第三十一回 MysteryCircle
☆☆☆ 3rd Anniversary ☆☆☆
☆☆☆ 3rd Anniversary ☆☆☆
◎それぞれの新しい物語を待つ人々のところへと。

著者:コサメ
それぞれの新しい物語を待つ人々のところへ、と彼は言った。
彼とは汽車の中で出会った。私の隣の席に座ったのだ。ご一緒してもよろしいですかと言う彼の物腰は柔らかで、紳士だということがすぐにわかった。
「お仕事ですか」
私が問うと紳士はにこりと感じのいい笑みを浮かべた。
「ええ。それぞれの新しい物語を待つ人々のところへ向かう途中です」
それを聞いて私は彼が臨床司書士だということがすぐにわかった。病に伏す人々のために物語を提供してまわる職業だ。活版所で這いつくばって脱字ばかりを集めている私にくらべたら、はるかに立派で、素晴らしい仕事だ。
「あなたは?」
「故郷に帰るところです。母が病に倒れまして、そのお見舞いに」
「それはそれは……」
すると彼は何かを思案するように瞳を動かし、やがて思いついたように自身の黒鞄を膝にのせた。開くとそこにはたくさんの白い紙がいくつもの束になって重なっていた。
「たくさんありますね」
「商売道具です。この白紙たちがないと、何も始まりません。……いくつか読んでみますか?」
「いいんですか?」
彼は微笑み、私に三枚の紙を差し出した。私はさっそくそれに目をおとした。全て白紙だと思われていたが、実はちゃんと文字が書いてあったらしい。
みなしごの小鳥は
すてられた哀しみを涙にかえることはせずに
てっぺんへのぼることだけを考えるのだという
リンドウの咲き乱れる丘で
いくつもの星々が輝きはじめたとき
さきへさきへと急ぐように
あなたは黒曜石の羅針盤を指差してこう言った
くるしみもよろこびも ぜんぶおなじところからくるんだねぇ
ルルドの泉は もうすぐそこだよ
今の時期ならちょうど、私の故郷にもリンドウが咲き始めている頃だ。母が好きな花だから、実家に帰るまえに摘んで帰れば喜ぶかもしれない。そんなことを考えているうちに、ふいに母のことが心配になってきた。大事無いと電報にはあったが、容態が急変することもありえる。私がもう少しいい仕事についていて、稼ぐことができたなら、一流の医者を呼ぶこともできただろう。でも今の私にはせいぜい、母の牛乳にまぜる角砂糖を買ってやることくらいしかできない。
窓の外を見やると、先ほどまで街の風景だったのが一変して田園が広がりはじめている。黄金色の海原にポツポツと誰かがたたずんでおり、風に揺られてできる波を次々と受け止めていた。
三つ四つ 五つ六つと
周りし星の
年月の記憶は 君の手の中
二枚目の紙に書かれていたのはたった三行だけだった。
「これはとても短いですね」
「物語に長さは関係ありませんから。言葉によって成された芸術ならば何だって許されると、私は考えています」
なるほど。三行だけだが、主人公についていろいろと想像できる。星空を眺めながら遠くに住んでいる恋人に想いを馳せているのかもしれない。あるいは六歳の誕生日を迎える子供のことを書いているのかもしれない。もちろんいくら考えても詳細が明かされることはないが、そんなことはさして重要ではないだろう。臨床司書士の彼もきっとそれをわかっているのだ。
私は最後の紙に目を通した。
おわりが来て、はじまりも来た
めぐる星はやがて
でくのぼうと呼ばれた小鳥を見つけ
とんでごらんよと 手をさしのべ
うるおう泉に 奇跡をおこし 林の向こうの春を呼んだ
「林の向こうに春があるんだそうです。一体、どういう意味なんでしょう」
「いろんな角度から文字を読んでごらんなさい。そうすればわかりますよ。物語はいつだってその“たった一言”を言いたいがために作られているのですから」
そう言って彼はもう一枚を私に差し出した。しかしそこには何も書かれてはいなかった。
「これは?」
「あなたのお母様にお渡しください」
「でも、白紙のままですよ」
「それでいいのです。物語を選ぶのは私ではなく、あなたでもありません。物語が読者を選ぶのです。その白紙をお母様にお渡しください。きっと彼女にだけは読めるはずです。今、あなたが三つの物語を読むことができたように」
彼がそこまで言ったとき、ガタンと汽車が停車した。ふと窓を見やった。私はぎょっとした。私が降りるべき駅ではないか。
「すみません! 降ります!」
大急ぎで荷物をまとめ、汽車を飛び降りた。
「素敵な物語をどうもありがとうございます。母も喜びます」
窓越しに私が言うと、紳士は微笑んだ。そして言った。
「良い物語に出会えますように」
その言葉を合図にするかのように汽車はゆっくりと走り出した。
●《自己批評》
『ヒント:縦読み(笑)
既出ネタだったらすみません。』
《Amadeus Recipe コサメ》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎「林の向こうに春があるんだそうです。どういう意味ですか」

著者:rudo
「林の向こうに春があるっていうんです。
どういう意味なんでしょうか・・
意味なんてないんでしょうか・・」
「モルヒネのせいで
幻覚でも見てるんでしょうかねぇ」
病院の屋上で疲れきって
黒ずんでしなびた女が言う。
この黒ずんでしなびた女の夫は
すい臓がんの末期で
明日死んでもおかしくないと言われながら
もう二ヶ月も生きているらしい。
最初は泣いていたこの女も
看病に疲れたんだろう
いまや・・「早く死んでくれ・・もう死んでくれ・・」
全身で叫んでいるのが見える。
最近は少し動いても痛がって
気がつくと鼻から口から血が出てるんです。
本当にいくらでも出てくるんです。
ふいても ふいても・・
タオルなんてあっというまに血びたしになってしまって・・
枕カバーもシーツも・・
変えても変えても間に合わなくて・・
洗っても落ちなくて・・
茶色いしみになって残っているんです。
・・・テレビでもよく 癌で死ぬ場面とかありますけど・・
あれって 嘘ですよね。
あんなにきれいなわけないじゃないですか・・
癌はくさいって いうけど本当らしい。
血生臭さと
薬品と
消毒液と
そして どうにもできず腐っていく細胞の発する匂いだ。
「ちょっとかいでみたいな・・」
女は嫌悪感を丸出しにして私を睨む。
でもすぐに力なく肩を落として・・
「本当に見舞う気があるなら早いほうがいい・・
もう今 戻って死んでいたっておかしくないんだから」
と涙声で言う。
----------------------------------------------
今日もね・・がまんしたよ。
もうね 7年たつよ。
それでも いますぐにだってやりたい気持ちはある。
そういって 少しくたびれたような男が笑う。
笑ったのかな・・
ちょっと口を歪めただけにしかみえない。
どこがどう・・ってわけではないけど
何か違う。
どこか違う。
それは・・たぶん一生消えないんだろう。
男は覚せい剤に手を出した。
一度やったらおしまいだ。
わかっていた。
なのにどうして手を出したのか・・
男は7年前まで大きな会社の重役で
奥さんも子供もいて・・
りっぱな家も車も持っていた。
一度くらいなら・・
そんなのが通用していたのはもう昔の話。
いまは・・今は一度で人生は終わるのだそうだ。
一度で骨の髄までしみこみ
けして消えることはないのだそうだ。
幻覚もあるし幻聴もある。
そういう悪い部分はそのままに
禁断症状がないため周りが気づきにくい。
そしてあいかわらず高い。
家も・・家族も 友達も もちろん親も
何もいらない
たった一袋のために
家さえも差し出す。
自分でも驚くほどの言い訳が
湯水のように湧いてきて
金の無心をする。
やらないでいることが
肉体的に苦しいわけではないのに
買わずにはいられない。
そして どうにも金が手に入らなくなったとき
なにもかも失くした事に気づく。
禁断症状が出ないということはね。 こわいよ。
昔のように隔離するのが無意味になるんだ。
だって・・やらなくても ちっとも苦しくならないんだから。
男が言う。
強く強く やめたいと思う人はね だめなんだ・・
そういう気持ちがやりたくてたまらない気持ちに火をつけるんだ・・
今はやめよう・・って思うといいんだよ。
とにかく目の前の仕事をして
それからやるかどうか考えよう。
仕事の後・・もう一度 今はやめようって思うんだ。
夕飯を食べてからにしようって思うんだ。
そして少しづつ伸ばしていく。
今日はやめよう。
今日 一日だけ我慢しよう・・
そして明日になったら
また 今日はやめよう、今日一日だけ・・そう思うんだ。
そうして 一日一日をやり過ごしながら・・
7年たったよ。
でも 今すぐにだって 始められる。
ほんの軽いブレーキをかけているだけなんだ。
「今はこの時だけやめよう」って・・・
「じゃあ 明日はやってるかもしれないんだね」
男はピクリと眉をあげ私を睨んだが
すぐに気弱に下を向き・・
「そういうことだ・・」
と独り言のように言う。
----------------------------------------------
上履きをはこうとしたらね
泥がつまってた。
中庭の池の底の泥だよ。
汚いよね。
だってあひるとか飼ってるんだ。
あひるのうんちとか おしっこも
混じってるよね。
でもさ 入れた奴らは その泥をとるのに
池の中に手を入れるかなんかしたんだよなって
そう思ったらなんかおかしくなっちゃってさ・・
ふでばこをあけたら鉛筆が全部折れてたなんて
毎日のことだから もう気にならないよ。
鉛筆削りもって歩いてるんだ。
一番辛いのはなにかって?
なにかなぁ・・
別にどれもなんとも思わないなぁ・・
慣れちゃったからなぁ。
あぁ・・そうだ。
妹がいるんだけどね。
今度 一年生になるんだ。
来年の春にね。
同じ学校にくるから・・
妹にみられるのは辛いかなぁ・・
「死にたくなる?」
ぶしつけな冷たい質問に少年は
驚いたように目を丸くして・・
でもすぐに またどんよりとした光のない目でいう・・
「ならない。
ならないけど
もし事故とかで死んでも
別にいいよ」
と言った。
その唇は 荒れてガサガサで血が滲んでいた。
----------------------------------------------
その夜。 そられのメモをみながら
「どれにしようかなぁ・・」と考える。
明日はミステリー・サークルの発表会だ。
ミステリー・サークルというのは
別にミステリーでもなんでもなくて
月に一回 なにか面白い話や不思議な話や
なんでもいいから一人ひとつ話をするということをしている。
もちろん何もないときは何もありませんでいいんだけど・・
前回で面白かったのは守屋さんという女性会員の話で
秘密の飲み屋に行ってきたという話しだった。
そこは夫婦交換をする人のための場所で
会員制で紹介制で・・
でも別に夫婦じゃなくてもとにかくカップルならいいんだそうだ。
赤坂の駅をおりて・・
酔っていたから場所はさだかではないが
こんなところにと思うような住宅街で
普通の一軒やで・・
でもカウンターもあるし テーブル席もあるし
カラオケもあるし・・
ちょっと家庭的なスナックみたいなところだったのだそうだ。
そこのオーナーはもちろん夫婦で
もちろんそういう趣味で
奥さんはすごくボーイッシュで
聞いたら男も女もいけるらしく
もしご要望があればお相手しますよと言ったという。
二階にあがる細い階段があって
その上はどれくらいの広さなのか・・
とにかく ダブルベッドがずらっと並んでいて
一台一台の間はレースのカーテンだけなのだそうだ・・
なにもしないでただ飲んで帰るカップルもいるし
ベッドの部屋に上がるのも自由だ。
ただし階段を上がるのに条件が二つある。
カップルで行くこと。
二階にあがったらまずシャワーを浴びて
バスタオル以外持ち込み禁止のこと。
守屋さんが誰とどうしてそこに行き
何をして 何を見てきたかは話してくれなかった。
「まあ・・社会見学みたいなものかな」
そういって 照れ笑いをしながら話を〆た。
そんなわけで私はミステリー・サークルに入ってから
毎日 ネタ探しをしている。
みんな単発が多いけど
私はだいたいシリーズものを探すことにしている。
今はだから 膵臓癌の人の話と
薬物中毒に苦しむ人の話と
いじめにあっている小学校4年生の男の子の話だ。
だいたい順番にしているが
今回はやっぱり膵臓癌だな・・
もうそろそろクライマックスだし・・
「よしっ決めた。 明日は膵臓癌だ」
・・・でも みんな私が話すとき いやな顔をしている気がする。
やっぱり人の不幸をネタにするのはよくないかなぁ・・
でも たいていの人はいい話や笑える話が多いんだし・・
一人くらい嫌われ者がいたっていいよね・・
----------------------------------------------
発表会の開催される日。
行く前に買い物をしてから行こうと
夕方早めにアパートを出ると
下で なにやら揉め事のようだ・・
この近辺に最近出没するようになった豆腐屋のおにいさんと
アパートの前の一軒家で一人暮らしをしているおばあさんだった。
このおばあさんはちょっとボケていて
とにかく被害妄想が激しく
ちょっとした会話があとでとんでもない話にされていたりするので
誰も口を利かないものだから
このところ この豆腐屋がお気に入りだ。
何も知らない豆腐屋のおにいさんは
豆腐ください・・と呼び止められれば 足を止めるし
話かけられれば 客商売だから世間話にもつきあう。
いつもおばあさんが色気たっぷりに
一方的に親しげに話しをしていたが
今日はなにやら言い争っているので
ちょっとアパートの影にかくれて盗み聞きをした。
おばあさんが甘ったれたような声で言う・・
「豆腐を食べたらねぇ 血糖値があがっちゃったのよお」
律儀で親切な若者の豆腐屋が言う・・
「豆腐を食べたらですか!?」
「そうなのよお・・どうしたもんかしらねぇ」
「それはよくありませんねぇ・・」
「ねっ どうしたらいいかしら?」
「豆腐で血糖値があがるなんて話は聞いたことないですけど・・」
「うそだって言うの? 本当よ。
この豆腐であがったのよ」
「じゃあ・・もうやめたほうがいいんじゃないですか?」
「買わないって言ってるんじゃないのよ だから血糖値がね」
「はい あがったんですよね 豆腐で・・だったらやめた方が・・
血糖値あがるのよくないですよね」
「違うって言ってるでしょっ 豆腐のせいじゃないのよっ」
「えっ? だって今 豆腐を食べたらって 言いましたよね?」
「そうじゃないのよっ 血糖値が高いって話なのよ」
豆腐屋のおにいさんは唖然としている・・
私はこの先の展開がなんとなく想像できたので
もう行くことにした。
心配して欲しいんだろうな・・きっと。
でも豆腐のせいにしちゃったから話がしっちゃかめっちゃかだ・・
でも豆腐屋のおにいさんはたかだか豆腐一丁に
毎度毎度30分近くも呼び止められてんじゃ面倒だもんねぇ・・
そうだ・・今度はこの豆腐屋シリーズもネタにしよう。
これはちょっとユーモアがあっていいんじゃないかな・・
私はなんだかうれしくなって 駅までスキップして行った。
----------------------------------------------
あちこちで
あの人の・・
その人の・・
ひとりひとりの物語は進行中だ。
私は・・この断片が見えるその瞬間が楽しい。
ぞくぞくする。
そういう私の物語も進行中で
そういう私の物語の断片も
もしかすると・・・
どこかの
誰かの
快感を刺激しているかもしれない・・
●《自己批評》
『ネタにするものがなくて
いつも苦しんでいる私の
数少ないストックで
膵臓癌の話と・・
覚醒剤の話と・・
いじめの話と・・
夫婦交換の話と・・
豆腐屋のにいちゃとぼけたばあさんの話と・・
どれもひとつづつで話をまとめて
ふっふっふ・・少なくとも
あと5回はMC参加可能だわ・・と
(うまくまとめられるかどうかはまた別の話・・)
おもいつつ・・
3周年記念だって言うので
全部もりこみ スペシャルにしちゃって
・・??でも かえってわけのわからない
むちゃくちゃにした気がしないでもないでもないかもしれない
(−−) 』
《rudoのあれこれ・・ rudo》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎物語が進行中である、というこの瞬間が楽しい。

著者:知
私は最近、物語を書くことにはまっている。
何が楽しいかって、物語が進行中である、というその瞬間が楽しい。
一体どのように物語が進んでいくのか、書いている本人にもわからない。
よく、キャラクターが勝手に歩き出したという表現を耳にしていたけど、たぶん、こういうことなんだろうなって思う。
「アリス、何しているの?」
ノートに何やら書いている私のことが気になったのか、美空(みく)ちゃんが話しかけてきた。
私の名前は有栖川有彩(ありすがわありさ)。
小学校、中学校ではアリスって呼ばれてたんだけど、高校に入ってからアリスって呼んでくれるのは美空ちゃんだけ。
美空ちゃんはちゃん付けで呼ばれるのに慣れていないのか、初めは嫌がっていたんだけど、ずっとそう呼んでいるとそう呼ぶのを止められなくなった。
「ちょっと……ね」
うっ、今がお昼休みというのを忘れてたよ。
書いている手を止めて誤魔化すようにそう返す。
私が物語を書いているのは誰にも教えていない。
だって、恥ずかしいから……
「ふ〜ん」
そう言うと私を見ている視線をふと横に逸らした。
「?」
「どれどれ……」
思わず釣られて横を向いてしまった隙に、机の上に置いていたノートを取られてしまった。
「はぅ、見ないで〜」
取り返そうとしても、美空ちゃんの腕が邪魔でどうしようもない。
身長差があるから、額を押さええ腕を伸ばされると手が届かないんだよ。
それでも手をぶんぶん振っているから、傍から見ると可笑しく見えるかもしれない。
……又、じゃれ合っているよ。というような生暖かい視線がクラスメートから送られているので、間違いなく可笑しく見えているよ。
うう……恥ずかしくて顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。
「はい、返すね」
「うーうぅー」
返されたノートを抱きかかえながら小さな犬のように呻る私。
「アリス、小説も書いてたんだ」
美空ちゃんはそんな私を何時ものことと無視して、そう言った。
「うん、下手の横好きだけどね」
呻るのを止めてそう返した。
まだ書き始めて数ヶ月だし、下手なのは当たり前だと思う。
「ただ書いているだけ?」
「ううん、ネットで公開しているよ」
「え? ネット? 本当に?」
私がそう返すと美空ちゃんは凄く驚いたようだ。
「あるサイトに投稿しているだけだよ」
美空ちゃんが驚いている理由はすぐにわかったのでそう返した。
私は機械やらデジタル関係に凄く疎いんだよね。
インターネットもただお気に入りのサイトを見ているだけ。
パソコンもインターネットを見ることにしか使っていない。
「それなら納得ね。何と言うサイトに投稿しているの?」
「Mystery Circleだけど……あっ!」
しまった思わず、サイト名言っちゃった。
「そう、Mystery Circleね。家に帰ったら探してみるわ」
「あぅぅ……」
微笑みながらそう言う美空ちゃんに対し私は肩を落とすしかなかった。
絶対にサイトに辿り着いて、私の今までの作品が見られるよ。
「それにしても、作曲の他に小説も……よく、そんな時間あるわね」
美空ちゃんがそう呆れたようにそう言った。
他にするべき事があるでしょ。
口には出していないけど、暗にそう言っている。
「両方とも下手の横好きだし……それにちゃんと練習はしているもん」
「そう? それならいいけど?」
少し拗ねながら返した言葉に微笑みを浮かべながらそう返されると、何も言い返せず口ごもってしまった。
私の通っている高校は「フォニ」という楽器の専門高。
不思議な楽器で弾く人によって音が違い、人が一人一人声が違うように弾く人によって音色が違うからフォニと名づけられた。
弾くことができる人が少ないというのも特徴の一つかな。
毎年12月24日――クリスマスイブに開催される音楽祭が有名で、練習はその音楽祭に向けての練習のこと。
音楽祭は最低でも二人でグループを組むことになっていて、基本的に1年生は同じ学年の人とグループを組むことは許されていない。
私のパートナーは『はぎ原先輩』……実は一緒に音楽祭に出ることが決まって一ヶ月が経つのにアンサンブルをしたことがない。
初めてはぎ原先輩の演奏を聞いたとき、すごくはぎ原先輩の音が気に入って、アンサンブルをしたいと申し出たら……アンサンブルをするのは私の技術が最低限身についてからとおあずけを受けた。
音楽祭で弾く曲もまだ教えてもらっていない。
だから練習といっても、音楽祭で演奏する曲を弾いているわけでなく、ただただ技術的な練習をしている。
私はこの学校の中で一番下手なのはわかっている。最初のフォニの授業の時に皆の技術の高さに唖然とした。
でも……でも、ずっとずっと技術的な練習だけ、アンサンブルもしてくれないし……ストレスがたまって、作曲をしたり、小説を書いてしまうのは仕方のないことだと思う。
……あれ? 作曲……美空ちゃん……何か忘れているような……
お、思い出したよ。何故、忘れていたんだろう。
昨日、完成したんだった。
「美空ちゃん、昼から授業、入ってる?」
「今日は昼からは全く入ってないから、パートナー探しをしようと思っていたけど?」
この高校は少し変わっていて、大学のように自分で取る授業を決める事ができ、一日六コマ授業があるんだけど、一日全部入れている人は滅多にいない。
と言っても、1コマ目の前と6コマ目の後にホームルームがあって、それに出ないといけないことになっているんだけどね。
美空ちゃんはパートナー探し……か。
美空ちゃんはまだパートナーが決まっていない。早く決まるといいなぁ。
美空ちゃんに申し出を断られた先輩方が、是非、美空ちゃんと組みたいと生徒会に引き合いを求めているという噂を耳にした事があるけど、本当かな?
「じゃあ、少しだけ時間いい?」
「いいわよ。何番の練習室に予約入れてるの?」
「えっと、10番……だね」
「10番ね、先に行ってるわ」
「え?」
美空ちゃんがそう言うとチャイムが鳴った。
う……まだ移動する準備、してないよ。
美空ちゃんは何時の間にしていたんだろう……
私が慌てて移動する準備をするのを横目に、美空ちゃんは教室から出て行った。
「お、お待たせ」
フォニを持っての移動だから思ったよりも移動に時間がかかってしまったよ。
「……5コマ目に練習室の予約を入れたのなら、フォニは昼休み中に練習室に置いておくのが普通だと思うけど……」
私がフォニを持って練習室に入ったのを見て、美空ちゃんはじと目で私を見ながらそう言った。
「す、すっかり忘れてたんだよ」
フォニを置いておくのを忘れてたのではなく、練習室の予約を入れたのを忘れていたのは内緒の話。
「まぁ、いいわ……それでどんな用なの?」
「うん、美空ちゃんに聞いて欲しい曲があって」
美空ちゃんの質問にフォニを組み立てながらそう返した。
「聞いて欲しい曲? 又、新しく曲、作ったの?」
「えへへ……じゃあ、弾くね」
一音一音、丁寧に思いを込めて弾く……技術が乏しい私にできることはそれぐらいだ。
音と一つになるような感覚……うん、調子いいね。
この曲に込められた思い、美空ちゃんに伝わるかな。
「らしくない曲ね」
曲を弾き終わると美空ちゃんは開口一番、そう言った。
「そ、そうかな?」
「だって、アリス、この曲ちゃんと弾けないでしょ?」
う、見破られた……技術的に弾けない箇所があって、その部分は誤魔化してしいたんだけどなぁ。
「どうして自分で弾けない曲を作ったの? 今までそんな曲、作ったことなかったでしょ?」
美空ちゃんと友達になってから、私が作曲した曲は全部、聞いてもらった。
もしかして、全部どんな曲だったのか覚えてるのかな? 凄いなぁ……
「うん。だってこの曲は美空ちゃんにプレゼントするものだから」
私はそう言うと、スコアを渡した。
「私に?」
美空ちゃんはスコアを受け取ると小首を傾げた。
普段は凛としていてカッコいいけど、偶に見せるこういう仕草が凄く可愛い。
「うん。美空ちゃんをイメージして作った曲だから」
「だから、曲名が『klarer blauer Herbsthimmel』なのね」
「はぁ……美空ちゃん、ドイツ語もわかるんだ」
悩んでつけたんだけどなぁ。
『klarer blauer Herbsthimmel』はドイツ語で秋空という意味。
美空ちゃんのフルネームは『秋月美空(あきづきみく)』
そこからつけた曲名だったんだよね。
美空ちゃんは一通りスコアに目を通すと弾き始めた。
美空ちゃん、フォニこの部屋に持ってきてたんだ。
上手だ……私が弾く事ができない部分も何ともなく弾いている。
曲に思いを込めることも、私より上手……
そして何より、音が優しい……ここまで優しい音が出せる人は他に知らない。
美空ちゃんは、有名なフォニストの子どもで、しかも凛としている態度のせいか、近づき辛い雰囲気を出していた。
でも、そんな雰囲気は初めて美空ちゃんのフォニの音を聞いて私の中では吹き飛んだ。
その授業が終わるやいなや、美空ちゃんに友達になってと詰め寄ってしまった。
その時の会話の内容は覚えていない。
でも、美空ちゃんはそのときのことを後に
「目がきらきらした子犬に懐かれた気分だったわ」
と語った。
「それにしても、この曲、本当に難しいわね」
美空ちゃんは弾き終わると今の演奏が納得がいかない、というようにそう言った。
「そうかな?」
「技術的にも難しいけど、それ以外の部分もね」
私の言葉に納得がいかないからか、弾き終わってからじっと見つめていたスコアを片付けながらそう返した。
「曲の完成度からすると、この曲が今までの中で一番出来がいいわね」
「本当?」
「ええ。今までの曲はよくあそこまで低い技術しか使わない曲であれだけの曲が作れるものだと感心していたけれど……」
「はぅ」
持ち上げられて一瞬で落とされた感じがするよ。
「今までのはアリスが弾けることが前提で作っていたのね。今回はその枷をなくしてみた、と……アリスがこれを弾けるようになるのは何時かしらね」
「う〜いじわる……」
「そうだ。アリスとアンサンブルする曲はこの曲に決定ね」
「え?」
美空ちゃんに今度アンサンブルしようと話を持ちかけていた。
その曲選びは美空ちゃんに任せていたんだけど……
「勿論、さっきアリスが弾いたような誤魔化しの演奏は駄目よ」
「はぅぅ〜」
美空ちゃんの言葉に落ち込む私。
ちゃんと弾けるようになるまでおあづけ……ですか?
「アンサンブルできるのは何時になるかしらね」
「う〜はぎ原先輩とのアンサンブルもおあづけになってるし、美空ちゃんとのアンサンブルもあおづけ……」
「あら、はぎ原先輩ともおあづけになってるの」
恨めしそうに呟く私を見て、微笑みながらそう返した。
「う〜もっと練習頑張らないと」
「頑張りなさい。今のままだと音楽祭に出ても恥をかくだけだからね。注目されるのに、あれでは……ね」
「注目されるって、どうして?」
「どうしてって……え?まさか、知らないの?」
「知らないのって、何が?」
美空ちゃんの言葉の意味がわからない。
そんな私を美空ちゃんは信じられないという感じで見ている。
「アリス、はぎ原先輩のフルネームは?」
「え……『はぎわらともよ』」
「じゃあ、去年の音楽祭の優勝者の名前は」
「男性? 女性?」
「女性」
「『おぎ原知世(おぎわらちよ)』」
私の返答に唖然とする美空ちゃん。
「そんな……な間……をするなんて」
何かを呟いているけど声が小さすぎて聞き取れない。
「まぁ、知らないのならその方がいいかもね」
「気になるんだけど……」
「気にしない、気にしない」
気になるけど、教えてくれそうにないので諦めるしかなさそう。
「じゃあ、そろそろ行くわね」
「あ、ごめんね時間、大分使っちゃったね」
「気にしてないわ。いい物も貰ったしね」
私の言葉に鞄を撫でながらそう返す美空ちゃん。
その言葉は凄く嬉しい。
「でも、よくこれだけ頻繁に曲が作れるなんてね」
「下手の横好きだから……それに私の中にある物を引きずりだしているだけだから」
美空ちゃんは私の言葉に肩を竦めると練習室から出て行った。
美空ちゃんにも言ったけど、作曲も小説を書くことも私の中にある物を引きずりだしているだけ。
私の中心に闇があってその中から引きずり出す……
そこにある物は闇の中から引きずり出してみたら、色あせてしまうものなのかもしれない。
でも、それでも、闇の中から引きずり出したいと思うのは、私の我侭かな?
