ってきた言葉。
兄さんの話と永久の話……今まで2つの話だと思っていたけど……
私は黙って腰を上げ、スカートについた汚れを払ってこの場から立ち去ろうとした。
「……悠?」
不思議そうに私の名前を呼ぶ永久に、1つだけ尋ねた。
「ねぇ、その彼の名前、教えてくれる?」
「えっ……久(ひさし)だけど……」
「そう……」
私は永久の返事に気のない返事をし立ち去った。
実のところ心臓が破裂しそうなほどドクドクいっていた。
予想通りの返事だったけど、実際にその名前が出ると予想以上に体が反応した。
「……悠」
「……兄さん」
丘の入り口で兄さんに会った。
どうやら悩むのは止めたみたいだ。覚悟を決めた目をしていた。
「永久なら、奥にいるよ」
「……そうか」
永久の名前を私が言ったことに一瞬びっくりしたみたいだったけど、すぐに気を取り直して彼女の永久のいる奥の方へと歩き出した。
言葉というのは、きわめて乱暴なもの。
思いを全て言葉にすることは不可能。
だからすれ違いや衝突が起こる。
でも、言葉にしなければ伝わらない。
兄さんと永久がどのような答えを出すのかはわからない。
でも、それがお互いにとっていいものであることを願わずにはいられなかった。
●《自己批評》
『久しぶりに長めの作品になりましたw
『永遠』を題材にしたネタは他にも幾つかあるので、機会があればMCで書こうと思っていますw
当初予定していたよりも妹が表に出てくる内容になってしまったなぁ。』
《Liar's villa 知》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『不死鳥見聞録』
著者:望月来羅
物事が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。分かっているからこそ、望む思いもある。
大昔にも、不死を求めた皇帝がいた。
不老不死というのは、恵まれた人間か、もしくはどん底にいる人間が望むものだという。
現状に満足している人間は、老いると摂理に従い死んでいく。心に不満を抱えた人間は、良き来世をと願って眠りに就く。
財産に恵まれた者に多いのは、少しでも長生きをして、自分の財を守り、増やそうとする者たち。
愚かな、と呟く。
永遠の時間の苦しみに、限りある時間の幸せに、なぜ気付かないのだろう。
ため息をつきつつ、ハネの目立つ尾羽を手入れする。波打つ焔のような艶やかさと、ビロードのような滑らかさを持った真紅の羽は、私の自慢でもあり、苛立ちの原因でもある。
苛立ちが出てしまったのか、足元のとまっている枝から細い煙が出始めた。
片足をそっと持ち上げて、鉤爪の形に押された焦げ後に、慌てて皮膚の温度を下げる。
「母(はは)様?」
いかがされました、と柔らかいトーンが響いて、私は首を右に巡らせた。
私よりも一回り小さい、それでももうすぐ成鳥なのだと分かる、若い雄の紅鳥がいた。
「何でもないよ、クル。ちょっとだけ、頭が痛くなった」
苦笑しながら言うと、クルは漆黒の眼を瞬かせた。我が息子ながら、整った顔立ちをしていると思う。優しく、そして、賢い子に育ってくれた。
数え切れないほどの年月を生きた中で、初めて生まれてきてくれた我が子。紅鳥一族は、一生涯に、一度しか子を宿すことは出来ない。
気遣ってくれる息子がいとおしくて、自身の嘴をすり、と息子のほっそりした首にすり寄せた。
「あの者達のことですか」
「まさしく」
問うてくるクルに頷いて、私は視線を、とまっている柿の木と、その向こうの崖越しに放った。向こう側からは死角になっていると思うが、果たして見えていたとしても誰にも捕まりはしない。
低く轟く、地響きと雄叫び。燻された大地と、肉の焦げる匂い。鉱物が弾ける時の音にも似た、金物のぶつかり合う高い音。流れてくる火薬と血の匂いは、こちらの嗅覚まで麻痺してしまいそうだ。
広大な平原の緑を赤と茶が染め上げている。折り重なる死体を踏み潰して、あるいは足を取られながら、馬と鎧に身を包んだ人間とが殺し合いを続けている。
規模はけして大きくない。だが、見逃すことの出来ない戦だった。
「愚かなことを・・・」
「誰が私たちに気付いたのでしょう。私達がここにいることは、仲間しか知らないはずですが・・・」
「空を飛ぶ姿を見られたのかもしれない。人間の伝承というのは、本当に厄介なものだ」
戦っている二つの陣営、双方の上に立つものが、この土地を賭けて争っているのだ。
その目的は、私と息子のクルに他ならないという。
紅鳥は、数少ない一族である。成鳥してからは一羽で暮らしていくのが常とされ、鳥の仲間でいうところの孔雀ほどの体躯である。
紅鳥は、古くから進化を遂げずに生きてきた一族である。寿命は数え切れないほど長く、焔を操り、その血には不死の力があるのだという。
正確には、不死ではない。ただ、他の生物の寿命と比べても、比べられないほど長いために不死と伝わってしまったようだ。
迷惑なのは、山奥に篭り、高地から降りてこないはずの紅鳥が、長い歴史の中でたびたび人間に目撃されていることである。
古い書物にも姿を描かれ、不死鳥や火炎鳥などと呼ばれ、その伝承を追って紅鳥を捕まえようとする権力者も少なくない。
さて、どうして止めたものかと思考を巡らせる。
私とクルは、どうしてもこの戦を早期に止めなければならなかった。
空を飛ぶ雀の一族を筆頭として、多くの鳥達に助けを求められたのだ。
木々のあまりない草原では、鳥達の巣は専ら草原の中、生い茂った青草の中なのである。
それが今、大掛かりな戦争によって巣も焼き払われ、多くの鳥達が命を落としたという。不幸中の幸いは、今が雛の生まれる春ではなかったということか。
「母様」
ふと、考え込んでいたらしいクルが、理知的な瞳を瞬かせて柔らかく鳴いた。
「この戦争、どちらに利があると思われますか」
「そうだな・・・」
呟きながら、双方の陣営を眺める。鈍い鋼の色合いを放つ鎧は同じ。違うのは、片方は湾曲した刀を使い、片方は槍を主として使っているということ。湾曲刀を使っている兵士達は皆、頭上の鎧部分に赤い房のようなものをつけていた。
数としてみるならば、湾曲刀の兵士の方が多いように思えた。ただし、馬の数は槍の兵士の方が多い。そして、陣形を見ても。
「槍を扱っている方だな。人数は少なくとも後方で包囲するような陣形があまり崩れておらず、倒れている馬の数も少ない」
「やり・・・というと、あの長い武器のことですね」
「兵士が整っている部隊は、その上に立つものが秀でているからだ。こんな戦いでも、良い軍師がいるのだろう」
比較的近くで弾けた火薬の煙が漂ってくる。羽毛に匂いが染み込まない様に翼で空気を攪拌しながら、圧倒的な煙の量に無駄だと悟りため息をつく。
数え切れないほど昔、まだ私が母親の庇護の元にいた時に、初めて人間の戦というものをみた。使われる火薬の匂いが嫌いで、互いに刃物を持って殺しあう人間達に恐怖を抱いた。
母親は、醒めた瞳で戦いを眺めていた。あの時は分からなかった母親の表情が、今では自分の表情のように理解できる。
「勝つというのは相手の意思をいかにして削ぐかということだ。利害の少ない対等な和解は難しい。名将と言われる者達も、皆いかにして相手を殺すかを考えているのだろう」
戦乱の最中では名将と祀り上げられ、平和になった途端に異分子として排除される。
過去に、そんな人間を数人見てきた。それでも、また数年経つと新しい戦が始まるのだから、人間の世はまさしく繰り返しなのだと思う。
「槍を使う陣営は、すぐに勝てると思いますか」
「それはないだろうな。いくら上が優れていても人数に差がある。もうしばらく掛かるだろう。・・・早期に止めなければならないというのに」
「では、そちらの上に立つものに我らの血を与えては如何でしょうか」
醒めた思いで戦争を眺めている耳に、クルの静かな声が入ってくる。その言葉を理解するのに数秒を要した。
思わず瞠目する。
「クル! それは」
その血を求めて戦が起こっている。どのようにして戦をやめさせるか。いっそ一面を焼き払おうか、とも考えていたところで、自分達の血を分け与えるなどとはちりとも考えなかった。
「母様が嫌がられるのもわかります。ただ、これ以上仲間に被害を増やすことはできません。戦争が終わるのであれば」
「あれだけ意見が対立しているのだから、片方に与えれば良いというものではない。むしろ欲を出して悪戯に争いを広げることになるだろう。・・・そんなことができるわけがないだろう」
「どちらかに不死を与えれば、おのずと死なない方が勝ちましょう。士気も上がり、何より『死』という背負うものがなくなるわけですから」
考えながら話す時の癖で、ことさらゆっくりと話すクルは、そこで眼下の争いを複雑そうな瞳で見下ろした。
仮に負けたとしても、と呟くように言う。
「仮に負けたとしても、血を与えるのが一人だとすれば、その者は死なずに捕虜にされるはず。不死を求めるのであれば、その者を割いてでも秘密を探ろうとするでしょう。その現場はここではなく、おそらく人間の国の施設が整った場所のはずです。どちらになったとしても、この者達はここから引き上げるでしょう。仲間の巣場所は出来ます」
「・・・・」
すぐに意見を退けなかったのは、クルの意見が現状打破に適していると思えたからだ。
それでも渋ってしまうのは、数滴の血を求めてここまで争いを繰り広げる人間に、血を分け与えるのが嫌だったからでもある。
「仲間の巣を壊した者達に、望むものを与えよというのか」
「確かに双方に望むものを分け与えれば、さらに血を求めて大軍が押し寄せないとも限りませんが・・・私が思うのは、大勢の人間でも双方の武将ではなく、片方の武将に与えることにこそ意味があるのではと。母様の血ではなく、私の血で構いません。・・・先ほどの哀れな雀の婦人をご覧になったでしょう。子と夫が目の前で殺され、友も・・・皆、各々ではあまりに対処が追いつかないのです。今、私達の目の届かない草原の草むらの中で、あるいはあの死体の中に仲間の姿もきっとあるのでしょう。縋ってくる仲間に対して、できることがあるのであれば、やらないわけにはいきません」
「だが、我等が血を与えれば、伝承をいよいよ真実と知らしめてしまうことになる。血を求めて権力者の争いが激化しないとどうして言える」
「人間の性質を教えてくださったのは母様ではありませんか。例え我等を探すものがいようとも、以後決して姿を見せず、且つ目の前に餌があれば矛先を変えるのが人間の性だと」
漆黒の瞳に静かな、だが揺るがない決意を見る。
クルと私の住む家は、この草原から少し離れた、切り立った崖の中腹にある。
かなりの上空にあるのだが、仲間内の中では皆の見張者のような存在になっているらしく、どうしても解決しないことは私かクルが対処している。
最近連日、様々な鳥達が相談に来たのがこの戦争である。仲間が殺された。食べられるのを見た。どうぞ、助けてください―――。
私は数秒クルの顔を見て、ため息を吐き、その後で苦笑いした。まったく、ため息の多い日である。だが、それと同時にそこまで仲間のことを考える息子のことが誇らしくもあり、喉の奥が、ク、と鳴った。
「分かった。確かに、早期にどうにかしなければならないことだからな。だが、血は私の血を与える。同じ種族で骨肉の争いをする人間に、大切なお前の血を与えたくはないからね」
望むものを与える為には、まず人間に身をやつさなければ、と、私は崖下に転がっている死体を複雑な思いで見つめた。
「―――で、孝に呉と言ったか。・・・これがその不死鳥の血だと」
「さようでございます」
今、私は薄暗いテントの中央で両膝をつき、顔を上げないようにしながら両手に一枚の大きな紅い羽を掲げ持っていた。体を作り変えて人間の兵士を象っているものの、死体から剥ぎ取った衣服はそこかしこに泥と血がこびり付いていて気持ちが悪かった。
隣では同じように人間の若い少年兵に身を変えたクルが、神妙な面持ちで跪いている。本当は兜を被っていたかったが、人間の礼儀として脱がねばならなかったのだ。
掲げ持っている羽は、私の翼の先から抜いたものだ。重要なのはその羽ではなく、その羽の先に染み込み、傾ければ滴る数滴の血だ。
人間に身をやつし、争いを避けて戦場から離れ、武将のいるテントまで潜り込み、面会を申し込んだ。
跪いている私とクルの周りには、椅子に反り返って座っている目の前の武将を中心として、壁際に立っている十数人の兵士たちがいる。
目の前に座る武将は、黒い甲冑に身を包み、やや白いものの混じる髪の毛を頭上で無造作に纏め上げ、特徴的な長い顎下の髭と、ぱらぱらと落ちる前髪の間から油断のならない瞳が私を見ていた。
一目で頭の切れる人間だと分かるが、それと同時にその男から漂ってくる血の匂いに見破られない程度に顔を顰める。残虐さと、貪欲さも持っていそうだと検討をつけた。
「・・・何故分かる。その紅い羽が不死鳥の羽だとでもいうつもりか」
「おそらく。・・・先ほど、この者と崖の上にて不思議に輝く鳥を見つけまして、射止めようとしたのですが逃げられてしまいました。ですが、その際に矢が掠ったものとみえ、鳥の飛び立った後にはこの血の滴る羽が残ったのでございます」
「なんだと? 貴様、不死鳥を見たのか!」
「・・・はい」
尊大な態度の男に軽く苛立ちが募る。血の匂いを撒き散らしている男の前に跪くのも、こうして使いづらい人間の言葉で敬語を使うのも好きではない。
私の胸中を察したのか、ちらりとこちらを見やったクルの瞳に、苦笑の色が滲んでいた。
「・・・それが不死鳥の羽だという証拠はどこにある」
「証拠と言われましても・・・ただ、私は御大将殿がご所望しておられる不思議な鳥ではないかと思い、こうして持ってまいった次第でございます・・・」
いらぬのであれば・・・と捧げ持っていた手を下ろそうとすると、それより早く男が羽を奪い取った。思わず胸中で笑ってしまう。いくら頭が切れようとも、戦をしてまで手に入れたいと望んでいたものの前では思考力も鈍るらしかった。
武将は、目の前の羽を水平に持ちながらおそるおそる傾け、羽軸の先から血が僅かに滴りそうになるのを確認し、慌てて元にもどした。
「・・・ごう殿。いくら毛色が珍しかろうとも、普通の鳥かもしれませぬし、仮に敵の仕掛けた罠かも知れませぬ。危険です」
羽を見つめる武将に進言したのは、男のすぐ右隣に立っている兵士だった。ごうと呼ばれた武将はその兵士の言葉に、カカと笑う。
「わしに毒は効かぬ。分かっているだろうが。確かに、見たことのない羽よ。なに、わしとて信じているわけではない。そもそもが絵空事に僅かに信憑性が出てきたからこうして探しているだけのこと。ただの鳥ならば、飲んでも利はないかも知れぬが害もあるまい」
周りの者に言い聞かせるように言うと、武将は、口を開け、私の羽の先から滴る血の雫を、ごくりと音を響かせて飲み込んだ。
自分の血を、気に入ったものでもない武将に与えることは気持ちのいいものでもなく、この瞬間ばかりは下を向いていて良かったと思った。
「―――っぐぅッ!」
瞬間、武将が低く呻いて喉を抑え、椅子から立ち上がったかと思うと床に四肢をついて体を痙攣させた。相容れないはずの血を飲んだことによる、瞬間的な相互干渉である。
「ごう殿っ!」
「貴様! やはり間諜か!」
壁際に佇んでいた人間達が、主の異変に瞬時に駆け寄る。槍の切先を向けられながら、これが親衛隊というやつか、と冷静な思いで観察していた。
瞬間的な干渉に長い時間が掛かることもなく、しばらくすると見ている前で武将の動きが止まり、額に玉のような脂汗を浮かべながら、武将がよろりと立ち上がった。
「ご、ごう殿・・・お、お体の方は・・・」
「・・・大丈夫だ。心配いらぬ・・・わしの外見に変化はあるか」
「いえ、お変わりはありませんが・・・」
部下の言葉を聞いた武将は、自身の額に浮かぶ脂汗を拭い、束の間動作を止めると、ゆっくりと両手を日に透かすように目の前に持ち上げた。
「不思議だ・・・」
武将自身、何かの変化を感じ取っているのかも知れない。紅鳥の血は、瞬間的に体に働きかける。
「鼓動がおかしな拍動を刻んでおる・・・まるで自分の中にもう一つの意思があるかのようだ」
呟いた武将は、突然自分の腰元から細い短刀を抜き取ると、自分の左の手の甲に突き刺した。血がパタタ、と私の目の前の床に滴る。
「! ごう殿! 何を・・・」
「・・・見よ」
自分自身でも信じられないものを見たというように、男が部下に自分の手の甲を見せた。みるみるうちに塞がっていく傷跡に、どよめきが上がる。当たり前だ、と私は胸中で呟いた。一族の血なのだ。紛い物であろうはずがない。
目的を達した今、早々に私とクルは引き上げなければならなかった。長居したところで良いことは何もなく、経過を見守る側に徹するつもりだった。顔は上げないまま、恭しく平伏して注意を促す。
「喜びの最中を遮ること、失礼いたします。・・・御大将殿。一兵に過ぎぬ私めがお力になれたのであれば、まこと嬉しく思います。ですが、外は未だ戦場の最中。私もこの者も、自分の務めを果たしとうございます」
「おぉ・・・そうだったな。礼を言うぞ・・・」
声に喜色を滲ませた武将は、だがそこで言葉を切ると、何かを考え込む表情になった。私とクルの詳しい情報などを聞かれても困ると思いながら、建前上顔は上げられない。
「・・・御大将殿?」
「・・・いや。そなたらのこと、忘れはすまい。帰ってよい」
隊名などを聞かれなかったことを、安堵の思いと不審の思いが交差する。
それでも目的は叶ったとクルと共に再度深い礼をした。
物体の空を切る音が聞こえたのは、私が顔を上げ、クルが私の方を振り向いた時だった。
引き下がろうかと腰を上げかけた瞬間、喉元に当てられた冷たい感触に皮膚が僅かに引きつる。ゆっくりと刃を辿ると、すぐ傍の兵士が私の喉元に持っていた槍を構えているのだった。兵士の顔は兜で見えず、隣を見ると、私の方を向いているクルの喉元にも同じように刃が押し当てられており、怒りが溜まる。そのままの格好で、椅子から立ち上がった武将を睨みつけた。
右手を軽く挙げたままの武将と視線が合う。
「・・・何をなさるのですか」
「一つ・・・聞き忘れていた。このこと、ここに来る前に誰かに話したのか」
「・・・話しておりません。御大将殿がご所望のものであるなら、と戦場を避けてこちらまで」
「・・・そうか。ご苦労だった」
武将は顎を撫でながら、ゆっくりと頷く。だが、問いが終わっても私とクルの喉元から武器を下げさせようとはしなかった。
「誰にも漏らしはいたしません! ですから、どうか」
「すまない・・・お前達は、よくやってくれたと思う。だが、この情報を知っているものを悪戯に増やすわけにはいかんのだ」
その言葉を聞いて、思わず全身が熱くなった。
ここまでやらせておきながら。誇り高い一族が人間に身をやつし、腰を折ってまで血を与えてやったというのに。
ざわり、と全身の細かい羽毛が逆立った。
「は、母様。落ち着いてください。用は済んだのです。帰りましょう」
私の気配を悟ってか、今まで身を弁えて口を開かなかったクルが、少年の少し高い声で焦ったように言う。
「帰らせぬ!」
自分の治癒の力を確認した武将は、血に酔っているようだった。自分の腰からスラリと長剣を抜くと、あろうことか、私の方に向き直っているクルの背に向かって刃先を突き出したのだ。
「クル!」
兵士の槍を押しのけて咄嗟にクルを引っ張るが、突き出した刃先はそのままクルの肘下を深く抉った。押し付けられていた喉元の刃も、浅い傷を作り出す。
血管を切ったのか、腕から吹き出る血に愕然とする。傷はすぐにふさがるとはいえ、紅鳥は、一族の血を重んじる。たかが数滴の血ですら自分が代わったというのに、本来の姿ならば紅く、美しい、風切羽があるところを、傲慢な人間風情が!
「駄目です母様!」
瞬間、何も考えられなくなり思考が爆発した。
白光とともに、じゅ、と何かが焼ける音がして、私とクル、そして目の前の武将を除いたテント内にいた全ての人間が消えた。
肌を覆っていたはずの衣服が一瞬にしてなくなり、人間の形を保ったままの手を目の前にあげると肌から熱が立ち昇り、揺らめく大気の向こうに引きつった顔をした武将が映った。
周りの大気が瞬間的に紅くなり、肌が熱せられた硝子のような色合いになる。
右腕をクルに掴まれやめてくださいと首を振られた。だが、掴まれている腕を振り払ってクルを後ろに退ける。
武将は、何かを必死に叫んでいた。痛みに声を上げていたのだろうが、あまりの熱で歪んだ空間の中では音は早すぎて聞き取れなかった。
顔面が溶け、鎧も刀も熱に溶かされながら、それでも私の血のせいで再生し続けている。
熱に耐性のある紅鳥一族でもない人間が、あまりの高熱に瞬間的に肉体を溶かされながら、それと同じ速さで肉が再生しているのだ。死を何回も経験しているようなものだ。
私はそれをみて良い気味だと思いながら、動かしづらい人型から本来の姿に戻る。
大気中の熱で、あっという間にテントが崩れ落ち、隙間から空へと舞い上がる。
異変に気付いてか、争いをやめて遠巻きに眺める兵士たちの畏怖の視線が不快なことこの上ない。私は視界の端に、同じく本来の姿で空に舞い上がったクルを見ながら喉の奥でクククと鳴いた。
「戦って戦って、滅びればいい」
遠くから見上げる周りの兵士ではなく、眼下のテントの残骸に囲まれた、顔面を押さえている武将に、人間の言葉ではき捨てる。
「例え貴様が捕らえられ、幾度身を裂かれ地獄の苦しみを味わおうとも、寿命が尽きるまで死ぬことは叶わないだろう。愛するものが出来たとしても、同じ時を歩むことはできない。私は助けない。幾度貴様が死を請おうとも、この自由な空に舞い上がり、惨めな貴様をあざ笑ってやる」
何か言いたそうなクルを視界の隅でとらえながら、私は最後に惨めな男を一瞥すると、未だに高温を持ったままの翼を翻して飛び去った。
しばらく飛ぶと、辺りの切り立った山々に隠れるようにして見慣れた垂直の崖が見えてきた。翼に力を入れて体をぐんぐんと上昇させる。
途中で霧のような雲を熱で蒸発させながら、頂上付近に開いている小さな洞穴へ入り、細かな砂の目立つ暖かい巣床に入り、翼を畳む。
翼を立たんで、しばらくすると冷静にもなり、先ほどの自分の暴言の数々が蘇ってきた。
それとともに、自分の教育の結果、礼儀正しく育った息子に、先ほどの自分の姿が映っていたことを思い、背後の無言の息子が怖かった。
「母様」
どこか強張った、いつもより大分低いクルの声に不覚にも羽毛が震えてしまう。
数えられないほど年の離れた息子だが、教育は愛情を持って厳しく育てた。日頃自分が注意していた言葉遣いを、まずい形で披露してしまったようだ。
「クル、あれだ。・・・人間の使う言葉というのは、きわめて乱暴なものでな」
礼儀正しい息子に居たたまれなくなり、視線を泳がせながら呟くと、クルのいかにも呆れた、というような気配が伝わってきた。言外に、人間の使う言語に責任転換を試みてみたが、無駄だったようだ。
「母様・・・言葉に非はなく、使う側の問題です」
「だ、だが・・・」
「やりすぎです。我等に怪我など残らないというのに、怒りに任せて・・・いくら人間とはいえ・・・」
滅多に起こらないクルが、戸惑いながらも怒りを顕わにしている。弁解しようとしても、私が関係のない人間十数人を殺してしまったことには変わらず、クルの言葉を聞いて今更ながらに頭が冷えて項垂れた。
「・・・すまなかった・・・お前が傷つけられて我を忘れてしまった」
「一瞬で死んだ人間達が少し哀れです。・・・あの場では、戦どころではないでしょう」
厳しい表情でそういった後に、数秒黙り込み、ただ、と言ったクルの雰囲気が少しだけ和らいだ。
「・・・ただ、あの場にいた人間であればあの武将が不死であると思うでしょうし、空高くに飛び去る母様と私の姿も見ました。戦にも決着がつけば、また緑の草原に戻るかもしれないというのは、皆の期待を裏切らないですみました」
「・・・すまない」
ほっそりとした嘴から流れる言葉に、改めて反省をしながら苦笑する。
いつのまに息子はこれだけ考えるようになったのだろう。ついこの前までは餌を強請る幼子だったのに。
少し考えたあと、クルに体を寄せ、疲れを訴える首をクルの背中、翼の生え際に横たえる。僅かに驚いた反応をするが、好きにさせてくれた。
少し高い体温も心地よく、私とは僅かに違う色合いの、柔らかな羽毛を首の下に感じて瞼を閉じる。
「母様」
「ん」
「あの時・・・私のことで怒ってくださり、ありがとうございました」
顔をつけているせいで内側に響くように聞こえるクルの声は、いつもの優しさを含む声音に戻っていた。
明日、また見に行きましょうねと言うクルに顔の動作で頷いて、私は頬を、温かなクルの羽毛にそっと押し付けた。
●《自己批評》
『こんばんは!
お久しぶりです! わー久しぶり・・・ええと、多分半年ぶりくらいでしょうか?
大学受験まであと10日余りなのですが、若干現実逃避のためにと気付いたらワードを立ち上げていました・・・。
どうにも、まず起の文が難しかったような・・・
そして、起の文に合わせたところ、とうとう視点人物の名前が一度も出てこなかったという(笑
久しぶりに書いても、やはり長くなってしまいました。
でも、やはり限られた環境で書くというのは頭を使うので楽しいです。
ありがとうございました(^^ 』
《Kaleidoscope―万華鏡― 望月来羅》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『さよならフィフティ・ナイナーズ』
著者:松永夏馬
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。
「どっかで読んだ本の受け売りなんスけどね」
そう彼が言った時、私の中で必死に抑えてきた何かが崩れた。張り詰めていた何かが切れた。
********************
「今日はさぁ、ユキの為に企画したんだからね。気合入れてよッ」
店に入る前にアンナにそう言われた。頼んだつもりもない。そもそも私から奪った彼がいるにも関わらず合コンを企画する彼女の神経を疑うが、そんなことも言い出せずにいる。
「でも私は……」
彼女の濁流のような強引さに引きずられてここにいる。それでも、その濁流に逆らおうという意思もない。自己嫌悪の螺旋は下へ下へと落ちていく一方。
先週彼が私の部屋へ来て、別れを告げた。
彼の隣にはアンナがいた。
修羅場……にすらならなかった。頭の中は混乱してぐるぐる廻るだけで、文句も口から出てくることはなく、やっとの思いで搾り出した声は「しょうがないよね」
馬鹿だ。
「アンナを大事にしてあげてね」
馬鹿すぎる。
それでも普段と変わらない一週間を過ごした。朝出勤してお茶を煎れ同僚と談笑し上司のグチを聞き電話を取り事務仕事に勤しんだ。ルーチンワークに徹することで、心の平静を保ちつづけてきた。私は大丈夫。
女友達数人に囲まれて、わざと約束の時間よりいくらか遅れて店へと向かう。
どうして言われるがままにここにいるのだろうか。
そんなの決まっている。私は普段どおりにしているだけ。別に辛くなんてないんだから。
洒落た居酒屋は押さえ気味の照明とBGMがステキだった。静かにお酒を飲むのならきっと美味しく飲めるだろうに、私達のテーブルだけはアホみたいに騒々しくて、そこにいるのが恥ずかしかった。
私の為だなんて言いながら、私のことをすっかり忘れたように媚びた笑顔を振り撒き喋るアンナ。自由奔放で人のことなど気にせず自分自身の為に生きる彼女。羨ましい。
羨ましい? まさか。彼女のような品のない厚顔無恥な女には絶対になりたくない。
そう思う反面、彼女のようにワガママに、自分勝手に生きてみたい。
グラスのウーロン茶を飲み干しながら、そんな相反する願望が頭の中を駆け巡る。ワガママで自由で自分勝手で、それでいて良識と気品あるお嬢様? アホくさ。正反対じゃないか。それだけ意見が対立しているんだから、そんなことできるわけないじゃない。
「ユキちゃん飲んでる? グラス空っぽじゃん、何飲む? カクテル? おーい、お姉さん注文ー」
「……でも、私は」
「もうこの娘ったら大人しいでしょぉ? 真面目すぎるのよねー。誰かいい男紹介してあげてよぉ」
「あ、じゃぁオレオレー」
「えー、ユウジさんてユキみたいなのがタイプなのぉ?」
爆発する笑い声。
ますます帰りたくなった。
どうしてこう、私は言いたいことも言えずに愛想笑いで済まそうとするのだろうか。悲しくなって、聞いたことの無い名前のカクテルを一気に飲み干してやった。
「それでさぁ―――」
「ユキちゃん飲んでる?―――」
「―――」
「―――コレ美味しくなくない?」
「あはははははッ―――」
「―――昨日のテレビで」
「今度―――」
「―――」
「―――マジでぇ?」
「誰か注文―――」
「―――」
「飲んで飲んで―――」
「―――ユキはさぁ」
「―――」
「―――」
「―――ねぇ聞いてる? ユキ」
帰りたいのに帰りたいと言い出せない自分が嫌いだ。大嫌いだ。
********************
終電1本前の電車を降りると、タクシー乗り場は長蛇の列で、私はため息をついた。寒々しいこのロータリィで待ちつづけるのと、歩いて帰るのと、どちらがマシかしら。ロクに考えもせず私はくるりと踵を返す。酔った時の高揚感などというものはまったくなく、ただただ気だるい。
「タクシー、使わないんスか?」
振り向くと彼がいた。合コンの男性陣の中で一番若い、おそらく私よりも年下の……申し訳ないが名前は憶えていない。
「近いから」
「じゃぁ。送ります」
「でも……」
店では盛り上げ役に徹していた騒がしい印象だったが、こうしてみると落ち着いた、というか大人しい穏やかな顔つきをした青年だった。
「ああ、別に隙あらば上がりこもうとか思ってないスから。送り届けたらそのまま帰ります、ホントに」
静かにそう言った。変に言い訳っぽく聞こえないからそんな気もなさそうで、むしろ困った。真面目そうな彼だから、おおかたメンバに酔った私のお守りを押し付けられたかしたのだろう。
「……ホントはけっこう遠いよ?」
歩けば30分くらいかかるだろうか。
「タクシー待ちしようとしたくらいですからねぇ。そんなことだろうと思いました」
なんだか楽しげにそう彼は言った。
「でも遅くなっちゃうよ? もうすぐ終電だし」
「この近所にツレがいますんで。イザとなったら転がりこみます。大丈夫」
「でも……」
言いよどむ私を尻目に、行きましょう、と促した。優しげな顔をして、何気に強引だ。それが使命だと言わんばかりに頷いた彼に、私は苦笑いしつつ灯りの乏しい駅前商店街を歩き出した。
会話はそれなりにあった。彼が「星が綺麗スねぇ」とか「あ、猫だ」とかのんびりとした声で脈絡無く話し、私がたまに相槌を打つとその話題を膨らませてくれる。
酔った私を気遣ってくれているのがわかる。それでいて馴れ馴れしくならずに適当な距離を保ち続ける彼が、ありがたかった。彼の目に私が女性として映っているかは疑問だが、今はそのくらいが心地いい。
今夜はとても辛かった、それなのに何故か今はちょっぴり楽しかった。
ひさしぶりに感情が揺れ動いた夜。
********************
「人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。……どっかで読んだ本の受け売りなんスけどね」
どういう話題の流れでこの言葉が出てきたのかわからないが、この言葉は私に突き刺さった。その衝撃は一瞬にして私の奥底に沈めていた澱をかき混ぜ浮かび上がらせる。淀んだ澱が膨れ上がりその体積を増す。
あの人はもういない。とりえのない自分を愛してくれたあの人はもういない。真面目で優しくて人がいいのが君のとりえだと言ってくれたあの人はもういない。真面目すぎて、いい人すぎた自分が悪い。調子に乗って女友達に自慢がてら彼を紹介した自分が悪い。わかっている。そんな女友達に何も言えない自分が嫌。わかっていて変わらない自分が嫌。変わろうとしない自分が嫌。自分が変わらなければ世界だって変わらないのに。私は。私は。
私という個は、小暮ユキという脆弱な個は、時の流れから取り残されていく。
―――あふれる。
その瞬間堰を切って溢れ出す何かを、私は押し留めることができなかった。
ぼろぼろと零れ落ちる涙に気付いた時はもう遅かった。止められなかった。
深夜の住宅街のど真ん中で、私は泣いていた。号泣していたといってもいいだろう。
不安げな手付きでふわりと抱きしめてくれた彼の胸を叩き、掴んだコートの胸元をしわくちゃにして、時に子供のように声を荒げ、時に嗚咽を漏らし、歯を食いしばり、泣いていた。地面に崩れ落ちそうになりながら、彼のコートを千切らんばかりに掴みながら、泣き続けた。
泣いて泣いて。泣いても何も変わらないと知りながら、それでも、それだからこそ涙は止まらなかった。
どれだけ泣いていたのだろうか。
「―――」
彼が何か言っている。歪む視界の中で彼の困ったような顔も歪む。
「―――」
聞こえない。
「―――」
何? 何を言ってるの?
「―――めん」
ああ、そうか。私の所為か。自分の嗚咽が煩わしい。
「ごめんて」
聞こえた。泣き疲れた私の耳に、ようやく彼の声が届いた。
「ごめんね」
「……何?」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった頭では彼が何を言っているのかわからなくて。
「なんで、謝ってんの?」
どもりながらそれだけ言うと、彼はどうしようもなく不安げな顔で私を見返し、思い出したように慌てて私を背から手を放した。彼のコートの胸元が濡れている。
「ごめん、なんかオレ変なこと言って……言った?」
そうか、彼は私が突然泣き出したから。
「違う。大丈夫。ごめんね」
無理矢理笑顔を作って彼にそう言った。慌ててハンカチで彼のコートの染みを拭くが上手くいかない。申し訳ない気分と共に急に寒さが身にしみて、私はマフラに首を埋めた。
「ごめん、汚しちゃった」
「庶民の味方ユニクロですから」
真面目な顔の彼の返事にクスリと笑う。
「合コンにユニクロじゃモテないよ」
「それを言われると痛いですね」
への字にまげた彼の口元。彼はきっとモテないのだろうな、と私は思う。
「私さ」
しばらく逡巡した後で、どこか遠くを見ながら私は口を開いた。化粧がもうぼろぼろなのは気にしないことにした。あれだけ泣き喚いて醜態さらしたのだから今更関係ない。
「こないだフラれたとこなんだ」
彼は頷くだけで何も言わず、傍らの自動販売機にコインを入れた。
「もうわけわかんなくってさ。いろいろ言いたい事あったのに、しょうがないよね、とか言っちゃってやんの。馬ッ鹿みたい」
無言のまま私の目の前に缶コーヒーとココアが差し出された。躊躇いつつも「ありがとう」と呟いてココアを受け取る。プルトップを開けると、湯気となった甘い香りが鼻腔をくすぐり、何故かホッとした。
「自分は平気なんだって言い聞かせて。うん、別にあの人に未練があるとかそういうんじゃないんだけど、なんか泣いたら負けな気がしてたのよね。あーあ」
やっぱり負けちゃった。泣かないって決めてたのにな。泣くくらいならあの人やアンナに言いたい事言えばいいのにって。そうしたらきっと。
「言葉ってのは、時には凄まじく乱暴なものだったりするんですよね」
彼は両手で缶コーヒーを包み、それをじっと見つめてのんびりと言った。
「だから、その時の激情に流されずにいられたユキさんは優しい人です」
「そんなとこ褒めないでよ」
私が口を尖らせると、彼は肩をすくめた。
「別に褒めてません」
あっさりと言い返した彼は、ゆっくりと缶コーヒーのプルトップを引いた。
「泣けばいいじゃないですか。思いっきり。さっきみたいに。悔しさも憤りも情けなさも、泣くだけ泣いて全部全部出し切って、空っぽにしちゃえばいいんスよ」
缶の口から立ち上る湯気の中の何かを見つめ、彼は続ける。
「溜め込んでたら重くなるだけ。ますますバランス取れなくなりますよ。泣きたい時は思いっきり泣けばいいんです。泣きたくなくなるまで泣いて泣いて泣いて、そしたら。そしたら笑えます」
そっか。そんなもんなのかな。
確かに、いかに危ういバランスの上で平静を装っていたかが今わかったところだ。
私が小さく頷くと、彼は急に照れたようにコーヒーをガブリと飲んだ。そして、ふわりと街灯のスポットライトの下へと歩み出ると、顎をあげて猫背気味だった背中を伸ばす。
「泣くだけ泣いて、そしたら顔を上げ、胸を張る。背筋を伸ばす。これだけでも『変わる』んですよ」
そう言われるとそんな気になっていくのが不思議だ。
「そんでもって、歩く時は、こう」
片手を腰に当て、足をスッと出して、お尻を振る。
出来そこないのマリリン・モンローみたい。
なんだよ、もう。さっそくウチ帰ったらもう一度泣いてやろうと思ってたのに。
●《自己批評》
『お題を上手く使えず少し悔しい。
タイトルは某アルバム曲から。泣いたっていいじゃない。』
《Missing Essayist Evolution 松永夏馬》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『虹色噴水〜セイシュンは後悔しない』
著者:なずな
「人が変わっていくのは救いだわ。変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい」
壁に寄り掛かって立っているのが「片岡さん」だと気づいた時、彼女のその言葉を思い出した。
お洒落なレストランでの同窓会は案外盛況だ。
高校を卒業してから12年。葉書を貰った時は行くつもりなどなかったが、仕事のスケジュールばかりの予定表に
ふと、他の予定を書き加えてみたくなった。特に会いたい人がいたわけではない。
地元を出てこちらに居る人の集まり、学年も関係なし・・というのがかえって気楽な気がした。12年の歳月はどんな風に人を変えるんだろう。自分のこの12年は他の人から
見たらどうなんだろう・・
鈴木沙恵は定期入れの奥から吉野俊太の7年前の写真を抜き出して眺め、そして迷いながらまた、奥の方に差し込んだ。
「片岡さん・・よね?」
つい、話しかけてしまった。
小学校、中学校、高校と同じところに通ったのに、ほとんど話しをした覚えがない。
小学校の時は大人しくて目立たないタイプだった。
中学以降はどんな心境の変化か、ごろりと変わる彼女の外見にいつも戸惑った。
黒髪ロングストレート 校則違反のパーマに茶髪 いきなりのベリーショート・・
誰ともつるまず一人で平気な顔している彼女には、いつも中心グループからの風当たりが強かった。
次々と付き合う相手を替え、その相手に合わせているのだという根拠のない噂が流れ
聞こえよがしにその事について言われた時、彼女の口から出たのがあのセリフだった。
華やかな席に似合わない、タイトな黒のパンツスーツにショートカット、グラスを片手にした彼女を横目で見ながら、
沙恵は少しずつ、自分が苗字の上を取って「鈴」と呼ばれていた頃のことを思い出していた。
周りがニックネームや名前で呼び合う中、彼女だけはいつもどんな外見の時も「片岡さん」だった。
「鈴」
続く言葉が見当たらなくて口篭っているところに、バレー部キャプテンだった美波が声を掛けてきた。
さっき「変わった」と言われて「それって老けたってことぉ?」なんて泣きまねしていた女だ。
「鈴」とニックネームで呼ばれるだけで、気持ちは学生時代に戻る気がする。
「久しぶり。誰とも連絡取ってないみたいだし、心配してたのよ。ほら、吉野君のこと・・」
声を潜め、美波はさも、気にしていてくれたように言う。
「あ、でも・・鈴のことだから ただずっと沈んだままでいるなんて思ってなかったけどね」
美波が俊太のことを切りだすと、少し離れたところで先ほどまで美波と談笑していたメンバーの、探るような視線を感じた。
中の数人は俊太の葬儀で顔を合わせていた。美波は海外赴任の夫について行ったとかで、確か日本にはいなかったはずだ。
「結婚直前だったのよね。もう7年にもなるの?大変だったよねぇ」
同窓会に出ると決めた時点で、予測できなかった事ではなかった。それでもやはり動揺した。
沙恵は、呼吸を整え顔を上げると、美波に向かって明るい笑顔を作って見せる。
「鈴」って子はそういう子だったはずだから。
「有難う。もう大丈夫。俊太もね、事故にあったなんて思えないくらい綺麗な最期だったんだよ。今じゃ 笑顔の俊太しか思い出さないし」
「そっか、ごめんね。私あの時いなくって、何の力にもなれなかったね。・・・でも鈴みたいな彼女がいて、幸せなヤツだったよね」
「うん、きっと 俊太もそう言ってくれると思うよ」
重い気持ちに反し、すらすらと綺麗な言葉が口から出る。
笑って見せたりしてさ、話を早く終わりたいのに。美波、早く離れてくれないかな。
「鈴、ねぇ食べ物取りに行こう」
片岡さんに、「鈴」と呼ばれたことがあったかどうかも思い出せない。
いきなり間に割って入ってきた片岡さんは沙恵の腕を掴んで引き寄せた。
わざとらしく、美波にドンと肩をぶつけ
「あ、ごめんなさい、えぇと・・誰、だっけ?」
片岡さんは冷たい視線を美波に投げると、沙恵の手を強引に引っ張って、料理の皿の載ったテーブルの方へと向かった。
*
「ありがとう。助かった。・・片岡さんも勿論知ってたんだよね?」
大して食べもせず その後すぐ片岡さんと一緒に会場を抜けた。飲んだのは乾杯の時のワインだけなのに頬が熱い。
片岡さんは乾杯からずっと飲んでいたらしい。昔より話しかけやすい雰囲気があるのはお互いの酔いのせいなのかもしれない。
ぶらぶらと大通りを抜け、公園の噴水の周りを歩く。
一つだけ高く上がっていた噴水がすっと止まり、残った波紋だけが静かに広がっていく。
数分後にはまた一斉に何本もの噴水が上がるはずだ。幾種類もの上がり方のパターンを持つこの噴水は
一人で眺めていても飽きる事がない。沙恵が一人でぼんやりしたい時によく来る場所だった。
「何が?」
「俊太のこと」
ああ・・と沙恵の方を見もせずに片岡さんはさらりと言う。
「実家に用があって帰った時聞いた。狭い世界だからね。嫌になる」
「そう・・」
「話したくないんでしょ。別に無理矢理聞こうなんて思わないから」
そっけなく冷たい感じのする話し方。気遣ってくれるのだろうか、そう思うと沙恵は余計に声を明るくして答えた。
「そんなことないよ。俊太との思い出は全部 学校に繋がってるし・・・」
「片岡さんも小学校からずっと同じだったよね。俊太とも何回か同じクラスになった?」
上滑りする言葉が口をついて出る。あの頃と同じ。
泣いて泣いてまだ足りなくて 大声出して泣き叫びたかったのに 俊太のお母さんを励まして、笑わせた。
「気丈な婚約者」を演じ続けた。いつも貼り付けたような笑顔が鏡に映っていた。やがてはそんな生活に酷く草臥れて、一年後仕事を理由にして田舎を出た。
「こうやって、一緒に思い出語ってくれる人がいるって、俊太にとっても嬉しいことなんじゃないかな」
片岡さんは静かに風に揺れる水面を、何だか難しい顔で見つめていたが、小さくクスリと笑うと、ゆっくりと首を回して鈴の顔をじっと見た。
「『完全燃焼、後悔しない青春』?『青春は後悔しない』? 学園祭のテーマ決める時のこと、私よく覚えてる」
いつも全然興味なさそうに窓の外を見ていた片岡さん。彼女からそんな思い出話を聞くなんて予想もしなかったことだった。
「ああ、あの時ね・・あの時も派手に俊太のこと責めちゃったっけ」
こうやって誰かと俊太の話をすれば、俊太は「過去の思い出」にできる。同窓会に期待したのは そういうことだったかもしれない。結局、会場からは逃げ出してしまったけれど。
「クラス委員でいつも前向きな鈴木さん、『どうせ』が口癖、後ろ向き吉野君。二人よく言い合いしてた」
沙恵がクラスで何か提案すると、俊太がいちいち面倒だとか、面白くないとか文句を言う。
その時も何とか意見を纏めようとしていた。他の案も出ないので、沙恵が一人で考えて一人で進めているようなHRだった。
「人生、後悔してナンボ」
もう決まりかけてたのに俊太が言い出した。
「どっちにしろ 青春とか言う時点でもうダサいの」
どうして今になってかき回すの、司会の沙恵が俊太を咎める。そんなこと言うなら最初っからいい案出してよ。
「夫婦喧嘩」と周囲は苦笑し、いつものように最後に俊太が皆の前で折れた。
結局その後、クラスの意見が何となく纏まって行き、渋々の顔をしたまま、俊太が一番に協力してくれた。いつも そんな風だった。
俊太とずっとそのまま一緒にいられると沙恵は信じていた。
なのに 大学を卒業して就職も順調にして結婚の話を進めてた矢先、俊太はあっけなく逝ってしまったのだ。
式の打ち合わせをするため待ち合わせ場所に向かっている途中のバイクの事故だった。
「あれだけ喧嘩ばかりしてるんだもの、鈴木さんたち結婚なんてできるわけがないと思ってた」
「わぁ・・片岡さんに そんな風に見られてたんだ」
言い方にちょっと剣を感じたが、気にしないふりして沙恵は返事した。
止まっていた噴水が音を立てて上がり、水しぶきが顔に跳ねる。水音にかき消されそうな声で片岡さんは呟いた。
「見てたわよ。ずっと見てた。小学校の頃から 私は吉野君のこと見ていたんだから」
「え?」
「鈴木さんより私の方がきっと、いっぱい吉野君のこと好きだった」
今度は声を噴水に負けないように大きくして、片岡さんはきっぱりと言った。
噴水の前、真面目な顔して向き合う二人を、犬を散歩させている人が怪訝そうに見ながら通り過ぎた。
「吉野君の好きな音楽も好きな本も 私、全部知ってた。全部一緒だった。もっと話ができたら、絶対私たちの方が気が合った」
「どんなに外見を変えても誰と付き合っても結局は一緒だった。変わることなんて楽しくも何ともなかったんだ。
ずっと変わらない想いだけ抱えてた」
「吉野君の良さ、私の方がきっと解ってた。運命がどこかで変えられて、私と吉野君が付きあってたら、ってよく空想した」
沙恵の返事を待たず、片岡さんは言葉を続ける。どんなに長い間心の内に留めていた言葉だったのだろう。
「・・空想した。もしそうだったら・・」
だけど何で今・・・作り笑顔が退いて行き、得体の知れない黒い感情が沸々と湧いて来くる。
「まだ吉野君は生きてたかもしれないって・・」
沙恵の身体がぶるりと震えた。握った手の平に爪が食い込んだ。火照った頬から急速に熱が退いていくのを感じた。
「何なの・・?」
言葉にした途端、固く閉ざした蓋が外れ、気持ちがあふれ出た。
静かに息を潜めていたものが弾け出る。勢いよく跳ね上がる。止められなかった。
「話ができてたら気があった?自分と付きあってたら今頃生きてる?」
変えられなかった運命を何で今頃そんな風に言うの?どこで運命が変わっていたら、死んだ人は生き返る?
片岡さんは青ざめた顔でまっすぐに沙恵を見る。微かに唇が震えたが言葉は出なかった。
「一度でも俊太に気持ちを伝えたの?伝えもしなかったくせに、勝手なこと言わないで。」
言葉は酷く暴力的で、人を傷つける。
俊太には何も気にせずポンポン思ったことを言えたけれど 他の人には言葉を選んできた。
クラスで浮きがちな片岡さんのことだって、さり気なくフォローしてきたつもりだった。
彼女のこと苦手だと思っていたのは、やはり彼女の俊太への想いをそれとなく感じていたからだ。
沈黙が恐ろしく長く感じる。火照った頬が急速に冷える。
取り返しのつかない言葉を言ってしまったと沙恵が悔やんだ時
「そうよね。鈴木さんがいるから『どうせ』あたしなんか・・先にそう思ってた。情けないことに私も『後ろ向き』なヤツでね」
自嘲ぎみに笑って見せ、片岡さんは声を低くして続けて言った。
「前向きで頑張り屋なんて、大迷惑。同窓会なんて出てきて、何?はい、7年経ちました、私はもう元気ですって?」
確かにそういうつもりだったかもしれない。
ちゃんと元気な自分、強くて明るい、今も変わらない「鈴」を誰かに見て欲しかったのかもしれない。そして確認したかったのだ。私は大丈夫。後悔することなんて何もない。
「違う・・」
違う、そうじゃない。後悔ばかりした7年だった。
誰かにずっと責められているような気がする7年だった。
「待ち合わせがあそこじゃなかったら、あの日じゃなかったら・・付き合ってたのが私じゃなかったら
・・俊太の人生変わっていたのかなって、そんなこと、私だって何度も考えた。
私だってずっと考えていたんだ。後悔ばっかりしてたんだ」
「やっと本音が出た」
片岡さんが首をすくめて小さく笑った。皮肉な感じの全くない優しげな笑顔に沙恵は返って戸惑う。
決まり悪そうに沙恵もクスリと笑うと、心がほぐれて少し楽になった。
照れくさくて情けなくて それでも何故だか少しすっきりした気持ちになった。
会場を抜けた時はまだ夕暮れだったのに、もう空はすっかり暗い。
見上げた夜空には冬の星座が瞬いている。
小さな噴水がいくつか音を立てずに上がった。
「あのさ、一度だけ話す機会があってね、私言ったことがあるんだ。吉野君に」
「何?」
「あんなに皆の前で喧嘩ばっかしてさ、合わないんじゃないのお宅たち・・って。そしたらね」
「・・・俊太、何て?」
「生真面目で突っ走りすぎるから、あいつ、放っておくとクラスの中で浮く。
だから、オレがあそこで反対のこと言って、バランス取ってやってんのって」
「『前向きな自分ってヤツ』に縛られて、ガチガチになってやんの。オレはそれを解す役なわけ、って」
「俊太そんなこと言ったんだ」
「一生教えてなんかあげないつもりだったけど ・・ああ、悔しい。言っちゃった」
片岡さんはそう言いながら、くるりと背中を見せた。
「大嫌いだったのに、あなた励ましにわざわざ出てきたことになっちゃったじゃない。馬鹿みたい、同窓会なんて来なきゃよかった」
噴水が止まり、静かな闇になる。
「片岡さん」
綺麗なラインの黒いパンツスーツ。後ろ姿に沙恵が声を掛けても、片岡さんは答えなかった。
「私もあなたのこと何となくきらいだった」
池の底、虹色の照明が一斉に点き、噴水を下から照らし出す。
次の瞬間 七本の大きな噴水が水音も高く噴き上がる。
「私もね、同窓会なんてつまんなかった。来たことすぐに後悔した」
水音が大きくて、片岡さんに声が届いたのかどうか解らない。
「だけど今日は片岡さんに会えた。話せて良かった。ありがとう」
一言一言区切って声張り上げて、言った。
「ばっかみたい」
噴水の音に負けないくらい片岡さんも大声出で叫んで返した。
言い方は酷く乱暴だったけれど その響きは今までの中で一番優しかった。
「人生、後悔してナンボ」
虹色のライトに照らされた身体折り曲げて、二人クツクツ笑った。
●《自己批評》
『ハアハアゼイゼイ。
難しいお題でした。存在感のあるお題でした。
。。。これで限界です。』
《STAND BY ME なずな》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『散ると恋』
著者:空蝉八尋
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、俺はごめんこうむりたい。
俺は変わってやるんだ。
誰がなんと言おうが、それが正しかろうが、今の俺のままでは手が届かないものが沢山ある。
俺は自分の手で何もかもを掴みたい。
人に救って貰うだけなんて、格好悪すぎるだろうが。
「難しいかおしてるわねぇ」
顎を支えていた手を離し、顔を上げた。
いつの間にか長い髪を揺らし、生意気そうに微笑んでいる美穂が立っている。
俺より年下のくせに、美穂はやたらと姉さんぶっている節があり、そこが毎度と気に食わない。
「別に……なに」
「暇だから、ケンちゃんの相手でもしてあげようかと思って」
そう言って美穂は俺の向かいの椅子に座った。
ざわついた空間、ガラスの向こうから田舎くさい夕日が差し込み、ロマンチックとは程遠い。
「この間もため息ばっかりついてたじゃない?」
「……もう冬も終わりだろ」
「そうね」
そう、冬が終わる。
俺は自分らしくもなく焦っていた。
「もしかしてケンちゃん、まだ……恭子」
「うるさい」
「まだ伝えてもないの?」
「うるさい!」
美穂は心底驚いてたように、元々大きな目を更に丸くさせた。
そして面白そうに笑う。
「ケンちゃんらしくないネ」
「からかうなよ。正直ちっとも相手にされてない」
美穂は髪の毛を弄びながら、ガラス窓の向こうの街並みを見つめる。
「……いつだって、子供扱いだよ」
「伝える気もないくせに」
「あれだけ意見が対立してるんだから、そんなことできるわけないだろ」
「意見?」
しまったと思った。美穂は興味津津に俺の顔を覗き込む。
「意見て、なあに」
「なんでもないよ!」
俺のまわりには、彼女はやめておけだとか、釣り合わないだとか、頑張ってねだとか。
無責任に言う奴が多すぎる。
難しいことの嫌いな美穂はあまり深くは追求せず、ふうっと息を吐いた。
「らしくないよ、ホント。恋愛なんてね、ゲームじゃない?」
「美穂だったら、の話だろ。俺……結構本気なんだ」
一目見て、彼女を好きになった。
その向日葵みたいな笑顔を、俺だけに向けてほしいと思った。
他の奴が近寄るたび、はらわたが煮えくりかえる。
俺だけのものにしたい。
俺だけの。
独占欲で人を殺せるなら、俺は大量殺人鬼になれると思う。
「なんかねぇ、一生懸命、好きでいなきゃって思ってるみたい」
「え?」
美穂は無邪気に笑った。
「頑張って好きで居続けなきゃって思うの、めんどうじゃない? だから、さっさと言っちゃいなヨ」
「言っちゃえばいいよ。言って、自分の気持ちハッキリさせてから考えれば?」
そのとき、窓の向こうに見慣れない車が停まった。
スーツを着込んだ男が運転席からおりる。
「誰だあの人。こっち見てるけど」
美穂がスカートの裾を翻して立ち上がった。
「やあね。あたしの、パ・パ」
「……お前のパパってあんな人だったっけ?」
「ふふ、迎えに来てくれるなんて気がきくじゃない」
美穂は膝の上に置いていた帽子をかぶり、「じゃあね」と立ち去ろうとした。
「あっ、待てよ美穂」
「なあに」
振り返った美穂は、早く「パパ」の元へ駆け寄りたそうな顔をしていた。
「もうすぐ誕生日だろ。なにがほしい」
「くれるの?」
「さっきのお礼も兼ねてな」
美穂は口に指をあてて少し考えて見せた後、口許を歪ませる。
「オモチャが、ほしい」
「おもちゃねぇ……」
聞き慣れたはずの怪しげな響きに、俺はわざと眉をひそめて見せた。
「あたしの思い通りに動かせる、お人形なんかじゃダメ。飽きちゃったもの」
「じゃあ、どんなのがいい」
美穂は背を向けると、足早に去りながら言い残す。
「もっとスリルあるやつ!」
彼女はまぶしい。
「あら」
俺に気付くと、すぐに笑ってくれる。
「どうしたの?」
聴くまでもないくせに。
わかっているくせに。
残酷だ。
「恭子、好きだ」
ほら。君はまた驚いたような顔をして、そして怒ったようにため息を吐いて。
告げるんだろう。
「健吾くん、先生に向って呼び捨てはダメって言ったでしょう?」
俺の園服を引っ張りあげ、キッと眉を吊り上げる姿もまた素敵だ。
「それと。先生の下駄箱にお花をいれてくれるの嬉しいんだけど、あれお庭のでしょう、ダメよ摘んじゃ」
「……はい」
「あとね、美穂ちゃんはパンダ組でしょ、おかえりの時間は自分の教室に居る様にいってあげてね」
「はい」
そして優しく帽子をかぶせてくれる。
エプロンから、太陽と洗たくの香り。
「じゃあね健吾くん、また明日」
「…………さようなら」
言葉というのは、きわめて乱暴なものである。
俺は後日、美穂にジェンガを贈った。
●《自己批評》
『よかった書けないかと思った今回あーよかった。
全然よくない orz
なんだこれは……ナンダコレワー!!!!!
もうね、道路標識覚えるのにいっぱいいっぱいなんですわ。
思わずこんなネタもでてくるってものですよ。
……って全然関係ないやないか!!(びしーっ
誰か私に飛行石を与えてはくれませぬか
絶対あのでっかい雲ん中にラピュタがあるんですってば
ん?あれ皆様がなんか目ェ合わせてくれなくなったぞ あれ
ちょ、まって
どこへ行こうというのだね』
●《その他私信等》
『自己評価が無駄に長い。
そしてそろそろ高校生でなくなる今、いたいたしいのではないかと思っ( 』
《片翼てふてふ。 空蝉八尋》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『蛇』
著者:rudo

「人が変わっていくのは救いであって
自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい」
なにそれ・・誰が言ったんだっけ。
無理やりつれていかれた自己啓発の講義の中だったか
変な宗教かぶれの客が言ったんだったか・・
私はいやだ。
私はいまのままでいい。
自分が変わってしまう世界なんて それこそごめんこうむりたい。
誰が死のうが生きようが
そんなことは知ったこっちゃない。
それが私だ。
いままでも・・・これからも。
-----------------------------------------------------
激しい喉の渇きで目が覚めた。
「ちょっと 飲みすぎたかも・・」
のろのろと起き上がりふすまをあけたとたん
二日酔いも吹っ飛ぶほど腹が立った。
リビングに使用している台所続きの8畳間には
食べ残したポテトチップのかすがあちこちに飛び散り
ファッション誌やら 女性週刊誌やら まんがやらが
開きっぱなしのまま何冊も放り出してあった。
だからフィリピーナはいやなんだ。
むかむかしながら冷蔵庫をあける。
水がない。 ミネラルウォーターのペットボトル・・
ペットボトルは部屋の中にそのまま転がっていた。
「リリイ!!」 「リリイ いるんでしょっ」
乱暴に閉まっている方のふすまを開ける。
リリイは引きっぱなしの布団の上で寝そべって
足をぶらぶらさせながらお菓子を食べていた。
「オハヨ アキラちゃん オキルノオソイネ もうヒルよ」
「おはようじゃないよっ なんなの? この散らかりようは
どうして片付けないの? なんでごみを捨てない?
水も残ったならどうして冷蔵庫に入れておかないのよ?」
「アキラちゃん もスコシ ユックリシャベラないと ワカラナイヨ」
「いいからっ 片付けてよっ はやくっ」
食べているお菓子の袋をひったくる。
しぶしぶ部屋からでてきたリリイは雑誌をまとめて積み上げ
部屋の隅におしやり 空っぽのお菓子の袋をゴミ箱に突っ込むと
いたるところに落ちている お菓子のカスや粉を足で蹴散らした。
見ているだけで腹が立つ。
「なんなの? それは 片付けるっていうのはねっこうやんのよっ」
けっきょく アキラが全部片付け、掃除機をかけた。
なんだか納得がいかないが部屋の中が
すっきりと元に戻ると気持ちも少し穏やかになる。
「アキラちゃん ソウジ ジョウズね」
さっきまでなら 蹴り倒しているところだが
今なら睨み付けるくらいで許す。
だいたいフィリピーナってやつはだらしがない。
さらに言えば衛生観念もかなり怪しいと思う。
湯船の中で平気で下着を洗濯するのを見た時は鳥肌がたった。
やめてくれと怒ると なにをそんなに興奮しているのかわからないと言った顔で
「シタギ1マイにセンタクキなんて モタナイよお」 と言った。
日本人は細かい・・とぶつぶつ言いながら裸のまま部屋を歩き回り
今、洗った問題の下着を窓ガラスにくっつけた。
「リ・・リイ・・それは・・・なんなの?」
「ナニて? ホシテルヨ」
「そこは窓ガラスだよ?」
「カワクトオチルよ。 オチタラもうはいてもヘイキね。 カワイテルよ」
こういうことって・・フィリピーナの特性なんだろうか?
それともリリイ個人のものなんだろうか?
「ネエネエ アキラちゃん チョトだけソトイカナイ?」
リリイが甘ったるい匂いをさせながら近寄ってきた。
こいつはいつも 安っぽい匂いのガムを噛んでいる。
だめに決まってるだろう・・私は返事もしなかった。
だけどリリイはそんなこと少しも気にしない。
「アキラちゃん。 キノウね イバさんきたよ リリイ オカネもらたよ」
「伊庭さん来たの? いつ? なんだって?」
「アキラチャンが シゴトいって スグよ」
「ホントにオレのコかとか ホカにツキアテルヤツ イナイカ とかよ」
あーあ・・
「シツレイヨ デモ オコヅカイくれたからね ユルスヨ」
能天気な奴。最後の確認をされたんだよ・・
「ダカラネ アイスクリームタベイコウヨ ゴチソするよ」
「えっ?」 驚いた。
私は時々こんな風にフィリピーナを預かってきたけれど
部屋を提供している私に感謝を表した奴はひとりもいなかった。
いつもなら無視するところだが伊庭さんが来たのなら
もうあまり時間は残されてない。
「・・・わかった、行くよ。 でも私と一緒の時にはそのガム噛まないでよ。
くさい」
リリイはちろっと舌を出して悪びれた風もなく
「ワカタヨ」 と言った。
-----------------------------------------------------
伊庭さんというのはフィリピンパブの経営者で
アキラのいるスナックの常連客だ。
一週間ばかり前 伊庭さんはリリイを連れて飲みに来た。
アキラが席に着いたとたんすぐに
「アキラ しばらくリリイを預かってくれ」
「いやだ。 私フィリピーナ だいっ嫌いだから」
「アキラー。 いきなりそれはないでしょう?
どうしたのくらい聞いてくれよ」
「じゃ どうしたの?」
「あっちょっと待って」
そう言って伊庭さんはママを呼び何か食べさせてカラオケでも
やらせておいてとリリイをあずけた。
「あいつさ 子どもが出来たっていうんだよ」
「誰の?」
「俺の子・・・らしいよ・・本人は とにかくそうだって言ってる」
「伊庭さんが孕ませるとはまた 珍しいこともあるもんですね」
・・バカなフィリピーナ・・話をあわせながらちょっと同情した。
「まあ 寝るのには寝たんだけどね」
陽気に変なアクセントで歌うリリイの細い腰をみる。
「本当にできてるの?」
「さあね。もうどっちでもいいよ
ちょうど打診が来てたところなんだ」
「打診があったならあずからなくてもいいんじゃないの?」
「普通はね。すぐ送っちゃうけどね。
ただ今回はいくつか問題がある。 健の店のピナなんだ」
「健ちゃんの店の子に手を出したの?」
「知らなかったんだよ。 寝た後で聞いたらそうだったのっ」
「うちの店にスカウトしてもいいと思ってたけどね・・
あんなこと言い出すようじゃね。 オレ怒っちゃうよね」
健ちゃんの店と伊庭さんの店はフィリピンパブ同士だが
仲良く共存していて困った時は女の子をトレードすることもある。
そして健ちゃんも伊庭さんも裏の顔を持っている。
ただ健ちゃんの店は「お春さん」をやらせる。 いわゆる売春だ。
裏は裏でも周知の裏だ。
伊庭さんはそういうことはしない。
どちらかと言えば店の外で客に会うことを嫌う。
だけどみんな伊庭さんのお手つきだ。
伊庭さんはまず入店前に自分で味見をする。
そして伊庭さんの裏は・・
「健ちゃん・・知ってるの?」
「なんとなく・・ね・・健とはさ その件に関しては対立してるから・・
この先も分かり合えることはないだろうな」
「もう決まったんだね」
「たださ。もしかして健の店の客が相手かもしれないでしょ?