●《自己批評》
『何かいきなりやってしまった、って叫びたくなったりするな(謎)
何のとかわからない人はMasquerade vol.2を参照。
これでメイン3キャラのフルネームが出てきましたね。
「有栖川有彩」「秋月美空」「萩原知世」
有栖川であだ名がアリスというネタは以前にも使った事があったり。
そっちを知っているのはMCメンバーでは一人だろうけど。
みくという名前は偶然です。某ボーカロイドを意識していません。
萩原先輩は……萩と荻が混同するというベタな間違い&名前の読み方の間違い、という二重の間違いw
この間違いがわかるときのネタは出来上がっているけど、MCで公開する事があるのかは謎。
後、タイトルのQuartetは四重奏、overtureは序曲という意味。
「メインキャラは3人なのに四重奏?」とか「同じパートを弾いているのなら重奏ではなく合奏じゃないか」という突っ込みはなしの方向でw
3人なのに四重奏には意味があります。
それはMCで続きを書く事があればそのときに。』
《Liar's villa 知》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎闇の中から引きずり出してみたら、色あせてしまうものなのかもしれない。
゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜
◎闇の中から引きずり出してみたら、色あせてしまうものなのかもしれない。
『不完全犯罪』
著者:蒼
闇の中から引きずり出してみたら、色あせてしまうものなのかもしれない。雨宮一子はそう感じていた。心の奥底に潜むそれに光を当て、言葉に表そうとしても無駄なのだ。自分でさえも上手く説明できないものはどう言い繕おうとも表現しきれるものではない。引きずり出したところで自分にとってもはや別物となるのだ。
だからこそ動機については言及するつもりもない。愛憎の果てであろうと、仇討ちであろうと、欲深い金品の奪い合いであろうと、いっそのこと狂人による通り魔的犯行であろうと、結局のところ結果に変わりは無いのだから。
一子は深く考えないことにした。考えなければならない問題はこれから。全て計画どおりになどいくわけがないとわかっているから、あらかじめ立てておく計画は完全ではいけない。常にその時の状態を加味できるよう、ある程度自由に柔らかくしておく必要がある。大事なのは絵ではなくむしろ額縁。
青年画家、三上靖彦は背中から包丁の柄を生やして床に倒れていた。一撃で済んだことに一子はホッとしていた。いくら不意をついても男と女、単純な力比べではさすがに不安だったからだ。多少悲鳴を上げられたが大丈夫であろう、この男の住居兼アトリエのマンションは防音もしっかりしている。
美大を出てコンクールで3番手くらいの成績を得た程度の十羽一絡げの画家がこのような比較的高級な部類のマンションに住んでいるのは親の遺産の賜物である。わかりやすく言えば単なる道楽者だ。
いくらか血のついた手袋を予備と替え、踵を返した一子はアトリエ代わりの洋間から書斎へ向かう。途中のキッチンでタオルと大きな栓抜きを拝借する。書斎に入り唯一の窓を開けた。雪こそ降らないものの真冬の突き刺すような冷気が入り込んで一子の足元から冷やしていく。
窓の外は手を伸ばせば届きそうなくらいに壁がある。デザイン性を重視しすぎたいりくんだ外観は好都合だ。暗いうえに表通りからは見えない場所だから多少異変があっても見つかりにくいだろう。窓を開け、内側には消音の為のタオルをあてがい、外側から栓抜きを叩きつけて窓ガラスに小さな穴をあけた。けして大きな音ではないはずなのに、体がビクリと反応した。
(大丈夫)
一子は落ち着かせるように深く息を吸い、吐く。やけに熱い体の中へと冷気が染み込んでいき、心拍数が落ち着くのを助けた。
割れた穴の位置も問題はない。タオルについたガラス片はできるだけ掃って床にこぼしておいた。
「これでいい、大丈夫」
運を引き寄せるのは力を持った言葉だ。一子は言い聞かせるようにあえて言葉に出した。
自分の行動をひとつひとつ思い起こして確認していく。指紋に関しては心配ない。真冬だからこそ手袋は必需品で、手袋をしたまま部屋に上がっても三上に不審がられることはなかった。
書斎、寝室、LDKの順で、引出し等を適当にあけて金目の物を物色した形跡を作る。もちろん貰って帰るつもりはない。必要なのはこの部屋の合鍵と荒らされた痕跡だ。用意しておいた男物の靴で足跡を残しておいた。
一子が予定するストーリィに照らし合わせるとこうなる。書斎の窓から侵入した強盗が部屋を漁り、アトリエで三上と遭遇、脅し用もしくは護身用に持っていた包丁で犯行が行なわれ、動転した強盗は金品を放り出して逃亡する。
単純ではあるが、単純なもののほうが見落としが少ない。それに、計画性を感じさせない犯行はそれだけ容疑の枠を広めるはずだ。
必要な工作を済ませた一子は、もう一度アトリエに戻ることにした。見落としが無いか確認する為だ。この時ばかりは神経を張り巡らせ慎重にならなければならない。
アトリエを覗いた一子は愕然とした。イーゼルが倒れ1枚の大きな油絵が床に落ちているのだ。漂う異臭はその拍子に脇に転がるパレットからこぼれた油。カーペットに染みができている。
三上の体は這うように少し移動していて、筆を握り締めた手が絵にかかり停止していた。さっきはまだ死んではいなかったのだと一子は足が竦み、しばらくアトリエに踏み込むことができなかった。思考が停止しそうになる。
彼の携帯電話はキッチンに置かれていて使われた形跡はない。遮音性の高いマンションだから声を出しても誰かに届くことはないだろうし、どうやら外部に助けを求めたようには思えない。
「大丈夫」
呪文を唱えるように呟いて気力を振り絞るとアトリエに踏み出す。
カンバスに大きく殴りつけるように絵の具で記されたモノ。わずかに残された命を賭して三上が残したダイイングメッセージに、一子は驚きを隠せなかった。強張る体を折りたたむようにして彼の脇にしゃがみ、確認する。もうこの体に命の欠片も残っていない。
一子は幾分青ざめた顔で笑みを作った。
証拠の残るこの絵をどうするか。持ち出す? 持ち出したらこの絵に何かがあると感づかれてしまうだろう。ダイイングメッセージ、犯人の名前が書かれたという予測が立てられる可能性は高い。そうなれば疑惑が三上の周辺に集中してしまう。それは避けるべきだ。ということは、残る選択肢。
一子は手近にあった絵の具を適当にとり、おもむろにそれを塗り潰した。そこに描かれた真冬の海の絵に丁度良いだろう深い青色の絵の具で。
「さよなら」
そうして簡素に別れの言葉を述べアトリエを出ていった。
発見されたのはその2日後の2月1日。発見者は大学受験の為に田舎から出てきた従妹だという。事件は一子の思惑通り強盗殺人事件として処理されている。
別の窃盗で逮捕されたなんとかという男のアパートの、自転車置き場脇の側溝に三上のマンションの合鍵を落としておいたが、どうなっただろうか。そんなことは一子にはどうでもいいことだ。
大きな手がかりとなるべき凶器の包丁も、靴跡を残した男物のスニーカーも、全国展開する量販店で購入した品だからその方面から足がつくこともない。事件直後に刑事が来て被害者周辺の人間関係などを聞かれたくらいで、一子は容疑者の一人にすらならなっていない。運も味方をしているのだと彼女は思う。
あれから二ヶ月以上が過ぎた。一子が作り上げた虚像は完全となったのか。
今はもう桜の舞い散る季節。通勤ラッシュの電車の中で、初々しい学生達の姿を見る度に一子は思う。不運にも事件の発見者となってしまった受験生はどうしているだろうか。無事に志望校に合格しているのだろうか。
それだけが彼女の心残りだ。
●《自己批評》
『闇センセ(言っちゃった!)の影響でミステリに初挑戦……のはずが(汗
ひぃぃ。ごめんなさいごめんなさい』
《 〜限りなく透明に近い蒼〜 蒼 》
゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜
********************
蒼さんが入室しました。(22:29)
蒼 「ぼんそわ」(22:30)
蒼 「来るかな?」(22:32)
夏馬さんが入室しました。(22:36)
夏馬 「ども」(22:37)
蒼 「来たー」(22:37)
夏馬 「ぼんそわ」(22:37)
蒼 「言い直さなくても(笑)」(22:38)
夏馬 「今月のMCもお疲れ様でした」(22:39)
蒼 「お疲れ様でした。あ、遅ればせながら、先月末のオフ会超楽しかったですねぇ」(22:40)
夏馬 「オフ会初酸化、めっさ緊張しました」(22:41)
夏馬 「酸化違う、参加(苦笑)」(22:42)
蒼 「“生”夏馬さんは出没率低いですから皆感動モノですよ。私も初めてお会いしましたけどびっくりです」(22:42)
夏馬 「何、人を珍獣みたいに(笑)」(22:42)
蒼 「希少動物(笑)」(22:43)
夏馬 「メタルスライム」(22:43)
夏馬 「逃げ足は速い(笑)」(22:44)
蒼 「また参加してくださいよぅ」(22:45)
夏馬 「参加したいけども。……みんな若いんだもんなぁ。浮いてない僕?」(22:46)
蒼 「またまたぁ。闇センセ若いッスよ」(22:46)
夏馬 「闇センセて(苦笑)」(22:47)
蒼 「あ、イヤですか? 闇センセっての。ドキドキしながら使ってみました」(22:48)
蒼 「イヤだったら止めます」(22:48)
夏馬 「別にイヤというわけじゃないですけども……」(22:50)
夏馬 「なんとなくバカにされてる感じもしたりしなかったり(笑)」(22:50)
蒼 「何を言ってるんですかー。尊敬ですよ尊敬! ソンケー!」(22:51)
夏馬 「うーん、それはそれでなんとも言えないむずがゆさ」(22:52)
蒼 「じゃぁ、夏っちゃん」(22:52)
蒼 「オレンジジュースみたい」(22:53)
夏馬 「人の名で遊ぶな(笑)」(22:53)
夏馬 「で、話したいことがあると?」(22:54)
蒼 「えーまぁ。単刀直入ですね」(22:55)
夏馬 「チャットあんまり特異じゃないから。コミュニケーション能力低いんですよ(涙)」(22:56)
夏馬 「……特異て(涙)」(22:56)
蒼 「うあ。すんませんお呼びたてして(汗)」(22:56)
夏馬 「いえいえ(笑)」(22:57)
蒼 「今月の私の作品なんですけど。推理物の代名詞闇センセは読んでいただけたでしょうか?(おどおど)」(22:59)
夏馬 「代名詞て(汗)」(23:00)
夏馬 「もちろん読みましたよ。導入部から引き込まれる感じが味出てるよねぇ。好みの雰囲気。犯人視点ていうパターンも僕は好きだな」(23:02)
蒼 「そう言ってもらえると嬉しいです」(23:02)
蒼 「さらにツッコミを」(23:03)
夏馬 「ツッコミ?(汗)」(23:03)
蒼 「どーんと」(23:04)
夏馬 「ど。どーん」(23:04)
夏馬 「えと……僕自身の好みってことでよければ」(23:05)
蒼 「もちろん。ミステリーを書いて闇センセにツッコまれるのが至福の喜び」(23:06)
夏馬 「うへぇ」(23:06)
蒼 「どきどき」(23:06)
夏馬 「ていうか、登場人物に僕の名前使いましたな」(23:07)
蒼 「闇センセリスペクトです(笑)」(23:08)
夏馬 「わからん人多いだろうに」(23:08)
蒼 「闇センセにお会いした人ならわかります。インパクトありますし」(23:09)
夏馬 「わかりにくいッ(笑)」(23:10)
夏馬 「えーっとね。ミステリの雰囲気は出てるんだけど、個人的な好みでは読み終えての印象がもやっとする。続きは!?みたいな」(23:13)
蒼 「ふむふむ」(23:14)
夏馬 「まず、動機の面が完全にぼかされている点。結局靖彦はなんで殺されたの? それに最後まで読んでも犯人と被害者の関係もハッキリしないし」(23:17)
夏馬 「お題を上手く使って暴投から動機の謎に注目させて一気に読者を引き込むのに成功してるけど、それが結局解明されていないから、なんというか」(23:18)
蒼 「スッキリしない?」(23:19)
夏馬 「そう。そこがキモだと思って(これは僕が勝手に思い込んでただけかな?)読んでたんだけど」(23:20)
蒼 「私もそこ悩んでたんですけどね。一子がどういう人間で何故靖彦を殺したか、こればっかりは一子でないとわからないだろうし」(23:21)
蒼 「……闇センセ?」(23:25)
夏馬 「ごめん、お茶煎れてきた」(23:25)
夏馬 「なんだかまるで犯人がホントにいるみたいな言い分だね」(23:26)
蒼 「書くのにハマると登場人物が勝手に動き出すってのもあるんですけどね」(23:27)
夏馬 「まぁ、そうだね」(23:27)
夏馬 「どこかで晴彦の言動で悪辣さというか、言い方悪いけど殺される原因を臭わせておけばいいかな。ああでも初っ端から死んでるか」(23:29)
夏馬 「うーん……たとえば動機が痴情のもつれなら、飾られていた晴彦と恋人の写真を犯人が忌々しそうに見る、とか」(23:30)
蒼 「おお。なるほど。さすがセンセ」(23:31)
夏馬 「……やっぱセンセは止めない?」(23:31)
蒼 「却下(笑) そんな調子でどんどんツッコミお願いします」(23:32)
夏馬 「えーと。結局さ、犯人の完全犯罪成立しちゃったってこと? 斬新といえば斬新だけど、ミステリとしては斬新すぎない?」(23:35)
蒼 「斬新すぎますか」(23:35)
夏馬 「普通のミステリならここで探偵役やら刑事役やらが出てきて、犯人に推理を突きつけるんだけど。古畑任三郎とか」(23:36)
蒼 「古畑任三郎?」(23:38)
夏馬 「時代を感じるなぁ……女子高生」(23:39)
蒼 「この春から女子大生ですわよ(笑)」(23:40)
夏馬 「ああ、そうでした。ピチピチの女子大生」(23:40)
蒼 「死語ー(爆)」(23:41)
夏馬 「えーっと。……問題編、という風に閉じているのならまだわかるんだけど、完全犯罪でおしまい、となるとなんとも消化不良というか。ミステリスキーの悪い癖だ」(23:43)
夏馬 「ていうか、タイトルは『不完全犯罪』なんだ」(23:43)
蒼 「うふふ」(23:34)
夏馬 「……何その笑い」(23:36)
蒼 「いえいえ(笑) 闇センセならこの先の展開、どうしますか?」(23:37)
夏馬 「先の展開? やっぱり続きがあるのかな。でもそれは僕が考えることじゃないでしょ」(23:28)
蒼 「やっぱり探偵なり刑事なりが一子を捕まえに来るんでしょうね」(23:39)
夏馬 「そうかもね」(23:41)
蒼 「となると、一子の完全犯罪には穴があったってことでしょう」(23:41)
夏馬 「そうだね」(23:44)
蒼 「何だと思います?」(23:44)
蒼 「おーい? どこいった?」(23:48)
夏馬 「……わかるわけないじゃない。これだけの描写で」(23:48)
蒼 「これだけの描写では断定できない、と」(23:49)
夏馬 「そう。もしかしたら犯人が気付かない目撃者がいたのかもしれないし」(23:50)
蒼 「それじゃミステリとして成り立たないでしょ? それに、すでに事件から二ヶ月以上経っているんですよ」(23:50)
蒼 「目撃者がいたらもっと早く事が進むんじゃないでしょうか」(23:51)
夏馬 「……よくわからないな。蒼ちゃんの口ぶり(チャットだけど)だと、ホントにあった事件みたいに言うよね」(23:54)
蒼 「被害者は自分の最期の力を振り絞って犯人の名を書き遺したんです」(23:54)
夏馬 「しかしそれは犯人が塗り潰してしまった」(23:55)
蒼 「そう、一子が」(23:55)
蒼 「発見者は被害者の従妹です。被害者の両親はすでに他界しているので、遺品のいくつかは彼女にも託されました。それは予想できる展開ですよね」(23:56)
夏馬 「そうだね。それは」(23:57)
蒼 「問題の油絵も彼女の手に渡ったのです」(23:57)
蒼 「闇センセ、聞いてますか?」(00:01)
夏馬 「聞いてます」(00:02)
蒼 「一子は油絵に関する知識に乏しかった」(00:02)
蒼 「油絵の絵の具は化学物質の塊なんだそうです。エメラルドグリーンは酢酸亜比酸銅。ウルトラマリーンは珪酸アルミナナトリウム。ヴァーミリオンは硫化水銀」(00:04)
蒼 「そういう絵の具には混ぜると化学変化で変色を起こすことのある組み合わせがあるんです。禁忌色というそうです」(00:05)
蒼 「闇センセー?」(00:07)
夏馬 「禁忌色か。知らなかったな」(00:08)
蒼 「そう、それが一子のミス」(00:08)
蒼 「被害者の本当の名前は南晴彦」(00:09)
蒼 「私は晴兄さんの遺品としてその絵をもらいました。真冬の海が描かれた絵です」(00:10)
蒼 「絵の下半分くらい塗り潰された、緑がかった深い海の青。そこからじんわりと二ヶ月の時をかけ、滲むような黒褐色で文字が浮き出てきました。最初は文字だなんて思わなかった」(00:11)
蒼 「ぼやけたような、でも、だんだん形作られるメッセージを見て驚きましたよ。オフ会でお会いした方の名前なんですもん」(00:12)
蒼 「ね。闇センセこと松永夏馬さん」(00:14)
蒼 「それとも本名で呼んだほうが良いですか? 雨宮一子さん」(00:15)
夏馬 「雨宮も、一子も、ありふれたというほどでもないにしろ、同名異人だっていう可能性もあるでしょ?」(00:15)
蒼 「じゃぁ何故晴彦さんの名前を知ってるんですか」(00:16)
夏馬 「名前?」(00:17)
夏馬 「蒼ちゃんが書いた小説に出てるじゃない」(00:18)
蒼 「いいえ。私の作品の中での被害者の名前は“靖彦”です。YASUとHARU。まさか誤変換だなんて言い訳しないですよね」(00:19)
蒼 「別に闇センセが同名の別人だと言うのならそれでも良いですけど。どっちにしろこれから警察は晴彦さんの関係者の『雨宮一子』に目を向けるでしょうし」(00:20)
蒼 「たまたま選んだ色がたまたま反応したんですよ。なんて運が悪かったんでしょうね」(00:21)
蒼 「聞いてます?」(00:25)
蒼 「ねぇ?」(00:28)
蒼 「闇センセ?」(00:30)
夏馬さんが退室しました。(00:30)
********************
間もなくチャット場からHN『蒼』が退出した。それと同時にログが消去される。
暗く深い蒼色の海から浮かび上がった言葉の数々は渦を巻き、そして儚く消えうせた。モニタの中だけは全てが白紙である。

著者:松永夏馬
●《自己批評》
『この物語はすべてフィクションです。(そりゃそうだ)
油絵や禁忌色について不勉強な部分が多いので、すんません。
作中作。相変わらずなんかもう手を変え品を変え。そして相変わらずなんか浅い。
3年。もう3年もやってるんだなぁというのが半分。まだあれから3年しか経ってないんだというのが半分。この3年の積み重ねと共に自分が少しでも成長していれば良いのですがね。』
《Missing Essayist Evolution 松永夏馬》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎全てが白紙である。

著者:AR1
全てが白紙である。なぜならば、午前と午後の境目である正午にまさに今、達したからだった。午前であることがリセットされ、新たな時間軸へと移行する。
それと同時に、私の人差し指が天井の方に向けて垂直に伸びた時、腹の中からご機嫌な様子で小鳥が飛び出し、陽気な歌声を披露する。もっとも、小鳥が今まで不機嫌そうに鳴いたことなど一度としてない。
寒気の中に徐々に温もりが射し込みつつある四月の陽気。窓を容赦なくノックして来訪を告げた春の嵐はどこへやら、黒い雲の断片すら見当たらない。レース・カーテンを飛び越えてきた木漏れ日のような陽光が、白の壁紙に吸い込まれる。
液晶画面の中では、かしこまった表情の天気予報士が今日一杯の空模様の安寧を約束し、背景ではカメラが渋谷の交差点の混雑振りを実況で監視している。風の中に冬の凍てつきは薄くなったとはいえ、薄着や大胆なカットが施されたファッションで横断歩道を歩く若者は少ない。
歌唱を見せてして満足したのか、小鳥は私の腹の中へ舞い戻る。この同居人の声は壁を突き破って隣室に飛び込むほどよく通る。付けっ放しのテレビの筐体からはニュース番組の司会者の抑揚のない語りが流れているのだが、小鳥の歌声の前にはあえなく敗退した。部屋の隅っこにいる私のところまでなんとかナレーションが届くものの、絶対的な音量が小さ過ぎるのだ。
そういえば、私は一時間前に飛び出した小鳥とおしゃべりをした。普段はこの部屋の主人に会話を聞かれるとまずいので、小鳥との会話は禁忌とされているのだが、あまりにも代わり映えしない時間の流れにお互い鬱屈していたのだ。我慢できなかったのは、私との関係においてはおしゃべりと相場が決まっている小鳥の方からだった。
「なあ、いつご主人様は帰ってくるのかねぇ?」
楽天的を思わせる高い声にお似合いのあけすけな質問をする小鳥に、私は言葉を選ぶ時間を稼ぐために「うぅん」と唸った。
「きっと、どこか旅に出ているんだよ」
重厚で渋みがある、とかつて小鳥に評された声で私は答えてやった。
「旅って、どこに?」
「きっといいところさ」
ふうん、と少し怪訝そうな態度を見せながらも、小鳥は私という巣の中に引っ込んで行った。
私は一つ、小鳥に嘘をついているが、今はそう答えざるを得なかった。
午後一時になって再び小鳥が顔を出した時、少し嘴を上に持ち上げたように私には見えた。両目で凝視されているのが何よりの証拠だ。
「君、何か隠しているだろう?」小鳥は少しばかり低く抑えた声で、私に圧力をかける。
「と、言うと?」私はあくまで――存在しないはずの――首を振って白を切る。
「僕は一日に二十四回、しかもほんの少ししか外に出ることが出来ない。だけど、君はいつだって部屋の中を見ていられる。君は何か見ていないのかい?」
「何も見ていないさ」
何かを聞いてはいたけれど、とあえて私は口に出すまいと心に誓った。この場から身動きすら取れない自分に、例え真相を明かされたところで何も解決する出来ることなどないのだ。一つとして、ない。それは同居人の小鳥にもまったく同じことが当てはまる。
「なんだか、神隠しみたいだね」小鳥が言った。
「謎、か。ミステリー・サークルのように」私は後を続けなかった。――きっと、主人が私と視線を絡める日はやって来ない。
小鳥はいつもより少しだけ長めに外界に留まっていたが、訊きたいことは全て吐き出してしまったのか、私の腹の中に引っ込んで勢いよく扉を閉めてしまった。扉を力強く閉じる時は、小鳥にとって納得のいかない出来事があった時と相場が決まっている。
私は静けさと埃が舞う部屋の中で物思いに耽っていた。部屋の主は本当にどうしたのだろうか、と考えるうちに小鳥が姿を消してから五分が経過した。じっくりと考えていたつもりだったが、やおら敏感になり出した耳がつけっ放しのテレビの音声を拾った時、時間がワープしたかのように体内時計の感覚が大きく狂う。私は時間を計ることに関しては絶対の自信があるのだが、とうとう体がおんぼろになり始めた証左かもしれない。
あまりにも小さかったニュースの音声が、今回ばかりは体の中の歯車が外れかねないほど大きな振動を伴って襲って来た。――その一報は、主人の死体が栃木の山中で発見されたという速報だった。
しかし、大地震はすぐにある一点へと収束する。この部屋の主が帰館することはないという予感を決定的に裏付けたことで、私には諦めるしか選択肢がなかったのだ。どれほど心配しても、何を嘆き悲しもうとも、結局は誰の耳にも届かないのだから。同居人の小鳥を除いて。
私には、黙して語らずという選択肢しか残されていなかった。伝わらない独白を愚痴のように落とし続けるくらいなら、いずれは処分されることに身を任せ、悲しみを体の中に留めて眠りたかった。
時計は沈黙していた。針は凍りついたかのように盤上に張り付けられ、まるで動く気配はなかった。秒針の刻む拍が停滞した今、NHKのテレビ放送の中にだけ真実の時間が流れていた。
心停止した真っ白な部屋の中央にあるコーヒーテーブルの上には、鮮やかなアネモネがちょこんと生けてあった。
●《自己批評》
『以前にMystery Circleネタをやってしまったので、今回はオーソドックスに書き上げました。』
《If... AR1》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎コーヒーテーブルの上には鮮やかなアネモネがちょこんと生けてあった。
『アネモネの咲く頃に』
著者:空蝉八尋

コーヒーテーブルの上には、鮮やかなアネモネがちょこんと生けてありました。
その何気ない風景、しかも居心地のすこぶる悪い空間に限ってこんなベストタイミング。
『それでは、この花が咲く季節にしましょうか。チヤ子ちゃん』
ああ。
脳裏で駆け巡る記憶、残像、掠れた音声。
これが、これがまさしくフラッシュバックというものなのですね。
人生、まったく何が起こるか分からないものねと実感している暇もなく。
わたくしはピアノの鍵盤を叩き割る勢いで腕を振り下ろし、不協和音と共に叫んだのです。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
喉を突き破るかの絶叫。クラゲに刺されたような指先の痺れ。
「なっ!?」
わたくしの奏でる優美で優雅な旋律に、一丁前ながら、さも違いが分かるかのように図々しく聴きひたっていた庶民、いえ愚民。
肩を震わせて閉じていた眼を一気にひらき、無様にもソファから雪崩れ落ち。ああ良い気味。
「うおっ……とぉ!? ゴホン、いかがなされましたか? チヤ子さん。 鼓膜が破れてしまうところでしたよ、ハハハ」
白い歯を無駄に輝かせ、狐のような笑みを浮かべながら両手を広げ歩み寄られ、わたくしはあからさまにその手を避けました。
触られてたまるかってものでございますわ。
「本望ですわ、バリーッといきなさい」
「うぉーいっ!? ……ゴホゴホン、予想外の展開だぞこりゃ」
「そしてビリビリーッバリンのグチャッとなりなさい」
「ひえぇーっ……よく分かりませんが最後がグロいですね」
行かなくては。行かなくては!
こんな時でも繊細なわたくしはピアノをきっちりと元通りに片付け、蓋に挟んだ薬指を気にしながら向き直りますの。
頭上からきっと睨んだ美しさに平伏すが良いわ!
「ワタクシ、帰ります」
「えーっ!? な、何故ですか!? それは困りますよチヤ子さーん!」
「ええいっ、醜い! お黙りなさい!」
平手で右頬を叩き払うと、愚民らしく頬を抑えうずくまり、どこから出ているのか分かりかねない溜め息を漏らし。
「チヤ子さんの張り手はギザたまんないスなぁ」
お前は真性なのですか。
「大事な要件を思い出しました。ワタクシ、今すぐ帰らせて頂きますわ」
薔薇で飾られた帽子をかぶり、上質のファーで覆われたコートに袖を通している最中、重力が増しました。
見下ろせば、どこか恍惚とした表情で裾へしがみついてくる愚民の姿があるではありませんか。
「ちょっ……離して頂けないかしら?」
「行かせないよチヤ子さん。なんてったって今日は、僕達の記念日なんだからね」
「記念日? 初耳ですけれど」
「では、教えて差し上げます。僕がチヤ子さんに結婚を申し込み、そしてめでたく結ばれる記念日でふごほぉっ!」
「いつから勝手な予定日をしかも記念日に仕立てあげてんだミミズが!」
思わず反射的に蹴りを入れてしまいましたが、この方は急に気を失って倒れたという事にしておきましょう。
自分の人生設計にわたくしを組み込むなんて一万年と二千年早いのよ。
さようなら、わたくしと過ごせた時間を夢にでも見ているがよろしいわ。出演料はサービスしておきますから。
「高原! 高原っ!」
小走りで駆け寄りながら、玄関前で仁王立ちしている高原を呼びました。
わたくしの声に気付き、時計を覗いては戸惑った様子でこちらを見上げ。
「いかがなされましたかお譲様。まだお時間がお速いようでございますが……」
表情の読み取れない黒いサングラスの奥で、彼の瞳が揺れているのを感じます。
「急用を思い出しましたの。すぐに車を出して頂戴」
「…………左様でございますか」
「……ええ、」
わたくしは少しばかり違和感を感じずには居られませんでした。
いつも事務的に、なおかつ機械的に会話を繰り出す高原らしからぬ、奇妙な間の取り方をしたからです。
一般人としては左程ない所ですが、彼がわたくしの傍に付いてかれこれ、こんな反応が初めてだったせいかしら。
「あのう、お言葉でございますが、先方はいかがなされましたか」
「知らないわあんな妄想癖。つけ上がるのもいい所よ。気品が無いもの」
後部座席に腰かけると、エンジン音と共にシートベルトをかけながら、運転席から高原が振り返ります。
「そして、どちらへ?」
「オクテット、という喫茶店を知ってる?」
目立たない場所にあるものですから、おそらく知らないでしょうね。
花壇が綺麗で、アネモネの花が看板の、という気がきいたわたくしの補充の前に、高原は意外な言葉を口にしました。
「存じ上げておりますが」
「あら。じゃあ、そこへ向って頂戴。大至急で飛ばして。なんなら信号無視してもいいわ」
「了解致しました。交通ルールは守りますが……」
「そうね、常識ね」
近くの景色が飛ぶように過ぎ、遠くの景色はのんびりと通りすがって行くなか、滅多に私語を発する事の無い高原が、珍しくわたくしに話しかけました。
「そこには、どういったご用件で足をお運びになるのですか」
「どうしても、聞きたい?」
「い、いえ。言葉が過ぎました」
「フフ。いいのよ。高原がそんな風に聞くなんて、珍しいと思っただけですわ」
そして、それが少し嬉しくもあったの。
「はぁ……」
わたくしが窓の外を眺めたまま、繋ぎ目だらけの記憶を掘り起こして、出来る限り覚えている事を話そうと決めました。
「ワタクシ、小さい頃に一度だけ、お父様達のパーティーから逃げ出した事がありましたの」
「幼い頃に、そんな事がありましたか」
「ええ。でも確か、貴方がまだ私に付く前でしたのよ」
どうしても、自分ひとりで外を出歩いてみたかったの。
映画やお話の中に出てくる女の子のように、元気に活発に、飛び跳ねる様に道を歩いてみたかったの。
ワタクシはその時、一番大切にしていたテディベアを抱きかかえたまま、人混みを利用して会場をすり抜けて街へ出ました。
「お父様とケンカになりましたのよ。勝手に外に出たりなんかしたら、そのクマは捨てる、って」
「旦那様は、お譲様がご心配だったのでしょう」
「それでも、小さなワタクシには窮屈だった」
街灯が灯してあるとはいえ、ワタクシは夜の暗い道を一人で歩きました。
歩いた、というよりは、見つかって追いかけられるのではないかと思い、全速力で走り抜けました。
ふと気がついたら、すっかり人気のない路地に迷い込んでしまって。
「ワタクシ、泣くまいと思って必死に歩きましたの」
「お譲様らしいですね」
「そこで、ようやく明かりのついたお店を見つけました」
オクテット、とカタカナで書かれた看板の、緑色の屋根をした可愛らしいお店でした。
ワタクシはまるで鏡のアリスになったように、吸い寄せられるようにして扉を引きましたの。
漂うコーヒーの香りに、暖かな光。誰も居ないカウンター。
扉のベルの音で、奥から顔を覗かせたのは、店の主人だったのでしょうか、若い男性でした。
その方はワタクシを見ると、まるで子供扱いせず、いらっしゃいませ、と一言笑顔で傾けて下さったのです。
「そこからの記憶は、安心したからなのか、あまりないのですけれど」
「帰りはどうなさったのですか」
「連れ戻されたわよ、血相変えて探しに来たお父様達にね」
だけれどその時、ワタクシは肌身離さず抱えていたテディベアを、その男性に預けたのです。
「何故です?」
「お父様に捨てられてしまうと思ったからですわ。勝手に出歩いた、ましてや抜け出したんですもの」
ワタクシは今度いつそのテディベアを取りに来られるか、分かりませんでした。
自由に出歩けるようになるまで何年かかるかすら検討もつかなかったんですもの。
「気の長いお話でございますね」
高原がわずかに笑い声を零しました。
「ええ。でも、大切にしていたテディベアですけれど……その方にそのまま、あげてしまっても良いとも思っていましたわ」
とっても素敵な殿方でしたから。
思えばわたくし、これが初恋だったのかもしれませんわ。
「そうしたら、十年まで待つと。十年後までに取りにおいでと言って下さったのです。アネモネの花が咲く季節に……」
今日までわたくし、すっかりテディベアからも卒業して、すっかり忘れてしまっていたのですけれど。
いえ、忘れていたわけでなくて、ちょっとばかり多忙だったせいもありまして。
……あら。そういえば。
何かもっと大切な、重要な記憶をしまい込んでいたような……。
「お譲様、到着致しました」
高原の声に、私ははっと我に返りました。
「ありがとう」
微妙に変わってしまった、けれどもどこか見覚えのある風景に、わたくしは思わず微笑みました。
「じゃあ、少し寄って来ますわね」
「いってらっしゃいませ」
正確に九十度、腰を折って頭を下げた高原を見てから、わたくしはヒールの音を響かせて歩きだしました。
すると背後から声がかかります。
「……お譲さま!」
「え? なにかしら?」
思いがけない呼び止めに、驚いて振り返りますと、右手を伸ばして固まっている高原が居りました。
「いえ、何でもございません。申し訳ありません」
「? それなら、いいんですけれど」
らしからぬ動作でサングラスを中指で持ち上げ、それっきり彼はまた車内に戻ってしまいました。
まったく、どいつもこいつもハッキリしませんのね。
わたくしは扉の前で一度歩みを止め、心臓がうるさく高鳴るのを抑えようとしました。
落ち着け、落ち付きなさい。仮にも南京財閥の令嬢ですのよワタクシは!
こんなちっぽけな喫茶店に入るのに、何をこんなに手間取っているのかしら!
扉に手をかけると、あの方の微笑みが先ほどよりも鮮明に浮かんできますの。
ああ! どうか普段通りのわたくしの美しさで笑い返せますように……!
微妙な半目の失敗写真のような醜態を晒すような事は、何が何でも避けなければ。
昔から言うものですわ。
女は度胸!
カラランカラン。
「いらっしゃいませ」
ヒゲ。
爽やかな笑顔顔でなく、その顔には穏やかな笑顔と灰色の鬚。
茶色の短髪でもなければ、白髪混じりのオールバック。
ナイスミドルがカウンターで、カップを手入れしながら私に微笑みを向けておりました。
「お好きな席へどうぞ」
「え、ええ……」
私の心境、アルプス高原から津軽海峡ですわ。
どうしてなの。
どうしてなの。
どうしてあの方でないのかしら!
私は気付かれないよう、恨めしそうにカウンター席からを店員を見つめます。
たとえ年月が経っていようとも、こんなにまで老け込むことはないでしょうに!
「ご注文は?」
慌てて視線をそらし、テーブルについていた頬杖を膝の上へと戻し。
「ええと、それじゃ、カプチーノを……」
「かしこまりました」
細くため息を尽きました。
そうね。現実って所詮、こんなものなんだわ。
あんな子供との約束、本気にしているわけがなかったんだわ。
「あ」
カウンター席の真中に、薄水色をしたアネモネが数本、可愛らしく活けてありました。
「アネモネ……」
わたくしの呟きに気付いたのでしょうか、マスターは一瞬手を止めてこちらを見ます。
「お花が御好きなのですか。一目で分かるなんて、若い女性には珍しい」
「ええ。この花が好きなんですの」
年齢の数だけ送られてくる薔薇よりも、この花が好きだわ。
カプチーノが差し出されるとき、マスターは何かを躊躇ってみせた後、おずおずと申し訳なさそうに口を開きました。
「人違いでしたら申し訳ありませんが、……もしや、チヤ子さんでございますか?」
瞬く間に衝撃が走ります。
「いかにも、南京財閥のチヤ子でございますわ」
わたくしはなるべく平静を装おうとしましたが、最後の声が震えてなりません。
そんなわたくしを余所に、マスターは感心したような、安心したような、不思議な、深い溜息をひとつついたのです。
「そうでしたか……貴方があの、チヤ子さんでございましたか」
「あの、と言うのは……?」
私の質問に、慌てたようにマスターは額の汗を吹き、細く優しい目を更に細めて答えます。
「これは、私の息子から聞いた話なのでございます。もう十数年前の話になると思いますが、一日だけ、たった一日だけ、私が店を開けなければならない日がありまして」
そこに店番を頼まれてくれたのが、息子の冬至でございました。
コーヒーの知識はさほどありませんが、一日くらいなら大丈夫だろうと思い店を頼んだのです。
「特に何もトラブルもないまま、一日が終わったそうなのでございますが」
「ええ、ええ」
「何分急な店番でございましたから、閉店後うっかりシャッターを閉め忘れたままにしてしまったのでございます」
すると夜も更けた頃、ドアを開くベルの音が聞こえ、うっかりしていた閉店を告げようとカウンターに顔を出せば、幼い子供が重い扉を開けているではないか。
見れば随分と良い召し物を身に纏い、おまけに自分の背丈ほどもあるクマの人形を抱きかかえ、今にも泣きそうな顔でこちらを見ている。
冷たく閉店を告げるなんてとても出来やせず、いらっしゃいませ、と一言かければ、糸が切れたかのように大声をあげて泣き出してしまった、と。
「どうすれば良いのか、本当に困ったようで。とりあえずあやしては落ち着かせ、泣きやむのを待ったそうです」
わたくしは言葉もなくマスターの話に耳を傾けました。
トウジ様。きっと、おそらく、彼が私の記憶の男性なのですわ。
まるで身体が宙に浮く気分でした。
何故だかトウジという名前がいやに気にかかるのも分からないくらいに。
「その幼い女の子はチヤ子と名乗り、ぽつりぽつりと自分の境遇を話し始めたそうです」
鉄棒となわとびと、ジャングルジムで遊んでみたい事。
皆と一緒に手を繋いで、お弁当を持って学校に行ってみたい事。
ピアノのお稽古の先生が変わってしまい、厳しくなったレッスンが嫌な事。
お母様にもっと甘えたい事。
お父様にもっと甘えたい事。
「息子は、こんなに小さな少女が束縛を受けている事に、少なからずショックを覚えたそうです」
そして何とか、この少女を救う事は出来ないかと、そんな事すら真剣に考え。
しばらくすると、女の子は自分を探す車が外をうろついている事に気付き、慌てて持っていたクマを自分に預けた。
捨てられてしまうかもしれないから、預かっていてほしいと。
大切な物なのではないのかと尋ねると、少女はにっこり微笑んで言ったそうです。
『だから、貴方にだったら預けられるのよ』
やけに大人ぶった口調に、息子は笑いを堪えながら約束をしました。
十年間、自分がテディベアを、責任持って預かっているという約束です。
「私が帰った後、嬉しそうに話すんですよ。女の子と約束をした、クマを預かった、と」
わたくしは両手を握り合わせて眼を閉じました。
脳裏で、思い出せなかった大事な欠片が脈うっているように感じられますわ。
何か。何か、大切な事。
思い出さなければならない、大切な言葉。
「息子はそれ以来この店に出て居りませんし、そのテディベアも、もしかすると息子が持っているままなのかもしれません」
「そうなのですか……」
飲み終えたカプチーノのカップを片付けながら、マスターは笑いかけました。
「チヤ子さんは今日、そのテディベアを取りに参られたのでございましょう?」
「ええ。でも、トウジ様がいらっしゃらないんじゃあ……」
「もしかすると、案外近くにあるかもしれませんね、そのテディベア。現実とはそんなものです」
そうなのかしら。
でも、この店に無いんじゃあ、これ以上ここに居る理由が見当たらなくなりましたわね。
トウジさんが今だに持っているテディベアも、彼が持っていて下さるのなら、私はそれで満足ですわ。
「マスター、話して頂いてどうもありがとう。ワタクシ、待たせている者がありますから、そろそろ失礼致しますわ」
「おや、そうですか……もう少しゆっくりして頂ければ良かったのですが」
「充分ですの。昔のままのワタクシではございませんから……」
扉の前まで来たとき、マスターは思い出したようにわたくしを呼び止めました。
「そういえばチヤ子さん。息子が嬉しそうに話していた中で、テディベアを受け渡す時の合言葉を決めた、とも言っておりました」
「合……言葉……?」
体中の血管がざわめき、むず痒い指先が一気に熱を帯びていくように。
「ええ。それはもう得意そうに。ええと確か……」
これよ。
これよ。
これだったんですわ!
わたくしが思い出さなければならない大切な事。
幼い私がクレヨンで紙に描いて、忘れないようにとした呪文のような言葉。
「「MysteryCircle」!」
【まいすとおりさーくろ】
…………。
これは恐らく、るとろを書き間違えたんだろうなぁ……。
私はスーツの胸ポケットから、久し振りに取りだした紙キレを眺めていた。
まさかお譲様が、十年時効ギリギリに思い出すとは思わなかった。
五、六年目ほどですっかり記憶から拭い去られていると思っていたが。
しかし合言葉の方はさすがに思い出せないだろう。
何せ幼い子供に英語を使ったんだ、聞き取れて平仮名に出来ただけでも驚きだったのだから。
もしも。
もしもこの合言葉がお譲様の口から聞けたなら、あのテディベアをお返ししましょう。
それまでは、ただの御側付として貴方の傍へ居させて下さる事を御許し願います、お譲様。
「高原ーっ!」
私は紙をポケットに素早くしまい、いつものように車の脇へ手を組んで佇んだ。
「待たせましたわね。さ、戻りましょう」
「はい」
車へ乗り込んだ後も、お譲様は上気させた頬で楽しそうに鼻歌を歌っている。
「テディベアはどうなりましたか」
「それね。いいのよ、もう。クマはもう返ってこないでしょうけど、大切な事を思い出したから……」
大切な事。
それってまさか……まさか。
「……お譲さま、お家へ戻られたらお話がございます」
「あら、楽しみね。高原が私にお話をしてくれるなんて、初めてだもの。なんのお話かしら」
車に備え付けの無線が鳴り、応答を求める声がスピーカーから流れて来る。
ああ、きっともう、バレてしまうかもしれないな。
大変私らしからぬ事でございますが、
目を閉じれば、モザイクのようなきらきらした断片が、残像のように蘇る話でございます。
「はい。こちら102番車、高原冬至でございますが……」
●《自己批評》
『MC三周年おめでとうございます!!