それはそれで金になるし・・
客じゃなくて誰か付き合ってる奴がいたら面倒だからね
ちょっと調べる間 隔離したいんだよね」
「できれば うまくその辺も聞き出してくれると
預ける期間が短くなるよ?」
「わかった。あずかるのはいいよ。
でも そっちのほうは約束できない」
「なんでよ」
「フィリピーナ嫌いだから 口利きたくないもん」
「ふん。まあ いいや。どっちでも」
そう言って伊庭さんはタバコに手を伸ばし
「オレ・・嘘つかれるのって許せないんだよね」 と言った。
アキラのつけた火に顔を近づける伊庭さんの目は
へびのように ただ黒くなんの光も放たない。
その夜からリリイはアキラの家に来ることになったが
荷物は紙袋がひとつとぺらぺらのピンクのポーチひとつだった。
使っていない四畳半を示してアキラはリリイに宣言した。
私がいない時はなるべくここにいること。
そっちの六畳は私の寝室だから絶対に開けないこと。
朝は私が起きてくるまでなにがっあっても起こさないこと。
部屋の電話には絶対に出ないこと。
ここにいる間は誰とも連絡をとらないこと。
リリイは神妙な顔をして「ワカタ」 と言った。
「アキラちゃんホントはなんていうの?」
「なにが?」
「アキラはオミセのナマエでしょう
オトモダチは ホントのナマエをオシエアウよ」
「私はあんたと友達になる気はないっ
だから教えない、どうしてかっていうとね。
フィリピーナがだぁーいっ嫌いだからっ」
リリイはちろっと舌を出して 「ワカタ」 と言った。
-----------------------------------------------------
「ハヤクハヤク アキラちゃん」
あずかりものを外に連れ出すのは初めてのことだ。
今回の私はちょっとおかしい。
普通あずかるといっても 一日か二日か・・
リリイとはちょっと長すぎたのかもしれない。
駅前の大型スーパーに入っているアイスクリーム屋。
「アキラちゃん ドレいい? ドレでもいいよ」
「チョコチップとマロンクリームとラズベリーのトリプル」
リリイがポーチを握り締めて唖然としている。
「嘘だよ。 チョコチップ。 カップで」
「ナンデ イイヨイイヨ ワタシ ドレでもいいって イッタよ」
「本当にいいよ。 そんなに食べれないから」
そう言っているのに リリイはもう注文している。
三段重ねのアイスクリームを二つ持って
ニコニコと寄ってくるリリイを見ていてなんだか
不思議な気持ちになった。
怒られても文句を言われても どこ吹く風。
おおらかで 細かいことを気にしなくて
だけどお金にシビアでしたたかで・・・
「オイシソね。 ワタシもトリプルにシタヨ」
手渡された今にも倒れそうなアイスをもてあまし気味になめながら
私はこの娘を助けてあげたいとおもった。
「リリイ 妊娠したって嘘でしょう?」
嬉しそうにアイスをあちこちの方向からなめていたリリイが
固まった。
「リリイ 伊庭さんはね 嘘がすごく嫌いなんだよ」
「ウソジャナイヨ。 イバさんのコ。 マチガイない」
「・・・イバさんのコよ」
「伊庭さんは・・子ども作れないんだよ・・」
リリイの目が泳ぐ。
「・・ジャ オキャクさんのコかも・・」
「リリイ 逃がしてあげるよ」
「ニガスて? なんで?」
「・・殺されちゃうよ」
「・・・・・」
「昨日伊庭さんが来たなら 早ければ今晩・・」
「よくワカラナイよ」
「生きていたい?」
「アタリマエヨ フィリピンにカゾクいるよ ワタシのおカネ マテルよ」
「じゃあ よく聞いて。私の言うとおりにして? いい?」
-----------------------------------------------------
いつもより長く感じる時間。
まだ8時、まだ10時・・
リリイはちゃんと言ったとおりにしただろうか・・
いつもの調子で「ワカタ」 そう言ったけど
どこまで真剣なのかがよくわからない。
どうか うまくいきますように・・・
きっと今晩ってことはないと思う。
私のいないときには連れて行かないと思う。
今までそんなことは一度もなかった。
きっと明日の朝だ。
だから 私が店に出ている間に出て行かせて
部屋にもどったらリリイがいなくなったと伊庭さんに連絡する。
伊庭さんはきっとあちこち探すだろうけど
大丈夫 見つからない。
リリイを匿ってもらう場所は私の古い友達だ。
伊庭さんには私が裏切ったなんてわからない。
大丈夫・・大丈夫・・
そればかり念じているうちに何が大丈夫なのかも
わからなくなった。
午前2時 家に戻る。 電気はついていない。
「よかった・・間に合ったんだ・・」
玄関をあけたとたん 切ないあえぎ声が聞こえた・・
私は固まったまま動けなくなった。
しばらくしてふすまを開けたのは伊庭さんだ。
リリイ・・どうして。
私は立っていられないほど震えていた。
伊庭さんが近づいてくる・・蛇のような目をして。
逸らしたくてもそれを許さない蛇の目。
「・・アキラ。 フィリピーナは嫌いじゃなかったのか?」
「・・・」
「隆一が見てたんだ。 仲良くアイスクリーム食べてたって?」
隆一・・隆一は伊庭さんの店のバーテンだ。
「ご・・ごめんな・・さ・・」
いきなり胸倉をつかまれた。
「あやまるなっ 最初からあやまるようなことをするなっ」
上気した顔のリリイが顔を覗かせた。
「ドシタノ? アッ アキラちゃんカエテキタ?」
伊庭さんはリリイに向かってことさら優しげに声をかける。
「じゃあ 車で待ってるから支度ができたらおいで」
そして私に向き直り言った・・
「アキラ 今回は許してやる。 次はいくらお前でも
牧場送りだ・・・」
ドアが閉まる音と同時に私はそのままへたり込んだ。
リリイが心配そうにかけよってくる
「アキラちゃんドシタノ? グアイワルイノ?」
大きな目・・まず目を取られる。角膜・・
「リリイ どうして行かなかったの?」
それから・・順番に・・腎臓も肺もすい臓も小腸も肝臓も・・
「イコウトしたら イバさんキタヨ。
でも アキラちゃんのカンチガイヨ。 イバさんオレのコならケッコンするって」
東南アジアのどこか・・
「でもアキラちゃんのイウトオリ ニンシン ウソ。
ワタシ ちゃんとイッテ アヤマタよ。 ユルシテクレタ これからツクレバ
イイよって」
死ぬまでそこから出られない。
とろけそうなリリイ・・
「アシタ イッショにフィリピン カエルよ」
家族がいるっていってたね・・リリイ。
「キュー デショ でも ドシテも モイッカイ アキラちゃんにアイタカタの
イバサンもソウシナサイて」
「そうなんだ・・・」
「アヤマロとオモタよ イウトオリシナカッタ から」
「うん、もういいよ」
「・・・アキラちゃん ナイテル? ワラテるけど ナイテルよ ヘンよ」
そういってリリイも笑う。
「アキラちゃん もうイクよ イバさん マテルから」
「・・・リリイ アイスありがとう。 ごちそうさま」
「アキラちゃんジャア・・」
玄関を出ようとしてリリイが振り向く。
「バイバイ リリイ」
永遠に・・バイバイ。
「アキラちゃん ホントはナマエなんてゆうの?」
私は背中を向けたまま返事をする。
「教えないよ。 友達じゃないから・・前もそう言ったでしょう」
「くすくすくす・・アキラちゃんラシね。 バイバイ」
バタン・・と永遠のドアが閉まる。
・・ばいばい。
言葉はいつだって乱暴に どちらかに分ける。
途中の気持の動きも・・
そこにいたる経過も無視して・・
結果だけをつきつける。
yesか noか・・
好きか 嫌いか・・
友達か 友達じゃないか・・
リリイは友達じゃない。
助けられなかったあの娘は・・
友達じゃない。
●《自己批評》
『長い。』
《rudoのあれこれ・・ rudo》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『絵本 〜the children books〜』
著者:真紅
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。
そんなのは、昔に書かれたような決まり事だらけの絵本の中だけにして欲しい。
本を開けばそこには必ず決まった世界があって、決まった登場人物がただ居るだけなのだから。
その世界で発せられる言葉だって、吹き出しの中でしか意味を持って存在できない。
私がこうして物を叩いても、そこは決まった音しか出ない何の面白味もない世界である。
ただ変わることがあるとすれば、そう、それは一つだけだ。
それは、その絵本を読む側の広い意味での認識である。
かの有名な「かぐや姫」だって、ある人が読めば「ああ、大好きなお爺さんとお婆さんと離れ離れになって、可哀想に」となるのだろう。
又ある人が読めば「故郷に帰れたじゃないか、良かった良かった」で終わってしまう。
更に此処に知識が加われば・・・と考えると、たかが絵本と言えど可能性は無限に広がってゆく。
だとしてもまぁ此処まで予想が容易いのだ、絵本の中の世界などたかが知れているに決まっている。
私は、機会があれば覗いて見たいなと呟いてみるが、すぐに馬鹿らしくなった。
子供の頃は、あれほど信じて止まなかった絵本の中の世界が、今ではその有様だ。
絵本の表紙とは正反対に、暖かさのカケラもないコンクリートの冷たい壁に背を預ける。
つ・・・と指でなぞる、子供の頃の自分が絵本にした落書きの線。
線は、まるで私の指を喰らっていくように黒く染める。
子供の頃の、絵本に落書きしていく自分の屈託の無い笑顔が頭にチラついた。
チラついて、チラついて、離れてくれないその気持ち悪さに私は思わず頭を掻き毟った。
"ねぇ、お母さんお父さん、この絵本面白いね"
私は、手にしていた本を、渾身の力を込めて床に叩きつけた。
その絵本を、買って貰った時の自分の屈託の無い笑顔を、私は砕いた。
小さな頃の自分が、傍で私を悲しそうに見上げているのが分かった。
埃に塗れた絵本が風で捲れて、ちょうど真ん中辺りで止まって私を待っていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
思い出の品を片付け、私は居間へと向かった。
居間からは男と女の怒鳴り合いが、ドアを隔てて廊下にまで聞こえている。
「どうにかしてよ、貴方が言ったんじゃない。大丈夫だって」
「無理を言うな、取引先との接待なんだ、急に入った仕事なんだから」
「あの子はあんなに楽しみにしてたのよ?」
「俺だって必死なんだ、お前達の為なんだよ」
母が、私のために父と喧嘩している。
何もこれが初めてじゃない父の「約束の破綻」の言い訳と、母の「専業主婦」という隠れ蓑。
私は、いつだってその真ん中に居る。
二人に、もう何度か忘れるぐらい譲り合うように私は促した。
しかし二人はいつも、こう言って私の目に目を合わせようとしない。
「あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことができるわけがないだろうが」
そういう問題では無い事ぐらい分かって欲しい、と叶わぬ願いをする。
願うが、神様は決して私のその願いに取り合ってくれようとはしないのだ。
だから果物ナイフで切り刻んだ、様々な呪文と共に神の名を書いた紙切れを私は勲章として壁に貼り付けた。
確か絵本の主人公も言っていた気がしたから。
"思ったら、すぐに行動に移す、それが大事なんだ。"
私は、それを覚えていたから行動に移した。
そして、母はその光景を見て私を酷く叱った。
あれほど「正しい」と信じていた絵本が、母にとっては間違っていたのだ。
私はショックで、それから絵本を手にしなくなった。
何故かそれからである、父と母が良くこうして喧嘩するようになったのは。
「大体あの子の事だってそうよ、貴方は何もしなかった」
「俺だってやったさ、絵本だって買ってやったろう」
「嘘、あれは私が買ってあげた」
「嘘だ、俺が買ったんだ」
「貴方は何時だってそうよ」
「お前は何時だってそうだ」
「「何も変わらない、何も変わろうとしない!!」」
「そうよ、貴方なんて」
「そうだ、お前なんて」
「「そんなに執着するなら、あの絵本の中へ消え去ってしまえ!!!!」」
―――――――――――――――――――――――――――――――
さっき投げ捨てた絵本は、とあるページが開いたままになって落ちていた。
私は立ち上がって、絵本を見る。
そのページはとても赤々とした景色に、男女の絵が描かれていた。
吹き出しも何も無いが、その二人の鬼気迫る表情からどういう状況かは読み取れる。
さっき投げ付けた拍子で、少し黒く汚れたそのページを布で拭う。
"貴方も、お前も、こっちへ来い"
そう聞こえた気がして、私は微笑んで「止めておくよ」と呟く。
呟いて、本を閉じて私は家を出た。
「・・・せっかく呪文を解いてあげようと思ったのにな」
私の後ろで、赤く赤く家が光って吹き飛んで燃え上がった。
全てを燃やし尽くすにはあれぐらいの灯油で良かったようだ。
「・・・私に一言だって謝らないんだから・・・。」
言葉というのは、きわめて乱暴なものである。
●《自己批評》
『ちょっと難しいお題に身を捩りました(笑 』
《真紅 〜矛盾を愛する者〜 真紅》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『積層構造体』
著者:AR1
「人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい」と、暗い部屋の中で数十時間、密着に等しい距離から呟かれる哲学的セリフに、いよいよ〈それ〉はうんざりし始めていた。もっとも、音楽の主題部のように延々と繰り返されるのではなく、無機質な声に乗る朗読のように持論を展開する。しかし、約二時間で終幕に到達すると前文からリピート再生されるのだ。非周期的な振動だけでも堪えるというのに!
暗い、暗い部屋の中、〈それ〉は極めて退屈という単語の意味を身近に感じ始めている事を、自身の感覚が弛緩し始めている自覚症状によってようやく気付いた。〈それ〉は相応の年を重ねてはいたが、いよいよ自己主張の大波に拒否反応を覚えるようになったか、と若かりし頃の記憶を重ねて嘆息した。〈それ〉はうんざりとした様相を隠しはしなかったが、水平線の果てしなさを思うような不毛な自己主張を説き続けていた自分を述懐する。時折耳にする「『最近の若者は』という言葉を使い始めたら、退廃的思考に突入したと思え」という教えを思い出
し、なぜ私達は一様に主張を繰り返すことを辞さないのだろう、と考えた。体のところどころが擦り切れるほどの年月を重ねていても、一筋縄には解決出来そうにない問いだった。
そういえば、と〈それ〉は歩んだ道のりを顧みる。生という名の最初の一ページ、一行目、一文字目が記された時、〈それ〉には知の集積という名の役割が与えられた。重ねられる紙の重みともに、〈それ〉に価値という名の肉付けが成されていった。育て親は一人ではなかった。幾人もの教育者が〈それ〉に世界を教示した。
ふと〈それ〉は、命を分かった双生児達は、今どこにいるのだろう?、と思いを馳せる。朽ち果てていなければよいのだがと無事を祈り、粗末に扱われることも多い命運に於いて、未だに全ての部位が欠けずに残っている自分は奇跡なのかもしれない、と〈それ〉は残酷な運命をすり抜けてきた事に戦慄した。
数十時間という拘束時間は長くもあるが、不当に長いという訳ではなかった。
〈それ〉は六回ほど世話になる場所を転々としているが、主人が暗い部屋中に数週間も放置してしまうことがあった。幸いだったのは、〈それ〉と同じ場所に放り込まれた異人と議論を繰り広げるだけの血気盛んな若さがあった事だ。隣り合わせになった若い衆が独白じみた狂気で教えを呟くのとは違った趣を展開することとなった。ただし、その頃は熟成不足が障害となってまともな討論にならず、結果としては舌戦を装った喉自慢大会に似た体たらくに終わったことを、〈それ〉はタイム・カプセルに入れて保存しておく必要もない鮮烈な記述として保存していた。
〈それ〉は刺激を失った代償に、過去の教示が真言ではなく、絶対を確約するものではないが、ある一つの視点から眺めた正しさの形状であることに気付いた。
同時にもう一つ悟ったことは、このような考えに至る物が極めて少ないということだった。誰もが一方通行の片道切符でしか話題を提供する事が出来なかった。彼らは教育された物事を一字一句違わず暗唱する事は可能だったが、新たな価値を吸い上げる事は不可能だった。
事ここに至り、〈それ〉は自身が「あるべき物ではない何か」という難問にようやく衝突したのだった。その時点で最初の一字が完成した瞬間から二十年の歳月を経ていた。
〈それ〉の自問自答はあっさりと解決を見た。つまり、「人間以外の、しかし人間的な意識を持つ何か」という不確定要素がたっぷりと詰め込まれた、極めて曖昧なアイデンティティだった。長い時間をかけてでも解決しなければならない問題だ――
それから更に二十年に渡って様々な場所を旅し、観察した結果、狭い箱の中に押し込められている〈それ〉が行き着いた見解は、人間とて不安定な星の下に生かされている生物という事だった。驚いた事に、人間は生殖を「愛」という抽象概念によって定義付けている。動物的本能に愛の概念は関係なく、強い子孫を後世に残す事が命題である。そもそも、個として生きる事が望みなのではなく、全として生きる事が使命なのだから。
だが、この四十年を理性で御して来た自分は何なのか、と〈それ〉は自問する。人間ではない以上、人間とは異なる志向性を持たなければならない。〈それ〉は人間とは決定的に異なる機能を持って生まれたのだから、その摂理に従わざるを得なかった。
やれやれ、と〈それ〉は自嘲する。言語を解する能力はあっても、結局は孤独に謎とのいたちごっこを繰り返すだけの停滞を嘆くしかない。
〈それ〉の目の前では時折、融和も宥和も化学反応も起きない個性の衝突という名の罵り合いが絶壁の谷を挟んだ砲撃戦のように繰り広げられた。無尽蔵の弾を相手の陣地に放り込んでいるだけで、そもそも勝負にすらなっていない。しかし、彼らは絶叫をやめない。要約すると、誰もが同様の核心の下に正当性を主張した。――我々に刻まれた知識は正しいものであり、それを立証出来るものである!
〈それ〉の記憶にある中でも片手で数える程度にしか存在しない、まともな――しかし、多数の中にあってはマイノリティなある物が、〈それ〉にしか届かない囁き声で言った。
「あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことが出来る訳がないだろうが」
大きな勘違いをしていると、〈それ〉は歯ですり潰した苦渋の味を知る術を持たなかったが、苦虫を噛み潰している気分というのを初めて味わうことが出来た。対立の反語が連中の辞書には存在しないのだから、当人達には恐らく対立しているという自覚さえないのだ。
四十年という時間の堆積は、〈それ〉を大きく変貌させるには足りない歳月だった。同時に、四十年という積層が地滑りを起こして崩壊しても何ら不思議ではない歳月でもあった。時間は〈それ〉の体を確実に蝕む。それでも、〈それ〉に致命傷となり得る要素はなかった。
一度、人間であれば背骨が脳を貫くほどの高所から落ちたこともあったが、幸い〈それ〉の体に致命傷を与えることはなかった。それれの高さを表すには、百七十センチメートルの身長の人物が腕を目一杯伸ばしてようやく届く世界を今、〈それ〉は見ている。向こう側の棚との間にクレバスが露骨な大口を開けており、人間という巨人(ガリバー)の頭頂部を望むことが出来た。
〈それ〉が棚に収められてから五日が過ぎた頃、眼下で金属が歯軋りしている物音が聞こえた。この店では木製の足場ではなく、一般的な脚立を用意してあるのだと容易に知れた。頭突きを繰り出すように白髪の集団が迫って来たが、確認したのは額のすぐ下に配置された一対の眉毛と老年の男性であることだけだった。
男は〈それ〉を片手で鷲掴みにするとそれで満足したのか、鑑定の順番を待っている古書が大量に平積みにされているカウンターに連れて行った。五日で主人が見つかったのは、〈それ〉に記録されている中では最速だった。
〈それ〉のページを繰ると、前書きには簡素極まりない一文が脅迫的威厳を伴う手書きによって記されていた。
「知と考の層を重ねよ」
〈それ〉は時折、数百ページに渡る履歴を遡って前文を反芻する度に、恨めしげにひとりごちることがある。――言葉というのは、きわめて乱暴なものである。
●《自己批評》
『こういう内容になったのは、きっと『はてしない物語』の影響を受けたからだと思います。』
《空想Explosion AR1》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『出会った頃のように』
著者:松永夏馬
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。とはいえ、歳を重ねるにつれ変化していく自分に嫌悪、いや恐怖を感じるのも事実だ。二律背反とでも言うのであろうか。
私は鏡の中の自分を睨みつつ、愛用のブラシを構える。
刺激を与えたほうが良いのか。それともそっと大事に見守るほうが良いのか。その手の冊子や相談会でもそれぞれに意見は食い違う。これまた二律背反。それぞれを同時にやれば? などと妻はどうでも良さげ言うが、あれだけ意見が対立しているのだから、そんなことができるわけがないだろうに。
できるかぎり自然に。身なりを整えて私はこれから十数年ぶりの同窓会へ出かける。懐かしき旧友達に、初恋のあの人に、会う。
「あ、もしかしてケンちゃん? ひさしぶりぃ」
歳は重ねたが、あの頃の無邪気で明るい笑顔はそのままの君。あの頃の思い出が蘇―――
「すっかりハゲちゃったねぇ。あはははは」
……言葉というのは、きわめて乱暴なものである。
●《自己批評》
『クダラナイの送ってすんません。思いついたら仕事中に書いてた。
つーか、こういうの書くとすぐハゲネタに走るのは何故だ。
い、いちおう言っときますけど、別に僕はハゲてませんし、気にしてもいませんよ?(汗 』
《Missing Essayist Evolution 松永夏馬》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『視線の先の白』
著者:Glan
そう、だから私はここに一つ経験談を提示しようと思う。
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて私は嫌だ。
かつて私は、物語を紡ぎ出すことに快楽を見出していた。脳内という小宇宙から生み出される血と肉とを伴った人間たちが織りなすドラマ。様々な感情が飛び交い、バラバラに見えるピースが最後には一つの場所にいっぺんの狂いもなく当てはまり、一つの像を映し出す。読む人の心は、その過程において大きな変化を伴っていく。
そう、作家である私は、物語によって人の心を変えることが出来る。それこそがたまらなく快感であるのだ。
だがそれは、他者の心を変えるだけではなかった。私自身の心すら変えたのだ。
物語を生み出すたびに、私の心は「物語る私」から「物語る私を物語る私」へと変容していった。
すなわち、自我と密接に、もっと言ってしまえば同化しかけていた作家としての私という存在は、物語るという行為を繰り返すその内に離れていき、やがて客観視できるほどの距離を持ってしまうまでになっていたのである。私は、そんな変化に気づくのにずいぶんと時間がかかった。
初めは小さなストレスという形で、私の分裂した心は、齟齬をきたしていることを伝えてきた。
物語の中において、何故か自分が現れるようになったのである。よく、小説においては作家を模した、または明らかにモデルとして参考にしていると思われる登場人物が現れることがあるが、それとは微妙に違う。まさしく「私」そのものが劇中に姿を現してしまったのである。
それはファンタジー、時代小説、SFなど、どんな時代設定であっても関係なく登場した。気持ちの悪いくらい、その場にふさわしくない「私」が突然現れ、現状についての不満を、物語の脈絡とは関係なく話し始めるのである。
これは、今まで物語ることが快楽であった私にとっては、耐え難い苦痛になった。執筆中、一種のトランス状態になっている(と私は考えている)自分にとって、勝手な登場人物による物語の混乱は、執筆する上での時間の無駄という現実的な問題だけではなく、私自身のモチベーションの低下という事態まで引き起こしたのだ。
心が分裂したなどと考えられない私は、その理由を必死で考え結論を出そうともがく。しかし、肝心なところが深い闇に覆われた状態では、いくら考えてもその闇の周辺に何があるのかを考察しているに過ぎず、的外れな、納得のいかないものが頭の上に浮かび上がってくるだけだった。
人は脆い生物で、たった一つ結論が出ないことが頭の隅にあるだけで、全ての歯車が狂ってしまう。
私は、文字通り人生という階段を勢いよく転げ落ちていった。今更言うまでもないことだが、長い長いスランプと、そのストレスから起こした数々の犯罪によって、である。
全てを失い、途方に暮れていた冬のある日。真っ白な朝方の街を歩いていた私は、東の空に見えた焼けるような朝日を見たとき、突然大きな「気づき」を得た。それは、まるで脳内で耳をつんざくような大爆発が突然起きたと言って良いぐらい、突発的で衝撃的な体験だった。
私は過去のある瞬間から起こった全ての出来事の理由の根源を知った。
それからの私は、気づき以前よりも若干スムーズに生活を送れるようになっていた。だが、だからと言って必ずしも「以前と同じような」生活が再現できるわけではなく、一度失敗をすると次々と失敗が重なるがごとく、私はしばらく苦しみ続けることとなった。
まず考えたのは、離れてしまった二つの心を、再びもとの状態に戻せないかということだった。
物語る私は、盲目的な人間である。快楽追求のためならどんなことでもする、それが恥ずかしいとは思わない、つまりは獣のような本能に突き動かされていた。
一方、物語る私を物語る私は、物語る私と比べたら理性的な存在である。ただし、理屈っぽいが故に純粋な感性の波に身を任せることが出来ず、ストレスに大きな影響を受け、落ち込みやすい。
物語る私という状態では、気にも留めていなかったことが、今の物語る私を物語る私という状態では、気になってしょうがない。それだけでなく、それに左右されすぎて本来の生活に支障をきたしてしまうほどだ。
離れてしまった心は、本来決して癒着したりはしないはずのものだ。「主観」と「客観」がそもそも重なって私の中にあったという事実そのものが異常なのではないかと思ったりしたけれど、それが「私」にとって正常であったことなら、と無理やり自分を納得させていた。元々対立しているものを、無理やり重ね合わせることなど出来やしない、と頭の片隅では感じてはいながら。
ここまで書いたとき、私は何かとてつもなく恐ろしいものを感じている。気配を察知している。
今は2月22日午後11時13分45秒だが、胸の辺りから湧き上がるような、おぞましい何かが私の魂を包囲している。
何故こんなことを小説にしようと思ったのか、何故こんなことを書いているのか、そもそも"私"はいったい"何処"にいるのか。
言葉による記録は人々が考えているよりもはるかに移ろいやすく曖昧で、脆いものだ。
たとえばここに書かれた私に関する文章は、はたして本物なのか、誰にも分からない。そう私にも分からない。
作家綾瀬ホタルは一体どこにいるのか、何をしているのか、何を感じ生きているのか、何故生きているのか。
またたとえばこの文章が私を名乗る"誰か"によって、ある小説サークルの課題として、書かれた物である可能性は?
窓から見えるのは真っ白な銀世界? それともぬくもりの欠片もない機械の街?
私は男? 私は女? 私は人間?
そのどれもが、この文章において意味を持たず、この文章の意味さえ消えてしまう力を持っているのである。
言葉というものは、きわめて乱暴である。物語る私は、物語る私を物語る私を言葉によって押しつぶした。そう、私はもはや「物語の私」なのである。そこに高尚な意識は存在し得ない。
end
●《自己批評》
『久々に小説書いたらぜんぜんうまくいかなくてやけくそになってこんな駄文を垂れ流して申し訳ございませんもう寝ます』
《メランコリック:チルドレン Glan》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私は御免被りたい。
そう思っていた時期が、嘗ての私にはありました。
だけれども、変わりゆく事とは不変であることの対義ではなく、また変化とは無限に続く取捨選択の鎖であるかのように、次第に感じられるようになったのです。
私は、怖くなったのです、失うことに。
何かを選び取るたび、何かを捨て去っていくこと、それが私には耐えられなくなったのです。
ですから、私は変わることをやめたのです。
変わることを、放棄したのです。
もしかしたらそれは、私という実存の緩やかな死を意味していたのかも知れません。
そこから先の私の余生は肉体のみの空虚な生であり、精神は既に黄泉路を彷徨う準備をしていたのでありましょう。
どうぞ、笑って下さい。
亡骸のみでのうのうと此処まで生きてきた私の半生を。
どうぞ、笑って下さい。
そして願わくば、空っぽな私の最期の望みを、聞き届けてやって下さい。
その望みは。
『遺言』
著者:Clown
祖母が、死んだ。
俺には良く分からなかったが、何とかという脳の腫瘍で、治療法のない難しい病気であったらしい。
病院からの電話で呼び出された俺の前に横たわっていたのは、色褪せた記憶の片隅に佇むふくよかな淑女ではなく、まるで干涸らびた木乃伊(ミイラ)のような物体だった。
骨と皮ばかりになったそれは、肋骨の浮いた胸の上下だけで自らの生を証明しているに過ぎない。そんなものに、記憶の中の祖母と結びつく要素は何一つ無かった。
ただ一つ、彼女の指にはめられた銀色の指輪を除いては。
「……まだ、持ってたのか」
高校の時、バイトをして貯めた金で、祖母に指輪を贈ったことがあった。実家から離れた私学に通うための下宿を世話してくれた祖母に恩返しがしたかったからだ。何の装飾もない、ただ花弁の模様が刻まれただけの地味なシルバーリングだったが、普段から飾り気のない祖母は大袈裟なほど喜んで受け取ってくれた。
その頃は、小指にしかはまらなかった指輪が、今は親指にも余っている。
病室の扉を閉め、俺はゆっくりと祖母に近づいた。
様々な機械に邪魔されて見えなかった祖母の表情が、浮き彫りになる。
落ち窪んでしまった眼窩を覆う瞼は、もう決して開くことはない。控えめに顔の中心に鎮座していた丸い鼻は、枯れ枝のように尖った頂点を天井に向けている。兄と密かに「タラコクチビル」と笑っていた口唇は、最早皮膚の続きでしかない。
その口角が、わずかに上がった気がして、俺はどきりとした。
もちろん、そんな事は決してあり得ないことではあったのだけど。
「もうずっとこんな感じだよ、婆さんは」
後から入ってきた兄が、素っ気ない口調で言った。白衣の上から聴診器をぶら下げた兄は、度のきつい眼鏡を指で押し上げながら祖母を繋いでいる電極の先のモニターを軽く流し見る。
「数字やグラフは生きてるって言うがね。死体と変わらんよ」
その言葉に軽い嫌悪感が混ざっているのは、恐らく誰もが感じ取れたことだろう。
「不謹慎じゃないのか、病院で」
「病院は生者のためだけのものと思ってるのか? 幻想だよ、そんなもんは」
そう言う問題じゃないだろう、と言う俺の言葉に、兄は冷めた表情で嗤った。一通りモニター類を観察し終えた後、その先に繋がれている祖母には目もくれず兄は踵(きびす)を返して病室から立ち去ろうとする。
俺は何か言おうと一歩を踏み出したが、それより一呼吸早く兄が肩越しにこちらを振り返って言った。
「お前がいない間、婆さんを世話したのは俺だ。主治医も俺。この意味が分かるな」
眼鏡越しに寄越された眼光は、何よりも雄弁に語っていた。「これ以上余計なことを言うな」と。それに気圧されたわけではないが、俺は次の句を続けることが出来なかった。
兄は、ふん、と鼻を鳴らすと、不機嫌そうな足取りで今度こそ病室から出て行った。スライド式の扉が、重い音を立てて外界と室内を切り離す。
真っ白な病室に、祖母と二人きりで取り残された。
人工呼吸器には繋がれていないものの、高濃度の酸素が流れ続けるマスクをあてがわれた祖母の過剰なまでの呼吸音は、狭い室内に五月蠅いほどに響いている。取り付けられたモニターからは一定間隔の電子音が吐き出され、単調な画面に映し出された数値は無機質に踊り続ける。
俺はため息をつき、兄が去っていった扉を見つめていた。
医師になってから、兄は変わった。
いや、正確にはその前から変容の兆しはあった。両親が離婚し、俺は母の元へ、兄は父の元へ行くことになったが、その後も何度か俺達は近況報告のために会っている。そのたびに、兄は俺にこう漏らしていた。
「人は、変わっていくものだな」
俺にはその言葉の真の意味を理解することは出来なかったが、その頃から兄は、一言で言えば虚無的になった。感情を表に出さなくなった、と言うのもあるが。どことなく全てのことに諦念を示すようになった。
祖母は父方の母であるため、兄と一緒に暮らし、病気が見つかってからは兄が実質面倒を見ていた。父は仕事と称して遊び歩く日が多く、ついには家に帰ってこなくなったらしい。現在も行方は知れていないという。
祖母には、兄しか頼る人がいなくなった。そしてその頃には、もう今の兄に変貌してしまっていた気がする。
俺が祖母と最後にあったのは、もう一年以上も前のことだ。既に病気が見つかって様々な治療法が試されているところではあったが、その時はまだ記憶の中にある祖母の姿と余り変わらなかった印象がある。
仕事のついでに立ち寄っただけだから、ほとんど会話することは出来なかったが、以前の祖母と何ら変わらない穏やかな顔で他愛ない俺の話に相づちを打ってくれた。兄のことについても話してみたが、祖母は「人は変わってしまうものよ」と静かに語っただけだった。
今となっては、もうそんな会話も適わないことだけれど。
もう一度、祖母の顔を見た。
皺だらけで、色素を無くしてしまったようなその顔は、やはり何の表情も映し出さない。能面のように、或いはそれそのものが彼女のデスマスクですらあるように思えた。
額に、触れてみる。
冷たい。
まるで氷像に触れたのではないかと思うほど、その肌は冷たく、そして硬い。
さっきの、兄の言葉が、脳裏をよぎった。
病院は、生者のためだけのものではない。
ここには、生者だけではなく、死者も確かに存在したのだ。
祖母は、死んだ。
人工呼吸も心臓マッサージも行われないまま、祖母は──もうずいぶん前に生者であることをやめてしまっていた祖母の肉体は、生命活動を終えた。
まるで何事もなかったかのように、祖母の亡骸は白い布に包まれ、あっという間に霊安室へと運ばれていってしまった。
病室に一人、取り残される。
あれだけ喧しいほど部屋にこだましていた音は、もう一切聞こえない。病室に残された祖母の荷物を整理しようとしたが、荷は小さな鞄一つだけで、テーブルの上のものを片付けたらあっという間に終わってしまった。
両手に包み込めるほどの大きさしかない、祖母の荷物。
何故か、それがずしりと重く感じた。
俺はもう一度祖母の鞄を開けると、中のものを一つ一つ確認していった。保険証、印鑑、財布、そして小さな手帳と……一通の封書。
簡単にしか封のされていないそれには、何も書かれていなかった。明かりに透かして見ると、筆で書かれた手紙らしきものが入っているようだ。
俺は丁寧にその封を開け、中身を取り出した。ざらりとした和紙の感触とともに、折りたたまれた三枚の便せんが現れる。どうやら誰かに宛てた手紙のようだ。紙を広げ、流暢な筆致で書かれたその文章を一つ一つ読み解いていく。
最後まで読み終えたとき、俺はいつの間にか涙を流していた。
その手紙を、俺はゆっくりと元通りに折りたたみ、胸に抱いた。先ほどまで一つも感じなかった暖かい熱を、命の熱を、その時確かに感じたのだ。
手紙をそのまま元の封書の中にしまい込み、俺は祖母の荷物を手に病室を出た。空っぽの白い部屋は、痛いほどの静寂で包まれている。
まるで、元から誰もそこにいなかったかのように。
○
「あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことが出来るわけがないだろうが」
病室を出て廊下を歩いていると、不意にそんな声が聞こえてきた。どうやらナースステーションが出所らしい。通りすがりに覗いてみると、あごひげを生やした中年の医師が誰かに向けて詰め寄っているようだった。
「出来るか出来ないかは、主治医である僕が判断することです」
反論の声に、俺は少し驚く。抑揚のない冷めた言葉は、間違いなく兄の声だ。
廊下を少し進むと、棚の死角になっていた兄の姿が確認できた。先ほどと変わらぬ無表情を装っているが、眉根に寄せた皺がいらだちを隠せていない。
中年の医師は軽く舌打ちをすると、手に持ったカルテを机に放り出した。
「主治医だろうが、一介の医者が部長の指示に反することは出来ん」
「その指示の根拠は。医学の発展が死の蹂躙の上に成り立って良い理由は」
「今はそんなことを言っているのでは……」
「では、血縁者の意志として明確に拒否します。祖母の病理解剖は承諾できません」
病理解剖。
確かに聞こえたその言葉に、俺は思わず身を乗り出した。ぱた、と廊下に俺の足音が響き、言い争っていた二人は同時に振り向く。
中年の医師は俺の姿を確認して、気まずそうに目を背けた。兄はその横をするりと通り抜けると、ステーションのカウンター越しに俺と対峙する。
「荷物は、整理したのか」
「一応は」
そう答え、右手にぶら下げていた鞄を見せると、兄はほんの少しだけ表情をゆるめた。
「そこのロッカーに入れておけ。半時間もしないうちに見送りの準備が整う」
「分かった……けど」
その語尾に、兄が再び顔をしかめる。一瞬の躊躇いがあったが、ここで機会を逸するともう二度と願いは叶わなくなってしまう。
俺は、意を決して左手に持っていた封書を兄に手渡した。
「……なんだ、これは」
「……手紙。たぶん、兄さんに」
兄はそれを受け取ると、手早く中の便せんを取り出す。そしてゆっくりと噛み締めるように読み終えると、兄は手紙を握りつぶし、ぎり、と唇を咬んだ。
手紙には、こう書かれていた。
『私を取り巻く環境は、この四半世紀で大きく変わりました。
愛する息子は何処へともなく放蕩し、愛する孫達はそれぞれの道を歩み始めています。
皆、変わりました。
変わらないのは、私一人だけ。
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私は御免被りたい。
そう思っていた時期が、嘗ての私にはありました。
だけれども、変わりゆく事とは不変であることの対義ではなく、また変化とは無限に続く取捨選択の鎖であるかのように、次第に感じられるようになったのです。
私は、怖くなったのです、失うことに。
何かを選び取るたび、何かを捨て去っていくこと、それが私には耐えられなくなったのです。
ですから、私は変わることをやめたのです。
変わることを、放棄したのです。
もしかしたらそれは、私という実存の緩やかな死を意味していたのかも知れません。
そこから先の私の余生は肉体のみの空虚な生であり、精神は既に黄泉路を彷徨う準備をしていたのでありましょう。
どうぞ、笑って下さい。
亡骸のみでのうのうと此処まで生きてきた私の半生を。
どうぞ、笑って下さい。
そして願わくば、空っぽな私の最期の望みを、聞き届けてやって下さい。
その望みは──私の肉体を活かすこと。
捨てることを恐れ、変わることを恐れた私にも、肉体の変容、すなわち老いと病は止められません。
そして私の病がとても珍しく、難しい病であることは、私自身が良く知っています。
ですから、私の肉体を、この病の解明と治療に役立てて欲しいのです。死んでしまった精神の代わりに、精一杯、活かして欲しいのです。
私の最後の我が儘を、どうか叶えてやって下さい。
愛する孫達へ』
「……最期まで、人の気も知らないで……!」
どん、とカウンターが音を立てた。叩き付けられた兄の拳は、小刻みに震えている。
言葉というのは、きわめて乱暴なものだ。兄はきっと、変わり果ててしまった祖母の体にこれ以上傷をつけたくなかったのだろう。突き放したような言葉の影で、最も祖母の異変を嘆いていたのは、兄だったのかも知れない。
だが、祖母はそれを希望した。自らの肉体を、『死』してなお『活』かそうとしたのだ。
俺は何も言わず、祖母の荷物をそっと兄の横に置いた。そのまま、ロッカーに俺の荷物だけを預けに行く。
希望は、叶うだろう。
振り返ると、兄は手紙を握りしめたまま、祖母の遺品を見つめていた。その横顔には、以前の、俺達が祖母を慕い訪ねていた頃の表情が、しっかりと残っていた。
人が変わっていくのは、救いかも知れない。
だけど、変わらないこともまた、救いなのかも知れない。
●《自己批評》
『……最初は「革命」とか「種の淘汰」とか「シリコノイド」とか、非常にメルヘン(違)な単語が並んでたはずなのだが……
……あれ('Д`;) ?
ともあれ、何ヶ月ぶりかも分からん復帰作。
もうなんか他の人のレベルに追いつけてない気がひしひしとするのだけども
○∠\_ 』
《道化部屋不定期報。 Clown》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『ガイノイド』
著者:平良原
「人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたいわ」
私は彼の提案をそう言って突っぱねた。
彼の提案。
それは私のアンドロイドを作らせてくれないか、ということだった。
彼と知り合ったのは中学1年生の冬。
私が放課後、校舎の屋上で歌をうたっていたときに彼がひょっこりと屋上に現れたのがきっかけ。
「歌に引き寄せられてきた」
とは彼の弁。
冬の屋上は風が強く寒いため立ち寄ろうとする人は滅多にいない。
実際、私は雨や雪が降っていない日の放課後は毎日のように屋上に行っていたけど、冬の屋上に来たのは彼が初めてだった。
目線を逸らし頭を掻きながら照れくさそうに言ったその言葉がなければ、歌手としての今の私はいない。
彼と私は学校で浮いているという点でよく似ていた。
通っていた学校は小中高一貫教育の超進学校。
成績が悪かったわけではない。
私は一応は上位3分の1以上はキープしていたし、彼に関しては常にトップの座をキープしていた。
もしかしたら、私の場合は自分で浮いていると思っていただけで、周りから見ると溶け込んでいたのかもしれない。
でも、私はクラスメートの将来について『外交官になる』『医者になる』『弁護士になる』などと瞳を輝かせて話しているのをただ微笑んで聞いていることしかできなかった。
勉強が嫌いだったわけではない。知識が増えて今までわからなかった事がわかる瞬間は本当に嬉しかったし楽しかった。
けれど、それ以上に私は歌に魅せられてしまった。
親に連れられて行ったある歌手のライブ。
大きなライブ会場ではなかったけど、その歌手の歌で会場は完全に一つとなった。
そこには完成された小さな世界があった。
凄く気持ちが良かった。これ以上の快楽があるのかと子ども心ながら思うほどに。
ライブが終わり呆けている頭で思ったのは
『私もあのような世界を作りたい』
だった。
そう思った私の行動は早かった。調べて色々なオーディションに参加した。
残念ながらオーディションに受かったことは一度もなかった。
何回目のオーディションかは忘れたけど、オーディションに落ち、トボトボと重い足取りで会場の外に出ようとしていた私を呼び止める声がした。
「よかったら家の事務所に入らないか」
立ち止まり、振り返った私にそのような言葉が投げかけられた。
何度も何度もオーディションに落ち、歌手には向いていないのではないかと思っていた矢先の事だったので、騙されるのではと疑ってしまったけど、その人の顔を見てすぐにその考えはなくなった。
私にその言葉を投げかけたのは、先程落ちたオーディションの審査員をしていた人だったから。
有名なプロデューサーであのライブに行くまで歌に興味がなかった私でも顔と名前を知っている人だった。
あまりもの突然の出来事に呆然としている私に
「その気ならここに電話してね。勿論、親御さんに相談して許可を得てからね」
と、微笑みながら名刺を渡すとオーディション会場へと戻っていった。
数分呆然としていた私が我に返ったときに浮かんだ感情は喜びではなかった。
『親御さんに相談して許可を得てからね』
その言葉にはっとしたからだ。
オーディションは親に内緒で受けていたのだ。
どう親に話そうか悩んでいたときにかけられたのが彼のあの言葉。
だからこそ彼の言葉が凄く嬉しかった。
色々な悩みを全部吹き飛ばしてくれた。
彼に始めて会った日の夜、親に歌手になりたいこと、内緒でオーディションを受けていたこと、事務所に入らないかと誘われたことを渡された名刺を見せてそう言った。
内緒でオーディションを受けたことにお咎めを受けたけど、高校までは卒業することと成績を落とさないことを条件に事務所に入ることの許可を得た。
彼は私と違い誰が見ても浮いていた。
彼は学校内で有名人だった。私も初めて会う前でも噂で名前は聞いた事があった。
学校始まって以来の大天才で授業は免除され教室には試験の日にしか現れず、普段は併設されている大学の研究室にいる。
これは彼に纏わる有名な話だった。
このような話が沢山出回っていたので私と同じ学年ということを忘れてしまっていた。だから彼の口から名前を聞いたとき、私の彼に対してそれまで持っていた像との齟齬が激しく同じ人物だと結びつかなかった。
一度、彼にこう聞いた事がある。そこまで頭が良かったら勉強が面白くないのでは、と。
その言葉に彼は首を横に振った。
技術はある知識とある知識が互いに影響しあうことで爆発的に発展する事がある。その瞬間は本当に楽しい。
それに、まだまだ経験則だけで理論の追いついていない技術がある。もしその理論が詳しく解明されればその技術は飛躍的に進歩する可能性がある。
こう語る彼は凄く楽しそうだった。
そんな彼が常々言っていたのは
「アンドロイドを作りたい」
ということだ。
救助、介護など様々な分野で活躍するロボットは誕生している。しかし、完全に人の形をしたロボット――アンドロイド――は誕生していない。自分がそれを成し遂げたい、という話は耳にたこができるぐらい聞かされていた。
現在、彼はその道の――ロボット工学の第一人者と言っても過言ではない。
そう遠くない未来、アンドロイドを誕生させるだろう、そう思っていた。
だから、電話口でアンドロイドを作り始めると聞いたときはそれ程驚かなかった。ついにそのときがきたんだ、その程度だった。
でも、私のアンドロイドを作りたいと聞いたときはすごく吃驚した。電話をサウンドオンリーにしていたことを神に感謝したい程、凄いリアクションを取ってしまった。
少し考えた後、その提案は却下した。
私のアンドロイドを作るという事は私に瓜二つのものができるということ。
それだけなら却下はしないんだけど、私が年をとってもそれは若い私のまま。
それを想像すると、凄く気持ちが悪かった。生理的に受け入れられそうになかった。
だから、あんな支離滅裂な言葉で彼の提案を却下してしまった。
後で落ち着いて考えると、彼がそのような提案をしてきたことに疑問を感じた。
彼は科学者にはモラルが必要だ、技術的にできるからと何でもしていいわけではない。という考えをもっている。
私が提案を受け入れないのもわかっていたことではないか。だとしたら、何か理由があるのではないか。
そう考えると彼に『直に会って話したい事があるから空いている日はいつ』とメールを送った。 流石にあんな言葉で却下したのに数時間後に電話でそれを伝えるのは恥ずかしかったから。
二人とも明後日が空いていたので、その日に彼の家で会うことになった。
「相変わらず片付いているわね」
勝手知ったる他人の家という感じで彼の家に入ると思わずそう呟いた。
彼の家はいつ訪ねても片付いている。
忙しいはずなのに……確か一昨日まで海外に出張していたはず。
物は私の方が少ないのに彼の家の方が片付いていて綺麗なのは何というか情けない。
「また家が散らかしっぱなしなんてことはないよな」
私の呟きが聞こえていたのだろうかじと目で見ながらそう言ってくる。
「あはは……一昨日までライブツアーだったから」
「……小母さんから呼び出されて片付けさせられるのはもう二度と勘弁だからな」
「……そ、それは私も勘弁……」
はぁ……と二人のため息が見事に重なる。
数年前に忙しく何ヶ月も掃除をせず、散らかしっぱなしになっていたことがあった。
そろそろ掃除しないと人として駄目だよね、と思いながら夜遅く家に帰ると掃除され見違えるほど綺麗になっていた。
母さんがやってくれたのだろうと思い、翌日の朝に電話をすると母さんからとんでもない言葉が返ってきた。
「ああ、それ? 真(しん)くんにやってもらったから♪」
その言葉を聞いた瞬間私は埴輪顔になってしまった。
真くんとは彼のこと。
母さんは彼のことを気に入っていて真くんと呼んでいる(本名は真一)
彼の方も母親を小さい頃に亡くしているからか、母さんのことを実の母のように慕っている。
「小母さんには逆らえないんだよ」
母さんに電話した後、文句の一つでも言おうと彼に電話をしたとき私が何かを言う前に疲れた様子で言った言葉。
下着だけは小まめに洗っていたのは不幸中の幸いだったけど、彼に……異性に初めて生まれたままの姿の私を見せたときよりも恥ずかしかった。
「ライブツアー終わったのは一昨日だったよな?」
重い空気を振り払うかのように彼がそう聞いてきた。
何でもいいから別の話題にしたかったのだろう、私も同じ気持ちだったからその話にのることにした。
「うん。真も一昨日まで海外……だよね」
「ああ。半年近く向こうにいたから疲れた。荷物も資料やらで多くて、昨日片付けるのに時間がかかったし」
疲れているなら次の日に片付ければいいじゃない、と思うけど彼の性格上それはできないのだろう。もし、こんな事を口走ると怒られるのは目に見えているので絶対に口には出さないけど。
「いい加減突っ立てないで座ろうか。見せたい物もあるし」
「見せたい物? 私のアンドロイドじゃないでしょうね」
「……あのなぁ……あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことができるわけがないだろうが」
私の言葉に対しため息を吐いてそう返してくれた。
冗談だったのにそう素で返されると虚しくなる。
「後、女性タイプの場合はアンドロイドではなくガイノイドな。ほら、早く座った座った」
私に早くソファーに座るように催促するとキッチンに向かった。
「コーヒーでいいよな」
「いいよ。豆は何でもいいから」
「ラジャー」
ミルでコーヒー豆を挽く音がし始めるとコーヒーのいい匂いが漂ってきた。
「お待たせ」
コーヒー豆を挽く音が止むとお盆にコーヒーの入ったグラスを2つ乗せてキッチンから戻ってきた。
「これは?」
「水出しコーヒー。あれは2杯目」
「水出しコーヒーまで手を出し始めたんだ」
彼のコーヒー好きは私の影響なんだけど、男の人って凝り始めるととことん凝るよね。
そんな私の視線に気が付いたのか苦笑を浮かべている。
「まぁ、それはいいとして……見せたい物って何?」
コーヒーを一口飲んでからそう切り出した。
うん、美味しい。水出しコーヒーは変な苦味が出ないのが好き。
「ああ、ちょっと待って」
そう言って立ち上がると隣の部屋に入った。
その部屋は寝室に使っている部屋のはず。寝室と言ってもパソコンやら資料やらを置いているので仕事部屋兼寝室といったところだろうか。
「これ……なんだけどね」
私に見せたい物を持ってくると私の対面に座り、それをテーブルの上に置く。
「これ?」
「うん、これ」
二人の間に微妙な空気が流れている。
どこか彼の表情も引きつっているような気がする。
「で、これは何?」
「まこまこプレイヤー」
「……」
「まっこまこにしてやんよ」
「……」
「……そんな可哀想な子を見るような目で見ないでくれ」
彼が持ってきた物。それは長さが30センチぐらいの人のぬいぐるみだった。
目が白目なのがぷりちー……と、私が言うとでも思うのかな。
よくできている。確かによくできている。
でも、何で私のぬいぐるみなの?
「……見せたい物ってこれ?」
「ああ」
「……お邪魔しました」
「待て。帰りたくなるのはわかるけど。待ってくれ」
帰ろうとしたけど捕まってしまったので仕方なくソファーに座った。
「で、これは何?」
「まこまこプレイヤー」
「……」
「まっこまこにしてやんよ」
「……お邪魔しました」
「待て。帰りたくなるのはわかるけど。待ってくれ」
今度はソファーから立ち上がった時点で捕まってしまった。
残念だけどこのまま帰ることはできないみたい。
何度も繰り返すのは時間の無駄なので話を進めることにする。
「これ作ったの誰?」
「聞かなくてもわかるだろ?」
「……そうね」
二人とも同時にため息を吐いた。
これを作ったのは彼の同僚で私のファンの人。
可愛らしい(10代と言っても通用すると思う)女性で手先が器用でよく自分で私のグッズを作っているのだ。
よくそれを彼女から貰うんだけど出来がいいだけに捨てるのが勿体無いし、自分のグッズを持っているのも恥ずかしいのでどう処分していいのか困る。
「プレイヤーと言うからには音楽が聴けるの?」
「本命はそっちなんだけどな。作っているのをあいつに見つかって、何時の間にか中身を俺が作り、外見をあいつが作るってなってたよ」
彼のその言葉で中身――プレイヤーの部分はまともということがわかって安心する。
「見せたかったのはプレイヤーというわけね」
「そいういうこと……ポチっと」
ぬいぐるみの鼻を押すと口からディスクトレイが出てきた。
ディスクを入れトレイを閉めるとぬいぐるみが抱えている箱の液晶画面に『Now Loading』と表示された。
「5,6分はかかるからコーヒーを淹れてくるよ」
彼はそう言うとお盆にグラス2つを載せてキッチンに行った。
数分後、今度はお盆にコーヒーカップを2つ載せて戻ってきた。
液晶にはまだ『Now Loading』と表示されていたのでぼーと液晶を見ながらコーヒーを一口飲む。
「……ハワイコナ?」
「当たり。ブルーマウンテンにしようかとも思ったんだけど、豆切らしてて」
「本当のブルーマウンテンは高いし入手し辛いからね」
ブルーマウンテンはブルーマウンテン山脈の特定エリア以外の地域が産地のコーヒーにはブルーマウンテンという名前を付けれない。
日本に輸入されている多くのブルーマウンテンは、そのエリア外で栽培されているのにブルーマウンテンの名が付けられている事が多い。
本当のブルーマウンテンを手に入れるのは難しいのだ。
あっ、『Now Loading』の表示が消えた。
「ん、読み込み終わったみたいね」
「そのまま置いておけば再生が始まるから」
「あっ、本当だ」
表示が『Now Playing』に変わった。
「これが見せたかった物? 特に何の変哲もないプレイヤーに思うけど」
プレイヤーから流れているのは私の曲。
「本人にもそう聞こえるのなら大成功だな」
私のその言葉に嬉しそうにそう返してくる。
「違うの?」
「次の曲を聞いたらわかるよ」
そんな事を話している間に次の曲になった。
聴こえてきたのは私の歌声。でも……
「えっ、何これ? 何で?」
私はこの歌を一度として歌った事がない。
でも、聴こえてくるのは間違いなく私の歌声だ。
物真似では絶対ないと言い切れる。
「……種明かしをお願い」
曲が終わるやいなや私はそう言った。
「前に俺が眞子(まこ)に作って渡したの覚えてるか?」
「前に貰った物? ……ああ、あれね」
数年前に彼から貰った物、それは数十年前に流行ったボーカル音源のDTMの声を私にしたもの。
ボーカル音源のDTMは数十年前に流行し、定着した。
現在までに様々な会社から何十種類もの声のバージョンが発売されている。
「でも、あれってどうやっても機械臭さが残るはず」
実際、彼から貰った物もどうやっても機械臭さが残ってしまった。
しかも、全く調整をしなかったら可笑しくてまともに聴ける物ではなかった。
もう一回、私の曲を流してみても可笑しなところはない。
「ただ機械臭さをなくすだけなら前のときでもできたよ」
「そうなの?」
「音楽を読み込んで自動的にここまで歌える様にはできなかったけどな」
流石と言うか何と言うか……
「別に俺以外の奴でもやろうと思ったらできると思うぞ。やらないだけで」
「えっ、他の人でもできるの?」
驚き発言だ。それじゃあ……
「何で売り出さないのかって思ってる?」
顔に出ていたのかそう言われた。
「うん」
「色々問題があるからなぁ……」
少し長くなるけどいいかと聞かれたので頷いた。
「先ず自分のクローンが作られることに抵抗感を感じる人が多いという理由がある」
「それは今までのでも同じでしょ?」
「うん。だから歌手のボーカル音源DTMは一つもない。まぁ、それに関しては他にも理由があるんだけど」
これはこっちに置いておいてと身振りだけして話を続ける。
「流石に完璧に自分の声と同じになると声優でも抵抗感があるみたいでな。それよりも、本人がOKしても事務所の方が断るケースが多いみたいだな」
どうやら実際に売り出そうとした試しはあるみたいだ。
「数十年前も多かったみたいだけど、最近の声優は歌をうたう人が大半だからね」
カバー曲が氾濫してしまうのは事務所としては遠慮したいところだと思う。
「後、公序良俗に反することに使おうとする人が少なからずいるからな」
それはボーカル音源DTMに常に付き纏う問題。
楽器のように扱えるけど飽くまで人の声。
公序良俗に反することに使えば声を担当した人の名誉などを傷つける可能性が強い。
「後、機械臭さが完全になくなると生理的嫌悪を感じる人が増える恐れが強い」
「生理的嫌悪?」
「まぁ、画面の中の世界だからそこまで考える必要はないかもしれないけど、考慮しておかなきゃいけない問題だな」
「どういうこと?」
何故、生理的に嫌悪することになるのかわからない。
「俺が電話で眞子のガイノイドを作りたいと言ったときどう思った」
「どう思ったって……」
確かに生理的に受け入れられそうにないと思った。
「でも、それとこれとは別の話じゃないの?」
素直に思ったことを口に出して聞いてみた。
「俺は根本では同じ問題だと思ってる」
「根本では?」
「ああ。人間は人間じゃないのに人間の姿形をするものが人間らしく振舞うことに生理的嫌悪を感じる、ということでな」
ふぅと一息吐いて、残っているコーヒーを一気に飲み干し話を再開した。
「20世紀の後半からアンドロイドやガイノイドの実現が現実味を帯びてきたからか、様々な小説や映画が作られた」
……説明モードに入ってしまったようだ。こうなったら話が長くなるんだよね……
「その中で特に21世紀中ごろからよくあったのが、アンドロイドやガイノイドが迫害される内容の物」
例えば……ガイノイドに性行為を可能という機能をつけた物を登場させた作品を読んだ事がある。その作品では人形の癖にロボットの癖に汚らわしいと迫害されていた。
「物語の中ですらそんな事が考えられている。現実にアンドロイドやガイノイドが作られて、物語の中のようになるかならないかって言ったら、なる可能性の方が強いと思ってる」
人は想像できる範囲でしか創造できない。
彼がよく言っていることで私もその通りだと思う。
「実際に作ったとしても、今のロボットと同じような使い方しかされないだろうから、道具としては作る意味はない」
もし作られたらロボットと違う使い方を考えることになると思う。
ロボットとの違いは人の形をしているということ。
ろくな使われ方をしない可能性が高い。
「今のロボットと同じ使い方、というところにも問題はある。今のロボットは人間が立ち入る事ができない危険地帯で活動しているのが多い。『心』がある物にそんなことをさせて大丈夫なのか」
アンドロイドは如何に人間に近づける事ができるかがコンセプトとされている部分がある。
機械に心が宿るのか。まるでSFの話みたいだけど、実は技術的に可能になっているのだ。
彼が作った人工知能、色々な事を学習させるとある変化が現れた。
感情が表れ始めたのだ。
彼にその事を聞いたときは冗談だと思った。
でも、実際に見せてもらうと確かにそれには感情があった。
今も元気に彼のパソコンの中で生きている。
最後に見たのが1年以上前だから今はより人間らしくなっているかもしれない。
「『心』があることをロボットの癖にと思う人も現れる……そうよね?」
私の言葉に彼は頷いた。
言葉というのは、きわめて乱暴なもの。
それによってどれだけ『心』が傷つくか……
「結局、人間の精神が人間に似ているものを受け入れるまで精神が発達していないのかもな」
彼は肩を竦めながら、俺もその一員だと言うように悲しそうにそう呟いた。
「モラルがなければ科学は今頃どのくらいまで発達しているんだろうと思う事があるよ」
天井を見ながら彼はそう呟いた。
昔はモラルなど関係なしに研究者の本能の赴くがままに研究していた一面がある。
悲しいことだけど、戦争中は様々な分野で大きな進歩があった。
非人道的な実験も行われた。
戦争に勝つために様々な技術が兵器のために使われた。
平和的に利用するために開発された物でも悪用されたこともあるし、初めから軍事目的で開発されたものが世に広まった物もある。
科学者にモラルが問われるようになったのは何時の頃からだっただろう。
「ん? じゃあ何で私にあんなこと言ったの?」
「あんなことって?」
「私のアンドロイド……ガイノイドだっけ……を作りたいと言ったことよ」
今日、彼の家に来た理由をすっかり忘れるところだった。
「ああ。理由は二つ。一つ目はどういう反応をするのか確認したかったから」
……迷惑な理由だね。
「これは予想通りの反応だったな。やはりアンドロイドは受け入れられないなと改めて思ったよ」
「それは私の姿形、声をした物だから……いえ、もし私の姿形、声をした物じゃなくても同じかも」
彼の話を聞いていて人間の形をした人間じゃない物を受け入れられる自信がなくなった。
「もう一つの理由……こっちが本命なんだけど……」
そういうと私の目をじっと見た。
「眞子、おまえあの病気になったんだってな」
「……誰から聞いたの……」
彼の思いがけない言葉に吃驚しながらも言った言葉は思った以上に低い声だった。
「眞子の主治医からだよ」
あの病気……約20年前から現れた奇病。
原因不明で治療方法もわかっていない。
人形病と呼ばれ、症状は話せなくなる、目が見えなくなる、耳が聞こえなくなるなどがあり、その症状が一つだけ出たり複数出たりする。
これらのことは他の病気でも引き起こされる事態。
それなのに特別に新しい病名をつけているのだから公にされていない症状がある。との噂が飛び交い不安を煽り、人形病に罹った人が差別される事態にまで至っている。
それでも尚、どの国もこの病気について今の情報以外のことを発表していない。
そのせいで余計に差別が強くなっている。
「……あの医者は……」
差別が強いから人形病に罹ったことは本人と親族にしか話さないことになってる。
それなのに彼に話したのだ。
「世間からは夫婦同然に見られているからな」
「世間だけではなく友人にもね」
私の主治医は彼の友人なのだ。
夫婦同然どころか実際は私と彼は付き合ってもいないんだけどなぁ。
「「はぁ……」」
ため息が重なった。
「俺は結婚するなら眞子しかいないと思ってるぞ」
「私もよ」
彼の言葉に普通にそう返した。
「互いに照れも入らなくなったか」
「それは、何回も同じ事を言ってればね」
私も彼もその言葉を本心で言っているんだけど、何回も言ったり聞いたりすれば慣れてきて照れなくなってくる。
「このまこまこプレイヤーの技術を使えば、言葉も機械臭さなしで話せるようになるから、それを使って眞子が話せなくなったときに話す道具を作ろうと思ってな」
「ちょっと考えさせて」
「すぐに返事を聞こうとは思ってないから。これに関して眞子から何も言わなかったら却下ということにしておくから」
「わかったわ」
そう言うと時間も時間だったのでお暇することにした。
人形病に罹った人はそのことを必死に隠そうとする。
人形病の公にされていない症状のことを考えると人形病に罹ったことを隠すことは無駄なのだけれど。
正確に言えば人形病は病気なんかではない。彼もそのことは知らないみたい。
正確なことは罹った人にしか伝えられないので、変な噂が広がり差別される。
言葉というのは、きわめて乱暴なもの。
病気でないとしても隠したがるのは、その言葉の乱暴さが理由なのかもしれない。
●《自己批評》
『みっくみくにしてやんよ♪
作品を送るのは初めてですねw
お祭りなので参加してみました。
ネタを詰め込みすぎて支離滅裂な内容になっているかもしれませんが、気に入っていただけたら幸いです。
ネタを詰め込みすぎたせいで何を書いたらいいかわからなくなったので自己批評終わり。
最近、初音ミクに嵌っている原さんでした』
《Mystery Circle 管理人拾号機・平良原》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『人魚は再生する。』
著者:かしのきタール
この路線はどうしてこうも"きな臭い"んだろう。病んだ人の顔色みたいに辺りが澱む。酔って据わった眼と同じ黄色に空気が染まる。
改札機に切符を通した瞬間、わずかに胸をふさいだ重みが、階段を駆けおりる速度に合わせて這い上がり、あっという間に身体を覆った。思わずすくんだ足が、小花模様のスカートを揺らせる。ホームに降りて見回すと、停車したばかりの古い車体の濃い黄色が、うごめく人々に憑依していた。
人型が重なる向こうにかろうじて見えたストライプ柄の背中めがけて小走りに駆ける。追いつくまで、一度も後ろを確認しない。そういう男だよどうせ。わかっていても腹が立つ。
混雑した場所だとさっさと先に立って一人で行ってしまうテツ。この古い路線のごちゃごちゃしたホームに降りる時に感じる嫌な重みの原因の一端もたぶん、そこにある。そうだ、全部こいつのせいだ。ホームの際を、ジーンズのポケットに両手を突っ込んで飄々と歩くテツとまた距離があく。あたしがいること忘れるの?