カラッパチですヒュッヒュー!!めでてー!!
いつもより多めに(奇声)発しております。
理屈じゃないんだノーリーズン。
全☆開(ドン☆)←遊戯王的効果音で行こうかと最初企んで居りましたが、お嬢のキャラが未消化なまま……しかしMysteryCircleの上手い取り入れ方が分からず、他の方の作品スパイしたいくらいでした。ミッションイズからぱっちブル。ポンデリングが食べたいです。
ところで最近好物リストに新たな食材が加わりました。
「鳥なんこつ」。
うっうっウマウマー(すごい関係無い話
それでは皆様よい夢を。
おやすMidnight!!!(着々布教中)』
●《お題当ての回答》
『折角の内藤さん出題なのですが…えふふふふ。』
●《その他私信等》
『看板(挿絵)に偽り有。
ちなみにタイトルですが、「嘘だ!」の子関係者様とは一切関係御座いません。』
《片翼てふてふ。 空蝉八尋》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎目を閉じれば、モザイクのようなきらきらした断片が残像のように蘇る話。
著者:時雨
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎鉄格子は錆びてざらざらし、冷たい雨の感触はぞっとしなかった。

著者:night_stalker
鉄格子は錆びてざらざらし、冷たい雨の感触はぞっとしなかった。まだ昼を過ぎて間もない時刻だと言うのに、中を覗けば陰湿と言うような表現が一番しっくり来るかのように暗く翳っていた。僕はその死体のような建築物を外から舐めるようにして一周し、それから覚悟を決めて、錆びて重くなった鉄の門扉を蹴るようにして押し開け、霧雨そぼ降る視界の悪い園内へと踏み込んだ。
そこはまさに、死体の如き廃屋だった。かつては人の息吹きがそこにはあったであろう建築物の死骸だった。僕は、至る所に散らばる得たいの知れない瓦礫を迂回しながら奥へと進む。遥か向こうから見える崩れた窓の明かりが妙に寒く感じられ、僕の足取りをさらに重くさせた。
僕はそこまで書き進め、ふとキーボードを打つ手を止める。果たしてこの物語の決着のシーンは、こんな書き出しでしっかりと重さを表現出来ているのだろうかと不安になりながら、何度も何度も読み返してみた。
もっと長く細々と書き込むべきだろうか。いや、これ以上の長さだとくどくなりがちな気がするかなとさんざ自問自答した挙句、僕は一つ大きな溜め息を吐きながらそこまでを保存してファイルを閉じた。どうせ時間はまだ沢山残っている。少しはゆとりを持って書こうかなと思いつつ、僕はそのままネットを立ち上げ、管理者掲示板と言うタイトルのリンクをブックマークの一覧から拾い上げた。
緩慢なスピードで画面が開く。そして僕は、途端に顔が緩む。今夜も掲示板はチャット状態のような雰囲気で会話が盛り上がっていたからだ。どうやら今夜の話題のネタは、先日にサイトへとアップされた、今月の《須藤加代子》の事らしい。確か今月の須藤加代子当番は、《BB令嬢》の筈。そして彼女は原稿を提出してすぐに、約一ヶ月の実家帰省旅行へと出掛けていた。恐らくは、本人がいない以上は好き勝手に言っても構わないだろうと言う意識の表れか、ログインしている管理者の面々は、勝手気ままに作品批評をして楽しんでいた。
そこは、ネット創作小説のサークル、《MysteryCircle》の管理者専用掲示板。そしてそこに集う管理者達は、自分達だけの秘密なる遊びに興じながらコメントの応酬をしている。
いつものように、少し辛口なる批評をするのは、この遊びに一番乗り気な《パトス大尉》 彼は辛辣に今回の須藤加代子の作品を評しながら、それでもそのミスマッチさをどこか楽しんでいるかのようにコメントをしていた。
そして、それに相手しながら大人な意見を並べるのは《七狼子(チーロゥツ)》さん。彼はいつも穏やかに、皆のムードメイカー的な納め方をする人だった。パトス大尉が今回の原稿は少し飛び過ぎじゃないかと意見をし、それを七狼子さんが苦笑的なイメージでたしなめる。だがそこに、いつもパトス大尉とは反対な意見を持つ女性管理者の《平芳ケイ》が同じぐらいの反論的な辛口なるコメントをする。どうやら今夜も相当に荒れるだろうなと思いつつ、僕は笑った。
我々が管理するこの創作小説サイト《MysteryCircle》だが、早いもので、後数ヶ月で創立三周年を迎える事となる。本当ならばもっとその記念すべき日に向けての企画会議等をすべきなのだろうが、どうにも最近の我々にとっては、目下の遊び道具である《須藤加代子》への興味が上らしく、企画の進行は遅々として進まない。尤も、ここの統括管理をしている僕であってもそんな気分なのだから仕方が無い。それほどまでに、僕らだけの遊び道具である《須藤加代子》には魅力があった。
《須藤加代子》とは、誰が発案したのかはもう既に忘れてしまったが、我々が一年近く前から始めた管理者達だけの余興的キャラクターだった。
それがどんな遊びかと言うと、我々だけが秘密を握る《須藤加代子》と言う架空のネットキャラクターを作り、そしてそれを《MysteryCircle》内部に措いて普通の参加者として振る舞わせ、その実状は一ヶ月交代で管理者達が中身となって入れ替わる、ゴーストライター操るマリオネット。つまりは、月毎に性格やら作品のイメージが入れ替わってしまうと言う、傍目にも不思議な女性キャラクターを演じると言う遊びだった。
勿論、総勢六人(尤も、正式な管理者として存在はしていないものの、システム面でバックアップしてくれるメンバーがもう一人いるのだが)の管理者達は、個々に性格も違えば紡ぎ出す作品も違う物書き達である。いくら須藤加代子のイメージを統一させようとして努力しても、それは無駄な事であった。
いやむしろ、統一させる努力すらも考えなかった。何故ならば、毎回イメージの違う彼女を見て違和感を感じるメンバーを見るのも面白かったし、そこまで性格の違う作品を書いて、いつ他のメンバーにバレるかと言う興奮も手伝い、誰もその須藤加代子の無軌道性を修正しようなどと考える者などいなかった。
そしてそれは成功し、須藤加代子の作品を読むMCメンバー達の中には彼女の異常とも思える多重性を見て、違和感を感じている者も少なくはなかっただろう。しかし、パトス大尉が管理する須藤加代子のブログが立ち上がると、彼女を一人の人間として認め接触をして来るメンバーも案外と多くいた。こうして須藤加代子がMCの参加者として動き出し一年が過ぎた頃には、そのキャラクターはメンバーの一人として確立し、認知された。こんな嘘ならバレても誰も文句は言わないだろうと言う安心感もあり、管理者の間ではその遊びがエスカレートして行く一方だった。
僕はモニターに意識を戻す。もはや完全にチャット状態となった掲示板では《BB令嬢》の書いたファンタジック・ホラーへの賛否両論意見で大きく賑わい、悪乗りしているかのような極論を並べるパトス大尉に、平芳ケイが食い下がる。僕はそれを見ながら苦笑をし、そろそろやめさせようかとコメントを入れようとした所に、いつも純朴で物静かな男子高校生管理人である《緋鎖》が、先にコメントを書き込んだ。
「こんばんは。今、MCを覗いたんですが、今回のあの須藤加代子のコメントはちょっと行き過ぎじゃないでしょうか? 俺的には、あれはちょっと失礼なように見えるんですけど」
全員のコメントが止まる。瞬間、僕もピンと来る。
(また、例のコメントか?)
恐らくは、緋鎖君のそのコメントを見てMCを覗きに行ったのだろう。僕もまた、挨拶も返さずに別窓を開く。
自然、僕の口から言葉が漏れた。 「何だよ、これ……」
すぐにコメントが更新される。パトス大尉だ。
「又かよ。誰だよ、このコメント。別に誰が彼女を使ってコメントしてもいいけどさ、少しは他人に気を使って書き込み出来ねぇ?」
誰も何も言わない。恐らくは、いつもの通りに誰にもその心当たりが無いのだろう。僕は最新のMC記事に付いた他のメンバー作品を笑いながら貶すようなコメントを見て、少しだけこの遊びの未来に不安を覚えた。
(この中の誰かは、このキャラクターに悪意持っているな) 僕はそう思いながら、そのコメントを削除すべくログイン画面を探し出す。
これは完全に、須藤加代子と言う人間が存在していない事を知っている者の嫌がらせか、もしくはこの遊びに対し悪意か過激なるエスカレートを望む管理者の誰かの陰謀が感じられた。その時の僕は、その程度の認識しか持てなかった。まさかそれが悪意ではなく殺意だったなど、その時の中傷に近いコメントの中から拾い上げるには、僕達の想像力では足りなかったのだ。
翌日の朝。僕はあまり興味も惹かないテレビのニュースを流しっぱなしにしながら、焦げて乾いたトーストをだらだらとした態度のまま珈琲で喉の奥へと流し込む。いつもの孤独なる平日の朝だった。
時計を見ながら今日は少しだけペースが早いなとか思いつつ、僕は空になった皿を流しに置いてマグカップに珈琲を継ぎ足し、そしてテレビの前へと移動する。ソファーに腰掛け落ち着くと、ニュースは朝から陰惨なる話題を垂れ流していた。
テレビ画面はブルーシートに囲まれた小さな公園を映し出す。八王子市の某所にて、二十代の男性が鋭利な刃物で滅多刺しにされると言う事件を報道する。どうやら男性は、致命的なる箇所をいくつも刺され、ほぼ即死のような失命をしたらしいとレポーターは報じていた。
(嫌な話だな) 僕はそんな事を思いながら、熱い珈琲を啜る。それと同時に、自分とは関係の無いと言う事実にどこか安堵をしている自分を感じる。人間とはいかに自分本位なものだろうと軽い嫌悪を感じながら、次の瞬間にはそれは大きな間違いだった事に気付く。
「殺されたのはこの現場である公園近くに住む織江新一さん二十三歳と見られ、現場周辺では事件の目撃者を……」
それは、ほんの数秒の事だった。どこかで聞いた名前だなと思った次の瞬間には、それは昨夜に同じ掲示板の中で言葉を交わした管理者の一人と同じ名前である事を思い出していた。
(パトス大尉と同じ本名……?)
僕は知っている。彼の本名を知っている。単なる同じ管理者でネットだけの付き合いなのは判っていても、僕は過去に一度だけ彼に郵便物を送った事がある。それはMCメンバー同士で作った同人誌。それを一度だけ、彼に送った記憶があるのだ。
僕はすぐに携帯電話を取り上げて名前を検索する。すぐにそこにパトス大尉と言うネットの中の名前を発見し、僕はメモ書きを確認する。織江新一。八王子の住所。間違い無く、先程報じられた被害者と同じ名前だ。僕は嫌な気持ちを振り払おうとすべく、その検索された名前に添えられている携帯電話へのメールアドレスを選択し、メール本文を書き入れる。
なるべく普通の話題。なるべくどうでもいい話。僕はそう思いながら、最近の須藤加代子を名乗る正体不明のコメントへの非難を並べて送信した。
彼からのメールは、結局夜まで待っても返っては来なかった。
「パスワードの変更を考えようか」
そうコメントしたのは、七狼子さんだった。
僕はパトス大尉の件を誰にも話す事無くその夜を迎える。思い悩んではいたのだが、管理者掲示板の中ではもっと他の事件にて揉めていたのだ。それは、我々の遊び道具である《須藤加代子》の事だった。その晩に書き込まれた掲示板の第一声は、七狼子さんの書き込んだ、「須藤加代子は独り歩きしているぞ」だった。
先日アップされた、最新号のMC原稿に手が加えられていた。内容が勝手に編集されていたのだ。
だがそれは、一見すれば大した事の無い事でもあった。メンバーの側から見れば、普段から目にする程度の事でしかなかったからだ。しかしそれは同時に、我々管理者側から見れば恐るべき事だった。有り得ない事実が、そこからは読み取れたからだ。
書き加えられたのは、BB令嬢の書いた須藤加代子の原稿。作品文中に一行だけどうにも浮いている意味の成さない文字が挿入されている。勿論その記事には須藤加代子の名前の入ったコメントがあり、その問題である一文を挿入してくれと言う依頼がその内容である。これがメンバー側からみればどうでも良い当たり前な事でしかない。だが、我々管理者側から見れば、これが問題でなければなんであると言うぐらいの問題だった。なにしろその問題である一文を、コメント通りに挿入をした管理者が自分であると名乗り出る者が誰一人としていなかったからである。
つまりはこうだ。管理者全員の意見を信用するとすれば、このコメントを書いた須藤加代子と名乗る人物はここにいる管理者の誰でも無い上に、勝手にMC管理画面へとログインが出来て、勝手に作品やら記事をいじれる者となる。勿論、いつもの如くにプロキシの入ったそのコメントからは、意味の成さないIPしか拾えない。
「もしかしてこれ、システム担当の荒木君じゃないの?」
唯一、正式なる管理者ではない者の名前が挙がった。必然的にそんな声が出るのは既に予感されてはいた。実際僕もそれは先に思い、事前に彼には連絡を取った。だが彼は、この記事が上がっている頃は大学にいたと主張しているし、僕はリアルで彼を知っている上に良く僕のアパートにも遊びに来る。それが信用へと繋がるかと言えば全く根拠の無い願望に近いのだが、僕にはどうにも彼がそんな事をするような人間には見えないのである。
荒木君とは、この《MysteryCircle》内部に措いては少々特異な位置にいる管理者だった。特に管理者掲示板などでの交流は求めず顔も出す事無く、時々インしてはシステム面での強化やリンク更新などをしてサポートしてくれる青年である。従って彼は、この《須藤加代子》の遊びを知っているかどうかも怪しく、普段からその実体を目にしている以上、彼はパソコンをいじる事と論理的で哲学的な小説を書く以外の興味を見た事すらない。そしてたまたま彼が僕の部屋に遊びに来ている時に、僕から管理者へと誘った。彼が非常にパソコンの知識、サイト構築の知識が豊富だと言うのを間近に見たからである。
「なんとなく、彼じゃないと思う」
僕がそうコメントすると、自然に皆も同意見のようなコメントを続けた。皆も彼の人柄やその性格はある程度知っているし、知っているからこそ疑えない。何しろ彼は、彼が持つ知識と趣味以外には本当に何の興味も示さない人だったからだ。
「これは是非、パトス大尉にも意見を聞きたいんだけどね。珍しく彼はまだインしてないようだ」
そうコメントしたのは七狼子さん。それを聞いて僕は言い澱む。果たして今朝のニュースの事は、全員に話すべき事なのかと。
そう思っている内に、「大尉は須藤加代子のブログの方を更新してますね」と、緋鎖君がコメントする。僕はそのコメントを見て内心ホッとした。何だ、今朝の事件は同姓同名の別の人の事であって、全ては僕の杞憂だったのかと言うような考えがすぐに湧いて出た。
そして僕は、胸のモヤモヤが一気に晴れて行くような気分でそちらのブログへと飛ぶ。そして、つい先程更新されたばかりの記事を読む。
スっと、血の気が退くような感じだった。僕はその瞬間から、これは完全にMCと言う創作サークルを中心として何かの異変が起きている事を感じ取る。
僕はそのまますぐに、MCブログの管理画面へと飛んだ。そしてすぐに、パスワード変更の画面を呼び出す。そうしてから、管理者掲示板にパスワードを変更した旨を書き込み、その内容は全て各個人の携帯電話へとメールで送る事を伝えた。
「どうしたの?」 思った通り、そこにいた全員が僕の取ったいきなりな行動に疑問の声をぶつける。
僕はやはり話しておこうと心に決め、さてどこから話すべきかとそちらの方で悩んだ。
須藤加代子のブログが、モニターの端に映る。そこにある最新の記事は、今朝僕がニュースで観た東京都多摩地区の八王子某所で起こったパトス大尉と同姓同名の青年の殺害のニュースを取り上げる、社会風刺な記事だった。
「そんなバカな!」
そう言ったのは、七狼子さん。他の管理者はと言えば、朝から連絡の取れないパトス大尉と帰省中でイン出来ないBB令嬢の二人以外全員が来ている筈だが、無口で知られる緋鎖君は元より、普段からパトス大尉と同じぐらいにお喋りな平芳ケイのコメントもあまり目立たない。どこか何か、そこに違和感を感じた。だが彼女にしてみれば好敵手とも言うべき人間の生死が賭かっているような話題なのだ。口数が少なくなるのは必然なのかも知れない。
「信じられない事でしょうが、僕はありのままを語っていますよ」 僕は七狼子さんのコメントに返事をかえす。
「そのニュースで報道された犠牲者が彼なのかまでは判りません。ですが、彼と連絡が取れなくなっているのは事実なんです。そして同時に須藤加代子を名乗る人間に勝手にMCのサイトを操作された。更には連絡が取れない筈の大尉が管理する須藤加代子のブログまでもが操作されている。しかも内容は、大尉と同姓同名の男性が刺し殺される事件への風刺記事。そんな訳で、勝手ですが僕はその時点でブログのログインパスワード変更を行使しました。それで僕の行動の説明は理解出来ますか?」
僕のコメントに七狼子さんは一言、判ったとだけ返事をくれた。他の管理者からは、何のコメントも無い。
「それは本当に事実なのかい? 君は時々、本当に間の抜けた間違いをするからなぁ。前にも平芳君から聞いたが、君は彼女に送った郵便物の宛て先の名前を間違えてたらしいしね。とりあえず今回も、その手の間違いである事を願うよ」
七狼子さんはそう言って、ログアウトをしたようだった。
僕はと言うと、とてもではないがまだ眠る気にもなれず、パトス大尉がMCメンバーの書き手として名乗る彼のブログを開き、過去の記事を読んでみる事にした。
知的で高飛車。強気だがインテリ。常識性やら道徳性について厳しい事を言う反面、自分の言動にはあまり頓着しなかったネット上の彼。余暇には貯まったビデオを観る以外の趣味は無さそうな部屋だったと伝えられるリアルの彼。そんな性格の彼が残した記事の群れは、リアルでの彼とネットでの彼との大きな隔たりを証拠付けていた。
テレビで報道された同姓同名のその青年は、別の場所に住む父親に援助をしてもらい、定職にも就かずに引籠もり同然な暮らしをしていて、他人との交流もあまりない引っ込み思案な性格の青年だったと伝えていた。だが、彼が書くその記事の群れには、某ソフト会社のプログラマーで年収もそこそこあり、いかにも人望に長けた人付き合いの良い人間が自分であると主張しているような内容のものが多かった。自分には、自分とは全く性格も能力も違う出来の悪い兄が一人いて、時々面倒を見てやっているとも書いていた事があった。これが、リアルとネットとの大きな差なのか。彼でさえもこの世界では誇張のある別人格で振舞っていたのか。僕はそう言う事を考えながら、少しだけ悲しくなっていた。
そして僕は、今度は最新のMC作品の記事を別窓で開いてみる。そして、BB令嬢振舞う須藤加代子の作品の中にある問題の箇所を探し出す。
僕にとっての問題は、そこにあった。例え同じ管理者と言えども、誰にも相談出来ない問題がそこにはあった。僕は親の仇と思えるような目でその箇所を見詰め、この一文には一体どんな意味があるのだろうと思い悩んだ。
BB令嬢の書いた作品の一部分にある、「そうして私は、公園の一角で躓き転んでしまった」の後に続く、「そしてインディアンは五人になった」の追加の一文。これを管理者達が見れば、まんま殺人予告のように取れる。だが、僕だけは違った。僕はその一文を見て、心底凍り付くような心地になった。
僕は書き掛けの作品を収納しているフォルダを開く。そしてその中から《ゴーストライター》と銘打たれたアイコンを探し出し、クリックする。大量のテキストが並び始める。僕はその文章をスクロールさせながら、気になる一文を拾い出す。
良く似ていると思った。僕が、有名なる某女流作家の作品を拝借して書いたその作品の一部分、その最初の殺人が起こった時の描写が、そのままそれに当て嵌まるような気までした。
最初の管理人は、深夜の公園で殺された。
そして管理人は五人になった。
「とんでもない記事を上げている人がいますよ」
そんなメールが緋鎖君から僕の携帯に届いたのは、会社での昼休みの時だった。僕はすぐに返事をする。一体何事だと。
「メンバーの十六夜雷羅さんが、御自分のブログに二人きりのオフ会を開いたと言う記事を上げています。問題は、そこで逢った人の名前です。誰だと思いますか?」
僕は少しだけ苛立つ。昼休みにメールをして来るぐらいなのだから、相当な事な筈だろう。そして今は、どう言う訳かMCを中心とした何かの異変が起こり始めている。そんな時に、わざと疑問を投げて返事を待つような真似なんかしないで、その内容の中心を早く話せと言う気分で返事を打つ。だがもしかしたら、その相手はパトス大尉だと言うならば、彼も勿体ぶる価値はあるだろうとも考えた。僕は、そんな希望的観測も交えて返事をした。
だが、そこから返って来た返答は、更に予想を上回る。僕はそのメールの文面を読みながら、吐き気に似た不快感を感じていた。
「オフで逢ったのは、須藤加代子だと書いています。そして、須藤加代子のブログにも同じ事が書かれていますよ」
息を吐くのを忘れる。同時に思考も停止する。理解の範囲を超えた事実がそこにはあった。
ネットの中で須藤加代子が独り歩きするまでならば、まだただの疑問で済む問題だろう。そこにはまだ何かのマジックの種が伺えるからだ。だが、リアルに須藤加代子が現れる以上、それは悪意の混じった何かの意図か、そうでなければ単なる出来の悪いホラーだ。まるで数年前に流行した、呪いのビデオの幽霊だ。バカげている。僕はそう思いながら、メールへの返事はせずに携帯電話を閉じた。
だがすぐに、再び彼からのメールが届く。僕はまだ麻痺した思考のままで、そのメールを開いてみた。
「信じられない話でしょうが、一応証拠らしきものを送ります。十六夜さんが撮ったと言う、須藤加代子の顔写真です」
僕はほんの少しだけ躊躇したものの、その次の瞬間にはその添付ファイルを開く操作を指が行っていた。
じわりじわりと緩慢な動作で開いたその写真には、確かに女性らしき顔写真が載っていた。どこの店内かは知らないが、露光のミスで顔の上半分が霞み掛かって消えているその姿は、まるで口だけが笑う白いのっぺらぼうの仮面のようで、まるで僕には幽霊以上に幽霊掛かって目に映った。
結局、一週間が過ぎてもパトス大尉が掲示板にインする事は無かった。彼と同姓同名の青年が殺された事件についても、犯人へと結び付く有力な手掛かりは無い様子だった。
但し、彼の事件を報道するレポーター達の言葉には辟易した。これだけ人付き合いが悪く、趣味らしい趣味も無い人間が殺される以上、恨みの原因の方が疑問であると言うような言い草にである。
それには僕に限らず他の管理者達も憤慨をした様子だった。確かに彼は口は悪かったが、ただちょっとだけ熱くなったり他人を嘲るような表現をする以外、実に社交的で多趣味な人間だった。決して……そう、変な表現にはなるが、決して他人から恨みを買わないような人間ではなかった筈だ。だが、そんな事を考えながら、自分で自分に嫌悪する。これではまるで、殺された青年はパトス大尉であると確信しているような言い方ではないかと。
依然、管理をしている人間が不在のままで、須藤加代子のブログは地味にも更新を続けていた。あれ以来特に大きな事は無かったのだが、須藤加代子と言うキャラクターが我々の手を離れて行動しているのを見ている以上、もはや僕達の間でも、前のように彼女の中身の一人としてコメントをしたりする事も無くなっていた。
そうしている間にも、《MysteryCircle》は次の回を迎える。皮肉にも、その月の須藤加代子の当番はパトス大尉だった。一応出題には須藤加代子の名前はあったが、彼が不在な以上はきっと原稿も載らないだろうと予想していたし、むしろ今の須藤加代子を語っている人間に対し、「彼と同等の原稿を書けるならば書いてみろ」と、煽りたくなるような気持ちさえあった。
だがはやり、受け付けたメールフォームの中には彼女名義の原稿は無かった。僕は少しの落胆と、大いなる安心とで編集作業に入り、その締め切りの夜には須藤加代子の欄だけ空白のままで作品の載った記事をアップした。
翌日の朝、僕が起きる直前に見た悪夢が現実となっている事をそこで知る。
須藤加代子が著者名となっている欄には、パトス大尉顔負けなサスペンス小説が掲載されており、その文中には一箇所だけ、完全にその作品から浮き上がって見える一文までもが挿入されていた。
「そうして泥酔して足取りも不確かな彼女は、ビルとビルの隙間の暗がりで、背後から忍び寄る足音にも気付けないままに殴り倒される」
(そして、インディアンは四人になった……か)
既に全て書き終わり、後は推敲を残すのみとなった僕の原稿に、二つ目の符合が生まれた。
但し僕の原稿の中では、ビルとビルとの間の暗がりで鈍器にて頭の原型が無くなる程に殴り殺されている描写である。その点だけは、まだ彼女の方が優しい。
「そして管理人は四人になった」
僕が小声でそう呟くと、朝のニュースの中に平芳ケイの本名を読み上げるレポーターの声を聞いたような気がした。
「俺、彼女と接触して来ます」
高校生の緋鎖君は、その晩の掲示板にそうコメントをした。
僕は止めた。当然、七狼子さんも同じだった。だが普段は大人しくて遠慮がちな彼が一旦そうやって何かを決断した場合には、決して誰にも止められないぐらいに意思が固い事を知っていた。
「いや、もう既に彼女にはメールを送っているし、デートの約束も取り付けています。でも、御安心を。いくら何でも用心して接触する俺に対し、女性の腕力で下手な真似をしてくるとは思えませんから」
どうやら彼は、完全にその行動に対し決心を固めている様子だった。しかも、聞けばその約束は明日の午後だと言う。先程と同様に僕と七狼子さんは必死で止めるが、どうにも彼は聞く耳を持たない。
「大丈夫です。とにかく俺は、彼女が一体どんな意図で須藤加代子を名乗っているかを知りたいだけなんですから」
その日の夕刻には、東京の吉祥寺で起こった女性会社員の暴行事件を取り上げた記事が、須藤加代子のブログに掲載されていた。
ビルの暗がりで殴り倒された女性の名は、平芳ケイの本名と同じだった。一応その女性は死亡してはいないが、未だに意識不明の重態だとニュースは報じている。七狼子さんは、どんな用心があってもそれは危険だと再三忠告はするのだが、恐らくは少年の持つ義侠心に似た正義感がそうさせるのだろう。彼は頑なに、「俺は行きますよ」としか返事をしない。
僕はこっそりと、彼に直接メールを打った。もしも何かあったなら、すぐに連絡を寄越せと。そして彼は、「はい」と返事を寄越す。そしてそのメールは、彼から届く最後から二通目のメールとなってしまった。
翌日の夕方、彼から来る最後のメールは本文の無い空のメールだった。僕はすぐに彼へと電話を掛けるが、非情にも電子音のような無機質なるアナウンスが返って来るばかりだった。
夜には、苗字だけしか名前を読み上げられない男子高校生が、何者かに駅の階段から突き落とされて首の骨を折り即死すると言うニュースが流れた。
そしてそれはきっと緋鎖君なのだろうと僕は思った。何故ならば、何のコメントも入らずにこっそりと、彼がMCメンバーとして書いた原稿の一部に例の一文が挿入されていたからだ。
「僕は自由を掴み取る為に、思いっきり羽根を開いて空へと舞った」
(そして彼は自由を掴もうとするかのように、思いっきり腕を広げて宙へと跳ねた)
少しだけ、ニュース関連の内容が気になった。死ぬ間際だっただろう彼が僕へと届けた空のメール、果たして警察はそれを見て僕へと連絡はして来ないのだろうかと。
「そしてインディアンは三人になった」
(そして管理人は三人になった)
緋鎖君が消える前に上げた記事に、須藤加代子からのコメントが入っていた。僕は瞬時に頭に血が上るの感じつつ、そのコメントを読む。それはMC三周年を祝うコメントで、それと同時に出題指名を受けた彼女がお題となる文章を送ったので確認してくれと言う内容だった。
僕はそのまま管理者用のフリーメールを開く。そしてそこの新着一覧の一番上に、その問題のメールはあった。
「次のお題は、この本からの出題でお願いします」
僕の背中がざわりと波打つ。すぐに気付く程に知っている一文がお題として並ぶ。僕はつい最近、必要に迫られてこの本を何度も再読していた。どのお題の文章も、とあるシーンに掛かる重要な役割を果たした不吉な一文だ。
お題となったのは、僕が書く《ゴーストライター》が元となる、アガサ・クリスティーの、「Ten Little Indians -そして誰もいなくなった-」だった。
そして僕は更に愕然とするものを見付ける。僕に割り振られたお題には、まるで僕の書き上げた作品がそのまま当て嵌まってしまうようなお題が押し付けられていた。
その号のラストを締めるのは僕の名前。そしてそのお題の最後には、「後には誰もいなくなった」と言う一文が添えられていた。
「うん、君の原稿は読んだよ」
七狼子さんは、インするなりそう言った。
僕は、あまりにも自分の書いた作品の内容に一連の殺人が酷似している事を伝え、そして彼に原稿を送って読んでもらったのだ。
「正直言えば、これは酷似していると言うよりも、これになぞらえて起こしている殺人だとしか思えない。君はこの原稿を私以外の誰かに見せた事はあるのかい?」
「いいえ、ありません。むしろ僕は、MC三周年の企画までは誰にも見せる予定も無かったし、その原稿の存在を語った事も……えぇ、ありませんでした」
僕は一つだけ何かに引っ掛かったが、特に何も支障は無いだろうと思いながら素直にそう答える。しばらく時間を置いてから、ようやく彼からのコメントが入る。
「もう、こうして原稿が出来上がっているいる以上、君がこれを書き直したり消去したりしてもあまり意味を成さない行為になるだろうな。だが、こうして殺人の経緯が判った以上、こっちにも打つ手は存在する事になる。一応私的には君に感謝だよ。これで私が殺される確率はぐっと低くなった訳だからね」
彼はそんなジョークを飛ばして、コメントの最後には笑い顔の顔文字までをも入れていた。彼は伊達に人生を経験して生きてはいない。そんな貫禄が彼には見受けられた。
僕がそんな彼を頼もしいなと思った時に、思いも寄らない人からのコメントがそこに入る。それは、実家へと帰省すると言ったまま何ヶ月もインをしないで姿をくらましていた、BB令嬢だった。
「一体……何?ここで何が起こっているの?」
どうやら彼女は、全く何も知らずにログインをした様子だった。そう言えば僕も、彼女はネットへと繋げる環境では無い以上、無用な連絡は控えておこうとして何も教えてはいなかった事を思い出す。僕は一部始終を教えようかと思ったが、どうやら彼女は掲示板の過去ログを遡って読んでいるらしい。僕達が呼び掛けても何の返事もなかった。
そうして彼女を置き去りに僕と七狼子さんとの会話を優先させていると、ようやく彼女は全てを読み終わったらしく僕達の間に割り込むような形でコメントを入れて来た。
「私……もしかしたら幽霊を見たかも知れない」
彼女の謎のコメントに、僕と七狼子さんは聞き返す。だが、一向に彼女からの返答は来ない。
見ればインはしている。見ている筈なのに、全く返事がかえる様子が無い。一体何を悩んでいるのかと思った瞬間、七狼子さんからのコメントが入る。
「手遅れかもね。ここの彼女の原稿、読んでみるといいよ」
彼が提示するURLへと飛ぶ。それはBB令嬢が前々回の須藤加代子の原稿と平行して書き上げた、彼女の本来のハンドルネームの作品だった。
「何となく、ぼんやりと読んでいた。まさか、ここで書き変わっているとは予想出来なかった」
彼は言う。確かにそうだろう。彼がそれを指摘してから、それに遅れて白々しい須藤加代子のコメントが付いたのだから。
「彼を見掛けたわと、私はウキウキしながらそう言った。まさかその彼が、そこに一緒にいたとは知らないままで」
(お化けを見掛けたわと、私は背後にいる人に向かってそう言った。まさかその背後の人物こそがその人だとは思いもせずに)
出来過ぎている。そして最後の生き残り二人は、僕と七狼子さん、彼だけだ。これはあまりにも白々しく、そしてあまりにも単調過ぎる展開だ。
「そしてインディアンは二人になった」
(そして管理人は、残る二人となってしまった)
君は私が犯人だと思っているんだろうと七狼子さんは言う。僕は正直に、そうとしか思えないからこそ余計に全てが信じられないと答えた。
「そうだろうね。そして私は、君こそが犯人だと今の瞬間確信したよ。だってそうだろう? 君以外にこの原稿通りの殺人は起こせない。そしてもう一つ。管理者全員の名前と住所を知っているのは、過去に皆に同人誌を送った事のある君だけだ」
僕はそれを聞いて、自らの呼吸が止まるのを感じた。同時に、激しい頭痛のような眩暈と痛みも感じた。
反論は不可能だった。むしろ僕こそが、その意見に納得し、賛同していた。それはあまりにも盲点で、僕だからこそ思い付かなかった事実だった。
だが、どうして? どうやって? 僕には僕が、「やっていない」と言う事実は知っているし、その手段すらも判らない上に動機も無い。そして僕には分裂症の気こそはあるが、夢遊病の類は持っていない筈だと思い浮かべていた。
「では、これにて。私も自分の命は惜しい。私はこれから警察へと出向いて全てを話す事にするよ。でも、今まで君達とこのサークルをやってこれた事には感謝しているよ。とても楽しかった。これは嘘じゃない」
それは僕もですよと彼へと返す。きっとお互いに本心と尊敬には嘘は無いと感じた。
だがそれでも、きっと彼は言った通りに警察へと出向く事だろう。そして僕はきっと、最有力なる容疑者として任意同行を求められるのだろう。さようならと来るコメントに、僕も同じ返事をかえす。そしてその晩は、久し振りにゆっくりと眠れる夜となった。
何しろ、生き残りはたった二人なのだ。そして、犯人だろうと思えるのは僕自身なのだ。ならば僕は殺されない。そんな麻痺した結論のまま迎えた朝は、僕がとうとう孤独になってしまったと言う悪夢たる事実だった。
思った通り、その夜の内に七狼子さんの作品には例の一文が書き加えられていた。
彼が実ハンドルネームで書いたアダルトな恋愛ストーリー。恋人である女性に首を絞められ、それを拒む事無く受け入れて次第に薄れて行く意識。その後に、例の台詞は続いていた。
「そしてインディアンは独りになった……か」
そして今度は、僕の台詞の番だった。
だが僕には、まだ一人このゲームの参加者がいる事を知っている。そして誰もいなくなったと語るにはまだ早いと、僕の頭脳は雄弁に語っていた。
僕は自分の書いた原稿を反芻しながら考える。そして答えは、須藤加代子。彼女のブログにあった。
それは、都内某所にあるかつての小さな遊園地の廃屋。取り壊しも決まらないまま放置され続けて来た建築物の死骸。そんな存在が、僕の書いた作品のイメージ通りな様相で、彼女のブログに写真が掲載されていた。
呼ばれているのだと思った。そして、これこそが最後のゲームなのだと、そこで僕の思考は確信に変わった。
鉄格子は錆びてざらざらし、冷たい雨の感触はぞっとしなかった。まだ昼を過ぎて間もない時刻だと言うのに、中を覗けば陰湿と言うような表現が一番しっくり来るかのように暗く翳っていた。僕はその死体のような建築物を外から舐めるようにして一周し、それから覚悟を決めて、錆びて重くなった鉄の門扉を蹴るようにして押し開け、霧雨そぼ降る視界の悪い園内へと踏み込んだ。
そこはまさに、死体の如き廃屋だった。かつては人の息吹きがそこにはあったであろう建築物の死骸だった。僕は、至る所に散らばる得たいの知れない瓦礫を迂回しながら奥へと進む。遥か向こうから見える崩れた窓の明かりが妙に寒く感じられ、僕の足取りをさらに重くさせた。
バキリと僕の足の下で何かが折れる。僕にとってはそれが腐蝕した人骨のような感触に思える程、その場の持つ雰囲気に恐怖を感じていた。
小さな遊園地だった。ジェットコースターや大型のアトラクションなど、設置の望みも出来ない程に小さな遊園地だった。雨に濡れる黒く錆びたメリーゴーラウンドや、各所に転がるコインで動く電動式の木馬などが怖いほどに哀しく見えた。
かつてはこんな場所でもそれなりには繁盛し、人も来た事だろう。例え派手な演出の遊具は無くとも、それなりに子供を遊ばせる事の出来る施設だったのだろう。
だが、そんな面影がそこに滲み出るかのように存在する廃屋は、余計に惨めで哀しかった。転がる遊具は全て死者であり、それを全て受け入れているその場所こそは、死者達が眠る墓地そのものなイメージだった。
僕は、煙る雨を避けるようにして半地下となる屋内施設へと踏み込んだ。廃屋となった建造物に当たる静かな雨の音が、例えようもなく寂しく聞こえる。どうやらそこはレストランのような施設だったらしく、至る場所に埃の積もったテーブルや椅子が散乱していた。僕は、無造作に積まれたその障害物を避けながら奥へと進む。そこに探している相手がいると言う確証など何も無かったのだが、僕の勘は、彼女はそこにいるぞと告げている。
横たわるペンキが剥がれ切った大型の人形を避け、積まれたスマートボール系の筐体の山を避け、奥まる暗がりの廃屋の一室に、白いスーツの彼女はいた。やはり彼女は、僕をそこで待っていた。
「お待ちしてたわ。ようこそ、night_stalkerさん。いえ、親しみを込めて内藤さんとお呼びすべきかしら?」
そう言って、須藤加代子は笑った。確かにそれは、送って貰った写真の中で見た笑い顔の口元と同じだった。
長く黒い髪。冷淡なイメージを感じさせる整った顔立ち。そして、均整の取れた肢体を包む白いスーツの上下。スカートの膝下から覗く黒いストッキングに、白いハイヒール。両手に嵌めた白い手袋すらも、薄暗がりの中の彼女には良く似合っていた。
彼女は前以て、そこだけは綺麗に拭き掃除でもしていたのだろうか。彼女が椅子を引いて立ち上がったその一角だけは、廃屋の中から浮いて見えるぐらいに綺麗に見える。
「どうぞ、お座りになって。良かったらお茶でもどう?」
優雅に語り掛ける彼女を無視し、僕はなるべく感情を殺したような声で、「須藤加代子さん?」と聞いた。
彼女はそう聞かれる事を予期していたか、「えぇ」と薄く笑いながら返事をする。僕はゆっくりと彼女の立つテーブルの近くまで歩み寄り、勧められた椅子には腰掛けないまま質問をした。
「皆を殺したのは君なんだね?」
ノーと言うように、彼女は首を横に振る。
「もう、このゲームの参加者は君と僕しかいない。君じゃなければ犯人は僕だと言う事になる」
イエスと、大きく一つ首を縦に振る。
「確かに僕は、心の病にかかっている。鬱で、分裂気味で、多重人格的な部分もある。だが、僕には彼等を殺す動機が無いし、恨みもなければ殺した筈の記憶も無い。だから僕は、事実を知りたくてここに来た。君はこの事件の全貌を知る人間なんだろう?」
ふふふと、彼女は笑った。そして彼女はその笑い顔のまま俯くと、その姿勢のままで堪えていた笑いが堰を切ったかのように、長く高い狂気染みた笑い声へと変化させる。轟く彼女の笑い声は、ひびの入った廃屋の壁や天井に突き刺さり、その声だけでこの老朽化した建物を崩壊させてしまうようなぐらいの威力を持っていた。
ガバと、音が聞こえるぐらいの勢いで、彼女の顔が持ち上がる。僕はそこに、狂気の色が浮かんだ彼女の両目を見た。そして彼女はその笑い顔を顔面に張り付かせたままで、僕の想像の遥か上にあるような説明を始めた。