トンネルの奥に警笛が響いて目玉が光った。テツを思いきりこづいたら、あっという間に目玉の持ち主の餌食になってしまうのだろうか。そしたらあたしは、散らかった肉片の中からそっと一片拾って帰ろう。テツの肉なら食べられるような気がするから。
誰も肉片にせず停車した黄色に乗りこんで並ぶと、20センチ上空か
◎起の文
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。
◎挿入文
「あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことができるわけがないだろうが」
◎結の文
言葉というのは、きわめて乱暴なものである。
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『永久に悠久に』
著者:知
「人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたいわ」
彼女のその一言が強く印象に残った。
変わっていく事が救い。
何百年と変わっていない僕にとってその言葉が信じられなかったからだ。
姿形が変わることなく永遠の時を過ごす一族がいる。
決して歴史の表舞台には登場しない。しかし、様々な世界を旅し、歴史の導き手として世界に関わっている一族がいる。
僕もその一人だ。
でも、僕は……僕と双子の妹である悠(ゆう)は一族の中でも毛色が違う。
一族と言っても血族関係にある者は殆どいない。
夫婦である者たちもあまりいない。
契約を結び一族の一員となる……とのことだ。
僕と悠が毛色が違うと言った訳はそこにある。
一族の父と母の間に生まれたのが僕と悠。
僕と悠は生まれながらにして一族の一員。
自らの意思で契約を結ぶことなく、契約を結んでいる状態で生まれてきたのが僕たち兄妹だった。
一族になった者どおしの間に子どもができたのは僕達兄妹が初めて。
一族になった者は姿形が変わる事がなくなる。
契約をしている状態で生まれた子どもが成長するのか。
子どもができたとわかったとき、色々な物議を醸した。
実際は悠は16歳のときに成長が止まり、僕は20歳のときに成長が止まりそれ以降、姿形は変わらなくなった。
「あれ? 珍しく兄さんが何か考え込んでる様子」
背後からそんな失礼な言葉が聞こえてきた。
「……そんなに珍しいか……」
「うん、とても」
振り返り、じと目で見ながら返した言葉に満面の笑顔で頷く妹……情け容赦が全くない。
「冗談は程ほどにして、長いこと考え込むのは本当に珍しいよね」
悠の言葉に軽く落ち込んでいる俺に対し、地面に腰を下ろし小首を傾げ俺の顔をじっと見ながらそう言った。
「冗談だったのか?」と返したら「勿論、そんな訳ないじゃない」と返ってくるのは明らかなので、何も言わず肩を竦め苦笑を浮かべながら悠の隣に腰を下ろした。
心地よい風が吹き抜ける。
町を一望できるこの丘は二人にとってこの世界でのお気に入りの場所だ。
……彼女ともこの場所で出会ったんだよな……
「私は……兄さんが思うように行動すればいいと思うよ」
「直感でそうした方がいいと思ったんだよね? だったらそうするのが正しいんだと思うよ」
沈黙を破り、悠が微笑みながらそう言った。
俺は直感で動く事が得意で、悠は考えて動く事が得意。
逆に俺は考えて動くことは苦手で、悠は直感で動くことは苦手(というか裏目に出てしまう)
このように俺と悠は得意な事、苦手な事が真逆になっている。
『片翼の天使』
互いに互いの苦手なところを補いあっていることから俺と悠はそう呼ばれることもある。
そうは言っても、一人だけでも大きな問題があるわけではないが……
「……兄さん……」
悠の言葉に何も返す事ができず黙って立ち去ろうする僕を呼ぶ小さな声が強く耳に残った。
「……はぁ……」
兄さんの後姿が見えなくから思わずため息が出た。
何をそんなにためらっているのかな。契約を切ることは珍しいことではないのに。
一族の一員になることは断られたと兄さんは言っていた。なら、彼女と一緒にいたいのなら契約を切るしかないのに。
契約を切れば不老不死でなくなる。この世界で暮らす事ができるようになる。
すべき事をし終えた者は契約を切り元いた世界に帰っていくのが慣わし。
兄さんと私は自分の意思で契約を結んだわけではない。
『片翼の天使』と呼ばれるのはそこにも理由がある。
永遠に生きることの苦しみ。その苦しみに耐えてでも成し遂げたい事、成し遂げようとする意思。
それらが私と兄さんにはわからないし、ない。
一度契約を切るのは私と兄さんにとっては必要なことだと思う。
一緒にいたいと思う人が現れたのなら、契約を切るのにこれ程いいときはないと思う。
兄さんにしか見えていない何かがあるのかな。
「ごめん、少し遅れた?」
顔を上げると腰まである長い髪をした女性が立っていた。
「私も今来たところだから」
この世界での唯一の友人、永久(とわ)の何時もの言葉に私も何時もの言葉を返した。
お互いに知っているのは名前だけ。
詳しいことは何も聞かず、話さず。
草の上に腰を下ろして他愛のないおしゃべりをしたり、何もせずぼーっとしたり。
私は永久と一緒にいるときの空気が好きだ。
もし、私が男性か永久が男性だったら一緒にいるために契約を切ることを真剣に考えたかもしれない程に。
「……どうしたの?」
私の隣に腰を下ろし、ぼんやりと前を見ていた永久に思わずそう声をかけた。
お互いの詳しいことは何も聞かない、話さないようにしてきた。
永久の悩んでいる様子は何度か見た事がある。でも、今の永久の様子は何時もとかなり違う。
そう思うと、自然と口からそう言葉が漏れていた。
先程の兄さんの様子に似ていたからかもしれない。
「……大した事じゃ、ないんだけどね……」
私の言葉に少し驚きつつもそう返してきた永久の言葉は、大した事であることがはっきりとわかる口調だった。
「悠は永遠の世界ってどう思う?」
「! なんで急にそんなことを?」
話すか話さないか悩んでいた様子の永久が覚悟を決めたようにそう聞いてきた。
その内容に私はびっくりして、でも、それを隠すようにそう尋ねた。
どうやら永久との会話の中でよくでてきた彼――聞く感じだと友達以上恋人未満のようだ――にそう聞かれたようだ。何て答えたのか尋ねると。
「『自分が変わっていくのは救いで、自分が変わらない世界なんて耐えられない』って答えたわ」
その言葉に頭の中で何かが繋がった。
「そう答えたときの彼の寂しそうな、何とも言えない顔が頭に残ってて。でも、どんなけ考えても、私は永遠に生きるなんて耐えられそうになくて」
そうぼそぼそと呟く永久を余所に、私の頭の中では兄さんのある言葉が繰り返し再生されていた。
『あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことができるわけがないよ』
兄さんの話によくでててきた彼女。
そんなに気になるのなら、彼女に一族の一員にならないか誘ってみたら、と兄さんに言ったときに返ってきた言葉。
兄さんの話と永久の話……今まで2つの話だと思っていたけど……
私は黙って腰を上げ、スカートについた汚れを払ってこの場から立ち去ろうとした。
「……悠?」
不思議そうに私の名前を呼ぶ永久に、1つだけ尋ねた。
「ねぇ、その彼の名前、教えてくれる?」
「えっ……久(ひさし)だけど……」
「そう……」
私は永久の返事に気のない返事をし立ち去った。
実のところ心臓が破裂しそうなほどドクドクいっていた。
予想通りの返事だったけど、実際にその名前が出ると予想以上に体が反応した。
「……悠」
「……兄さん」
丘の入り口で兄さんに会った。
どうやら悩むのは止めたみたいだ。覚悟を決めた目をしていた。
「永久なら、奥にいるよ」
「……そうか」
永久の名前を私が言ったことに一瞬びっくりしたみたいだったけど、すぐに気を取り直して彼女の永久のいる奥の方へと歩き出した。
言葉というのは、きわめて乱暴なもの。
思いを全て言葉にすることは不可能。
だからすれ違いや衝突が起こる。
でも、言葉にしなければ伝わらない。
兄さんと永久がどのような答えを出すのかはわからない。
でも、それがお互いにとっていいものであることを願わずにはいられなかった。
●《自己批評》
『久しぶりに長めの作品になりましたw
『永遠』を題材にしたネタは他にも幾つかあるので、機会があればMCで書こうと思っていますw
当初予定していたよりも妹が表に出てくる内容になってしまったなぁ。』
《Liar's villa 知》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『不死鳥見聞録』
著者:望月来羅
物事が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。分かっているからこそ、望む思いもある。
大昔にも、不死を求めた皇帝がいた。
不老不死というのは、恵まれた人間か、もしくはどん底にいる人間が望むものだという。
現状に満足している人間は、老いると摂理に従い死んでいく。心に不満を抱えた人間は、良き来世をと願って眠りに就く。
財産に恵まれた者に多いのは、少しでも長生きをして、自分の財を守り、増やそうとする者たち。
愚かな、と呟く。
永遠の時間の苦しみに、限りある時間の幸せに、なぜ気付かないのだろう。
ため息をつきつつ、ハネの目立つ尾羽を手入れする。波打つ焔のような艶やかさと、ビロードのような滑らかさを持った真紅の羽は、私の自慢でもあり、苛立ちの原因でもある。
苛立ちが出てしまったのか、足元のとまっている枝から細い煙が出始めた。
片足をそっと持ち上げて、鉤爪の形に押された焦げ後に、慌てて皮膚の温度を下げる。
「母(はは)様?」
いかがされました、と柔らかいトーンが響いて、私は首を右に巡らせた。
私よりも一回り小さい、それでももうすぐ成鳥なのだと分かる、若い雄の紅鳥がいた。
「何でもないよ、クル。ちょっとだけ、頭が痛くなった」
苦笑しながら言うと、クルは漆黒の眼を瞬かせた。我が息子ながら、整った顔立ちをしていると思う。優しく、そして、賢い子に育ってくれた。
数え切れないほどの年月を生きた中で、初めて生まれてきてくれた我が子。紅鳥一族は、一生涯に、一度しか子を宿すことは出来ない。
気遣ってくれる息子がいとおしくて、自身の嘴をすり、と息子のほっそりした首にすり寄せた。
「あの者達のことですか」
「まさしく」
問うてくるクルに頷いて、私は視線を、とまっている柿の木と、その向こうの崖越しに放った。向こう側からは死角になっていると思うが、果たして見えていたとしても誰にも捕まりはしない。
低く轟く、地響きと雄叫び。燻された大地と、肉の焦げる匂い。鉱物が弾ける時の音にも似た、金物のぶつかり合う高い音。流れてくる火薬と血の匂いは、こちらの嗅覚まで麻痺してしまいそうだ。
広大な平原の緑を赤と茶が染め上げている。折り重なる死体を踏み潰して、あるいは足を取られながら、馬と鎧に身を包んだ人間とが殺し合いを続けている。
規模はけして大きくない。だが、見逃すことの出来ない戦だった。
「愚かなことを・・・」
「誰が私たちに気付いたのでしょう。私達がここにいることは、仲間しか知らないはずですが・・・」
「空を飛ぶ姿を見られたのかもしれない。人間の伝承というのは、本当に厄介なものだ」
戦っている二つの陣営、双方の上に立つものが、この土地を賭けて争っているのだ。
その目的は、私と息子のクルに他ならないという。
紅鳥は、数少ない一族である。成鳥してからは一羽で暮らしていくのが常とされ、鳥の仲間でいうところの孔雀ほどの体躯である。
紅鳥は、古くから進化を遂げずに生きてきた一族である。寿命は数え切れないほど長く、焔を操り、その血には不死の力があるのだという。
正確には、不死ではない。ただ、他の生物の寿命と比べても、比べられないほど長いために不死と伝わってしまったようだ。
迷惑なのは、山奥に篭り、高地から降りてこないはずの紅鳥が、長い歴史の中でたびたび人間に目撃されていることである。
古い書物にも姿を描かれ、不死鳥や火炎鳥などと呼ばれ、その伝承を追って紅鳥を捕まえようとする権力者も少なくない。
さて、どうして止めたものかと思考を巡らせる。
私とクルは、どうしてもこの戦を早期に止めなければならなかった。
空を飛ぶ雀の一族を筆頭として、多くの鳥達に助けを求められたのだ。
木々のあまりない草原では、鳥達の巣は専ら草原の中、生い茂った青草の中なのである。
それが今、大掛かりな戦争によって巣も焼き払われ、多くの鳥達が命を落としたという。不幸中の幸いは、今が雛の生まれる春ではなかったということか。
「母様」
ふと、考え込んでいたらしいクルが、理知的な瞳を瞬かせて柔らかく鳴いた。
「この戦争、どちらに利があると思われますか」
「そうだな・・・」
呟きながら、双方の陣営を眺める。鈍い鋼の色合いを放つ鎧は同じ。違うのは、片方は湾曲した刀を使い、片方は槍を主として使っているということ。湾曲刀を使っている兵士達は皆、頭上の鎧部分に赤い房のようなものをつけていた。
数としてみるならば、湾曲刀の兵士の方が多いように思えた。ただし、馬の数は槍の兵士の方が多い。そして、陣形を見ても。
「槍を扱っている方だな。人数は少なくとも後方で包囲するような陣形があまり崩れておらず、倒れている馬の数も少ない」
「やり・・・というと、あの長い武器のことですね」
「兵士が整っている部隊は、その上に立つものが秀でているからだ。こんな戦いでも、良い軍師がいるのだろう」
比較的近くで弾けた火薬の煙が漂ってくる。羽毛に匂いが染み込まない様に翼で空気を攪拌しながら、圧倒的な煙の量に無駄だと悟りため息をつく。
数え切れないほど昔、まだ私が母親の庇護の元にいた時に、初めて人間の戦というものをみた。使われる火薬の匂いが嫌いで、互いに刃物を持って殺しあう人間達に恐怖を抱いた。
母親は、醒めた瞳で戦いを眺めていた。あの時は分からなかった母親の表情が、今では自分の表情のように理解できる。
「勝つというのは相手の意思をいかにして削ぐかということだ。利害の少ない対等な和解は難しい。名将と言われる者達も、皆いかにして相手を殺すかを考えているのだろう」
戦乱の最中では名将と祀り上げられ、平和になった途端に異分子として排除される。
過去に、そんな人間を数人見てきた。それでも、また数年経つと新しい戦が始まるのだから、人間の世はまさしく繰り返しなのだと思う。
「槍を使う陣営は、すぐに勝てると思いますか」
「それはないだろうな。いくら上が優れていても人数に差がある。もうしばらく掛かるだろう。・・・早期に止めなければならないというのに」
「では、そちらの上に立つものに我らの血を与えては如何でしょうか」
醒めた思いで戦争を眺めている耳に、クルの静かな声が入ってくる。その言葉を理解するのに数秒を要した。
思わず瞠目する。
「クル! それは」
その血を求めて戦が起こっている。どのようにして戦をやめさせるか。いっそ一面を焼き払おうか、とも考えていたところで、自分達の血を分け与えるなどとはちりとも考えなかった。
「母様が嫌がられるのもわかります。ただ、これ以上仲間に被害を増やすことはできません。戦争が終わるのであれば」
「あれだけ意見が対立しているのだから、片方に与えれば良いというものではない。むしろ欲を出して悪戯に争いを広げることになるだろう。・・・そんなことができるわけがないだろう」
「どちらかに不死を与えれば、おのずと死なない方が勝ちましょう。士気も上がり、何より『死』という背負うものがなくなるわけですから」
考えながら話す時の癖で、ことさらゆっくりと話すクルは、そこで眼下の争いを複雑そうな瞳で見下ろした。
仮に負けたとしても、と呟くように言う。
「仮に負けたとしても、血を与えるのが一人だとすれば、その者は死なずに捕虜にされるはず。不死を求めるのであれば、その者を割いてでも秘密を探ろうとするでしょう。その現場はここではなく、おそらく人間の国の施設が整った場所のはずです。どちらになったとしても、この者達はここから引き上げるでしょう。仲間の巣場所は出来ます」
「・・・・」
すぐに意見を退けなかったのは、クルの意見が現状打破に適していると思えたからだ。
それでも渋ってしまうのは、数滴の血を求めてここまで争いを繰り広げる人間に、血を分け与えるのが嫌だったからでもある。
「仲間の巣を壊した者達に、望むものを与えよというのか」
「確かに双方に望むものを分け与えれば、さらに血を求めて大軍が押し寄せないとも限りませんが・・・私が思うのは、大勢の人間でも双方の武将ではなく、片方の武将に与えることにこそ意味があるのではと。母様の血ではなく、私の血で構いません。・・・先ほどの哀れな雀の婦人をご覧になったでしょう。子と夫が目の前で殺され、友も・・・皆、各々ではあまりに対処が追いつかないのです。今、私達の目の届かない草原の草むらの中で、あるいはあの死体の中に仲間の姿もきっとあるのでしょう。縋ってくる仲間に対して、できることがあるのであれば、やらないわけにはいきません」
「だが、我等が血を与えれば、伝承をいよいよ真実と知らしめてしまうことになる。血を求めて権力者の争いが激化しないとどうして言える」
「人間の性質を教えてくださったのは母様ではありませんか。例え我等を探すものがいようとも、以後決して姿を見せず、且つ目の前に餌があれば矛先を変えるのが人間の性だと」
漆黒の瞳に静かな、だが揺るがない決意を見る。
クルと私の住む家は、この草原から少し離れた、切り立った崖の中腹にある。
かなりの上空にあるのだが、仲間内の中では皆の見張者のような存在になっているらしく、どうしても解決しないことは私かクルが対処している。
最近連日、様々な鳥達が相談に来たのがこの戦争である。仲間が殺された。食べられるのを見た。どうぞ、助けてください―――。
私は数秒クルの顔を見て、ため息を吐き、その後で苦笑いした。まったく、ため息の多い日である。だが、それと同時にそこまで仲間のことを考える息子のことが誇らしくもあり、喉の奥が、ク、と鳴った。
「分かった。確かに、早期にどうにかしなければならないことだからな。だが、血は私の血を与える。同じ種族で骨肉の争いをする人間に、大切なお前の血を与えたくはないからね」
望むものを与える為には、まず人間に身をやつさなければ、と、私は崖下に転がっている死体を複雑な思いで見つめた。
「―――で、孝に呉と言ったか。・・・これがその不死鳥の血だと」
「さようでございます」
今、私は薄暗いテントの中央で両膝をつき、顔を上げないようにしながら両手に一枚の大きな紅い羽を掲げ持っていた。体を作り変えて人間の兵士を象っているものの、死体から剥ぎ取った衣服はそこかしこに泥と血がこびり付いていて気持ちが悪かった。
隣では同じように人間の若い少年兵に身を変えたクルが、神妙な面持ちで跪いている。本当は兜を被っていたかったが、人間の礼儀として脱がねばならなかったのだ。
掲げ持っている羽は、私の翼の先から抜いたものだ。重要なのはその羽ではなく、その羽の先に染み込み、傾ければ滴る数滴の血だ。
人間に身をやつし、争いを避けて戦場から離れ、武将のいるテントまで潜り込み、面会を申し込んだ。
跪いている私とクルの周りには、椅子に反り返って座っている目の前の武将を中心として、壁際に立っている十数人の兵士たちがいる。
目の前に座る武将は、黒い甲冑に身を包み、やや白いものの混じる髪の毛を頭上で無造作に纏め上げ、特徴的な長い顎下の髭と、ぱらぱらと落ちる前髪の間から油断のならない瞳が私を見ていた。
一目で頭の切れる人間だと分かるが、それと同時にその男から漂ってくる血の匂いに見破られない程度に顔を顰める。残虐さと、貪欲さも持っていそうだと検討をつけた。
「・・・何故分かる。その紅い羽が不死鳥の羽だとでもいうつもりか」
「おそらく。・・・先ほど、この者と崖の上にて不思議に輝く鳥を見つけまして、射止めようとしたのですが逃げられてしまいました。ですが、その際に矢が掠ったものとみえ、鳥の飛び立った後にはこの血の滴る羽が残ったのでございます」
「なんだと? 貴様、不死鳥を見たのか!」
「・・・はい」
尊大な態度の男に軽く苛立ちが募る。血の匂いを撒き散らしている男の前に跪くのも、こうして使いづらい人間の言葉で敬語を使うのも好きではない。
私の胸中を察したのか、ちらりとこちらを見やったクルの瞳に、苦笑の色が滲んでいた。
「・・・それが不死鳥の羽だという証拠はどこにある」
「証拠と言われましても・・・ただ、私は御大将殿がご所望しておられる不思議な鳥ではないかと思い、こうして持ってまいった次第でございます・・・」
いらぬのであれば・・・と捧げ持っていた手を下ろそうとすると、それより早く男が羽を奪い取った。思わず胸中で笑ってしまう。いくら頭が切れようとも、戦をしてまで手に入れたいと望んでいたものの前では思考力も鈍るらしかった。
武将は、目の前の羽を水平に持ちながらおそるおそる傾け、羽軸の先から血が僅かに滴りそうになるのを確認し、慌てて元にもどした。
「・・・ごう殿。いくら毛色が珍しかろうとも、普通の鳥かもしれませぬし、仮に敵の仕掛けた罠かも知れませぬ。危険です」
羽を見つめる武将に進言したのは、男のすぐ右隣に立っている兵士だった。ごうと呼ばれた武将はその兵士の言葉に、カカと笑う。
「わしに毒は効かぬ。分かっているだろうが。確かに、見たことのない羽よ。なに、わしとて信じているわけではない。そもそもが絵空事に僅かに信憑性が出てきたからこうして探しているだけのこと。ただの鳥ならば、飲んでも利はないかも知れぬが害もあるまい」
周りの者に言い聞かせるように言うと、武将は、口を開け、私の羽の先から滴る血の雫を、ごくりと音を響かせて飲み込んだ。
自分の血を、気に入ったものでもない武将に与えることは気持ちのいいものでもなく、この瞬間ばかりは下を向いていて良かったと思った。
「―――っぐぅッ!」
瞬間、武将が低く呻いて喉を抑え、椅子から立ち上がったかと思うと床に四肢をついて体を痙攣させた。相容れないはずの血を飲んだことによる、瞬間的な相互干渉である。
「ごう殿っ!」
「貴様! やはり間諜か!」
壁際に佇んでいた人間達が、主の異変に瞬時に駆け寄る。槍の切先を向けられながら、これが親衛隊というやつか、と冷静な思いで観察していた。
瞬間的な干渉に長い時間が掛かることもなく、しばらくすると見ている前で武将の動きが止まり、額に玉のような脂汗を浮かべながら、武将がよろりと立ち上がった。
「ご、ごう殿・・・お、お体の方は・・・」
「・・・大丈夫だ。心配いらぬ・・・わしの外見に変化はあるか」
「いえ、お変わりはありませんが・・・」
部下の言葉を聞いた武将は、自身の額に浮かぶ脂汗を拭い、束の間動作を止めると、ゆっくりと両手を日に透かすように目の前に持ち上げた。
「不思議だ・・・」
武将自身、何かの変化を感じ取っているのかも知れない。紅鳥の血は、瞬間的に体に働きかける。
「鼓動がおかしな拍動を刻んでおる・・・まるで自分の中にもう一つの意思があるかのようだ」
呟いた武将は、突然自分の腰元から細い短刀を抜き取ると、自分の左の手の甲に突き刺した。血がパタタ、と私の目の前の床に滴る。
「! ごう殿! 何を・・・」
「・・・見よ」
自分自身でも信じられないものを見たというように、男が部下に自分の手の甲を見せた。みるみるうちに塞がっていく傷跡に、どよめきが上がる。当たり前だ、と私は胸中で呟いた。一族の血なのだ。紛い物であろうはずがない。
目的を達した今、早々に私とクルは引き上げなければならなかった。長居したところで良いことは何もなく、経過を見守る側に徹するつもりだった。顔は上げないまま、恭しく平伏して注意を促す。
「喜びの最中を遮ること、失礼いたします。・・・御大将殿。一兵に過ぎぬ私めがお力になれたのであれば、まこと嬉しく思います。ですが、外は未だ戦場の最中。私もこの者も、自分の務めを果たしとうございます」
「おぉ・・・そうだったな。礼を言うぞ・・・」
声に喜色を滲ませた武将は、だがそこで言葉を切ると、何かを考え込む表情になった。私とクルの詳しい情報などを聞かれても困ると思いながら、建前上顔は上げられない。
「・・・御大将殿?」
「・・・いや。そなたらのこと、忘れはすまい。帰ってよい」
隊名などを聞かれなかったことを、安堵の思いと不審の思いが交差する。
それでも目的は叶ったとクルと共に再度深い礼をした。
物体の空を切る音が聞こえたのは、私が顔を上げ、クルが私の方を振り向いた時だった。
引き下がろうかと腰を上げかけた瞬間、喉元に当てられた冷たい感触に皮膚が僅かに引きつる。ゆっくりと刃を辿ると、すぐ傍の兵士が私の喉元に持っていた槍を構えているのだった。兵士の顔は兜で見えず、隣を見ると、私の方を向いているクルの喉元にも同じように刃が押し当てられており、怒りが溜まる。そのままの格好で、椅子から立ち上がった武将を睨みつけた。
右手を軽く挙げたままの武将と視線が合う。
「・・・何をなさるのですか」
「一つ・・・聞き忘れていた。このこと、ここに来る前に誰かに話したのか」
「・・・話しておりません。御大将殿がご所望のものであるなら、と戦場を避けてこちらまで」
「・・・そうか。ご苦労だった」
武将は顎を撫でながら、ゆっくりと頷く。だが、問いが終わっても私とクルの喉元から武器を下げさせようとはしなかった。
「誰にも漏らしはいたしません! ですから、どうか」
「すまない・・・お前達は、よくやってくれたと思う。だが、この情報を知っているものを悪戯に増やすわけにはいかんのだ」
その言葉を聞いて、思わず全身が熱くなった。
ここまでやらせておきながら。誇り高い一族が人間に身をやつし、腰を折ってまで血を与えてやったというのに。
ざわり、と全身の細かい羽毛が逆立った。
「は、母様。落ち着いてください。用は済んだのです。帰りましょう」
私の気配を悟ってか、今まで身を弁えて口を開かなかったクルが、少年の少し高い声で焦ったように言う。
「帰らせぬ!」
自分の治癒の力を確認した武将は、血に酔っているようだった。自分の腰からスラリと長剣を抜くと、あろうことか、私の方に向き直っているクルの背に向かって刃先を突き出したのだ。
「クル!」
兵士の槍を押しのけて咄嗟にクルを引っ張るが、突き出した刃先はそのままクルの肘下を深く抉った。押し付けられていた喉元の刃も、浅い傷を作り出す。
血管を切ったのか、腕から吹き出る血に愕然とする。傷はすぐにふさがるとはいえ、紅鳥は、一族の血を重んじる。たかが数滴の血ですら自分が代わったというのに、本来の姿ならば紅く、美しい、風切羽があるところを、傲慢な人間風情が!
「駄目です母様!」
瞬間、何も考えられなくなり思考が爆発した。
白光とともに、じゅ、と何かが焼ける音がして、私とクル、そして目の前の武将を除いたテント内にいた全ての人間が消えた。
肌を覆っていたはずの衣服が一瞬にしてなくなり、人間の形を保ったままの手を目の前にあげると肌から熱が立ち昇り、揺らめく大気の向こうに引きつった顔をした武将が映った。
周りの大気が瞬間的に紅くなり、肌が熱せられた硝子のような色合いになる。
右腕をクルに掴まれやめてくださいと首を振られた。だが、掴まれている腕を振り払ってクルを後ろに退ける。
武将は、何かを必死に叫んでいた。痛みに声を上げていたのだろうが、あまりの熱で歪んだ空間の中では音は早すぎて聞き取れなかった。
顔面が溶け、鎧も刀も熱に溶かされながら、それでも私の血のせいで再生し続けている。
熱に耐性のある紅鳥一族でもない人間が、あまりの高熱に瞬間的に肉体を溶かされながら、それと同じ速さで肉が再生しているのだ。死を何回も経験しているようなものだ。
私はそれをみて良い気味だと思いながら、動かしづらい人型から本来の姿に戻る。
大気中の熱で、あっという間にテントが崩れ落ち、隙間から空へと舞い上がる。
異変に気付いてか、争いをやめて遠巻きに眺める兵士たちの畏怖の視線が不快なことこの上ない。私は視界の端に、同じく本来の姿で空に舞い上がったクルを見ながら喉の奥でクククと鳴いた。
「戦って戦って、滅びればいい」
遠くから見上げる周りの兵士ではなく、眼下のテントの残骸に囲まれた、顔面を押さえている武将に、人間の言葉ではき捨てる。
「例え貴様が捕らえられ、幾度身を裂かれ地獄の苦しみを味わおうとも、寿命が尽きるまで死ぬことは叶わないだろう。愛するものが出来たとしても、同じ時を歩むことはできない。私は助けない。幾度貴様が死を請おうとも、この自由な空に舞い上がり、惨めな貴様をあざ笑ってやる」
何か言いたそうなクルを視界の隅でとらえながら、私は最後に惨めな男を一瞥すると、未だに高温を持ったままの翼を翻して飛び去った。
しばらく飛ぶと、辺りの切り立った山々に隠れるようにして見慣れた垂直の崖が見えてきた。翼に力を入れて体をぐんぐんと上昇させる。
途中で霧のような雲を熱で蒸発させながら、頂上付近に開いている小さな洞穴へ入り、細かな砂の目立つ暖かい巣床に入り、翼を畳む。
翼を立たんで、しばらくすると冷静にもなり、先ほどの自分の暴言の数々が蘇ってきた。
それとともに、自分の教育の結果、礼儀正しく育った息子に、先ほどの自分の姿が映っていたことを思い、背後の無言の息子が怖かった。
「母様」
どこか強張った、いつもより大分低いクルの声に不覚にも羽毛が震えてしまう。
数えられないほど年の離れた息子だが、教育は愛情を持って厳しく育てた。日頃自分が注意していた言葉遣いを、まずい形で披露してしまったようだ。
「クル、あれだ。・・・人間の使う言葉というのは、きわめて乱暴なものでな」
礼儀正しい息子に居たたまれなくなり、視線を泳がせながら呟くと、クルのいかにも呆れた、というような気配が伝わってきた。言外に、人間の使う言語に責任転換を試みてみたが、無駄だったようだ。
「母様・・・言葉に非はなく、使う側の問題です」
「だ、だが・・・」
「やりすぎです。我等に怪我など残らないというのに、怒りに任せて・・・いくら人間とはいえ・・・」
滅多に起こらないクルが、戸惑いながらも怒りを顕わにしている。弁解しようとしても、私が関係のない人間十数人を殺してしまったことには変わらず、クルの言葉を聞いて今更ながらに頭が冷えて項垂れた。
「・・・すまなかった・・・お前が傷つけられて我を忘れてしまった」
「一瞬で死んだ人間達が少し哀れです。・・・あの場では、戦どころではないでしょう」
厳しい表情でそういった後に、数秒黙り込み、ただ、と言ったクルの雰囲気が少しだけ和らいだ。
「・・・ただ、あの場にいた人間であればあの武将が不死であると思うでしょうし、空高くに飛び去る母様と私の姿も見ました。戦にも決着がつけば、また緑の草原に戻るかもしれないというのは、皆の期待を裏切らないですみました」
「・・・すまない」
ほっそりとした嘴から流れる言葉に、改めて反省をしながら苦笑する。
いつのまに息子はこれだけ考えるようになったのだろう。ついこの前までは餌を強請る幼子だったのに。
少し考えたあと、クルに体を寄せ、疲れを訴える首をクルの背中、翼の生え際に横たえる。僅かに驚いた反応をするが、好きにさせてくれた。
少し高い体温も心地よく、私とは僅かに違う色合いの、柔らかな羽毛を首の下に感じて瞼を閉じる。
「母様」
「ん」
「あの時・・・私のことで怒ってくださり、ありがとうございました」
顔をつけているせいで内側に響くように聞こえるクルの声は、いつもの優しさを含む声音に戻っていた。
明日、また見に行きましょうねと言うクルに顔の動作で頷いて、私は頬を、温かなクルの羽毛にそっと押し付けた。
●《自己批評》
『こんばんは!
お久しぶりです! わー久しぶり・・・ええと、多分半年ぶりくらいでしょうか?
大学受験まであと10日余りなのですが、若干現実逃避のためにと気付いたらワードを立ち上げていました・・・。
どうにも、まず起の文が難しかったような・・・
そして、起の文に合わせたところ、とうとう視点人物の名前が一度も出てこなかったという(笑
久しぶりに書いても、やはり長くなってしまいました。
でも、やはり限られた環境で書くというのは頭を使うので楽しいです。
ありがとうございました(^^ 』
《Kaleidoscope―万華鏡― 望月来羅》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『さよならフィフティ・ナイナーズ』
著者:松永夏馬
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。
「どっかで読んだ本の受け売りなんスけどね」
そう彼が言った時、私の中で必死に抑えてきた何かが崩れた。張り詰めていた何かが切れた。
********************
「今日はさぁ、ユキの為に企画したんだからね。気合入れてよッ」
店に入る前にアンナにそう言われた。頼んだつもりもない。そもそも私から奪った彼がいるにも関わらず合コンを企画する彼女の神経を疑うが、そんなことも言い出せずにいる。
「でも私は……」
彼女の濁流のような強引さに引きずられてここにいる。それでも、その濁流に逆らおうという意思もない。自己嫌悪の螺旋は下へ下へと落ちていく一方。
先週彼が私の部屋へ来て、別れを告げた。
彼の隣にはアンナがいた。
修羅場……にすらならなかった。頭の中は混乱してぐるぐる廻るだけで、文句も口から出てくることはなく、やっとの思いで搾り出した声は「しょうがないよね」
馬鹿だ。
「アンナを大事にしてあげてね」
馬鹿すぎる。
それでも普段と変わらない一週間を過ごした。朝出勤してお茶を煎れ同僚と談笑し上司のグチを聞き電話を取り事務仕事に勤しんだ。ルーチンワークに徹することで、心の平静を保ちつづけてきた。私は大丈夫。
女友達数人に囲まれて、わざと約束の時間よりいくらか遅れて店へと向かう。
どうして言われるがままにここにいるのだろうか。
そんなの決まっている。私は普段どおりにしているだけ。別に辛くなんてないんだから。
洒落た居酒屋は押さえ気味の照明とBGMがステキだった。静かにお酒を飲むのならきっと美味しく飲めるだろうに、私達のテーブルだけはアホみたいに騒々しくて、そこにいるのが恥ずかしかった。
私の為だなんて言いながら、私のことをすっかり忘れたように媚びた笑顔を振り撒き喋るアンナ。自由奔放で人のことなど気にせず自分自身の為に生きる彼女。羨ましい。
羨ましい? まさか。彼女のような品のない厚顔無恥な女には絶対になりたくない。
そう思う反面、彼女のようにワガママに、自分勝手に生きてみたい。
グラスのウーロン茶を飲み干しながら、そんな相反する願望が頭の中を駆け巡る。ワガママで自由で自分勝手で、それでいて良識と気品あるお嬢様? アホくさ。正反対じゃないか。それだけ意見が対立しているんだから、そんなことできるわけないじゃない。
「ユキちゃん飲んでる? グラス空っぽじゃん、何飲む? カクテル? おーい、お姉さん注文ー」
「……でも、私は」
「もうこの娘ったら大人しいでしょぉ? 真面目すぎるのよねー。誰かいい男紹介してあげてよぉ」
「あ、じゃぁオレオレー」
「えー、ユウジさんてユキみたいなのがタイプなのぉ?」
爆発する笑い声。
ますます帰りたくなった。
どうしてこう、私は言いたいことも言えずに愛想笑いで済まそうとするのだろうか。悲しくなって、聞いたことの無い名前のカクテルを一気に飲み干してやった。
「それでさぁ―――」
「ユキちゃん飲んでる?―――」
「―――」
「―――コレ美味しくなくない?」
「あはははははッ―――」
「―――昨日のテレビで」
「今度―――」
「―――」
「―――マジでぇ?」
「誰か注文―――」
「―――」
「飲んで飲んで―――」
「―――ユキはさぁ」
「―――」
「―――」
「―――ねぇ聞いてる? ユキ」
帰りたいのに帰りたいと言い出せない自分が嫌いだ。大嫌いだ。
********************
終電1本前の電車を降りると、タクシー乗り場は長蛇の列で、私はため息をついた。寒々しいこのロータリィで待ちつづけるのと、歩いて帰るのと、どちらがマシかしら。ロクに考えもせず私はくるりと踵を返す。酔った時の高揚感などというものはまったくなく、ただただ気だるい。
「タクシー、使わないんスか?」
振り向くと彼がいた。合コンの男性陣の中で一番若い、おそらく私よりも年下の……申し訳ないが名前は憶えていない。
「近いから」
「じゃぁ。送ります」
「でも……」
店では盛り上げ役に徹していた騒がしい印象だったが、こうしてみると落ち着いた、というか大人しい穏やかな顔つきをした青年だった。
「ああ、別に隙あらば上がりこもうとか思ってないスから。送り届けたらそのまま帰ります、ホントに」
静かにそう言った。変に言い訳っぽく聞こえないからそんな気もなさそうで、むしろ困った。真面目そうな彼だから、おおかたメンバに酔った私のお守りを押し付けられたかしたのだろう。
「……ホントはけっこう遠いよ?」
歩けば30分くらいかかるだろうか。
「タクシー待ちしようとしたくらいですからねぇ。そんなことだろうと思いました」
なんだか楽しげにそう彼は言った。
「でも遅くなっちゃうよ? もうすぐ終電だし」
「この近所にツレがいますんで。イザとなったら転がりこみます。大丈夫」
「でも……」
言いよどむ私を尻目に、行きましょう、と促した。優しげな顔をして、何気に強引だ。それが使命だと言わんばかりに頷いた彼に、私は苦笑いしつつ灯りの乏しい駅前商店街を歩き出した。
会話はそれなりにあった。彼が「星が綺麗スねぇ」とか「あ、猫だ」とかのんびりとした声で脈絡無く話し、私がたまに相槌を打つとその話題を膨らませてくれる。
酔った私を気遣ってくれているのがわかる。それでいて馴れ馴れしくならずに適当な距離を保ち続ける彼が、ありがたかった。彼の目に私が女性として映っているかは疑問だが、今はそのくらいが心地いい。
今夜はとても辛かった、それなのに何故か今はちょっぴり楽しかった。
ひさしぶりに感情が揺れ動いた夜。
********************
「人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。……どっかで読んだ本の受け売りなんスけどね」
どういう話題の流れでこの言葉が出てきたのかわからないが、この言葉は私に突き刺さった。その衝撃は一瞬にして私の奥底に沈めていた澱をかき混ぜ浮かび上がらせる。淀んだ澱が膨れ上がりその体積を増す。
あの人はもういない。とりえのない自分を愛してくれたあの人はもういない。真面目で優しくて人がいいのが君のとりえだと言ってくれたあの人はもういない。真面目すぎて、いい人すぎた自分が悪い。調子に乗って女友達に自慢がてら彼を紹介した自分が悪い。わかっている。そんな女友達に何も言えない自分が嫌。わかっていて変わらない自分が嫌。変わろうとしない自分が嫌。自分が変わらなければ世界だって変わらないのに。私は。私は。
私という個は、小暮ユキという脆弱な個は、時の流れから取り残されていく。
―――あふれる。
その瞬間堰を切って溢れ出す何かを、私は押し留めることができなかった。
ぼろぼろと零れ落ちる涙に気付いた時はもう遅かった。止められなかった。
深夜の住宅街のど真ん中で、私は泣いていた。号泣していたといってもいいだろう。
不安げな手付きでふわりと抱きしめてくれた彼の胸を叩き、掴んだコートの胸元をしわくちゃにして、時に子供のように声を荒げ、時に嗚咽を漏らし、歯を食いしばり、泣いていた。地面に崩れ落ちそうになりながら、彼のコートを千切らんばかりに掴みながら、泣き続けた。
泣いて泣いて。泣いても何も変わらないと知りながら、それでも、それだからこそ涙は止まらなかった。
どれだけ泣いていたのだろうか。
「―――」
彼が何か言っている。歪む視界の中で彼の困ったような顔も歪む。
「―――」
聞こえない。
「―――」
何? 何を言ってるの?