「貴方は、今自分がどんな世界のいるのか判っているの? そして貴方と言う存在は、この世界に措いて実に曖昧なものだと言う自覚は持っているの? 貴方はきっと、自分の書き上げた作品の通りに事件が進んで行く事実に困惑している筈。でも、それと同時に自分の繋げた導火線が順に点火して行くのを見て、満足げに笑っている自分もその中にいる。それは判っているの? 理解出来ているの?」
彼女の腕が宙を泳ぐ。まるで彼女の周りの空間に存在する、空間の繋ぎ目を探しているかのように。
「この世界は、貴方が作り出した世界なのよ」 彼女の笑顔の中から目だけがその呪縛から逃れ、その鋭い視線が僕の両目に突き刺さる。
「貴方はこの世界で、貴方の友人である管理者達を殺して回る。でも実際は誰も死んでいない。だってこの世界で起きた事なんか、たった一枚の紙が紡ぐ空想でしかないんだもの。それが証拠に、どの管理者達だって、実際のハンドルネームをちょっといじっただけの似たような名前でしょ? そして故意に全員の性別を逆転させている。全ては貴方が書き上げた作中の登場人物以上ではないのよ。死んだも何もなく、貴方が考えて拵えた出来の悪いミステリー小説以上では無いのよ」
何を言っているんだ? 僕は彼女が語る話の内容には全く思考が追い付かず、まるでエコーが掛かっているようなその声を麻痺し始めた脳内で何度も繰り返して反芻するばかりだった。
「まだ判らないの?」 彼女は言葉を続けた。
「貴方は、私。私こそが、この世界の中の貴方。内藤と、須藤加代子。幼稚な語呂合わせね。そのまんま貴方のハンドルネームじゃない? つまりは、管理者全員の性別の反転があるならば、貴方の逆は私になるのよ。だから貴方はこの世界での異端なの。いてはいけない存在なのよ。貴方が作り上げた世界に、貴方が実在の登場人物として存在してしまう。同じ魂の人間が今ここに二人存在している。だから貴方は事の全てに気付けないし、困惑するばかりなのよ」
彼女の言葉が少しの間静止する。
風が出て来たみたいだった。屋内に少しだけ残った窓のガラスが風に煽られバタバタと鳴っていた。
「全て貴方の書き上げた原稿の通りでしょう? 貴方は実在する管理者全ての名前を使って連続する殺人ミステリーを考え付いた。そしてその作中には既に出来上がっている台本があり、その通りに人が殺されていくのを自分一人だけが知っていて、結局は最後まで何も出来ない。最後に自分の命が狙われるまでね。そして今がそれよ。貴方の書き上げた原稿では、この後は一体どうなるの? 貴方の原稿通りに犯行を重ねて来たのは、何と自分の書いた作品の中の自分自身だった。その世界の中で、生き残れるのはたったの一人。同じ人物は二人と要らない。貴方か、私か、決着はここで着くんだったよね?」
そう……と、我知らずに僕の口が動いていた。
「そう、君の言う通り生き残れるのはたったの一人だよ。でも、それの束の間、登場人物はみんな死ぬ。そう、あの有名なる女流作家のミステリー同様。生き残った最後の一人は、自らその命を消してしまう。このゲームは誰が犯人でも構わないんだ。最後に、『そして誰もいなくなった』と言う一文に向けて進む絶望的なストーリーなんだから」
僕の言葉を聞いて、須藤加代子は満足げに笑みを漏らした。そして彼女の手には、いつの間にそこにあったのだろうか、幅の狭いいかにも鋭利そうな一振りのナイフが握られていた。
「そうね。ではそろそろこのお話しの幕を閉じましょう。貴方の書いたお話し通りに拳銃までは用意出来なかったけれど、これでも充分に人は死ぬ。貴方の上げる血飛沫か、私の体内に流れる悪魔の血か。これから数分後には、私のこの白いスーツは真っ赤に染まる事でしょうね」
そう言いながら、須藤加代子は僕の方に向かってゆっくりと歩いて来た。
僕は僕に殺される。いや、彼女は彼女に殺されると表現するべきか。この後に待つ終劇の幕は、僕ら二人のどちらかが書き終わらせればいいだけだ。
白いスーツの女は、僕の目の前で大きく腕を振り上げる。どうやら僕には、その行動を止めるだけの気力も無いらしい。振り下ろされるそのナイフは、僕の鎖骨の上辺りからざくりと刺さり、一瞬で僕の心臓をえぐるのだろう。そして僕は、再び現実の世界の物書きへと戻る。僕が僕自身を殺す陳腐なミステリー小説は、ここで僕の出番を終えるのだ。
「待て!」
目を瞑り、その瞬間を待つ僕の耳に、聞きなれた友人の声が響いた。
その瞬間は訪れなかった。須藤加代子はナイフを振り上げたままの姿勢で声のする方を向いていた。
散乱したまま無造作に積み上げられた瓦礫の上で、窓から覗き外の明かりで真っ黒に写るそのシルエットは、確実に僕達二人をその視界に捉えて話し掛けていた。
そのシルエットは身軽に窓から飛び降りて、半地下となった室内へと着地する。そうしてその人物も僕達と同様薄暗がりの住人になった所で、ようやくその風貌が人の形となって現れた。
(荒木君!) 僕がそう言おうとするより前に、僕の横から細く長い呻きの声が流れ出した。
呻き声は、言葉にならない心の悲鳴のように途切れる事無く響き、そして僕がその声の主を横目で見た瞬間、須藤加代子の恐怖は頂点へと達したか次なる悲鳴はその身体が発する絶叫へと変化していた。
「きぃやゃぁぁぁぁぁ〜っ!」
まるで猿が上げる金切り声のような悲鳴は、先程までの狂人的な彼女よりも更に常識性を逸し、完全に恐怖で我を忘れた絶望なる悲鳴だった。僕は一体何が起こっているのかも判らないまま、彼女の前から後ずさりをする。
急変は、その次の瞬間に起こった。彼女の声が限界を超え、続く息もそこで途切れて呼吸音のそれに近付いた頃、彼女は振り上げたそのナイフを勢い良く自らの胸に突き立てた。
僕には良く判らなかった。ナイフとは、こんなに容易く人の体内に刺さるものなのだろうかと。だが、柄の部分を残して深々と刺さったそのナイフは、次第に彼女の纏う白いスーツを赤く染めて行った。
バタリと大きく音がして、暗い室内に埃が舞い散る。須藤加代子は、ほとんど直立不動のような格好で仰向けに床へと倒れ込む。
そして僕は気付いた。これは小説の世界なんかじゃない。この世界は現実だと。死は死であり、人は生身で、僕は僕だと。そして今、須藤加代子は一人の人間として死んだのだと。
彼女は大きく目を見開いたまま、ゆっくりゆっくりとこの世の最後の呼吸を繰り返し、そして事切れた。笑みに歪んでいるのか、それとも恐怖か。彼女の死に顔は、狂気のままに引き攣って見えた。
「大丈夫でしたか?」 荒木君は、僕の背後から小さな声でそう言った。
僕はただ一言、ありがとうと返して彼に向き直る。彼は歳こそ離れているが、僕にとっては最も近しい友人の一人だった。いつも見る、優しい笑顔がそこにはあった。
「どうやってここを見付けたの?」 僕は、力ない声で彼に問う。
「ネットでたまたま見付けました」 彼は、そう答える。
「内藤さんに頼まれたまま、しばらく放っておいたリンクの修正があるじゃないですか。それを思い出してログインしたら、たまたまそれを見掛けたんです。MC三周年記念の今月の作品集。そしてその中に掲載される予定の内藤さんの原稿。それが何故か下書きのままに編集画面にあったんです」
僕は驚く。僕はそんな真似をした事なんか無い。今月分はまだ、編集をした記憶が無い。
「で、悪いとは思ったんですが、読んでしまいました。そして驚きましたよ。その内容って、最近関東周辺で起こっている事件の数々がぴったりと符号する話じゃないですか。これって一体どう言う事なんだろうと思って読み進めたら、ラストでは内藤さんがどこかの廃屋で生き残りを賭けた争いをする事になっている。僕はまさかと思って前にこっそり貴方に聞いたパスワードで掲示板を覗いたら、そこでは本当に小説通りの事件が起こっている。それで僕は、そこに書かれた内容を元にここへと辿り着けました。勿論それは、貴方が須藤加代子と言う人物の誘いを追ったであろうと言う推理に過ぎなかったのですが」
瓦礫と廃品が散らばる建築物の死体の中を、一陣の風が通り抜ける。外の風が強くなって来たようだった。建物の隙間を走る風の音が笛の音のように、驚く程に高く鳴り響く。
「荒木君。警察を呼んでくれるかい? 僕はちょっとだけ家へと帰る。どうしても確認しておかなければいけない事が出来たんだ」
僕がそう言うと、荒木君は黙って頷いた。僕は素直に感謝をする。僕はいつも、彼のこう言う物分りの早さが有難い。決して言葉は多くないのだが、その点彼は行動でカバーをするタイプの人だった。
僕はもう一度、ほんの数秒の差が無ければ僕を殺していただろう正体の判らない白いスーツの女性に視線を送り、そして踵を返しながら鉄格子が阻む廃屋の入場口に向かって小走りに駆けて行った。
濡れた手のまま、壁のスイッチを手探りもせずに探し当て、僕は狭い室内の照明を点ける。
カーテンを閉め切ったままの部屋の入り口正面。机に乗ったデスクトップタイプのパソコンのモニターが、寂しそうに単調なるスクリーンセーバーを表示していた。
僕は何時間を掛けてこの部屋まで帰り着いたのだろうか。僕のこのアパートメントからあの現場までは、電車を乗り継ぎ結構な距離はある筈だ。だが僕にとっては、その移動の時間の感覚が無い。電車に乗り、風雨の道を濡れながら歩いて来た記憶は断片的にはあるのだけれど。
気が付けば僕は、全身から水の滴るままでパソコンの前の椅子に腰掛ける。マウスを操作し、画面を開く。サイトの管理画面を選択し、そこにパスワードを打ち込む。いつもの編集画面が展開された。
僕は少しだけ震える手でマウスを握り、過去ログから最新の記事を選ぶ。するとモニターには、《ゴーストライター》と書かれたタイトルの僕の未発表作品が、他の三周年記念MC原稿と一緒に下書きのままに収められていた。
記憶にないまま、僕はその原稿をスクロールさせて行く。僕はそれを目の端で追う。文字の世界で僕の仲間である管理者達が次々に殺され消えて行く。
そして場面は、僕ともう一人の僕とが対峙する場面へと差し掛かる。有名なる某作品と同様に、銃を持った女性が生き残った最後のもう一人を射殺する。そうして管理人は、最後の一人になった。
僕はその原稿の続きを読む気にもなれず、出来の悪いミステリーだなとどこか自虐的に微笑みながら、一気のスクロールを最後の行まで引っ張った。
そして、そこにはあった。後には誰もいなくなったの文字が飾る、最後の場面が。
ふと僕は、後ろを振り向く。予感していた通りに、期待したままにそれはそこにあった。部屋の隅の辺りに下げられた一本のロープ。そしてその下に置かれた一脚の椅子。僕が用意した覚えもないそれは、僕の期待するままにそこにあり、そこに釣り下げられるであろう僕の存在を待ち受けていた。
そして僕はようやく気が付いた。やはりこの世界は僕が創作した世界であって、仲間を殺したのも全ては僕だったのだと。
僕はもう一度パソコンの方へと向き直ると、下書きだった原稿を表示に変えて更新をする。そしてサイトの画面を確認もせず、僕は立ち上がって歩き出す。
そしてとうとう誰もいなくなる、無の世界へと向かって。
《奇譚の円環》と言う名の連続殺人事件の全貌について
皆さん初めまして。《MysteryCircle》の孤独なる管理人、荒木と申します。
まず最初に、この手紙は誰宛てと言う意味での手紙ではありません。もしかしたら誰にも読まれないままに消えてしまう、ただの無駄なる手紙かも知れません。
ですが僕は、この手紙が誰かの元へと届き、読まれるものだと仮定して書きます。勿論僕の願いは、あの忌まわしき事件を知る全ての人々にこれを読んでもらいたい。そんな意図で書く事です。
今この手紙を読んでいるであろう日本中のほとんどの皆さんがテレビや新聞の報道などで知る通り、僕こそがあの、《MysteryCircle》と言う名前の創作小説サークルの管理人の、たった一人の生き残りです。どうやら僕だけは、あの狂人的連続殺人事件から逃れる事が出来た幸運なる人間だったようです。
そして僕だけが生き残れたお陰で、日本中の注目を浴びながらも我がMCが三周年を迎え、そして無事に終了する事が出来ました。
感無量です。これで、亡くなった管理者の方々も喜んでくれる事でしょう。これでようやく、僕の管理者としての務めも終わったような気がします。
さて、この手紙を書くに当たって、僕は一つの賭けをする事にしました。
それは、あの舞台をたった一人で作り上げ、そしてそれを書き上げた内藤さんの心情を評し、僕はこの一部始終の顛末を書いた手紙を、内藤さんの作品と同様に瓶へと詰めて海に流す事に決めました。そうする事で、この事件の全ては終了し、補完が成される事だと思っています。
そしてそれと同様に、これは僕の中にあるほんの少しの良心。そして申し訳なさがそうさせています。
全ての罪を被り、そして何の謎も知らず、裏にも気付けなかった哀れな作者に対し、僕の一握りの良心がこれを書かせました。
今では彼、night_stalkerさんに対しての申し訳なさで一杯です。そして、何も気付けないままに僕の策略、計画に沿って自らの命を終わらせた彼に対し、あまりにも哀れで滑稽過ぎると感じたので、僕がその彼の愚鈍さを世間に知らせなければ誰も笑うに笑えないと危惧したからこそこの手紙を書くに至りました。
世間では、彼は恐るべき倒錯的殺人者と認知され、それと同時に今世紀最大のリアルミステリー創設者と呼んでいるようですが、そんなもの全く大嘘であると言わなければなりません。
彼は、何もしていません。無実どころか、僕の描いたシナリオに対し、僕自身がうろたえるぐらいにそのまま動いてくれただけのマリオネットでした。
彼の功績は、《ゴーストライター》と言うタイトルの陳腐なるミステリー小説を書き上げただけです。後は何も出来ずに何も気付けずに動いただけの無能なる管理人でしかありません。又、彼のトリックが素晴らしいと思えてしまうのは、ただ単に既に書き上げられた小説に沿って、人が不可思議な死に方をしただけの事です。そして、未だネットの犯罪には素人ばかりな無能なる日本警察がいるからこそ成り立った、奇跡的なる犯罪でしかありません。
全てを動かしたのは、僕、荒木です。しかもそのトリックは、最初の殺人が起こった後に考え出した無計画なる穴だらけなミステリーでしかありません。従ってこの事件は何も凄くは無い。ただ、踊らされた人と、それを捜査した人と、その全てを鵜呑みにして凄いと勘違いしてしまった事件の聴衆客が愚かなだけの真実があるだけです。
では、改めて全貌をお話ししましょう。
まず最初に人の目が錯覚を起こしこの事件を特異に感じてしまったのは、僕と内藤氏を除く全ての管理人が、「MC参加者」としてのメンバーと、「MC管理者」としての存在とでは、全員性別がそっくり入れ替わってしまっていると言う所です。そう、男の書き手は女の管理人に。女の書き手は男の管理人として行動していると言う事です。
全員が全員、書き手としての名前に酷似した管理者名を名乗っているにも関わらず、どう言う訳か全員が性別を変えている。僕はそれにどんな意味があるのかと思っていましたが、僕が内藤氏に誘われて管理者になりその意味が初めて判りました。管理者の方達全ては、先に参加者として存在した書き手としてのハンドルネームとその性別。そちらの方が嘘だったのです。
例えば、管理者の中ではムードメイカー的な存在の七狼子さん。MCのメンバーであれば誰でもその正体を知っているであろう七対子さんです。彼女は書き手としてはいかにも女性らしい視点での恋愛物を得意としていました。ですがその実は、凄く柔和で穏やかな男性でした。そして彼は、書き手としては女性のままで、管理者としては男性としての記事を書きました。それによる効果は様々ですが、大抵はそれを見れば、七対子さんは女性であって、管理者の時だけは男性の振りをしているのだと感じた事でしょう。ですがそれは大間違いでした。内藤氏は何故か、性別を偽っている書き手ばかりを管理者として選び、誘いました。そしてそうやって集まった管理者達は、ようやく自分の素顔をそのままに発言出来る場所に辿り着きます。それこそが、MC管理者掲示板なのです。
これが後に、そう言う悪戯心を盛り込んだ内藤氏の作品に影響が出て来る事になりますし、そして実在する事の無いもう一人の内藤氏の登場にて彼自身は狂います。これは単に、この物語を色付けるだけの奇話でしかありませんが、この前提があるからこそ捜査陣はこの人物トリックへと迫る事が難しかったのでしょう。お陰で、偶然やら計画的なるもう一つの人物トリックは、最後まで触れられる事無く過ぎました。奇妙ですが、私にとっては実に都合の良い事実でした。
さてそれでは、起こった事件を裏の方から順番に追ってみましょう。
まず最初にその舞台から姿を消したのは、パトス大尉さん。メンバー名は、エロス大佐。ネットの中に措いては少し強気なタイプの女性で、アダルト系恋愛ストーリー書きさんでした。
まず、彼が消えました。それによって、《須藤加代子》と言う架空のキャラクターが管理するブログが宙に浮きました。そのキャラクターを操っていたのは誰かと言うのは後にして、これによって須藤加代子の主導権はMC管理者の方々から、謎の第三者へと移りました。そして、須藤加代子は独り歩きを始めます。そしてそれはとうとう、管理者の人達の遊びではなくなりました。
次に消えたのは、平芳ケイさん。メンバー名は、平良原さんでした。書き手の場合はファンタジー系の恋愛ものを得意とする男性でしたが、実際は辛口で強気な作品評論をする、生真面目な女性でした。
まずはここで、最初のトリックが起こります。彼女は、会社の飲み会の帰りに暴漢に襲われて致命傷を負います。未だ亡くなってはいませんが、意識が戻るのは絶望と言われています。
ですが、ある意味彼女は全くの無傷なのです。本来は病院のベッドで寝ている筈なのに、実際の彼女は元気に動いて数々の犯行を繰り返します。
まずはここで一つ、種明かしをしましょう。彼女こそがリアルに出現した須藤加代子であり、遊園地の廃墟で自決をした白いスーツの女性であり、そしてその実態は、管理者の平芳ケイ。MCメンバーの平良原さんなのです。そして、偶然ながらもこのトリックを作ってしまったのは他でもない、内藤氏なのです。
もしも皆さんがMC管理者掲示板の過去ログを見る事が出来ましたら、是非に七狼子さんの意味深な発言を探してみて下さい。彼は掲示板にてこう指摘している筈です。過去に内藤氏が平芳ケイさんの宛名を間違えて書き送ってしまったと言う事を。
内藤氏は、昔作ったMC同人誌をメンバーの皆さんに送る際、非常に些細ですがミスを犯しました。それは、宛て先の下に書いた、自身だけが判ればいい程度の走り書きなメンバー名。七狼子さんは、「宛て先の名前を間違えた」と書いていますが、実際はそれは正確ではない。実際に内藤氏が間違えたのは、そのメンバー名でした。内藤氏は、普段から仲が良くそして住所が非常に近い、BB令嬢と平芳ケイさんのハンドルネームを書き間違えて送ってしまった事に拠るのです。
勿論それは実際の本名ではないし、大判の封筒の端に書かれたメモ書きである以上、郵便物としては全く問題は無い為に、普通に届きます。ですが彼女達は、内藤氏が二人の本名を取り違えている事に気付きました。勿論その間違いを指摘する必要性もありません。ネットの世界に措いてのリアルの本名など、全く意味もない名前でしかないからです。そんな間違いを指摘などしなくても、ネットでの付き合いには全く支障が無いからです。
ですが、そんな些細なミスが綺麗に平芳ケイの存在を隠します。普段から仲の良いBB令嬢と平芳ケイは、家も近い事から当たり前のように連絡を取り合っていました。そしてBB令嬢は一ヶ月留守にすると言って実家へと帰り、帰って来たその晩に彼女は会社の同僚達と酒を飲み、その帰りに逢おうと連絡をして彼女を誘い出した平芳ケイは、問題の雑居ビルの裏手で犯行を起こします。ずっと嫉妬と恨みを隠し通し、そのキッカケを与えられるその瞬間まで我慢をしていた平芳ケイは、その場でBB令嬢を殴り倒します。
本来ならば内藤氏の原稿の通りに、頭の原型が無くなるぐらいに鈍器で殴打する指令でしたが、やはりそれは古くからの友人でもあり、かつてはそれなりの情もあり、そして女性としての腕力の無さか、その一発は彼女の意識が永久になくなる程度のものでしかありませんでした。
そして、BB令嬢の中身の女性は、ネットとリアルからその存在を消します。ですが、ネットとリアルの関連性を知る唯一の存在である内藤氏は、暴行を受けたその女性の名前を聞いて掲示板にこう書きます。二人の本名を取り違えたままに、第二の犠牲者は平芳ケイさんだったと。
これで平芳ケイさんは、例えネットでの関係を探られたとしても疑いの掛かる事の無い位置へと移動出来ました。何しろ、その存在を知る内藤氏と原稿に挿入された犯行文によって、犠牲者は平芳ケイだと告げられてしまったからです。必然的に、彼女は透明人間へと変身出来たのです。
後の犯行は、非常に楽でした。何しろ、疑いが掛かる事のない僕と、平芳ケイさん。この二人がいる以上、《須藤加代子》と言う架空のキャラクターが犯行に及んでいるように見せ掛けて、同時に複数の事をやってのける事が可能になったからです。
それは、緋鎖君を殺す際に最大の効力を発揮しました。彼は僕達の口の中に飛び込む餌のようでありながら、その分僕達の懐に飛び込む剣客のようでもありました。僕はそれ以前に彼の姿を見た事はなかったのですが、ああしてリアルの彼を見て、僕は本当に用心をして本当に良かったと思いました。まさかあれ程までに上背高く、筋肉質な高校生だとは思ってもいなかったのです。MCの中で見る綺麗な絵を描く玖さんとはまるでイメージも出来ない程にいかつく、とても僕程度では襲ってなんとかなるようなタイプではなかったのです。
そこで僕は咄嗟に計画を立てました。なるべく人通りが少ない埼玉の田舎の駅を待ち合わせに使ったのは幸いでしたが、あのままでは僕が掴み掛かっても倒せないと踏み、待ち合わせ場所にて彼の容姿を確認した後、平芳ケイを中継として彼の携帯へとメールをしました。待ち合わせ場所を変えてくれと。反対側の出口で待っていると。
そこから先は賭けでした。僕の運が勝つか、彼の運が勝つか。僕は連絡通路を挟んだ階段の上の一角に姿を隠す。幸いにもそこは、かつての旧階段があったのでしょう。僕一人の姿が隠れるには最適な場所がありました。そして僕はそこで平芳ケイにメールを打つ。須藤加代子の振りをしながら、そこから私が見えないかと送ってくれと送信しました。そしてすぐにそのメールは転送されたのでしょう。彼はその文面通り、階段の上からあちこちを探します。そして彼が階段を降りかけた瞬間に、僕は背後から近付き全身で体当たりをしました。
運は、僕に分があった様子です。彼は受け身も取れないままに階段を落ち、ほんの僅かな時間でその苦痛は終わったようです。
更に運が良かったのは、僕の背後側、連絡通路側から人が来なかった事。そして彼が持つ携帯電話が、体当たりと同時に僕のすぐ傍に落ちた事です。彼の携帯電話がそこにあると、僕にはあまり都合は良くなかった。何しろ僕が送ったメールがそのままそこにある以上、どうしても犯行後にそれを回収する必要があったからです。
ですが全ては僕の側に有利に働きました。僕はその携帯電話を拾って逃げる。後は平芳ケイにメールを送り、素早くMC原稿の中に犯行予告の一文を混ぜるだけです。そして、緋鎖君の犯行は終わりです。こうして、管理者達だけが知る緋鎖君と須藤加代子との逢瀬は、須藤加代子がそこにオンしているのが確認されながら行われた犯行へと見せる事に成功しました。勿論、僕がその直後に内藤氏に空のメールを緋鎖君の携帯電話から送信したのは、ただの演出と犯行文が載るまでのタイムラグの短縮です。それ以上の意味はありません。
次は、BB令嬢の消失です。勿論、タネは判る事でしょう。なにしろ既に彼女は病院のベッドです。最初から彼女はいないのです。
まず平芳ケイが、プロキシを入れた状態のパソコンで管理者掲示板にインします。そしてそのまま犯行予告をMC作品に挿入し、更にそのまま掲示板に何も書かないだけです。それで消失が成功するのです。これほど楽な事はありません。
後は、ロムに徹した平芳ケイが僕に逐一報告をくれます。僕は、最後の締めの為に七狼子さんの自宅前で待機をしています。そして平芳ケイからの報告で二人がログアウトしたと言う知らせを聞き、僕は彼の家の玄関先に潜みます。後は彼が予告した通り、警察へと出向く為に外へと出て来るのを待つだけでした。
僕はきっと、緋鎖君を殺害した事で気持ちにも余裕が出たのでしょう。待つ時間は気にならなかったし、彼が出て来た所を背後から襲って紐で扼殺した時も、以前よりも度胸が据わっていたように思います。そして僕はそのまま彼の死体を家の中へと戻し、風呂桶にそれを放り込んで水を貯めました。
さて、恐らくは内藤氏は知らなかったでしょう事がここで起こります。何しろ内藤氏は七狼子さんが亡くなった事は、MC作品に犯行予告が載っている事を見て初めて知ったのだと思います。こればかりはリアルタイムにテレビで報道もされていません。何しろ七狼子さんの遺体が発見されたのは、事件の一週間後だったのですから。
つまり内藤氏は、七狼子さんの死因も、BB令嬢の消失も、全く何も知らないままで須藤加代子の待つ廃屋へと誘われる訳です。
もしも彼が二人の状況を知ったならば、少なからずその異常性を感じた事でしょう。何しろ片方は姿も見えないままに犯行予告をされていて、もう一人は冷凍庫の氷は元よりそこにあった冷凍食品からアイスクリームの類までもが放り込まれた風呂桶の中にいたのです。これは一体何を示す事かと言えば、僕はただ単に七狼子さんの死亡時刻をほんの少し曖昧にしたかっただけなのです。実際は一週間も経って発見された以上死亡時刻の特定は極めて困難だったのですが、僕はにはもっと早く発見されるであろう想像も予想していた。だからこその行動でした。
そして、そんな不可解な行動が意味する事はただ一つ。僕はほんの少しだけ犯行時刻を狂わせるだけで良かった。つまり僕は、内藤氏には絶対に不可能とされる時刻を外す事だけが出来ればそれで良かったのです。可能かも知れない時間を作り出す事さえ出来ればそれで良かったのです。
何故ならば、管理者のみならずメンバー達の住所と氏名を知っているのは、事実上内藤氏を除けば誰もいないから。ネット上での付き合いをリアルへと持ち込めるのは、内藤氏以外は誰もいなかったのですから。
つまり僕は、「内藤氏にも可能」と言う殺人を作り出すだけで、後は何も考えなくて良かったのです。それに成功するだけで良かったのです。何しろこの世界には、小説へと登場するようなどんな犯罪も突き崩してしまうような探偵など存在していません。地味な努力で犯罪を突き詰める刑事もおりません。全く動機の判らない殺人を連続して起こし、それと同様な小説を書いている人間がネットの中の知り合いをその登場人物として殺して歩いていると言う設定をポンと与えるだけで、全ての人間は安心するのです。もうそれ以上の事実は必要無いのですよ。
そしてそれは僕の読み通りでした。誰一人として内藤氏以外にも可能なのではとは考えませんでした。いえ、もしかしたらそう考えた刑事や、この事件を知ろうとして調べた第三者の方々の中には、そう言う疑問を持つ人もいたでしょう。だが決して、その全貌を掴みその結末を僕の計画まで辿り着かせるなど誰にも無理だった事でしょうし、例えそんな異論を唱えたとしても誰も耳など貸さなかった事でしょう。
だって、そうじゃないですか。不可解で理由も見当たらない、そしてどこが接点になっているのかも判らない殺人事件が起こり、犯人は見付からない。そこへひょっこりと関連性が出て来て、全ては内藤氏の仕業と取れる証拠や想像に行き付く。それなら警察は何も困る事なく彼の犯行として断定するでしょうし、それをメディアで追い掛ける暇な人間達なんかもっと鈍感さは上でしょう。自分の書いた小説通りに意味もなく友人達を殺して回り、そして最後は自分自身すら小説の中の駒として自殺する狂人がいるのですよ。その筋書きに興味を持つのは当然で、それ以外の陳腐なる視点なんか提示されたってそんなの誰も見向きもしません。こう言う類の事件とは、真実よりも異常性の方が好まれるのですから。
さて、最後の幕へと移る前に、どうしてもこれだけは先に述べておかなければなりません。それは、僕、「荒木」が、どうしてMC管理人の全てを殺してその全てを内藤氏にかぶせてしまったかと言う事です。
僕は、内藤氏とは非常に仲が良かった人間だったと思います。そう、ネットではなくリアルの世界での事です。
知り合ったのは、ネットの中のMCが最初です。僕は孤独に創作と趣味のブログをやっていましたが、偶然にもそれを内藤氏が見付け僕を誘って下さり、それからの付き合いとなりました。そして偶然にも彼とは家が非常に近く、電車も使わずに行き来出来るぐらいの距離と知った後には、同性と言う安心感もあって度々逢って話しをするぐらいになりました。その内僕は彼のアパートメントにも招待され、それからは良くお邪魔させてもらうようにもなりました。僕もまた内藤氏には信頼もあったし、会話もそこそこ弾むようになったと言う事もあり、いつしか僕は彼の部屋には入り浸りになっていた時期までがありました。そして彼もまた僕と言う人間を信頼してくれてたのでしょう。彼の苦手なパソコンのメンテナンスやトラブル処理。そんなプライバシーに関わるようなものまで僕に任せてくれてたのですから、それなりの信頼は勝ち得ていたのだと自負しています。
ですがある日、僕にとってはそれまでの信頼関係が完全に崩れてしまうような事件が起きました。僕が彼の部屋へと遊びに行くと、彼は飲んだばかりの精神病の薬の効き目なのか、それとも一緒に飲んだであろうアルコールのせいか、半覚醒状態のような、俗な言い方で言えばラリっているかのような陽気さでベッドの上でへらへらとしていました。僕は大丈夫かと聞きましたが、彼はいつもよりも大きく陽気な声で、大丈夫だと返事をしました。
その時、僕はやめておけば良かったのです。彼はまともじゃなかったと気付いていたなら、話すのをやめておけば良かったのです。
しかし僕は言ってしまった。自分の閃いたアイディアの斬新さがあまりにも自分自身で気に入ってしまい、更にはその内容に興奮をしていたの

著者:コサメ
それぞれの新しい物語を待つ人々のところへ、と彼は言った。
彼とは汽車の中で出会った。私の隣の席に座ったのだ。ご一緒してもよろしいですかと言う彼の物腰は柔らかで、紳士だということがすぐにわかった。
「お仕事ですか」
私が問うと紳士はにこりと感じのいい笑みを浮かべた。
「ええ。それぞれの新しい物語を待つ人々のところへ向かう途中です」
それを聞いて私は彼が臨床司書士だということがすぐにわかった。病に伏す人々のために物語を提供してまわる職業だ。活版所で這いつくばって脱字ばかりを集めている私にくらべたら、はるかに立派で、素晴らしい仕事だ。
「あなたは?」
「故郷に帰るところです。母が病に倒れまして、そのお見舞いに」
「それはそれは……」
すると彼は何かを思案するように瞳を動かし、やがて思いついたように自身の黒鞄を膝にのせた。開くとそこにはたくさんの白い紙がいくつもの束になって重なっていた。
「たくさんありますね」
「商売道具です。この白紙たちがないと、何も始まりません。……いくつか読んでみますか?」
「いいんですか?」
彼は微笑み、私に三枚の紙を差し出した。私はさっそくそれに目をおとした。全て白紙だと思われていたが、実はちゃんと文字が書いてあったらしい。
みなしごの小鳥は
すてられた哀しみを涙にかえることはせずに
てっぺんへのぼることだけを考えるのだという
リンドウの咲き乱れる丘で
いくつもの星々が輝きはじめたとき
さきへさきへと急ぐように
あなたは黒曜石の羅針盤を指差してこう言った
くるしみもよろこびも ぜんぶおなじところからくるんだねぇ
ルルドの泉は もうすぐそこだよ
今の時期ならちょうど、私の故郷にもリンドウが咲き始めている頃だ。母が好きな花だから、実家に帰るまえに摘んで帰れば喜ぶかもしれない。そんなことを考えているうちに、ふいに母のことが心配になってきた。大事無いと電報にはあったが、容態が急変することもありえる。私がもう少しいい仕事についていて、稼ぐことができたなら、一流の医者を呼ぶこともできただろう。でも今の私にはせいぜい、母の牛乳にまぜる角砂糖を買ってやることくらいしかできない。
窓の外を見やると、先ほどまで街の風景だったのが一変して田園が広がりはじめている。黄金色の海原にポツポツと誰かがたたずんでおり、風に揺られてできる波を次々と受け止めていた。
三つ四つ 五つ六つと
周りし星の
年月の記憶は 君の手の中
二枚目の紙に書かれていたのはたった三行だけだった。
「これはとても短いですね」
「物語に長さは関係ありませんから。言葉によって成された芸術ならば何だって許されると、私は考えています」
なるほど。三行だけだが、主人公についていろいろと想像できる。星空を眺めながら遠くに住んでいる恋人に想いを馳せているのかもしれない。あるいは六歳の誕生日を迎える子供のことを書いているのかもしれない。もちろんいくら考えても詳細が明かされることはないが、そんなことはさして重要ではないだろう。臨床司書士の彼もきっとそれをわかっているのだ。
私は最後の紙に目を通した。
おわりが来て、はじまりも来た
めぐる星はやがて
でくのぼうと呼ばれた小鳥を見つけ
とんでごらんよと 手をさしのべ
うるおう泉に 奇跡をおこし 林の向こうの春を呼んだ
「林の向こうに春があるんだそうです。一体、どういう意味なんでしょう」
「いろんな角度から文字を読んでごらんなさい。そうすればわかりますよ。物語はいつだってその“たった一言”を言いたいがために作られているのですから」
そう言って彼はもう一枚を私に差し出した。しかしそこには何も書かれてはいなかった。
「これは?」
「あなたのお母様にお渡しください」
「でも、白紙のままですよ」
「それでいいのです。物語を選ぶのは私ではなく、あなたでもありません。物語が読者を選ぶのです。その白紙をお母様にお渡しください。きっと彼女にだけは読めるはずです。今、あなたが三つの物語を読むことができたように」
彼がそこまで言ったとき、ガタンと汽車が停車した。ふと窓を見やった。私はぎょっとした。私が降りるべき駅ではないか。
「すみません! 降ります!」
大急ぎで荷物をまとめ、汽車を飛び降りた。
「素敵な物語をどうもありがとうございます。母も喜びます」
窓越しに私が言うと、紳士は微笑んだ。そして言った。
「良い物語に出会えますように」
その言葉を合図にするかのように汽車はゆっくりと走り出した。
●《自己批評》
『ヒント:縦読み(笑)
既出ネタだったらすみません。』
《Amadeus Recipe コサメ》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎「林の向こうに春があるんだそうです。どういう意味ですか」

著者:rudo
「林の向こうに春があるっていうんです。
どういう意味なんでしょうか・・
意味なんてないんでしょうか・・」
「モルヒネのせいで
幻覚でも見てるんでしょうかねぇ」
病院の屋上で疲れきって
黒ずんでしなびた女が言う。
この黒ずんでしなびた女の夫は
すい臓がんの末期で
明日死んでもおかしくないと言われながら
もう二ヶ月も生きているらしい。
最初は泣いていたこの女も
看病に疲れたんだろう
いまや・・「早く死んでくれ・・もう死んでくれ・・」
全身で叫んでいるのが見える。
最近は少し動いても痛がって
気がつくと鼻から口から血が出てるんです。
本当にいくらでも出てくるんです。
ふいても ふいても・・
タオルなんてあっというまに血びたしになってしまって・・
枕カバーもシーツも・・
変えても変えても間に合わなくて・・
洗っても落ちなくて・・
茶色いしみになって残っているんです。
・・・テレビでもよく 癌で死ぬ場面とかありますけど・・
あれって 嘘ですよね。
あんなにきれいなわけないじゃないですか・・
癌はくさいって いうけど本当らしい。
血生臭さと
薬品と
消毒液と
そして どうにもできず腐っていく細胞の発する匂いだ。
「ちょっとかいでみたいな・・」
女は嫌悪感を丸出しにして私を睨む。
でもすぐに力なく肩を落として・・
「本当に見舞う気があるなら早いほうがいい・・
もう今 戻って死んでいたっておかしくないんだから」
と涙声で言う。
----------------------------------------------
今日もね・・がまんしたよ。
もうね 7年たつよ。
それでも いますぐにだってやりたい気持ちはある。
そういって 少しくたびれたような男が笑う。
笑ったのかな・・
ちょっと口を歪めただけにしかみえない。
どこがどう・・ってわけではないけど
何か違う。
どこか違う。
それは・・たぶん一生消えないんだろう。
男は覚せい剤に手を出した。
一度やったらおしまいだ。
わかっていた。
なのにどうして手を出したのか・・
男は7年前まで大きな会社の重役で
奥さんも子供もいて・・
りっぱな家も車も持っていた。
一度くらいなら・・
そんなのが通用していたのはもう昔の話。
いまは・・今は一度で人生は終わるのだそうだ。
一度で骨の髄までしみこみ
けして消えることはないのだそうだ。
幻覚もあるし幻聴もある。
そういう悪い部分はそのままに
禁断症状がないため周りが気づきにくい。
そしてあいかわらず高い。
家も・・家族も 友達も もちろん親も
何もいらない
たった一袋のために
家さえも差し出す。
自分でも驚くほどの言い訳が
湯水のように湧いてきて
金の無心をする。
やらないでいることが
肉体的に苦しいわけではないのに
買わずにはいられない。
そして どうにも金が手に入らなくなったとき
なにもかも失くした事に気づく。
禁断症状が出ないということはね。 こわいよ。
昔のように隔離するのが無意味になるんだ。
だって・・やらなくても ちっとも苦しくならないんだから。
男が言う。
強く強く やめたいと思う人はね だめなんだ・・
そういう気持ちがやりたくてたまらない気持ちに火をつけるんだ・・
今はやめよう・・って思うといいんだよ。
とにかく目の前の仕事をして
それからやるかどうか考えよう。
仕事の後・・もう一度 今はやめようって思うんだ。
夕飯を食べてからにしようって思うんだ。
そして少しづつ伸ばしていく。
今日はやめよう。
今日 一日だけ我慢しよう・・
そして明日になったら
また 今日はやめよう、今日一日だけ・・そう思うんだ。
そうして 一日一日をやり過ごしながら・・
7年たったよ。
でも 今すぐにだって 始められる。
ほんの軽いブレーキをかけているだけなんだ。
「今はこの時だけやめよう」って・・・
「じゃあ 明日はやってるかもしれないんだね」
男はピクリと眉をあげ私を睨んだが
すぐに気弱に下を向き・・
「そういうことだ・・」
と独り言のように言う。
----------------------------------------------
上履きをはこうとしたらね
泥がつまってた。
中庭の池の底の泥だよ。
汚いよね。
だってあひるとか飼ってるんだ。
あひるのうんちとか おしっこも
混じってるよね。
でもさ 入れた奴らは その泥をとるのに
池の中に手を入れるかなんかしたんだよなって
そう思ったらなんかおかしくなっちゃってさ・・
ふでばこをあけたら鉛筆が全部折れてたなんて
毎日のことだから もう気にならないよ。
鉛筆削りもって歩いてるんだ。
一番辛いのはなにかって?
なにかなぁ・・
別にどれもなんとも思わないなぁ・・
慣れちゃったからなぁ。
あぁ・・そうだ。
妹がいるんだけどね。
今度 一年生になるんだ。
来年の春にね。
同じ学校にくるから・・
妹にみられるのは辛いかなぁ・・
「死にたくなる?」
ぶしつけな冷たい質問に少年は
驚いたように目を丸くして・・
でもすぐに またどんよりとした光のない目でいう・・
「ならない。
ならないけど
もし事故とかで死んでも
別にいいよ」
と言った。
その唇は 荒れてガサガサで血が滲んでいた。
----------------------------------------------
その夜。 そられのメモをみながら
「どれにしようかなぁ・・」と考える。
明日はミステリー・サークルの発表会だ。
ミステリー・サークルというのは
別にミステリーでもなんでもなくて
月に一回 なにか面白い話や不思議な話や
なんでもいいから一人ひとつ話をするということをしている。
もちろん何もないときは何もありませんでいいんだけど・・
前回で面白かったのは守屋さんという女性会員の話で
秘密の飲み屋に行ってきたという話しだった。
そこは夫婦交換をする人のための場所で
会員制で紹介制で・・
でも別に夫婦じゃなくてもとにかくカップルならいいんだそうだ。
赤坂の駅をおりて・・
酔っていたから場所はさだかではないが
こんなところにと思うような住宅街で
普通の一軒やで・・
でもカウンターもあるし テーブル席もあるし
カラオケもあるし・・
ちょっと家庭的なスナックみたいなところだったのだそうだ。
そこのオーナーはもちろん夫婦で
もちろんそういう趣味で
奥さんはすごくボーイッシュで
聞いたら男も女もいけるらしく
もしご要望があればお相手しますよと言ったという。
二階にあがる細い階段があって
その上はどれくらいの広さなのか・・
とにかく ダブルベッドがずらっと並んでいて
一台一台の間はレースのカーテンだけなのだそうだ・・
なにもしないでただ飲んで帰るカップルもいるし
ベッドの部屋に上がるのも自由だ。
ただし階段を上がるのに条件が二つある。
カップルで行くこと。
二階にあがったらまずシャワーを浴びて
バスタオル以外持ち込み禁止のこと。
守屋さんが誰とどうしてそこに行き
何をして 何を見てきたかは話してくれなかった。
「まあ・・社会見学みたいなものかな」
そういって 照れ笑いをしながら話を〆た。
そんなわけで私はミステリー・サークルに入ってから
毎日 ネタ探しをしている。
みんな単発が多いけど
私はだいたいシリーズものを探すことにしている。
今はだから 膵臓癌の人の話と
薬物中毒に苦しむ人の話と
いじめにあっている小学校4年生の男の子の話だ。
だいたい順番にしているが
今回はやっぱり膵臓癌だな・・
もうそろそろクライマックスだし・・
「よしっ決めた。 明日は膵臓癌だ」
・・・でも みんな私が話すとき いやな顔をしている気がする。
やっぱり人の不幸をネタにするのはよくないかなぁ・・
でも たいていの人はいい話や笑える話が多いんだし・・
一人くらい嫌われ者がいたっていいよね・・
----------------------------------------------
発表会の開催される日。
行く前に買い物をしてから行こうと
夕方早めにアパートを出ると
下で なにやら揉め事のようだ・・
この近辺に最近出没するようになった豆腐屋のおにいさんと
アパートの前の一軒家で一人暮らしをしているおばあさんだった。
このおばあさんはちょっとボケていて
とにかく被害妄想が激しく
ちょっとした会話があとでとんでもない話にされていたりするので
誰も口を利かないものだから
このところ この豆腐屋がお気に入りだ。
何も知らない豆腐屋のおにいさんは
豆腐ください・・と呼び止められれば 足を止めるし
話かけられれば 客商売だから世間話にもつきあう。
いつもおばあさんが色気たっぷりに
一方的に親しげに話しをしていたが
今日はなにやら言い争っているので
ちょっとアパートの影にかくれて盗み聞きをした。
おばあさんが甘ったれたような声で言う・・
「豆腐を食べたらねぇ 血糖値があがっちゃったのよお」
律儀で親切な若者の豆腐屋が言う・・
「豆腐を食べたらですか!?」
「そうなのよお・・どうしたもんかしらねぇ」
「それはよくありませんねぇ・・」
「ねっ どうしたらいいかしら?」
「豆腐で血糖値があがるなんて話は聞いたことないですけど・・」
「うそだって言うの? 本当よ。
この豆腐であがったのよ」
「じゃあ・・もうやめたほうがいいんじゃないですか?」
「買わないって言ってるんじゃないのよ だから血糖値がね」
「はい あがったんですよね 豆腐で・・だったらやめた方が・・
血糖値あがるのよくないですよね」
「違うって言ってるでしょっ 豆腐のせいじゃないのよっ」
「えっ? だって今 豆腐を食べたらって 言いましたよね?」
「そうじゃないのよっ 血糖値が高いって話なのよ」
豆腐屋のおにいさんは唖然としている・・
私はこの先の展開がなんとなく想像できたので
もう行くことにした。
心配して欲しいんだろうな・・きっと。
でも豆腐のせいにしちゃったから話がしっちゃかめっちゃかだ・・
でも豆腐屋のおにいさんはたかだか豆腐一丁に
毎度毎度30分近くも呼び止められてんじゃ面倒だもんねぇ・・
そうだ・・今度はこの豆腐屋シリーズもネタにしよう。
これはちょっとユーモアがあっていいんじゃないかな・・
私はなんだかうれしくなって 駅までスキップして行った。
----------------------------------------------
あちこちで
あの人の・・
その人の・・
ひとりひとりの物語は進行中だ。
私は・・この断片が見えるその瞬間が楽しい。
ぞくぞくする。
そういう私の物語も進行中で
そういう私の物語の断片も
もしかすると・・・
どこかの
誰かの
快感を刺激しているかもしれない・・
●《自己批評》
『ネタにするものがなくて
いつも苦しんでいる私の
数少ないストックで
膵臓癌の話と・・
覚醒剤の話と・・
いじめの話と・・
夫婦交換の話と・・
豆腐屋のにいちゃとぼけたばあさんの話と・・
どれもひとつづつで話をまとめて
ふっふっふ・・少なくとも
あと5回はMC参加可能だわ・・と
(うまくまとめられるかどうかはまた別の話・・)
おもいつつ・・
3周年記念だって言うので
全部もりこみ スペシャルにしちゃって
・・??でも かえってわけのわからない
むちゃくちゃにした気がしないでもないでもないかもしれない
(−−) 』
《rudoのあれこれ・・ rudo》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎物語が進行中である、というこの瞬間が楽しい。

著者:知
私は最近、物語を書くことにはまっている。
何が楽しいかって、物語が進行中である、というその瞬間が楽しい。
一体どのように物語が進んでいくのか、書いている本人にもわからない。
よく、キャラクターが勝手に歩き出したという表現を耳にしていたけど、たぶん、こういうことなんだろうなって思う。
「アリス、何しているの?」
ノートに何やら書いている私のことが気になったのか、美空(みく)ちゃんが話しかけてきた。
私の名前は有栖川有彩(ありすがわありさ)。
小学校、中学校ではアリスって呼ばれてたんだけど、高校に入ってからアリスって呼んでくれるのは美空ちゃんだけ。
美空ちゃんはちゃん付けで呼ばれるのに慣れていないのか、初めは嫌がっていたんだけど、ずっとそう呼んでいるとそう呼ぶのを止められなくなった。
「ちょっと……ね」
うっ、今がお昼休みというのを忘れてたよ。
書いている手を止めて誤魔化すようにそう返す。
私が物語を書いているのは誰にも教えていない。
だって、恥ずかしいから……
「ふ〜ん」
そう言うと私を見ている視線をふと横に逸らした。
「?」
「どれどれ……」
思わず釣られて横を向いてしまった隙に、机の上に置いていたノートを取られてしまった。
「はぅ、見ないで〜」
取り返そうとしても、美空ちゃんの腕が邪魔でどうしようもない。
身長差があるから、額を押さええ腕を伸ばされると手が届かないんだよ。
それでも手をぶんぶん振っているから、傍から見ると可笑しく見えるかもしれない。
……又、じゃれ合っているよ。というような生暖かい視線がクラスメートから送られているので、間違いなく可笑しく見えているよ。
うう……恥ずかしくて顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。
「はい、返すね」
「うーうぅー」
返されたノートを抱きかかえながら小さな犬のように呻る私。
「アリス、小説も書いてたんだ」
美空ちゃんはそんな私を何時ものことと無視して、そう言った。
「うん、下手の横好きだけどね」
呻るのを止めてそう返した。
まだ書き始めて数ヶ月だし、下手なのは当たり前だと思う。
「ただ書いているだけ?」
「ううん、ネットで公開しているよ」
「え? ネット? 本当に?」
私がそう返すと美空ちゃんは凄く驚いたようだ。
「あるサイトに投稿しているだけだよ」
美空ちゃんが驚いている理由はすぐにわかったのでそう返した。
私は機械やらデジタル関係に凄く疎いんだよね。
インターネットもただお気に入りのサイトを見ているだけ。
パソコンもインターネットを見ることにしか使っていない。
「それなら納得ね。何と言うサイトに投稿しているの?」
「Mystery Circleだけど……あっ!」
しまった思わず、サイト名言っちゃった。
「そう、Mystery Circleね。家に帰ったら探してみるわ」
「あぅぅ……」
微笑みながらそう言う美空ちゃんに対し私は肩を落とすしかなかった。
絶対にサイトに辿り着いて、私の今までの作品が見られるよ。
「それにしても、作曲の他に小説も……よく、そんな時間あるわね」
美空ちゃんがそう呆れたようにそう言った。
他にするべき事があるでしょ。
口には出していないけど、暗にそう言っている。
「両方とも下手の横好きだし……それにちゃんと練習はしているもん」
「そう? それならいいけど?」
少し拗ねながら返した言葉に微笑みを浮かべながらそう返されると、何も言い返せず口ごもってしまった。
私の通っている高校は「フォニ」という楽器の専門高。
不思議な楽器で弾く人によって音が違い、人が一人一人声が違うように弾く人によって音色が違うからフォニと名づけられた。
弾くことができる人が少ないというのも特徴の一つかな。
毎年12月24日――クリスマスイブに開催される音楽祭が有名で、練習はその音楽祭に向けての練習のこと。
音楽祭は最低でも二人でグループを組むことになっていて、基本的に1年生は同じ学年の人とグループを組むことは許されていない。
私のパートナーは『はぎ原先輩』……実は一緒に音楽祭に出ることが決まって一ヶ月が経つのにアンサンブルをしたことがない。
初めてはぎ原先輩の演奏を聞いたとき、すごくはぎ原先輩の音が気に入って、アンサンブルをしたいと申し出たら……アンサンブルをするのは私の技術が最低限身についてからとおあずけを受けた。
音楽祭で弾く曲もまだ教えてもらっていない。
だから練習といっても、音楽祭で演奏する曲を弾いているわけでなく、ただただ技術的な練習をしている。
私はこの学校の中で一番下手なのはわかっている。最初のフォニの授業の時に皆の技術の高さに唖然とした。
でも……でも、ずっとずっと技術的な練習だけ、アンサンブルもしてくれないし……ストレスがたまって、作曲をしたり、小説を書いてしまうのは仕方のないことだと思う。
……あれ? 作曲……美空ちゃん……何か忘れているような……
お、思い出したよ。何故、忘れていたんだろう。
昨日、完成したんだった。
「美空ちゃん、昼から授業、入ってる?」
「今日は昼からは全く入ってないから、パートナー探しをしようと思っていたけど?」
この高校は少し変わっていて、大学のように自分で取る授業を決める事ができ、一日六コマ授業があるんだけど、一日全部入れている人は滅多にいない。
と言っても、1コマ目の前と6コマ目の後にホームルームがあって、それに出ないといけないことになっているんだけどね。
美空ちゃんはパートナー探し……か。
美空ちゃんはまだパートナーが決まっていない。早く決まるといいなぁ。
美空ちゃんに申し出を断られた先輩方が、是非、美空ちゃんと組みたいと生徒会に引き合いを求めているという噂を耳にした事があるけど、本当かな?
「じゃあ、少しだけ時間いい?」
「いいわよ。何番の練習室に予約入れてるの?」
「えっと、10番……だね」
「10番ね、先に行ってるわ」
「え?」
美空ちゃんがそう言うとチャイムが鳴った。
う……まだ移動する準備、してないよ。
美空ちゃんは何時の間にしていたんだろう……
私が慌てて移動する準備をするのを横目に、美空ちゃんは教室から出て行った。
「お、お待たせ」
フォニを持っての移動だから思ったよりも移動に時間がかかってしまったよ。
「……5コマ目に練習室の予約を入れたのなら、フォニは昼休み中に練習室に置いておくのが普通だと思うけど……」
私がフォニを持って練習室に入ったのを見て、美空ちゃんはじと目で私を見ながらそう言った。
「す、すっかり忘れてたんだよ」
フォニを置いておくのを忘れてたのではなく、練習室の予約を入れたのを忘れていたのは内緒の話。
「まぁ、いいわ……それでどんな用なの?」
「うん、美空ちゃんに聞いて欲しい曲があって」
美空ちゃんの質問にフォニを組み立てながらそう返した。
「聞いて欲しい曲? 又、新しく曲、作ったの?」
「えへへ……じゃあ、弾くね」
一音一音、丁寧に思いを込めて弾く……技術が乏しい私にできることはそれぐらいだ。
音と一つになるような感覚……うん、調子いいね。
この曲に込められた思い、美空ちゃんに伝わるかな。
「らしくない曲ね」
曲を弾き終わると美空ちゃんは開口一番、そう言った。
「そ、そうかな?」
「だって、アリス、この曲ちゃんと弾けないでしょ?」
う、見破られた……技術的に弾けない箇所があって、その部分は誤魔化してしいたんだけどなぁ。
「どうして自分で弾けない曲を作ったの? 今までそんな曲、作ったことなかったでしょ?」
美空ちゃんと友達になってから、私が作曲した曲は全部、聞いてもらった。
もしかして、全部どんな曲だったのか覚えてるのかな? 凄いなぁ……
「うん。だってこの曲は美空ちゃんにプレゼントするものだから」
私はそう言うと、スコアを渡した。
「私に?」
美空ちゃんはスコアを受け取ると小首を傾げた。
普段は凛としていてカッコいいけど、偶に見せるこういう仕草が凄く可愛い。
「うん。美空ちゃんをイメージして作った曲だから」
「だから、曲名が『klarer blauer Herbsthimmel』なのね」
「はぁ……美空ちゃん、ドイツ語もわかるんだ」
悩んでつけたんだけどなぁ。
『klarer blauer Herbsthimmel』はドイツ語で秋空という意味。
美空ちゃんのフルネームは『秋月美空(あきづきみく)』
そこからつけた曲名だったんだよね。
美空ちゃんは一通りスコアに目を通すと弾き始めた。
美空ちゃん、フォニこの部屋に持ってきてたんだ。
上手だ……私が弾く事ができない部分も何ともなく弾いている。
曲に思いを込めることも、私より上手……
そして何より、音が優しい……ここまで優しい音が出せる人は他に知らない。
美空ちゃんは、有名なフォニストの子どもで、しかも凛としている態度のせいか、近づき辛い雰囲気を出していた。
でも、そんな雰囲気は初めて美空ちゃんのフォニの音を聞いて私の中では吹き飛んだ。
その授業が終わるやいなや、美空ちゃんに友達になってと詰め寄ってしまった。
その時の会話の内容は覚えていない。
でも、美空ちゃんはそのときのことを後に
「目がきらきらした子犬に懐かれた気分だったわ」
と語った。
「それにしても、この曲、本当に難しいわね」
美空ちゃんは弾き終わると今の演奏が納得がいかない、というようにそう言った。
「そうかな?」
「技術的にも難しいけど、それ以外の部分もね」
私の言葉に納得がいかないからか、弾き終わってからじっと見つめていたスコアを片付けながらそう返した。
「曲の完成度からすると、この曲が今までの中で一番出来がいいわね」
「本当?」
「ええ。今までの曲はよくあそこまで低い技術しか使わない曲であれだけの曲が作れるものだと感心していたけれど……」
「はぅ」
持ち上げられて一瞬で落とされた感じがするよ。
「今までのはアリスが弾けることが前提で作っていたのね。今回はその枷をなくしてみた、と……アリスがこれを弾けるようになるのは何時かしらね」
「う〜いじわる……」
「そうだ。アリスとアンサンブルする曲はこの曲に決定ね」
「え?」
美空ちゃんに今度アンサンブルしようと話を持ちかけていた。
その曲選びは美空ちゃんに任せていたんだけど……
「勿論、さっきアリスが弾いたような誤魔化しの演奏は駄目よ」
「はぅぅ〜」
美空ちゃんの言葉に落ち込む私。
ちゃんと弾けるようになるまでおあづけ……ですか?
「アンサンブルできるのは何時になるかしらね」
「う〜はぎ原先輩とのアンサンブルもおあづけになってるし、美空ちゃんとのアンサンブルもあおづけ……」
「あら、はぎ原先輩ともおあづけになってるの」
恨めしそうに呟く私を見て、微笑みながらそう返した。
「う〜もっと練習頑張らないと」
「頑張りなさい。今のままだと音楽祭に出ても恥をかくだけだからね。注目されるのに、あれでは……ね」
「注目されるって、どうして?」
「どうしてって……え?まさか、知らないの?」
「知らないのって、何が?」
美空ちゃんの言葉の意味がわからない。
そんな私を美空ちゃんは信じられないという感じで見ている。
「アリス、はぎ原先輩のフルネームは?」
「え……『はぎわらともよ』」
「じゃあ、去年の音楽祭の優勝者の名前は」
「男性? 女性?」
「女性」
「『おぎ原知世(おぎわらちよ)』」
私の返答に唖然とする美空ちゃん。
「そんな……な間……をするなんて」
何かを呟いているけど声が小さすぎて聞き取れない。
「まぁ、知らないのならその方がいいかもね」
「気になるんだけど……」
「気にしない、気にしない」
気になるけど、教えてくれそうにないので諦めるしかなさそう。
「じゃあ、そろそろ行くわね」
「あ、ごめんね時間、大分使っちゃったね」
「気にしてないわ。いい物も貰ったしね」
私の言葉に鞄を撫でながらそう返す美空ちゃん。
その言葉は凄く嬉しい。
「でも、よくこれだけ頻繁に曲が作れるなんてね」
「下手の横好きだから……それに私の中にある物を引きずりだしているだけだから」
美空ちゃんは私の言葉に肩を竦めると練習室から出て行った。
美空ちゃんにも言ったけど、作曲も小説を書くことも私の中にある物を引きずりだしているだけ。
私の中心に闇があってその中から引きずり出す……
そこにある物は闇の中から引きずり出してみたら、色あせてしまうものなのかもしれない。
でも、それでも、闇の中から引きずり出したいと思うのは、私の我侭かな?