「―――めん」
ああ、そうか。私の所為か。自分の嗚咽が煩わしい。
「ごめんて」
聞こえた。泣き疲れた私の耳に、ようやく彼の声が届いた。
「ごめんね」
「……何?」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった頭では彼が何を言っているのかわからなくて。
「なんで、謝ってんの?」
どもりながらそれだけ言うと、彼はどうしようもなく不安げな顔で私を見返し、思い出したように慌てて私を背から手を放した。彼のコートの胸元が濡れている。
「ごめん、なんかオレ変なこと言って……言った?」
そうか、彼は私が突然泣き出したから。
「違う。大丈夫。ごめんね」
無理矢理笑顔を作って彼にそう言った。慌ててハンカチで彼のコートの染みを拭くが上手くいかない。申し訳ない気分と共に急に寒さが身にしみて、私はマフラに首を埋めた。
「ごめん、汚しちゃった」
「庶民の味方ユニクロですから」
真面目な顔の彼の返事にクスリと笑う。
「合コンにユニクロじゃモテないよ」
「それを言われると痛いですね」
への字にまげた彼の口元。彼はきっとモテないのだろうな、と私は思う。
「私さ」
しばらく逡巡した後で、どこか遠くを見ながら私は口を開いた。化粧がもうぼろぼろなのは気にしないことにした。あれだけ泣き喚いて醜態さらしたのだから今更関係ない。
「こないだフラれたとこなんだ」
彼は頷くだけで何も言わず、傍らの自動販売機にコインを入れた。
「もうわけわかんなくってさ。いろいろ言いたい事あったのに、しょうがないよね、とか言っちゃってやんの。馬ッ鹿みたい」
無言のまま私の目の前に缶コーヒーとココアが差し出された。躊躇いつつも「ありがとう」と呟いてココアを受け取る。プルトップを開けると、湯気となった甘い香りが鼻腔をくすぐり、何故かホッとした。
「自分は平気なんだって言い聞かせて。うん、別にあの人に未練があるとかそういうんじゃないんだけど、なんか泣いたら負けな気がしてたのよね。あーあ」
やっぱり負けちゃった。泣かないって決めてたのにな。泣くくらいならあの人やアンナに言いたい事言えばいいのにって。そうしたらきっと。
「言葉ってのは、時には凄まじく乱暴なものだったりするんですよね」
彼は両手で缶コーヒーを包み、それをじっと見つめてのんびりと言った。
「だから、その時の激情に流されずにいられたユキさんは優しい人です」
「そんなとこ褒めないでよ」
私が口を尖らせると、彼は肩をすくめた。
「別に褒めてません」
あっさりと言い返した彼は、ゆっくりと缶コーヒーのプルトップを引いた。
「泣けばいいじゃないですか。思いっきり。さっきみたいに。悔しさも憤りも情けなさも、泣くだけ泣いて全部全部出し切って、空っぽにしちゃえばいいんスよ」
缶の口から立ち上る湯気の中の何かを見つめ、彼は続ける。
「溜め込んでたら重くなるだけ。ますますバランス取れなくなりますよ。泣きたい時は思いっきり泣けばいいんです。泣きたくなくなるまで泣いて泣いて泣いて、そしたら。そしたら笑えます」
そっか。そんなもんなのかな。
確かに、いかに危ういバランスの上で平静を装っていたかが今わかったところだ。
私が小さく頷くと、彼は急に照れたようにコーヒーをガブリと飲んだ。そして、ふわりと街灯のスポットライトの下へと歩み出ると、顎をあげて猫背気味だった背中を伸ばす。
「泣くだけ泣いて、そしたら顔を上げ、胸を張る。背筋を伸ばす。これだけでも『変わる』んですよ」
そう言われるとそんな気になっていくのが不思議だ。
「そんでもって、歩く時は、こう」
片手を腰に当て、足をスッと出して、お尻を振る。
出来そこないのマリリン・モンローみたい。
なんだよ、もう。さっそくウチ帰ったらもう一度泣いてやろうと思ってたのに。
●《自己批評》
『お題を上手く使えず少し悔しい。
タイトルは某アルバム曲から。泣いたっていいじゃない。』
《Missing Essayist Evolution 松永夏馬》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『虹色噴水〜セイシュンは後悔しない』
著者:なずな
「人が変わっていくのは救いだわ。変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい」
壁に寄り掛かって立っているのが「片岡さん」だと気づいた時、彼女のその言葉を思い出した。
お洒落なレストランでの同窓会は案外盛況だ。
高校を卒業してから12年。葉書を貰った時は行くつもりなどなかったが、仕事のスケジュールばかりの予定表に
ふと、他の予定を書き加えてみたくなった。特に会いたい人がいたわけではない。
地元を出てこちらに居る人の集まり、学年も関係なし・・というのがかえって気楽な気がした。12年の歳月はどんな風に人を変えるんだろう。自分のこの12年は他の人から
見たらどうなんだろう・・
鈴木沙恵は定期入れの奥から吉野俊太の7年前の写真を抜き出して眺め、そして迷いながらまた、奥の方に差し込んだ。
「片岡さん・・よね?」
つい、話しかけてしまった。
小学校、中学校、高校と同じところに通ったのに、ほとんど話しをした覚えがない。
小学校の時は大人しくて目立たないタイプだった。
中学以降はどんな心境の変化か、ごろりと変わる彼女の外見にいつも戸惑った。
黒髪ロングストレート 校則違反のパーマに茶髪 いきなりのベリーショート・・
誰ともつるまず一人で平気な顔している彼女には、いつも中心グループからの風当たりが強かった。
次々と付き合う相手を替え、その相手に合わせているのだという根拠のない噂が流れ
聞こえよがしにその事について言われた時、彼女の口から出たのがあのセリフだった。
華やかな席に似合わない、タイトな黒のパンツスーツにショートカット、グラスを片手にした彼女を横目で見ながら、
沙恵は少しずつ、自分が苗字の上を取って「鈴」と呼ばれていた頃のことを思い出していた。
周りがニックネームや名前で呼び合う中、彼女だけはいつもどんな外見の時も「片岡さん」だった。
「鈴」
続く言葉が見当たらなくて口篭っているところに、バレー部キャプテンだった美波が声を掛けてきた。
さっき「変わった」と言われて「それって老けたってことぉ?」なんて泣きまねしていた女だ。
「鈴」とニックネームで呼ばれるだけで、気持ちは学生時代に戻る気がする。
「久しぶり。誰とも連絡取ってないみたいだし、心配してたのよ。ほら、吉野君のこと・・」
声を潜め、美波はさも、気にしていてくれたように言う。
「あ、でも・・鈴のことだから ただずっと沈んだままでいるなんて思ってなかったけどね」
美波が俊太のことを切りだすと、少し離れたところで先ほどまで美波と談笑していたメンバーの、探るような視線を感じた。
中の数人は俊太の葬儀で顔を合わせていた。美波は海外赴任の夫について行ったとかで、確か日本にはいなかったはずだ。
「結婚直前だったのよね。もう7年にもなるの?大変だったよねぇ」
同窓会に出ると決めた時点で、予測できなかった事ではなかった。それでもやはり動揺した。
沙恵は、呼吸を整え顔を上げると、美波に向かって明るい笑顔を作って見せる。
「鈴」って子はそういう子だったはずだから。
「有難う。もう大丈夫。俊太もね、事故にあったなんて思えないくらい綺麗な最期だったんだよ。今じゃ 笑顔の俊太しか思い出さないし」
「そっか、ごめんね。私あの時いなくって、何の力にもなれなかったね。・・・でも鈴みたいな彼女がいて、幸せなヤツだったよね」
「うん、きっと 俊太もそう言ってくれると思うよ」
重い気持ちに反し、すらすらと綺麗な言葉が口から出る。
笑って見せたりしてさ、話を早く終わりたいのに。美波、早く離れてくれないかな。
「鈴、ねぇ食べ物取りに行こう」
片岡さんに、「鈴」と呼ばれたことがあったかどうかも思い出せない。
いきなり間に割って入ってきた片岡さんは沙恵の腕を掴んで引き寄せた。
わざとらしく、美波にドンと肩をぶつけ
「あ、ごめんなさい、えぇと・・誰、だっけ?」
片岡さんは冷たい視線を美波に投げると、沙恵の手を強引に引っ張って、料理の皿の載ったテーブルの方へと向かった。
*
「ありがとう。助かった。・・片岡さんも勿論知ってたんだよね?」
大して食べもせず その後すぐ片岡さんと一緒に会場を抜けた。飲んだのは乾杯の時のワインだけなのに頬が熱い。
片岡さんは乾杯からずっと飲んでいたらしい。昔より話しかけやすい雰囲気があるのはお互いの酔いのせいなのかもしれない。
ぶらぶらと大通りを抜け、公園の噴水の周りを歩く。
一つだけ高く上がっていた噴水がすっと止まり、残った波紋だけが静かに広がっていく。
数分後にはまた一斉に何本もの噴水が上がるはずだ。幾種類もの上がり方のパターンを持つこの噴水は
一人で眺めていても飽きる事がない。沙恵が一人でぼんやりしたい時によく来る場所だった。
「何が?」
「俊太のこと」
ああ・・と沙恵の方を見もせずに片岡さんはさらりと言う。
「実家に用があって帰った時聞いた。狭い世界だからね。嫌になる」
「そう・・」
「話したくないんでしょ。別に無理矢理聞こうなんて思わないから」
そっけなく冷たい感じのする話し方。気遣ってくれるのだろうか、そう思うと沙恵は余計に声を明るくして答えた。
「そんなことないよ。俊太との思い出は全部 学校に繋がってるし・・・」
「片岡さんも小学校からずっと同じだったよね。俊太とも何回か同じクラスになった?」
上滑りする言葉が口をついて出る。あの頃と同じ。
泣いて泣いてまだ足りなくて 大声出して泣き叫びたかったのに 俊太のお母さんを励まして、笑わせた。
「気丈な婚約者」を演じ続けた。いつも貼り付けたような笑顔が鏡に映っていた。やがてはそんな生活に酷く草臥れて、一年後仕事を理由にして田舎を出た。
「こうやって、一緒に思い出語ってくれる人がいるって、俊太にとっても嬉しいことなんじゃないかな」
片岡さんは静かに風に揺れる水面を、何だか難しい顔で見つめていたが、小さくクスリと笑うと、ゆっくりと首を回して鈴の顔をじっと見た。
「『完全燃焼、後悔しない青春』?『青春は後悔しない』? 学園祭のテーマ決める時のこと、私よく覚えてる」
いつも全然興味なさそうに窓の外を見ていた片岡さん。彼女からそんな思い出話を聞くなんて予想もしなかったことだった。
「ああ、あの時ね・・あの時も派手に俊太のこと責めちゃったっけ」
こうやって誰かと俊太の話をすれば、俊太は「過去の思い出」にできる。同窓会に期待したのは そういうことだったかもしれない。結局、会場からは逃げ出してしまったけれど。
「クラス委員でいつも前向きな鈴木さん、『どうせ』が口癖、後ろ向き吉野君。二人よく言い合いしてた」
沙恵がクラスで何か提案すると、俊太がいちいち面倒だとか、面白くないとか文句を言う。
その時も何とか意見を纏めようとしていた。他の案も出ないので、沙恵が一人で考えて一人で進めているようなHRだった。
「人生、後悔してナンボ」
もう決まりかけてたのに俊太が言い出した。
「どっちにしろ 青春とか言う時点でもうダサいの」
どうして今になってかき回すの、司会の沙恵が俊太を咎める。そんなこと言うなら最初っからいい案出してよ。
「夫婦喧嘩」と周囲は苦笑し、いつものように最後に俊太が皆の前で折れた。
結局その後、クラスの意見が何となく纏まって行き、渋々の顔をしたまま、俊太が一番に協力してくれた。いつも そんな風だった。
俊太とずっとそのまま一緒にいられると沙恵は信じていた。
なのに 大学を卒業して就職も順調にして結婚の話を進めてた矢先、俊太はあっけなく逝ってしまったのだ。
式の打ち合わせをするため待ち合わせ場所に向かっている途中のバイクの事故だった。
「あれだけ喧嘩ばかりしてるんだもの、鈴木さんたち結婚なんてできるわけがないと思ってた」
「わぁ・・片岡さんに そんな風に見られてたんだ」
言い方にちょっと剣を感じたが、気にしないふりして沙恵は返事した。
止まっていた噴水が音を立てて上がり、水しぶきが顔に跳ねる。水音にかき消されそうな声で片岡さんは呟いた。
「見てたわよ。ずっと見てた。小学校の頃から 私は吉野君のこと見ていたんだから」
「え?」
「鈴木さんより私の方がきっと、いっぱい吉野君のこと好きだった」
今度は声を噴水に負けないように大きくして、片岡さんはきっぱりと言った。
噴水の前、真面目な顔して向き合う二人を、犬を散歩させている人が怪訝そうに見ながら通り過ぎた。
「吉野君の好きな音楽も好きな本も 私、全部知ってた。全部一緒だった。もっと話ができたら、絶対私たちの方が気が合った」
「どんなに外見を変えても誰と付き合っても結局は一緒だった。変わることなんて楽しくも何ともなかったんだ。
ずっと変わらない想いだけ抱えてた」
「吉野君の良さ、私の方がきっと解ってた。運命がどこかで変えられて、私と吉野君が付きあってたら、ってよく空想した」
沙恵の返事を待たず、片岡さんは言葉を続ける。どんなに長い間心の内に留めていた言葉だったのだろう。
「・・空想した。もしそうだったら・・」
だけど何で今・・・作り笑顔が退いて行き、得体の知れない黒い感情が沸々と湧いて来くる。
「まだ吉野君は生きてたかもしれないって・・」
沙恵の身体がぶるりと震えた。握った手の平に爪が食い込んだ。火照った頬から急速に熱が退いていくのを感じた。
「何なの・・?」
言葉にした途端、固く閉ざした蓋が外れ、気持ちがあふれ出た。
静かに息を潜めていたものが弾け出る。勢いよく跳ね上がる。止められなかった。
「話ができてたら気があった?自分と付きあってたら今頃生きてる?」
変えられなかった運命を何で今頃そんな風に言うの?どこで運命が変わっていたら、死んだ人は生き返る?
片岡さんは青ざめた顔でまっすぐに沙恵を見る。微かに唇が震えたが言葉は出なかった。
「一度でも俊太に気持ちを伝えたの?伝えもしなかったくせに、勝手なこと言わないで。」
言葉は酷く暴力的で、人を傷つける。
俊太には何も気にせずポンポン思ったことを言えたけれど 他の人には言葉を選んできた。
クラスで浮きがちな片岡さんのことだって、さり気なくフォローしてきたつもりだった。
彼女のこと苦手だと思っていたのは、やはり彼女の俊太への想いをそれとなく感じていたからだ。
沈黙が恐ろしく長く感じる。火照った頬が急速に冷える。
取り返しのつかない言葉を言ってしまったと沙恵が悔やんだ時
「そうよね。鈴木さんがいるから『どうせ』あたしなんか・・先にそう思ってた。情けないことに私も『後ろ向き』なヤツでね」
自嘲ぎみに笑って見せ、片岡さんは声を低くして続けて言った。
「前向きで頑張り屋なんて、大迷惑。同窓会なんて出てきて、何?はい、7年経ちました、私はもう元気ですって?」
確かにそういうつもりだったかもしれない。
ちゃんと元気な自分、強くて明るい、今も変わらない「鈴」を誰かに見て欲しかったのかもしれない。そして確認したかったのだ。私は大丈夫。後悔することなんて何もない。
「違う・・」
違う、そうじゃない。後悔ばかりした7年だった。
誰かにずっと責められているような気がする7年だった。
「待ち合わせがあそこじゃなかったら、あの日じゃなかったら・・付き合ってたのが私じゃなかったら
・・俊太の人生変わっていたのかなって、そんなこと、私だって何度も考えた。
私だってずっと考えていたんだ。後悔ばっかりしてたんだ」
「やっと本音が出た」
片岡さんが首をすくめて小さく笑った。皮肉な感じの全くない優しげな笑顔に沙恵は返って戸惑う。
決まり悪そうに沙恵もクスリと笑うと、心がほぐれて少し楽になった。
照れくさくて情けなくて それでも何故だか少しすっきりした気持ちになった。
会場を抜けた時はまだ夕暮れだったのに、もう空はすっかり暗い。
見上げた夜空には冬の星座が瞬いている。
小さな噴水がいくつか音を立てずに上がった。
「あのさ、一度だけ話す機会があってね、私言ったことがあるんだ。吉野君に」
「何?」
「あんなに皆の前で喧嘩ばっかしてさ、合わないんじゃないのお宅たち・・って。そしたらね」
「・・・俊太、何て?」
「生真面目で突っ走りすぎるから、あいつ、放っておくとクラスの中で浮く。
だから、オレがあそこで反対のこと言って、バランス取ってやってんのって」
「『前向きな自分ってヤツ』に縛られて、ガチガチになってやんの。オレはそれを解す役なわけ、って」
「俊太そんなこと言ったんだ」
「一生教えてなんかあげないつもりだったけど ・・ああ、悔しい。言っちゃった」
片岡さんはそう言いながら、くるりと背中を見せた。
「大嫌いだったのに、あなた励ましにわざわざ出てきたことになっちゃったじゃない。馬鹿みたい、同窓会なんて来なきゃよかった」
噴水が止まり、静かな闇になる。
「片岡さん」
綺麗なラインの黒いパンツスーツ。後ろ姿に沙恵が声を掛けても、片岡さんは答えなかった。
「私もあなたのこと何となくきらいだった」
池の底、虹色の照明が一斉に点き、噴水を下から照らし出す。
次の瞬間 七本の大きな噴水が水音も高く噴き上がる。
「私もね、同窓会なんてつまんなかった。来たことすぐに後悔した」
水音が大きくて、片岡さんに声が届いたのかどうか解らない。
「だけど今日は片岡さんに会えた。話せて良かった。ありがとう」
一言一言区切って声張り上げて、言った。
「ばっかみたい」
噴水の音に負けないくらい片岡さんも大声出で叫んで返した。
言い方は酷く乱暴だったけれど その響きは今までの中で一番優しかった。
「人生、後悔してナンボ」
虹色のライトに照らされた身体折り曲げて、二人クツクツ笑った。
●《自己批評》
『ハアハアゼイゼイ。
難しいお題でした。存在感のあるお題でした。
。。。これで限界です。』
《STAND BY ME なずな》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『散ると恋』
著者:空蝉八尋
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、俺はごめんこうむりたい。
俺は変わってやるんだ。
誰がなんと言おうが、それが正しかろうが、今の俺のままでは手が届かないものが沢山ある。
俺は自分の手で何もかもを掴みたい。
人に救って貰うだけなんて、格好悪すぎるだろうが。
「難しいかおしてるわねぇ」
顎を支えていた手を離し、顔を上げた。
いつの間にか長い髪を揺らし、生意気そうに微笑んでいる美穂が立っている。
俺より年下のくせに、美穂はやたらと姉さんぶっている節があり、そこが毎度と気に食わない。
「別に……なに」
「暇だから、ケンちゃんの相手でもしてあげようかと思って」
そう言って美穂は俺の向かいの椅子に座った。
ざわついた空間、ガラスの向こうから田舎くさい夕日が差し込み、ロマンチックとは程遠い。
「この間もため息ばっかりついてたじゃない?」
「……もう冬も終わりだろ」
「そうね」
そう、冬が終わる。
俺は自分らしくもなく焦っていた。
「もしかしてケンちゃん、まだ……恭子」
「うるさい」
「まだ伝えてもないの?」
「うるさい!」
美穂は心底驚いてたように、元々大きな目を更に丸くさせた。
そして面白そうに笑う。
「ケンちゃんらしくないネ」
「からかうなよ。正直ちっとも相手にされてない」
美穂は髪の毛を弄びながら、ガラス窓の向こうの街並みを見つめる。
「……いつだって、子供扱いだよ」
「伝える気もないくせに」
「あれだけ意見が対立してるんだから、そんなことできるわけないだろ」
「意見?」
しまったと思った。美穂は興味津津に俺の顔を覗き込む。
「意見て、なあに」
「なんでもないよ!」
俺のまわりには、彼女はやめておけだとか、釣り合わないだとか、頑張ってねだとか。
無責任に言う奴が多すぎる。
難しいことの嫌いな美穂はあまり深くは追求せず、ふうっと息を吐いた。
「らしくないよ、ホント。恋愛なんてね、ゲームじゃない?」
「美穂だったら、の話だろ。俺……結構本気なんだ」
一目見て、彼女を好きになった。
その向日葵みたいな笑顔を、俺だけに向けてほしいと思った。
他の奴が近寄るたび、はらわたが煮えくりかえる。
俺だけのものにしたい。
俺だけの。
独占欲で人を殺せるなら、俺は大量殺人鬼になれると思う。
「なんかねぇ、一生懸命、好きでいなきゃって思ってるみたい」
「え?」
美穂は無邪気に笑った。
「頑張って好きで居続けなきゃって思うの、めんどうじゃない? だから、さっさと言っちゃいなヨ」
「言っちゃえばいいよ。言って、自分の気持ちハッキリさせてから考えれば?」
そのとき、窓の向こうに見慣れない車が停まった。
スーツを着込んだ男が運転席からおりる。
「誰だあの人。こっち見てるけど」
美穂がスカートの裾を翻して立ち上がった。
「やあね。あたしの、パ・パ」
「……お前のパパってあんな人だったっけ?」
「ふふ、迎えに来てくれるなんて気がきくじゃない」
美穂は膝の上に置いていた帽子をかぶり、「じゃあね」と立ち去ろうとした。
「あっ、待てよ美穂」
「なあに」
振り返った美穂は、早く「パパ」の元へ駆け寄りたそうな顔をしていた。
「もうすぐ誕生日だろ。なにがほしい」
「くれるの?」
「さっきのお礼も兼ねてな」
美穂は口に指をあてて少し考えて見せた後、口許を歪ませる。
「オモチャが、ほしい」
「おもちゃねぇ……」
聞き慣れたはずの怪しげな響きに、俺はわざと眉をひそめて見せた。
「あたしの思い通りに動かせる、お人形なんかじゃダメ。飽きちゃったもの」
「じゃあ、どんなのがいい」
美穂は背を向けると、足早に去りながら言い残す。
「もっとスリルあるやつ!」
彼女はまぶしい。
「あら」
俺に気付くと、すぐに笑ってくれる。
「どうしたの?」
聴くまでもないくせに。
わかっているくせに。
残酷だ。
「恭子、好きだ」
ほら。君はまた驚いたような顔をして、そして怒ったようにため息を吐いて。
告げるんだろう。
「健吾くん、先生に向って呼び捨てはダメって言ったでしょう?」
俺の園服を引っ張りあげ、キッと眉を吊り上げる姿もまた素敵だ。
「それと。先生の下駄箱にお花をいれてくれるの嬉しいんだけど、あれお庭のでしょう、ダメよ摘んじゃ」
「……はい」
「あとね、美穂ちゃんはパンダ組でしょ、おかえりの時間は自分の教室に居る様にいってあげてね」
「はい」
そして優しく帽子をかぶせてくれる。
エプロンから、太陽と洗たくの香り。
「じゃあね健吾くん、また明日」
「…………さようなら」
言葉というのは、きわめて乱暴なものである。
俺は後日、美穂にジェンガを贈った。
●《自己批評》
『よかった書けないかと思った今回あーよかった。
全然よくない orz
なんだこれは……ナンダコレワー!!!!!
もうね、道路標識覚えるのにいっぱいいっぱいなんですわ。
思わずこんなネタもでてくるってものですよ。
……って全然関係ないやないか!!(びしーっ
誰か私に飛行石を与えてはくれませぬか
絶対あのでっかい雲ん中にラピュタがあるんですってば
ん?あれ皆様がなんか目ェ合わせてくれなくなったぞ あれ
ちょ、まって
どこへ行こうというのだね』
●《その他私信等》
『自己評価が無駄に長い。
そしてそろそろ高校生でなくなる今、いたいたしいのではないかと思っ( 』
《片翼てふてふ。 空蝉八尋》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『蛇』
著者:rudo

「人が変わっていくのは救いであって
自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい」
なにそれ・・誰が言ったんだっけ。
無理やりつれていかれた自己啓発の講義の中だったか
変な宗教かぶれの客が言ったんだったか・・
私はいやだ。
私はいまのままでいい。
自分が変わってしまう世界なんて それこそごめんこうむりたい。
誰が死のうが生きようが
そんなことは知ったこっちゃない。
それが私だ。
いままでも・・・これからも。
-----------------------------------------------------
激しい喉の渇きで目が覚めた。
「ちょっと 飲みすぎたかも・・」
のろのろと起き上がりふすまをあけたとたん
二日酔いも吹っ飛ぶほど腹が立った。
リビングに使用している台所続きの8畳間には
食べ残したポテトチップのかすがあちこちに飛び散り
ファッション誌やら 女性週刊誌やら まんがやらが
開きっぱなしのまま何冊も放り出してあった。
だからフィリピーナはいやなんだ。
むかむかしながら冷蔵庫をあける。
水がない。 ミネラルウォーターのペットボトル・・
ペットボトルは部屋の中にそのまま転がっていた。
「リリイ!!」 「リリイ いるんでしょっ」
乱暴に閉まっている方のふすまを開ける。
リリイは引きっぱなしの布団の上で寝そべって
足をぶらぶらさせながらお菓子を食べていた。
「オハヨ アキラちゃん オキルノオソイネ もうヒルよ」
「おはようじゃないよっ なんなの? この散らかりようは
どうして片付けないの? なんでごみを捨てない?
水も残ったならどうして冷蔵庫に入れておかないのよ?」
「アキラちゃん もスコシ ユックリシャベラないと ワカラナイヨ」
「いいからっ 片付けてよっ はやくっ」
食べているお菓子の袋をひったくる。
しぶしぶ部屋からでてきたリリイは雑誌をまとめて積み上げ
部屋の隅におしやり 空っぽのお菓子の袋をゴミ箱に突っ込むと
いたるところに落ちている お菓子のカスや粉を足で蹴散らした。
見ているだけで腹が立つ。
「なんなの? それは 片付けるっていうのはねっこうやんのよっ」
けっきょく アキラが全部片付け、掃除機をかけた。
なんだか納得がいかないが部屋の中が
すっきりと元に戻ると気持ちも少し穏やかになる。
「アキラちゃん ソウジ ジョウズね」
さっきまでなら 蹴り倒しているところだが
今なら睨み付けるくらいで許す。
だいたいフィリピーナってやつはだらしがない。
さらに言えば衛生観念もかなり怪しいと思う。
湯船の中で平気で下着を洗濯するのを見た時は鳥肌がたった。
やめてくれと怒ると なにをそんなに興奮しているのかわからないと言った顔で
「シタギ1マイにセンタクキなんて モタナイよお」 と言った。
日本人は細かい・・とぶつぶつ言いながら裸のまま部屋を歩き回り
今、洗った問題の下着を窓ガラスにくっつけた。
「リ・・リイ・・それは・・・なんなの?」
「ナニて? ホシテルヨ」
「そこは窓ガラスだよ?」
「カワクトオチルよ。 オチタラもうはいてもヘイキね。 カワイテルよ」
こういうことって・・フィリピーナの特性なんだろうか?
それともリリイ個人のものなんだろうか?
「ネエネエ アキラちゃん チョトだけソトイカナイ?」
リリイが甘ったるい匂いをさせながら近寄ってきた。
こいつはいつも 安っぽい匂いのガムを噛んでいる。
だめに決まってるだろう・・私は返事もしなかった。
だけどリリイはそんなこと少しも気にしない。
「アキラちゃん。 キノウね イバさんきたよ リリイ オカネもらたよ」
「伊庭さん来たの? いつ? なんだって?」
「アキラチャンが シゴトいって スグよ」
「ホントにオレのコかとか ホカにツキアテルヤツ イナイカ とかよ」
あーあ・・
「シツレイヨ デモ オコヅカイくれたからね ユルスヨ」
能天気な奴。最後の確認をされたんだよ・・
「ダカラネ アイスクリームタベイコウヨ ゴチソするよ」
「えっ?」 驚いた。
私は時々こんな風にフィリピーナを預かってきたけれど
部屋を提供している私に感謝を表した奴はひとりもいなかった。
いつもなら無視するところだが伊庭さんが来たのなら
もうあまり時間は残されてない。
「・・・わかった、行くよ。 でも私と一緒の時にはそのガム噛まないでよ。
くさい」
リリイはちろっと舌を出して悪びれた風もなく
「ワカタヨ」 と言った。
-----------------------------------------------------
伊庭さんというのはフィリピンパブの経営者で
アキラのいるスナックの常連客だ。
一週間ばかり前 伊庭さんはリリイを連れて飲みに来た。
アキラが席に着いたとたんすぐに
「アキラ しばらくリリイを預かってくれ」
「いやだ。 私フィリピーナ だいっ嫌いだから」
「アキラー。 いきなりそれはないでしょう?