●《自己批評》
『何かいきなりやってしまった、って叫びたくなったりするな(謎)
何のとかわからない人はMasquerade vol.2を参照。
これでメイン3キャラのフルネームが出てきましたね。
「有栖川有彩」「秋月美空」「萩原知世」
有栖川であだ名がアリスというネタは以前にも使った事があったり。
そっちを知っているのはMCメンバーでは一人だろうけど。
みくという名前は偶然です。某ボーカロイドを意識していません。
萩原先輩は……萩と荻が混同するというベタな間違い&名前の読み方の間違い、という二重の間違いw
この間違いがわかるときのネタは出来上がっているけど、MCで公開する事があるのかは謎。
後、タイトルのQuartetは四重奏、overtureは序曲という意味。
「メインキャラは3人なのに四重奏?」とか「同じパートを弾いているのなら重奏ではなく合奏じゃないか」という突っ込みはなしの方向でw
3人なのに四重奏には意味があります。
それはMCで続きを書く事があればそのときに。』
《Liar's villa 知》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎闇の中から引きずり出してみたら、色あせてしまうものなのかもしれない。
゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜
◎闇の中から引きずり出してみたら、色あせてしまうものなのかもしれない。
『不完全犯罪』
著者:蒼
闇の中から引きずり出してみたら、色あせてしまうものなのかもしれない。雨宮一子はそう感じていた。心の奥底に潜むそれに光を当て、言葉に表そうとしても無駄なのだ。自分でさえも上手く説明できないものはどう言い繕おうとも表現しきれるものではない。引きずり出したところで自分にとってもはや別物となるのだ。
だからこそ動機については言及するつもりもない。愛憎の果てであろうと、仇討ちであろうと、欲深い金品の奪い合いであろうと、いっそのこと狂人による通り魔的犯行であろうと、結局のところ結果に変わりは無いのだから。
一子は深く考えないことにした。考えなければならない問題はこれから。全て計画どおりになどいくわけがないとわかっているから、あらかじめ立てておく計画は完全ではいけない。常にその時の状態を加味できるよう、ある程度自由に柔らかくしておく必要がある。大事なのは絵ではなくむしろ額縁。
青年画家、三上靖彦は背中から包丁の柄を生やして床に倒れていた。一撃で済んだことに一子はホッとしていた。いくら不意をついても男と女、単純な力比べではさすがに不安だったからだ。多少悲鳴を上げられたが大丈夫であろう、この男の住居兼アトリエのマンションは防音もしっかりしている。
美大を出てコンクールで3番手くらいの成績を得た程度の十羽一絡げの画家がこのような比較的高級な部類のマンションに住んでいるのは親の遺産の賜物である。わかりやすく言えば単なる道楽者だ。
いくらか血のついた手袋を予備と替え、踵を返した一子はアトリエ代わりの洋間から書斎へ向かう。途中のキッチンでタオルと大きな栓抜きを拝借する。書斎に入り唯一の窓を開けた。雪こそ降らないものの真冬の突き刺すような冷気が入り込んで一子の足元から冷やしていく。
窓の外は手を伸ばせば届きそうなくらいに壁がある。デザイン性を重視しすぎたいりくんだ外観は好都合だ。暗いうえに表通りからは見えない場所だから多少異変があっても見つかりにくいだろう。窓を開け、内側には消音の為のタオルをあてがい、外側から栓抜きを叩きつけて窓ガラスに小さな穴をあけた。けして大きな音ではないはずなのに、体がビクリと反応した。
(大丈夫)
一子は落ち着かせるように深く息を吸い、吐く。やけに熱い体の中へと冷気が染み込んでいき、心拍数が落ち着くのを助けた。
割れた穴の位置も問題はない。タオルについたガラス片はできるだけ掃って床にこぼしておいた。
「これでいい、大丈夫」
運を引き寄せるのは力を持った言葉だ。一子は言い聞かせるようにあえて言葉に出した。
自分の行動をひとつひとつ思い起こして確認していく。指紋に関しては心配ない。真冬だからこそ手袋は必需品で、手袋をしたまま部屋に上がっても三上に不審がられることはなかった。
書斎、寝室、LDKの順で、引出し等を適当にあけて金目の物を物色した形跡を作る。もちろん貰って帰るつもりはない。必要なのはこの部屋の合鍵と荒らされた痕跡だ。用意しておいた男物の靴で足跡を残しておいた。
一子が予定するストーリィに照らし合わせるとこうなる。書斎の窓から侵入した強盗が部屋を漁り、アトリエで三上と遭遇、脅し用もしくは護身用に持っていた包丁で犯行が行なわれ、動転した強盗は金品を放り出して逃亡する。
単純ではあるが、単純なもののほうが見落としが少ない。それに、計画性を感じさせない犯行はそれだけ容疑の枠を広めるはずだ。
必要な工作を済ませた一子は、もう一度アトリエに戻ることにした。見落としが無いか確認する為だ。この時ばかりは神経を張り巡らせ慎重にならなければならない。
アトリエを覗いた一子は愕然とした。イーゼルが倒れ1枚の大きな油絵が床に落ちているのだ。漂う異臭はその拍子に脇に転がるパレットからこぼれた油。カーペットに染みができている。
三上の体は這うように少し移動していて、筆を握り締めた手が絵にかかり停止していた。さっきはまだ死んではいなかったのだと一子は足が竦み、しばらくアトリエに踏み込むことができなかった。思考が停止しそうになる。
彼の携帯電話はキッチンに置かれていて使われた形跡はない。遮音性の高いマンションだから声を出しても誰かに届くことはないだろうし、どうやら外部に助けを求めたようには思えない。
「大丈夫」
呪文を唱えるように呟いて気力を振り絞るとアトリエに踏み出す。
カンバスに大きく殴りつけるように絵の具で記されたモノ。わずかに残された命を賭して三上が残したダイイングメッセージに、一子は驚きを隠せなかった。強張る体を折りたたむようにして彼の脇にしゃがみ、確認する。もうこの体に命の欠片も残っていない。
一子は幾分青ざめた顔で笑みを作った。
証拠の残るこの絵をどうするか。持ち出す? 持ち出したらこの絵に何かがあると感づかれてしまうだろう。ダイイングメッセージ、犯人の名前が書かれたという予測が立てられる可能性は高い。そうなれば疑惑が三上の周辺に集中してしまう。それは避けるべきだ。ということは、残る選択肢。
一子は手近にあった絵の具を適当にとり、おもむろにそれを塗り潰した。そこに描かれた真冬の海の絵に丁度良いだろう深い青色の絵の具で。
「さよなら」
そうして簡素に別れの言葉を述べアトリエを出ていった。
発見されたのはその2日後の2月1日。発見者は大学受験の為に田舎から出てきた従妹だという。事件は一子の思惑通り強盗殺人事件として処理されている。
別の窃盗で逮捕されたなんとかという男のアパートの、自転車置き場脇の側溝に三上のマンションの合鍵を落としておいたが、どうなっただろうか。そんなことは一子にはどうでもいいことだ。
大きな手がかりとなるべき凶器の包丁も、靴跡を残した男物のスニーカーも、全国展開する量販店で購入した品だからその方面から足がつくこともない。事件直後に刑事が来て被害者周辺の人間関係などを聞かれたくらいで、一子は容疑者の一人にすらならなっていない。運も味方をしているのだと彼女は思う。
あれから二ヶ月以上が過ぎた。一子が作り上げた虚像は完全となったのか。
今はもう桜の舞い散る季節。通勤ラッシュの電車の中で、初々しい学生達の姿を見る度に一子は思う。不運にも事件の発見者となってしまった受験生はどうしているだろうか。無事に志望校に合格しているのだろうか。
それだけが彼女の心残りだ。
●《自己批評》
『闇センセ(言っちゃった!)の影響でミステリに初挑戦……のはずが(汗
ひぃぃ。ごめんなさいごめんなさい』
《 〜限りなく透明に近い蒼〜 蒼 》
゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜
********************
蒼さんが入室しました。(22:29)
蒼 「ぼんそわ」(22:30)
蒼 「来るかな?」(22:32)
夏馬さんが入室しました。(22:36)
夏馬 「ども」(22:37)
蒼 「来たー」(22:37)
夏馬 「ぼんそわ」(22:37)
蒼 「言い直さなくても(笑)」(22:38)
夏馬 「今月のMCもお疲れ様でした」(22:39)
蒼 「お疲れ様でした。あ、遅ればせながら、先月末のオフ会超楽しかったですねぇ」(22:40)
夏馬 「オフ会初酸化、めっさ緊張しました」(22:41)
夏馬 「酸化違う、参加(苦笑)」(22:42)
蒼 「“生”夏馬さんは出没率低いですから皆感動モノですよ。私も初めてお会いしましたけどびっくりです」(22:42)
夏馬 「何、人を珍獣みたいに(笑)」(22:42)
蒼 「希少動物(笑)」(22:43)
夏馬 「メタルスライム」(22:43)
夏馬 「逃げ足は速い(笑)」(22:44)
蒼 「また参加してくださいよぅ」(22:45)
夏馬 「参加したいけども。……みんな若いんだもんなぁ。浮いてない僕?」(22:46)
蒼 「またまたぁ。闇センセ若いッスよ」(22:46)
夏馬 「闇センセて(苦笑)」(22:47)
蒼 「あ、イヤですか? 闇センセっての。ドキドキしながら使ってみました」(22:48)
蒼 「イヤだったら止めます」(22:48)
夏馬 「別にイヤというわけじゃないですけども……」(22:50)
夏馬 「なんとなくバカにされてる感じもしたりしなかったり(笑)」(22:50)
蒼 「何を言ってるんですかー。尊敬ですよ尊敬! ソンケー!」(22:51)
夏馬 「うーん、それはそれでなんとも言えないむずがゆさ」(22:52)
蒼 「じゃぁ、夏っちゃん」(22:52)
蒼 「オレンジジュースみたい」(22:53)
夏馬 「人の名で遊ぶな(笑)」(22:53)
夏馬 「で、話したいことがあると?」(22:54)
蒼 「えーまぁ。単刀直入ですね」(22:55)
夏馬 「チャットあんまり特異じゃないから。コミュニケーション能力低いんですよ(涙)」(22:56)
夏馬 「……特異て(涙)」(22:56)
蒼 「うあ。すんませんお呼びたてして(汗)」(22:56)
夏馬 「いえいえ(笑)」(22:57)
蒼 「今月の私の作品なんですけど。推理物の代名詞闇センセは読んでいただけたでしょうか?(おどおど)」(22:59)
夏馬 「代名詞て(汗)」(23:00)
夏馬 「もちろん読みましたよ。導入部から引き込まれる感じが味出てるよねぇ。好みの雰囲気。犯人視点ていうパターンも僕は好きだな」(23:02)
蒼 「そう言ってもらえると嬉しいです」(23:02)
蒼 「さらにツッコミを」(23:03)
夏馬 「ツッコミ?(汗)」(23:03)
蒼 「どーんと」(23:04)
夏馬 「ど。どーん」(23:04)
夏馬 「えと……僕自身の好みってことでよければ」(23:05)
蒼 「もちろん。ミステリーを書いて闇センセにツッコまれるのが至福の喜び」(23:06)
夏馬 「うへぇ」(23:06)
蒼 「どきどき」(23:06)
夏馬 「ていうか、登場人物に僕の名前使いましたな」(23:07)
蒼 「闇センセリスペクトです(笑)」(23:08)
夏馬 「わからん人多いだろうに」(23:08)
蒼 「闇センセにお会いした人ならわかります。インパクトありますし」(23:09)
夏馬 「わかりにくいッ(笑)」(23:10)
夏馬 「えーっとね。ミステリの雰囲気は出てるんだけど、個人的な好みでは読み終えての印象がもやっとする。続きは!?みたいな」(23:13)
蒼 「ふむふむ」(23:14)
夏馬 「まず、動機の面が完全にぼかされている点。結局靖彦はなんで殺されたの? それに最後まで読んでも犯人と被害者の関係もハッキリしないし」(23:17)
夏馬 「お題を上手く使って暴投から動機の謎に注目させて一気に読者を引き込むのに成功してるけど、それが結局解明されていないから、なんというか」(23:18)
蒼 「スッキリしない?」(23:19)
夏馬 「そう。そこがキモだと思って(これは僕が勝手に思い込んでただけかな?)読んでたんだけど」(23:20)
蒼 「私もそこ悩んでたんですけどね。一子がどういう人間で何故靖彦を殺したか、こればっかりは一子でないとわからないだろうし」(23:21)
蒼 「……闇センセ?」(23:25)
夏馬 「ごめん、お茶煎れてきた」(23:25)
夏馬 「なんだかまるで犯人がホントにいるみたいな言い分だね」(23:26)
蒼 「書くのにハマると登場人物が勝手に動き出すってのもあるんですけどね」(23:27)
夏馬 「まぁ、そうだね」(23:27)
夏馬 「どこかで晴彦の言動で悪辣さというか、言い方悪いけど殺される原因を臭わせておけばいいかな。ああでも初っ端から死んでるか」(23:29)
夏馬 「うーん……たとえば動機が痴情のもつれなら、飾られていた晴彦と恋人の写真を犯人が忌々しそうに見る、とか」(23:30)
蒼 「おお。なるほど。さすがセンセ」(23:31)
夏馬 「……やっぱセンセは止めない?」(23:31)
蒼 「却下(笑) そんな調子でどんどんツッコミお願いします」(23:32)
夏馬 「えーと。結局さ、犯人の完全犯罪成立しちゃったってこと? 斬新といえば斬新だけど、ミステリとしては斬新すぎない?」(23:35)
蒼 「斬新すぎますか」(23:35)
夏馬 「普通のミステリならここで探偵役やら刑事役やらが出てきて、犯人に推理を突きつけるんだけど。古畑任三郎とか」(23:36)
蒼 「古畑任三郎?」(23:38)
夏馬 「時代を感じるなぁ……女子高生」(23:39)
蒼 「この春から女子大生ですわよ(笑)」(23:40)
夏馬 「ああ、そうでした。ピチピチの女子大生」(23:40)
蒼 「死語ー(爆)」(23:41)
夏馬 「えーっと。……問題編、という風に閉じているのならまだわかるんだけど、完全犯罪でおしまい、となるとなんとも消化不良というか。ミステリスキーの悪い癖だ」(23:43)
夏馬 「ていうか、タイトルは『不完全犯罪』なんだ」(23:43)
蒼 「うふふ」(23:34)
夏馬 「……何その笑い」(23:36)
蒼 「いえいえ(笑) 闇センセならこの先の展開、どうしますか?」(23:37)
夏馬 「先の展開? やっぱり続きがあるのかな。でもそれは僕が考えることじゃないでしょ」(23:28)
蒼 「やっぱり探偵なり刑事なりが一子を捕まえに来るんでしょうね」(23:39)
夏馬 「そうかもね」(23:41)
蒼 「となると、一子の完全犯罪には穴があったってことでしょう」(23:41)
夏馬 「そうだね」(23:44)
蒼 「何だと思います?」(23:44)
蒼 「おーい? どこいった?」(23:48)
夏馬 「……わかるわけないじゃない。これだけの描写で」(23:48)
蒼 「これだけの描写では断定できない、と」(23:49)
夏馬 「そう。もしかしたら犯人が気付かない目撃者がいたのかもしれないし」(23:50)
蒼 「それじゃミステリとして成り立たないでしょ? それに、すでに事件から二ヶ月以上経っているんですよ」(23:50)
蒼 「目撃者がいたらもっと早く事が進むんじゃないでしょうか」(23:51)
夏馬 「……よくわからないな。蒼ちゃんの口ぶり(チャットだけど)だと、ホントにあった事件みたいに言うよね」(23:54)
蒼 「被害者は自分の最期の力を振り絞って犯人の名を書き遺したんです」(23:54)
夏馬 「しかしそれは犯人が塗り潰してしまった」(23:55)
蒼 「そう、一子が」(23:55)
蒼 「発見者は被害者の従妹です。被害者の両親はすでに他界しているので、遺品のいくつかは彼女にも託されました。それは予想できる展開ですよね」(23:56)
夏馬 「そうだね。それは」(23:57)
蒼 「問題の油絵も彼女の手に渡ったのです」(23:57)
蒼 「闇センセ、聞いてますか?」(00:01)
夏馬 「聞いてます」(00:02)
蒼 「一子は油絵に関する知識に乏しかった」(00:02)
蒼 「油絵の絵の具は化学物質の塊なんだそうです。エメラルドグリーンは酢酸亜比酸銅。ウルトラマリーンは珪酸アルミナナトリウム。ヴァーミリオンは硫化水銀」(00:04)
蒼 「そういう絵の具には混ぜると化学変化で変色を起こすことのある組み合わせがあるんです。禁忌色というそうです」(00:05)
蒼 「闇センセー?」(00:07)
夏馬 「禁忌色か。知らなかったな」(00:08)
蒼 「そう、それが一子のミス」(00:08)
蒼 「被害者の本当の名前は南晴彦」(00:09)
蒼 「私は晴兄さんの遺品としてその絵をもらいました。真冬の海が描かれた絵です」(00:10)
蒼 「絵の下半分くらい塗り潰された、緑がかった深い海の青。そこからじんわりと二ヶ月の時をかけ、滲むような黒褐色で文字が浮き出てきました。最初は文字だなんて思わなかった」(00:11)
蒼 「ぼやけたような、でも、だんだん形作られるメッセージを見て驚きましたよ。オフ会でお会いした方の名前なんですもん」(00:12)
蒼 「ね。闇センセこと松永夏馬さん」(00:14)
蒼 「それとも本名で呼んだほうが良いですか? 雨宮一子さん」(00:15)
夏馬 「雨宮も、一子も、ありふれたというほどでもないにしろ、同名異人だっていう可能性もあるでしょ?」(00:15)
蒼 「じゃぁ何故晴彦さんの名前を知ってるんですか」(00:16)
夏馬 「名前?」(00:17)
夏馬 「蒼ちゃんが書いた小説に出てるじゃない」(00:18)
蒼 「いいえ。私の作品の中での被害者の名前は“靖彦”です。YASUとHARU。まさか誤変換だなんて言い訳しないですよね」(00:19)
蒼 「別に闇センセが同名の別人だと言うのならそれでも良いですけど。どっちにしろこれから警察は晴彦さんの関係者の『雨宮一子』に目を向けるでしょうし」(00:20)
蒼 「たまたま選んだ色がたまたま反応したんですよ。なんて運が悪かったんでしょうね」(00:21)
蒼 「聞いてます?」(00:25)
蒼 「ねぇ?」(00:28)
蒼 「闇センセ?」(00:30)
夏馬さんが退室しました。(00:30)
********************
間もなくチャット場からHN『蒼』が退出した。それと同時にログが消去される。
暗く深い蒼色の海から浮かび上がった言葉の数々は渦を巻き、そして儚く消えうせた。モニタの中だけは全てが白紙である。

著者:松永夏馬
●《自己批評》
『この物語はすべてフィクションです。(そりゃそうだ)
油絵や禁忌色について不勉強な部分が多いので、すんません。
作中作。相変わらずなんかもう手を変え品を変え。そして相変わらずなんか浅い。
3年。もう3年もやってるんだなぁというのが半分。まだあれから3年しか経ってないんだというのが半分。この3年の積み重ねと共に自分が少しでも成長していれば良いのですがね。』
《Missing Essayist Evolution 松永夏馬》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎全てが白紙である。

著者:AR1
全てが白紙である。なぜならば、午前と午後の境目である正午にまさに今、達したからだった。午前であることがリセットされ、新たな時間軸へと移行する。
それと同時に、私の人差し指が天井の方に向けて垂直に伸びた時、腹の中からご機嫌な様子で小鳥が飛び出し、陽気な歌声を披露する。もっとも、小鳥が今まで不機嫌そうに鳴いたことなど一度としてない。
寒気の中に徐々に温もりが射し込みつつある四月の陽気。窓を容赦なくノックして来訪を告げた春の嵐はどこへやら、黒い雲の断片すら見当たらない。レース・カーテンを飛び越えてきた木漏れ日のような陽光が、白の壁紙に吸い込まれる。
液晶画面の中では、かしこまった表情の天気予報士が今日一杯の空模様の安寧を約束し、背景ではカメラが渋谷の交差点の混雑振りを実況で監視している。風の中に冬の凍てつきは薄くなったとはいえ、薄着や大胆なカットが施されたファッションで横断歩道を歩く若者は少ない。
歌唱を見せてして満足したのか、小鳥は私の腹の中へ舞い戻る。この同居人の声は壁を突き破って隣室に飛び込むほどよく通る。付けっ放しのテレビの筐体からはニュース番組の司会者の抑揚のない語りが流れているのだが、小鳥の歌声の前にはあえなく敗退した。部屋の隅っこにいる私のところまでなんとかナレーションが届くものの、絶対的な音量が小さ過ぎるのだ。
そういえば、私は一時間前に飛び出した小鳥とおしゃべりをした。普段はこの部屋の主人に会話を聞かれるとまずいので、小鳥との会話は禁忌とされているのだが、あまりにも代わり映えしない時間の流れにお互い鬱屈していたのだ。我慢できなかったのは、私との関係においてはおしゃべりと相場が決まっている小鳥の方からだった。
「なあ、いつご主人様は帰ってくるのかねぇ?」
楽天的を思わせる高い声にお似合いのあけすけな質問をする小鳥に、私は言葉を選ぶ時間を稼ぐために「うぅん」と唸った。
「きっと、どこか旅に出ているんだよ」
重厚で渋みがある、とかつて小鳥に評された声で私は答えてやった。
「旅って、どこに?」
「きっといいところさ」
ふうん、と少し怪訝そうな態度を見せながらも、小鳥は私という巣の中に引っ込んで行った。
私は一つ、小鳥に嘘をついているが、今はそう答えざるを得なかった。
午後一時になって再び小鳥が顔を出した時、少し嘴を上に持ち上げたように私には見えた。両目で凝視されているのが何よりの証拠だ。
「君、何か隠しているだろう?」小鳥は少しばかり低く抑えた声で、私に圧力をかける。
「と、言うと?」私はあくまで――存在しないはずの――首を振って白を切る。
「僕は一日に二十四回、しかもほんの少ししか外に出ることが出来ない。だけど、君はいつだって部屋の中を見ていられる。君は何か見ていないのかい?」
「何も見ていないさ」
何かを聞いてはいたけれど、とあえて私は口に出すまいと心に誓った。この場から身動きすら取れない自分に、例え真相を明かされたところで何も解決する出来ることなどないのだ。一つとして、ない。それは同居人の小鳥にもまったく同じことが当てはまる。
「なんだか、神隠しみたいだね」小鳥が言った。
「謎、か。ミステリー・サークルのように」私は後を続けなかった。――きっと、主人が私と視線を絡める日はやって来ない。
小鳥はいつもより少しだけ長めに外界に留まっていたが、訊きたいことは全て吐き出してしまったのか、私の腹の中に引っ込んで勢いよく扉を閉めてしまった。扉を力強く閉じる時は、小鳥にとって納得のいかない出来事があった時と相場が決まっている。
私は静けさと埃が舞う部屋の中で物思いに耽っていた。部屋の主は本当にどうしたのだろうか、と考えるうちに小鳥が姿を消してから五分が経過した。じっくりと考えていたつもりだったが、やおら敏感になり出した耳がつけっ放しのテレビの音声を拾った時、時間がワープしたかのように体内時計の感覚が大きく狂う。私は時間を計ることに関しては絶対の自信があるのだが、とうとう体がおんぼろになり始めた証左かもしれない。
あまりにも小さかったニュースの音声が、今回ばかりは体の中の歯車が外れかねないほど大きな振動を伴って襲って来た。――その一報は、主人の死体が栃木の山中で発見されたという速報だった。
しかし、大地震はすぐにある一点へと収束する。この部屋の主が帰館することはないという予感を決定的に裏付けたことで、私には諦めるしか選択肢がなかったのだ。どれほど心配しても、何を嘆き悲しもうとも、結局は誰の耳にも届かないのだから。同居人の小鳥を除いて。
私には、黙して語らずという選択肢しか残されていなかった。伝わらない独白を愚痴のように落とし続けるくらいなら、いずれは処分されることに身を任せ、悲しみを体の中に留めて眠りたかった。
時計は沈黙していた。針は凍りついたかのように盤上に張り付けられ、まるで動く気配はなかった。秒針の刻む拍が停滞した今、NHKのテレビ放送の中にだけ真実の時間が流れていた。
心停止した真っ白な部屋の中央にあるコーヒーテーブルの上には、鮮やかなアネモネがちょこんと生けてあった。
●《自己批評》
『以前にMystery Circleネタをやってしまったので、今回はオーソドックスに書き上げました。』
《If... AR1》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎コーヒーテーブルの上には鮮やかなアネモネがちょこんと生けてあった。
『アネモネの咲く頃に』
著者:空蝉八尋

コーヒーテーブルの上には、鮮やかなアネモネがちょこんと生けてありました。
その何気ない風景、しかも居心地のすこぶる悪い空間に限ってこんなベストタイミング。
『それでは、この花が咲く季節にしましょうか。チヤ子ちゃん』
ああ。
脳裏で駆け巡る記憶、残像、掠れた音声。
これが、これがまさしくフラッシュバックというものなのですね。
人生、まったく何が起こるか分からないものねと実感している暇もなく。
わたくしはピアノの鍵盤を叩き割る勢いで腕を振り下ろし、不協和音と共に叫んだのです。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
喉を突き破るかの絶叫。クラゲに刺されたような指先の痺れ。
「なっ!?」
わたくしの奏でる優美で優雅な旋律に、一丁前ながら、さも違いが分かるかのように図々しく聴きひたっていた庶民、いえ愚民。
肩を震わせて閉じていた眼を一気にひらき、無様にもソファから雪崩れ落ち。ああ良い気味。
「うおっ……とぉ!? ゴホン、いかがなされましたか? チヤ子さん。 鼓膜が破れてしまうところでしたよ、ハハハ」
白い歯を無駄に輝かせ、狐のような笑みを浮かべながら両手を広げ歩み寄られ、わたくしはあからさまにその手を避けました。
触られてたまるかってものでございますわ。
「本望ですわ、バリーッといきなさい」
「うぉーいっ!? ……ゴホゴホン、予想外の展開だぞこりゃ」
「そしてビリビリーッバリンのグチャッとなりなさい」
「ひえぇーっ……よく分かりませんが最後がグロいですね」
行かなくては。行かなくては!
こんな時でも繊細なわたくしはピアノをきっちりと元通りに片付け、蓋に挟んだ薬指を気にしながら向き直りますの。
頭上からきっと睨んだ美しさに平伏すが良いわ!
「ワタクシ、帰ります」
「えーっ!? な、何故ですか!? それは困りますよチヤ子さーん!」
「ええいっ、醜い! お黙りなさい!」
平手で右頬を叩き払うと、愚民らしく頬を抑えうずくまり、どこから出ているのか分かりかねない溜め息を漏らし。
「チヤ子さんの張り手はギザたまんないスなぁ」
お前は真性なのですか。
「大事な要件を思い出しました。ワタクシ、今すぐ帰らせて頂きますわ」
薔薇で飾られた帽子をかぶり、上質のファーで覆われたコートに袖を通している最中、重力が増しました。
見下ろせば、どこか恍惚とした表情で裾へしがみついてくる愚民の姿があるではありませんか。
「ちょっ……離して頂けないかしら?」
「行かせないよチヤ子さん。なんてったって今日は、僕達の記念日なんだからね」
「記念日? 初耳ですけれど」
「では、教えて差し上げます。僕がチヤ子さんに結婚を申し込み、そしてめでたく結ばれる記念日でふごほぉっ!」
「いつから勝手な予定日をしかも記念日に仕立てあげてんだミミズが!」
思わず反射的に蹴りを入れてしまいましたが、この方は急に気を失って倒れたという事にしておきましょう。
自分の人生設計にわたくしを組み込むなんて一万年と二千年早いのよ。
さようなら、わたくしと過ごせた時間を夢にでも見ているがよろしいわ。出演料はサービスしておきますから。
「高原! 高原っ!」
小走りで駆け寄りながら、玄関前で仁王立ちしている高原を呼びました。
わたくしの声に気付き、時計を覗いては戸惑った様子でこちらを見上げ。
「いかがなされましたかお譲様。まだお時間がお速いようでございますが……」
表情の読み取れない黒いサングラスの奥で、彼の瞳が揺れているのを感じます。
「急用を思い出しましたの。すぐに車を出して頂戴」
「…………左様でございますか」
「……ええ、」
わたくしは少しばかり違和感を感じずには居られませんでした。
いつも事務的に、なおかつ機械的に会話を繰り出す高原らしからぬ、奇妙な間の取り方をしたからです。
一般人としては左程ない所ですが、彼がわたくしの傍に付いてかれこれ、こんな反応が初めてだったせいかしら。
「あのう、お言葉でございますが、先方はいかがなされましたか」
「知らないわあんな妄想癖。つけ上がるのもいい所よ。気品が無いもの」
後部座席に腰かけると、エンジン音と共にシートベルトをかけながら、運転席から高原が振り返ります。
「そして、どちらへ?」
「オクテット、という喫茶店を知ってる?」
目立たない場所にあるものですから、おそらく知らないでしょうね。
花壇が綺麗で、アネモネの花が看板の、という気がきいたわたくしの補充の前に、高原は意外な言葉を口にしました。
「存じ上げておりますが」
「あら。じゃあ、そこへ向って頂戴。大至急で飛ばして。なんなら信号無視してもいいわ」
「了解致しました。交通ルールは守りますが……」
「そうね、常識ね」
近くの景色が飛ぶように過ぎ、遠くの景色はのんびりと通りすがって行くなか、滅多に私語を発する事の無い高原が、珍しくわたくしに話しかけました。
「そこには、どういったご用件で足をお運びになるのですか」
「どうしても、聞きたい?」
「い、いえ。言葉が過ぎました」
「フフ。いいのよ。高原がそんな風に聞くなんて、珍しいと思っただけですわ」
そして、それが少し嬉しくもあったの。
「はぁ……」
わたくしが窓の外を眺めたまま、繋ぎ目だらけの記憶を掘り起こして、出来る限り覚えている事を話そうと決めました。
「ワタクシ、小さい頃に一度だけ、お父様達のパーティーから逃げ出した事がありましたの」
「幼い頃に、そんな事がありましたか」
「ええ。でも確か、貴方がまだ私に付く前でしたのよ」
どうしても、自分ひとりで外を出歩いてみたかったの。
映画やお話の中に出てくる女の子のように、元気に活発に、飛び跳ねる様に道を歩いてみたかったの。
ワタクシはその時、一番大切にしていたテディベアを抱きかかえたまま、人混みを利用して会場をすり抜けて街へ出ました。
「お父様とケンカになりましたのよ。勝手に外に出たりなんかしたら、そのクマは捨てる、って」
「旦那様は、お譲様がご心配だったのでしょう」
「それでも、小さなワタクシには窮屈だった」
街灯が灯してあるとはいえ、ワタクシは夜の暗い道を一人で歩きました。
歩いた、というよりは、見つかって追いかけられるのではないかと思い、全速力で走り抜けました。
ふと気がついたら、すっかり人気のない路地に迷い込んでしまって。
「ワタクシ、泣くまいと思って必死に歩きましたの」
「お譲様らしいですね」
「そこで、ようやく明かりのついたお店を見つけました」
オクテット、とカタカナで書かれた看板の、緑色の屋根をした可愛らしいお店でした。
ワタクシはまるで鏡のアリスになったように、吸い寄せられるようにして扉を引きましたの。
漂うコーヒーの香りに、暖かな光。誰も居ないカウンター。
扉のベルの音で、奥から顔を覗かせたのは、店の主人だったのでしょうか、若い男性でした。
その方はワタクシを見ると、まるで子供扱いせず、いらっしゃいませ、と一言笑顔で傾けて下さったのです。
「そこからの記憶は、安心したからなのか、あまりないのですけれど」
「帰りはどうなさったのですか」
「連れ戻されたわよ、血相変えて探しに来たお父様達にね」
だけれどその時、ワタクシは肌身離さず抱えていたテディベアを、その男性に預けたのです。
「何故です?」
「お父様に捨てられてしまうと思ったからですわ。勝手に出歩いた、ましてや抜け出したんですもの」
ワタクシは今度いつそのテディベアを取りに来られるか、分かりませんでした。
自由に出歩けるようになるまで何年かかるかすら検討もつかなかったんですもの。
「気の長いお話でございますね」
高原がわずかに笑い声を零しました。
「ええ。でも、大切にしていたテディベアですけれど……その方にそのまま、あげてしまっても良いとも思っていましたわ」
とっても素敵な殿方でしたから。
思えばわたくし、これが初恋だったのかもしれませんわ。
「そうしたら、十年まで待つと。十年後までに取りにおいでと言って下さったのです。アネモネの花が咲く季節に……」
今日までわたくし、すっかりテディベアからも卒業して、すっかり忘れてしまっていたのですけれど。
いえ、忘れていたわけでなくて、ちょっとばかり多忙だったせいもありまして。
……あら。そういえば。
何かもっと大切な、重要な記憶をしまい込んでいたような……。
「お譲様、到着致しました」
高原の声に、私ははっと我に返りました。
「ありがとう」
微妙に変わってしまった、けれどもどこか見覚えのある風景に、わたくしは思わず微笑みました。
「じゃあ、少し寄って来ますわね」
「いってらっしゃいませ」
正確に九十度、腰を折って頭を下げた高原を見てから、わたくしはヒールの音を響かせて歩きだしました。
すると背後から声がかかります。
「……お譲さま!」
「え? なにかしら?」
思いがけない呼び止めに、驚いて振り返りますと、右手を伸ばして固まっている高原が居りました。
「いえ、何でもございません。申し訳ありません」
「? それなら、いいんですけれど」
らしからぬ動作でサングラスを中指で持ち上げ、それっきり彼はまた車内に戻ってしまいました。
まったく、どいつもこいつもハッキリしませんのね。
わたくしは扉の前で一度歩みを止め、心臓がうるさく高鳴るのを抑えようとしました。
落ち着け、落ち付きなさい。仮にも南京財閥の令嬢ですのよワタクシは!
こんなちっぽけな喫茶店に入るのに、何をこんなに手間取っているのかしら!
扉に手をかけると、あの方の微笑みが先ほどよりも鮮明に浮かんできますの。
ああ! どうか普段通りのわたくしの美しさで笑い返せますように……!
微妙な半目の失敗写真のような醜態を晒すような事は、何が何でも避けなければ。
昔から言うものですわ。
女は度胸!
カラランカラン。
「いらっしゃいませ」
ヒゲ。
爽やかな笑顔顔でなく、その顔には穏やかな笑顔と灰色の鬚。
茶色の短髪でもなければ、白髪混じりのオールバック。
ナイスミドルがカウンターで、カップを手入れしながら私に微笑みを向けておりました。
「お好きな席へどうぞ」
「え、ええ……」
私の心境、アルプス高原から津軽海峡ですわ。
どうしてなの。
どうしてなの。
どうしてあの方でないのかしら!
私は気付かれないよう、恨めしそうにカウンター席からを店員を見つめます。
たとえ年月が経っていようとも、こんなにまで老け込むことはないでしょうに!
「ご注文は?」
慌てて視線をそらし、テーブルについていた頬杖を膝の上へと戻し。
「ええと、それじゃ、カプチーノを……」
「かしこまりました」
細くため息を尽きました。
そうね。現実って所詮、こんなものなんだわ。
あんな子供との約束、本気にしているわけがなかったんだわ。
「あ」
カウンター席の真中に、薄水色をしたアネモネが数本、可愛らしく活けてありました。
「アネモネ……」
わたくしの呟きに気付いたのでしょうか、マスターは一瞬手を止めてこちらを見ます。
「お花が御好きなのですか。一目で分かるなんて、若い女性には珍しい」
「ええ。この花が好きなんですの」
年齢の数だけ送られてくる薔薇よりも、この花が好きだわ。
カプチーノが差し出されるとき、マスターは何かを躊躇ってみせた後、おずおずと申し訳なさそうに口を開きました。
「人違いでしたら申し訳ありませんが、……もしや、チヤ子さんでございますか?」
瞬く間に衝撃が走ります。
「いかにも、南京財閥のチヤ子でございますわ」
わたくしはなるべく平静を装おうとしましたが、最後の声が震えてなりません。
そんなわたくしを余所に、マスターは感心したような、安心したような、不思議な、深い溜息をひとつついたのです。
「そうでしたか……貴方があの、チヤ子さんでございましたか」
「あの、と言うのは……?」
私の質問に、慌てたようにマスターは額の汗を吹き、細く優しい目を更に細めて答えます。
「これは、私の息子から聞いた話なのでございます。もう十数年前の話になると思いますが、一日だけ、たった一日だけ、私が店を開けなければならない日がありまして」
そこに店番を頼まれてくれたのが、息子の冬至でございました。
コーヒーの知識はさほどありませんが、一日くらいなら大丈夫だろうと思い店を頼んだのです。
「特に何もトラブルもないまま、一日が終わったそうなのでございますが」
「ええ、ええ」
「何分急な店番でございましたから、閉店後うっかりシャッターを閉め忘れたままにしてしまったのでございます」
すると夜も更けた頃、ドアを開くベルの音が聞こえ、うっかりしていた閉店を告げようとカウンターに顔を出せば、幼い子供が重い扉を開けているではないか。
見れば随分と良い召し物を身に纏い、おまけに自分の背丈ほどもあるクマの人形を抱きかかえ、今にも泣きそうな顔でこちらを見ている。
冷たく閉店を告げるなんてとても出来やせず、いらっしゃいませ、と一言かければ、糸が切れたかのように大声をあげて泣き出してしまった、と。
「どうすれば良いのか、本当に困ったようで。とりあえずあやしては落ち着かせ、泣きやむのを待ったそうです」
わたくしは言葉もなくマスターの話に耳を傾けました。
トウジ様。きっと、おそらく、彼が私の記憶の男性なのですわ。
まるで身体が宙に浮く気分でした。
何故だかトウジという名前がいやに気にかかるのも分からないくらいに。
「その幼い女の子はチヤ子と名乗り、ぽつりぽつりと自分の境遇を話し始めたそうです」
鉄棒となわとびと、ジャングルジムで遊んでみたい事。
皆と一緒に手を繋いで、お弁当を持って学校に行ってみたい事。
ピアノのお稽古の先生が変わってしまい、厳しくなったレッスンが嫌な事。
お母様にもっと甘えたい事。
お父様にもっと甘えたい事。
「息子は、こんなに小さな少女が束縛を受けている事に、少なからずショックを覚えたそうです」
そして何とか、この少女を救う事は出来ないかと、そんな事すら真剣に考え。
しばらくすると、女の子は自分を探す車が外をうろついている事に気付き、慌てて持っていたクマを自分に預けた。
捨てられてしまうかもしれないから、預かっていてほしいと。
大切な物なのではないのかと尋ねると、少女はにっこり微笑んで言ったそうです。
『だから、貴方にだったら預けられるのよ』
やけに大人ぶった口調に、息子は笑いを堪えながら約束をしました。
十年間、自分がテディベアを、責任持って預かっているという約束です。
「私が帰った後、嬉しそうに話すんですよ。女の子と約束をした、クマを預かった、と」
わたくしは両手を握り合わせて眼を閉じました。
脳裏で、思い出せなかった大事な欠片が脈うっているように感じられますわ。
何か。何か、大切な事。
思い出さなければならない、大切な言葉。
「息子はそれ以来この店に出て居りませんし、そのテディベアも、もしかすると息子が持っているままなのかもしれません」
「そうなのですか……」
飲み終えたカプチーノのカップを片付けながら、マスターは笑いかけました。
「チヤ子さんは今日、そのテディベアを取りに参られたのでございましょう?」
「ええ。でも、トウジ様がいらっしゃらないんじゃあ……」
「もしかすると、案外近くにあるかもしれませんね、そのテディベア。現実とはそんなものです」
そうなのかしら。
でも、この店に無いんじゃあ、これ以上ここに居る理由が見当たらなくなりましたわね。
トウジさんが今だに持っているテディベアも、彼が持っていて下さるのなら、私はそれで満足ですわ。
「マスター、話して頂いてどうもありがとう。ワタクシ、待たせている者がありますから、そろそろ失礼致しますわ」
「おや、そうですか……もう少しゆっくりして頂ければ良かったのですが」
「充分ですの。昔のままのワタクシではございませんから……」
扉の前まで来たとき、マスターは思い出したようにわたくしを呼び止めました。
「そういえばチヤ子さん。息子が嬉しそうに話していた中で、テディベアを受け渡す時の合言葉を決めた、とも言っておりました」
「合……言葉……?」
体中の血管がざわめき、むず痒い指先が一気に熱を帯びていくように。
「ええ。それはもう得意そうに。ええと確か……」
これよ。
これよ。
これだったんですわ!
わたくしが思い出さなければならない大切な事。
幼い私がクレヨンで紙に描いて、忘れないようにとした呪文のような言葉。
「「MysteryCircle」!」
【まいすとおりさーくろ】
…………。
これは恐らく、るとろを書き間違えたんだろうなぁ……。
私はスーツの胸ポケットから、久し振りに取りだした紙キレを眺めていた。
まさかお譲様が、十年時効ギリギリに思い出すとは思わなかった。
五、六年目ほどですっかり記憶から拭い去られていると思っていたが。
しかし合言葉の方はさすがに思い出せないだろう。
何せ幼い子供に英語を使ったんだ、聞き取れて平仮名に出来ただけでも驚きだったのだから。
もしも。
もしもこの合言葉がお譲様の口から聞けたなら、あのテディベアをお返ししましょう。
それまでは、ただの御側付として貴方の傍へ居させて下さる事を御許し願います、お譲様。
「高原ーっ!」
私は紙をポケットに素早くしまい、いつものように車の脇へ手を組んで佇んだ。
「待たせましたわね。さ、戻りましょう」
「はい」
車へ乗り込んだ後も、お譲様は上気させた頬で楽しそうに鼻歌を歌っている。
「テディベアはどうなりましたか」
「それね。いいのよ、もう。クマはもう返ってこないでしょうけど、大切な事を思い出したから……」
大切な事。
それってまさか……まさか。
「……お譲さま、お家へ戻られたらお話がございます」
「あら、楽しみね。高原が私にお話をしてくれるなんて、初めてだもの。なんのお話かしら」
車に備え付けの無線が鳴り、応答を求める声がスピーカーから流れて来る。
ああ、きっともう、バレてしまうかもしれないな。
大変私らしからぬ事でございますが、
目を閉じれば、モザイクのようなきらきらした断片が、残像のように蘇る話でございます。
「はい。こちら102番車、高原冬至でございますが……」
●《自己批評》
『MC三周年おめでとうございます!!
カラッパチですヒュッヒュー!!めでてー!!
いつもより多めに(奇声)発しております。
理屈じゃないんだノーリーズン。
全☆開(ドン☆)←遊戯王的効果音で行こうかと最初企んで居りましたが、お嬢のキャラが未消化なまま……しかしMysteryCircleの上手い取り入れ方が分からず、他の方の作品スパイしたいくらいでした。ミッションイズからぱっちブル。ポンデリングが食べたいです。
ところで最近好物リストに新たな食材が加わりました。
「鳥なんこつ」。
うっうっウマウマー(すごい関係無い話
それでは皆様よい夢を。
おやすMidnight!!!(着々布教中)』
●《お題当ての回答》
『折角の内藤さん出題なのですが…えふふふふ。』
●《その他私信等》
『看板(挿絵)に偽り有。
ちなみにタイトルですが、「嘘だ!」の子関係者様とは一切関係御座いません。』
《片翼てふてふ。 空蝉八尋》
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎目を閉じれば、モザイクのようなきらきらした断片が残像のように蘇る話。
著者:時雨
゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜
◎鉄格子は錆びてざらざらし、冷たい雨の感触はぞっとしなかった。

著者:night_stalker
鉄格子は錆びてざらざらし、冷たい雨の感触はぞっとしなかった。まだ昼を過ぎて間もない時刻だと言うのに、中を覗けば陰湿と言うような表現が一番しっくり来るかのように暗く翳っていた。僕はその死体のような建築物を外から舐めるようにして一周し、それから覚悟を決めて、錆びて重くなった鉄の門扉を蹴るようにして押し開け、霧雨そぼ降る視界の悪い園内へと踏み込んだ。
そこはまさに、死体の如き廃屋だった。かつては人の息吹きがそこにはあったであろう建築物の死骸だった。僕は、至る所に散らばる得たいの知れない瓦礫を迂回しながら奥へと進む。遥か向こうから見える崩れた窓の明かりが妙に寒く感じられ、僕の足取りをさらに重くさせた。
僕はそこまで書き進め、ふとキーボードを打つ手を止める。果たしてこの物語の決着のシーンは、こんな書き出しでしっかりと重さを表現出来ているのだろうかと不安になりながら、何度も何度も読み返してみた。
もっと長く細々と書き込むべきだろうか。いや、これ以上の長さだとくどくなりがちな気がするかなとさんざ自問自答した挙句、僕は一つ大きな溜め息を吐きながらそこまでを保存してファイルを閉じた。どうせ時間はまだ沢山残っている。少しはゆとりを持って書こうかなと思いつつ、僕はそのままネットを立ち上げ、管理者掲示板と言うタイトルのリンクをブックマークの一覧から拾い上げた。
緩慢なスピードで画面が開く。そして僕は、途端に顔が緩む。今夜も掲示板はチャット状態のような雰囲気で会話が盛り上がっていたからだ。どうやら今夜の話題のネタは、先日にサイトへとアップされた、今月の《須藤加代子》の事らしい。確か今月の須藤加代子当番は、《BB令嬢》の筈。そして彼女は原稿を提出してすぐに、約一ヶ月の実家帰省旅行へと出掛けていた。恐らくは、本人がいない以上は好き勝手に言っても構わないだろうと言う意識の表れか、ログインしている管理者の面々は、勝手気ままに作品批評をして楽しんでいた。
そこは、ネット創作小説のサークル、《MysteryCircle》の管理者専用掲示板。そしてそこに集う管理者達は、自分達だけの秘密なる遊びに興じながらコメントの応酬をしている。
いつものように、少し辛口なる批評をするのは、この遊びに一番乗り気な《パトス大尉》 彼は辛辣に今回の須藤加代子の作品を評しながら、それでもそのミスマッチさをどこか楽しんでいるかのようにコメントをしていた。
そして、それに相手しながら大人な意見を並べるのは《七狼子(チーロゥツ)》さん。彼はいつも穏やかに、皆のムードメイカー的な納め方をする人だった。パトス大尉が今回の原稿は少し飛び過ぎじゃないかと意見をし、それを七狼子さんが苦笑的なイメージでたしなめる。だがそこに、いつもパトス大尉とは反対な意見を持つ女性管理者の《平芳ケイ》が同じぐらいの反論的な辛口なるコメントをする。どうやら今夜も相当に荒れるだろうなと思いつつ、僕は笑った。
我々が管理するこの創作小説サイト《MysteryCircle》だが、早いもので、後数ヶ月で創立三周年を迎える事となる。本当ならばもっとその記念すべき日に向けての企画会議等をすべきなのだろうが、どうにも最近の我々にとっては、目下の遊び道具である《須藤加代子》への興味が上らしく、企画の進行は遅々として進まない。尤も、ここの統括管理をしている僕であってもそんな気分なのだから仕方が無い。それほどまでに、僕らだけの遊び道具である《須藤加代子》には魅力があった。
《須藤加代子》とは、誰が発案したのかはもう既に忘れてしまったが、我々が一年近く前から始めた管理者達だけの余興的キャラクターだった。
それがどんな遊びかと言うと、我々だけが秘密を握る《須藤加代子》と言う架空のネットキャラクターを作り、そしてそれを《MysteryCircle》内部に措いて普通の参加者として振る舞わせ、その実状は一ヶ月交代で管理者達が中身となって入れ替わる、ゴーストライター操るマリオネット。つまりは、月毎に性格やら作品のイメージが入れ替わってしまうと言う、傍目にも不思議な女性キャラクターを演じると言う遊びだった。
勿論、総勢六人(尤も、正式な管理者として存在はしていないものの、システム面でバックアップしてくれるメンバーがもう一人いるのだが)の管理者達は、個々に性格も違えば紡ぎ出す作品も違う物書き達である。いくら須藤加代子のイメージを統一させようとして努力しても、それは無駄な事であった。
いやむしろ、統一させる努力すらも考えなかった。何故ならば、毎回イメージの違う彼女を見て違和感を感じるメンバーを見るのも面白かったし、そこまで性格の違う作品を書いて、いつ他のメンバーにバレるかと言う興奮も手伝い、誰もその須藤加代子の無軌道性を修正しようなどと考える者などいなかった。
そしてそれは成功し、須藤加代子の作品を読むMCメンバー達の中には彼女の異常とも思える多重性を見て、違和感を感じている者も少なくはなかっただろう。しかし、パトス大尉が管理する須藤加代子のブログが立ち上がると、彼女を一人の人間として認め接触をして来るメンバーも案外と多くいた。こうして須藤加代子がMCの参加者として動き出し一年が過ぎた頃には、そのキャラクターはメンバーの一人として確立し、認知された。こんな嘘ならバレても誰も文句は言わないだろうと言う安心感もあり、管理者の間ではその遊びがエスカレートして行く一方だった。
僕はモニターに意識を戻す。もはや完全にチャット状態となった掲示板では《BB令嬢》の書いたファンタジック・ホラーへの賛否両論意見で大きく賑わい、悪乗りしているかのような極論を並べるパトス大尉に、平芳ケイが食い下がる。僕はそれを見ながら苦笑をし、そろそろやめさせようかとコメントを入れようとした所に、いつも純朴で物静かな男子高校生管理人である《緋鎖》が、先にコメントを書き込んだ。
「こんばんは。今、MCを覗いたんですが、今回のあの須藤加代子のコメントはちょっと行き過ぎじゃないでしょうか? 俺的には、あれはちょっと失礼なように見えるんですけど」
全員のコメントが止まる。瞬間、僕もピンと来る。
(また、例のコメントか?)
恐らくは、緋鎖君のそのコメントを見てMCを覗きに行ったのだろう。僕もまた、挨拶も返さずに別窓を開く。
自然、僕の口から言葉が漏れた。 「何だよ、これ……」
すぐにコメントが更新される。パトス大尉だ。
「又かよ。誰だよ、このコメント。別に誰が彼女を使ってコメントしてもいいけどさ、少しは他人に気を使って書き込み出来ねぇ?」
誰も何も言わない。恐らくは、いつもの通りに誰にもその心当たりが無いのだろう。僕は最新のMC記事に付いた他のメンバー作品を笑いながら貶すようなコメントを見て、少しだけこの遊びの未来に不安を覚えた。
(この中の誰かは、このキャラクターに悪意持っているな) 僕はそう思いながら、そのコメントを削除すべくログイン画面を探し出す。
これは完全に、須藤加代子と言う人間が存在していない事を知っている者の嫌がらせか、もしくはこの遊びに対し悪意か過激なるエスカレートを望む管理者の誰かの陰謀が感じられた。その時の僕は、その程度の認識しか持てなかった。まさかそれが悪意ではなく殺意だったなど、その時の中傷に近いコメントの中から拾い上げるには、僕達の想像力では足りなかったのだ。
翌日の朝。僕はあまり興味も惹かないテレビのニュースを流しっぱなしにしながら、焦げて乾いたトーストをだらだらとした態度のまま珈琲で喉の奥へと流し込む。いつもの孤独なる平日の朝だった。
時計を見ながら今日は少しだけペースが早いなとか思いつつ、僕は空になった皿を流しに置いてマグカップに珈琲を継ぎ足し、そしてテレビの前へと移動する。ソファーに腰掛け落ち着くと、ニュースは朝から陰惨なる話題を垂れ流していた。
テレビ画面はブルーシートに囲まれた小さな公園を映し出す。八王子市の某所にて、二十代の男性が鋭利な刃物で滅多刺しにされると言う事件を報道する。どうやら男性は、致命的なる箇所をいくつも刺され、ほぼ即死のような失命をしたらしいとレポーターは報じていた。
(嫌な話だな) 僕はそんな事を思いながら、熱い珈琲を啜る。それと同時に、自分とは関係の無いと言う事実にどこか安堵をしている自分を感じる。人間とはいかに自分本位なものだろうと軽い嫌悪を感じながら、次の瞬間にはそれは大きな間違いだった事に気付く。
「殺されたのはこの現場である公園近くに住む織江新一さん二十三歳と見られ、現場周辺では事件の目撃者を……」
それは、ほんの数秒の事だった。どこかで聞いた名前だなと思った次の瞬間には、それは昨夜に同じ掲示板の中で言葉を交わした管理者の一人と同じ名前である事を思い出していた。
(パトス大尉と同じ本名……?)
僕は知っている。彼の本名を知っている。単なる同じ管理者でネットだけの付き合いなのは判っていても、僕は過去に一度だけ彼に郵便物を送った事がある。それはMCメンバー同士で作った同人誌。それを一度だけ、彼に送った記憶があるのだ。
僕はすぐに携帯電話を取り上げて名前を検索する。すぐにそこにパトス大尉と言うネットの中の名前を発見し、僕はメモ書きを確認する。織江新一。八王子の住所。間違い無く、先程報じられた被害者と同じ名前だ。僕は嫌な気持ちを振り払おうとすべく、その検索された名前に添えられている携帯電話へのメールアドレスを選択し、メール本文を書き入れる。
なるべく普通の話題。なるべくどうでもいい話。僕はそう思いながら、最近の須藤加代子を名乗る正体不明のコメントへの非難を並べて送信した。
彼からのメールは、結局夜まで待っても返っては来なかった。
「パスワードの変更を考えようか」
そうコメントしたのは、七狼子さんだった。
僕はパトス大尉の件を誰にも話す事無くその夜を迎える。思い悩んではいたのだが、管理者掲示板の中ではもっと他の事件にて揉めていたのだ。それは、我々の遊び道具である《須藤加代子》の事だった。その晩に書き込まれた掲示板の第一声は、七狼子さんの書き込んだ、「須藤加代子は独り歩きしているぞ」だった。
先日アップされた、最新号のMC原稿に手が加えられていた。内容が勝手に編集されていたのだ。
だがそれは、一見すれば大した事の無い事でもあった。メンバーの側から見れば、普段から目にする程度の事でしかなかったからだ。しかしそれは同時に、我々管理者側から見れば恐るべき事だった。有り得ない事実が、そこからは読み取れたからだ。
書き加えられたのは、BB令嬢の書いた須藤加代子の原稿。作品文中に一行だけどうにも浮いている意味の成さない文字が挿入されている。勿論その記事には須藤加代子の名前の入ったコメントがあり、その問題である一文を挿入してくれと言う依頼がその内容である。これがメンバー側からみればどうでも良い当たり前な事でしかない。だが、我々管理者側から見れば、これが問題でなければなんであると言うぐらいの問題だった。なにしろその問題である一文を、コメント通りに挿入をした管理者が自分であると名乗り出る者が誰一人としていなかったからである。
つまりはこうだ。管理者全員の意見を信用するとすれば、このコメントを書いた須藤加代子と名乗る人物はここにいる管理者の誰でも無い上に、勝手にMC管理画面へとログインが出来て、勝手に作品やら記事をいじれる者となる。勿論、いつもの如くにプロキシの入ったそのコメントからは、意味の成さないIPしか拾えない。
「もしかしてこれ、システム担当の荒木君じゃないの?」
唯一、正式なる管理者ではない者の名前が挙がった。必然的にそんな声が出るのは既に予感されてはいた。実際僕もそれは先に思い、事前に彼には連絡を取った。だが彼は、この記事が上がっている頃は大学にいたと主張しているし、僕はリアルで彼を知っている上に良く僕のアパートにも遊びに来る。それが信用へと繋がるかと言えば全く根拠の無い願望に近いのだが、僕にはどうにも彼がそんな事をするような人間には見えないのである。
荒木君とは、この《MysteryCircle》内部に措いては少々特異な位置にいる管理者だった。特に管理者掲示板などでの交流は求めず顔も出す事無く、時々インしてはシステム面での強化やリンク更新などをしてサポートしてくれる青年である。従って彼は、この《須藤加代子》の遊びを知っているかどうかも怪しく、普段からその実体を目にしている以上、彼はパソコンをいじる事と論理的で哲学的な小説を書く以外の興味を見た事すらない。そしてたまたま彼が僕の部屋に遊びに来ている時に、僕から管理者へと誘った。彼が非常にパソコンの知識、サイト構築の知識が豊富だと言うのを間近に見たからである。
「なんとなく、彼じゃないと思う」
僕がそうコメントすると、自然に皆も同意見のようなコメントを続けた。皆も彼の人柄やその性格はある程度知っているし、知っているからこそ疑えない。何しろ彼は、彼が持つ知識と趣味以外には本当に何の興味も示さない人だったからだ。
「これは是非、パトス大尉にも意見を聞きたいんだけどね。珍しく彼はまだインしてないようだ」
そうコメントしたのは七狼子さん。それを聞いて僕は言い澱む。果たして今朝のニュースの事は、全員に話すべき事なのかと。
そう思っている内に、「大尉は須藤加代子のブログの方を更新してますね」と、緋鎖君がコメントする。僕はそのコメントを見て内心ホッとした。何だ、今朝の事件は同姓同名の別の人の事であって、全ては僕の杞憂だったのかと言うような考えがすぐに湧いて出た。
そして僕は、胸のモヤモヤが一気に晴れて行くような気分でそちらのブログへと飛ぶ。そして、つい先程更新されたばかりの記事を読む。
スっと、血の気が退くような感じだった。僕はその瞬間から、これは完全にMCと言う創作サークルを中心として何かの異変が起きている事を感じ取る。
僕はそのまますぐに、MCブログの管理画面へと飛んだ。そしてすぐに、パスワード変更の画面を呼び出す。そうしてから、管理者掲示板にパスワードを変更した旨を書き込み、その内容は全て各個人の携帯電話へとメールで送る事を伝えた。
「どうしたの?」 思った通り、そこにいた全員が僕の取ったいきなりな行動に疑問の声をぶつける。
僕はやはり話しておこうと心に決め、さてどこから話すべきかとそちらの方で悩んだ。
須藤加代子のブログが、モニターの端に映る。そこにある最新の記事は、今朝僕がニュースで観た東京都多摩地区の八王子某所で起こったパトス大尉と同姓同名の青年の殺害のニュースを取り上げる、社会風刺な記事だった。
「そんなバカな!」
そう言ったのは、七狼子さん。他の管理者はと言えば、朝から連絡の取れないパトス大尉と帰省中でイン出来ないBB令嬢の二人以外全員が来ている筈だが、無口で知られる緋鎖君は元より、普段からパトス大尉と同じぐらいにお喋りな平芳ケイのコメントもあまり目立たない。どこか何か、そこに違和感を感じた。だが彼女にしてみれば好敵手とも言うべき人間の生死が賭かっているような話題なのだ。口数が少なくなるのは必然なのかも知れない。
「信じられない事でしょうが、僕はありのままを語っていますよ」 僕は七狼子さんのコメントに返事をかえす。
「そのニュースで報道された犠牲者が彼なのかまでは判りません。ですが、彼と連絡が取れなくなっているのは事実なんです。そして同時に須藤加代子を名乗る人間に勝手にMCのサイトを操作された。更には連絡が取れない筈の大尉が管理する須藤加代子のブログまでもが操作されている。しかも内容は、大尉と同姓同名の男性が刺し殺される事件への風刺記事。そんな訳で、勝手ですが僕はその時点でブログのログインパスワード変更を行使しました。それで僕の行動の説明は理解出来ますか?」
僕のコメントに七狼子さんは一言、判ったとだけ返事をくれた。他の管理者からは、何のコメントも無い。
「それは本当に事実なのかい? 君は時々、本当に間の抜けた間違いをするからなぁ。前にも平芳君から聞いたが、君は彼女に送った郵便物の宛て先の名前を間違えてたらしいしね。とりあえず今回も、その手の間違いである事を願うよ」
七狼子さんはそう言って、ログアウトをしたようだった。
僕はと言うと、とてもではないがまだ眠る気にもなれず、パトス大尉がMCメンバーの書き手として名乗る彼のブログを開き、過去の記事を読んでみる事にした。
知的で高飛車。強気だがインテリ。常識性やら道徳性について厳しい事を言う反面、自分の言動にはあまり頓着しなかったネット上の彼。余暇には貯まったビデオを観る以外の趣味は無さそうな部屋だったと伝えられるリアルの彼。そんな性格の彼が残した記事の群れは、リアルでの彼とネットでの彼との大きな隔たりを証拠付けていた。
テレビで報道された同姓同名のその青年は、別の場所に住む父親に援助をしてもらい、定職にも就かずに引籠もり同然な暮らしをしていて、他人との交流もあまりない引っ込み思案な性格の青年だったと伝えていた。だが、彼が書くその記事の群れには、某ソフト会社のプログラマーで年収もそこそこあり、いかにも人望に長けた人付き合いの良い人間が自分であると主張しているような内容のものが多かった。自分には、自分とは全く性格も能力も違う出来の悪い兄が一人いて、時々面倒を見てやっているとも書いていた事があった。これが、リアルとネットとの大きな差なのか。彼でさえもこの世界では誇張のある別人格で振舞っていたのか。僕はそう言う事を考えながら、少しだけ悲しくなっていた。
そして僕は、今度は最新のMC作品の記事を別窓で開いてみる。そして、BB令嬢振舞う須藤加代子の作品の中にある問題の箇所を探し出す。
僕にとっての問題は、そこにあった。例え同じ管理者と言えども、誰にも相談出来ない問題がそこにはあった。僕は親の仇と思えるような目でその箇所を見詰め、この一文には一体どんな意味があるのだろうと思い悩んだ。
BB令嬢の書いた作品の一部分にある、「そうして私は、公園の一角で躓き転んでしまった」の後に続く、「そしてインディアンは五人になった」の追加の一文。これを管理者達が見れば、まんま殺人予告のように取れる。だが、僕だけは違った。僕はその一文を見て、心底凍り付くような心地になった。
僕は書き掛けの作品を収納しているフォルダを開く。そしてその中から《ゴーストライター》と銘打たれたアイコンを探し出し、クリックする。大量のテキストが並び始める。僕はその文章をスクロールさせながら、気になる一文を拾い出す。
良く似ていると思った。僕が、有名なる某女流作家の作品を拝借して書いたその作品の一部分、その最初の殺人が起こった時の描写が、そのままそれに当て嵌まるような気までした。
最初の管理人は、深夜の公園で殺された。
そして管理人は五人になった。
「とんでもない記事を上げている人がいますよ」
そんなメールが緋鎖君から僕の携帯に届いたのは、会社での昼休みの時だった。僕はすぐに返事をする。一体何事だと。
「メンバーの十六夜雷羅さんが、御自分のブログに二人きりのオフ会を開いたと言う記事を上げています。問題は、そこで逢った人の名前です。誰だと思いますか?」
僕は少しだけ苛立つ。昼休みにメールをして来るぐらいなのだから、相当な事な筈だろう。そして今は、どう言う訳かMCを中心とした何かの異変が起こり始めている。そんな時に、わざと疑問を投げて返事を待つような真似なんかしないで、その内容の中心を早く話せと言う気分で返事を打つ。だがもしかしたら、その相手はパトス大尉だと言うならば、彼も勿体ぶる価値はあるだろうとも考えた。僕は、そんな希望的観測も交えて返事をした。
だが、そこから返って来た返答は、更に予想を上回る。僕はそのメールの文面を読みながら、吐き気に似た不快感を感じていた。
「オフで逢ったのは、須藤加代子だと書いています。そして、須藤加代子のブログにも同じ事が書かれていますよ」
息を吐くのを忘れる。同時に思考も停止する。理解の範囲を超えた事実がそこにはあった。
ネットの中で須藤加代子が独り歩きするまでならば、まだただの疑問で済む問題だろう。そこにはまだ何かのマジックの種が伺えるからだ。だが、リアルに須藤加代子が現れる以上、それは悪意の混じった何かの意図か、そうでなければ単なる出来の悪いホラーだ。まるで数年前に流行した、呪いのビデオの幽霊だ。バカげている。僕はそう思いながら、メールへの返事はせずに携帯電話を閉じた。
だがすぐに、再び彼からのメールが届く。僕はまだ麻痺した思考のままで、そのメールを開いてみた。
「信じられない話でしょうが、一応証拠らしきものを送ります。十六夜さんが撮ったと言う、須藤加代子の顔写真です」
僕はほんの少しだけ躊躇したものの、その次の瞬間にはその添付ファイルを開く操作を指が行っていた。
じわりじわりと緩慢な動作で開いたその写真には、確かに女性らしき顔写真が載っていた。どこの店内かは知らないが、露光のミスで顔の上半分が霞み掛かって消えているその姿は、まるで口だけが笑う白いのっぺらぼうの仮面のようで、まるで僕には幽霊以上に幽霊掛かって目に映った。
結局、一週間が過ぎてもパトス大尉が掲示板にインする事は無かった。彼と同姓同名の青年が殺された事件についても、犯人へと結び付く有力な手掛かりは無い様子だった。
但し、彼の事件を報道するレポーター達の言葉には辟易した。これだけ人付き合いが悪く、趣味らしい趣味も無い人間が殺される以上、恨みの原因の方が疑問であると言うような言い草にである。
それには僕に限らず他の管理者達も憤慨をした様子だった。確かに彼は口は悪かったが、ただちょっとだけ熱くなったり他人を嘲るような表現をする以外、実に社交的で多趣味な人間だった。決して……そう、変な表現にはなるが、決して他人から恨みを買わないような人間ではなかった筈だ。だが、そんな事を考えながら、自分で自分に嫌悪する。これではまるで、殺された青年はパトス大尉であると確信しているような言い方ではないかと。
依然、管理をしている人間が不在のままで、須藤加代子のブログは地味にも更新を続けていた。あれ以来特に大きな事は無かったのだが、須藤加代子と言うキャラクターが我々の手を離れて行動しているのを見ている以上、もはや僕達の間でも、前のように彼女の中身の一人としてコメントをしたりする事も無くなっていた。
そうしている間にも、《MysteryCircle》は次の回を迎える。皮肉にも、その月の須藤加代子の当番はパトス大尉だった。一応出題には須藤加代子の名前はあったが、彼が不在な以上はきっと原稿も載らないだろうと予想していたし、むしろ今の須藤加代子を語っている人間に対し、「彼と同等の原稿を書けるならば書いてみろ」と、煽りたくなるような気持ちさえあった。
だがはやり、受け付けたメールフォームの中には彼女名義の原稿は無かった。僕は少しの落胆と、大いなる安心とで編集作業に入り、その締め切りの夜には須藤加代子の欄だけ空白のままで作品の載った記事をアップした。
翌日の朝、僕が起きる直前に見た悪夢が現実となっている事をそこで知る。
須藤加代子が著者名となっている欄には、パトス大尉顔負けなサスペンス小説が掲載されており、その文中には一箇所だけ、完全にその作品から浮き上がって見える一文までもが挿入されていた。
「そうして泥酔して足取りも不確かな彼女は、ビルとビルの隙間の暗がりで、背後から忍び寄る足音にも気付けないままに殴り倒される」
(そして、インディアンは四人になった……か)
既に全て書き終わり、後は推敲を残すのみとなった僕の原稿に、二つ目の符合が生まれた。
但し僕の原稿の中では、ビルとビルとの間の暗がりで鈍器にて頭の原型が無くなる程に殴り殺されている描写である。その点だけは、まだ彼女の方が優しい。
「そして管理人は四人になった」
僕が小声でそう呟くと、朝のニュースの中に平芳ケイの本名を読み上げるレポーターの声を聞いたような気がした。
「俺、彼女と接触して来ます」
高校生の緋鎖君は、その晩の掲示板にそうコメントをした。
僕は止めた。当然、七狼子さんも同じだった。だが普段は大人しくて遠慮がちな彼が一旦そうやって何かを決断した場合には、決して誰にも止められないぐらいに意思が固い事を知っていた。
「いや、もう既に彼女にはメールを送っているし、デートの約束も取り付けています。でも、御安心を。いくら何でも用心して接触する俺に対し、女性の腕力で下手な真似をしてくるとは思えませんから」
どうやら彼は、完全にその行動に対し決心を固めている様子だった。しかも、聞けばその約束は明日の午後だと言う。先程と同様に僕と七狼子さんは必死で止めるが、どうにも彼は聞く耳を持たない。
「大丈夫です。とにかく俺は、彼女が一体どんな意図で須藤加代子を名乗っているかを知りたいだけなんですから」
その日の夕刻には、東京の吉祥寺で起こった女性会社員の暴行事件を取り上げた記事が、須藤加代子のブログに掲載されていた。
ビルの暗がりで殴り倒された女性の名は、平芳ケイの本名と同じだった。一応その女性は死亡してはいないが、未だに意識不明の重態だとニュースは報じている。七狼子さんは、どんな用心があってもそれは危険だと再三忠告はするのだが、恐らくは少年の持つ義侠心に似た正義感がそうさせるのだろう。彼は頑なに、「俺は行きますよ」としか返事をしない。
僕はこっそりと、彼に直接メールを打った。もしも何かあったなら、すぐに連絡を寄越せと。そして彼は、「はい」と返事を寄越す。そしてそのメールは、彼から届く最後から二通目のメールとなってしまった。
翌日の夕方、彼から来る最後のメールは本文の無い空のメールだった。僕はすぐに彼へと電話を掛けるが、非情にも電子音のような無機質なるアナウンスが返って来るばかりだった。
夜には、苗字だけしか名前を読み上げられない男子高校生が、何者かに駅の階段から突き落とされて首の骨を折り即死すると言うニュースが流れた。
そしてそれはきっと緋鎖君なのだろうと僕は思った。何故ならば、何のコメントも入らずにこっそりと、彼がMCメンバーとして書いた原稿の一部に例の一文が挿入されていたからだ。
「僕は自由を掴み取る為に、思いっきり羽根を開いて空へと舞った」
(そして彼は自由を掴もうとするかのように、思いっきり腕を広げて宙へと跳ねた)
少しだけ、ニュース関連の内容が気になった。死ぬ間際だっただろう彼が僕へと届けた空のメール、果たして警察はそれを見て僕へと連絡はして来ないのだろうかと。
「そしてインディアンは三人になった」
(そして管理人は三人になった)
緋鎖君が消える前に上げた記事に、須藤加代子からのコメントが入っていた。僕は瞬時に頭に血が上るの感じつつ、そのコメントを読む。それはMC三周年を祝うコメントで、それと同時に出題指名を受けた彼女がお題となる文章を送ったので確認してくれと言う内容だった。
僕はそのまま管理者用のフリーメールを開く。そしてそこの新着一覧の一番上に、その問題のメールはあった。
「次のお題は、この本からの出題でお願いします」
僕の背中がざわりと波打つ。すぐに気付く程に知っている一文がお題として並ぶ。僕はつい最近、必要に迫られてこの本を何度も再読していた。どのお題の文章も、とあるシーンに掛かる重要な役割を果たした不吉な一文だ。
お題となったのは、僕が書く《ゴーストライター》が元となる、アガサ・クリスティーの、「Ten Little Indians -そして誰もいなくなった-」だった。
そして僕は更に愕然とするものを見付ける。僕に割り振られたお題には、まるで僕の書き上げた作品がそのまま当て嵌まってしまうようなお題が押し付けられていた。
その号のラストを締めるのは僕の名前。そしてそのお題の最後には、「後には誰もいなくなった」と言う一文が添えられていた。
「うん、君の原稿は読んだよ」
七狼子さんは、インするなりそう言った。
僕は、あまりにも自分の書いた作品の内容に一連の殺人が酷似している事を伝え、そして彼に原稿を送って読んでもらったのだ。
「正直言えば、これは酷似していると言うよりも、これになぞらえて起こしている殺人だとしか思えない。君はこの原稿を私以外の誰かに見せた事はあるのかい?」
「いいえ、ありません。むしろ僕は、MC三周年の企画までは誰にも見せる予定も無かったし、その原稿の存在を語った事も……えぇ、ありませんでした」
僕は一つだけ何かに引っ掛かったが、特に何も支障は無いだろうと思いながら素直にそう答える。しばらく時間を置いてから、ようやく彼からのコメントが入る。
「もう、こうして原稿が出来上がっているいる以上、君がこれを書き直したり消去したりしてもあまり意味を成さない行為になるだろうな。だが、こうして殺人の経緯が判った以上、こっちにも打つ手は存在する事になる。一応私的には君に感謝だよ。これで私が殺される確率はぐっと低くなった訳だからね」
彼はそんなジョークを飛ばして、コメントの最後には笑い顔の顔文字までをも入れていた。彼は伊達に人生を経験して生きてはいない。そんな貫禄が彼には見受けられた。
僕がそんな彼を頼もしいなと思った時に、思いも寄らない人からのコメントがそこに入る。それは、実家へと帰省すると言ったまま何ヶ月もインをしないで姿をくらましていた、BB令嬢だった。
「一体……何?ここで何が起こっているの?」
どうやら彼女は、全く何も知らずにログインをした様子だった。そう言えば僕も、彼女はネットへと繋げる環境では無い以上、無用な連絡は控えておこうとして何も教えてはいなかった事を思い出す。僕は一部始終を教えようかと思ったが、どうやら彼女は掲示板の過去ログを遡って読んでいるらしい。僕達が呼び掛けても何の返事もなかった。
そうして彼女を置き去りに僕と七狼子さんとの会話を優先させていると、ようやく彼女は全てを読み終わったらしく僕達の間に割り込むような形でコメントを入れて来た。
「私……もしかしたら幽霊を見たかも知れない」
彼女の謎のコメントに、僕と七狼子さんは聞き返す。だが、一向に彼女からの返答は来ない。
見ればインはしている。見ている筈なのに、全く返事がかえる様子が無い。一体何を悩んでいるのかと思った瞬間、七狼子さんからのコメントが入る。
「手遅れかもね。ここの彼女の原稿、読んでみるといいよ」
彼が提示するURLへと飛ぶ。それはBB令嬢が前々回の須藤加代子の原稿と平行して書き上げた、彼女の本来のハンドルネームの作品だった。
「何となく、ぼんやりと読んでいた。まさか、ここで書き変わっているとは予想出来なかった」
彼は言う。確かにそうだろう。彼がそれを指摘してから、それに遅れて白々しい須藤加代子のコメントが付いたのだから。
「彼を見掛けたわと、私はウキウキしながらそう言った。まさかその彼が、そこに一緒にいたとは知らないままで」
(お化けを見掛けたわと、私は背後にいる人に向かってそう言った。まさかその背後の人物こそがその人だとは思いもせずに)
出来過ぎている。そして最後の生き残り二人は、僕と七狼子さん、彼だけだ。これはあまりにも白々しく、そしてあまりにも単調過ぎる展開だ。
「そしてインディアンは二人になった」
(そして管理人は、残る二人となってしまった)
君は私が犯人だと思っているんだろうと七狼子さんは言う。僕は正直に、そうとしか思えないからこそ余計に全てが信じられないと答えた。
「そうだろうね。そして私は、君こそが犯人だと今の瞬間確信したよ。だってそうだろう? 君以外にこの原稿通りの殺人は起こせない。そしてもう一つ。管理者全員の名前と住所を知っているのは、過去に皆に同人誌を送った事のある君だけだ」
僕はそれを聞いて、自らの呼吸が止まるのを感じた。同時に、激しい頭痛のような眩暈と痛みも感じた。
反論は不可能だった。むしろ僕こそが、その意見に納得し、賛同していた。それはあまりにも盲点で、僕だからこそ思い付かなかった事実だった。
だが、どうして? どうやって? 僕には僕が、「やっていない」と言う事実は知っているし、その手段すらも判らない上に動機も無い。そして僕には分裂症の気こそはあるが、夢遊病の類は持っていない筈だと思い浮かべていた。
「では、これにて。私も自分の命は惜しい。私はこれから警察へと出向いて全てを話す事にするよ。でも、今まで君達とこのサークルをやってこれた事には感謝しているよ。とても楽しかった。これは嘘じゃない」
それは僕もですよと彼へと返す。きっとお互いに本心と尊敬には嘘は無いと感じた。
だがそれでも、きっと彼は言った通りに警察へと出向く事だろう。そして僕はきっと、最有力なる容疑者として任意同行を求められるのだろう。さようならと来るコメントに、僕も同じ返事をかえす。そしてその晩は、久し振りにゆっくりと眠れる夜となった。
何しろ、生き残りはたった二人なのだ。そして、犯人だろうと思えるのは僕自身なのだ。ならば僕は殺されない。そんな麻痺した結論のまま迎えた朝は、僕がとうとう孤独になってしまったと言う悪夢たる事実だった。
思った通り、その夜の内に七狼子さんの作品には例の一文が書き加えられていた。
彼が実ハンドルネームで書いたアダルトな恋愛ストーリー。恋人である女性に首を絞められ、それを拒む事無く受け入れて次第に薄れて行く意識。その後に、例の台詞は続いていた。
「そしてインディアンは独りになった……か」
そして今度は、僕の台詞の番だった。
だが僕には、まだ一人このゲームの参加者がいる事を知っている。そして誰もいなくなったと語るにはまだ早いと、僕の頭脳は雄弁に語っていた。
僕は自分の書いた原稿を反芻しながら考える。そして答えは、須藤加代子。彼女のブログにあった。
それは、都内某所にあるかつての小さな遊園地の廃屋。取り壊しも決まらないまま放置され続けて来た建築物の死骸。そんな存在が、僕の書いた作品のイメージ通りな様相で、彼女のブログに写真が掲載されていた。