どうしたのくらい聞いてくれよ」
「じゃ どうしたの?」
「あっちょっと待って」
そう言って伊庭さんはママを呼び何か食べさせてカラオケでも
やらせておいてとリリイをあずけた。
「あいつさ 子どもが出来たっていうんだよ」
「誰の?」
「俺の子・・・らしいよ・・本人は とにかくそうだって言ってる」
「伊庭さんが孕ませるとはまた 珍しいこともあるもんですね」
・・バカなフィリピーナ・・話をあわせながらちょっと同情した。
「まあ 寝るのには寝たんだけどね」
陽気に変なアクセントで歌うリリイの細い腰をみる。
「本当にできてるの?」
「さあね。もうどっちでもいいよ
ちょうど打診が来てたところなんだ」
「打診があったならあずからなくてもいいんじゃないの?」
「普通はね。すぐ送っちゃうけどね。
ただ今回はいくつか問題がある。 健の店のピナなんだ」
「健ちゃんの店の子に手を出したの?」
「知らなかったんだよ。 寝た後で聞いたらそうだったのっ」
「うちの店にスカウトしてもいいと思ってたけどね・・
あんなこと言い出すようじゃね。 オレ怒っちゃうよね」
健ちゃんの店と伊庭さんの店はフィリピンパブ同士だが
仲良く共存していて困った時は女の子をトレードすることもある。
そして健ちゃんも伊庭さんも裏の顔を持っている。
ただ健ちゃんの店は「お春さん」をやらせる。 いわゆる売春だ。
裏は裏でも周知の裏だ。
伊庭さんはそういうことはしない。
どちらかと言えば店の外で客に会うことを嫌う。
だけどみんな伊庭さんのお手つきだ。
伊庭さんはまず入店前に自分で味見をする。
そして伊庭さんの裏は・・
「健ちゃん・・知ってるの?」
「なんとなく・・ね・・健とはさ その件に関しては対立してるから・・
この先も分かり合えることはないだろうな」
「もう決まったんだね」
「たださ。もしかして健の店の客が相手かもしれないでしょ?
それはそれで金になるし・・
客じゃなくて誰か付き合ってる奴がいたら面倒だからね
ちょっと調べる間 隔離したいんだよね」
「できれば うまくその辺も聞き出してくれると
預ける期間が短くなるよ?」
「わかった。あずかるのはいいよ。
でも そっちのほうは約束できない」
「なんでよ」
「フィリピーナ嫌いだから 口利きたくないもん」
「ふん。まあ いいや。どっちでも」
そう言って伊庭さんはタバコに手を伸ばし
「オレ・・嘘つかれるのって許せないんだよね」 と言った。
アキラのつけた火に顔を近づける伊庭さんの目は
へびのように ただ黒くなんの光も放たない。
その夜からリリイはアキラの家に来ることになったが
荷物は紙袋がひとつとぺらぺらのピンクのポーチひとつだった。
使っていない四畳半を示してアキラはリリイに宣言した。
私がいない時はなるべくここにいること。
そっちの六畳は私の寝室だから絶対に開けないこと。
朝は私が起きてくるまでなにがっあっても起こさないこと。
部屋の電話には絶対に出ないこと。
ここにいる間は誰とも連絡をとらないこと。
リリイは神妙な顔をして「ワカタ」 と言った。
「アキラちゃんホントはなんていうの?」
「なにが?」
「アキラはオミセのナマエでしょう
オトモダチは ホントのナマエをオシエアウよ」
「私はあんたと友達になる気はないっ
だから教えない、どうしてかっていうとね。
フィリピーナがだぁーいっ嫌いだからっ」
リリイはちろっと舌を出して 「ワカタ」 と言った。
-----------------------------------------------------
「ハヤクハヤク アキラちゃん」
あずかりものを外に連れ出すのは初めてのことだ。
今回の私はちょっとおかしい。
普通あずかるといっても 一日か二日か・・
リリイとはちょっと長すぎたのかもしれない。
駅前の大型スーパーに入っているアイスクリーム屋。
「アキラちゃん ドレいい? ドレでもいいよ」
「チョコチップとマロンクリームとラズベリーのトリプル」
リリイがポーチを握り締めて唖然としている。
「嘘だよ。 チョコチップ。 カップで」
「ナンデ イイヨイイヨ ワタシ ドレでもいいって イッタよ」
「本当にいいよ。 そんなに食べれないから」
そう言っているのに リリイはもう注文している。
三段重ねのアイスクリームを二つ持って
ニコニコと寄ってくるリリイを見ていてなんだか
不思議な気持ちになった。
怒られても文句を言われても どこ吹く風。
おおらかで 細かいことを気にしなくて
だけどお金にシビアでしたたかで・・・
「オイシソね。 ワタシもトリプルにシタヨ」
手渡された今にも倒れそうなアイスをもてあまし気味になめながら
私はこの娘を助けてあげたいとおもった。
「リリイ 妊娠したって嘘でしょう?」
嬉しそうにアイスをあちこちの方向からなめていたリリイが
固まった。
「リリイ 伊庭さんはね 嘘がすごく嫌いなんだよ」
「ウソジャナイヨ。 イバさんのコ。 マチガイない」
「・・・イバさんのコよ」
「伊庭さんは・・子ども作れないんだよ・・」
リリイの目が泳ぐ。
「・・ジャ オキャクさんのコかも・・」
「リリイ 逃がしてあげるよ」
「ニガスて? なんで?」
「・・殺されちゃうよ」
「・・・・・」
「昨日伊庭さんが来たなら 早ければ今晩・・」
「よくワカラナイよ」
「生きていたい?」
「アタリマエヨ フィリピンにカゾクいるよ ワタシのおカネ マテルよ」
「じゃあ よく聞いて。私の言うとおりにして? いい?」
-----------------------------------------------------
いつもより長く感じる時間。
まだ8時、まだ10時・・
リリイはちゃんと言ったとおりにしただろうか・・
いつもの調子で「ワカタ」 そう言ったけど
どこまで真剣なのかがよくわからない。
どうか うまくいきますように・・・
きっと今晩ってことはないと思う。
私のいないときには連れて行かないと思う。
今までそんなことは一度もなかった。
きっと明日の朝だ。
だから 私が店に出ている間に出て行かせて
部屋にもどったらリリイがいなくなったと伊庭さんに連絡する。
伊庭さんはきっとあちこち探すだろうけど
大丈夫 見つからない。
リリイを匿ってもらう場所は私の古い友達だ。
伊庭さんには私が裏切ったなんてわからない。
大丈夫・・大丈夫・・
そればかり念じているうちに何が大丈夫なのかも
わからなくなった。
午前2時 家に戻る。 電気はついていない。
「よかった・・間に合ったんだ・・」
玄関をあけたとたん 切ないあえぎ声が聞こえた・・
私は固まったまま動けなくなった。
しばらくしてふすまを開けたのは伊庭さんだ。
リリイ・・どうして。
私は立っていられないほど震えていた。
伊庭さんが近づいてくる・・蛇のような目をして。
逸らしたくてもそれを許さない蛇の目。
「・・アキラ。 フィリピーナは嫌いじゃなかったのか?」
「・・・」
「隆一が見てたんだ。 仲良くアイスクリーム食べてたって?」
隆一・・隆一は伊庭さんの店のバーテンだ。
「ご・・ごめんな・・さ・・」
いきなり胸倉をつかまれた。
「あやまるなっ 最初からあやまるようなことをするなっ」
上気した顔のリリイが顔を覗かせた。
「ドシタノ? アッ アキラちゃんカエテキタ?」
伊庭さんはリリイに向かってことさら優しげに声をかける。
「じゃあ 車で待ってるから支度ができたらおいで」
そして私に向き直り言った・・
「アキラ 今回は許してやる。 次はいくらお前でも
牧場送りだ・・・」
ドアが閉まる音と同時に私はそのままへたり込んだ。
リリイが心配そうにかけよってくる
「アキラちゃんドシタノ? グアイワルイノ?」
大きな目・・まず目を取られる。角膜・・
「リリイ どうして行かなかったの?」
それから・・順番に・・腎臓も肺もすい臓も小腸も肝臓も・・
「イコウトしたら イバさんキタヨ。
でも アキラちゃんのカンチガイヨ。 イバさんオレのコならケッコンするって」
東南アジアのどこか・・
「でもアキラちゃんのイウトオリ ニンシン ウソ。
ワタシ ちゃんとイッテ アヤマタよ。 ユルシテクレタ これからツクレバ
イイよって」
死ぬまでそこから出られない。
とろけそうなリリイ・・
「アシタ イッショにフィリピン カエルよ」
家族がいるっていってたね・・リリイ。
「キュー デショ でも ドシテも モイッカイ アキラちゃんにアイタカタの
イバサンもソウシナサイて」
「そうなんだ・・・」
「アヤマロとオモタよ イウトオリシナカッタ から」
「うん、もういいよ」
「・・・アキラちゃん ナイテル? ワラテるけど ナイテルよ ヘンよ」
そういってリリイも笑う。
「アキラちゃん もうイクよ イバさん マテルから」
「・・・リリイ アイスありがとう。 ごちそうさま」
「アキラちゃんジャア・・」
玄関を出ようとしてリリイが振り向く。
「バイバイ リリイ」
永遠に・・バイバイ。
「アキラちゃん ホントはナマエなんてゆうの?」
私は背中を向けたまま返事をする。
「教えないよ。 友達じゃないから・・前もそう言ったでしょう」
「くすくすくす・・アキラちゃんラシね。 バイバイ」
バタン・・と永遠のドアが閉まる。
・・ばいばい。
言葉はいつだって乱暴に どちらかに分ける。
途中の気持の動きも・・
そこにいたる経過も無視して・・
結果だけをつきつける。
yesか noか・・
好きか 嫌いか・・
友達か 友達じゃないか・・
リリイは友達じゃない。
助けられなかったあの娘は・・
友達じゃない。
●《自己批評》
『長い。』
《rudoのあれこれ・・ rudo》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『絵本 〜the children books〜』
著者:真紅
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。
そんなのは、昔に書かれたような決まり事だらけの絵本の中だけにして欲しい。
本を開けばそこには必ず決まった世界があって、決まった登場人物がただ居るだけなのだから。
その世界で発せられる言葉だって、吹き出しの中でしか意味を持って存在できない。
私がこうして物を叩いても、そこは決まった音しか出ない何の面白味もない世界である。
ただ変わることがあるとすれば、そう、それは一つだけだ。
それは、その絵本を読む側の広い意味での認識である。
かの有名な「かぐや姫」だって、ある人が読めば「ああ、大好きなお爺さんとお婆さんと離れ離れになって、可哀想に」となるのだろう。
又ある人が読めば「故郷に帰れたじゃないか、良かった良かった」で終わってしまう。
更に此処に知識が加われば・・・と考えると、たかが絵本と言えど可能性は無限に広がってゆく。
だとしてもまぁ此処まで予想が容易いのだ、絵本の中の世界などたかが知れているに決まっている。
私は、機会があれば覗いて見たいなと呟いてみるが、すぐに馬鹿らしくなった。
子供の頃は、あれほど信じて止まなかった絵本の中の世界が、今ではその有様だ。
絵本の表紙とは正反対に、暖かさのカケラもないコンクリートの冷たい壁に背を預ける。
つ・・・と指でなぞる、子供の頃の自分が絵本にした落書きの線。
線は、まるで私の指を喰らっていくように黒く染める。
子供の頃の、絵本に落書きしていく自分の屈託の無い笑顔が頭にチラついた。
チラついて、チラついて、離れてくれないその気持ち悪さに私は思わず頭を掻き毟った。
"ねぇ、お母さんお父さん、この絵本面白いね"
私は、手にしていた本を、渾身の力を込めて床に叩きつけた。
その絵本を、買って貰った時の自分の屈託の無い笑顔を、私は砕いた。
小さな頃の自分が、傍で私を悲しそうに見上げているのが分かった。
埃に塗れた絵本が風で捲れて、ちょうど真ん中辺りで止まって私を待っていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
思い出の品を片付け、私は居間へと向かった。
居間からは男と女の怒鳴り合いが、ドアを隔てて廊下にまで聞こえている。
「どうにかしてよ、貴方が言ったんじゃない。大丈夫だって」
「無理を言うな、取引先との接待なんだ、急に入った仕事なんだから」
「あの子はあんなに楽しみにしてたのよ?」
「俺だって必死なんだ、お前達の為なんだよ」
母が、私のために父と喧嘩している。
何もこれが初めてじゃない父の「約束の破綻」の言い訳と、母の「専業主婦」という隠れ蓑。
私は、いつだってその真ん中に居る。
二人に、もう何度か忘れるぐらい譲り合うように私は促した。
しかし二人はいつも、こう言って私の目に目を合わせようとしない。
「あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことができるわけがないだろうが」
そういう問題では無い事ぐらい分かって欲しい、と叶わぬ願いをする。
願うが、神様は決して私のその願いに取り合ってくれようとはしないのだ。
だから果物ナイフで切り刻んだ、様々な呪文と共に神の名を書いた紙切れを私は勲章として壁に貼り付けた。
確か絵本の主人公も言っていた気がしたから。
"思ったら、すぐに行動に移す、それが大事なんだ。"
私は、それを覚えていたから行動に移した。
そして、母はその光景を見て私を酷く叱った。
あれほど「正しい」と信じていた絵本が、母にとっては間違っていたのだ。
私はショックで、それから絵本を手にしなくなった。
何故かそれからである、父と母が良くこうして喧嘩するようになったのは。
「大体あの子の事だってそうよ、貴方は何もしなかった」
「俺だってやったさ、絵本だって買ってやったろう」
「嘘、あれは私が買ってあげた」
「嘘だ、俺が買ったんだ」
「貴方は何時だってそうよ」
「お前は何時だってそうだ」
「「何も変わらない、何も変わろうとしない!!」」
「そうよ、貴方なんて」
「そうだ、お前なんて」
「「そんなに執着するなら、あの絵本の中へ消え去ってしまえ!!!!」」
―――――――――――――――――――――――――――――――
さっき投げ捨てた絵本は、とあるページが開いたままになって落ちていた。
私は立ち上がって、絵本を見る。
そのページはとても赤々とした景色に、男女の絵が描かれていた。
吹き出しも何も無いが、その二人の鬼気迫る表情からどういう状況かは読み取れる。
さっき投げ付けた拍子で、少し黒く汚れたそのページを布で拭う。
"貴方も、お前も、こっちへ来い"
そう聞こえた気がして、私は微笑んで「止めておくよ」と呟く。
呟いて、本を閉じて私は家を出た。
「・・・せっかく呪文を解いてあげようと思ったのにな」
私の後ろで、赤く赤く家が光って吹き飛んで燃え上がった。
全てを燃やし尽くすにはあれぐらいの灯油で良かったようだ。
「・・・私に一言だって謝らないんだから・・・。」
言葉というのは、きわめて乱暴なものである。
●《自己批評》
『ちょっと難しいお題に身を捩りました(笑 』
《真紅 〜矛盾を愛する者〜 真紅》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『積層構造体』
著者:AR1
「人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい」と、暗い部屋の中で数十時間、密着に等しい距離から呟かれる哲学的セリフに、いよいよ〈それ〉はうんざりし始めていた。もっとも、音楽の主題部のように延々と繰り返されるのではなく、無機質な声に乗る朗読のように持論を展開する。しかし、約二時間で終幕に到達すると前文からリピート再生されるのだ。非周期的な振動だけでも堪えるというのに!
暗い、暗い部屋の中、〈それ〉は極めて退屈という単語の意味を身近に感じ始めている事を、自身の感覚が弛緩し始めている自覚症状によってようやく気付いた。〈それ〉は相応の年を重ねてはいたが、いよいよ自己主張の大波に拒否反応を覚えるようになったか、と若かりし頃の記憶を重ねて嘆息した。〈それ〉はうんざりとした様相を隠しはしなかったが、水平線の果てしなさを思うような不毛な自己主張を説き続けていた自分を述懐する。時折耳にする「『最近の若者は』という言葉を使い始めたら、退廃的思考に突入したと思え」という教えを思い出
し、なぜ私達は一様に主張を繰り返すことを辞さないのだろう、と考えた。体のところどころが擦り切れるほどの年月を重ねていても、一筋縄には解決出来そうにない問いだった。
そういえば、と〈それ〉は歩んだ道のりを顧みる。生という名の最初の一ページ、一行目、一文字目が記された時、〈それ〉には知の集積という名の役割が与えられた。重ねられる紙の重みともに、〈それ〉に価値という名の肉付けが成されていった。育て親は一人ではなかった。幾人もの教育者が〈それ〉に世界を教示した。
ふと〈それ〉は、命を分かった双生児達は、今どこにいるのだろう?、と思いを馳せる。朽ち果てていなければよいのだがと無事を祈り、粗末に扱われることも多い命運に於いて、未だに全ての部位が欠けずに残っている自分は奇跡なのかもしれない、と〈それ〉は残酷な運命をすり抜けてきた事に戦慄した。
数十時間という拘束時間は長くもあるが、不当に長いという訳ではなかった。
〈それ〉は六回ほど世話になる場所を転々としているが、主人が暗い部屋中に数週間も放置してしまうことがあった。幸いだったのは、〈それ〉と同じ場所に放り込まれた異人と議論を繰り広げるだけの血気盛んな若さがあった事だ。隣り合わせになった若い衆が独白じみた狂気で教えを呟くのとは違った趣を展開することとなった。ただし、その頃は熟成不足が障害となってまともな討論にならず、結果としては舌戦を装った喉自慢大会に似た体たらくに終わったことを、〈それ〉はタイム・カプセルに入れて保存しておく必要もない鮮烈な記述として保存していた。
〈それ〉は刺激を失った代償に、過去の教示が真言ではなく、絶対を確約するものではないが、ある一つの視点から眺めた正しさの形状であることに気付いた。
同時にもう一つ悟ったことは、このような考えに至る物が極めて少ないということだった。誰もが一方通行の片道切符でしか話題を提供する事が出来なかった。彼らは教育された物事を一字一句違わず暗唱する事は可能だったが、新たな価値を吸い上げる事は不可能だった。
事ここに至り、〈それ〉は自身が「あるべき物ではない何か」という難問にようやく衝突したのだった。その時点で最初の一字が完成した瞬間から二十年の歳月を経ていた。
〈それ〉の自問自答はあっさりと解決を見た。つまり、「人間以外の、しかし人間的な意識を持つ何か」という不確定要素がたっぷりと詰め込まれた、極めて曖昧なアイデンティティだった。長い時間をかけてでも解決しなければならない問題だ――
それから更に二十年に渡って様々な場所を旅し、観察した結果、狭い箱の中に押し込められている〈それ〉が行き着いた見解は、人間とて不安定な星の下に生かされている生物という事だった。驚いた事に、人間は生殖を「愛」という抽象概念によって定義付けている。動物的本能に愛の概念は関係なく、強い子孫を後世に残す事が命題である。そもそも、個として生きる事が望みなのではなく、全として生きる事が使命なのだから。
だが、この四十年を理性で御して来た自分は何なのか、と〈それ〉は自問する。人間ではない以上、人間とは異なる志向性を持たなければならない。〈それ〉は人間とは決定的に異なる機能を持って生まれたのだから、その摂理に従わざるを得なかった。
やれやれ、と〈それ〉は自嘲する。言語を解する能力はあっても、結局は孤独に謎とのいたちごっこを繰り返すだけの停滞を嘆くしかない。
〈それ〉の目の前では時折、融和も宥和も化学反応も起きない個性の衝突という名の罵り合いが絶壁の谷を挟んだ砲撃戦のように繰り広げられた。無尽蔵の弾を相手の陣地に放り込んでいるだけで、そもそも勝負にすらなっていない。しかし、彼らは絶叫をやめない。要約すると、誰もが同様の核心の下に正当性を主張した。――我々に刻まれた知識は正しいものであり、それを立証出来るものである!
〈それ〉の記憶にある中でも片手で数える程度にしか存在しない、まともな――しかし、多数の中にあってはマイノリティなある物が、〈それ〉にしか届かない囁き声で言った。
「あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことが出来る訳がないだろうが」
大きな勘違いをしていると、〈それ〉は歯ですり潰した苦渋の味を知る術を持たなかったが、苦虫を噛み潰している気分というのを初めて味わうことが出来た。対立の反語が連中の辞書には存在しないのだから、当人達には恐らく対立しているという自覚さえないのだ。
四十年という時間の堆積は、〈それ〉を大きく変貌させるには足りない歳月だった。同時に、四十年という積層が地滑りを起こして崩壊しても何ら不思議ではない歳月でもあった。時間は〈それ〉の体を確実に蝕む。それでも、〈それ〉に致命傷となり得る要素はなかった。
一度、人間であれば背骨が脳を貫くほどの高所から落ちたこともあったが、幸い〈それ〉の体に致命傷を与えることはなかった。それれの高さを表すには、百七十センチメートルの身長の人物が腕を目一杯伸ばしてようやく届く世界を今、〈それ〉は見ている。向こう側の棚との間にクレバスが露骨な大口を開けており、人間という巨人(ガリバー)の頭頂部を望むことが出来た。
〈それ〉が棚に収められてから五日が過ぎた頃、眼下で金属が歯軋りしている物音が聞こえた。この店では木製の足場ではなく、一般的な脚立を用意してあるのだと容易に知れた。頭突きを繰り出すように白髪の集団が迫って来たが、確認したのは額のすぐ下に配置された一対の眉毛と老年の男性であることだけだった。
男は〈それ〉を片手で鷲掴みにするとそれで満足したのか、鑑定の順番を待っている古書が大量に平積みにされているカウンターに連れて行った。五日で主人が見つかったのは、〈それ〉に記録されている中では最速だった。
〈それ〉のページを繰ると、前書きには簡素極まりない一文が脅迫的威厳を伴う手書きによって記されていた。
「知と考の層を重ねよ」
〈それ〉は時折、数百ページに渡る履歴を遡って前文を反芻する度に、恨めしげにひとりごちることがある。――言葉というのは、きわめて乱暴なものである。
●《自己批評》
『こういう内容になったのは、きっと『はてしない物語』の影響を受けたからだと思います。』
《空想Explosion AR1》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『出会った頃のように』
著者:松永夏馬
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。とはいえ、歳を重ねるにつれ変化していく自分に嫌悪、いや恐怖を感じるのも事実だ。二律背反とでも言うのであろうか。
私は鏡の中の自分を睨みつつ、愛用のブラシを構える。
刺激を与えたほうが良いのか。それともそっと大事に見守るほうが良いのか。その手の冊子や相談会でもそれぞれに意見は食い違う。これまた二律背反。それぞれを同時にやれば? などと妻はどうでも良さげ言うが、あれだけ意見が対立しているのだから、そんなことができるわけがないだろうに。
できるかぎり自然に。身なりを整えて私はこれから十数年ぶりの同窓会へ出かける。懐かしき旧友達に、初恋のあの人に、会う。
「あ、もしかしてケンちゃん? ひさしぶりぃ」
歳は重ねたが、あの頃の無邪気で明るい笑顔はそのままの君。あの頃の思い出が蘇―――
「すっかりハゲちゃったねぇ。あはははは」
……言葉というのは、きわめて乱暴なものである。
●《自己批評》
『クダラナイの送ってすんません。思いついたら仕事中に書いてた。
つーか、こういうの書くとすぐハゲネタに走るのは何故だ。
い、いちおう言っときますけど、別に僕はハゲてませんし、気にしてもいませんよ?(汗 』
《Missing Essayist Evolution 松永夏馬》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『視線の先の白』
著者:Glan
そう、だから私はここに一つ経験談を提示しようと思う。
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて私は嫌だ。
かつて私は、物語を紡ぎ出すことに快楽を見出していた。脳内という小宇宙から生み出される血と肉とを伴った人間たちが織りなすドラマ。様々な感情が飛び交い、バラバラに見えるピースが最後には一つの場所にいっぺんの狂いもなく当てはまり、一つの像を映し出す。読む人の心は、その過程において大きな変化を伴っていく。
そう、作家である私は、物語によって人の心を変えることが出来る。それこそがたまらなく快感であるのだ。
だがそれは、他者の心を変えるだけではなかった。私自身の心すら変えたのだ。
物語を生み出すたびに、私の心は「物語る私」から「物語る私を物語る私」へと変容していった。
すなわち、自我と密接に、もっと言ってしまえば同化しかけていた作家としての私という存在は、物語るという行為を繰り返すその内に離れていき、やがて客観視できるほどの距離を持ってしまうまでになっていたのである。私は、そんな変化に気づくのにずいぶんと時間がかかった。
初めは小さなストレスという形で、私の分裂した心は、齟齬をきたしていることを伝えてきた。
物語の中において、何故か自分が現れるようになったのである。よく、小説においては作家を模した、または明らかにモデルとして参考にしていると思われる登場人物が現れることがあるが、それとは微妙に違う。まさしく「私」そのものが劇中に姿を現してしまったのである。
それはファンタジー、時代小説、SFなど、どんな時代設定であっても関係なく登場した。気持ちの悪いくらい、その場にふさわしくない「私」が突然現れ、現状についての不満を、物語の脈絡とは関係なく話し始めるのである。
これは、今まで物語ることが快楽であった私にとっては、耐え難い苦痛になった。執筆中、一種のトランス状態になっている(と私は考えている)自分にとって、勝手な登場人物による物語の混乱は、執筆する上での時間の無駄という現実的な問題だけではなく、私自身のモチベーションの低下という事態まで引き起こしたのだ。
心が分裂したなどと考えられない私は、その理由を必死で考え結論を出そうともがく。しかし、肝心なところが深い闇に覆われた状態では、いくら考えてもその闇の周辺に何があるのかを考察しているに過ぎず、的外れな、納得のいかないものが頭の上に浮かび上がってくるだけだった。
人は脆い生物で、たった一つ結論が出ないことが頭の隅にあるだけで、全ての歯車が狂ってしまう。
私は、文字通り人生という階段を勢いよく転げ落ちていった。今更言うまでもないことだが、長い長いスランプと、そのストレスから起こした数々の犯罪によって、である。
全てを失い、途方に暮れていた冬のある日。真っ白な朝方の街を歩いていた私は、東の空に見えた焼けるような朝日を見たとき、突然大きな「気づき」を得た。それは、まるで脳内で耳をつんざくような大爆発が突然起きたと言って良いぐらい、突発的で衝撃的な体験だった。
私は過去のある瞬間から起こった全ての出来事の理由の根源を知った。
それからの私は、気づき以前よりも若干スムーズに生活を送れるようになっていた。だが、だからと言って必ずしも「以前と同じような」生活が再現できるわけではなく、一度失敗をすると次々と失敗が重なるがごとく、私はしばらく苦しみ続けることとなった。
まず考えたのは、離れてしまった二つの心を、再びもとの状態に戻せないかということだった。
物語る私は、盲目的な人間である。快楽追求のためならどんなことでもする、それが恥ずかしいとは思わない、つまりは獣のような本能に突き動かされていた。
一方、物語る私を物語る私は、物語る私と比べたら理性的な存在である。ただし、理屈っぽいが故に純粋な感性の波に身を任せることが出来ず、ストレスに大きな影響を受け、落ち込みやすい。
物語る私という状態では、気にも留めていなかったことが、今の物語る私を物語る私という状態では、気になってしょうがない。それだけでなく、それに左右されすぎて本来の生活に支障をきたしてしまうほどだ。
離れてしまった心は、本来決して癒着したりはしないはずのものだ。「主観」と「客観」がそもそも重なって私の中にあったという事実そのものが異常なのではないかと思ったりしたけれど、それが「私」にとって正常であったことなら、と無理やり自分を納得させていた。元々対立しているものを、無理やり重ね合わせることなど出来やしない、と頭の片隅では感じてはいながら。
ここまで書いたとき、私は何かとてつもなく恐ろしいものを感じている。気配を察知している。
今は2月22日午後11時13分45秒だが、胸の辺りから湧き上がるような、おぞましい何かが私の魂を包囲している。
何故こんなことを小説にしようと思ったのか、何故こんなことを書いているのか、そもそも"私"はいったい"何処"にいるのか。
言葉による記録は人々が考えているよりもはるかに移ろいやすく曖昧で、脆いものだ。
たとえばここに書かれた私に関する文章は、はたして本物なのか、誰にも分からない。そう私にも分からない。
作家綾瀬ホタルは一体どこにいるのか、何をしているのか、何を感じ生きているのか、何故生きているのか。
またたとえばこの文章が私を名乗る"誰か"によって、ある小説サークルの課題として、書かれた物である可能性は?
窓から見えるのは真っ白な銀世界? それともぬくもりの欠片もない機械の街?
私は男? 私は女? 私は人間?