呼ばれているのだと思った。そして、これこそが最後のゲームなのだと、そこで僕の思考は確信に変わった。
鉄格子は錆びてざらざらし、冷たい雨の感触はぞっとしなかった。まだ昼を過ぎて間もない時刻だと言うのに、中を覗けば陰湿と言うような表現が一番しっくり来るかのように暗く翳っていた。僕はその死体のような建築物を外から舐めるようにして一周し、それから覚悟を決めて、錆びて重くなった鉄の門扉を蹴るようにして押し開け、霧雨そぼ降る視界の悪い園内へと踏み込んだ。
そこはまさに、死体の如き廃屋だった。かつては人の息吹きがそこにはあったであろう建築物の死骸だった。僕は、至る所に散らばる得たいの知れない瓦礫を迂回しながら奥へと進む。遥か向こうから見える崩れた窓の明かりが妙に寒く感じられ、僕の足取りをさらに重くさせた。
バキリと僕の足の下で何かが折れる。僕にとってはそれが腐蝕した人骨のような感触に思える程、その場の持つ雰囲気に恐怖を感じていた。
小さな遊園地だった。ジェットコースターや大型のアトラクションなど、設置の望みも出来ない程に小さな遊園地だった。雨に濡れる黒く錆びたメリーゴーラウンドや、各所に転がるコインで動く電動式の木馬などが怖いほどに哀しく見えた。
かつてはこんな場所でもそれなりには繁盛し、人も来た事だろう。例え派手な演出の遊具は無くとも、それなりに子供を遊ばせる事の出来る施設だったのだろう。
だが、そんな面影がそこに滲み出るかのように存在する廃屋は、余計に惨めで哀しかった。転がる遊具は全て死者であり、それを全て受け入れているその場所こそは、死者達が眠る墓地そのものなイメージだった。
僕は、煙る雨を避けるようにして半地下となる屋内施設へと踏み込んだ。廃屋となった建造物に当たる静かな雨の音が、例えようもなく寂しく聞こえる。どうやらそこはレストランのような施設だったらしく、至る場所に埃の積もったテーブルや椅子が散乱していた。僕は、無造作に積まれたその障害物を避けながら奥へと進む。そこに探している相手がいると言う確証など何も無かったのだが、僕の勘は、彼女はそこにいるぞと告げている。
横たわるペンキが剥がれ切った大型の人形を避け、積まれたスマートボール系の筐体の山を避け、奥まる暗がりの廃屋の一室に、白いスーツの彼女はいた。やはり彼女は、僕をそこで待っていた。
「お待ちしてたわ。ようこそ、night_stalkerさん。いえ、親しみを込めて内藤さんとお呼びすべきかしら?」
そう言って、須藤加代子は笑った。確かにそれは、送って貰った写真の中で見た笑い顔の口元と同じだった。
長く黒い髪。冷淡なイメージを感じさせる整った顔立ち。そして、均整の取れた肢体を包む白いスーツの上下。スカートの膝下から覗く黒いストッキングに、白いハイヒール。両手に嵌めた白い手袋すらも、薄暗がりの中の彼女には良く似合っていた。
彼女は前以て、そこだけは綺麗に拭き掃除でもしていたのだろうか。彼女が椅子を引いて立ち上がったその一角だけは、廃屋の中から浮いて見えるぐらいに綺麗に見える。
「どうぞ、お座りになって。良かったらお茶でもどう?」
優雅に語り掛ける彼女を無視し、僕はなるべく感情を殺したような声で、「須藤加代子さん?」と聞いた。
彼女はそう聞かれる事を予期していたか、「えぇ」と薄く笑いながら返事をする。僕はゆっくりと彼女の立つテーブルの近くまで歩み寄り、勧められた椅子には腰掛けないまま質問をした。
「皆を殺したのは君なんだね?」
ノーと言うように、彼女は首を横に振る。
「もう、このゲームの参加者は君と僕しかいない。君じゃなければ犯人は僕だと言う事になる」
イエスと、大きく一つ首を縦に振る。
「確かに僕は、心の病にかかっている。鬱で、分裂気味で、多重人格的な部分もある。だが、僕には彼等を殺す動機が無いし、恨みもなければ殺した筈の記憶も無い。だから僕は、事実を知りたくてここに来た。君はこの事件の全貌を知る人間なんだろう?」
ふふふと、彼女は笑った。そして彼女はその笑い顔のまま俯くと、その姿勢のままで堪えていた笑いが堰を切ったかのように、長く高い狂気染みた笑い声へと変化させる。轟く彼女の笑い声は、ひびの入った廃屋の壁や天井に突き刺さり、その声だけでこの老朽化した建物を崩壊させてしまうようなぐらいの威力を持っていた。
ガバと、音が聞こえるぐらいの勢いで、彼女の顔が持ち上がる。僕はそこに、狂気の色が浮かんだ彼女の両目を見た。そして彼女はその笑い顔を顔面に張り付かせたままで、僕の想像の遥か上にあるような説明を始めた。
「貴方は、今自分がどんな世界のいるのか判っているの? そして貴方と言う存在は、この世界に措いて実に曖昧なものだと言う自覚は持っているの? 貴方はきっと、自分の書き上げた作品の通りに事件が進んで行く事実に困惑している筈。でも、それと同時に自分の繋げた導火線が順に点火して行くのを見て、満足げに笑っている自分もその中にいる。それは判っているの? 理解出来ているの?」
彼女の腕が宙を泳ぐ。まるで彼女の周りの空間に存在する、空間の繋ぎ目を探しているかのように。
「この世界は、貴方が作り出した世界なのよ」 彼女の笑顔の中から目だけがその呪縛から逃れ、その鋭い視線が僕の両目に突き刺さる。
「貴方はこの世界で、貴方の友人である管理者達を殺して回る。でも実際は誰も死んでいない。だってこの世界で起きた事なんか、たった一枚の紙が紡ぐ空想でしかないんだもの。それが証拠に、どの管理者達だって、実際のハンドルネームをちょっといじっただけの似たような名前でしょ? そして故意に全員の性別を逆転させている。全ては貴方が書き上げた作中の登場人物以上ではないのよ。死んだも何もなく、貴方が考えて拵えた出来の悪いミステリー小説以上では無いのよ」
何を言っているんだ? 僕は彼女が語る話の内容には全く思考が追い付かず、まるでエコーが掛かっているようなその声を麻痺し始めた脳内で何度も繰り返して反芻するばかりだった。
「まだ判らないの?」 彼女は言葉を続けた。
「貴方は、私。私こそが、この世界の中の貴方。内藤と、須藤加代子。幼稚な語呂合わせね。そのまんま貴方のハンドルネームじゃない? つまりは、管理者全員の性別の反転があるならば、貴方の逆は私になるのよ。だから貴方はこの世界での異端なの。いてはいけない存在なのよ。貴方が作り上げた世界に、貴方が実在の登場人物として存在してしまう。同じ魂の人間が今ここに二人存在している。だから貴方は事の全てに気付けないし、困惑するばかりなのよ」
彼女の言葉が少しの間静止する。
風が出て来たみたいだった。屋内に少しだけ残った窓のガラスが風に煽られバタバタと鳴っていた。
「全て貴方の書き上げた原稿の通りでしょう? 貴方は実在する管理者全ての名前を使って連続する殺人ミステリーを考え付いた。そしてその作中には既に出来上がっている台本があり、その通りに人が殺されていくのを自分一人だけが知っていて、結局は最後まで何も出来ない。最後に自分の命が狙われるまでね。そして今がそれよ。貴方の書き上げた原稿では、この後は一体どうなるの? 貴方の原稿通りに犯行を重ねて来たのは、何と自分の書いた作品の中の自分自身だった。その世界の中で、生き残れるのはたったの一人。同じ人物は二人と要らない。貴方か、私か、決着はここで着くんだったよね?」
そう……と、我知らずに僕の口が動いていた。
「そう、君の言う通り生き残れるのはたったの一人だよ。でも、それの束の間、登場人物はみんな死ぬ。そう、あの有名なる女流作家のミステリー同様。生き残った最後の一人は、自らその命を消してしまう。このゲームは誰が犯人でも構わないんだ。最後に、『そして誰もいなくなった』と言う一文に向けて進む絶望的なストーリーなんだから」
僕の言葉を聞いて、須藤加代子は満足げに笑みを漏らした。そして彼女の手には、いつの間にそこにあったのだろうか、幅の狭いいかにも鋭利そうな一振りのナイフが握られていた。
「そうね。ではそろそろこのお話しの幕を閉じましょう。貴方の書いたお話し通りに拳銃までは用意出来なかったけれど、これでも充分に人は死ぬ。貴方の上げる血飛沫か、私の体内に流れる悪魔の血か。これから数分後には、私のこの白いスーツは真っ赤に染まる事でしょうね」
そう言いながら、須藤加代子は僕の方に向かってゆっくりと歩いて来た。
僕は僕に殺される。いや、彼女は彼女に殺されると表現するべきか。この後に待つ終劇の幕は、僕ら二人のどちらかが書き終わらせればいいだけだ。
白いスーツの女は、僕の目の前で大きく腕を振り上げる。どうやら僕には、その行動を止めるだけの気力も無いらしい。振り下ろされるそのナイフは、僕の鎖骨の上辺りからざくりと刺さり、一瞬で僕の心臓をえぐるのだろう。そして僕は、再び現実の世界の物書きへと戻る。僕が僕自身を殺す陳腐なミステリー小説は、ここで僕の出番を終えるのだ。
「待て!」
目を瞑り、その瞬間を待つ僕の耳に、聞きなれた友人の声が響いた。
その瞬間は訪れなかった。須藤加代子はナイフを振り上げたままの姿勢で声のする方を向いていた。
散乱したまま無造作に積み上げられた瓦礫の上で、窓から覗き外の明かりで真っ黒に写るそのシルエットは、確実に僕達二人をその視界に捉えて話し掛けていた。
そのシルエットは身軽に窓から飛び降りて、半地下となった室内へと着地する。そうしてその人物も僕達と同様薄暗がりの住人になった所で、ようやくその風貌が人の形となって現れた。
(荒木君!) 僕がそう言おうとするより前に、僕の横から細く長い呻きの声が流れ出した。
呻き声は、言葉にならない心の悲鳴のように途切れる事無く響き、そして僕がその声の主を横目で見た瞬間、須藤加代子の恐怖は頂点へと達したか次なる悲鳴はその身体が発する絶叫へと変化していた。
「きぃやゃぁぁぁぁぁ〜っ!」
まるで猿が上げる金切り声のような悲鳴は、先程までの狂人的な彼女よりも更に常識性を逸し、完全に恐怖で我を忘れた絶望なる悲鳴だった。僕は一体何が起こっているのかも判らないまま、彼女の前から後ずさりをする。
急変は、その次の瞬間に起こった。彼女の声が限界を超え、続く息もそこで途切れて呼吸音のそれに近付いた頃、彼女は振り上げたそのナイフを勢い良く自らの胸に突き立てた。
僕には良く判らなかった。ナイフとは、こんなに容易く人の体内に刺さるものなのだろうかと。だが、柄の部分を残して深々と刺さったそのナイフは、次第に彼女の纏う白いスーツを赤く染めて行った。
バタリと大きく音がして、暗い室内に埃が舞い散る。須藤加代子は、ほとんど直立不動のような格好で仰向けに床へと倒れ込む。
そして僕は気付いた。これは小説の世界なんかじゃない。この世界は現実だと。死は死であり、人は生身で、僕は僕だと。そして今、須藤加代子は一人の人間として死んだのだと。
彼女は大きく目を見開いたまま、ゆっくりゆっくりとこの世の最後の呼吸を繰り返し、そして事切れた。笑みに歪んでいるのか、それとも恐怖か。彼女の死に顔は、狂気のままに引き攣って見えた。
「大丈夫でしたか?」 荒木君は、僕の背後から小さな声でそう言った。
僕はただ一言、ありがとうと返して彼に向き直る。彼は歳こそ離れているが、僕にとっては最も近しい友人の一人だった。いつも見る、優しい笑顔がそこにはあった。
「どうやってここを見付けたの?」 僕は、力ない声で彼に問う。
「ネットでたまたま見付けました」 彼は、そう答える。
「内藤さんに頼まれたまま、しばらく放っておいたリンクの修正があるじゃないですか。それを思い出してログインしたら、たまたまそれを見掛けたんです。MC三周年記念の今月の作品集。そしてその中に掲載される予定の内藤さんの原稿。それが何故か下書きのままに編集画面にあったんです」
僕は驚く。僕はそんな真似をした事なんか無い。今月分はまだ、編集をした記憶が無い。
「で、悪いとは思ったんですが、読んでしまいました。そして驚きましたよ。その内容って、最近関東周辺で起こっている事件の数々がぴったりと符号する話じゃないですか。これって一体どう言う事なんだろうと思って読み進めたら、ラストでは内藤さんがどこかの廃屋で生き残りを賭けた争いをする事になっている。僕はまさかと思って前にこっそり貴方に聞いたパスワードで掲示板を覗いたら、そこでは本当に小説通りの事件が起こっている。それで僕は、そこに書かれた内容を元にここへと辿り着けました。勿論それは、貴方が須藤加代子と言う人物の誘いを追ったであろうと言う推理に過ぎなかったのですが」
瓦礫と廃品が散らばる建築物の死体の中を、一陣の風が通り抜ける。外の風が強くなって来たようだった。建物の隙間を走る風の音が笛の音のように、驚く程に高く鳴り響く。
「荒木君。警察を呼んでくれるかい? 僕はちょっとだけ家へと帰る。どうしても確認しておかなければいけない事が出来たんだ」
僕がそう言うと、荒木君は黙って頷いた。僕は素直に感謝をする。僕はいつも、彼のこう言う物分りの早さが有難い。決して言葉は多くないのだが、その点彼は行動でカバーをするタイプの人だった。
僕はもう一度、ほんの数秒の差が無ければ僕を殺していただろう正体の判らない白いスーツの女性に視線を送り、そして踵を返しながら鉄格子が阻む廃屋の入場口に向かって小走りに駆けて行った。
濡れた手のまま、壁のスイッチを手探りもせずに探し当て、僕は狭い室内の照明を点ける。
カーテンを閉め切ったままの部屋の入り口正面。机に乗ったデスクトップタイプのパソコンのモニターが、寂しそうに単調なるスクリーンセーバーを表示していた。
僕は何時間を掛けてこの部屋まで帰り着いたのだろうか。僕のこのアパートメントからあの現場までは、電車を乗り継ぎ結構な距離はある筈だ。だが僕にとっては、その移動の時間の感覚が無い。電車に乗り、風雨の道を濡れながら歩いて来た記憶は断片的にはあるのだけれど。
気が付けば僕は、全身から水の滴るままでパソコンの前の椅子に腰掛ける。マウスを操作し、画面を開く。サイトの管理画面を選択し、そこにパスワードを打ち込む。いつもの編集画面が展開された。
僕は少しだけ震える手でマウスを握り、過去ログから最新の記事を選ぶ。するとモニターには、《ゴーストライター》と書かれたタイトルの僕の未発表作品が、他の三周年記念MC原稿と一緒に下書きのままに収められていた。
記憶にないまま、僕はその原稿をスクロールさせて行く。僕はそれを目の端で追う。文字の世界で僕の仲間である管理者達が次々に殺され消えて行く。
そして場面は、僕ともう一人の僕とが対峙する場面へと差し掛かる。有名なる某作品と同様に、銃を持った女性が生き残った最後のもう一人を射殺する。そうして管理人は、最後の一人になった。
僕はその原稿の続きを読む気にもなれず、出来の悪いミステリーだなとどこか自虐的に微笑みながら、一気のスクロールを最後の行まで引っ張った。
そして、そこにはあった。後には誰もいなくなったの文字が飾る、最後の場面が。
ふと僕は、後ろを振り向く。予感していた通りに、期待したままにそれはそこにあった。部屋の隅の辺りに下げられた一本のロープ。そしてその下に置かれた一脚の椅子。僕が用意した覚えもないそれは、僕の期待するままにそこにあり、そこに釣り下げられるであろう僕の存在を待ち受けていた。
そして僕はようやく気が付いた。やはりこの世界は僕が創作した世界であって、仲間を殺したのも全ては僕だったのだと。
僕はもう一度パソコンの方へと向き直ると、下書きだった原稿を表示に変えて更新をする。そしてサイトの画面を確認もせず、僕は立ち上がって歩き出す。
そしてとうとう誰もいなくなる、無の世界へと向かって。
《奇譚の円環》と言う名の連続殺人事件の全貌について
皆さん初めまして。《MysteryCircle》の孤独なる管理人、荒木と申します。
まず最初に、この手紙は誰宛てと言う意味での手紙ではありません。もしかしたら誰にも読まれないままに消えてしまう、ただの無駄なる手紙かも知れません。
ですが僕は、この手紙が誰かの元へと届き、読まれるものだと仮定して書きます。勿論僕の願いは、あの忌まわしき事件を知る全ての人々にこれを読んでもらいたい。そんな意図で書く事です。
今この手紙を読んでいるであろう日本中のほとんどの皆さんがテレビや新聞の報道などで知る通り、僕こそがあの、《MysteryCircle》と言う名前の創作小説サークルの管理人の、たった一人の生き残りです。どうやら僕だけは、あの狂人的連続殺人事件から逃れる事が出来た幸運なる人間だったようです。
そして僕だけが生き残れたお陰で、日本中の注目を浴びながらも我がMCが三周年を迎え、そして無事に終了する事が出来ました。
感無量です。これで、亡くなった管理者の方々も喜んでくれる事でしょう。これでようやく、僕の管理者としての務めも終わったような気がします。
さて、この手紙を書くに当たって、僕は一つの賭けをする事にしました。
それは、あの舞台をたった一人で作り上げ、そしてそれを書き上げた内藤さんの心情を評し、僕はこの一部始終の顛末を書いた手紙を、内藤さんの作品と同様に瓶へと詰めて海に流す事に決めました。そうする事で、この事件の全ては終了し、補完が成される事だと思っています。
そしてそれと同様に、これは僕の中にあるほんの少しの良心。そして申し訳なさがそうさせています。
全ての罪を被り、そして何の謎も知らず、裏にも気付けなかった哀れな作者に対し、僕の一握りの良心がこれを書かせました。
今では彼、night_stalkerさんに対しての申し訳なさで一杯です。そして、何も気付けないままに僕の策略、計画に沿って自らの命を終わらせた彼に対し、あまりにも哀れで滑稽過ぎると感じたので、僕がその彼の愚鈍さを世間に知らせなければ誰も笑うに笑えないと危惧したからこそこの手紙を書くに至りました。
世間では、彼は恐るべき倒錯的殺人者と認知され、それと同時に今世紀最大のリアルミステリー創設者と呼んでいるようですが、そんなもの全く大嘘であると言わなければなりません。
彼は、何もしていません。無実どころか、僕の描いたシナリオに対し、僕自身がうろたえるぐらいにそのまま動いてくれただけのマリオネットでした。
彼の功績は、《ゴーストライター》と言うタイトルの陳腐なるミステリー小説を書き上げただけです。後は何も出来ずに何も気付けずに動いただけの無能なる管理人でしかありません。又、彼のトリックが素晴らしいと思えてしまうのは、ただ単に既に書き上げられた小説に沿って、人が不可思議な死に方をしただけの事です。そして、未だネットの犯罪には素人ばかりな無能なる日本警察がいるからこそ成り立った、奇跡的なる犯罪でしかありません。
全てを動かしたのは、僕、荒木です。しかもそのトリックは、最初の殺人が起こった後に考え出した無計画なる穴だらけなミステリーでしかありません。従ってこの事件は何も凄くは無い。ただ、踊らされた人と、それを捜査した人と、その全てを鵜呑みにして凄いと勘違いしてしまった事件の聴衆客が愚かなだけの真実があるだけです。
では、改めて全貌をお話ししましょう。
まず最初に人の目が錯覚を起こしこの事件を特異に感じてしまったのは、僕と内藤氏を除く全ての管理人が、「MC参加者」としてのメンバーと、「MC管理者」としての存在とでは、全員性別がそっくり入れ替わってしまっていると言う所です。そう、男の書き手は女の管理人に。女の書き手は男の管理人として行動していると言う事です。
全員が全員、書き手としての名前に酷似した管理者名を名乗っているにも関わらず、どう言う訳か全員が性別を変えている。僕はそれにどんな意味があるのかと思っていましたが、僕が内藤氏に誘われて管理者になりその意味が初めて判りました。管理者の方達全ては、先に参加者として存在した書き手としてのハンドルネームとその性別。そちらの方が嘘だったのです。
例えば、管理者の中ではムードメイカー的な存在の七狼子さん。MCのメンバーであれば誰でもその正体を知っているであろう七対子さんです。彼女は書き手としてはいかにも女性らしい視点での恋愛物を得意としていました。ですがその実は、凄く柔和で穏やかな男性でした。そして彼は、書き手としては女性のままで、管理者としては男性としての記事を書きました。それによる効果は様々ですが、大抵はそれを見れば、七対子さんは女性であって、管理者の時だけは男性の振りをしているのだと感じた事でしょう。ですがそれは大間違いでした。内藤氏は何故か、性別を偽っている書き手ばかりを管理者として選び、誘いました。そしてそうやって集まった管理者達は、ようやく自分の素顔をそのままに発言出来る場所に辿り着きます。それこそが、MC管理者掲示板なのです。
これが後に、そう言う悪戯心を盛り込んだ内藤氏の作品に影響が出て来る事になりますし、そして実在する事の無いもう一人の内藤氏の登場にて彼自身は狂います。これは単に、この物語を色付けるだけの奇話でしかありませんが、この前提があるからこそ捜査陣はこの人物トリックへと迫る事が難しかったのでしょう。お陰で、偶然やら計画的なるもう一つの人物トリックは、最後まで触れられる事無く過ぎました。奇妙ですが、私にとっては実に都合の良い事実でした。
さてそれでは、起こった事件を裏の方から順番に追ってみましょう。
まず最初にその舞台から姿を消したのは、パトス大尉さん。メンバー名は、エロス大佐。ネットの中に措いては少し強気なタイプの女性で、アダルト系恋愛ストーリー書きさんでした。
まず、彼が消えました。それによって、《須藤加代子》と言う架空のキャラクターが管理するブログが宙に浮きました。そのキャラクターを操っていたのは誰かと言うのは後にして、これによって須藤加代子の主導権はMC管理者の方々から、謎の第三者へと移りました。そして、須藤加代子は独り歩きを始めます。そしてそれはとうとう、管理者の人達の遊びではなくなりました。
次に消えたのは、平芳ケイさん。メンバー名は、平良原さんでした。書き手の場合はファンタジー系の恋愛ものを得意とする男性でしたが、実際は辛口で強気な作品評論をする、生真面目な女性でした。
まずはここで、最初のトリックが起こります。彼女は、会社の飲み会の帰りに暴漢に襲われて致命傷を負います。未だ亡くなってはいませんが、意識が戻るのは絶望と言われています。
ですが、ある意味彼女は全くの無傷なのです。本来は病院のベッドで寝ている筈なのに、実際の彼女は元気に動いて数々の犯行を繰り返します。
まずはここで一つ、種明かしをしましょう。彼女こそがリアルに出現した須藤加代子であり、遊園地の廃墟で自決をした白いスーツの女性であり、そしてその実態は、管理者の平芳ケイ。MCメンバーの平良原さんなのです。そして、偶然ながらもこのトリックを作ってしまったのは他でもない、内藤氏なのです。
もしも皆さんがMC管理者掲示板の過去ログを見る事が出来ましたら、是非に七狼子さんの意味深な発言を探してみて下さい。彼は掲示板にてこう指摘している筈です。過去に内藤氏が平芳ケイさんの宛名を間違えて書き送ってしまったと言う事を。
内藤氏は、昔作ったMC同人誌をメンバーの皆さんに送る際、非常に些細ですがミスを犯しました。それは、宛て先の下に書いた、自身だけが判ればいい程度の走り書きなメンバー名。七狼子さんは、「宛て先の名前を間違えた」と書いていますが、実際はそれは正確ではない。実際に内藤氏が間違えたのは、そのメンバー名でした。内藤氏は、普段から仲が良くそして住所が非常に近い、BB令嬢と平芳ケイさんのハンドルネームを書き間違えて送ってしまった事に拠るのです。
勿論それは実際の本名ではないし、大判の封筒の端に書かれたメモ書きである以上、郵便物としては全く問題は無い為に、普通に届きます。ですが彼女達は、内藤氏が二人の本名を取り違えている事に気付きました。勿論その間違いを指摘する必要性もありません。ネットの世界に措いてのリアルの本名など、全く意味もない名前でしかないからです。そんな間違いを指摘などしなくても、ネットでの付き合いには全く支障が無いからです。
ですが、そんな些細なミスが綺麗に平芳ケイの存在を隠します。普段から仲の良いBB令嬢と平芳ケイは、家も近い事から当たり前のように連絡を取り合っていました。そしてBB令嬢は一ヶ月留守にすると言って実家へと帰り、帰って来たその晩に彼女は会社の同僚達と酒を飲み、その帰りに逢おうと連絡をして彼女を誘い出した平芳ケイは、問題の雑居ビルの裏手で犯行を起こします。ずっと嫉妬と恨みを隠し通し、そのキッカケを与えられるその瞬間まで我慢をしていた平芳ケイは、その場でBB令嬢を殴り倒します。
本来ならば内藤氏の原稿の通りに、頭の原型が無くなるぐらいに鈍器で殴打する指令でしたが、やはりそれは古くからの友人でもあり、かつてはそれなりの情もあり、そして女性としての腕力の無さか、その一発は彼女の意識が永久になくなる程度のものでしかありませんでした。
そして、BB令嬢の中身の女性は、ネットとリアルからその存在を消します。ですが、ネットとリアルの関連性を知る唯一の存在である内藤氏は、暴行を受けたその女性の名前を聞いて掲示板にこう書きます。二人の本名を取り違えたままに、第二の犠牲者は平芳ケイさんだったと。
これで平芳ケイさんは、例えネットでの関係を探られたとしても疑いの掛かる事の無い位置へと移動出来ました。何しろ、その存在を知る内藤氏と原稿に挿入された犯行文によって、犠牲者は平芳ケイだと告げられてしまったからです。必然的に、彼女は透明人間へと変身出来たのです。
後の犯行は、非常に楽でした。何しろ、疑いが掛かる事のない僕と、平芳ケイさん。この二人がいる以上、《須藤加代子》と言う架空のキャラクターが犯行に及んでいるように見せ掛けて、同時に複数の事をやってのける事が可能になったからです。
それは、緋鎖君を殺す際に最大の効力を発揮しました。彼は僕達の口の中に飛び込む餌のようでありながら、その分僕達の懐に飛び込む剣客のようでもありました。僕はそれ以前に彼の姿を見た事はなかったのですが、ああしてリアルの彼を見て、僕は本当に用心をして本当に良かったと思いました。まさかあれ程までに上背高く、筋肉質な高校生だとは思ってもいなかったのです。MCの中で見る綺麗な絵を描く玖さんとはまるでイメージも出来ない程にいかつく、とても僕程度では襲ってなんとかなるようなタイプではなかったのです。
そこで僕は咄嗟に計画を立てました。なるべく人通りが少ない埼玉の田舎の駅を待ち合わせに使ったのは幸いでしたが、あのままでは僕が掴み掛かっても倒せないと踏み、待ち合わせ場所にて彼の容姿を確認した後、平芳ケイを中継として彼の携帯へとメールをしました。待ち合わせ場所を変えてくれと。反対側の出口で待っていると。
そこから先は賭けでした。僕の運が勝つか、彼の運が勝つか。僕は連絡通路を挟んだ階段の上の一角に姿を隠す。幸いにもそこは、かつての旧階段があったのでしょう。僕一人の姿が隠れるには最適な場所がありました。そして僕はそこで平芳ケイにメールを打つ。須藤加代子の振りをしながら、そこから私が見えないかと送ってくれと送信しました。そしてすぐにそのメールは転送されたのでしょう。彼はその文面通り、階段の上からあちこちを探します。そして彼が階段を降りかけた瞬間に、僕は背後から近付き全身で体当たりをしました。
運は、僕に分があった様子です。彼は受け身も取れないままに階段を落ち、ほんの僅かな時間でその苦痛は終わったようです。
更に運が良かったのは、僕の背後側、連絡通路側から人が来なかった事。そして彼が持つ携帯電話が、体当たりと同時に僕のすぐ傍に落ちた事です。彼の携帯電話がそこにあると、僕にはあまり都合は良くなかった。何しろ僕が送ったメールがそのままそこにある以上、どうしても犯行後にそれを回収する必要があったからです。
ですが全ては僕の側に有利に働きました。僕はその携帯電話を拾って逃げる。後は平芳ケイにメールを送り、素早くMC原稿の中に犯行予告の一文を混ぜるだけです。そして、緋鎖君の犯行は終わりです。こうして、管理者達だけが知る緋鎖君と須藤加代子との逢瀬は、須藤加代子がそこにオンしているのが確認されながら行われた犯行へと見せる事に成功しました。勿論、僕がその直後に内藤氏に空のメールを緋鎖君の携帯電話から送信したのは、ただの演出と犯行文が載るまでのタイムラグの短縮です。それ以上の意味はありません。
次は、BB令嬢の消失です。勿論、タネは判る事でしょう。なにしろ既に彼女は病院のベッドです。最初から彼女はいないのです。
まず平芳ケイが、プロキシを入れた状態のパソコンで管理者掲示板にインします。そしてそのまま犯行予告をMC作品に挿入し、更にそのまま掲示板に何も書かないだけです。それで消失が成功するのです。これほど楽な事はありません。
後は、ロムに徹した平芳ケイが僕に逐一報告をくれます。僕は、最後の締めの為に七狼子さんの自宅前で待機をしています。そして平芳ケイからの報告で二人がログアウトしたと言う知らせを聞き、僕は彼の家の玄関先に潜みます。後は彼が予告した通り、警察へと出向く為に外へと出て来るのを待つだけでした。
僕はきっと、緋鎖君を殺害した事で気持ちにも余裕が出たのでしょう。待つ時間は気にならなかったし、彼が出て来た所を背後から襲って紐で扼殺した時も、以前よりも度胸が据わっていたように思います。そして僕はそのまま彼の死体を家の中へと戻し、風呂桶にそれを放り込んで水を貯めました。
さて、恐らくは内藤氏は知らなかったでしょう事がここで起こります。何しろ内藤氏は七狼子さんが亡くなった事は、MC作品に犯行予告が載っている事を見て初めて知ったのだと思います。こればかりはリアルタイムにテレビで報道もされていません。何しろ七狼子さんの遺体が発見されたのは、事件の一週間後だったのですから。
つまり内藤氏は、七狼子さんの死因も、BB令嬢の消失も、全く何も知らないままで須藤加代子の待つ廃屋へと誘われる訳です。
もしも彼が二人の状況を知ったならば、少なからずその異常性を感じた事でしょう。何しろ片方は姿も見えないままに犯行予告をされていて、もう一人は冷凍庫の氷は元よりそこにあった冷凍食品からアイスクリームの類までもが放り込まれた風呂桶の中にいたのです。これは一体何を示す事かと言えば、僕はただ単に七狼子さんの死亡時刻をほんの少し曖昧にしたかっただけなのです。実際は一週間も経って発見された以上死亡時刻の特定は極めて困難だったのですが、僕はにはもっと早く発見されるであろう想像も予想していた。だからこその行動でした。
そして、そんな不可解な行動が意味する事はただ一つ。僕はほんの少しだけ犯行時刻を狂わせるだけで良かった。つまり僕は、内藤氏には絶対に不可能とされる時刻を外す事だけが出来ればそれで良かったのです。可能かも知れない時間を作り出す事さえ出来ればそれで良かったのです。
何故ならば、管理者のみならずメンバー達の住所と氏名を知っているのは、事実上内藤氏を除けば誰もいないから。ネット上での付き合いをリアルへと持ち込めるのは、内藤氏以外は誰もいなかったのですから。
つまり僕は、「内藤氏にも可能」と言う殺人を作り出すだけで、後は何も考えなくて良かったのです。それに成功するだけで良かったのです。何しろこの世界には、小説へと登場するようなどんな犯罪も突き崩してしまうような探偵など存在していません。地味な努力で犯罪を突き詰める刑事もおりません。全く動機の判らない殺人を連続して起こし、それと同様な小説を書いている人間がネットの中の知り合いをその登場人物として殺して歩いていると言う設定をポンと与えるだけで、全ての人間は安心するのです。もうそれ以上の事実は必要無いのですよ。
そしてそれは僕の読み通りでした。誰一人として内藤氏以外にも可能なのではとは考えませんでした。いえ、もしかしたらそう考えた刑事や、この事件を知ろうとして調べた第三者の方々の中には、そう言う疑問を持つ人もいたでしょう。だが決して、その全貌を掴みその結末を僕の計画まで辿り着かせるなど誰にも無理だった事でしょうし、例えそんな異論を唱えたとしても誰も耳など貸さなかった事でしょう。
だって、そうじゃないですか。不可解で理由も見当たらない、そしてどこが接点になっているのかも判らない殺人事件が起こり、犯人は見付からない。そこへひょっこりと関連性が出て来て、全ては内藤氏の仕業と取れる証拠や想像に行き付く。それなら警察は何も困る事なく彼の犯行として断定するでしょうし、それをメディアで追い掛ける暇な人間達なんかもっと鈍感さは上でしょう。自分の書いた小説通りに意味もなく友人達を殺して回り、そして最後は自分自身すら小説の中の駒として自殺する狂人がいるのですよ。その筋書きに興味を持つのは当然で、それ以外の陳腐なる視点なんか提示されたってそんなの誰も見向きもしません。こう言う類の事件とは、真実よりも異常性の方が好まれるのですから。
さて、最後の幕へと移る前に、どうしてもこれだけは先に述べておかなければなりません。それは、僕、「荒木」が、どうしてMC管理人の全てを殺してその全てを内藤氏にかぶせてしまったかと言う事です。
僕は、内藤氏とは非常に仲が良かった人間だったと思います。そう、ネットではなくリアルの世界での事です。
知り合ったのは、ネットの中のMCが最初です。僕は孤独に創作と趣味のブログをやっていましたが、偶然にもそれを内藤氏が見付け僕を誘って下さり、それからの付き合いとなりました。そして偶然にも彼とは家が非常に近く、電車も使わずに行き来出来るぐらいの距離と知った後には、同性と言う安心感もあって度々逢って話しをするぐらいになりました。その内僕は彼のアパートメントにも招待され、それからは良くお邪魔させてもらうようにもなりました。僕もまた内藤氏には信頼もあったし、会話もそこそこ弾むようになったと言う事もあり、いつしか僕は彼の部屋には入り浸りになっていた時期までがありました。そして彼もまた僕と言う人間を信頼してくれてたのでしょう。彼の苦手なパソコンのメンテナンスやトラブル処理。そんなプライバシーに関わるようなものまで僕に任せてくれてたのですから、それなりの信頼は勝ち得ていたのだと自負しています。
ですがある日、僕にとってはそれまでの信頼関係が完全に崩れてしまうような事件が起きました。僕が彼の部屋へと遊びに行くと、彼は飲んだばかりの精神病の薬の効き目なのか、それとも一緒に飲んだであろうアルコールのせいか、半覚醒状態のような、俗な言い方で言えばラリっているかのような陽気さでベッドの上でへらへらとしていました。僕は大丈夫かと聞きましたが、彼はいつもよりも大きく陽気な声で、大丈夫だと返事をしました。
その時、僕はやめておけば良かったのです。彼はまともじゃなかったと気付いていたなら、話すのをやめておけば良かったのです。
しかし僕は言ってしまった。自分の閃いたアイディアの斬新さがあまりにも自分自身で気に入ってしまい、更にはその内容に興奮をしていたの