そのどれもが、この文章において意味を持たず、この文章の意味さえ消えてしまう力を持っているのである。
言葉というものは、きわめて乱暴である。物語る私は、物語る私を物語る私を言葉によって押しつぶした。そう、私はもはや「物語の私」なのである。そこに高尚な意識は存在し得ない。
end
●《自己批評》
『久々に小説書いたらぜんぜんうまくいかなくてやけくそになってこんな駄文を垂れ流して申し訳ございませんもう寝ます』
《メランコリック:チルドレン Glan》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私は御免被りたい。
そう思っていた時期が、嘗ての私にはありました。
だけれども、変わりゆく事とは不変であることの対義ではなく、また変化とは無限に続く取捨選択の鎖であるかのように、次第に感じられるようになったのです。
私は、怖くなったのです、失うことに。
何かを選び取るたび、何かを捨て去っていくこと、それが私には耐えられなくなったのです。
ですから、私は変わることをやめたのです。
変わることを、放棄したのです。
もしかしたらそれは、私という実存の緩やかな死を意味していたのかも知れません。
そこから先の私の余生は肉体のみの空虚な生であり、精神は既に黄泉路を彷徨う準備をしていたのでありましょう。
どうぞ、笑って下さい。
亡骸のみでのうのうと此処まで生きてきた私の半生を。
どうぞ、笑って下さい。
そして願わくば、空っぽな私の最期の望みを、聞き届けてやって下さい。
その望みは。
『遺言』
著者:Clown
祖母が、死んだ。
俺には良く分からなかったが、何とかという脳の腫瘍で、治療法のない難しい病気であったらしい。
病院からの電話で呼び出された俺の前に横たわっていたのは、色褪せた記憶の片隅に佇むふくよかな淑女ではなく、まるで干涸らびた木乃伊(ミイラ)のような物体だった。
骨と皮ばかりになったそれは、肋骨の浮いた胸の上下だけで自らの生を証明しているに過ぎない。そんなものに、記憶の中の祖母と結びつく要素は何一つ無かった。
ただ一つ、彼女の指にはめられた銀色の指輪を除いては。
「……まだ、持ってたのか」
高校の時、バイトをして貯めた金で、祖母に指輪を贈ったことがあった。実家から離れた私学に通うための下宿を世話してくれた祖母に恩返しがしたかったからだ。何の装飾もない、ただ花弁の模様が刻まれただけの地味なシルバーリングだったが、普段から飾り気のない祖母は大袈裟なほど喜んで受け取ってくれた。
その頃は、小指にしかはまらなかった指輪が、今は親指にも余っている。
病室の扉を閉め、俺はゆっくりと祖母に近づいた。
様々な機械に邪魔されて見えなかった祖母の表情が、浮き彫りになる。
落ち窪んでしまった眼窩を覆う瞼は、もう決して開くことはない。控えめに顔の中心に鎮座していた丸い鼻は、枯れ枝のように尖った頂点を天井に向けている。兄と密かに「タラコクチビル」と笑っていた口唇は、最早皮膚の続きでしかない。
その口角が、わずかに上がった気がして、俺はどきりとした。
もちろん、そんな事は決してあり得ないことではあったのだけど。
「もうずっとこんな感じだよ、婆さんは」
後から入ってきた兄が、素っ気ない口調で言った。白衣の上から聴診器をぶら下げた兄は、度のきつい眼鏡を指で押し上げながら祖母を繋いでいる電極の先のモニターを軽く流し見る。
「数字やグラフは生きてるって言うがね。死体と変わらんよ」
その言葉に軽い嫌悪感が混ざっているのは、恐らく誰もが感じ取れたことだろう。
「不謹慎じゃないのか、病院で」
「病院は生者のためだけのものと思ってるのか? 幻想だよ、そんなもんは」
そう言う問題じゃないだろう、と言う俺の言葉に、兄は冷めた表情で嗤った。一通りモニター類を観察し終えた後、その先に繋がれている祖母には目もくれず兄は踵(きびす)を返して病室から立ち去ろうとする。
俺は何か言おうと一歩を踏み出したが、それより一呼吸早く兄が肩越しにこちらを振り返って言った。
「お前がいない間、婆さんを世話したのは俺だ。主治医も俺。この意味が分かるな」
眼鏡越しに寄越された眼光は、何よりも雄弁に語っていた。「これ以上余計なことを言うな」と。それに気圧されたわけではないが、俺は次の句を続けることが出来なかった。
兄は、ふん、と鼻を鳴らすと、不機嫌そうな足取りで今度こそ病室から出て行った。スライド式の扉が、重い音を立てて外界と室内を切り離す。
真っ白な病室に、祖母と二人きりで取り残された。
人工呼吸器には繋がれていないものの、高濃度の酸素が流れ続けるマスクをあてがわれた祖母の過剰なまでの呼吸音は、狭い室内に五月蠅いほどに響いている。取り付けられたモニターからは一定間隔の電子音が吐き出され、単調な画面に映し出された数値は無機質に踊り続ける。
俺はため息をつき、兄が去っていった扉を見つめていた。
医師になってから、兄は変わった。
いや、正確にはその前から変容の兆しはあった。両親が離婚し、俺は母の元へ、兄は父の元へ行くことになったが、その後も何度か俺達は近況報告のために会っている。そのたびに、兄は俺にこう漏らしていた。
「人は、変わっていくものだな」
俺にはその言葉の真の意味を理解することは出来なかったが、その頃から兄は、一言で言えば虚無的になった。感情を表に出さなくなった、と言うのもあるが。どことなく全てのことに諦念を示すようになった。
祖母は父方の母であるため、兄と一緒に暮らし、病気が見つかってからは兄が実質面倒を見ていた。父は仕事と称して遊び歩く日が多く、ついには家に帰ってこなくなったらしい。現在も行方は知れていないという。
祖母には、兄しか頼る人がいなくなった。そしてその頃には、もう今の兄に変貌してしまっていた気がする。
俺が祖母と最後にあったのは、もう一年以上も前のことだ。既に病気が見つかって様々な治療法が試されているところではあったが、その時はまだ記憶の中にある祖母の姿と余り変わらなかった印象がある。
仕事のついでに立ち寄っただけだから、ほとんど会話することは出来なかったが、以前の祖母と何ら変わらない穏やかな顔で他愛ない俺の話に相づちを打ってくれた。兄のことについても話してみたが、祖母は「人は変わってしまうものよ」と静かに語っただけだった。
今となっては、もうそんな会話も適わないことだけれど。
もう一度、祖母の顔を見た。
皺だらけで、色素を無くしてしまったようなその顔は、やはり何の表情も映し出さない。能面のように、或いはそれそのものが彼女のデスマスクですらあるように思えた。
額に、触れてみる。
冷たい。
まるで氷像に触れたのではないかと思うほど、その肌は冷たく、そして硬い。
さっきの、兄の言葉が、脳裏をよぎった。
病院は、生者のためだけのものではない。
ここには、生者だけではなく、死者も確かに存在したのだ。
祖母は、死んだ。
人工呼吸も心臓マッサージも行われないまま、祖母は──もうずいぶん前に生者であることをやめてしまっていた祖母の肉体は、生命活動を終えた。
まるで何事もなかったかのように、祖母の亡骸は白い布に包まれ、あっという間に霊安室へと運ばれていってしまった。
病室に一人、取り残される。
あれだけ喧しいほど部屋にこだましていた音は、もう一切聞こえない。病室に残された祖母の荷物を整理しようとしたが、荷は小さな鞄一つだけで、テーブルの上のものを片付けたらあっという間に終わってしまった。
両手に包み込めるほどの大きさしかない、祖母の荷物。
何故か、それがずしりと重く感じた。
俺はもう一度祖母の鞄を開けると、中のものを一つ一つ確認していった。保険証、印鑑、財布、そして小さな手帳と……一通の封書。
簡単にしか封のされていないそれには、何も書かれていなかった。明かりに透かして見ると、筆で書かれた手紙らしきものが入っているようだ。
俺は丁寧にその封を開け、中身を取り出した。ざらりとした和紙の感触とともに、折りたたまれた三枚の便せんが現れる。どうやら誰かに宛てた手紙のようだ。紙を広げ、流暢な筆致で書かれたその文章を一つ一つ読み解いていく。
最後まで読み終えたとき、俺はいつの間にか涙を流していた。
その手紙を、俺はゆっくりと元通りに折りたたみ、胸に抱いた。先ほどまで一つも感じなかった暖かい熱を、命の熱を、その時確かに感じたのだ。
手紙をそのまま元の封書の中にしまい込み、俺は祖母の荷物を手に病室を出た。空っぽの白い部屋は、痛いほどの静寂で包まれている。
まるで、元から誰もそこにいなかったかのように。
○
「あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことが出来るわけがないだろうが」
病室を出て廊下を歩いていると、不意にそんな声が聞こえてきた。どうやらナースステーションが出所らしい。通りすがりに覗いてみると、あごひげを生やした中年の医師が誰かに向けて詰め寄っているようだった。
「出来るか出来ないかは、主治医である僕が判断することです」
反論の声に、俺は少し驚く。抑揚のない冷めた言葉は、間違いなく兄の声だ。
廊下を少し進むと、棚の死角になっていた兄の姿が確認できた。先ほどと変わらぬ無表情を装っているが、眉根に寄せた皺がいらだちを隠せていない。
中年の医師は軽く舌打ちをすると、手に持ったカルテを机に放り出した。
「主治医だろうが、一介の医者が部長の指示に反することは出来ん」
「その指示の根拠は。医学の発展が死の蹂躙の上に成り立って良い理由は」
「今はそんなことを言っているのでは……」
「では、血縁者の意志として明確に拒否します。祖母の病理解剖は承諾できません」
病理解剖。
確かに聞こえたその言葉に、俺は思わず身を乗り出した。ぱた、と廊下に俺の足音が響き、言い争っていた二人は同時に振り向く。
中年の医師は俺の姿を確認して、気まずそうに目を背けた。兄はその横をするりと通り抜けると、ステーションのカウンター越しに俺と対峙する。
「荷物は、整理したのか」
「一応は」
そう答え、右手にぶら下げていた鞄を見せると、兄はほんの少しだけ表情をゆるめた。
「そこのロッカーに入れておけ。半時間もしないうちに見送りの準備が整う」
「分かった……けど」
その語尾に、兄が再び顔をしかめる。一瞬の躊躇いがあったが、ここで機会を逸するともう二度と願いは叶わなくなってしまう。
俺は、意を決して左手に持っていた封書を兄に手渡した。
「……なんだ、これは」
「……手紙。たぶん、兄さんに」
兄はそれを受け取ると、手早く中の便せんを取り出す。そしてゆっくりと噛み締めるように読み終えると、兄は手紙を握りつぶし、ぎり、と唇を咬んだ。
手紙には、こう書かれていた。
『私を取り巻く環境は、この四半世紀で大きく変わりました。
愛する息子は何処へともなく放蕩し、愛する孫達はそれぞれの道を歩み始めています。
皆、変わりました。
変わらないのは、私一人だけ。
人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私は御免被りたい。
そう思っていた時期が、嘗ての私にはありました。
だけれども、変わりゆく事とは不変であることの対義ではなく、また変化とは無限に続く取捨選択の鎖であるかのように、次第に感じられるようになったのです。
私は、怖くなったのです、失うことに。
何かを選び取るたび、何かを捨て去っていくこと、それが私には耐えられなくなったのです。
ですから、私は変わることをやめたのです。
変わることを、放棄したのです。
もしかしたらそれは、私という実存の緩やかな死を意味していたのかも知れません。
そこから先の私の余生は肉体のみの空虚な生であり、精神は既に黄泉路を彷徨う準備をしていたのでありましょう。
どうぞ、笑って下さい。
亡骸のみでのうのうと此処まで生きてきた私の半生を。
どうぞ、笑って下さい。
そして願わくば、空っぽな私の最期の望みを、聞き届けてやって下さい。
その望みは──私の肉体を活かすこと。
捨てることを恐れ、変わることを恐れた私にも、肉体の変容、すなわち老いと病は止められません。
そして私の病がとても珍しく、難しい病であることは、私自身が良く知っています。
ですから、私の肉体を、この病の解明と治療に役立てて欲しいのです。死んでしまった精神の代わりに、精一杯、活かして欲しいのです。
私の最後の我が儘を、どうか叶えてやって下さい。
愛する孫達へ』
「……最期まで、人の気も知らないで……!」
どん、とカウンターが音を立てた。叩き付けられた兄の拳は、小刻みに震えている。
言葉というのは、きわめて乱暴なものだ。兄はきっと、変わり果ててしまった祖母の体にこれ以上傷をつけたくなかったのだろう。突き放したような言葉の影で、最も祖母の異変を嘆いていたのは、兄だったのかも知れない。
だが、祖母はそれを希望した。自らの肉体を、『死』してなお『活』かそうとしたのだ。
俺は何も言わず、祖母の荷物をそっと兄の横に置いた。そのまま、ロッカーに俺の荷物だけを預けに行く。
希望は、叶うだろう。
振り返ると、兄は手紙を握りしめたまま、祖母の遺品を見つめていた。その横顔には、以前の、俺達が祖母を慕い訪ねていた頃の表情が、しっかりと残っていた。
人が変わっていくのは、救いかも知れない。
だけど、変わらないこともまた、救いなのかも知れない。
●《自己批評》
『……最初は「革命」とか「種の淘汰」とか「シリコノイド」とか、非常にメルヘン(違)な単語が並んでたはずなのだが……
……あれ('Д`;) ?
ともあれ、何ヶ月ぶりかも分からん復帰作。
もうなんか他の人のレベルに追いつけてない気がひしひしとするのだけども
○∠\_ 』
《道化部屋不定期報。 Clown》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『ガイノイド』
著者:平良原
「人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたいわ」
私は彼の提案をそう言って突っぱねた。
彼の提案。
それは私のアンドロイドを作らせてくれないか、ということだった。
彼と知り合ったのは中学1年生の冬。
私が放課後、校舎の屋上で歌をうたっていたときに彼がひょっこりと屋上に現れたのがきっかけ。
「歌に引き寄せられてきた」
とは彼の弁。
冬の屋上は風が強く寒いため立ち寄ろうとする人は滅多にいない。
実際、私は雨や雪が降っていない日の放課後は毎日のように屋上に行っていたけど、冬の屋上に来たのは彼が初めてだった。
目線を逸らし頭を掻きながら照れくさそうに言ったその言葉がなければ、歌手としての今の私はいない。
彼と私は学校で浮いているという点でよく似ていた。
通っていた学校は小中高一貫教育の超進学校。
成績が悪かったわけではない。
私は一応は上位3分の1以上はキープしていたし、彼に関しては常にトップの座をキープしていた。
もしかしたら、私の場合は自分で浮いていると思っていただけで、周りから見ると溶け込んでいたのかもしれない。
でも、私はクラスメートの将来について『外交官になる』『医者になる』『弁護士になる』などと瞳を輝かせて話しているのをただ微笑んで聞いていることしかできなかった。
勉強が嫌いだったわけではない。知識が増えて今までわからなかった事がわかる瞬間は本当に嬉しかったし楽しかった。
けれど、それ以上に私は歌に魅せられてしまった。
親に連れられて行ったある歌手のライブ。
大きなライブ会場ではなかったけど、その歌手の歌で会場は完全に一つとなった。
そこには完成された小さな世界があった。
凄く気持ちが良かった。これ以上の快楽があるのかと子ども心ながら思うほどに。
ライブが終わり呆けている頭で思ったのは
『私もあのような世界を作りたい』
だった。
そう思った私の行動は早かった。調べて色々なオーディションに参加した。
残念ながらオーディションに受かったことは一度もなかった。
何回目のオーディションかは忘れたけど、オーディションに落ち、トボトボと重い足取りで会場の外に出ようとしていた私を呼び止める声がした。
「よかったら家の事務所に入らないか」
立ち止まり、振り返った私にそのような言葉が投げかけられた。
何度も何度もオーディションに落ち、歌手には向いていないのではないかと思っていた矢先の事だったので、騙されるのではと疑ってしまったけど、その人の顔を見てすぐにその考えはなくなった。
私にその言葉を投げかけたのは、先程落ちたオーディションの審査員をしていた人だったから。
有名なプロデューサーであのライブに行くまで歌に興味がなかった私でも顔と名前を知っている人だった。
あまりもの突然の出来事に呆然としている私に
「その気ならここに電話してね。勿論、親御さんに相談して許可を得てからね」
と、微笑みながら名刺を渡すとオーディション会場へと戻っていった。
数分呆然としていた私が我に返ったときに浮かんだ感情は喜びではなかった。
『親御さんに相談して許可を得てからね』
その言葉にはっとしたからだ。
オーディションは親に内緒で受けていたのだ。
どう親に話そうか悩んでいたときにかけられたのが彼のあの言葉。
だからこそ彼の言葉が凄く嬉しかった。
色々な悩みを全部吹き飛ばしてくれた。
彼に始めて会った日の夜、親に歌手になりたいこと、内緒でオーディションを受けていたこと、事務所に入らないかと誘われたことを渡された名刺を見せてそう言った。
内緒でオーディションを受けたことにお咎めを受けたけど、高校までは卒業することと成績を落とさないことを条件に事務所に入ることの許可を得た。
彼は私と違い誰が見ても浮いていた。
彼は学校内で有名人だった。私も初めて会う前でも噂で名前は聞いた事があった。
学校始まって以来の大天才で授業は免除され教室には試験の日にしか現れず、普段は併設されている大学の研究室にいる。
これは彼に纏わる有名な話だった。
このような話が沢山出回っていたので私と同じ学年ということを忘れてしまっていた。だから彼の口から名前を聞いたとき、私の彼に対してそれまで持っていた像との齟齬が激しく同じ人物だと結びつかなかった。
一度、彼にこう聞いた事がある。そこまで頭が良かったら勉強が面白くないのでは、と。
その言葉に彼は首を横に振った。
技術はある知識とある知識が互いに影響しあうことで爆発的に発展する事がある。その瞬間は本当に楽しい。
それに、まだまだ経験則だけで理論の追いついていない技術がある。もしその理論が詳しく解明されればその技術は飛躍的に進歩する可能性がある。
こう語る彼は凄く楽しそうだった。
そんな彼が常々言っていたのは
「アンドロイドを作りたい」
ということだ。
救助、介護など様々な分野で活躍するロボットは誕生している。しかし、完全に人の形をしたロボット――アンドロイド――は誕生していない。自分がそれを成し遂げたい、という話は耳にたこができるぐらい聞かされていた。
現在、彼はその道の――ロボット工学の第一人者と言っても過言ではない。
そう遠くない未来、アンドロイドを誕生させるだろう、そう思っていた。
だから、電話口でアンドロイドを作り始めると聞いたときはそれ程驚かなかった。ついにそのときがきたんだ、その程度だった。
でも、私のアンドロイドを作りたいと聞いたときはすごく吃驚した。電話をサウンドオンリーにしていたことを神に感謝したい程、凄いリアクションを取ってしまった。
少し考えた後、その提案は却下した。
私のアンドロイドを作るという事は私に瓜二つのものができるということ。
それだけなら却下はしないんだけど、私が年をとってもそれは若い私のまま。
それを想像すると、凄く気持ちが悪かった。生理的に受け入れられそうになかった。
だから、あんな支離滅裂な言葉で彼の提案を却下してしまった。
後で落ち着いて考えると、彼がそのような提案をしてきたことに疑問を感じた。
彼は科学者にはモラルが必要だ、技術的にできるからと何でもしていいわけではない。という考えをもっている。
私が提案を受け入れないのもわかっていたことではないか。だとしたら、何か理由があるのではないか。
そう考えると彼に『直に会って話したい事があるから空いている日はいつ』とメールを送った。 流石にあんな言葉で却下したのに数時間後に電話でそれを伝えるのは恥ずかしかったから。
二人とも明後日が空いていたので、その日に彼の家で会うことになった。
「相変わらず片付いているわね」
勝手知ったる他人の家という感じで彼の家に入ると思わずそう呟いた。
彼の家はいつ訪ねても片付いている。
忙しいはずなのに……確か一昨日まで海外に出張していたはず。
物は私の方が少ないのに彼の家の方が片付いていて綺麗なのは何というか情けない。
「また家が散らかしっぱなしなんてことはないよな」
私の呟きが聞こえていたのだろうかじと目で見ながらそう言ってくる。
「あはは……一昨日までライブツアーだったから」
「……小母さんから呼び出されて片付けさせられるのはもう二度と勘弁だからな」
「……そ、それは私も勘弁……」
はぁ……と二人のため息が見事に重なる。
数年前に忙しく何ヶ月も掃除をせず、散らかしっぱなしになっていたことがあった。
そろそろ掃除しないと人として駄目だよね、と思いながら夜遅く家に帰ると掃除され見違えるほど綺麗になっていた。
母さんがやってくれたのだろうと思い、翌日の朝に電話をすると母さんからとんでもない言葉が返ってきた。
「ああ、それ? 真(しん)くんにやってもらったから♪」
その言葉を聞いた瞬間私は埴輪顔になってしまった。
真くんとは彼のこと。
母さんは彼のことを気に入っていて真くんと呼んでいる(本名は真一)
彼の方も母親を小さい頃に亡くしているからか、母さんのことを実の母のように慕っている。
「小母さんには逆らえないんだよ」
母さんに電話した後、文句の一つでも言おうと彼に電話をしたとき私が何かを言う前に疲れた様子で言った言葉。
下着だけは小まめに洗っていたのは不幸中の幸いだったけど、彼に……異性に初めて生まれたままの姿の私を見せたときよりも恥ずかしかった。
「ライブツアー終わったのは一昨日だったよな?」
重い空気を振り払うかのように彼がそう聞いてきた。
何でもいいから別の話題にしたかったのだろう、私も同じ気持ちだったからその話にのることにした。
「うん。真も一昨日まで海外……だよね」
「ああ。半年近く向こうにいたから疲れた。荷物も資料やらで多くて、昨日片付けるのに時間がかかったし」
疲れているなら次の日に片付ければいいじゃない、と思うけど彼の性格上それはできないのだろう。もし、こんな事を口走ると怒られるのは目に見えているので絶対に口には出さないけど。
「いい加減突っ立てないで座ろうか。見せたい物もあるし」
「見せたい物? 私のアンドロイドじゃないでしょうね」
「……あのなぁ……あれだけ意見が対立しているんだから、そんなことができるわけがないだろうが」
私の言葉に対しため息を吐いてそう返してくれた。
冗談だったのにそう素で返されると虚しくなる。
「後、女性タイプの場合はアンドロイドではなくガイノイドな。ほら、早く座った座った」
私に早くソファーに座るように催促するとキッチンに向かった。
「コーヒーでいいよな」
「いいよ。豆は何でもいいから」
「ラジャー」
ミルでコーヒー豆を挽く音がし始めるとコーヒーのいい匂いが漂ってきた。
「お待たせ」
コーヒー豆を挽く音が止むとお盆にコーヒーの入ったグラスを2つ乗せてキッチンから戻ってきた。
「これは?」
「水出しコーヒー。あれは2杯目」
「水出しコーヒーまで手を出し始めたんだ」
彼のコーヒー好きは私の影響なんだけど、男の人って凝り始めるととことん凝るよね。
そんな私の視線に気が付いたのか苦笑を浮かべている。
「まぁ、それはいいとして……見せたい物って何?」
コーヒーを一口飲んでからそう切り出した。
うん、美味しい。水出しコーヒーは変な苦味が出ないのが好き。
「ああ、ちょっと待って」
そう言って立ち上がると隣の部屋に入った。
その部屋は寝室に使っている部屋のはず。寝室と言ってもパソコンやら資料やらを置いているので仕事部屋兼寝室といったところだろうか。
「これ……なんだけどね」
私に見せたい物を持ってくると私の対面に座り、それをテーブルの上に置く。
「これ?」
「うん、これ」
二人の間に微妙な空気が流れている。
どこか彼の表情も引きつっているような気がする。
「で、これは何?」
「まこまこプレイヤー」
「……」
「まっこまこにしてやんよ」
「……」
「……そんな可哀想な子を見るような目で見ないでくれ」
彼が持ってきた物。それは長さが30センチぐらいの人のぬいぐるみだった。
目が白目なのがぷりちー……と、私が言うとでも思うのかな。
よくできている。確かによくできている。
でも、何で私のぬいぐるみなの?
「……見せたい物ってこれ?」
「ああ」
「……お邪魔しました」
「待て。帰りたくなるのはわかるけど。待ってくれ」
帰ろうとしたけど捕まってしまったので仕方なくソファーに座った。
「で、これは何?」
「まこまこプレイヤー」
「……」
「まっこまこにしてやんよ」
「……お邪魔しました」
「待て。帰りたくなるのはわかるけど。待ってくれ」
今度はソファーから立ち上がった時点で捕まってしまった。
残念だけどこのまま帰ることはできないみたい。
何度も繰り返すのは時間の無駄なので話を進めることにする。
「これ作ったの誰?」
「聞かなくてもわかるだろ?」
「……そうね」
二人とも同時にため息を吐いた。
これを作ったのは彼の同僚で私のファンの人。
可愛らしい(10代と言っても通用すると思う)女性で手先が器用でよく自分で私のグッズを作っているのだ。
よくそれを彼女から貰うんだけど出来がいいだけに捨てるのが勿体無いし、自分のグッズを持っているのも恥ずかしいのでどう処分していいのか困る。
「プレイヤーと言うからには音楽が聴けるの?」
「本命はそっちなんだけどな。作っているのをあいつに見つかって、何時の間にか中身を俺が作り、外見をあいつが作るってなってたよ」
彼のその言葉で中身――プレイヤーの部分はまともということがわかって安心する。
「見せたかったのはプレイヤーというわけね」
「そいういうこと……ポチっと」
ぬいぐるみの鼻を押すと口からディスクトレイが出てきた。
ディスクを入れトレイを閉めるとぬいぐるみが抱えている箱の液晶画面に『Now Loading』と表示された。
「5,6分はかかるからコーヒーを淹れてくるよ」
彼はそう言うとお盆にグラス2つを載せてキッチンに行った。
数分後、今度はお盆にコーヒーカップを2つ載せて戻ってきた。
液晶にはまだ『Now Loading』と表示されていたのでぼーと液晶を見ながらコーヒーを一口飲む。
「……ハワイコナ?」
「当たり。ブルーマウンテンにしようかとも思ったんだけど、豆切らしてて」
「本当のブルーマウンテンは高いし入手し辛いからね」
ブルーマウンテンはブルーマウンテン山脈の特定エリア以外の地域が産地のコーヒーにはブルーマウンテンという名前を付けれない。
日本に輸入されている多くのブルーマウンテンは、そのエリア外で栽培されているのにブルーマウンテンの名が付けられている事が多い。
本当のブルーマウンテンを手に入れるのは難しいのだ。
あっ、『Now Loading』の表示が消えた。
「ん、読み込み終わったみたいね」
「そのまま置いておけば再生が始まるから」
「あっ、本当だ」
表示が『Now Playing』に変わった。
「これが見せたかった物? 特に何の変哲もないプレイヤーに思うけど」
プレイヤーから流れているのは私の曲。
「本人にもそう聞こえるのなら大成功だな」
私のその言葉に嬉しそうにそう返してくる。
「違うの?」
「次の曲を聞いたらわかるよ」
そんな事を話している間に次の曲になった。
聴こえてきたのは私の歌声。でも……
「えっ、何これ? 何で?」
私はこの歌を一度として歌った事がない。
でも、聴こえてくるのは間違いなく私の歌声だ。
物真似では絶対ないと言い切れる。
「……種明かしをお願い」
曲が終わるやいなや私はそう言った。
「前に俺が眞子(まこ)に作って渡したの覚えてるか?」
「前に貰った物? ……ああ、あれね」
数年前に彼から貰った物、それは数十年前に流行ったボーカル音源のDTMの声を私にしたもの。
ボーカル音源のDTMは数十年前に流行し、定着した。
現在までに様々な会社から何十種類もの声のバージョンが発売されている。
「でも、あれってどうやっても機械臭さが残るはず」
実際、彼から貰った物もどうやっても機械臭さが残ってしまった。
しかも、全く調整をしなかったら可笑しくてまともに聴ける物ではなかった。
もう一回、私の曲を流してみても可笑しなところはない。
「ただ機械臭さをなくすだけなら前のときでもできたよ」
「そうなの?」
「音楽を読み込んで自動的にここまで歌える様にはできなかったけどな」
流石と言うか何と言うか……
「別に俺以外の奴でもやろうと思ったらできると思うぞ。やらないだけで」
「えっ、他の人でもできるの?」
驚き発言だ。それじゃあ……
「何で売り出さないのかって思ってる?」
顔に出ていたのかそう言われた。
「うん」
「色々問題があるからなぁ……」
少し長くなるけどいいかと聞かれたので頷いた。
「先ず自分のクローンが作られることに抵抗感を感じる人が多いという理由がある」
「それは今までのでも同じでしょ?」
「うん。だから歌手のボーカル音源DTMは一つもない。まぁ、それに関しては他にも理由があるんだけど」
これはこっちに置いておいてと身振りだけして話を続ける。
「流石に完璧に自分の声と同じになると声優でも抵抗感があるみたいでな。それよりも、本人がOKしても事務所の方が断るケースが多いみたいだな」
どうやら実際に売り出そうとした試しはあるみたいだ。
「数十年前も多かったみたいだけど、最近の声優は歌をうたう人が大半だからね」
カバー曲が氾濫してしまうのは事務所としては遠慮したいところだと思う。
「後、公序良俗に反することに使おうとする人が少なからずいるからな」
それはボーカル音源DTMに常に付き纏う問題。
楽器のように扱えるけど飽くまで人の声。
公序良俗に反することに使えば声を担当した人の名誉などを傷つける可能性が強い。
「後、機械臭さが完全になくなると生理的嫌悪を感じる人が増える恐れが強い」
「生理的嫌悪?」
「まぁ、画面の中の世界だからそこまで考える必要はないかもしれないけど、考慮しておかなきゃいけない問題だな」
「どういうこと?」
何故、生理的に嫌悪することになるのかわからない。
「俺が電話で眞子のガイノイドを作りたいと言ったときどう思った」
「どう思ったって……」
確かに生理的に受け入れられそうにないと思った。
「でも、それとこれとは別の話じゃないの?」
素直に思ったことを口に出して聞いてみた。
「俺は根本では同じ問題だと思ってる」
「根本では?」
「ああ。人間は人間じゃないのに人間の姿形をするものが人間らしく振舞うことに生理的嫌悪を感じる、ということでな」
ふぅと一息吐いて、残っているコーヒーを一気に飲み干し話を再開した。
「20世紀の後半からアンドロイドやガイノイドの実現が現実味を帯びてきたからか、様々な小説や映画が作られた」
……説明モードに入ってしまったようだ。こうなったら話が長くなるんだよね……
「その中で特に21世紀中ごろからよくあったのが、アンドロイドやガイノイドが迫害される内容の物」
例えば……ガイノイドに性行為を可能という機能をつけた物を登場させた作品を読んだ事がある。その作品では人形の癖にロボットの癖に汚らわしいと迫害されていた。
「物語の中ですらそんな事が考えられている。現実にアンドロイドやガイノイドが作られて、物語の中のようになるかならないかって言ったら、なる可能性の方が強いと思ってる」
人は想像できる範囲でしか創造できない。
彼がよく言っていることで私もその通りだと思う。
「実際に作ったとしても、今のロボットと同じような使い方しかされないだろうから、道具としては作る意味はない」
もし作られたらロボットと違う使い方を考えることになると思う。
ロボットとの違いは人の形をしているということ。
ろくな使われ方をしない可能性が高い。
「今のロボットと同じ使い方、というところにも問題はある。今のロボットは人間が立ち入る事ができない危険地帯で活動しているのが多い。『心』がある物にそんなことをさせて大丈夫なのか」
アンドロイドは如何に人間に近づける事ができるかがコンセプトとされている部分がある。
機械に心が宿るのか。まるでSFの話みたいだけど、実は技術的に可能になっているのだ。
彼が作った人工知能、色々な事を学習させるとある変化が現れた。
感情が表れ始めたのだ。
彼にその事を聞いたときは冗談だと思った。
でも、実際に見せてもらうと確かにそれには感情があった。
今も元気に彼のパソコンの中で生きている。
最後に見たのが1年以上前だから今はより人間らしくなっているかもしれない。
「『心』があることをロボットの癖にと思う人も現れる……そうよね?」
私の言葉に彼は頷いた。
言葉というのは、きわめて乱暴なもの。
それによってどれだけ『心』が傷つくか……
「結局、人間の精神が人間に似ているものを受け入れるまで精神が発達していないのかもな」
彼は肩を竦めながら、俺もその一員だと言うように悲しそうにそう呟いた。
「モラルがなければ科学は今頃どのくらいまで発達しているんだろうと思う事があるよ」
天井を見ながら彼はそう呟いた。
昔はモラルなど関係なしに研究者の本能の赴くがままに研究していた一面がある。
悲しいことだけど、戦争中は様々な分野で大きな進歩があった。
非人道的な実験も行われた。
戦争に勝つために様々な技術が兵器のために使われた。
平和的に利用するために開発された物でも悪用されたこともあるし、初めから軍事目的で開発されたものが世に広まった物もある。
科学者にモラルが問われるようになったのは何時の頃からだっただろう。
「ん? じゃあ何で私にあんなこと言ったの?」
「あんなことって?」
「私のアンドロイド……ガイノイドだっけ……を作りたいと言ったことよ」
今日、彼の家に来た理由をすっかり忘れるところだった。
「ああ。理由は二つ。一つ目はどういう反応をするのか確認したかったから」
……迷惑な理由だね。
「これは予想通りの反応だったな。やはりアンドロイドは受け入れられないなと改めて思ったよ」
「それは私の姿形、声をした物だから……いえ、もし私の姿形、声をした物じゃなくても同じかも」
彼の話を聞いていて人間の形をした人間じゃない物を受け入れられる自信がなくなった。
「もう一つの理由……こっちが本命なんだけど……」
そういうと私の目をじっと見た。
「眞子、おまえあの病気になったんだってな」
「……誰から聞いたの……」
彼の思いがけない言葉に吃驚しながらも言った言葉は思った以上に低い声だった。
「眞子の主治医からだよ」
あの病気……約20年前から現れた奇病。
原因不明で治療方法もわかっていない。
人形病と呼ばれ、症状は話せなくなる、目が見えなくなる、耳が聞こえなくなるなどがあり、その症状が一つだけ出たり複数出たりする。
これらのことは他の病気でも引き起こされる事態。
それなのに特別に新しい病名をつけているのだから公にされていない症状がある。との噂が飛び交い不安を煽り、人形病に罹った人が差別される事態にまで至っている。
それでも尚、どの国もこの病気について今の情報以外のことを発表していない。
そのせいで余計に差別が強くなっている。
「……あの医者は……」
差別が強いから人形病に罹ったことは本人と親族にしか話さないことになってる。
それなのに彼に話したのだ。
「世間からは夫婦同然に見られているからな」
「世間だけではなく友人にもね」
私の主治医は彼の友人なのだ。
夫婦同然どころか実際は私と彼は付き合ってもいないんだけどなぁ。
「「はぁ……」」
ため息が重なった。
「俺は結婚するなら眞子しかいないと思ってるぞ」
「私もよ」
彼の言葉に普通にそう返した。
「互いに照れも入らなくなったか」
「それは、何回も同じ事を言ってればね」
私も彼もその言葉を本心で言っているんだけど、何回も言ったり聞いたりすれば慣れてきて照れなくなってくる。
「このまこまこプレイヤーの技術を使えば、言葉も機械臭さなしで話せるようになるから、それを使って眞子が話せなくなったときに話す道具を作ろうと思ってな」
「ちょっと考えさせて」
「すぐに返事を聞こうとは思ってないから。これに関して眞子から何も言わなかったら却下ということにしておくから」
「わかったわ」
そう言うと時間も時間だったのでお暇することにした。
人形病に罹った人はそのことを必死に隠そうとする。
人形病の公にされていない症状のことを考えると人形病に罹ったことを隠すことは無駄なのだけれど。
正確に言えば人形病は病気なんかではない。彼もそのことは知らないみたい。
正確なことは罹った人にしか伝えられないので、変な噂が広がり差別される。
言葉というのは、きわめて乱暴なもの。
病気でないとしても隠したがるのは、その言葉の乱暴さが理由なのかもしれない。
●《自己批評》
『みっくみくにしてやんよ♪
作品を送るのは初めてですねw
お祭りなので参加してみました。
ネタを詰め込みすぎて支離滅裂な内容になっているかもしれませんが、気に入っていただけたら幸いです。
ネタを詰め込みすぎたせいで何を書いたらいいかわからなくなったので自己批評終わり。
最近、初音ミクに嵌っている原さんでした』
《Mystery Circle 管理人拾号機・平良原》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
『人魚は再生する。』
著者:かしのきタール
この路線はどうしてこうも"きな臭い"んだろう。病んだ人の顔色みたいに辺りが澱む。酔って据わった眼と同じ黄色に空気が染まる。
改札機に切符を通した瞬間、わずかに胸をふさいだ重みが、階段を駆けおりる速度に合わせて這い上がり、あっという間に身体を覆った。思わずすくんだ足が、小花模様のスカートを揺らせる。ホームに降りて見回すと、停車したばかりの古い車体の濃い黄色が、うごめく人々に憑依していた。
人型が重なる向こうにかろうじて見えたストライプ柄の背中めがけて小走りに駆ける。追いつくまで、一度も後ろを確認しない。そういう男だよどうせ。わかっていても腹が立つ。
混雑した場所だとさっさと先に立って一人で行ってしまうテツ。この古い路線のごちゃごちゃしたホームに降りる時に感じる嫌な重みの原因の一端もたぶん、そこにある。そうだ、全部こいつのせいだ。ホームの際を、ジーンズのポケットに両手を突っ込んで飄々と歩くテツとまた距離があく。あたしがいること忘れるの?
トンネルの奥に警笛が響いて目玉が光った。テツを思いきりこづいたら、あっという間に目玉の持ち主の餌食になってしまうのだろうか。そしたらあたしは、散らかった肉片の中からそっと一片拾って帰ろう。テツの肉なら食べられるような気がするから。
誰も肉片にせず停車した黄色に乗りこんで並ぶと、20センチ上空か